全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。   作:雨糸雀

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62. 聖都でもっとも長い一日Ⅰ

「――え、明日もう試着できるのか?」

「うむ、そう言っておったぞ」

 

 その日の昼、〈グリフィス工房〉から戻ってきた師匠が思いがけない吉報をもたらしてくれた。俺の新しい義足が完成目前となり、ためしに装着して最終調整する段階に入れそうだという。

 

「最後の仕上げをする前に仮合わせして、装着感とかいろいろ確かめたいそうじゃ……んー、んーっ」

 

 俺の部屋に入ってすぐのところで、師匠が壁のフックに帽子を引っかけようと背伸びしている。あたかもここが自分の部屋であるかのように、そうすることに対してなんの疑問も違和感も抱いていないご様子だ。最近の師匠は必要さえなければ自室へ戻ることも少なくなり、ここで俺とルームシェアしているような暮らしぶりを送っている。

 

 なんとか帽子を引っかけられた。師匠はくるりと振り返って胸を張り、

 

「術式の方は、試運転含めてぜんぶ終わったのじゃ。……あの意地悪で性悪でさいてーな術式はもうこの世に存在しないから、ウォルカも安心してよいぞっ。ぜんぶわしの術式なんじゃから! わしのっ!」

「お、おぉ……お疲れ様」

 

 ふんかふんかと己の実績をアピールしている。いや師匠がやたらめったら目の敵にしていただけで、俺は元々の術式でも嫌悪感とかはなかったんだけど……まあなんにせよ、師匠が達成感を得ているのはいいことだな。

 

「でもたしか、最初は完成まで一ヶ月以上かかるって話だったよな」

 

 無論、一日でも早く義足が完成するのならそれに勝るものはない。しかし師匠の術式メンテ、アンゼの星銀調達、ユリティアとアトリの素材集めといった各種サポートがあったとはいえ、予定より半分の日数で完成目前まで漕ぎつけられるものなのだろうか。

 

 師匠は幼女モード寸前から速やかに復帰し、

 

「うむ……わしも職人のことはよくわからんが、クラエスタの仕事ぶりが常軌を逸しているようじゃ。それに他の職人たちも感化されて、工房全体が火花をあげるようになっておった」

「……」

 

 鬼気迫る、という言葉でしか言い表せない状態だとは聞いているが、

 

「あれは完全に、全神経が常人とは隔絶した領域に入っておるな。極限の過集中状態……剣を握ったときのおぬしと、少し似ておるかもしれん」

 

 ――義足は、わたくしのすべてを懸けて完成させます。最高の義足を、必ずあなたに。

 

 クラエスタの誓いが脳裏に甦る。死にゆく間際のラムゼイが、クラエスタにどんな言葉を遺したのか詳しいところはわからない。しかし命と引き換えに託されてしまったその重みが、彼女の潜在能力を覚醒させて新たな境地へ至らせた――そう考えれば得心がいった。

 

「俺に似てる……か」

 

 そうなのかもしれない。言葉は違えどもあのおっさんから託されてしまった者同士だし、俺が剣を握るたびに染まるあの感覚だって、要はひとつの過集中状態といえるだろう。ならば今のクラエスタも、一切の雑念が消えた白い世界の中で槌を振るっているのだろうか。

 

 応えないとな、と思う。

 

 吸血鬼(ヴァンパイア)の魔の手がいつ聖都に届いてもおかしくない今の状況。俺は時と場合で変幻自在に手札を変えられるわけでもなければ、一枚でなにもかもひっくり返すようなチート能力(ジョーカー)を隠し持っているわけでもない。剣というたった一枚のカードしか持たず、かつそれを研ぎ澄ます以外の能もないのがこの俺だ。

 

 体と思考に馴染んだ真白の境地。この先いつなにが起こるとしても、どれほど強大な魔物が立ち塞がるとしても――俺に為せるのはただ、一切無我の先で剣を振るうのみ。

 

