ニンジャ、それ即ち大和撫子である。
そんなわけないでしょ、という市ヶ谷有咲に冷静なツッコミを牛込りみは華麗に無視した。半ニートのレトロゲーオタクの助言が一体いつ役に立つだろう、つまりはそういうことである。
大和撫子に生まれたならば米を愛するのは道理である。
ジャマイカ米は入るんすかね、という花園たえの発言を牛込りみは鮮やかに無視した。生まれてこの方十数年、食べたお米は実家の近所に住むおじちゃんが作ったお米オンリーであるからして、ジャマイカ米とかまず存在すら知らなかったからだ。日本のお米は世界一なので今度も食べる事はないだろう。牛込りみは一途なのだ。
故にこそ、例えばどんなに苦しく貧しい時でもお米を愛し、パンに魂を売ってはいけないのだ。
おやつにパン持ってきたよー、という山吹沙綾の声を牛込りみはしばし逡巡して無視した。別に香ばしい匂いに目が眩んだとかではない。断じて違う。
パンは邪道、お米こそ正義。小麦なんてくそくらえである。
うどんもダメなのかな、という戸山香澄の疑問をりみは無視しようとしてやめた。ナ・ニモの使い手である師匠の金言は聞いた方が良いからだ。
うどんといえば香川県のソウルフードである。りみの生まれ故郷である兵庫県は瀬戸内海を挟んで香川県の上に存在するので、実質兵庫県のソウルフードみたいなものではないだろうか。というか同じ炭水化物だしうどんって実質お米では?
きっとそうに違いない、うちがそう判断した。
「うどん食べたい!」
「うおびっくりした!」
悪辣にも鼻腔を擽り腹の虫を騒がせていたパンの匂いは、もうすっかり気にならなくなっていた。今りみの頭の中にあるのはうどんの事だけである。驚きのあまり座椅子からひっくり返った有咲の間抜け面に猫が座った事などうどんに比べれば些事である。
うどん。それは米に並ぶ日本のソウルフード。生姜と葱をたっぷり入れた麺つゆで食べるか、それともダシの効いたきつねうどんで食べるか。カレーうどんやぶっかけうどんも捨てがたいが、いずれにしても半熟たまごはほしいところだ。サイドもまた悩ましい。紅天*1はほしいが果たしてここ東京で置いてあるのだろうか。磯辺焼きやかき揚げも外しがたいし、締めのおにぎりも押さえておきたい。
「というかあんた今金欠なんじゃないの?」
「そうだった!」
猫を退かしながらはなった有咲の一言で現実を思い出す。親の仕送りのほとんどをベースに使ってしまったがために、りみは基本的に金欠なのである。後悔は微塵も無いが、月末が迫り仕送りの米が切れると本格的にヤバい。具体的に言うと、先月は雑草で飢えを凌いだくらいにはヤバいのだ。
そんなりみにうどんを食べるお金があるかを言われたら答えはもちろんノーである。高校の食堂で売ってるやっすいうどんでもギリ足りないかもしれない。
金策をする必要がある。とにもかくにもりみに今もっとも必要なのは金であった。うどんの気分になってしまったこの口と心を満足させるためにはうどんが必要なのだ。
しかしお金というのは一朝一夕で手に入れられるものではない。でなければりみは今こんなに困ってない。
「バイトはどうっすか?」
「怖いからやだ」
意外に思うかもしれないが、りみは人見知りなのだ。
「じゃあ私のとこでやってみる? 丁度人手が欲しかったんだ」
「うちはパンに魂を売らないって決めてるの」
当然の話だが、りみは我儘なので当然選り好みする。
「あ、有咲ちゃんの方は?」
「かすみん、うちの店が万年閑古鳥が鳴いてることを1番知ってるのはあなたじゃない。雇う余裕ないし、そもそもいらないわよ」
「うっ……」
香澄の提案はりみが言うまでもなく雇い主が拒否したためあえなくボツとなり、沈黙がしばしの間続く。
「路上ライブとかどうっすか?」
たえが何気なく呟いたその時、りみに衝撃が走った。それはまさしく神がもたらした福音そのものだった。
