おはようございます!
「知ってるよね? 私の術式」
22:02。
東京メトロ。
明治神宮前─渋谷間。
電車の通る気配の無い地下、線路上にて冥冥はたった今下した呪詛師を前に暇潰しのお喋りに興じていた。
「〝烏を操る〟それだけだよ。弱いよね」
大鎌を振るい、呪詛師に尻餅をつかせる。顔の前で編んだ太い三つ編みが揺れ、束の間、長いまつ毛が露わに。
両目は閉ざされている。しかし冥冥に見えていないものなど一つとして無かった。
その圧倒的な存在感に呪詛師は勿論のこと、端で口を閉じていた憂憂も釘付けになっている。
憂憂は冥冥に対しては、今この瞬間に限らず四六時中釘付けなのだが──今は関係の無い話であった。
「だから若い頃は必死に鍛えたよ。術式無しでも戦えるようにね」
ポージング。
その際大鎌のグリップ部分に短い異音が挟まり、大鎌の重さ──引いては大鎌を片手で軽々と扱う冥冥の内に潜む膂力が垣間見え、呪詛師の背筋から温度が失われていった。
「無駄じゃなかった。こうして君を圧倒しているとそう思える」
「や、やめろ。俺はもうこの件から手を引く。だから助け──」
「静かに」
このままでは冥冥の肩に乗った大鎌が自分の顔面へと落ちてきかねない。自らの末路を悟った呪詛師が両手を上げて降伏の意を示す。
しかし途中で憂憂の澄んだ一声。呪詛師が顔を向ければ、憂憂は神妙な面持ちで口の前で人差し指を立てていた。
「まだ
「…………」
黙るしかなかった。
「自分に言い聞かせた。術師の真価は術式ではないと」
冥冥が、語りながら顔を虚空へと──ありし日へと向ける。その
「浮舟君との
「…………」
「でもね、限界が来たんだ」
区切る。
「身体能力も呪力による肉体強化も、延々と向上するわけじゃない。挫けたさ。挫けたからこそ、再び自らの術式と向き合うことで私は一級術師として花開いたのさ」
僅かに開かれた冥冥の
「拍手を」
有無を言わさぬ物言いに、呪詛師も渋々手を叩く。
そんな呪詛師に向けて、冥冥は優雅に笑いかけた。
「じゃ、殺すね」
「えぇッ!?」
「話して時間潰したかっただけだし」
「す、すみませんでした! もう悪さはしません! だから命……命だけはッ」
呪詛師は声を上げ、線路上にて土下座を展開。冥冥はその光景を当然のものとして受け止め、口を開いた。
「憂憂、命の価値──命の重さは何に比例すると思う?」
「勿論! どれだけ姉様にとって利用価値があるかです!」
「フフ……ありがとう。君は?」
「えっ!?」
問われる。
呪詛師は肩を跳ねさせ、首が刎ねられることがないように頭を働かせた。
「俺は……えーと……」
「命を狩る者がその天秤を即答出来ない。そんなだから負けるんだよ」
一拍。
タイミングと、そして呪詛師の鼓動と。
丁度一拍分、空いてから。
「ちなみに私にとって、用益潜在力そのものが命♡」
冥冥は微笑みを絶やす事なく──否、貼り付けたまま──大鎌を振り下ろした。
∩
「いやはや、君か」
呪詛師を殺し、線路を進んだ少し先。
二人分の足音が響く地下線路内に、カーブの向こうから足音と影。やがて現れた予想外の人物に、冥冥は内心驚きを隠せないでいた。
「冥さん。お久しぶりです」
「刺客を放っておいてよく言うよ。夏油君」
夏油傑。
昨年の百鬼夜行から生き延び、同期の助けの元身を潜めていたはずの男が何故こんなところに。
何故
同期を捨て、再び呪術界の敵となった?
有り得ない。偽物か?
冥冥はポーカーフェイスを保ったまま思考だけは続け、目の前の男、夏油傑との会話もつつがなく続けていた。
「私は五条君よりも君を買っていたんだよ」
冥冥が仕掛ける。
夏油傑が夏油傑であるかを探る為に。
「まさか。一番は浮舟出でしょう」
しかし、罠にはかからず。
されど、馬脚は
──浮舟君のことをフルネームで?
──違う、あえて違和感を掴ませたのか?