「ちょ、ちょっとウォルカ、またオーラみたいなの出てるってばっ」

「……と、悪い。つい」

 

 師匠に怒られて俺は正気に返る。どうもロッシュとの手合わせ以来、剣のことを考えるだけで無意識に雰囲気が変わってしまうようだ。本音を言えば、なんか凄腕の剣客みたいで悪くないのでは……? と内なる中二心がザワついているのだが、こうして意図せず場の空気を悪くしてしまう点は注意が必要だろう。

 

 ここ数日で判明した限り、これをやらかすとユリティアは呼吸がおかしくなるわ、アトリは捕食者の目で睨んでくるわ、アンゼは視線を合わせてくれなくなるわと散々だからな……。あんまり人前では出さない方がいい、と忠告してくれたディアは正しかったのだ。

 

「もぉ。ウォルカは、ほんとにっ……」

 

 師匠はどこか湿っぽい息をつき、スカートの上で両手をきゅっと握り締めた。それからなにかとても大きな感情をこらえるように、唇を引き結びながらしばらくのあいだ沈黙して、

 

「……そ、それじゃあ、わしはシャワーを浴びてくるからっ。ちょっと汗もかいちゃったし……」

 

 あからさまにぎこちない笑顔で、そそくさと部屋を出て行ってしまうのだった。し、師匠にまで逃げられた……これは本格的に気をつけなければ……。

 

 というわけでそれからしばし、オーラのオンオフ切り替えをマスターすべくベッドでうんうん唸っていると。

 

「ウォルカちゃん、お昼ができたわよ~」

 

 当宿のオーナーであるロゼが、わざわざ一階から呼びに来てくれた。このところ不穏な空気が立ち込める聖都の中で、ロゼは不安がるでも悩むでもなくいつも通りに生活を続けている人物の一人だった。親しみと優しさに満ちた甘い微笑みが、今まで以上に俺たちの毎日を支えてくれている。

 

「ありがとう。師匠がシャワーを浴びてるから、戻ってきたら行くよ」

「りょーかい。……また座禅? ウォルカちゃんってほんとストイックよねえ」

 

 〈ルーテル〉が壊滅してからおよそ一週間が立ち、聖都でも次第に住人の二極化が始まりつつある。すなわち聖都こそがもっとも安全と信じる者と、少しでも危険が少ない場所――王都や国外へ避難しようとする者だ。港に出入りする連絡船は数日先まで部屋が埋まり、せめて陸路でもいいから王都まで逃げようと、平時の十倍以上の報酬で護衛を募っている商人もいると聞く。

 

 ただ俺の周りに限っては、聖都から脱出した人も、しようとしている人も今のところは一人もいない。……まあ、「逃げていいんだったら今すぐトンズラしたいよ~」と泣き言を言って、シャノンに襟首引きずられていった情けないおっさんは約一名いたけれど。

 

 ロゼも、聖都やこの宿を捨てて逃げるつもりは毛頭ないようだった。俺たちを置いて自分だけ逃げるのは大人として失格だから、とは言っていたけれど、本当にそれだけが理由なのだろうか。

 

「……ねえ、ウォルカちゃん。もし聖都が吸血鬼(ヴァンパイア)に襲われたら、アナタはどうするの?」

 

 ロゼが出し抜けにそんな質問をしてくる。口元にはあいかわらずの笑みを浮かべていたが、持ち前の明るさが少し鳴りを潜めていて、単なる雑談で話を振られたわけではないとわかった。

 

 答える。

 

「ここには聖女様も騎士隊もいるし、この体ででしゃばるつもりはないさ。……でも、戦わないといけない状況に陥ったときは、迷わないと思う」

「……そう」

 

 肯定とも否定ともつかない静かな反応。普段から絶えず明るいオネエキャラで売っているロゼだが、ふとしたときにこうして輪郭の掴めない影を見せることがある。腕を組み、瞳の焦点をここではないどこか違う場所へ移して、

