誕生日記念で書いた作品です。
「生まれた日のことを回想する行為に、意味なんてないと思いますよ」
優しい笑顔でそう言って聞かない彼女──生塩ノアは、いつも通りの笑顔を携えてソファに座っている私の隣に腰掛ける。ふわりとベリー系の香りがする。香水には造詣が深くないが、そういう匂いがあるのだろうか。それとも、彼女自身の香りなのだろうか。
いつもしているこの香りは不思議とこの子の前では元気に振舞わないといけないと思わされる。
絹のような白い髪に、優しさと余裕を感じさせる笑みは正直ドストレート。静かな声色で落ち着いて物事を観察しようとするその性格も。
「そうかなぁ。私はそうは思わないけれど」
「そうですか?」
高校生とは思えない色っぽい視線にしどろもどろになりそうになる。妙に大人びているというか、不思議な気持ちにさせられるのだ。他の女性と一緒に居ても特段思うところもないのだが、彼女と居ると落ち着かない。こちらが手玉に取られているような感覚こそあれど、それが嫌だと思ったこともない。
人をコントロールするのが上手いのだろうな、と少ない経験で結論付けて頭を本題に戻す。
「誕生日ってさ。色々な人の思いがあるじゃない」
「ええ。記録や、小説の中にはそういったものもありますね」
「あれ、小説読むんだっけ」
「ええ、先生に勧められたものも読んでますよ。忘れてしまわれましたか?」
まぁ、多くの人に文学に触れてほしい気持ちがあるからその人に合いそうな作品をおすすめすることはある。ただ、おすすめの仕方が悪いのか反応が返ってくることは少ない。お互いに感想を言い合う時間は久しく取れていないから、今度誘ってみるべきだろうか。
なんだかんだでノアは付き合いがいいから仕方ない顔をしながら付き合ってくれそうな気がする。
……いけない。目の前の課題に手を付けずに他のことに思考を巡らせてしまうのは悪い癖だ。
「いや覚えているよ。本を読んでいる姿を見た覚えがなかったからさ。普段はずっとその手帳と向き合っているだろう?」
「ええ、先生と居ると退屈しませんので」
「私そんなに面白くないと思うんだけれどねぇ」
ノアと一緒に居るときは仕事のことが多い。他の生徒と違って、彼女が個人的に呼び出してくることも特にない。コユキという彼女が所属しているセミナーの問題児を迎えに来るときはほとんど彼女だが、世話好きであるのと面白いことが好きなだけだろう。
フラットな立場で物事を見ている彼女が特別に考えているのは精々が早瀬ユウカくらいなもの。曰く、弄っていて楽しいんだそうで。まぁ叩けば鳴るオモチャは面白いから分かるが。
「物事は人によって捉え方が異なります」
「君にとっては面白いことだったってことでいいかな」
「そう受け取ってもらっても構いません」
「肯定なのかやんわり否定されてるのか分からないんだよねぇ……」
ニコリと微笑を浮かべて否定もされないのは、どこか物悲しいものがある。笑顔で否定しないという一見当たり障りのない行動は、遠回しな拒否にも繋がる。そのあたりを見極めるのが人間関係の基礎の部分だけど、出来る限り観察しているノアのことでも正直見分けがつかないときがある。
いくらなんでも立ち振る舞いがしなやかすぎる。演じていると言われた方がいくらか納得がいくものだが。
「肯定の方ですよ。先生はご自分のことを少し軽視しすぎかと」
「そうかなぁ……とまぁ。君の言う通りに、人の捉え方は千差万別。同じように思えても多くは違うもので、出来ているんだ」
期待、中身のない同意、なにかの下地……などなど。謀略と策略はキヴォトスに多くはないが、人間関係なんてつまるところそういうものだ。意識してようがしてまいが、騙して騙されてが世の習わし。
一見中身のない会話一つひとつにも意味はある。
欲しいもの、導きたい結果。そう言ったものが見え隠れする。それを見つけられるかどうかが人と関わるのが上手い、というやつだろう。私は人を見ることはそんなに得意じゃないが、人の求めているものや結果、それに導く力だけは優れている。
だからシャーレの先生、なんて奇特な職業に就いているのだ。
「今の言葉を言うためだけに?」
「ああ、一芝居打たせてもらったよ」
「これは……一本取られましたかね」
誇らしげな顔で彼女を見ると苦笑されていた。構図だけ見れば姉を超えたい弟のようにも見えるが、残念ながら年齢はこっちが上だ。
「してやったり。君の誇らしげな表情を崩すことが出来た」
「それも含めて計算通りだったのでは?」
「まさか。私は君の余裕をいかに崩せるか、それだけを考えて会話してたよ?」
どれだけ能力が優れていようと、それを活かす当人の意思が正しい方向に向いていないと望んだ結果は訪れない。
ぶっちゃけてしまうと、この論争にゴールはない。こちらが満足して終わりである。