冥冥は考える。目の前の夏油傑の内に、本人よりも更に上のレベルの性格の悪さが垣間見えたような気がして、眉間に数ミリ力が入った。
「……勿論とも。君か五条君から選ぶなら、という話さ」
君はニヒルな笑顔がチャーミングだったし。
冥冥は探り合いに呑まれぬよう、平坦に告げた。
──恐らくこの夏油君は偽物だ。
──しかし、ならば。
「そんな君を殺さなければいけないなんて、残念至極だ」
「冥さん、私も残念です。かつての先輩を手にかけるのは──特級特定疾病呪霊、
読みが外れたか──冥冥の思考を他所に、夏油傑が手のひらから呪霊を呼び出す。
真実はどうであれ、これで目の前の男が夏油傑であることが確定した。姿形を似せることは出来ても、術式を真似る(その上呪術界の歴史においても数少ない呪霊操術を真似る)ことが出来るなんて。そんな人間、冥冥には一人しか心当たりがなかった。
しかもその一人は昨年の百鬼夜行にて夏油傑を打倒している。わざわざ成りすます理由も、呪術界の敵となる理由も無い。
「去年手持ちの呪霊は使い果たしてしまいましたが、質は衰えていませんよ」
夏油傑が、ダメ押しとばかりに事実を突きつける。私は本物であると言わんばかりに、過去の記憶も目の前の現実も少しの澱みも無く晒してみせた。
冥冥の、大鎌を握る手に力が入る。
「念の為地下五階の人間は残しておきたいんです。線路で待ってますね、ソイツを祓えたら私が相手をします」
夏油傑がこちらに手を振り、
冥冥と憂憂は身構え、先手を仕掛けるべきかを考え。
「……と、思ったんですが」
「「?」」
「少し予定を変更しましょうか──」
立ち止まった夏油傑はこちらへと振り返り、
「ッ!!」
憂憂の前に立っていた冥冥が大鎌を構えて盾にするも、意図も容易く飲み込まれる。続いて憂憂の身体にも領域の闇が──迫ることはなく。
収縮。
「……は?」
「冥さんや君が生きようが死のうがどうでも良いんだけれどね。
「ね、姉様ッ」
憂憂が駆ける。
しかし夏油傑に進路を塞がれ、靴底を余計にすり減らすに終わった。
「させないよ。
「お前ッ」
憂憂が睨む。しかし夏油傑は意に介さず、得意げに両手を広げて天を仰いだ。
「私はね、上手くいけば今日この場で心の底から笑えるような気がするんだ」
「笑……う?」
「渋谷で
「お前、何を……」
憂憂が、まるで化け物を見るような目で夏油傑を見上げる。目の前の男は何を言っているんだと、夏油傑という存在から受ける恐怖とはまた別の要因で震え上がってしまう。
夏油傑は憂憂の視線に空虚な微笑みで返し、自らの頭部を拳で軽く叩いてみせた。
「悪いね、つい話過ぎてしまうのは私の
「──ッ、どけ!」
「私を倒して先に進むが良いさ。勿論、倒せるなら──という煽り文句は付けさせてもらうけれど」
「ッ……!」
夏油傑の手のひらに呪力が集まる。
また呪霊を呼び出す気か──憂憂が半身のまま脚部に力を入れ──閃光。赤い光が刹那、二人の間に割り入った。
「「ッ!?」」
一瞬ホワイトアウトした視界。しかしその白は後の視力に尾を引くことはなく、明けた視界で互いに互いを睨み『お前の仕業か』と腹を探り合う。
しかしこの閃光はどちらによるモノでもなく、気が付けばこの場に一人の男が立っていた。
夏油が悔しげに歯噛みする。
「浮舟、出……!」
「よォ夏油、ブン殴りに来てやったぜェ〜〜絶望の淵からなァ〜〜〜〜〜〜!」
高専指定の学生服。どれだけの速度で走ればそうなるのか、袖や裾の端に火が付いている。ふと感じる熱に浮舟は仰天しながら暴れ回り、なんとか鎮火に成功していた。
「う、浮舟! いや、浮舟さん!?」
その叫びには浮舟の登場に驚いたというよりも、浮舟生存に対する驚きの方が多分に含まれているように聞こえた。
憂憂が名を呼べば浮舟は焦げた制服のまま笑顔で振り返り、しゃがんで憂憂の頭を撫で回し始めた。
「ん? ──おぉ、
生きてて良かった!
