「……テンドー先生?」
「え……?」
オーディションの関係者出入口で母を待っていたら、見知らぬ女性に声を掛けられた。
しかも別人の名前で。
そして呼び掛けてきた人物に覚えはない。
念の為ありまは、その女性の容姿を確認した。
肩位までの茶髪に、丸い眼鏡を掛けた穏やかな雰囲気の女性。
間違いない。初対面の女性だ。
こんな落ち着いた感じの人間なら、記憶に残るというもの。
本来、人の記憶としては珍しいものの方が印象に残りやすいという。
つまり賑やかな人やインパクトのある人物のことだ。
しかし斎藤ありまの身の回りの人間は、家族をはじめとして基本的にインパクト大な者が多数。
その為通常とはベクトルが逆となり、大人しめの人間の方が印象に残りやすいという次第であった。
「(ということは、やっぱり……)」
多分似た人と勘違いされたに違いない。
ありまはそう結論付けて、目の前の女性に人違いだと返した。
「あの、それって僕に言ってます?自分、そんな名前じゃないんですけど……」
「あ、ごめんさない!つい似た人と間違えちゃって……」
――何で間違えちゃったんだろう。
そんな呟きが小さく聞こえた。
その女性としても何故自分が錯覚して、どうしてそう呼び掛けてしまったのか分からないようだった。
思わず出てしまった。まさにそんな感じだったと思われる。
「(でも確かに髪の色と身長は違うけど‥‥…似てるわよね?)」
女性は目の前のありまと"誰か"を比較し、その差異の少なさに驚きを隠せなかった。
錯覚し、思わず引き留めてしまった存在は。
確かに無意識下で間違える程、恩師に似た存在であった。
――頼子ちゃん!
恩師が自分を呼ぶ声がする。呼ぶ声が聞こえたような気がする。
もう話しかけてくれない恩師。あの世に旅立ってしまったアノ人。
その声が自分に何かを訴え掛けているような気がした。
「(先生原作ドラマのオーディション会場で、先生に似た子に出会う。これって――運命って言うべきかしら?)」
今回のオーディションの主眼は、端的に言えば"至高の男の娘を演じられる子役の発掘"ということになる。
勿論他のキャストの選出も兼ねているが、それを含めても今回実施するのは子どもの役のみ。
つまり大人の役に関しては対象外である。
これまで幾度もドラマ化の話が出たが、その度に消えていった事情。
その原因は、今回のオーディションの主眼である"至高の男の娘を演じられる子役"の発掘が出来なかったからである。
もっと言えば、該当する人間を見出せなかったから。
そもそもの話。
本作の主人公はテンドーの経験を基に作成されたキャラクターである。
つまり"あの美少女モドキ"レベルの演技が出来る人材が必要とされるのだ。
そしてその作品を託されたのは、その"美少女モドキ"を長年間近で観察し続けた愛弟子。
つまり否が応でも要求されるレベルが高くなるということであった。
そんな経緯もあり、主役を張れる人材の発掘に失敗し続けた過去。
現在の小学生(特に高学年)は豊作の世代と言われていることもあり、漸くオーデションの開催まで漕ぎ着けたのであった。
頼子にとっては本作のドラマ化は悲願であり、半端なモノならば作らない方が良いとすら思っていた。
「(オーデションに来た訳ではない、ということは演技の経験はなさそうね)」
先程少しだけやり取りした内容から、頼子の脳裏は情報の処理を始めた。
「(でも親がこのオーディションの関係者ということは、少なくとも芸能界に関わっている家な訳で……)」
――願わくば、こちらの
自分は本作の原作者ではない。
だが原作者に後を任された権利保有者である。
よって原作者と同等の権利を使用することが出来る。
つまり自分がNoと言えば、この企画自体を水泡に帰すことも可能。
……流石にそこまでの権利行使をしたいとは思わないが。
どうにか目の前の子どもをオーデションに放り込めないか?
吉祥寺頼子の脳内は、その考えで埋め尽くされていった。
「(やっぱり似てる。これなら……)」
演技についてはこれから身に着ければ良い。
だけどルックスと雰囲気、さらに言えばその存在感は生まれついてのものである。
後天的に演技で取得する人間もいるかもしれないが、本物の輝きには及ばない。
――どうにかしてオーディションを受けさせたい。でもどうやって?
