【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

31 / 31
Faithfully

 

 

 

 トンネルのように暗く光が刺さない道を走っている。

 

 

 

 6月に入ると、晴れより曇り、曇りより雨が多く降るようになった。

 じわじわと迫る熱い夏の気候を思わせる湿った生ぬるい空気は、私の気分を盛り下げる。ケースに入れた楽器が濡れないように気をつけながらの登校は、結構神経を使った。

 楽器は湿気を嫌うというのを、私は少し前にリョウ先輩から教わった。木材はカビの温床になるし、金属の部品は錆びてしまうからタオルを常備してできるだけ濡れないようにしないといけないらしい。楽器にとって梅雨は天敵だった。

 それだけじゃなく湿気はミュージシャンにとっても侮れない相手だ。練習室のエアコンをガンガン効かせて音を録ると空調の音がマイクに入ってしまうし、かと言ってエアコンを付けずに練習するとすぐに汗だくになってしまって練習どころではない。腕に張り付く楽譜に苛立ちながらも、この気候に慣れないといけなかった。

 

「ほらそこー。またおんなじミスしてるわよー」

 

 6月に入ってからは先生とのレッスンも、日に日に厳しさを増していくような感じがあった。『50曲をコピーする』という課題と並行して、私のレッスンの質を少しずつ上げてるらしい。

 シビアで濃密な、生半可な気持ちだとすぐに心が音を上げてしまいそうにな指導。

 

「郁代ちゃん、その姿勢じゃ駄目。その形だと右腕が緊張しちゃうから……身体をねじらずに、胴体の向きをネックの方に向けて。そう、それを維持。ネックの裏に親指を直角で抑える!常に!そのまま、もっと早く指を動かす!」

 

 先生の強くて厳しい声が飛んでくる。私はそれに返事をする余裕もなく、ただただ必死に指を動かすしか抵抗できない。

 

「……ほらまた放した。悪い癖が出てるわよ、もう一回」

 

 練習室のグランドピアノの椅子に座りながら腕を組む先生は、歯を食いしばりながらギターを弾く私をまっすぐに見定めている。

 私は必死に、同じミスをしないようにと念じながら指を動かすけど、それでもまた同じところで躓いてしまう。指の力の入れ方が甘くて、狙った音がちゃんと鳴らなかった。

 

「またやった。はいもう一回」

 

 淡々と、そして厳しく私のミスを指摘され、頭の中に焦りのような物が湧き出てくる。その黒く粘つく感情に引き摺られるように、私は更にミスを犯した。

 

「今の駄目。もう一回」

 

 4本の指を絶え間なく動かし続ける。

 

「もう一回」

 

 何回も何回も、反復練習させる。

 

「もう一回」

 

 指先から手首まで痛くなっても、もう一回を繰り返す。

 

「そう!それでいいの。最初からできるじゃない。それを指に覚え込ませて。同じことを繰り返すだけならバカにだってできる。いつまでも私に『もう一回』を言わせない!」

「はぁ、はぁ……」

「もうやめる?やめたら楽になれるけど」

「……やります!」

 

 半ば意地になりながらも必死に私は食らいつく。

 自分から望んで厳しくしてもらっている。分かっていたはずだ。東京音楽大学の先生が、生半可な指導をするはずないって。それでも私は上手くなりたいからと、先生に自分から頼んで指導をしてもらっている。でも――想像していたよりずっときつくて、苦しい。

 

「ぐっ……」

「もう一回」

 

 想像以上に厳しくて、真剣で。気を抜いたらすぐに転んで倒れてしまいそう。

 暗闇の中を全力で走っている感覚がある。自分の許容限界を超える速度で走り続けている。必死に走って、走って、息が切れて肺が苦しくても走り続けて。

 けれど、自分が走っている先に何があるかも分からないまま。

 

 

 

 

 

 

 課題は順調とはお世辞にも言い難かったけど、半月近くやり続ければそれなりに形になってくる。

 最初の一週間はギター譜を起こすのも、曲を覚えることにも悪戦苦闘していたけれど、7、8曲ぐらいコピーし終えた辺りから慣れてきた感覚があった。もちろん、覚えるスピード優先でこなしているから、ところどころミスがあっても妥協したり、中途半端な出来になってしまったのは否めない。

 

 Bob Dylanの『Master Of War』。

 The Beatlsの『Blackbird』と『Yesterday』と『Here Comes the Sun』。

 Journeyの『Never Walk Away』。

 

 けれど、例えどれだけ下手でも曲を弾き切ることを優先するように意識したおかげで、調子が良い時は1日に2曲、コピーすることも難しくなくなったようには思う。

 正直、動画を観返したり楽譜を読み返すと、自分でもひどい出来だとは思う。でも、無駄にリテイクを重ねたり時間を掛けて楽譜を細かく手直して結局課題は達成できませんでしたという事態になることだけは避けたかった。

 下手くそでも、とにかく課題を完成させる。最低でも一日に一曲。それが今の私のタスクだ。

 

「……またビートルズ?」

 

 私が提出した楽譜を見て、先生は呆れたように私をジト目で睨みつけた。

 

「これじゃあ課題の意味が薄いわねぇ……正直、郁代ちゃんがここまでビートルマニア*1だとは思わなかった」

「いえ、その、違うんです!私がギターを始める前から聴いていたのがビートルズだったから……耳に馴染んでてすぐにコピーできるのがビートルズだったと言うか!」

「ビートルズ()()()、じゃなくてビートルズ()()()()()んでしょ。どうせ和正の影響ね?可哀想に。令和の女子高生を古いロックしか演れない身体にしちゃうなんて……郁代ちゃんにはほんっっっとーに同情しちゃうわ」

「本気で哀れまないでください!……そ、それじゃあ他のフォーク・ロックもコピーします!吉田拓郎とか!」

「吉田拓郎をコピーする令和の女子高生がどこにいんのよ」

 

 ぐうの音も出ない……。

 でも好きなの、『明日に向って走れ』とか『純』とか。

 なら、YUIの『feel my soul』とかAkeboshiの『Wind』とかのほうがいいかしら?山下達郎の『僕らの夏の夢』とかでも……。

 そう先生に言ったら「微妙に古いわね」と言われてしまう。

 

「この調子なら50曲は難しくても頑張れば40……いえ30曲はいけるかしら。でもこのままだとオールディーズしか歌えなくなっちゃうわよ?」

「うっ……」

「その路線がいいなら、私も強く言わないけどね。でも、郁代ちゃんが目指すボーカルはそうじゃない。でしょ?」

「はい……」

 

 俯いてそう答える。

 リョウ先輩が言っていた、覚える曲全部オールディーズの曲になりそうという懸念がじわじわと現実になりつつある。やっぱり私はイマドキの令和な喜多ちゃんではなく、トレンドから取り残された昭和の女しわしわ郁代になるしかないのだろうか。

 これも全部、クレイジー音楽オタクのカスのせいよ……。

 

「それにやっぱり完璧にコピーした、とはお世辞にも言い難いわね……完璧に覚えることよりも、速度を優先しているから当然と言えば当然だけど。でも、着実に少しずつ上手くなってるわ。それに、今まで本格的な指導を受けずに自己流でここまできたからこそ、基礎的な土台をしっかり作り上げれれば絶対郁代ちゃんの為になる。だからこのペースでいい。曲も無理に難しい曲を選ばなくていいわ。とにかく、焦らないこと」

 

 先生はそう言って、私の肩を優しく励ますように叩いた。

 本当に、私は上手くなっているんですか?

