芸術への情熱や審美眼もまあ、それなりにあったのでしょう。
でも、この世界はメガテンシリーズが混じっています。
霊能の素養もない人間が、悪魔と取引してまともでいれると思いますか?
「これ、まさかパレス!?」
杏――いや、いつの間にか秀尽の学生服から怪盗服姿となった『パンサー』の驚愕の混じった声が、赤黒く染まった空間に響く。
喜多川のスマホから噴き出した赤黒い光の奔流は、瞬く間にアトリエの物理的な壁を、天井を、そして俺たちの足元の床さえも絵の具のように溶かし去っていった。
現実のテクスチャが剥がれ落ちる。
さっきまで確かにあった夕暮れの穏やかな茜色の光は一瞬にして遮断され、代わりに俺たちの視界を埋め尽くしたのは、過剰な装飾と悪趣味な黄金で塗り固められた
「ジョーカー! なんでパレスが!?」
竜司――『スカル』が通信越しではなく、現実で俺の腕を掴みながら怒鳴る。アトリエの外の路地裏で待機していたはずのスカルとモルガナ――『モナ』も、イセカイナビの強制発動に巻き込まれたのだろう。
「シャドウや悪魔の襲撃を警戒しろ!」
俺は叫びながら、自身の衣服がすでに高校の制服から、漆黒のロングコートと仮面――『ジョーカー』の怪盗服へと変貌していることを確認する。
「……何だ、ここは」
異常事態に巻き込まれた喜多川は、俺たちの戦闘態勢など一切目に入っていない様子で、呆然と変貌した空間を見つめていた。
ここはもう現実の薄暗く狭いボロアトリエではない。
前衛的なデザインの壁にはこれでもかと金箔が貼り付けられ、その外観を見ただけでこのパレスの持ち主である斑目一流斎がどんな欲望を持っているのかは何となく察せる。
肥大化した自己顕示欲と虚飾の結晶――『マダラメ・パレス』といったところか。
「そんなはずはない……! 先生の本性が、こんなものであるはずがない!!」
「あ、おい! 待て!!」
スカルの制止の声が響くより早く、喜多川はパレスの奥へと全力出してしまった。
「戦う力の無い喜多川がシャドウに見つかったらマズい! 全員、喜多川を追うぞ!」
俺の号令とともに、怪盗団の全員が喜多川の背中を追ってパレスへと突入する。
喜多川の背中を追いかけて走る俺の脳裏には、先ほどアザゼルが言い残した最悪の脅迫が冷たい楔のように突き刺さったままでいた。
(お前たちの手でオタカラを強制的に引きずり出せ、か。アザゼルでは出来ないのだとしても、自分の手駒の異能者を利用すればいいはず……いや、逆か。アザゼルの手駒では出来ないのか)
あの時のアザゼルは本気だった。
もし俺たちが斑目の心を暴き、オタカラを出現させなければ、現世の無関係な人々がこの悪趣味な美術館のシャドウどもの生贄になってしまうのは間違いない。
アザゼルの目的がなんだとしても、放っておくわけにはいかない。
「クソ! 数が多い!」
「喋ってないで手を動かせ、スカル!」
パレスの絢爛豪華な廊下を駆け抜けながら、次から次へと湧き出てくるシャドウを迎撃する。
侵入者――それも赤いイセカイナビによってパレスへ強引に引きずり込まれた俺達がここにいるからか、パレス全体の警戒度は既に大幅に跳ね上がり、無数のシャドウやアザゼル配下の悪魔が襲いかかってくる。
「だが、弱い」
柱や閉じられていた扉を突き破ってシャドウが襲い掛かってくる。しかし、シャドウ達の力量はかなり低い。カモシダパレスに居た連中と同等か、なんならそれよりも水準が低い。
カモシダパレスのように警備として巡回しているシャドウも、俺達を見つけ次第襲い掛かってくるが、俺達を始末するよりも喜多川に追い付かない様に進行を邪魔しようとしている感じだ。
「まるで……俺たちを、いや、喜多川のヤツを奥まで案内してるみたいじゃねえか」
スカルが忌々しそうに、手にした霊木の釘バットを握り直す。
スカルの言う通りだ。パレスそのものが、喜多川を何処かに誘導しているかのような――。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ!」
息を切らし、ついに喜多川が立ち止まる。
そこは、作品を飾るギャラリーのような場所だった。