問題は方法である。
本人が快諾している状況ならともかく、どちらかと言えば対極の反応に思える。
演じることそのものを、やりたいと思っていないように見える。
「…………」
そんな自問自答する頼子を、胡乱な瞳で見つめる影。
それは吉祥寺女史によってオーディションという沼に落とす為の策を考えられている相手。
即ち斎藤ありま、その人であった。
「(急に黙り込んだと思ったら、ブツブツ言いだして――絶対変なこと考えている人だよぉ……)」
家で学校で。そしてそれらとは別の交友関係で。
日頃から"変わった人"に囲まれて暮らしているありまにとって、目の前の女性の反応は目新しいものではない。
むしろ見慣れたものであった。
だからこそ分かる。
この女性に関われば、碌なことにならないという未来が。
故にこの場からの離脱を決意する。手遅れになるその前に。
「人違いってことが分かって頂けて嬉しいです。じゃあ自分はこれで……」
未だ母は来ていないが、この場に居たら危険極まりない。
こんな不審者の側に居られるものか。
身の危険を感じたありまは、その場を後にしようとする。
「あ、待って!それじゃあ貴方のお名前は何て言うの!?」
本来"貴女"になりそうな単語を、きちんと正しい性別に対応させてきている。
慣れとは恐ろしいもので、ありまにはその微妙な違いを感じ取る能力が備わっていた。
故に分かる。正しく見分けて呼べるということは、一般人の枠を超えた――"逸般人"であるということが。
「……すみません。知らない人と話しちゃいけないって言われてるんですよ。続けるのなら防犯ブザー鳴らしますが良いですか?」
そう言って、さっと手持ちのブザーを前に突き出す。
目の前の女性が「最近の小学生って怖い……!」とか言っているが、気にしてはいけない。
だって見知らぬ小学生に声を掛ける大人って、どう見ても事案ものじゃないか。
そう心の中に防御壁を展開しながら、ありまはブザーのスイッチに手を掛ける。
「お願い!少しだけ話をさせて!」
「何、この不審人物……?」
涙目で訴えかける女性。
しかし現実は非常である。
彼女の願いなど、赤の他人であるありまには知ったことではなかった。
徐々に女性から距離を取るありま。
対してブザーがある為に近づけない女性。
このままでは取り逃がす。
そんな矢先に、彼女にとっての救いの女神がやってきたのであった。
「ありま、来てくれたのね!ありがとう!!」
茶色のウェーブがかかった長髪。
一児の母とは思えない若々しさ。
事務所の人間からは、旦那の若い子好きという噂を助長するする存在。
斎藤ミヤコのご到着である。
「あ、母さん。助かったよ……今変な人に絡まれててさー」
「変な人!?」
ありまにとって待ち望んだ人物の登場。
それによって、ようやくありまはこのカオスな空間から脱出することが出来そうになった。
母の側に移動し、素早く目的のブツを渡す。
「"ありま"……?それってテンドー先生の……」
それに対して不審者様は、ブツブツと何かを確認するかのように独り言を言っていた。
怪しさこの上ない。
ありまからしたら、さっさと退散したい場面であった。
「……あら?貴女は――吉祥寺先生では?」
「え!?あ、貴女は確かいちごプロの――」
不審者の正体に心当たりがあるらしいミヤコ。
思い当たる人物名を挙げると、一拍おいて正気に戻った女性。
「はい。アイのマネジメント等を担当しております、斎藤でございます」
「あぁ、やっぱり。改めまして吉祥寺でございます」
「……」
目の錯覚であろうか?