嬉しそうに笑う浮舟の手によって数秒もの間自由に頭を撫でられ続けた憂憂。和やかな雰囲気に流されそうになり、頭に置かれた深緑色の義手を両手で押し除けた。
「言ってる場合ですか! 今、領域内に姉様がッ!」
「冥冥さんが……。オッケー、憂憂君はここで待っててな」
「私も行きます」
「
「…………」
浮舟の言葉に口を閉じる憂憂。
次いで浮舟が。
「……ここだけの話、夏油が領域にちょっかい出さないか見張ってて欲しいんだよな」
「……分かりました」
それは、この場に残る者へと向けた仕事。
傍観者で終わらせないのは浮舟なりの気遣いか、それとも本当に夏油の介入を懸念しての指示か。
兎も角。
浮舟は憂憂に合わせて曲げていた両膝を伸ばし、行く手を阻む夏油の前へと歩み始めた。
「おい夏油。邪魔だから邪魔すンなよな」
「……ハァ。君さ、起きるの早過ぎ。どれだけ速く走ってきたワケ?」
「オレに聞くな」
「君以外の誰に聞けと言うんだよ全く…………ハァ。分が悪い、私は帰らせてもらうよ」
言って、道を譲った夏油。戦闘の意思が無いことを示す為か、左右の手をそれぞれ逆の袖の中に入れ、今度こそ背を向けてこの場から立ち去り始めた。
「おい、どうせなら冥冥さんと戦ってる呪霊もしまってけよ。その方がラクで良い」
浮舟が去る背中に吐き捨てる。
夏油は立ち止まって半身で振り返り、目を細めて舌を出した。
「嫌だね。存分に格好付ければ良いさ」
「チッ」
「……一つ、聞いても良いかな」
「良いぜ」
「……その左手、どうしたのかな」
浮舟の快諾に、夏油が問う。
浮舟出の左腕、肘から先の深緑。金属のような素材で出来た重量感のある義手について。
「左手? あぁ……」
夏油は知っていた。
杉沢第三高校の屋上、両面宿儺の手によってバラバラに破壊された浮舟出の
最早その義手に何の意味も無いことを。
だから問うた。
何故今更ソレを持ち出しているのかと。
その行動に何の意味があるのかと。
「違ェよ。ただオレの左手の上から装着しただけ」
しかし浮舟はその問いを『また左手を落としたのか』という意味で捉えたらしく、健在を義手──正確には
夏油は満足の行く答えが得られなかったからか、鼻を鳴らして去っていくのだった。
「……ンだよ、聞くだけ聞いて」
∩
「
「…………」
「
「クッ……!」
「
「全く、しつこいね!」
埒が明かない、というのが冥冥の率直な感想だった。
どこからか死臭が漂う薄暗い墓地。上空には烏が飛んでいるものの、領域内の澱んだ空気を嫌がり上から降りてこようとはしなかった。
引き摺り込まれた領域内は、間違っても長居をしようとは思えないほど人間にとって害のある空間であった。
特定疾病呪霊、疱瘡神の必中となった術式によって地中の棺桶内に閉じ込められていた冥冥。
──3カウント以内に棺桶内から脱出出来なければその病に罹って死ぬ、という術式。
冥冥はこれまでに何度も何度も棺桶から自力で抜け出してきたが、抜け出したかと思えばまた棺桶の中。
一向に近付けずにこちらの動きを封殺される展開に、冥冥の体力は確実に奪われ始めていた。
「憂憂と切り離したのはこの為だったりするのかな」
現界。
しかし、間も無く棺桶行き。
「
「節操が無いね……」
「
「フッ……!」
「
「このッ……!」
現界。
狭苦しい空間から脱出し、束の間の開放感。
「……まずいね、一撃じゃ壊せなくなってきている」
力が失われている。
限界が近い。
冥冥は自身の命に手が掛かっている現状に高揚しながらも、確実に追い込まれていた。
「憂憂は夏油君の相手をしているのかな? やれやれ」
息を吐く。
疱瘡神が再び術式の行使に入ろうとしたところで結界に動きが。
「
結果が波打ち、しかし破壊はされずに何者かが入ってくる気配。悠然とした足取りで前後に振られる両手とつま先がまず目に入り、やがて全身が領域内に入り込んできた。
「う、浮舟君?」
渋谷の最後方にいた筈の後輩の登場に、目を開く冥冥。浮舟は名を呼ばれて「冥冥さん!」と大きな声で応え、駆け寄ってきた。
「こんなところで何をしているのかな? 君は家入君の身を守っているものだと」
「五条が封印されてるんで、特例っすよ特例。今は渋谷中走り回って手当たり次第助っ人に入ってます」
「そうか……」
浮舟の返答に冥冥は頷き、術式を行使してこない呪霊の動きを盗み見る。
「……迷っている? もしかして、呪力の差異でターゲットを変えているのか……?