天井のガラスドームからは不気味な光が差し込み、部屋の中央に配置された『展示品』を怪しく照らし出している。
「喜多川くん! 無事……っ、な、何よ、これ……」
喜多川に追いついたパンサーが声を発しようとした瞬間、その言葉は喉の奥で押しとどまってしまった。
ギャラリーの中に足を踏み込んだ俺たち怪盗団の全員が、その光景を目にした瞬間、言葉を失い、凄まじい嫌悪感と戦慄に身体を硬直させた。
「……これが、真実、だと……?」
喜多川の声は震え、乾ききっていた。
ギャラリーの至る所に飾られているのは、斑目の『名作』として世間に発表されている絵画の数々。
それらの絵画は、授業の合間に調べて確認しておいた斑目の作品と同じモノだ。
だが、その展示の仕方が、あまりにも狂っていた。
美しい絵画が飾られているのは、よくあるような普通の大理石の台座ではない。
それは美術品の台座になる様に、ぐにゃぐにゃにねじ曲げられ、苦悶の表情を浮かべた人間――悪趣味極まりない『人間を使った台座』の数々だった。
「本物の人間、ではないな」
あれらは、斑目の認知が作り出した中身のないシャドウだ。しかし、そのシャドウたちの姿、そしてその配置の意味は、あまりにも明確で残酷だった。
絵画の重みに押し潰され、踏み台にされ、背負わされた絵画に向かって苦しそうに手を伸ばす若者たちの姿。
アザゼルが言う所の弟子の着想を盗み、自らの名声の『踏み台』にしてきたという斑目の心が、形となって具現化している。
「この顔、この名前は……まさか……去年、急にアトリエを去った、あの人」
喜多川が四つん這いになって絵画を支えるようにされた、一人の青年の顔に震える手で触れる。
彼らは皆、斑目に才能を絞り取られ精神を病むまで盗作され、ポイ捨てされた
彼らが斑目の名声の
パレスが出来上がった事で、自分の認識を隠せなくなってしまっているこの光景は、これ以上ない程の動かぬ証拠だった。
「先生は……先生は、俺達を育てていたんじゃない……! 本当にただの踏み台として、自分の名声にする為に、あそこに閉じ込めていたと言うのか……!」
喜多川の盲信が、音を立てて粉々に砕け散っていく。
育ての親への感謝、芸術の師への一種の信仰、喜多川祐介という人間を支えていた多くの要素が崩れ去ろうとしている。
だが、斑目の、このパレスの持つ本当の残酷さは、それだけでは終わらなかった。
「……っ、うそ、あれ……」
パンサーが悲鳴のような声を上げた。
ギャラリーの最奥、一際巨大なスポットライトを浴びる位置に展示されている、斑目の最高傑作――誰もがその美しさに涙するという、あの『さゆり』の絵。
その『さゆり』を支える、最も巨大で、最も重厚な台座。
喜多川が、呆然とした表情で、その台座へと視線を走らせた。
そこには、顔の無い一人の人間の女性が、巨大な『さゆり』の絵画の重みを、その背中一面で受け止めていた。
そして、その台座の銘板にあたる部分には、はっきりとその名が刻まれていた。
――【喜多川 ■■】
「……は?」
喜多川の口から、空気が漏れる様な、掠れた声が漏れた。
「喜多川……? なぜ、俺の苗字がここに……。この女性は……まさか……あ、ああ……」
喜多川と同じ苗字の女性。
確証はないが、もしかしたら彼女は……。
「俺の、母親……?」
『全く、困ったものだ』
ギャラリーの奥の暗闇から、しゃがれた老人の笑い声が響き渡った。
「誰だ……っ!」
聞こえてきた声に反応したスカルが武器を構え、俺も即座に銃を引き抜いて音の方を睨みつける。
暗闇からゆっくりと姿を現したのは、奇抜な格好をした老人だった。
全身に成金趣味でも早々着ないような金ピカの着物を纏い、顔にはこれでもかと白粉を塗りたくった、前世のお笑い番組に出て来たキャラクターに似た姿をした人物――斑目一流斎が立っていた。
『まさか、お前がこんなコソ泥どもを連れて、私の神聖な美術館に足を踏み入れるとはな……』
斑目本人ではない。
鴨志田と同じようにパレスの中に現れた斑目のシャドウは、手にした扇子でパタパタと自身の顔を仰ぎながら、へたり込んでいる喜多川を見下ろす。