今の目の前で展開されているのは、ごく普通の大人同士の挨拶だ。
そこに不自然さもおかしさも感じない。
しかしついさっきまで"吉祥寺"と呼ばれた女性は、ありまに対してあり得ない程の醜態を晒していたはず。
あれは夢か幻か。もしかすると白昼夢だったかもしれない。
ありまは自身の頬を抓りながら、現実逃避をしていた。
「(痛い。やっぱり夢じゃないのか……)」
判定方法はどうかと思うが、とりあえず先程の光景は嘘ではなさそうだと判明した。
故に考える。一刻も早くこの場を脱するには、どうしたら良いのかを。
「(何か、吉祥寺"先生"って言うぐらいだから、立場は母さんの方が下っぽいよね……?どうすれば穏便に脱出できるかな?)」
変態っぽい人からは一刻も早く距離を取りたいが、それで失礼なことをして親の会社に迷惑を掛けるのは望ましくない。
というか万が一親の会社が潰れたら、自分にも被害は回って来るのだ。
何としてでも避けなければならない。
「(どうしたもんかな……)」
目の前の光景から目を離さないようにしつつ、打開策を考えるありま。
しかしその進捗は芳しくなかった。
今は云わば膠着状態。つまり何かの切欠があれば、この場を離脱出来るのだが。
――お~い!ミヤコ、ありま~!!
そんな矢先、ありまにとって非常に聞きなれた男の声が聞こえてきた。
というか毎日聞いている声だ。
「あれって、まさか……」
金髪にサングラス。ダークスーツまで決めているその男は、どう見ても堅気には見えなかった。
しかしこの男こそ、ミヤコの旦那である斎藤壱護。
つまりありまの実の父親でもあった。
「あー、ここに居たのか。探したぞ~」
かなり慌てて来たようで、その額からは汗が流れている。
まぁ日頃の運動不足が祟ったとも言えるかもしれないが。
「父さん?どうしたの一体?」
「ほら忘れ物だぞ!これがないと、オーディションを受けられないからな!」
「……は?」
手渡されたのは、書いた覚えのない経歴書。
そして今、親父殿は何と言った?
先程に続いて、現実逃避したい事象がもう一個やってきた。
実の親とのコミュニケーションが、これ程までに難しいと思ったことはこれまでなかったが。
「オーディションを受ける、って誰が?」
「誰って、お前だろ?家のホワイドボードに書いてあったじゃないか~」
――"オーディションに行く"って
「はいぃぃ!?」
確かに書いた。
だがそれはオーディションを受ける、という意味ではない。
どこを間違えたら、そう受け取れるのだろうか?
ありまは父親の脳を解剖してみたい衝動に駆られた。
「違うって!母さんがスマホ忘れたから、届けに来ただけだって!!」
「え~~!?てっきり、ありまもアクアみたいに役者になりたくなって、ついにオーディション受ける気になったか!と思ったんだが」
「んな訳あるか!?だとしたら、きちんと話をするって!!」
「まじか。折角経歴書用意して、オーディション側にもねじ込んだのに……」
何か聞こえた。
聞こえてはいけない何かが聞こえた気がする。
きっと幻聴だ。そうに違いない。ありまは必至に脳にインプットされた情報を誤認として片付けようとした。
「何勝手なことしてるのよ!!」
「いや、ミヤコ?ミヤコさん?ちょっと待って……!?」
母親(常識人)と父親(非常識人)のバトルが開幕した。
結果は言わずもがな。
正義は母にあり。
「あー、どうしよう!無理やりねじ込んだのに、"やっぱりやめます"なんて言えないし……」
アスファルトの上に正座させられた夫の前で、頭を悩ませるミヤコ。
非常にシュールかつ力関係を端的に表している異様な光景。
現にそれを初めて見る吉祥寺女史の顔は引き攣っている。
……ありまにとっては見慣れた光景であったが。
「(どうしたもんかなー)」
家族内で完結していれば母が父に対して説教すれば片付くが、よそ様が関わって来るとそうも言ってられない。
解決方法として一番簡単なのは、ありまがオーディションに参加することだ。
そこで途中で敗退すれば、参加したという実績は作れる。
しかしこの場合、明らかに実力がないというのも考え物となる。
それはそうだ。無理やりねじ込んた人材が箸にも棒にも掛からないような人間なら、それをゴリ押ししようとしたいちごプロの信用問題にも関わってくる。
「(ねじ込みをした時点で、信用問題もないような気がしないでもないけど)」
最低限程度以上の実力と持ち、そして最終的には敗退する。
そんな絶妙な手加減があれば実行出来る回避策。
つまり現状の斎藤ありまには不可能な方法であった。
「(そんなことが出来るのって、一流のプロとかだよねー。あ、そもそもそんなレベルの人ならオーデションに参加しないか?)」
八方塞がりである。
我が家の生活維持の為に協力出来ることはするつもりだが、出来ることには限度がある。
自分に演技の才能があるとは、これっぽっちも思っていない。
だから迷う。どうすれば良いものかと。
――もしかして、これはチャンスでは?
