ープロローグー
(ブリタニア 扶桑陸軍兵舎)
陸軍を退官する日の朝だった。
(コツ、カツ、コツ、カツ、、、)
彼女の足には少し大きな軍靴が床板を叩く。
『八日も前の少女の歌が、まだ頭の中で響いてる』
そう、いのりは思った。
それくらい、先日ロンドンで出会ったジニーという少女の歌声は、彼女にとって特別なものだった。
退官の手続きを済ませ、長い廊下を歩く。
十数メートル先に見えるその扉を出るとき、いのりは扶桑陸軍の軍人ではなくなる。
『、、、もしかしたら父は、始めから期待していなかったのかもしれない』
辞めることを伝えたとき父は何も言わなかった。
(ギュッ、)
鞄を持つ手が強く締まる。
また知らない場所で一から始めなければならないのが怖い、、、
二週間前から決まっていた事とはいえ、その時を目の前にすると、いのりの鼓動は早くなる。
(カクンッ!)
「あっ!?」
床板から釘の頭でも出ていたのだろうか、彼女の靴が何かにつまづいた。重い荷物に、いのりはバランスを崩す。
そして左手を着いた壁の掲示板に、、、
そのポスターは在った。
とても明るくカラフルな、絵本の表紙のような、
「連盟空軍歌唱部隊員、、、
募集のお知らせ?」
心臓の鼓動高く、
青空のとても綺麗な朝だった。
ー『いのりの小さな冒険』ー
ーいのりの祈りー
『私はダメな子だ』
いのりはそう思う。
自分は昔から気が弱く内気な子供だった。
勉強でも、遊びでも、皆が出来ることが出来ない自分が嫌だった。
大好きなおばあちゃんが教えてくれる箏を、自分が上手く弾けないことが悔しかった。
でも、ピアノだけは辞めなかった。
ピアノだけは、ピアノの音だけはいつも自分に寄り添ってくれた。
だから、音楽を嫌いになる事は無かった。
一年前、
扶桑陸軍参謀である父と母と共に渡ったブリタニアで、いのりのウィッチの血は発現した。
そして、ごく当然の事として、ブリタニアに駐留する扶桑陸軍の訓練所に入った。
でも、そこでの生活は、いのりには馴染めないものだった。
そもそも気弱な自分に戦闘というものは全く向いていなかった。
そしてそこでも、陸軍参謀の娘である事が付いてまわった。
同じ訓練生による誹謗、中傷よりも、
軍参謀の娘である自分が、だけど何も出来ない自分が一番嫌だった。
『自分には軍人は向いていない。』
辞めるつもりで申請した短期休暇が通った。
何処に行くあても無かったので、ロンドンに出た。
ージニーの歌声ー
ロンドンの地下鉄を降りて地上に上がると、先ほどまで隣りを歩いていた使い魔の三毛猫「おこげ」の姿が見当たらない。
「おこげ〜?、おこげ〜〜、、もう何処行っちゃたの?」
(グィ)
そんな、いのりの上衣の裾が後ろから引っ張られる。
「もうホントに! おこげ、勝手にいなくならないでよ、、、」振り向くと、知らない大きな犬がいた。
「え、、、ええ〜〜っ!?」
「あわわわっ!?」優しい目をしたそのボルゾイに、いのりはロンドンの街を引っ張られてゆく、、、
やがて行き着いた小さな広場で、いのりはミラーシャとジニーという少女達と出逢った。
ウィッチだけど軍人らしくない二人は陸軍訓練所の子達とは何か違っていて、彼女には居心地が良かった。
劇場や寺院、三人でロンドンの街をいろいろと歩いて回った。
そして青空の下、白亜の塔が綺麗な公園で、
「落ち込んだ時も、楽しい時も、なんでもない時も、歌を歌うと幸せな気持ちになれるから!!」
ジニーの歌を、聴いた。
ジニーの歌声がロンドンの空に響きわたり、、、
『そして私の中を、若草色の風が吹き抜けた。』
、、、ドクン、、、
それは彼女の想像もしていない出来事だった。
いのりは思い出す。
幼き日、母や父、祖母と歌った歌の思い出を。
「アハハハッ!おとうさま〜、おかあさま〜」
光反射する縁側を、ぱたぱたと幼な子が走る。
まだ、小さかった私。
いつも、歌ばかり歌ってた。
秋の日に、暖かな陽の光差し込む部屋で、母のピアノに合わせて歌った歌。
雪が降る冬の夜、父の誕生日に歌ったお祝いの歌。
大好きだった猫が死んだ日に、桜の木の下でお婆ちゃんと一緒に歌ったお別れの歌。
一日一日が毎日初めてのことばかりで、
良いことがあっても、悪いことがあっても、毎日がかけがえのない日々だった。
何かが出来たとか、出来なかったとかなんて関係無く、歌を歌うことが好きだった小さな私。