 

「ねえ……ひとつだけ、お節介を言ってもいいかしら?」

 

 俺も静かに頷く。ロゼの焦点がますます遠くへぼやけ、

 

「戦っちゃダメ……なんて、わからずやなことは言えないけれどね。アナタがその怪我をしたときと同じような戦い方は、もう絶対にしちゃダメよ」

 

 片目と片足を失ったとき――すなわち「どうせ死ぬのなら」とすべてを捨てて、後に記憶が蒸発するほどの死に物狂いとなったあのとき。

 

「最近、リゼルちゃんたちがだんだん立ち直ってきてると思ってるでしょ?」

「……違うのか?」

「半分は正解で、半分は違うわ。ヒビが入ったままの心を陰に隠して、がんばってアナタの後ろを追いかけようとしてるだけ。本当の意味で立ち直ったわけじゃない……大切な人を目の前で喪いかけた恐怖って、そう簡単に吹っ切れるものじゃないと思うの」

 

 ……そうだな。そうなのかもしれない。俺が師匠たちの立場だったとしても、吹っ切ろうと思って吹っ切れるほど単純な話ではないのかもしれない。

 

「アナタがまた危ない目に遭うんじゃないかって、本当は怖くて怖くて仕方ないはずよ」

 

 一度命を投げ出す馬鹿をやった人間が、満足に動けもしない体のくせして今度は吸血鬼(ヴァンパイア)との戦いを見据えている。心配するのも無理はないし、引き留めたくなるのが仲間として当然の感情でもあっただろう。

 

 だが、それでも師匠たちは、

 

「剣を握るアナタの気持ちを理解しているから……引き留めるんじゃなくて、一緒に歩こうとしてるんでしょうね」

「……」

 

 こうして誰かに諭されるたび、あのときの俺は本当に馬鹿な間違いをしたもんだと心底痛感する。そうする以外に方法がなかったとはいえ、勝手に命を捨てようとした代償が今の有様だ。本当に贖罪が必要なのは、師匠たちではなく俺の方ではないのかという気さえしてくる。

 

「覚えておいて。――自分の命を犠牲にするような戦い方じゃ、誰かを守ることはできても、救うことはできないものだって」

 

 徹頭徹尾、ロゼの言うとおりだった。

 

 「死んでもいい」「どうせ死ぬのなら」などと、やけっぱちな気持ちで戦う真似は二度とやってはいけない。今の俺は、それがどれほど間違った考えだったのかを身に沁みて理解している。命を捨てて仲間を救った気になったところで、遺された側が本当の意味で救われるなど都合のいい思い込みに過ぎなかった。

 

 ふと、ラムゼイの言葉を思い出した。この体でも前に進むと決めた以上、途中で折れれば、信じてついてきてくれたみんなまで巻き込むバッドエンドだと。

 人間だろうと魔物だろうと、敵はすべて叩き潰して踏み越えていかなきゃならないのだと。

 

 いま思えばあれは、俺が剣士で在り続ける理由をこの上なく代弁してくれていたのかもしれない。

 

 拳を握り、答えた。

 

「ああ。『死んでもいい』なんて、もう頼まれたって二度と考えないさ」

 

 生きろ、なんて言い遺されちまったことだしな。このクソッタレな世界で、グレンみたいに……とまでは言いづらいけど、精々足掻きながら生きてやるさ。

 

「覚えておくよ。忘れない」

 

 どうやら合格点の回答だったらしい。ロゼは真剣な眼差しを解きながら吐息して、

 

「……今の若い子って、みんなこうなのかしら? なんだか昔のアタシが恥ずかしくなってきちゃうわ~」

「そうか? 今のロゼを見てると、こっちの方がぜんぜん敵わないって思うけどな」

 