吉祥寺頼子は、その眼鏡の奥の瞳を怪しく光らせていた。
どうも状況を察するに、目の前の三者の中で行き違いがあったらしい。
そしてこの美少女―と見間違るレベルの容姿を持った少年は、オーディションにねじ込まれたと。
「(上手いことやれば、この子をオーデションに参加させることが出来て、さらにいちごプロに貸しを作れるのでは?)」
一挙両得。
さらに鴨葱も追加しても良いかもしれない。
きっとこれは、天上におわす師の思し召しに違ない。
頼子はそう決め付けて、次の言葉を紡ぎ出した。
「あの、斎藤さん?」
「「はい?」」
斎藤夫妻が、揃って吉祥寺女史に向かって振り返る。
本当ならこの場に"斎藤さん"はもう一人いるのだが、その人物は静観を決め込んでいた。
名前を教えてと言われて保留にしているので、自分からは言いたくないのである。
もっとも、母親によって"ありま"という名前はバレてしまっているので効果半減ではあるが。
「横でお話を伺っていて大体お話は分かったのですが……もしかしたら私、お力になれるかもしれません」
「本当ですか!?」
「「……」」
頼子の餌に喰い付いた夫。
それを冷静に観察する妻。
さらに言えば、何となく未来が見えて嫌な気分になっている子ども。
――あ、ちょうちょだ。
未来が見えても、良いことばかりとは限らない。
故のその意識はあさって方向にあった。
人はそれを現実逃避と言う。
「はい。ありまさんにオーディションに参加さえして頂ければ、審査員の一人として1次試験は突破させられます」
権利保有者として。
そして原作者と共に漫画を作成したスタッフとして。
彼女は――吉祥寺頼子は、今回のオーディションの審査員の一人としてここに居る。
故にそれ位のことであれば可能であった。
オーディションの勝者にする、ということであれば流石に無理であるが。
もっとも。
頼子としては、可能であればそれすらもしてしまいたい衝動に駆られるので、そこまでの力はなくて丁度良かったのかもしれない。
「そこまで行けば、ある程度の面目は立つのではないでしょうか?」
「「それは、確かに……」」
審査員様の提案に、斎藤夫妻は考える。
確かに現状はそれが一番良さそうな方法だと。
しかしミヤコは考える。
その言葉に裏の意味はないのか、ということを。
「(うちの子可愛いけど、まさか先生ってそういう――って流石にそれはないか)」
失礼すぎる想像を頭の端に追いやり、心の中で謝罪するミヤコ。
しかし惜しい。
今彼女が手にしたのは、紛れもなく真実の一端。
惜しむらくは、その可能性を排除してしまったことに尽きる。
「……ありま、ちょっと良い?」
アスファルトに正座させられた夫を放置して、ミヤコは愛息子の方に向き直る。
放置された社長は、その目で己が子どもに必死に何かを訴え掛けてきているが、ありまはそれをキレイに無視した。
「今までの状況見てて、お母さんが何を言いたいのか大体分かると思うけど……」
「……うん」
出来れば自らの想像が外れて欲しい。
意外性があることを言われても良い。
だから神様頼みます。予想が外れるような事態にして下さい。
ありまはそれを表情に出さないように努めるも、その内心は大いに焦っていた。
「今日のオーディションに、出てくれないかしら……?」
その一言は重かった。
予想から外れなかった発言だったが、予想以上に重みがあった。
そしてそれを言われた息子は思った。やっぱり神様なんて信じないぞと。
――くしゅんっ!
