その女の第一印象は、新種の口裂け女か何かか、という戦慄だった。
夏休み初日。毎年この時期になると両親は結婚記念日の旅行で一週間家を空ける。その間に消費する食料を買いに出かけた帰り道で、その女に出会った。
午後6時、昼前から降り始めた雨のせいで蒸し暑く、自転車に乗るのもためらわれる雨脚だった。川向こうのスーパーで物資を買い込み、両手を傘と買い物袋にふさがれてノロノロと橋を渡っていると、下の川辺に人影が見えた。
川の水はコーヒー色の濁流になって激しく流れているし、増水への注意を促すオレンジ色の非常灯も絶えず回転している。なのに濁流の傍でうずくまっている人影となると見ないふりにするのは気が引けて、私は橋を渡ると土手を下り、その人に歩み寄っていった。
「あのー、元気いっぱいですか?」
明らかに大丈夫じゃなさそうな人に大丈夫ですか? は白々しいかと悩んでの言葉選びだった。元気いっぱいにも見えないけど、ここは自分なりの努力を評価したい。
「ふぇ?」
その人が振り返ると私は絶句した。ドロドロに爛れた魑魅魍魎の形相だったからだ。
声からして女なのは分かったので、口裂け女を撃退する言葉って何だったかなと反射的に思考を巡らせたけれど、よく見たら口は裂けていない。異様な顔は涙と鼻水と雨で化粧が最悪な具合に崩れたことによるものだと理解が追い付いた。
「ちょっと失礼」
傘と買い物袋を手放して、ショートパンツのポケットから汗拭きタオルを取り出し、女性の顔面をごしごし拭く。私の女子力が低くてよかった。もしタオルじゃなくてハンカチを携帯していたら、この量の体液やらなんやらを拭きとるのは苦労していたはずだ。
粗方キレイにすると、思いのほか整った顔立ちが露わになった。しゅっと通った鼻梁にハリがあってもちもちしたほっぺた、果実のように瑞々しい桜色の唇。猫を思わせるアーモンド型の瞳は赤く腫れ、怯えたような視線でこちらを見上げている。
恰好は袖なしのタートルネックにロングスカート。大人っぽい印象だけど背丈は私と同じくらいで、童顔なのも相まって少女らしい印象を受ける。
顔面崩壊少女はぷい、と私から顔を背ける。
「……って」
「なんて?」
震え声が聞こえた気がしたものの、雨音と濁流の音のせいで聞き取れない。耳を近づけてみる。
「あっちいって。ほっといてよ。もう全部どうでもいいもん……」
どうでもいいのはこっちも同じだ。この人の事情なんて知ったこっちゃない。
とはいえ増水した濁流の傍で明らかに傷心な様子の少女を置いていけるほど、私は心が強くない。今回は運が悪かったと諦めてもらって、次からは誰の目にも止まらないところで落ち込むといい。
「ほら、立って。危ないよ、風邪ひくよ!」
「どうでもいい、どうでもいいもん……」
「どうでもいいなら言うこと聞けや!」
買い物袋を肩に回し、傘はその場に放置して、ぶつくさ零す少女に肩を貸して川を後にした。
ーーー
『明日会えない?』
少女を土手のすぐ向こうにある自宅に運び、風呂場にぶち込んで着替えを見繕っているとき、スマホにそんなメッセージが届いた。
送り主はミハル。小学校からの私の友達だ。
「珍しいな、あのリア充が」
思わずつぶやいた。
私はめんどくさがりで何かにつけてやる気がない。誰かと待ち合わせしたり用もないのに外に出たりするのは面倒だ。そんな私と仲良くしてくれるミハルが、休みの日にわざわざ会おうと言ってくることは稀だ。
それに、ミハルには恋人がいる。去年から付き合い始めたらしいその人とはたいへん仲が良く、のろけ話に胸焼けさせられたのは一度や二度じゃない。待ち合わせするならそっちとやりそうなものだが。
とはいえ特に断る理由はない。了承といつどこで、のやり取りを短く終わらせると、例の少女が浴室からリビングにやってきた。
「お風呂、ありがとう……」
血色の悪いほっぺたはほんのりと上気して、真ん中分けの前髪の間には白磁のようなおでこが覗いている。雨で失った体温は十分に取り戻したようだけど、表情と声音は何かをこらえるように苦しげだ。
その原因はすぐに分かった。
「おっぱいはち切れそうですね」
「えへへ」
私の貸したシャツの胸部が破れそう。
しかもこの人、胸だけじゃなく尻もでかい。部屋着のショートパンツがぱつぱつで今にも破裂しそう。よく見ると、全体的にむちむちした色気がすごい美少女だ。第一印象の顔面崩壊感が嘘だったように思える。
私の服を破られたら困るので、お父さんの部屋から普段着のダボダボシャツを持ってきた。下はどうしようもないからシャツの裾で隠してもらう。下着はもう考えないこととする。
「すーすーする……」