 仮に俺がこのまま年を取ったとしても、ロゼみたいなデキる大人には到底なれないと思う。昔の彼がどんなだったかは知らないけれど、俺よりかはよっぽど大人びて立派な青年だっただろうに。

 

 ……昔のロゼ、か。

 

「なあ。ロゼって、この宿屋を始める前は――」

「やあねえ、前にも言ったでしょ。アタシは今の昔も、大して強くもないただの人よ。いいかっこしいなだけ」

 

 やっぱり教えてはもらえないか……。俺たちのことを信用していないわけではない、と思う。おそらくロゼは、相手が誰であっても自分の過去を話したりはしないんだろうな。人間関係において過去を捨てて、記憶の中だけにそっとしまい込んでいる感じがする。

 

 何年経とうとも決して消えることのない、諦めにも似た後悔とともに。

 

「それじゃあ、お節介な話はおしまい! リゼルちゃんが戻ってきたら、早く食べに来るのよ」

「……ああ」

 

 まあ、人に言えない過去があるのはお互い様だ。なんにせよ、まずは目の前の脅威をみんなで乗り越えないとな。人類最強格の聖女が守護してくれてるからって、あの『原作』の世界で油断していい理由はどこにも存在しない。

 

 吸血鬼(ヴァンパイア)だろうとなんだろうと、これからもみんなと一緒にいるために――。

 生きるために、戦うのだ。

 

 

 

 /

 

 太陽が真南からやや傾き、聖廷街(せいていがい)の一日でもっとも活気ある時間帯が終わりに近づきつつある。

 

 今は状況が状況だけにどこか強張った空気が漂ってはいるものの、この聖都の中心部に関していえば、普段と大きくは変わることなく正常な営みが維持されている。大半の店は今日も店先に旗を掲げて営業しているし、運河では船が絶えず人と物を運んでいるし、大聖堂は大きく門扉を開いて人々の礼拝を受け入れている。強いて言えば観光客の姿が見当たらなくなったが、一方で避難民が増えているためか、『街から人がいなくなっている』という印象を抱く者はほとんどいないだろう。

 

 そんな聖廷街(せいていがい)から豊穣街(ほうじょうがい)へ向かう道を、船ではなく歩いて移動している三人の冒険者がいる。オレンジ色のサイドテールを揺らす女性、赤髪の美丈夫、金髪の大男という取り合わせである。オレンジの女性がいささか早めの歩調で先頭を進み、男二人がなんとかついていこうとひいこら両足に鞭を打っている。

 

 元Aランクパーティ〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉のフリクセル、レックス、ディーノである。

 

「ちょっとあんたたち、もうヘバったの? まだお昼過ぎたばっかじゃない!」

 

 男二人の足取りがあまりに情けないためか、フリクセルが後ろを振り返ってため息混じりに叱責した。冒険者が疲労困憊となるにはまだ早すぎる時間帯だが、男二人はとっくに言い返す気力すら失っているようで、

 

「あ、足が……足が痛い」

 

 レックスが息も絶え絶えになりながら、そしてディーノがしわしわになりながら辛うじて反応する。

 

「ここ数日、食って寝る以外ひたすら動き回ってんだぞ。つ、疲れが取れねえ……むしろなんでてめえはピンピンしてるんだよ」

 

 対してフリクセルは小鼻で笑う。

 

「あたしはどっかの誰かさんと違って、好き勝手散財しまくりの放蕩生活なんてしてませんでしたもの~。あんたらの体力が落ちただけでしょ」

「「うぐっ……」」

 

 豊穣街(ほうじょうがい)に設営されている避難民キャンプを、有志として朝から手伝っている真っ最中だった。

 

 人間に敵対的な魔族である吸血鬼(ヴァンパイア)の出現によって、現在の聖都は周辺の街々から殺到する避難民の対応に追われている。豊穣街(ほうじょうがい)の土地がキャンプとして開放されてからというもの、仮設テントの数は日に日に増え続け、もはや高台から見下ろすだけでは全体を把握できない規模に迫りつつあるという。