どこかで鴉に囲まれた幼女がくしゃみをした気がする。
そんなイメージが、突然ありまの脳裏に過った。
「原作見たことないし、演技なんてやったことないんだけどさー。オーディション出た方が逆に怒られないかな?」
「……もうここまで来たら、そんなの誤差の範囲よ」
悲しいかな、ミヤコの言うことは真実であった。
ロクデナシがやらかして時点で一番やばいのは、不参加という状況になること。
次点で、一次選考で敗退。
これ以上であれば、もう誤差の範囲と言えよう。
「う~ん……分かったよ。やれるだけやってみる。その代わり――」
どの道退路はない。
であれば、ごねるより良い返事をして、交換条件を引き出すのが吉である。
美少女モドキはそう考えると、己が母親に対して条件を提示した。
「自分用のタブレットが欲しいなー!それもちゃんとお絵かきとか出来るスペックのやつね?」
小学生の子どもがねだる金額の物ではない。
ましてや学校から貸与されたタブレットがあるのだ。
普通なら却下されるだろう。
しかしありまには勝算があった。
これを断れば、それ以上の損害が出るであろう。
だからこれは約束された勝利の方程式の筈だった。
「……良いわ。あの考えなしの来月の小遣いをカットして、その分で買ってあげるから」
「ミヤコさん!?」
"小学生にそんな高価な物を買い与えて良いのか"と逡巡するが、背に腹は代えられない。
ただ会社に損失を出すのは嫌だったので、
出来る奥さんは、モノが違うのだ。会社と夫、どちらを天秤に掛けるか等の問い掛けに対して迷うこと等ないのである。
「良ぉし!契約成立だね!!」
「……こんなこと、今回だけよ?あと、ちゃんと大事に使うこと!」
「はいは~い!」
釘を刺すことは忘れない。
そこには確かな信頼関係と同時に、まだ手の掛かる子どもに対する教育も含まれていた。
理想的な間柄だ。そこだけ見れば確かにそうだ。
蚊帳の外に置かれている一家の大黒柱を除けばだが。
「……え?本当に来月小遣い、カットなの?」
妻と子どもに無視され、当然の如く来月の
自業自得だが、無視されたことについてだけは泣いて良いかもしれない。
「(良し。これであの子をオーデションに参加させられる!あとは……)」
――どこまで勝ち残れるかしら。楽しみね……?
そんな斎藤家の面々を観察し、当初の目的が果たされたことを確認する瞳。
眼鏡の光が反射して見えなかったが、そのレンズの奥には螺旋状に彩られた双眸が填め込まれていた。
吉祥寺頼子。
かつて天童寺ありまと共に数々の作品を生み出し、ある意味漫画家テンドーの一番の理解者。
その彼女の瞳に映るのは恩師の面影。
彼女の思惑通りの事が進むのか。そしてありまはどこまで進むのか。
それは現段階では誰も予想が出来ないことであった。
*
「とは言ったものの……このままじゃ、まずいよね?」
オーディション控室の一角で、斎藤ありまの呟きは消えていった。
控室内は大量の参加者を待たせる為か、整列されたパイプ椅子が順応無人に並んでいた。
指定された席に座り、周囲を見渡す。
人。人。人。
人だらけである。そして皆が皆殺気立っているか、沈黙を貫いていた。
生まれてこの方、オーディションに参加したことがなかったから知らなかったが……。
――これがオーディション前の光景!