 そんな疑問を口の中に押し込めて吐き出さないように、私は息を止めて頷いた。

 

 残り、38曲。

 期限まで、もう残り1か月を切ってしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋で八時間は練習しろ、友達がいなくなるまで出かけるな。

 ヘヴィメタルバンドのSlipknotに所属するギタリスト、Mick Thomsonの有名な言葉だ。インタビューで、記者が「どうすればギターの演奏が上手くなれるか」という質問にそう答えたらしい。ひとりちゃんがそう教えてくれた。

 

「わ、私、最初はギターってどういう風に練習すればいいか分からなくて。きょ、教本を読みながら独学で、やってたんですけど……そんな時にミックの記事を読んで、そ、それでこの言葉を真に受けちゃって……お、おかげでギターヒーローのアカウントが伸びるくらいには上手くなれたとは思うんですけど………も、もちろん私には最初から友達がいないとか部活動をしていなかったから時間に余裕があったっていうのもあるんですが、ほ、本当に、地道な練習をするのが、ギターが上手くなる近道なんだと思います……」

 

 毎日何時間も練習に打ち込むギターヒーローがそう語ってくれた。

 Slipknotは激しいヘヴィメタルのバンドで、ひとりちゃんにいくつかおすすめの曲を教えてもらったけど、正直に言うとあまり私好みの曲は多くなかった。『Dead Memories』とかはかっこよくて最高だったけど……。

 

「……き、喜多さんって、カズさんの好みとやっぱり似てますよね……前に私がおすすめしたら似たような反応されました……」

「そうかしら?」

「は、はい。前よりは聴くようになったけどって言ってましたけど……。き、喜多さんもやっぱり、メタルは難しいですか?」

「ううん、そんなことはないと思うけど……でもカズ君ってば、去年からあんまりハードロックのCDは貸してくれなくなっちゃったのよね。最初の頃はよくCDを貸してくれてたのに」

「な、何故?」

「よく分からないけど、私の情操教育に悪影響だからーって。ひどくない?でも、貸してはくれなくなったけどカズ君の家ならハードロックのCDを掛けてくれたのよね。だから放課後によくカズ君の部屋に行って、そのまま二人で曲を聴きながら寝ちゃったりとかあったなぁ……懐かし――」

「ウボアッ」

「きゃーひとりちゃん!?どうしたのよ大丈夫!?」

 

 昔の思い出を語ったらひとりちゃんが突然死んじゃった話はともかくとして、ミック・トムソンの「プロのギタリストになりたければそれぐらいやれ」という、努力の極致みたいなこの言葉は、私の心を強く震わせてくれた。

 どれだけの才能があるかではなく、どれだけの時間を注ぎ込めたかで、結果は変わるんだという証明を見せてくれたような気がしたからだ。

 毎日それぐらい努力を積み重ねれば、歴史に名を残してきた偉大なギタリストや歌手達――例えば宇多田ヒカルのようなアーティストみたいに。そんな道筋を示してくれた。

 この真っ暗闇でいつゴールにたどり着けるかも分からない道でも、走り続ければ必ずたどり着ける場所があるんだと。

 自分の時間を全て犠牲にすれば、たどり着きたい場所があるなら、きっと。

 

「ねえねえ喜多ちゃん!昨日の水ダウ観た?」

「あー……ごめんね、昨日はギターの練習で忙しくって……」

「そっか……じゃあさじゃあさ、先週公開された映画は?」

「……そっちも観に行けてなくて……」

「あ、あー……そっか。喜多さん忙しそうだもんね!」

「えーっと……うん、ごめんなさい」

「……あーごめん!それじゃあ私、次は移動教室だから!」

 

 平日の学校の休み時間。

 気さくに声を掛けてくれたクラスメイトは、話を合わせることが出来ない私に気まずそうな笑顔を向けたまま、席から離れていった。気まずい感じで会話が切られてしまって、なんとも言えない後味の悪さが残った。

 

「……はあ」

 

 せっかく話しかけてきてくれたのに、ちゃんと反応してあげられなかった。なんだか申し訳ないという罪悪感が重く肩にのしかかってくる。

 

「お疲れー、喜多ー」

「さっつー」

 

 肩を叩かれて振り返ると、そこには私の中学の腐れ縁であるさっつーが私の顔を覗き込んでいた。

 

「大丈夫かー?なんだか随分、疲れてるみたいだけど」

「そ、そう?そんなことないと思うけど」

「目の下の隈、隠れきれてないぜー」

「え、嘘」

 

 今朝、ちゃんと化粧して隠せたはずなのに!そう慌ててスマホのインカメラで確認するが、カメラに映る私の目元に隈なんてどこにもなかった。

 カマをかけられたことに気付いた私はジト目でさっつーを睨みつけるが、肝心の本人は何も悪びれずにお手洗いに行っている前の席の子の椅子を借りて座り込んだ。

 

「ちゃんと寝れてんのかー?さっきの授業も半分寝落ちしかけてたじゃんかー」

 

 さっつーが心配半分、呆れ半分に私にそう言った。

 

「課題?だっけ。それの為に睡眠時間も削ってんのかー?」

「ちょっとだけよ。あと少しで期末だし。中間は赤点なしで行けたけど、それでもやっぱり平均点ギリギリだったから、期末はもう少し点数を取っておきたいの」

「マジか」

 

 うへー、と心底嫌そうにさっつーは舌を出した。

 

「うん。お母さん心配するし。それに、赤点取ったら追試になっちゃうし、ギターを練習する時間だけは削りたくないの」

 

 秀華高校は小テストでも赤点を取ると、放課後に追試を受けなくちゃいけなくなる。一応、今のところテストは平均近くは取れるようにはしているけど、もしも追試になれば放課後の時間が更に削られてしまう。先生のレッスンもあるのに、「追試になってレッスンに行けなくなりました」なんて事になったら、先生に何を言われるか分かったものじゃない。追試なんかで足止めを食らうのだけは絶対に避けたかったのだ。

 勉強、ギター、歌、レッスン……やらなきゃいけないことが多くて、最近は0時過ぎに眠ることがほとんどだ。

 

「もー、一度……なー、頑張りすぎは身体に毒じゃん?なんでそんな頑張るのさ」

「なんでって……もっと上手くなりたいからよ」

 

 もっとギターを上手くなりたい。もっと素敵な歌を歌えるようになりたい。結束バンドの皆と一緒に、たくさんのステージに立ちたい。来年のフェスに出場したい。

 SIDEROSの……ヨヨコさんに、負けたくないから。

 たくさんの理由が出てくる。でも、その中でも一番心の奥底からはっきりと湧き上がってくる光景がある。

 2月のライブ。SIDEROSのミニライブに参加した、カズ君の歌。

 あれを思い出す度に、身が焦がれるような痛みが襲ってくる。

 もう、二度と……あの時のように惨めな気持ちになりたくない。カズ君とSIDEROSのライブを、ただ観ているだけの観客にはなりたくないから。絶対に。

 私がそう答えると、さっつーは何故か私の顔を見て嬉しそうに頬を緩めた。

 

「ふーん、そっかー」

「何?」

 

 こういう時のさっつーは、何か企んでる事が多い。彼女はサプライズで誰かを驚かすのが好きなタイプだ。

 訝しんでいる私に、さっつーは制服のポケットから一枚のチケットを取り出してきた。

 

「ほらこれ!」

「……カラオケのチケット――むぎゅ」

 

 そのチケットは駅前のカラオケ店のチケットだった。中学の時から何度も行ってる、馴染み深いカラオケ。驚いて思わず、何度もチケットとさっつーの顔を見比べる。戸惑っている私に、さっつーはぐいぐいと顔にチケットを押し付けてくる。

 

「今日の放課後、クラスの連中とカラオケ大会やんだ~。喜多もたまには来なよー。羽を伸ばそうぜー?今日レッスンは休みだって知ってんだかんなー」

 

 どうやらずっと私を誘おうと計画してたらしい。少し前にいつレッスンが休みか尋ねて来たのはこれが理由ね……。ほっぺたにぐりぐりと押し付けられるチケットを押し退けて、私は言い返す。

 

「誘ってくれるのは嬉しいけど……放課後もやらなきゃいけないこと、たくさんあるから」

 

 私がそう諭すように断るが、さっつーは諦めきれないのか、それとも何か別の目的があるのか……押し退けたチケットを更に力強く押し付けてくる。

 

「偶には休んで気を抜くのも大事じゃんかー。それに、今日のカラオケ会はクラスの暇な連中皆来るから、喜多も偶には参加しなって。最初の1回だけじゃん、喜多がクラスのカラオケに来てくれたの」

「う゛っ」

「どうした心不全かー?」

 

 忘れもしない4月の初旬、まだ先生のレッスンを受けていない頃に、さっつーに誘われて親睦会も兼ねたカラオケ大会に誘われた。

 大好きなカラオケ。新しい学校で、新しいクラス。まだ話したことがないクラスメイトも何人か参加していた。私のテンションは結束バンドのライブの時のように盛り上がっていた。