「あの呪霊、どんな術式すか?」
「──君は助っ人に来たと言ったね」
「はい」
「浮舟君」
「はい」
「私の為に死んでくれるかい?」
「よろこんで! ──よっしゃああああああッ!」
問いかけに答えた浮舟。意図を理解したのか、懐からスキットルを出して一気飲みを始めた。嚥下する
「
浮舟の身体が棺桶内に詰め込まれ、その上からしめ縄を巻かれた岩──通称
本来ならば冥冥は何も知らぬ浮舟に対して術式の説明を行うべきだったが、冥冥は何も言わなかったことに対しての負い目等一切無く、構えて上空の烏を呼び寄せた。
「
「──ダッシャッ!!」
破壊。
義手で拳を握り、地中から飛び出してくる浮舟。活きの良い獲物に疱瘡神がすぐさま術式を、と考える間に、疱瘡神の身体を一羽の烏が突き抜けた。
「
∩
疱瘡神を祓ったことで展開されていた領域も消え、再び線路の上へと降り立った冥冥と浮舟。見渡せばそこには無傷の憂憂がいて、夏油は早々に立ち去ったのだと察した。
冥冥は構えていた大鎌を下ろし、憂憂に手渡す。受け取った憂憂が大鎌に布を巻いていくのを尻目に、冥冥は浮舟へと笑いかけた。
「ありがとう、助かったよ」
「いえいえ。生きてて良かったですよ、二人とも」
浮舟は笑顔で返す。
すると横から鋭い視線。向けば憂憂が物凄い形相で睨んでいた。
「浮舟さん。あなた、それはつまり、姉様と私が命の危機に瀕すると思っていたということですか?」
「そ、そういうわけじゃ」
種火。
にわかに雲行きが悪くなり始める。
浮舟と憂憂の関係性といえば、冥冥ありきのもの。冥冥の視線が届かないところでは──浮舟こそ憂憂に対してマイナスな感情は持ち合わせていないものの──憂憂からすれば、浮舟なんぞは姉の近くにいてほしくない部類の男に違いなかった。
だから、すかさず揚げ足を取られる。
喧嘩の理由を探されているように、何気無い一言でもすぐに火が付いてしまう。
しかし、火はすぐに消し止められた。冥冥が憂憂の頭頂部を軽く小突いたからだ。
「コラ、憂憂。命の恩人に対してそんな言い方をするものじゃないよ」
「──無礼を詫びます。浮舟さん」
「ナイス切り替え」
浮舟がサムズアップを見せ付ければ、憂憂はとても嫌そうな顔をした。
「それはそうと」
「はい」
「私は君に対して大変大きな借りを作ってしまったわけだ」
冥冥が告げる。
浮舟は顎に手を当てて、先程の流れを思い返してみた。浮舟からすれば至極当然の
10年前。今とは違い浮舟と冥冥が気軽にコンビを組んで任務を受けていた際、依頼人に対する方針で事細かく決め事を交わしたのをよく覚えている。
「借りって……。あー、でも冥冥さんならそう言いますよね」
「私は他人に対してあまり借りを作りたくはないし、借りを作ったまま日々を過ごすのは良い気はしないんだ」
「そうですよね」
尊重。
すれば冥冥も気兼ね無く続きを述べた。当然のように、流麗に髪をかき上げながら。
「だから、ここで君に対する借りの返し方と日時をある程度決めておこうと思ってね──何が欲しい?」
「え? いや、特に欲しい物は無いです。五条から定期的に貢がれてたので」
「つまりは、
「すっごい驚いた
顔の前に垂らした三つ編みの奥、目を見開いてフリーズした冥冥。浮舟が笑いながら指摘を入れると、大鎌をどこかに仕舞った憂憂が間を保つ為のフォロー。
「姉様は浮舟さんの無欲さに驚いておいでです」
「分かってるって。……まぁ、なにも要らないって言うのもそれはそれで失礼な話ですもんね」
「その通り。だから何でも言っておくれよ」
冥冥は微笑む。
浮舟はその微笑みに
それから。
「じゃあ、お願いを二つほど聞いてもらえますか」
「内容を聞こうか」
冥冥がすぐさま続きを促す。二つ返事での了承でないところに、冥冥の思慮深さが現れていた。
浮舟が金属製の左手の人差し指を立てる。
「まず、お二人はここから先は渋谷に残らずに国外へと移動してください」
「まぁ事前情報に無い夏油君がいたことだし、ハナから
「理由を聞かないっていうのを、二つ目のお願いということで」
浮舟が『あまり質問しないでください』といった笑みで返す。冥冥は
素直に頷いた。
「…………分かったよ、従おう。憂憂、チケットの用意を頼めるかな」
「もう手配済みです、姉様」
「流石。……じゃあ、浮舟君。君は残るんだろう? 気を付けて」