「もう、先生。あんまり揶揄わないでくださいね」
「君の方こそ。大人を揶揄うものではないよ。力は君たちよりも強くないけど、いつだって大人はズルいものだからね」
「先生が私たちに悪いことが出来る人とは思えませんよ?」
マイナスになるようなことはしないと決めているけど、男として警戒していないのもどうなのだろう。確かに力では勝てないし、悪いことも出来ないし……あれ、そうすると大したことって出来ないような……。いや、一つだけある。
「……それで、元々なんの話だったっけ」
「生まれた日のことを回想するのは意味がないという私の発言に対して先生はそうでもないと答えた話ですね」
「ああ、そうだったね」
忘れたフリをして相手に元の話題に戻させる。簡単なことだが、相手が几帳面な性格をしていなければいけないから使える相手は限られる。
「ノア、君は全ての言葉に意味があると思うかい?」
「ええ、その人の欲や望み、そんな色々が詰まって出てくる表面的なものが言葉ですから」
「うん、私もそう思うよ」
どれだけ綺麗な言葉を並べたところで、お為ごかしな言葉じゃ人に嘘だとバレる。ノアのような相手をしっかりと観察しているような人間には特に。
だからこそ、この行動に意味なんてない。見返りもいらない。私の一番底にある感情を、なんの加工もなく取り出して渡すだけ。
「でもね、これには一つだけ意味があるんだよ」
他の生徒に漁られても問題ないように二重底にしてある机の引き出しから、白い小箱を取り出す。高級品らしく化粧箱に入っているソレは、綺麗な正方形をしている。
プラスチックのような肌触りではなく、手に吸い付く布のような肌触り。ソレを彼女の前に持っていく。
「あら先生。それは?」
「ん、開けてみれば分かるさ」
自ら開けるのではなく、相手に渡す。不思議そうな顔をしてこちらを見る彼女に微笑を浮かべてやると、おずおず蓋を開ける。見た目からは想像も出来ないようなゆったりとした開閉のあと、彼女の手が止まる。
「えっと、あの、これ……えっ……?」
「君の誕生日的に、これを渡すのが一番かなって思ってね」
普通、誕生日プレゼントには欲しがっているものを渡すのが一番いい。次点で雑貨や消えもの。その辺りのリサーチが男の見せ所とはいえ、普段一人と一緒に居れる時間が少ない。世話になっている度合いによってハンドクリームなどを手渡したり、似合うと思えばちょっとした小物を渡すこともあるが……。
シャーレに一番来てくれるのはノアだ。彼女も忙しいだろうに、なにかと理由を付けてくるのは俺が頼りないからだろう。この性分を治すことは出来ないが、日々の感謝を伝えるくらいは出来る。
「誕生日、おめでとうノア。君が生まれてきてくれて、君と出会えて本当によかったよ」
この瞬間だけは世界の誰よりも君の誕生を嬉しく思っている自信があるんだ。だから、今だけは先生としてではなく隣人として。この日を祝わせてほしい。
「せ、先生……これ、指輪……」
「うん、君に似合うと思ってさ」
「な、これ……ダイ、ヤ……高かったん……じゃ……?」
「値段なんてどうでもいいよ。私が、君に、一番似合うと思った。だからそれは君にプレゼントする。それじゃいけない?」
声にならない声を呆けたように呟くノアを見ていると、やってやったという気持ちに笑みが零れる。この顔が見たいから、私はきっとこの子にプレゼントしたんだろうなぁと思う。
人にプレゼントを渡すのは、苦手だ。シャーレに来てからは何度か訪れた機会で慣れたものだが、個人として贈るのは記憶に残っている中で初めてのこと。
形に残るもの、その中でも指輪は重くないだろうか。不安になって横目で伺ってみると、表情からは嬉しいとも、嬉しくないとも取れずにただ茫然指輪を眺めている。
「あー……気に入らなかったら、破棄してほしい」
やっぱり重かったんだろう。気に入らないのなら仕方がないと冗談交じりに言うとノアはこちらを見て静かに首を振る。
「……そんなことしませんよ。大切にします」
「それはよかった」
プレゼントしたものが相手に気に入られないことほど空しいものはない。しっかり否定してくれたことに安堵する。ノアは細々とした作業をするから、ネックレスにするためのチェーンも付けてもらったのだ。机の引き出しを軽く漁る。確かこのあたりにあったはずなんだけれど……。
「あの、先生?」
「うん? ああ、指輪ね。ここにネックレス用のチェーンが──」
「せっかくなので、嵌めてもらってもいいですか?」
「……はい?」
今なんつった?
「指輪を、どこに?」
「私の指にですね」
あー、うーん。そうですか。指に。はぁ。
少し悩む。指輪を渡すだけでも大概なのに、指に嵌めろと。言われないように、わざわざ手渡したのに?