 ここで良い歌をカラオケで歌えば、他の人に私を知ってもらう事ができる!ひょっとすれば、新しい仲良しの友達ができるいいきっかけになるかもしれない。

 久しぶりにカラオケで全力で歌えるという高揚感と、新しい友達との邂逅を胸に曲を選ぼうとした時……私はあることに気付く。

 

「……私、何歌えばいいの?」

 

 中学のクラスの友達とカラオケした時は、平然とビートルズやジャーニーやコールドプレイやクイーンの曲を選んで歌って大盛りあがりだったけど。それは、私たちのクラスがカズ君の影響でたくさんのロックを知っていたからであって。

 でも、ここは違う。さっきまで他のクラスメイト達が使っていたタッチパッドに目を落とす。手元にあるタッチパッドに並ぶ曲のリストには、最近のJ-POPのヒット曲ばかり。洋楽に馴染みのない空気が、選曲だけで伝わってきた。

 それに気付いて、頭が真っ白になった。だって、その頃の私はヒットチャートの曲なんてほとんど聴いていなかったから、何を歌えばいいか本当に分からなくなっちゃったの!いつものノリでジョーン・バエズとかボブ・ディランを歌ったら英語が分からずに空気を白けさせてしまうのは明白だった。

 結局、無難にBUMP OF CHICKENの『記念撮影』でお茶を濁して最悪の事態になることだけは防いだけど……あの時ほど焦ったことはないし、あの時ほどカズ君を恨んだことはないと思う。

 

「ウチは久しぶりに喜多のカラオケ聴きてーなー」

 

 さっつーが期待を込めた目で私を見つめてくる。長い付き合いだから打算とかなく、ただ純粋に私と一緒に遊びたい、そういう感じがさっつーの表情から読み取れて嬉しくなった。

 ……正直に言うと、すごく行きたい!

 最近カラオケなんて全然行けてなかったし、もう6月なのに仲良くなれたクラスメイトは多くない。4月に仲良くなった友達も、ここ最近ずっとレッスンで忙しくて疎遠になりつつある人が何人もいる。ここでクラス会に参加すれば、また最初の頃のように仲良く話せることができるかもしれない。

 でも……。

 私が今日、カラオケに行ったら、今日の分の課題が、達成できないかもしれない。

 そんな不安が心の奥底で芽生え、少しずつ大きくなっていく。

 それに一番怖いのは……一度気を緩めてしまったら、次の日からここまで保ってきた緊張とか集中力がぷっつりと切れちゃうかもしれないという怖さだ。

 私は、明確にちゃんと『努力』というものをしたことがない。

 切り詰めて、時間も体力も何もかもを注いで努力するのは、とても苦しい。私は、ギターと歌が楽しいだけじゃなく、苦しいことも知ってしまった。

 走り続けることは、何かを続けるということは、大変で、苦しい。

 一度足を止めてしまったら。息をついて座り込んでしまったら。

 私はもう一度、ちゃんと立ち上がれるだろうか?またその苦しさの中へ飛び込めるのか……分からない。

 ていうか……そもそも、私なんでこんな大変な目にあってるんだろう?

 先生はちくちくちくちく私の心に執拗にトゲを刺してくるし、下手とか聴いてられないとか疲れるフリが上手いだけねとか。オタマジャクシだらけの楽譜でコード練習を延々とさせるし、挙句の果てには50曲コピーしろって?もう滅茶苦茶よ滅茶苦茶。連日のレッスンと学校と課題で心身ともにへとへとになっている私にいつもムチを全力で打ってくる鬼よ鬼!カズ君のことも相当なクレイジー音楽オタクだと思ってたけど、先生はある意味でカズ君を上回るクレイジーっぷり。

 私のレッスンを受け持つだけじゃなく、大学のオーケストラの練習、更にピアノと声楽専攻の生徒を個人レッスンで何人も受け持っているんだから、バイタリティが普通じゃない。一体どこにそんな時間と体力があるの?音楽大学の先生ってあんな人ばかりなのかしら?それとも私が知らないだけで、あの先生は逆転時計*2とか持っているのかしら?

 

「でも」

 

 音大に飛び込んで、先生のレッスンを受けて分かったこともたくさんある。

 それは、私がまだまだ下手くそで。甘えている余裕なんてまったくないってこと。私が少しサボれば、多分それはきっとすぐに私に跳ね返ってくる。

 それに、バンドの練習もSTARRYでのバイトも、レッスンを言い訳に休ませてもらってる。ここでサボってカラオケに行くのは、先輩達にも不義理だ。

 ……うん、やっぱり断ろう。さっつーには申し訳ないけど、少なくとも7月のレッスンが終わるまではカラオケはお預けにしておこう。

 

「ごめんさっつー、やっぱり――」

 

 さっつーに断ろうとしたその瞬間。

 机の上に置いてあった、マナーモードのスマホがぶるぶると震えた。

 カズ君からのLINEの通知だった。結束バンドのグループではなく、私に直接送ってきたメッセージだった。

 

『アメリカの学校の編入試験に受かったよ』

 

「あっ……」

「ん、どしたの喜多ー?」

 

 スマホの画面に表示された一言だけのメッセージを読んだ瞬間、一瞬で思考が真っ白になる。返信するための指が動かない。

 そういえば、しばらく忙しいって言ってたっけ。多分私がレッスンに打ち込んでいる間、カズ君は一人で編入試験の準備をして、そして今日それが報われたんだ。それで、多分誰よりも先に、私に合格の報告をしてくれた。

 おめでとう、って言いたかった。でも、言いたくなかった。

 カズ君が、もうすぐいなくなる。遠い遠い、アメリカに行ってしまう。

 

「どしたの?」

「ううん、なんでもない。私も行くわ、カラオケ」

「おー!ダメ元だったけど、誘ってよかったー!じゃあ放課後なー!」

「うん、楽しみにしてる!」

 

 胸の奥から湧き上がる悲しさを誤魔化すように、私は笑って言った。

 多分、家に帰ったらカラオケに行ったことを、私は後悔するだろうな。でも、とてもじゃないけど、今の心のままで走り出せる気力は、私にはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うん……前回の4月のカラオケの時も思ったけど、やっぱり……皆、歌うの下手だなぁ、と聴きながらそう思ってしまった。先生のレッスンを受け続けていたからか、そんな風に失礼な事を思ってしまう。そう思ってしまう自分に、少しだけ嫌気が差す。

 STARRYのライブハウスで歌うバンドのボーカル。東音の声楽専攻でオペラやクラシックを歌う先輩達。そしてSIDEROSの大槻さんに比べると……やっぱり皆下手だ。真剣にその道で食べていこうとしている人達と、ここでただ純粋にカラオケを楽しんでいる人達と比べること自体、おかしい事だとは思うんだけど。

 誰よりも上手くなろうという真剣さも、聴いている観客を全員魅了しようというプレッシャーも、売り出して有名になろうっていうやる気も感じられない。

 でも、すごく楽しそうだった。観ている私も楽しくなってしまうぐらい。

 今回のクラス会は、私のクラスメイトだけじゃなく、誰かが誘ったのか隣のクラスメイトも合流して、合計で30人以上も集まった。この店で一番広い大部屋を取ったにも関わらず全員が入りきらないので、結局二部屋借りてそれぞれが好き勝手に過ごしてる。

 スマホを見ながら雑談している女子グループ、部活動の練習が休みで羽を伸ばしに来た運動部の男の子達。カラオケでマイクを握り締めて湘南乃風を全力で歌う野球部の男の子。それを観て大盛り上がりの男子達。それを遠目に見ながら注文したスナックやポテトを食べながら大笑いしている女子達。騒がしさが絶えない、この感じがなんだかすごい久しぶりな感じがした。

 

「今日喜多さん来てんだー珍し―」

「最初の一回だけだったよね、喜多さんがこういう集まりに来るの」 

 

 すると、少し離れた場所で女子達と話していた男の子達のグループがソファに座ってカラオケを聴いていた私の方へ向かってきた。教室で何度か喋ったことのある男子達だ。

 

「最近すごい忙しそうだけど、何やってんの?」

「おめー知らないの?喜多さん、バンドのボーカルやってんだよ!」

「へーすっげー!今度聴かせてよー!」

「バンドっつーことは、ギター弾くんだべ?べんべんって!」

「ばっか、それ三味線だろ」

「あー……」

 