狭き道。
一握りの者しか通れない関門。
そして応募倍率が100倍をゆうに超える状況。
「(自分は記念参加と同じようなものだから気負っていないけど……普通はこうなるのか)」
周りの意気込み具合を見て、周囲との温度差で火傷しそうになる。
そんな軽口位なら叩けそうだが、流石にそれだけで審査を潜り抜けられるとは思えない。
吉祥寺女史の力で一次選考は突破出来るはずだが、その選考内容は聞いていない。
一番好きなキャラクターは?とか問われたら、答えられるはずがない。
そしてそんな応募者を通すはずがない。
仮に通ったとしたら、それは明らかに異常な力が働いたことを示している。
そうなれば、それを実施した
――それだけは避けなければならない。
不自然でない位には、オーディション応募者になりきらないといけない。
だけどそれには
一番手っ取り早いのは漫画だ。
短時間で確認出来て、原作者の感情がフィルター無しで確認出来る。
探す。
探す。
探す。
「(やっぱりないかぁ。オーディションの控室なら、その原作位置いておいてくれたって良いのに……)」
主催者側で用意されたものはなかった。
さらに周りを見渡すと、漫画を持っている人はを持参していた。
ただ流石に皆、予備等は持っている様子はなかった。
当然と言えばそうなのだが、それでは貸してくださいとは言えないのである。
もしここに
大きな規模のオーディションなので、もしかしたら時間がずれているか、部屋が別の可能性がある。
「(誰かいないかなー、予備まで持ってて貸してくれそうな人は……?)」
右見て。
左見て。
後ろ見て。
――居た。
自分の真後ろの席に
まるでテスト前の復習の如く。
両手で一冊の漫画の内容を、一生懸命頭に入れようとしているように。
派手というより堅実。そんな印象を抱かせる少女だった。
そしてその少女の足元のバッグからはみ出しているのは、彼女が読んでいる本と同じ巻数の漫画。
見たところ、高学年っぽい。
それ即ち、ありまから見ればお姉さんである。
ありまはその情報を頼りに、頼み方を考えた。
「お姉さん、ちょっと良いですか?」
「……」
台詞だけ見ると、怪しい声掛けにしか見えない。
しかし他に頼みようがない。
ただ相手は集中して読んでいるようで、その呼び掛けは届かなかった模様。
仕方なしに、ありまはもう少しだけ大きな声で呼び掛けた。
「お姉さん、ちょっと良いですか!」
「……えっ!?もしかして私のこと、呼びましたか!?」
本から慌てて顔を上げる少女。
青緑がかった黒髪。同じ黒髪でも紫がかったアイとは異なる色。
その艶のある髪を肩口位で揃え、今の問答だけでも分かる位の礼儀の正しさ。
「うん。呼びました。お姉さん、もし二冊持ってたらなんだけど……原作漫画って貸して貰えません?」
「……はい?」
心底分からん、という顔で疑問を表す少女。
無理もない。まさかオーディション会場でそんなことを言われるとは夢にも思なかったのだろう。
大抵は持参するものだから当然の疑問である。
「実はその……事務所の都合で急に参加することになったんだけど、原作を知らなくて」
「え、そうなんですか?そんな漫画みたいなこと、現実にあるんですね……」
事務所の都合とか、身内に勝手に応募書類を出されたとか。
たまに現実でも聞くが、大抵はフィクションの世界だと思っていた。
少女の驚きからは、そんな感情が見て取れた。
「うん。だからもし二冊持ってて、問題なかったらなんだけど……漫画を貸して貰えませんか?」
「あぁ!そういうことでしたら良いですよ。予備を持ってきているので……はい、どうぞ」
「ありがとう、お姉さん!」
手渡されたの一冊の漫画。
"Girlsh Boy"と書かれた物語。
ペラペラと捲っていき、その内容を確認していく。
照応する。自分の立場の物語と照らし合わせて。
浸食する。今の現実と仮想の境界を曖昧にして。
そして没入する。その物語に。
捲る。
捲る。
そして最後まで行き着く。
「……ふぅ」
読破した。
元々ありまは熟読タイプではない。
だが今日のコレは――今読破完了した本の内容は、通常のそれを遥かに凌ぐ速度で頭に入ってきた。
まるで
または既に書き込まれた情報を、再度読み込んでいるかのような。
まさに爆速。そんな言葉でしか表現出来ないナニカであった。
「(何か、初めて見た気がしないな……前にどこかで読んだことがあったのかな?)」
それはありまにとって、不思議な体験だった。
まるで既読の本を再度読んだ時のような、既視感の数々。
容易に脳裏に思い描ける情景たち。
それは速読出来たという達成感よりも、不思議さの方が先に立つ程であった。
「……凄いですね。もう読み終わったんですか?」