うちらはバンドマンではないか。日本一のバンド(になる予定)たるうちらが楽器で稼がず何で稼ぐと言うのか。恥ずかしさのあまり穴があったら入りたい一心であった。
そうと決まれば即行動。ニンジャは速さが命である。
「うちちょっとスターになってくる」
ベースを担いで急いで蔵から出ようとするりみを沙綾が呼び止める。
「今日持ってきたパン、ライスバーガーなんだけど食べてく?」
「食べる!」
「ニンジャは手のひら返しも速いのね」
有咲の皮肉は無視した。
☆
路上ライブをするとは言っても、何も適当な場所でやれば良い訳では無い。人が集まらねば金は来ないし、そもそもそういうのが禁止視されていたり許可が必要なところが大半だ。性格にやや難がある……ニンジャ風に言うなら曲者であるりみが出来る場所など限られており、この場所に導かれたのは必然だったと言えるだろう。
「なんであんた沙綾の家の前でやってんのよ」
ライスバーガーを全員分平らげてから蔵を飛び出したりみを追いかけたポピパ御一行が見たのは、沙綾の実家であるやまぶきベーカリーの前でベースを弾きながらよく分からん歌を歌っているりみであった。よくよく聞いてみれば「うまい~うまいよ~ここのパン~。みんな寄ってこやまぶきのパン~うちのおすすめライスバーガー」とへったくそな歌声で店の宣伝をしているではないか。米派の誇りはどこへいってしまったのか、多分バンズになって胃に溶けて消えたのだろう。
「商店街への許可とか代わりにやってもらう代わりに呼び込みの手伝いしてる」
「でもあんた米派でしょ。パン屋の手伝いなんてして良いの?」
「お金の前では全てが無力……」
実感を帯びた言葉に有咲は何も返せなかった。べい~んと間の抜けたベースの音がやけに大きく聞こえた。
「お、お金の方はどうなんすか。結構集まりま……し……」
話題を変えようと気丈に振る舞うたえだったが、りみが無言で指さしたケースの中にはびた一文とて入っていないのを見て居た堪れなくなり、りみの背中をさすってあげずにはいられなかった。まぁあの歌と演奏じゃそうだろうなと内心思ったのは内緒である。
「りみりん、私たちもやるわ」
「ダメだ! お金は全部うちのもんだ!」
「金の為なわけないでしょーが! ポピパのメンバーとして見てらんないからやってやるっつってんのよ!」
どこまでもがめついりみに怒りのアイアンクローをぶちかます有咲。倒れるりみにカウントを取るおたえ。そんな茶番に狼狽える香澄と苦笑いしつつ演奏の準備に取り掛かる沙綾。商店街は今日も今日も今日とても賑やかに時が流れていく。
☆
「で、何を引くつもりなの?」
わざわざ自室から電子ドラムを引っ張り出したり、キーボードを取りに帰ったりとぐだぐだ用意をしつつ、粗方準備が終わったかなという段階になって、沙綾はそういえば何を弾くか聞いていなかった事を思い出し、我らがポピパのブレインたる有咲にそう聞いた。有咲は暫く目を瞑って考え、無言で香澄のランダムスターを手にする。
「あ、有咲ちゃん? なんでこっちにギターを向けてるの?」
無言で詰め寄る有咲から逃げるように一歩一歩後ろ遠ざかる香澄。それを気にする素振りも見せず、幽鬼のような足取りで迫ってくる有咲にさしものりみもちょっと怖くてチビった。
「ねぇかすみん、今の私たちに必要なのはなんだと思う?」
「えっと、お金?」
「ノリと勢いよ」
つまりそういう事である。せっかくのゲリラライブなのだ。ちゃんとしたセトリを組めるほど弾ける曲は無いし、多分こうした方が面白い。それにこっちの方がロックっぽい。
「え?! ちょっ、え?!」
「良いからさっさとランダムスタ子になるのよ、かすみん」
「それってつまりノープラ」
「えいやっと」
「イェーイ!!」
力強く右手を振り下ろす。ハウリングが起こるギリギリの爆音が穏やかに賑わう商店街の目を醒ます。
「うーん、即堕ち2コマっすね」
「流れるような変わり身の術、流石師匠だ」
「ねぇ有咲、香澄っていつもこうなの?」