 こういうの久しぶり。音楽については知らないけど、とりあえず話を盛り上げたくて雑に絡んで来る感じ。特に、妙に距離を詰めてこようとするこの金髪の男の子。前もこういう風に何度か話しかけてきてくれていた。慣れてないだけかもしれないけど、何ていうか少し視線がいやらしく感じるのは……私の自意識過剰なのだろうか。

 こういうところに来るの久しぶりだから、どう返せばいいのか分からなくなる。なんていうか、眼の前にいる男の子達と、この部屋にいる女子達と、自分が、ズレている感じがする。私が、私だけが、この空間にある空気と、ズレて立っている感覚。

 この部屋には、私の周りにはたくさんの同い年の子がいるのに、何故か――すごいひとりぼっちだ。

 

「あーこらこら駄目駄目。喜多はウチのなんだから、男子は向こう行ってなー」

 

 すると、ドリンクバーから飲み物を両手に持ってきたさっつーが、私の隣のソファーにどかりと座りながら、男子達に「しっし」と追い払うように手を振った。

 

「えーそりゃないぜ佐々木さん!」

「俺達は虫かよ!」

「ダメダメ。喜多は彼氏持ちなんだから!」

 

 その言葉に一瞬だけカズ君の顔が思い浮かび、ぼっと耳まで赤くなるのを感じた。

 

「さ、さっつー!?」

 

 まだ彼氏じゃない――そう言い返そうとした瞬間、背中に寒気が走った。反射的に辺りを見渡すと、近くにいた女子達がギラついた目で私を観ていたからだ。

 

「何、恋バナ?」「恋バナ聞きたい!」「新鮮な恋バナ!」

 

 飢えた肉食獣の視線だった。何かボロを出せば中学の時のように囲まれてそのまま全部白状するまで終わらない尋問が始まる予感がしたので、私は口を閉じた。

 

「え、あ、そうなの?」

「ご、ごめん、俺知らなくて……ちくしょー誰だよ彼氏……」

 

 さっつーの大嘘を真に受けた男子達は、本当に申し訳なさそうに何度も頭を下げて離れていく。あっさりと離れた男子達に呆気を取られながらも、私はすぐにさっつーに噛みついた。

 

「さ、さっつー!なんであんな嘘……」

「ああ言った方が手っ取り早いっしょー」

「でも、カズ君のこと――」

「ウチ、別に一言も井上の名前出してねーんだけど?」

「うっ」

 

 悪びれもせずさっつーは肩を竦めると、オレンジジュースが入ったコップを差し出してきた。私の分も取ってきてくれたらしい。釈然としないけど、助けてもらったのは事実だし、喉も乾いていたので素直に「ありがと」とお礼を言って受け取った。

 

「『彼氏いる』って言っときゃ、あいつらはあっさり引くよ。でも許してやって。あいつら、本当はそんなに悪い奴らじゃねーからさ。普段誘っても来ない喜多がカラオケに来てんだから、浮かれて先走って口説こうとしたんでしょ」

「浮かれてた?」

「あれ、知らねーの?喜多、男子達から結構人気あるんだぜ。今日来てる男子の何人かは、喜多が来るからって集まったようなもんだし」

「えっ……そ、そうなんだ」

 

 男子達から人気がある、と言われてもいまいち実感が湧かなかった。

 

「でも、そんなにおしゃべりしたこともないのに……」

「うーん、このキラークイーン。ま、喜多には井上がいるから、それ以外の男子は眼中にないか。おーい高藤ー!お前ら脈なしだってー!」

「さ、さっつー!」

 

 けらけらと笑うさっつーに対し、『脈ナシ』とはっきり断言されてしまったさっきの男子達は遠目にも肩を落としているのが見て取れた。

 特に、さっきの金髪の男の子……高藤君が本当に悔しそうに肩を落としてる。なんだか少し申し訳ない。

 

「あれ?」

 

 ふとカラオケの部屋の扉の近くのソファで、私の方を見ていた女の子と目が合った。金色に染めた髪の毛をカールに巻いて、制服を校則違反ギリギリに崩した、派手な女の子だ。

 けれどその子は、私と目が合ったことに気づいたのか、それともたまたまなのかは分からないけど、まるでそんなことなかったみたいに目を逸らして、近くにいた子と一言話したかと思うと扉から外へ出ていってしまった。

 

「さっつー、今外に出ていった子……」

「ん?あー、うちのクラスの吉野だよ。今回のカラオケ大会の発案者。喜多、話したことなかったんじゃね?」

「うん……」

「確か、軽音部のボーカルやってるって聞いた」

「へぇー……」

 

 軽音部のボーカル……。言うなれば、私と同じポジションね。校外を中心に活動している私と軽音部は、また似て非なるとは思うけど、それでもやっぱりボーカルという特別なポジションにいる吉野さんに親近感を感じた。

 でも、なんだろう……さっき目が合った時、なんていうか……睨まれていたような気がする。

 

「つーかなんだよー、まだ喜多、一曲も歌ってねーじゃん。中学の時のノリはどうしたー?」

 

 一瞬、もやもやした感覚に包まれるが、さっつーに話を投げかけられて、私の意識はすぐにそっちに移った。

 

「さっつー、分かってて言ってるでしょ。ここで私が歌っても、白けさせちゃうだけだって」

「洋楽歌うから?んなことねーっしょ。あ、うちにもポテトちょーだい」

「はーい」

 

 向かいのソファに座っていた女子にポテチを貰いながら、さっつーは「それでレッスンの方はどうなの?」とそう尋ねてきた。

 

「やっぱ厳しい感じ?」

「うん……でも、もうやるしかないって感じ。7月までに、もっと実力つけたくて」

「元々歌上手いのに、更に上を目指すなんて、喜多はすげーなー」

「そうでもないよ……」

「ん?」

「あっ」

 

 しまった、と慌てて口を閉じようとした。

 けれど目敏く気付いたさっつーは、それを止めてくれる。

 

「んだよー、水臭い。愚痴ぐらい聴くぜー?」

 

 冗談めかすようにさっつーは言ってくれた。

 

「ダチじゃんか、ウチら」

「……ありがと」

 

 今日、カラオケに誘ってくれたさっつーにこんな愚痴を言うつもりはなかった。楽しいこの場所の空気に、私個人の事情を持ち込みたくはなかった。

 でも、さっつーになら言ってもいいかな、と思えてしまった。

 結束バンドのリョウ先輩や虹夏先輩、ひとりちゃんに言えること、言えないこと。

 カズ君になら話せること、話せないこと。

 さっつーにだけ、話せること。

 私達は確かに腐れ縁だけど、それでもさっつーは特別な友達だと、私は感じた。

 

「私さ、正直自分でも器用な方だと思ってる。歌も十分、上手いって自覚してた。あの合唱コンクールの時から、私は歌で人を感動させられる力があるって信じてたんだ」

「うん」

「でも……」

 

 なんか、さっつーにこういう本音を話すの、初めてかもしれない。今までたくさん一緒に遊ぶことはあっても、こんな本気の悩みを打ち明けるなんて思いもしなかったな。

 でも、さっつーは私の話を笑うことなく、私の方をじっと見て、言葉を真剣に待ってくれていた。

 

「当たり前のことだけど、上には上がいて。私よりもっともっと努力してる人がたくさんいて。自分が井の中の蛙だって、思い知らされたの」

 

 大槻ヨヨコさんの歌を聴いて、私はそれを痛感した。自分がまだまだちっぽけな存在だって。だから私は、それが嫌で先生のレッスンに厳しさを求めた。

 けれど。音楽大学の人達は。

 

「私、知らなかったの。音楽に人生をかけて戦ってる人達がいるって。それがどれだけ苦しくて過酷な事なのか……小さな子供の時から、どれだけの代償を支払っているのか。それも知らずに飛び込んで、身の程知らずって思い知らされて……。でも、それでもギター上手くなりたくてレッスンを受けさせてもらってるけど……自分が前に進めているのか、確信ができなくて……この先ずっとやっていけるのか、不安なのよ……」

 