「はい。……あっ」
「なにかな」
別れ際に声を漏らした浮舟に、冥冥が返そうとした
浮舟へと向き直れば、浮舟は気まずそうに照れ笑った。
「…………お願い、もう一つ増やしちゃ駄目ですか?」
「浮舟さん! 貴方、取引を行う上での常識が欠落しています! いくら運良く姉様から借りを得たからといって、後出しで姉様から一体どれだけ搾り取るつもりで──」
「憂憂」
「はい……」
冥冥が静かに名を呼べば、憂憂はしおらしく肩を落とした。
冥冥は腰に手を当て。
「まぁ、国外云々は君にお願いされずともやっていたことだし。良いよ、言ってごらん」
「オレ、今メチャクチャ酔っ払ってるんですよ」
「うん。フラフラしてるね」
「そんな状態で渋谷を走り回ってるんで、もしかしたら渋谷から抜け出す
「まぁ、そう言うこともある……かな?」
冥冥は今尚渋谷で働いている術師達と顔を合わせずに渋谷から抜け出すルートをいくつか算出してみる。
その内浮舟と再び顔を合わせる可能性を考え、その少なさに首を傾げたものの、ゼロとは言えないので肯定しておくことにした。
「その時に見かけたオレが、もしかしたら今こうして話していることをすっかり忘れちゃってるかもしれませんが、それは全てお酒の
「……それが、お願い?」
冥冥が言葉を区切って聞き返す。
えも言われぬ迫力に浮舟は思わず背筋を伸ばして返答。
「はい」
数秒の静寂。
そして、冥冥が溜め息を以って静寂を切り裂いた。
「……はぁ、浮舟君」
「は、はい」
「私はね、君のことを買っているんだよ」
「ありがとうございます」
「だから、例え君が多少変なコトをしていたとして、その程度で君の価値は失われない。私はこれからも君を買い続け、儲けさせてもらう」
「ありがとう、ございます……?」
「もうっ! 姉様は貴方のお願いを聞き、その上で多少の無礼も許すと仰っているのです! キチンと頭を下げなさい!」
「あざーっす!」
「構わないよ。じゃあ、私との共闘をすっかり忘れちゃってるかも知れない君に向けて、何か伝えておくことはあるかな?」
「え? 良いんすか、そんな」
「構わないよ」
「上機嫌な姉様、くっ……! 美しい……!」
「が、頑張れって励ましてくれますか……?」
「構わないよ」
∩
「……これが、君の見たかった景色なのかい」
「おう」
「……全く、罰当たりな。神の社に
「大丈夫だと思うぜ。ほら、今って神無月だし。出雲で会議中っしょ」
「だからって、神が自分の家を燃やされて気付かないわけないと思うけれど」
「まぁ、あとちょっとで帰ってくるだろうなァ」
「早いところ戻ろう。この身体じゃ神に太刀打ちなんて出来やしない」
「あとちょっとだけ。
「おい、ちょっと。待たないか」
∩
「──うわああああ! 家が! 畑がッ!」
「──何故こんな晴れの日に雷が!? 天変地異か!? 呪霊の仕業か!?」
「──バカ、家財なんて良い! 兎に角逃げないと! 思ったより火の回りが早い!」
「……そこの人達、少し良いですか」
「だ、誰ですか貴方は!」
「この辺りを回っている旅の者です。私が立っている辺りが火に包まれるのはこの村の中で一番最後なのでご安心を。……それよりも、
「社? ──まさかッ」
「はい。全焼です」
「な、なんでこんなことに……! 産土神様が留守だって言うのに、これじゃあどう説明をすれば」
「説明? いやいや、無理だと思いますよ」
「は?」
「神が一番嫌うことをご存知ですか」
「なにを、急に」
「自身の
「ぱーそ? なにを言ってるんだ」
「はっきり申し上げますが、今回の一件。神があなた方を赦すことはないでしょう」
「なッ……」
「火が消えたらまたこの場所に戻ってこようだなんて思わないように。日頃何度も祈っていたのでしょう? 神はあなた方の顔を覚えていますよ。今日、森に──社に火を付けたあなた方のことを」
「火を付けたのは俺たちじゃあッ」
「この場にいない神にはそんなこと関係ありません。重要なのは、この結果を
「…………」
「戻ってきた神にばったり
「呪い? それは、どういう……」
「──おい何してんだ! 早く逃げるぞッ!」
「出来るだけ遠くにお逃げなさい。そして、今回得た教訓をなるべく多くの人に伝えるのです。神を怒らせてしまったこと、そして神の怒りの恐ろしさを」
「…………わ、分かりました」