本を捲る音が止まったからか。
後ろの席の少女がありまに声を掛けてきた。
その声色には驚嘆という感情が込められている。
「うん……前にどこかで見たことがあったのかも。知ってる展開が多かったからスルスル読めちゃった」
そう言って、少女に借りた本を返すありま。
「あ、そうだったんですね。それならあの速度も納得ですね」
「お姉さん、ありがとね?おかげで原作がどんな感じか少し分かったよ」
「それは良かったです」
そう微笑む少女。
通常なら敵に塩を送る行為だ。
敵にならないと思ったからか、それとも生来の人の良さから来るものか。
恐らく後者だろう。そこにも育ちの良さが滲み出ていた。
「ん?お姉さんの本……付箋がいっぱいだね?すごい勉強してるんだなー」
「これですか?私は没入型なので、その役になりきる為にいっぱい情報がいるんですよ」
「へぇー、すごい勉強熱心なんだね。僕とは大違いだ」
「あはは、そんなことないですって」
本当に上品な感じというか、育ちの良さを感じる。
恐らく11歳とか12歳位だろうが、姉及び、姉的存在よりも大人びて見える。
もしかしたら、比較対象が良くないのかもしれないが。
ありまはそんな、一部に対して失礼なことを考えていた。
「そうだ!今度お礼をしたいから、お姉さんの連絡先を教えて?」
忘れそうになったが、彼女のしてくれたことで九死に一生を得たのだ。
これで致命的なミスややらかしは防げそうである。
であれば、彼女は命の恩人に匹敵する。
そんな恩人に対して礼をしないのは、大変よろしくない。
「そんな!大したことはしていませんから!」
「お姉さんにとってはそうかもしれないけど、僕にとっては――ううん。ウチの事務所にとっては恩人なんだよ」
「そ、そうですか……それでしたらお受けします」
お互いにスマートフォンを取り出し、メッセージアプリで連絡先を交換する。
先にありまが少女の連絡先を読み込み、次いでありまが少女にメッセージを送る。
「えっと、"斎藤ありま"さん……ありま?」
「どうかした?僕の名前、何か変かな?」
受け取ったメッセ―ジに記載された、相手の名前。
その名前。その文字を見て、少女は物思いに耽る。
意識を切り離す。因縁深い文字列を見たが、一瞬で気持ちを切り替える。
「あ、ごめんさない!知り合いと同じ名前だったので、驚いてしまって……」
「あぁ、そういうことか」
安堵するありま。
斎藤という苗字で、自分の親や事務所関連の問題かと思ってしまった。
それが杞憂であった為、ホッとする。
「黒川さんは――」
「あかねで良いですよ」
「えっと、あかねちゃんって5年生か6年生だよね?」
身長や、話し方からそんな感じだと思った。
本人に聞かれたら、ただでは済まないような失礼なことを考えるありま。
「はい。6年生です」
「じゃあ僕よりお姉さんだね。だったら敬語やめて欲しいなぁ」
「え、そんな自分はお姉さんなんて大したものでは……」
「……敬語、やめてくれないの?」
「そ、そんな目で言わないで下さい!」
潤んだ瞳で上目遣い。
大概の人間はこれで落ちる。
斎藤ありまが短い人生経験の中で見つけた、自分の武器を最大限に活用する方法の一つであった。
「分かりました。じゃあ"ありまちゃん"、よろしくね?」
「あかねちゃん。僕、男なんだけど‥‥‥‥」
「!!?」
締まらない最後。
しかしありまの自己紹介には付きものの様式美。
今回もその見た目に騙された哀れな子羊が居たというだけの話。
――皆さん、これから一次選考の前に更衣室に移動して貰います!
主催者側からのアナウンスが流れる。
一次選考が始まる。だが何故着替える必要があるというのか?
何も着替えを持たされていないありまは、疑問に思うばかりであった。
――更衣室には、こちらで水着を多数用意してあります。それに着替えての水着審査に臨んで頂くことになります!
水着審査。そんな審査もあるのか。
驚きはするが、別に問題はない。
パッパと着替えて、無難にこなすのみだ。
斎藤ありまは見落としていた。
このオーディションが、どんな作品の選考の為に開催されたものであるかを。
――なお今回は主人公の役柄上、男子にも女子用の水着を着用して頂きます!
それは事実上の死刑宣告であった。
いくら女子並みに可愛いと言い続けられて、家族に女子の服の着せ替え人形にされても。
それだけは無かったというのに。
やはり神は自分のことが嫌いらしい。
鴉に囲まれた少女が、"べ~"と片目を閉じて舌を出している情景がありまの脳裏に過った。
――ありまのめのまえがまっくらになった
次回、ありま(社会的に)死す。
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