長洲くんが南雲先輩を嫌っている理由は、正直当初はピンと来なかった。人柄が良くて信頼できる長洲くんが、生徒会をあまりオススメしないから距離を取っていただけで、私自身は南雲先輩のことを知らなかったからだ。
私と同じBクラススタート。それでいてAクラスへの昇格と独走。実績だけで見たら尊敬できて参考にしたくなる。
けれど、会ってみた時の第一印象は最悪だった。
長洲くんの警戒が正しかった。すぐに私を背中に隠してくれたけど、それまでの短な時間で感じた視線がいやらしかった。体を見られてると自覚することはこれまでなかったから、いやらしさの何倍も恐怖を感じてた。狙われるという未知の感覚。体が萎縮してた。
そこに上乗せで長洲くんの中学生時代の話。南雲先輩はどうやって知ったのかわからないけれど、知っていてそれを掘り返そうとするのは酷い。
今はもう、私も南雲先輩のことを嫌いに思ってる。
「長洲くんこっちだよ〜」
「遅れちゃってごめんね」
「ううん。放課後に
「あはは、正解」
「やった! このタイミングなら、葛城くんかな?」
「一之瀬調子いいね。キレが増してきたんじゃない?」
「この学校だとアンテナ張ってないといけないからね。リーダーだし」
「そうだね」
「きつくなったらちゃんと言うからね」
「……エスパー?」
「これくらいのことならわかるよ」
長洲くんのことを、それなりに見てきたんだから。
「学校のやり方を考えると、これからが本番だと思う」
「あの特別試験はオリエンテーションってことね。……そうなると、これからが大変だ」
「うん。Bクラスは優秀な生徒が多いけど、何かに突出してる生徒がいない。そこが弱みかな」
あまり自分のクラスのことを下げたくないけど、長洲くんの言ってることは当たってる。それに、坂柳さんの話を聞いて直視してしまった。団結力は学年一だけど、個々の実力は平均より上ばかりだって。
「でも、1人でできないことは2人でしたらいい。2人でもダメだったら3人で。そうやって、みんなで協力したら乗り越えていけるって私は信じてる」
「そうだね。Bクラスならそれができるはずだよ」
「うん!」
「……不安?」
「ぇ」
長洲くんの心配そうな表情にドキッてする。うまく隠せていたと思うのに、私の中にあったものを言い当てられてしまったからだ。
誤魔化そうとしても誤魔化しきれない。確信があって聞いてきてる。私はどう返そうか悩んで、俯くように小さく首を縦に振る。
「一之瀬なら他クラスのリーダーに引けを取らないよ」
「……リーダーには相応しくないよ。私には、本当はそんな資格ないの」
「……」
なんでなのかは聞いてこない。長洲くんはそういう人。踏み込んでほしくない話があるから、長洲くんも人のそういう話に踏み込まない。そういう線引きは大切だと思うけれど、今は踏み込んできてほしかった。我儘にもそう思う。
それでも、不満なんか抱かない。話そうって決めてたことだから。そのために長洲くんから教えてもらった人が全然来ないこの店を選んだ。部屋に呼ぶのは恥ずかしさで躊躇った。
「話、聞いてくれる?」
「いいの?」
「うん。長洲くんには聞いてほしい」
「もしおれの話を聞いて、それで不平等とか思ったのなら話さないで」
「そんなんじゃないよ。たしかにきっかけにはなったけど、話そうか悩んでたことだから」
「……そっか」
長洲くんが納得してくれて、私は背筋を伸ばしてから深呼吸した。話すのはやっぱり怖い。それでも一歩踏み出すためには、話すべきなんだ。
「私ね、中学生の時に罪を犯したの」
「一之瀬が?」
「私の家が母子家庭なのは話したよね。去年の妹の誕生日にね、誕生日プレゼントを渡すはずだったんだ。経済的に厳しい家庭だったから、これまでプレゼントがなくても妹は我慢してた。中学生になったって区切りもあるし、お母さんがプレゼントを買う約束をしたんだ」