「先生、答えてくれ……! ここにあるものは、全部、あなたの心が形になったものなのか!? あなたは本当に……母さんを、先輩たちを、俺を……ただの道具としてしか見ていなかったのか!?」
喜多川が顔を上げ、必死に最後の望みに縋るような声を振り絞る。
『まさか。大切に思っていたとも』
「先生……!」
『微々たる金額とはいえ、金を払って育てたのだ。多少使った程度で壊れる道具ではなく、継続的に
シャドウであるマダラメから返ってきたのは、喜多川の心を完膚なきまでに踏みにじる、冷酷な嘲笑だった。
「ジョーカー、どーすんだ!」
「撤退だ。喜多川を連れて直ぐに逃げるぞ」
マダラメと喜多川が話している間にも、俺達が来た方向から津波の様に押し寄せるシャドウを迎撃しながらモナの声に答える。
パレスの存在を確認した以上、このままここに居続けるべきではない。
装備ももしもの備えとして持ってきたものしかないから、態勢を立て直す為にもさっさと逃げたい。
『祐介。お前たちは道具ですらない、ただの家畜あるいは効率よく金を産む苗床でしかない。感謝してもらいたいものだ。お前たちの不甲斐ない、世に出ることもなかったゴミのような才能を、この私が『斑目一流斎』という一流のブランドに変えて世間に発表してやったのだからな! お前の母親も、私の名声の一部になれてさぞや草葉の陰で喜んでいることだろうよ、カッカッカ!』
喜多川に向けられるマダラメの悪意にパンサーが激しい怒りに声を震わせ、群がってくるシャドウに鞭を強く叩きつける。
「アイツ!」
「おいジョーカー、あんな奴絶対に許しちゃおけねえ! 今すぐぶっ飛ばしてやろうぜ!」
スカルが釘バットを肩に担ぎ、完全に戦闘態勢に入る。モナも全身の毛を逆立たせながら、カトラスを手にして身構える。
こうしている今もギャラリーの床や柱の影からドロリとした黒い絵の具の沼が急速に広がり、そこから無数のシャドウどもが不気味な鳴き声を上げながら次々と湧き出してきている。
さっきまで俺達を追いかけて来ていた雑魚とはあからさまに格が違う。このパレスの主力級のシャドウ達と見て間違いない。
「やっぱり罠か。全員、格の高いヤツを優先して撃破だ! 来い。コウリュウ!」
呼び出したコウリュウが
しかし、そこら中から湧き出てくる雑魚に混じった主力級のシャドウは仲間であるはずの雑魚シャドウを盾にすることで難を逃れている。
戦い方が上手い。シャドウの筈なのに、まるで悪魔のような狡猾さが垣間見える。
炎、雷撃、突風に斬撃。ギャラリーの中に俺達が放った技や魔法が飛び交う。
しかし、簡単に蹴散らせていた雑魚シャドウとは違い、主力級のシャドウ達は中々倒れない。
「嘘、魔法が効かない!」
「ワガハイの風を無効化しただと!?」
「攻撃を当てる相手を厳選するんだ! こいつら、俺達がどんな攻撃を得意とするかを知ってるぞ!」
俺やモナが放つ衝撃・風魔法、コウリュウとスカルが使う雷撃、パンサーの炎。
敵のシャドウは俺達の攻撃に合わせて立ち位置を変え、各々の魔法耐性を最大限生かせるような立ち回りをしている。
「クソ! 物理も効きがわりーぞ!」
スカルのバットによる打撃や俺の刀も、物理耐性や物理反射の性質を持ったシャドウが盾になっていくらか無効化されている。
カモシダパレスやメメントスでの戦い方から、俺達の戦い方への対策を立てていたとでもいうのか。
「このままだと、ジリ貧か」
斬撃を反射するシャドウに魔法を叩き込み、パンサーに襲い掛かっている火炎吸収の耐性を持つ悪魔を真っ二つにする。
確かに、押し寄せてくるシャドウは俺達の戦い方に対策を講じている。しかし、根本的な自力は俺とコウリュウがいるから辛うじて上回っている。早々簡単に負けはしないが、この包囲網を打開できなければ、時間が経つにつれて敵側が有利になってしまう。
脳みそが茹だるくらいに考えて、この包囲網を突破する方法を考えていると、呆然としていた喜多川がゆっくりと立ち上がる。
「……面白い」
大罪人達のパレスの様子はこれ以降原作から大きく乖離していきます。
それなりに長い期間、悪魔と関係性があった人間の精神や心が、原作みたいな中途半端な歪みで収まるわけないですよね?