 

 しかし〈聖導騎士隊(クリスナイツ)〉は聖都の防衛強化のみならず、〈ルーテル〉の生存者捜索や避難民の護衛など、様々な任務で忙殺される真っ只中にある。王都の〈王下騎士団(ロイヤルナイツ)〉から救援部隊が到着してはいるものの、それでもキャンプへ割ける人員には限界があった。そこで冒険者をはじめ、聖都の住人が有志としてキャンプの治安維持に協力しているわけだ。

 

 フリクセルは嘆息し、

 

「ったく……決めたんでしょ、自分たちにできることをやるって」

 

 あの審判の日からしばらく経ち、すでに〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉は釈放されて元の生活に復帰している。

 

 だがかつてAランクだった頃など見る影もなく、落ちるに落ちた先から懸命に這い上がろうと駆けずり回る毎日だ。フリクセルたちの過ちはとっくに聖都中へ知れ渡っており、いかんせんギルドの中では肩身が狭いし、商人の護衛やダンジョンの調査といった信用第一な依頼はもはや受けられない。実績をもって汚名返上するためには本職の魔法使いがほしいところだが、まさか前科持ちの現Dランクパーティにあえて入りたがる物好きが見つかるはずもなく、ましてやこちらから堂々と勧誘などできるはずもない。

 

 結果今のフリクセルたちは、聖都でもっとも立場が低いパーティとして同情されるか、おまえらのせいでこっちまでいい迷惑だと冷遇されるかのどちらかだった。

 

 正直、パーティ解散の選択肢も一度だけ浮上した。しかし〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉が今でもパーティとして活動を続けているのは、自分たちの過ちから目を逸らさないと決めたからだった。

 

 すべてをたった一人で背負ってくれたウォルカという青年は、恨み言のひとつもこぼすことなく前へ進み続けている。なのに自分たちだけ勝手に背を向けて、楽な方へ逃げ出すなどあってはならないのだと。

 

 そう最初に言い出したのはフリクセルではなく、レックスとディーノの方だったのだ。ゆえにフリクセルは甘やかさずに叱咤する。

 

「ほら、しゃんとする! そんなんであの子たちに顔向けできんの!?」

 

 ここ数日キャンプを手伝っているのも、今の自分たちにできることを考えた結果だった。レックスとディーノはいくらか顔を引き締めて、

 

「わかってるよ。……今日は帰ったらすぐ寝よう」

「おぉ、もう酒を呑もうとも思わねえぜ……」

「あら、いいことじゃないの。これを機に酒なんてやめればいいんだわ」

 

 また歩き出す。

 

 〈ルーテル〉を滅ぼした吸血鬼(ヴァンパイア)が今どこでなにをしているのか、信憑性不明の不確かな情報が飛び交っている。「逃げてくる途中で怪しい人影を見た、あれは吸血鬼(ヴァンパイア)だったんじゃないか」と訴える避難民がいれば、「夜中になにかが空を飛んでいた、あれは絶対吸血鬼(ヴァンパイア)だ」と声をあげる市民もいる。いずれにせよ敵の居所を突き止める決定的な情報は得られておらず、まさしく闇そのものを相手にしているような状態が続いている。

 

 今はまだキャンプが設営されてから日が浅いので、多少のトラブルはあれども大きな問題は起こっていない。しかしこのまま避難民が増え続ければ、不安やストレスから来る問題が次々と表面化し、誰もが疲弊して治安の悪化を避けられなくなるだろう。

 

 教会の正式な発表によれば、吸血鬼(ヴァンパイア)は『少なくとも三体以上の集団』であり、『うち一体は男』『一体は少女』『一体はすでに討伐された』ということだが――。

 

「……ん?」

 