(でも、上手く歌えた日は一日中機嫌が良かったっけ、、)
記憶の中の若き日の父が、小さないのりの頭を優しく撫でる。
「すばらしい誕生日プレゼントだ」
「ありがとう。いのり、、」
その手はとても温かかった。
顔をクシャクシャにして笑う小さな私。
ただ純粋に、
歌が大好きだった私、、、
小さないのりの歌声と、
目の前で歌うジニーの歌声が、、、
今のいのりの中に響いてゆく。
「、、、あったかい」
ジニーの歌声は、今まで聴いたどんな歌声よりも真っ直ぐで、
自分が嫌いな今の私にも、たぶん、そうでなかった小さな頃の私にも、同じように響いてゆく。
ジニーの歌声に、
彼女を知らない人々が振り返る。
歩みを止め、彼女の歌に耳を傾ける。
「、、、いいな、」
いのりの耳に、ジニーの歌が優しく響く。
『あんな風に、、、私もまた、あの頃みたいに歌えるといいな、、、』
それ以来、彼女のことが、ジニーの歌声が、いのりの頭から離れることはなかった。
ー小さな冒険ー
(ブリタニア 扶桑陸軍兵舎)
「あっ!」
いのりがよろめき手をついた、壁の先にあった、そのポスター、、、
「連盟空軍歌唱部隊員、、、
募集のお知らせ」
イラストの女の子が楽しそうに、いのりに歌いかける。
『!?、、、』
ポスターを目にしたいのりの瞳が、大きくひらく。
(落ち込んだ時も、楽しい時も、なんでもない時も、、)
そして、小さく開いた彼女の唇がゆっくりと上がり、息を飲む、、、
(歌を歌うと、幸せな気持ちになれるから!!)
「ジニーちゃん!?」
ポスターの少女と目が合った時、いのりの頭に真っ先に浮かんだのは、あの日、ロンドンで歌うジニーの姿だった。
記憶の中の彼女の歌声に、胸が高鳴る。
忘れもしない、あの日の記憶が甦る。
『あの時みたいに、もっと沢山の人達に彼女の歌を聴いて欲しい』
昂ぶる、いのり。
『そして、ジニーちゃんには、もっと彼女の大好きな歌を歌って欲しい!』
そう。理由は自分が一番知っている。
いのりは確信する。
『だって、ジニーちゃんの歌う歌だもの!』
きっと誰もが足を止め、彼女の歌に耳を傾けるに違いない。
そして、ジニーの歌声が、私の時のように聴いた人達の心に何かを残すことが出来たなら、、、、
『それは素晴らしいことだと思うから。』
「、、、うん。」
するとゆっくりと、いつもの自分では考えられないような、やる気が湧いてくる。
軍人ではないジニーには、この募集を目にする機会は無いのかもしれない。
であれば、私が彼女を推薦しよう。
『こんなにも、子供のように真っ直ぐな、素晴らしい歌を歌う女の子がいるのだと、、、』
いのりは顔を上げ、廊下の先に視線を直す。
「そう伝えに行こう。」
(、、、コッ、)
いのりは、先ほどまでくぐるのを怖がっていた扉に向かって歩き始める。
(カチャッ)ドアノブに手を掛けて、、
まだ見たことのない未来を信じて、、
臆病だった少女は、その扉を開く。
(扉の隙間から流れ込んだ外の空気が、いのりのスカートの裾を優しく揺らした、、)
彼女は扉の外に一歩踏み出す。
外の光は柔らかく、頭上には春の青空が広がっている。
そしてその青空の下を、輝く笑顔のいのりが進む。
もう既に、先ほどまでの外の世界に怯える彼女はいない。
まだ見ぬジニーの未来を信じて、
自分がその助けになるのだと信念を持って、いのりは歩いてゆく。
(サァ"〜ァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ、、、)
芽吹き始めたばかりの樹々の梢枝が音を奏でる。
ブリタニアの春の大地に風が吹いてゆく。
柔らかな風は、いのりの背中を一歩押し出し、
春風に靡くいのりの髪が、、光を纏う。
(、、スゥーーッ)彼女はその胸いっぱいに大きく息を吸い込む。
『今度は、私も一緒に、、、』
(後にルミナスウィッチーズの宿舎となる屋敷と青空の画)
そして、
(青空を仰ぎ見、大きく口を開き目を細める、いのりの画)
『 歌えたら、いいな! 』
やわらかな青空に、春の草木の花弁が舞い散った、、、
(「、、、ぁ♪」)
ー『いのりの小さな冒険』ー
(「♪っぜを〜〜〜
駆けてぇ〜は〜〜〜、、、」)
心穏やかに、足どりは軽やかに、
いのりのほんの小さな、しかしやがて想像もしていない様な大きさとなるその冒険は、
今こうして始まる。
ーおわりー