「してくれないんですか?」
いつもの笑顔でそんなことを言われて、苦虫を嚙み潰したような顔になっているのを自覚する。大人を舐めるなと言っているだろうに。……仕方がない。
「ほら、指を出して」
「はーい」
指先に繊細さが宿るしなやかな手をとって──その薬指に嵌めてやる。
「……ふふっ、ありがとうございます。先生」
「うん」
「指輪はもらったことがないので、正直驚きました」
「あー……まぁ、そうだねぇ……」
熱に浮かされる乙女のような反応をされると、非常に居心地が悪い。照れさせるつもりが、逆に照れさせられて、この場から逃げたくなる。
「一応チェーン渡しておくぞ。学生がアクセサリーなんて~……って言う人が居るかもしれないし」
「ええ、ありがとうございます。でも、ちゃんとこの指に付けるようにしますよ」
顔に熱がどれほど溜まってしまったのか、あまりにも分かりやすく自分が照れていることに溜息を吐いた。
「喜んでもらえたならなによりだよ。ほら、夜も遅い。ちゃんと家に帰ってね」
「泊っていく予定でしたが、いけませんか?」
「……もうちょっと大人になって、自分で責任を持てるようになってからならいいよ」
「言いましたね。ちゃんと記録しておきますから」
そうは言っているが、いつものメモ帳を手に取る様子はない。おそらく、軽口に冗談を返しただけだろう。他の人間からもたくさんプレゼントをもらうのだろうし、引き留めておくのも他の人間に示しが付かない。
「今日はいい気分で眠れそうです」
「ああ、月がこんなにも綺麗だし、きっと夢見もいい」
窓から外を眺めれば、下弦の月が雲の隙間から顔をのぞかせている。まるで今の心情のようだと柄でもないことを思ってしまう脳をかぶりを振ってリセットする。
「……ふふっ。そうですね。でも、ずっと前から月は綺麗でしたよ」
「まぁ、月が綺麗じゃないことの方が珍しいかもなぁ」
窓を開けてみると、春先の肌寒い風が頬を撫でた。もう春か、と思うと同時にキヴォトスに来てからそれなりの時間が経っていることが嫌でも分かる。それはつまり、それなりの時間をノアと過ごしているということでもある。
「……その格好だと肌寒いかもね、私のコートを持っていくといい」
「はい、お言葉に甘えてお借りしますね」
ノアをロビーまで送り届けてから、自室に戻る道を歩く。
外の景色を眺めながら、今日の出来事を反芻する。
「そういえば、ダイヤモンドの指輪って割と定番だった気がするんだけど、なんの定番だったかなあ……?」
多分忘れてはいけないことだと思うんだけど、どれだけ考えても分かりそうにない。まぁ、これほど大胆なことをノア以外にするわけでもないし、もし男女の関係に関連していてもどうにかなるだろう。
まさかそういうのを都合よく忘れていました、なんてわけはないだろうしありえないが。
しばらく歩いてから少し前まで滞在していた場所を振り返る。行き交う人の声や信号の音が気にならないくらい熱心にシャーレのタワーを見る私は、周囲の人から見れば奇異に映るのだろう。それとも、都会に身をおけば自然と感じる忙しなさに囚われない学生に羨望の眼差しを向けられているのだろうか。
怪訝な顔で立ち止まる私を見る通行人たちはやがて私を忘れ去る。同様に、私の意識には彼らは入らない。入る余地があるはずもない。私に今あるのは、薬指に嵌められた指輪と、約束だけ。
先生がいつかに勧めてきた本には愛しているという言葉がたくさんあった。
きっかけはたしか、愛しているを知りたいという話で物語から知ればいいんじゃないか、というあの人の提案に乗ったからだったはず。正直なところ、物語から知ることが出来るわけがないと斜に構えていた。
それでも読み進めていくうちに、私が気に入るものがあった。
それは、愛しているの一言を月が綺麗ですね……とした小説だった。あの時の私にとってはメモを取る程度のものでしかなかったけれど、記録の『録』という言葉の成り立ちの通り、これまでの考え方を剥いで表面を磨いた後に、金属で削って文字に
そして、今日あったことは……ちゃんと、記憶してある。いつものようにメモに留めるのではなく、心にちゃんと記銘してある。
「ふふっ、約束ですよ。先生」
もしかしたら、あなたはそんなつもりがなかったかもしれない。それでも、私はちゃんと覚えておきます。記憶しておきます。丁寧に心に傷を刻み付けておきましょう。
永遠に美しい輝きを放つ、そう言われ続けているダイヤモンドの指輪は男女の契りの証でもあることは、色恋に悩める女子高生の間では常識。これまでは他人事のように憧れる様子を微笑ましく見ていたけれど……いざもらってみると、決して手放したくないと強く思う。
私は、あなたの月が綺麗だという言葉に、愛してるの言葉にちゃんと返しましたよ。
ずっと前から月は綺麗でしたよ、と。