 そのときフリクセルがふと立ち止まり、視線を道の脇に逸らした。つられてその先を追ったレックスとディーノは、〈聖導騎士隊(クリスナイツ)〉の女騎士と思われる二人組が、運河を挟んだ向こう側の建物に消えていくのを辛うじて目撃した。

 

 フリクセルたちが歩く位置からちょうど死角になるような、運河沿いの道を突き当たりまで進んだ先の建物だった。もちろんただそれだけであれば、取り立てて足を止める必要もない日常の風景だったかもしれないが、

 

「あの建物って……」

 

 ――たしか、もう随分と前から使われていないはずではなかったか。

 

 聖都の主要な通りからかなり外れ、人も船もほとんど近寄らない端の端にあるような空き家だ。当然ながら、どうして騎士がわざわざそんな場所に、と疑問が浮かぶ。

 

 建物の再利用を進めるための調査――いつ魔物が襲ってきてもおかしくないこんなときに? 避難民キャンプに運ぶ物資の保管場所――船で入っていくのも難しいあんな不便な場所を?

 

 ――人に見られては不都合ななにかをするため。

 

「「「……」」」

 

 フリクセルたちは素早く視線を交差させる。いくらなんでも突飛な考えかもしれないが、否定する材料がないのもまた事実だった。そもそもぱっと見の印象が騎士っぽかったというだけで、本当に騎士隊の人間だったのかも断言はできない。

 

 ただの勘違いならいいのだ。そのときは正直に頭を下げれば、騎士も事情は理解してくれるだろう。

 しかし、もし思い違いでなかったら――

 

「行くわよ」

 

 数秒で意思疎通を完了し、フリクセルたちは方向転換して建物へ接近する。窓が完全に壊れていて中を覗ける。自分の心臓が鼓動する音を聞きながら、フリクセルは呼吸と気配を殺して中の様子を覗き込んだ。

 

 元は店舗か倉庫だったのだろう、壁の端から端まで仕切りのない広いフロア。件の女騎士はすぐに見つかった。フロアの中央でお互いに向かい合って立ち、なにをするでもなく埃っぽい床をじっと見下ろしている。

 

 そして床には、フロア全体に及ぶほどの大きな魔法陣が描かれていた。

 

「……!?」

 

 フリクセルは浅く息を呑む。もちろん魔法は人々にとって極めて身近なものであり、街中で魔法陣を見かけるのも決して珍しい光景ではない。ただしそういった陣はすべて国の許可を得た公的なもので、個人が無断で設置すれば最悪は刑事罰の対象となる場合もある。

 

 普段誰も近寄ることのない街の死角で、騎士が隠れて魔法陣を設置する公的な理由とはいったいなんだろうか。百歩譲って空き家を使うのはいいとしても、市民が興味本位で近づかないよう周りに注意書きくらいは立てておくはずだ。

 

 では、違法な魔法陣を発見したため急遽調査しているのか。だがそれも疑わしい。

 

 二人の女騎士は一言も言葉を交わすことなく、また魔法陣を調べようとする素振りもなく、本当にただぼけっと突っ立っているだけだ。こうして陰から盗み見する限りでは、いったいなにをしているのか皆目見当もつかない異質な光景。

 

「……なんだろう。嫌な感じがする」

 

 レックスが声を低くするのも無理はない。

 

 こういった五里霧中の状況下において、フリクセルはとかく待ちの戦法を嫌う。様子見したところで事態が好転する保証はないし、むしろ経験上、さっさと行動しなかったばかりに後悔するケースも少なくないからだ。フリクセルは一息で腹を括り、

 

「なんかあったらいい感じに動いて。よろしく」

「ちょっ……」

 

 レックスとディーノにそれだけ伝え、正面のドアから中に入って声を張った。

 

「ねえ、そこの騎士様。こんなとこでなにしてるの?」

 

 てっきり驚き狼狽える反応が返ってくるかと思いきや、二人は肩を震わすこともなくゆっくりとフリクセルへ振り向いた。

 