 先生のレッスンは厳しくて、自分の未熟さを改めて突きつけられるばかりで。でもこんなレッスンを、小学校かそれよりずっと小さい時から受けている人達がそれでも尚才能や努力で振り落とされて戦い続ける場所。それが音楽大学という場所だった。

 1年前にギターを始めて、たった二ヶ月先生のレッスンを受けただけで音を上げてしまいそうになる自分がみっともなく思う。

 でも、どうしても考えてしまうの。

 何もかもを代償に、自分が捧げられるものを全て差し出して、身も心も削るほどの努力をして……その上で、求めていた結果が得られないとしたら。自分が今立っている現在地点が私の限界値だと自分自身で証明してしまったとしたら。

 

 

「私、最近楽しく歌えた記憶がないの」

 

 

 からんと、手に握っていたコップの氷が揺れる。ステージで歌っている女子達の合唱が、どこか遠い。

 先生の下でレッスンを受け始めてから、以前より歌もギターも上手くなれたという自負がある。けれどそれと同じくらい、自分が進歩していないままなんじゃないかという不安があった。

 その不安が、私の足に泥みたいに纏わりついている。私自身が生み出した泥で、私自身の足を引っ張っている。

 私が足踏みをしている間に、カズ君や大槻さんは私を追い抜いてどんどん先に行ってしまう。

 音楽をただ純粋に全力で楽しむカズ君に憧れる。自信に満ち溢れながら歌う大槻さんに嫉妬する。きっとあの二人なら、私みたいに小さく悩まずに進むんだろうな……。

 

「もっと、自信満々に、かっこよく、ロックが出来たらな……」

 

 自分が前に進めているという証明が欲しかった。人は自分が成長しているという確信を持てないと、前に進めない。

 

「歌うのは楽しくない?」

 

 さっつーが珍しく心配そうに私の顔を覗き込んだ。

 

「最近は……」

「だから今日、一曲も歌ってねーんだ」

「今日は、聴いてるだけでいいかなって」

 

 なんていうか、ここしばらくずっと音楽漬けだったからだろう。今日一日ぐらい、歌わずに過ごしたい気分だった。

 

「そっかー……」

 

 そう呟いたさっつーがしばらく考え込んだかと思うと、ソファから立ち上がってどこかへと行ってしまった。また飲み物を取りに行ったのだろうか、そう思っていたらあっさりと戻ってきた。

 

「とりあえずさ、なんか曲入れなよー」

「え?」

 

 さっつーは手にはタブレットがあって、私の方へ差し出してきた。

 

「私に歌えってこと?でも今はそんな気分じゃ……」

「まーまー。いーじゃん。せっかくカラオケに来たんだからさ、一曲だけ」

「もう……」

 

 半ば強引にさっつーは気乗りしない私にタブレットを押し付けてくるのでそれを受け取りながら、何か歌える曲はないか探し始める。タッチパネルの上を指でなぞるたびに、見慣れた曲名、知らない曲名が次々と流れていく。しかし不思議とどれにも手が止まらなかった。

 歌いたくないわけじゃない。ただ、今の自分が何を歌えばいいのか、分からない。課題のこととか、どれぐらい綺麗に歌わなきゃいけないかとか、カズ君のこととか、余計な気持ちが混ざってしまいそうで。

 ……まあ、いいか。さっつーには悪いけど、今は曲を選んでいるフリをして、そのうち他の歌いたがってる人にタブレットを渡そう。

 そんな気持ちのまま画面をスクロールしていると、さっつーが横から覗き込んできて、ぽつりと口を開いた。

 

「正直さ、喜多が本気でロックの方へ行くとは思ってなかったよ」

「え?」

「合唱コンクールの時から、喜多はそのうちバンドとかはやりそうだなーって思ったけど、やるなら軽音部みたいな、緩い部活だと思ってた。ライブハウスに出るガチのバンドに入るとは思ってなかったからさ」

「そういう意味ね。……でも、分かる。3年前の私に、バンド入ってギターボーカルやるって言われても、きっと3年前の私は信じないと思うし」

「……ふふ、やっぱ喜多、良い顔になったじゃんね」

「え?」

「覚えてる?中一の時さ、喜多、女バスの助っ人頼まれて、練習試合に入ったことがあったじゃん」

「うん?ああ、そういえば……」

 

 中学一年の頃だったかしら。

 私は運動神経もそれなりに良くて、バスケも人並み以上にはできる方だったから、女子バスケ部の子達に誘われて何度か練習試合に参加した事が何度かあった。

 

「それがどうしたの?」

 

 なんで急にバスケ部の話を持ち出したんだろう?

 

「いつだったかなー、他校との練習試合に喜多が参加して、ウチも観に行ったんよ。ほら、隣の中学との……」

「あー……あの試合、確か結構ぼろ負けだったような……」

「そー。後で聞いたけど、その年の都大会でベスト4に入ったんだってねー」

 

 思い出した。確かその試合は、レギュラーの子が風邪で休まざるを得なくなって、メンバーが足りないから急遽私も助っ人として呼ばれたけど、結果はぼろ負けだったのを覚えてる。それなりに喰らいつけたとは思うけど、それでも相手チームとの技術の差が圧倒的だったのか、リードを一度も奪えないまま負けてしまった。

 

「それでさ、喜多、あの試合に負けてさ。結構ケロッとしてたんだよね」

「へ?」

「悔しそうな顔でも、諦めた顔でもなくて……喜多は助っ人だからってのもあったんだろうけど、他の連中が皆悔しそうな顔してんのに、あんまダメージ受けてなさそうな感じでさ。笑いながらドンマイドンマイって言ってて。言葉にしにくいけど……なんつーか、本気になりきれない、って感じだった」

 

 私の胸にさっつーの言葉が刺さった。図星だったのだ。

 その試合は、確かに覚えてる。全力でボールをドリブルしてシュートするのは楽しかったし、素人の私でもチームの皆の力になれて嬉しかったのはよく覚えてる。

 でも――試合の後に、私が何を想っていたのかはもうよく思い出せない。悔しかったのか、それとも楽しかったのか。そのどちらでもなかったような気がする。多分、あまり私の中で印象に残っていないのだろう。

 

「でも、ロックやり始めてから、喜多って本気の顔するようになったなって思う。ウチは何かに本気になるとか柄じゃねーからさ。少しだけ羨ましく思うよ」

「……」

「喜多は知らないかもしんねーけど……実はウチ、喜多の歌を聴くの、結構好きなんだぜ?……あれぇ。喜多、ひょっとして照れてる?」

「照れてないっ……」

「泣きそうになってる?」

「泣きそうになってない!」

 

 一瞬、意味もわからずに目の奥が熱くなった。私は顔を見られないようにそっぽ向きながら強がって言い放った。さっつーは面白がりながらスマホのカメラを向けてくるけど、写真を取られないように必死にカメラのレンズから顔を隠す。

 

「おーし撮れてる。これ、後で中学のグループLINEに載せてやろー」

「動画はずるいでしょ!」

 

 さっつーは写真じゃなく最初から動画で撮っていたから、私が咄嗟に隠す前に赤面した顔をばっちり撮られてしまっていた。さっつーのスマホを奪おうと手を伸ばすけど、ひょいひょいと躱されて届かない。

 

「ほらほらー。早く曲入れね―と。そろそろ向こうはラスサビだぜー」

「むぅ……」

 

 さっつーが言わんとしてることが分かった。動画を消して欲しかったら歌え。そういうことだった。

 

「脅迫じゃない、もー……」

「一人が寂しいなら一緒にデュエットしようかー?チャゲアス*3の『YAH YAH YAH』なら一緒に歌ってもいいぜ~」

「私歌詞知らないわよ!」

 

 聴いたことはあるけど!