そのためにはお母さんは普段以上に頑張って稼がないといけない。1人で娘2人を養う。私には想像できないほど大変だったと思う。それなのにさらに頑張って、その結果お母さんは体調を崩した。
「お母さんはプレゼントを買えなくなっちゃって、それで妹が怒っちゃって。……2人の仲が悪くなるのに耐えられなくて、私は万引きしてプレゼントを渡したの」
「……」
「妹は何も知らないから喜んでくれて、お母さんにはすっごく怒られて……。2人でお店に謝りにいったけど騒動になっちゃって……。私ね、中学で生徒会長してたんだよ。みんなの模範じゃないといけないのにそんなことして……学校に行くのも怖くなって……それで最後の半年は……」
私がBクラスになったのも、最後の半年の出席状況が理由だと思う。坂柳さんの話から考えたら、筋が通ってる。
「なるほどね……。一之瀬が良い人で安心したよ」
「ぇ?」
私の話を聞いたのに、長洲くんはそう言って目を細めてる。温かな手が頭に乗せられて、それで私は自分の体がいつの間にか震えていたことを自覚した。
「い、良い人って私は……!」
「もちろんそこは犯罪だよ。その上でおれは一之瀬帆波を良い人だと思ってる」
「なん、で……」
「罪の意識があること。反省してること。この辺りと、何よりは今一之瀬が頑張ってるからだよ。クラスのリーダーに就いて、みんなのためにって動いてる。やり直そうって向き合ってるんでしょ?」
「で、でも私……」
「一之瀬は真面目だよね。典型的な優等生なのは前も今も同じ。だからずっと自分自身を赦せなくて、こうやって重たく抱えてる。……おれは他人のそれを代わりに赦せるような人間じゃない」
そう、だよね。長洲くんだって真面目な人なんだもんね。
「おれにできることは、一緒にその重さを抱えることだけだ」
「え……? 長洲くん……?」
「独りじゃ辛いことは知ってる。だから、もう1人で抱え込まなくていい。おれを巻き込めばいい。言ったでしょ? 側で支えるって。これ以上1人で頑張らなくていいよ」
「な、がすくん……」
長洲くんの手に自分の手を重ねたら、隣に移動してくれた。そっと優しく頭を撫でられて、それが私の堰を決壊させた。熱い雫が頬を撫でて、私は長洲くんにしがみついた。
「ぁ……ぁぁぁ! うわぁぁぁん!」
ここが喫茶店だということも忘れて、靄が霧散するまで吐き出していく。もう長洲くんには曝け出したのだから、躊躇うことも何もない。今度こそ、何もかも消えていく。
長洲くんは私のことをずっと撫でながら待ってくれた。船の時より長かったのに、私の側に居続けてくれた。
「……一之瀬のことを泣かせてばかりな気がする」
「ぐすっ……。長洲くん、だから……私は泣けるんだよ?」
「これも天然なんだよね」
「え?」
「ううん。なんでもない」
そう言われて私は上げていた顔を戻した。長洲くんの腕の中に収まって、男の子の硬い体に、温もりのある長洲くんに浸る。
溶かされて、解かされた。長洲くん相手には芯が消えていってる。甘えたいって気持ちが抑えられない。私が気を張らなくていい唯一の相手。靄を温もりに変えられる。
「一之瀬」
「ひゃい! ぁぅ」
穏やかな声に逆にびっくりしちゃって変な返事になっちゃった。熱くなった顔も見られてる。
「これからは、一之瀬が泣くようなことにならないようにするよ」
「……それはいや」
「え」
「だって、嬉し涙とか、温かいやつだけだったよ。それがなくなるのはいや。……長洲くんと離れたくない」
「……ごめん。勘違いして変なことを言っちゃって。言い方を変えるね」
「うん」
「これからずっと、一之瀬を笑顔にさせるよ」
「っ! ……はい!」
椎名「良いことでもあったようですね」