 フリクセルは強く眉をひそめた。やはりおかしい。たとえやましい真似をしていなくても、こんな空き家でいきなりよそ者が現れたら驚くのが普通だろうに。フリクセルを見つめる二人の眼差しに、人間らしい感情がまったく宿っている気がしない。

 

 女騎士の片方が、人形のように抑揚のない声で答えた。

 

「……わかったんです」

 

 二人同時に視線を外し、ブレスレットの〈装具化(アクセサライズ)〉を解除した。

 剣。

 

「……!」

 

 フリクセルが反射的に身構える。女騎士の声が、重なる。

 

 

「「――私たち、()()()()()()()()って」」

 

 

 なんの躊躇も恐怖もありはしなかった。二人は流れる動きで鞘を投げ捨て、抜き放った剣先を一直線に()()()()()()――

 

「ぅおおおんどりゃあああああっ!!」

 

 ――突き立てる寸前、窓から熊かなにかのような勢いで飛び込んできたディーノが、大剣一閃でそれを阻止した。

 

「ッ……! ナイス、ディーノ!!」

 

 ディーノが女騎士の片方を体当たりで抑え込む。フリクセルももう一人の右腕を素早く掴み、背中へ巻き込むようにして素早く地面へ組み伏せる。どっちが騎士なのかわからない気分になりながら、

 

「ちょっと、いきなりなにやってんのよ!? なんでこんな、」

 

 息をつく暇もない。

 赤い光を雷撃のごとく迸らせ、今度は足元の魔法陣が起動した。

 

「ッ……ああもう次から次へと!!」

 

 フリクセルは腹の底から悪態をつく。冷たい魔力があっという間に隅々まで満ち、地の底へ引きずり込まれるような感覚が一気にせり上がってくる。明らかに普通の魔法ではなかった。空間自体が嫌な音を立てて軋み、魔法陣から絶えず漏出する魔力が逆巻く風を生んでいる。高位の魔法を稚拙な術式で無理やり発動しようとしている証拠だ。

 

 そして氷のように冷たいこの魔力は、術者が人間ではなく魔物であることを示している。

 

 このままでは取り返しのつかないことになる。成功したところでどうせロクな魔法ではないはずだし、失敗すれば術式が暴発して、最悪は建物が崩壊するかもしれない。フリクセルはとにかく発動を止めようとするが、肝心の術者がどこにいるのかわからず、そして捜しているだけの猶予もない。こうなったら魔法陣ごと床を吹っ飛ばすしか、いやダメだ、そんなことをしたらレックスたちも女騎士もみんな巻き込まれて――

 

 間に合わない。

 

「――〈術式破壊(デモリッション)〉」

 

 ぱし――と拍子抜けするような音を響かせて、赤い魔力が掻き消えた。

 レックスが陣の中心からやや逸れた場所に剣を突き立て、一撃で術式を破壊していた。

 

 魔法陣が砕け散る。軋みと風がぷつりと沈黙し、足元の冷たい感覚が呆気なく霧散する。絶え間なく二転三転する状況にもはや頭が追いつかず、フリクセルとディーノはその場にへたり込んでしまった。

 

 ……とりあえず、なんとかなったらしい。レックスが安堵の吐息とともに剣を引き抜いて、

 

「よかった、上手く行ったね」

「……、……ナイスよ、レックス」

 

 いま目の前に映っているのがちゃんと正しい現実なのかもわからず、フリクセルは大きく三度まばたきした。

 

「そういえばあんた、〈術式破壊(デモリッション)〉なんて使えたのね……」

「まあ、一応ね」

 

 〈術式破壊(デモリッション)〉とは、平たく言えば『魔法を破壊する魔法』である。術式に干渉して発動を阻害したり、強制的に書き換えるなどして無効化や機能不全を引き起こすのだ。

 