 呆れながらも、思わず笑みがこぼれてしまう。さっつーも同じだったみたいで、声に出して笑い始めた。

 中学の頃は、いつもこんな感じで放課後カラオケに行ってばかりだったな。

 誰かが彼氏が出来たり、部活で良い結果を残したり、テストが終わったりすれば、皆それを口実にカラオケに集まって門限まで大騒ぎしていた。

 好きな曲を代わりばんこで歌って、お菓子を食べて、おしゃべりして。

 この場にいる中学からの友達はさっつーだけだけど、なんだかあの頃に戻ったみたい。

 

「次ー、誰が歌うのー?」

 

 すると、マイクを持っていた女子が声をあげた。

 

「あ、はいはーい!次私が歌いまーす!あーでも、どの曲にしよ……」

 

 思わず反射的に応えてしまったが、まだ歌う曲を決めてない……。どうしようかしら。

 

「いつもの持ち歌でいいじゃん。こんなに騒いでんなら、ジャーニー歌っても皆気づかないっしょ」

 

 さっつーに言われて辺りを見渡すと、確かにこの部屋にいる人みんな各々喋って騒いでる。確かにこれぐらい騒いでるなら、私が洋楽を歌ったところで対して目立たないかもしれない。自分が歌ってる最中で誰も聴いていないっていうのは……それはそれで、少し腹が立つけど。

 

「それにウチ、久しぶりに喜多のジャーニー聴きてーなー」

「……分かった!」

 

 最終的に私の背中を押したのは、さっつーのリクエストだった。親友にここまでされて歌わないのは、私のプライドが許さない。マイクを持っている子を待たせるのも悪いし、と私は覚悟を決める。急いで曲を検索しタブレットに入力して、ステージの方へ向った。

 部屋の奥は少し壇上になっていて、小さなスペースがある。壁に貼り付けられた少し大きなテレビ画面には、自分が予約した曲名が表示されていた。

 スピーカーから流れるイントロは、優しく、そして鋭いピアノの旋律。

 なんだかこの曲を聴くのも歌うのも、随分久しぶりな気がする。最後にこれを歌ったのは……去年のクリスマス会の時のカラオケだったっけ。

 

「喜多さーん、この曲何ー?洋楽ー?」

 

 ステージから一番近いソファに座っていた女の子が首を傾げながら聞いてくる。

 

「そう!私が大好きな持ち歌なの。Journeyの『Faithfully』」

「へー」

「全然知らねー。昔のバンド?」

「あたしら英語全然わかんないよー!」

「この間の中間、クラス最下位だもんな」

「あー言うなし!」

 

 分かっていたことだけど、案の定ここにいる人達みんなJourneyを知らないみたい。私は少し肩身の狭い気分を味わいながら、マイクを受け取って曲が始まるのを待つ。

 

「喜多さん、曲名の意味はー?」

「えっとね……ちょっと意訳になっちゃうけど、私風に言うなら……『誠実な愛』かしら!」

 

 誠実な愛。カズ君はざっくりと『誠実』って訳してたけど。私ならそこに『愛』を付け足したい。だって、Journeyのこの歌は、愛しい人との切実な愛を歌ったものだもの。

 ……うん。今日は、課題とか上手くなるために歌うとか、練習みたいなのはなしで。

 ただただ、自分が気持ちよくなるために、この歌を歌おう。不安や悲しみ、そういった胸の中に溜まり続ける澱みも何もかも、吐き出す気持ちで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺、喜多さんの歌を聴いたの、その時が初めてなんすよ。

 前々から、男子達の間じゃ『新入生で歌が得意でその上可愛い女の子がいる』っていうのは噂になってたんです。入学当時から、喜多さんは有名人でしたから。男に担がれて朝登校してきたとか、軟体生物と一緒に音楽室でギター練習してる……みたいな、変な噂もあったんですけど。

 まあそれはともかく、あのルックスで、人当たりもよくて、それでフォロワー数3万を超えるインフルエンサーって聞いて、気にならない男がいないわけないでしょ?それでいて、当時はロックバンドをやってるってんで、バンド活動をするためにレッスンとかバイトとか、チケット販売してるとか色々してるって言うのは噂でも聞いてたんです。なんつーか、すごい努力家だーって感じが、噂でもよく伝わってたんですよ。

 ルックスも良くて性格もいい?そんな男の理想を絵に描いたような女の子が、同じ学年にいるって聞いて、もう性欲お盛んな男子達はこっそり牽制し合いながら彼女と接点を作るために色々してたと思います。

 俺も当時はその一人で、部活もやってなかったから彼女を作ることを目指して色々やってました。髪の毛染めたりとか、カラオケとか合コンにしょっちゅう参加したりとか。結果?……まあまあ、それはお察しですね。

 とにかく、たまたま誘われたカラオケに、喜多さんがいた。俺は舞い上がっちゃって、これを機にお近づきになれないかなーって思ったけど、佐々木さんに追い払われて。

 でもワンチャンないかなーってチャンスを狙って待ってたら……喜多さんが、マイクを持って歌い始めたんです。

 

 そしたらですね。あれだけ騒がしかったカラオケルームが少しずつ静かになり始めたんです。

 

 最初に静かになったのは、俺のダチでした。自分の隣で馬鹿笑いしていたのに、急に喋らなくなったからなんですよ。脊髄で言葉を話しているみたいな、お喋りが大好きな奴が急に黙って……。

 なんで急に静かになったんだ、って疑問も、すぐに答えはわかりました。喜多さんの歌が聴こえたからなんです。

 それだけじゃなく、部屋の中にいた俺のツレとか、他のクラスメイトとか、騒いでた女子達が一人ずつ喋らなくなって、最終的にしんって。映画館の劇場の、上映が始まる直前みたいでした。全員で予め決めてたみたいに静かになって。まるで、みんな魔法にかかったみたいに、喜多さん以外に目がいかなくなったんです。

 喜多さんの歌を集中して聴くために、皆黙っちゃったんです。……いや、嘘みたいでしょ?でも本当なんですよ。

 最初に思ったのが、本当に大きくて強い声、って感じでした。

 カラオケのスピーカーを通した音だったからじゃなく、喜多さん本人の歌声が滅茶苦茶強い音だったんです。あんな声量でカラオケを歌ったら、普通反射的に耳を塞ぎそうになると思うんですけど、喜多さんの歌声はそれが全然ないんですよ、不思議なことに。それでいて、暖かくて優しい歌声だった。

 あの時のカラオケルームは、本当にうるさかったんです。笑い声とか、お喋りとか、お菓子食って騒いだりとか、とにかく本当に雑音まみれの空間だったんです。

 なのに、喜多さんの歌声だけが、――何故か、はっきりと聴こえてきたんですよ。まるで矢になったみたいに、一直線に俺達の耳に響いてきたんです。周りの雑音を貫いて、かき消してしまった感じで。

 歌う言葉は英語だったんで、どういう意味の歌詞だったのか、当時は知りませんでしたけど――でも、喜多さんの歌声を通して、何を歌っているかは何故か理解できたんです。矛盾してるかもしれないんですけど――そう、言語の垣根を飛び越えて頭に直接想いをぶち込まれたような……。

 きっと、あのカラオケルームにいた全員、似たようなことを思ったんじゃないですかね?唯一佐々木さんは、「どうだー」って感じでニヤニヤ笑ってたんですけど。

 それで歌い終えた喜多さんは、カラオケの点数表示で……確か、96点くらいでしたね。それを見て「100点いかないかー」って少し残念そうに笑って……いやいや、洋楽歌って90点台は凄すぎるでしょ!?って全員が思ったと思います。

 で、そこでやっと俺達が無言で喜多さんの歌に聴き入ってたことに気付いて……そうです、顔を真っ赤にして部屋から出て行っちゃいました。

 後日、なんで部屋から出て行ったんだーって聞いてみたら……「下手な歌を聴かれたと思って恥ずかしくて逃げちゃった」って。

 信じられないでしょ?こっちはカラオケルームに急にプロが現れたんじゃないかと思えるぐらいの衝撃だったのに。驚きすぎて拍手することも忘れちゃってたんですよ。

 でも、喜多さん目線で見たら騒いでたのに自分の歌で場をしらけさせちゃった風に思えたのかもしれません……。悪いことしたなぁ。

 いや本当……凄い体験をさせてもらいました。あれをタダで……いや実際は割り勘したカラオケ代か。それでたまたま同じ部屋にいただけで聴けちゃったんだから、凄いですよ。

 え?歌を聴いて俺自身がどう思ったか……。

 …………。

 少し恥ずかしいんですけど、俺は……中学の時に初恋だった女の子に振られた事を思い出しちゃいました。

 すごく悲しくて……それでも、相手の事を憎みきれなくて……やるせない哀しさで胸がいっぱいになったのを、よく覚えてます。

 それで振り返ってみると、ああ、俺今でもあの娘のことが好きなんだなぁって。変な話ですよね。カラオケの歌を1回聴いただけで、そんな感想が出てくるのは。でも、本当に聴いて良かったと今でも考えます。