「そうよ。便利よね、あれ」
困った時のランダムスタ子。結成して日が浅いポピパの間では既にそんな暗黙の了解があった。今までそれでなんとかなったし、これからもきっと大丈夫。そんな安心感とカリスマがあれにはあるから。
「バイブス上げてこー!」
「ギャルになっちゃったっすね」
「最近あれが音楽用語って知って使いたかったんでしょうね」
「みんな準備はオッケー? それじゃ行くよ! 1曲目はYes! BangDream!」
まぁそんな感じで、ノリと勢いで始まったポピパの初路上ライブは盛況に盛況を重ね烏が鳴くまで続いたのだ。
☆
「疲れた!」
暮れ泥む商店街でりみは叫んだ。
「いや〜想像以上だったっすね」
「まぁ大体全部かすみんが悪いんだけどね」
「うう……みんな、ごめん……」
「まぁまぁ、うちも今日大繁盛だったし気にしないで」
「ありがとぉ……沙綾……」
最初こそぐだぐだと始まったわけだが、なんだかんだで人は集まり、それに気分を良くした香澄が調子に乗ってもっともっととやり続けた結果、数時間に渡ってやり続けるハメになってしまったのだ。
お蔭で香澄の喉はガラガラ、沙綾はブランクもあってか力尽き、有咲も疲労でげっそりしている。なおたえは普段から10時間以上ギターを弾いているので余裕そうに片付けをしている。
「でも結構お金集まったね」
「ぐへへ……」
「りみ先輩が金の亡者になっちゃったっす……」
ギターケースに入った多くの硬貨。合わせれば精々数千円あるかないかくらいだろうが、無一文であったりみには大金に見えた。大事そうにお金をポケットに入れ、ホクホク顔でベースを仕舞う。
「じゃあ反省会は明日にして私達もそろそろ帰りましょうか」
「いや、少し待ってくれ」
疲れた身体に鞭打って帰路に着こうとした有咲たちをりみは呼び止めた。
何の用だろうか、と首を傾げる彼女達。
「このお金はみんなで稼いだ金だからな! せっかくだしなんか食べて帰ろ!」
どうやら奢ってやるぜという事らしい。普段のりみを考えると中々に殊勝な心がけではないだろうか。なんせ彼女は友情を裏切る真似はしないが割と簡単に手のひらを返しまくるから。
「ふーん。良いんじゃない? じゃあ沙綾のパンでも食べましょうか」
「じゃあ私なんか取ってくるよ。みんな何食べたい?」
「ライスバーガー!」
「メタリカあんぱんが良いかな」
「じゃあ私はレッチリをお願いするっす」
「有咲は?」
「うーん、なんか余ってるやつで良いわ」
「分かった。じゃあちょっと待っててね」
駆け足で店内に戻って行った沙綾は、数分としないうちに幾つかのパンを乗せたトレイを手に再び戻ってきた。
「お待たせー。りみのやつだけちょっと」
「これだな?! いただきます!」
一言言っておくと、りみはこの時非常に腹が減っていた。ライスバーガーで多少満たしたと言えど、慢性的に空腹状態の体で数時間もぶっ通しでライブを行い、アドレナリンも切れた体はこの時一刻でも早く腹を満たしたい情動でいっぱいであったのだ。
だからまぁ、間違いを犯してしまうのも仕方がない。
何かを言おうとした沙綾の言葉を聞かずに、紙袋に包まれたやつが自分のだと確信して雑に開封。そして貪るように食い始める。
腹は満たされてゆき、徐々に冷静さを取り戻したりみはここで一つ疑問を感じた。
これ昼に食ったやつと食感違くね? と。
沙綾に視線を向けると、彼女は申し訳なさそうに頬を掻く。
「ライスバーガーってまだ試食段階でそんなに作ってなくて、家にあった残りは弟たちが食べちゃったから普通のバーガー持ってきちゃったって言おうと謝ろうとしたんだけど……」
「つ、つまり今うちが食べたのって……」
「パンだねぇ……ごめん」
「……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア!!!!!!」
悲痛な叫びが夜の商店街に響き渡った。