 一見、どんな魔法でも制圧できる万能の攻撃手段に聞こえるかもしれないが、現実はそう簡単ではない。今の世の中に広まっている大抵の魔法は、多少術式が破壊されても動くように先人が研究し尽くしたものだし、本職の魔法使いともなればそこからさらに様々な対策を施す。結果、戦闘などの一秒を争う状況下でこの魔法を活用するのは至難の業であり、「だったら術者を直接ぶっ飛ばせばいいのでは?」という論調が冒険者の間では主流となっている。

 

 だが裏を返せば、そういった対策を怠った質の低い術式であれば、〈術式破壊(デモリッション)〉が極めて有効的に働くということだ。

 

「術式がかなり粗雑で助かったよ。正直一か八かだったけど、俺でもなんとかなった」

 

 レックスは魔法剣士であり、魔法剣士とはその名の通り、剣術と魔法の両方を操るオールラウンダーである。女騎士の自殺――お互いがお互いを殺そうとしたのだから、事実上の自殺というべきだろう――を寸前で止めたディーノといい、

 

「なによ、ほんとにいい感じに動いてくれたじゃない……」

「スタミナは落ちたかもしれないけど、勘まで(なま)ったつもりはないよ」

 

 こいつらが活躍するとこなんて久し振りに見た、とフリクセルは思う。あのクソ女(アルファナ)のせいでめっきり評価を落としていたが、武器さえ握らせれば腐っても元Aランクなのだ。

 

 それからはっとする。そうだ、女騎士。

 

「ちょっとあんたたち、いったいどういうことか説明――って、」

 

 フリクセルは取り押さえた女騎士の肩を揺するも、

 

「……気絶してる?」

「こっちもだ。そんなに強く押さえたわけじゃねえんだけど……」

「じゃあ外! 術者がまだ近くにいるかも!」

「お、おう」

 

 ディーノに外を任せ、フリクセルはもう一度女騎士の意識を確かめてみる。やはり気を失っている。

 つぶやく。

 

「この二人は、なんで……」

 

 なんの躊躇いもなく、お互いを殺そうとしたのか。そのときフリクセルは、クソ女(アルファナ)の魅了魔法で正常な思考を奪われていたときのレックスたちを思い出した。まさか吸血鬼(ヴァンパイア)の仕業ではないのか、だとしたら先ほどの魔法は――。

 

 嫌な寒気が止まらないフリクセルに、レックスが推測を述べた。

 

「たぶん……今の魔法陣は、転移魔法だと思う」

「転移? でもそれって、そんな簡単に使える魔法じゃ……」

「ああ。……だからこの二人は、死のうとしたのかもしれない」

 

 話が見えてこない。レックスは強い嫌悪で表情を歪め、

 

「単純明快なやり方だよ。最低限の術式でも強大な魔法を発動する禁忌の手段――生贄だ」

 

 ――話が、見えない。

 

「……なんで、そんな」

 

 レックスは、答える代わりに小さく首を振った。辛うじて対処できたとはいえ、事が起こった以上立ち話をしている場合ではないという判断だった。

 

「考えるのは、この二人を運びながらにしよう。とにかく騎士隊に報告しないと」

 

 ――結果からいえば、偶然とはいえこの場所で魔法陣を止めるに至ったフリクセルたちの行動は、陰の英雄と称えても遜色ないほど大きなものだった。

 

 なぜならば、聖廷街(せいていがい)に強大な魔物が送り込まれるという最悪の事態を阻止したのだから。

 

 もし聖都の中心地区がまっさきに戦場となっていれば、間違いなく被害の規模も、人々の叫喚も比較にならないものとなっていただろう。

 

「嫌な予感がする。もしかすると聖都は、もうすでに」

 

 聖都の各地で、五つの転移魔法が発動した。

 




Tips:『ウォルカ』
「『死んでもいい』なんて、もう頼まれたって二度と考えないさ」(死にかけないとは言っていない)

Tips:『ロゼ』
 暗い過去を持つオネエキャラからしか得られない栄養素がある

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