 喜多さんのあの歌は、きっと本人はその気はないでしょうけど、俺のそういう無意識に無視していた大切な物を、肯定してくれたんです。

 ……はい。おかげで、すっかり喜多さんのファンになっちゃいました。ついでにJourneyのアルバムも全部買っちゃってます。

 それで今度はライブに行って。そこでもまた脳を焼かれるような歌を歌ってくれて、今度は結束バンドのファンになっちゃいまして。

 それでほら。俺のファンクラブの会員証。1桁ナンバーっす。すごくないっすか?ああ、いや、さすがに佐々木さんのNo.3には負けますけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下に出ると、あちこちから防音が効いた壁を突き破る音の振動が響いている。私達がレンタルした部屋から少し離れた場所に、小さなベンチが置いてあった。

 カラオケルームから急いで飛び出してきた私は、額に滲む汗をそのままに座り込んで。壁にもたれかかって。

 

「……やっちゃった」

 

 落ち込んだ。

 陰鬱な気分とは対象的に、頬が熱い。久しぶりに全開でカロリーと喉を使って歌ったから――だけじゃない。

 普通に白けさせてしまった。あんなに騒がしかったカラオケルームが、まるでお通夜かと錯覚するぐらい静かで。なのに全員の目が私の方に集まっていたのだ。部屋は薄暗くて皆の表情はあんまり良く見えなかったけど!でも絶対ドン引きしてる!

 カラオケに行けば高得点は当然、盛り上げることに定評のある私が!白けさせちゃうなんて!生涯の恥よ恥!

 

「あああ~~~ばかばかっ、ジャーニーなんて中学のクラスの子達しか知らないのに!あ~もう、明日からどんな顔して教室に行けばいいのよ!」

「いやー、見事に静まり返っちゃったねー」

「……さっつー」

 

 声がした方を振り返ると、今回の元凶とも言えるさっつーが立っていた。私を追いかけてきてくれたみたい。

 

「みんな喜多の歌がうますぎて、びっくりしちゃったみたいだね~」

「そんなわけないでしょ……」

 

 私が反論すると、さっつーは何が面白いのか口端を笑みで滲ませながら私の隣に座る。

 

「つっても、逃げるほどじゃなかったでしょー。実際、点数もほぼ満点だったじゃん?」

「だってぇ……」

 

 16年間生きてきて、カラオケでは何度も歌ってきた。通い詰めていたと言ってもいい。盛り下がったことなんてほとんどない。だから部屋があんなに白けるなんて、生まれて初めての経験だった。これがもし、例えばSTARRYのライブで……私が歌い終えて顔を上げたら、お客さん達が皆白い目でこっちを見ていた……そんな想像をしただけで寒気がしてしまう。

 

「もう今日はこのまま帰る……どんな顔して部屋に戻ればいいか分からないもの」

「うーん、なんかウチが知らない間にずいぶん自信がなくなってるな……。そんな悪くなかったって!めちゃくちゃ良かったって!」

 

 さっつーが励ますように肩をぱんぱんと叩いてくれるけど、私の気分はちっともあがらなかった。

 

「でもさ、喜多、楽しそうだったよ?」

「え?」

「うん。ピアノとかギター弾いてる井上みたいだった」

「……」

 

 カズ君みたいに、歌えていたのだろうか。私の憧れの男の子と、同じように。

 そう言われて改めて私は今の歌を振り返る。

 声の抑揚は上手く出来たと思う。いつもよりまっすぐに喉を使えてた。呼吸もしっかりやって、強く音に芯を入れて歌えてたと思う。

 それになにより――。 

 

「うん……私も久しぶりに、楽しかったわ」

「そりゃよかった」

 

 さっつーはそう言ってにかっと笑って、私も釣られて笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教科書教科書……」

 

 次の日の放課後。レッスンに向っている途中で、教科書を忘れてしまっていたことに気づいた私は、廊下を駆け足で自分の教室に向っていた。

 明日は小テストがあるので、予習をするために必要。レッスンには遅れるから先生にお小言は貰いそうだけど……しょうがない。

 イヤホンから流れるサンボマスターの曲を聴きながら、自然と階段を昇る足はリズムを刻む。

 誰も廊下に人がいないのをいいことに、鼻歌でご機嫌に歌いながら私は廊下を進んで、自分の教室の前に来た。

 そのまま扉に手をかけようと思った、その時、教室の中から声が響いた。

 

「つーかさ、今日の吉野、機嫌悪くねー?やっぱ喜多がいるからー?」

「言えてるー!ずーっとむすっとしてるし、どーしたん?」

 

 自分の名前が不意に聴こえて咄嗟に、反射的に扉に指かけた手を引っ込める。中から見えないようにこっそり扉の隙間に息を潜めて目を寄せると、教室の奥の窓際に4人ぐらいの女子達がおしゃべりしていたのが見えた。

 

「悪くなってねーし。別に」

「えーうっそだー。昨日のカラオケから、ずーっと不機嫌なまんまじゃん」 

「きっとあれでしょ。高藤絡み」

「ちっげーから!」

「中学の時に振っといて、今更好きになっただなんて自分から言えねーもんねー」

「何、吉野嫉妬してんの?ジェラシー?」

「そろそろ殴るよ」

「きゃー怒ったー!」

 

 派手な格好をした女の子達がきゃーと沸いた。他の3人は知らない顔だ、別のクラスの子かしら?でも中心にいるあの吉野って呼ばれた子は、昨日のカラオケにいた……。

 

「高藤も高藤だよ!あんな大したことがない奴のどこがいいんだか……歌も別に、そこまでよくねーのに、昨日のカラオケのことばっか話しやがって……」

 

 え。

 

「え、歌?どゆこと」

「なんかー、昔動画でバズったんだってー喜多ちゃん」

「へーすご。さすがインフルエンサー。つってもあたし、聴いたことないけどー」

「あたしもー」

 

 げらげら。げらげら。

 

「つーか吉野、喜多ちゃんのライブ行ったことあるんでしょ?新学期初日の奴」

「別に。クラスのやつに無理やり誘われて行ったことがあるだけだし」

「どーだったの?」

「うまかった。でもそれだけ」

 

 手が、自然と拳を握っていた。手のひらに自然と爪が突き刺さって、痛い。

 

「ギターもぱっとしねーし、歌は普通だし……。なんつーかさ。独りよがりみたいな歌だった。聴いてるうちらを置き去りにしてるみたいでさ。記憶に残んないわ。もっと空気読めっつーの」

 

 それ以上、聞いていられなかった。私は錆びた画鋲のように痛くて汚れた声から逃げた。リノリウムの廊下を足早にかけて、とにかくあの声から逃れたかった。

 気付いたら、校門の前に戻っていた。

 遠くから雷の音が聞こえる。さっきまで晴れてたのに、空がいつの間にか鈍色の雲でいっぱいになってる。今日、天気予報で雨は降らないって言ってたのに。傘持ってきてないや。

 手元には教科書はなかった。取ってくるの、できなかったな。

 

「レッスン……行かなきゃ」

 

 今から走れば電車間に合うかな。先生のレッスンに遅れたくない。

 あれ。もう雨が降ってきた。まだ小雨だけど、多分夜には本降りになりそう。コンビニで傘買わないと……。

 大丈夫。私は大丈夫。悔しくなんかない。

 だから、涙なんか出るな。心に蓋をしろ。レッスン室に着くまでには、明るくて元気で、頑張り屋の喜多ちゃんに戻らなきゃ。

 だからサンボマスター、お願い。私を元の私に戻して。

 イヤホンを耳の奥に押し込む。音漏れも気にせず、ボリュームを上げた。

 私のこの陰鬱な気持ちをふっとばして……お願い……。

 

 世界を変えさせておくれよ……そしたら君と夢が見たい……

 

 世界を変えさせておくれよ――そしたら君とピアノにのぼって――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 記憶というものは、声から忘れていくというのをネットで読んだことがある。

 なら、私の歌声を、カズ君はいつまで覚えていてくれるんだろう?

 

「カズは、アメリカに行ったら何するの?」

 

 春休みのバイト中、リョウ先輩がホールの片付けをしていたカズ君にそう尋ねたことがある。

 仕事の最中に雑談をするのはよくないことだと頭では分かっていたが、私も気になってしまってテーブルを片付けながらカズ君の話に耳を傾けた。

 

「んー……とにかく、向こうの英語を日本語と同じぐらい喋れるようになりたいですね。あと、バイトして金を溜めまくって、アメリカの色んなレコードショップとか巡ってみたいです」

 

 なんだかロックオタクのカズ君らしい答えだと思った。

 

「それで……アメリカにいる色んなプレイヤーと一緒にセッションして。聴いたこともない音楽をたくさん演りたいです」

 

 その答えにリョウ先輩は少し唖然としていたけど、すぐに嬉しそうに笑った。

 

「いいじゃん。さすが私が認めた男。いつか私もそっちに行くから、その時は案内よろしくね」

「もちろん」

 

 リョウ先輩はそう笑ってカズ君の肩を叩いていたけど、私はこの時、胸の中が焼けて乾いていくような焦燥が灯っていた。

 カズ君は2月にSIDEROSでボーカルをして以来、今まで以上に音楽に積極的になったと思う。あれだけ嫌がっていたデュエットも私が頼めばやってくれるようになったし、動画に出ることも積極的にやってくれるようになった。

 その時までは「練習に意欲的になったな」ぐらいにしか思ってなかったけど。

 

 置いていかれる。

 

 カズ君の言葉を聞いて、直感的にそう感じたの。この幼馴染は、きっとアメリカに行ったら帰ってこなくなるな、って。

 そんな焦りの中でもがむしゃらにギターを頑張って。先生に師事を受けて、これまで以上に自分を律してボーカルとギターに打ち込んできた。一分一秒も無駄にせず、まっすぐに突き進んできたと自分でも思えてる。

 

 記憶に残んないわ。

 

 無責任で否定的で、私を傷つけようとする言葉をぶつけられるのは初めてじゃない。

 SNSをやってるだけでやっかみのようなコメントをされたことがあるし、理不尽な嫉妬の感情を投げつけられたことだってある。

 でも、あれが私の人生で一番効いた。

 

 記憶に残らないって何?つまらない歌ってこと?私の歌が?それとも結束バンドの演奏が?

 

 ――私は、未練がましくスマホに残していたSNSのアプリを全部その日のうちにアンインストールした。

 

 

 

 

*1
ビートルズファンのこと。特に熱狂的なファンを指した言葉。

*2
「ハリー・ポッター」シリーズに登場する、時間移動を可能にする魔法道具。

*3
日本の音楽ユニット、CHAGE and ASKAの通称。




作中に登場したバンド名&曲名
 Bob Dylan - Master Of War
 The Beatls - Blackbird
       - Yesterday
       - Here Comes the Sun
 Journey - Never Walk Away
 吉田拓郎 - 明日に向って走れ
  - 純
 YUI - feel my soul
 Akeboshi - Wind
 山下達郎 - 僕らの夏の夢
 Slipknot - Dead Memories
 BUMP OF CHICKEN - 記念撮影
 CHAGE and ASKA - YAH YAH YAH
 Journey - Faithfully
 サンボマスター - 世界を変えさせておくれよ

 最期まで、どうもロックは止められぬ(穴山の手形感)

 

 前回の幕間にたくさんの感想、評価、誤字報告、ここすき、Xでの感想ポストありがとうございます。低評価入れた人はFU【不適切な表現】ou。



 おまたせして申し訳ない。中途半端で喜多ちゃん曇ったままですが、晴れさすまでかなり文字数が必要なのでここで区切って初投稿です。
 プロット自体は出来上がっていますが、文字起こしに滅茶苦茶時間がかかってること、仕事や祖母の介護とか色々してるうちにモチベーションが下がってしまい…今日まで時間がかかってしまいました。
 趣味の時間がもっと欲しい。いっそニートになるべきか?割とそう考えている今日このごろです。

 次こそ喜多ちゃんが晴れ模様になります。Here Comes the Sunです。
 しばらくまた間が開くと思いますが、よろしければ気長にお待ちください!



 ↓いつものコピペ宣伝

Xのアカウントでのんびり呟いてます。

X(旧Twitter)

 カーラジオと言う名義で作ったアカウントです。ここではその時の気分で聴く曲を垂れ流したり小説の更新予告をしたりぼざろのイラストを無限リポストしてます。この小説内で紹介しきれなかったロックもここに載せていくつもりなので、よければフォローとかしてくれると嬉しいです。
あと、オススメ曲とかあればぜひこのアカウントに送り付けて欲しい。DMでもリプでも、推し曲があれば良ければ教えてください。絶対に聴きますので。

 あと、活動報告にて推し曲募集中です。どうぞ、どしどし送ってください。

喜多ちゃんに推したい音楽

 ここすき、Twitterで宣伝、感想などで幸福度を上昇させてるので、たくさんもらえればきっとモチベーションが上がるのでください(正直)
 


 それではいつもので〆させていただきます。

 
 感想もっともっともっと欲しいんだ……!
 高評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)


 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

【本編一旦完結】たすてけ勇者一行がくぁwせdrftgyふじこlp【原作更新待ち】(作者:丹羽にわか)(原作:葬送のフリーレン)

フリーレン世界の魔族にTS転生した。してしまった。人類種の天敵──相互理解なんて不可能な、ヒトを喰らう狡猾な獣に。ヒトのココロを持って。▼(完璧に隠蔽して引きこもってる筈なのになんで勇者一行がくるんだぁぁぁぁ!! 嫌だァァァ!! 死にたくないぃぃぃ!!)▼(他の魔族が絶滅して存在が忘れられてから外に出ようと悠長に構えてたのが悪かったのか!? でも仕方ないじゃ…


総合評価:70934/評価:8.98/完結:46話/更新日時:2025年12月05日(金) 20:44 小説情報

ドラゴンボールad astra(作者:マジカル☆さくやちゃんスター)(原作:ドラゴンボール)

ただの村娘として何もしらぬままに生き、死ぬはずだった。▼前世の記憶など思い出すはずもなかった。▼それは本来ならば自らが異分子である事にすら気付かないはずの小さな異分子――のはずだった。▼しかし歴史を捻じ曲げる者達の暗躍により、それは自らが何者かを悟り、そして『原作』への介入を開始する。▼卵が先か鶏が先か――。▼運命を変えたから彼女が目覚めてしまったのか、彼女…


総合評価:62425/評価:9.22/完結:176話/更新日時:2024年02月27日(火) 20:00 小説情報

やっぱ呪術界ってクソだわ(作者:TE勢残党)(原作:呪術廻戦)

Q.一般人の感性を持った転生者が利権、因習、政治、既得権益、男尊女卑の中を生き延びる方法▼10/5追記:世界一位様に「空閑徹」「舞屋レア」「加茂日和」のファンアートをいただきました。ありがとうございます。▼【挿絵表示】▼【挿絵表示】▼拙作の表紙を作成頂いた柴猫侍@ハーメルン様のファンアートはこちら。▼【挿絵表示】▼【挿絵表示】▼【挿絵表示】▼【挿絵表示】▼重…


総合評価:29878/評価:8.88/連載:62話/更新日時:2025年08月26日(火) 07:03 小説情報

ギターヒーロー(作者:右から左へ)(原作:僕のヒーローアカデミア)

ヒロアカ世界でぼっちちゃんに転生したTS転生者の話▼2話終了の短編(予定)▼もう少しだけ続けます▼


総合評価:27854/評価:8.97/連載:20話/更新日時:2026年04月17日(金) 21:21 小説情報

娘のバンドと対バンしたい(作者:肉野郎)(原作:ぼっち・ざ・ろっく!)

ぼざろの二次創作読み漁ってあることに気づいた俺。▼定番の幼馴染オリ主、兄妹や親戚、友達、恋人、師匠系キャラetc…色々あって色んなキャラがいて面白いけど、そういやぼっちちゃんのお父さんが目立つ作品なくね?と気づく。▼原作では、元バンドマンでギタリストで作曲まで担当してるのにスルーされがちで勿体無いし、この設定を使わない手はないと思い、誰も書かないなら俺が書い…


総合評価:2170/評価:7.85/連載:37話/更新日時:2026年05月19日(火) 00:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>