シャツ一枚だけ羽織った美少女が顔を赤らめている光景は、なんだかこう、胸がわくわくするような趣があった。洗濯が終わるまでの期間限定だし女の子同士だし、何も問題ないだろう。
「んくしゅっ!」
腕組みして頷いていると寒気がした。そういえば私も濡れていたんだ。夏休み初日から体調を崩すなんて冗談じゃない、慌ててお風呂に駆け込んで体をあっためた。
お風呂を上がると、例のムチムチ美少女はリビングのソファでぴんと背筋を伸ばして座っていた。
ムチムチさんが私に気付いて立ち上がる。
「あ、ごめんね、私の方が先にお風呂……」
「いえ別に。それより、元気いっぱいですか?」
「え?」
「いっぱいじゃないですか?」
「いっぱいじゃないよ」
「じゃあご飯を食べて寝ましょう。そうすればたいていのことはうまくいきます、多分」
ムチムチが困惑顔になり、胸の前で指をもじもじさせる。
「こ、これ以上迷惑をかけるわけには……」
「そうですか? まあ好きなようにしてください。私はご飯食べてゲームして宿題やって寝ます。ムチムチさんはどうします?」
「ムチムチさんて何!? 私は佐藤マホロって名前があるの!」
佐藤マホロ。どこかで聞いた気がすると思ったら、ミハルと苗字が同じだ。まあ日本人の大半は佐藤と斎藤さんで構成されているらしいから、珍しいことじゃない。
「じゃあ佐藤さん。私はご飯作りますけどいります?」
「……いる。お腹すいた」
「分かりました。泊まりますか帰りますか?」
「泊まらせていただきます」
時間は午後7時半、雨もやまないし賢明な判断だ。
「えっと、親御さんに挨拶とか……」
「両親は結婚記念日の旅行で、来週まで帰ってきません」
佐藤さんは目をぱちくりさせてから、ジト目で睨んできた。
「キミはもうちょっと警戒心を持つべきだよ。子供が一人で、知らない大人を家に連れ込むなんて」
「目につくところで死にかけてる大人の方が悪いです」
あんな今にも死にそうな誰かを見かけたら、何も考えず声をかけるのが普通だろう。
そう、私は何も考えていない。別に佐藤さんが顔面崩壊させてうずくまっていた事情を知りたいとか、お悩み相談に乗ってあげたいとかでもない。なんとなく放っておけなくて声をかけた、ただそれだけ。
佐藤さんは痛いところをつかれた風に口をつぐんだ。そんな顔をさせたかったわけじゃない。
「まあまあ、いいじゃないですか細かいことはどうでも。ご飯食べてダラダラして寝ましょうよ。私はそうしますよ、だって夏休みだから」
それから夕ご飯のチャーハンとバナナを二人で平らげて、佐藤さんにタオルケットとソファをあげてから、私はゲームして宿題をやって寝た。
明日はミハルとの待ち合わせがある。
ーーー
ーーー
中学進学と共に恋人とリア充生活を始めたミハルの用件は、まさにその恋人についての相談だった。
「もう恋愛なんてこりごり! 私のこれからは友情にオールインよ!」
「元気いっぱいだね」
待ち合わせ場所は川の向こうのスーパー、その出入口。入ってすぐのところに自販機とガチャとベンチが設置された、空調も効いていて謎に居心地のいい空間だ。小学生の頃は親と一緒に買い物にくるたび、親が用を済ませるまでここで二人して駄弁っていたものだ。
そんな気の置けない友達だったミハルだからこそ、突如「恋人ができた」とか言い出して、のろけ話をしてくるようになったときは驚いた。まさか恋愛感情が現実に実在し、しかも友達が実体験しているなんて。
で、その体験が終わりましたというのが相談内容。
本日の出会いがしら、ミハルの第一声は『恋人と別れた! 慰めて!』だった。
「割とラブラブだったじゃん。なんで別れたの?」
付き合った期間は約一年。二人はクリスマス、バレンタイン、互いの誕生日と、恋愛マンガでおおよそ甘く表現される催しをきっちりこなし、蜜月を送っていたはず。今夏も休み明けに散々のろけられるだろうと覚悟していたのに。
「ミハルって顔と性格がいいから、普通は別れないと思うけどね。ケンカでもしたのかな」
「もうっ、さらっと口説かないでよ!」
「友達としての意見です」
口説いてないし、変な意味はない。
ミハルはかわいい。実際、今ので顔をちょっと赤くしてむっとしている表情がかわいい。素直な性格で、猫のようにきれいなアーモンド型の目元にくるくると感情が現れるのは見ていて飽きない。勉強の成績は最近落ち目だが運動は得意で、しなやかな手足が美しい。スキンシップが多いのもあって、人懐っこい子猫のような女の子だ。あと最近胸がでかくなってきた。
付き合い始めたときの驚きも、恋愛がフィクションじゃなかったことに対してであって、この子が恋人をゲットした点については納得しかなかった。そのくらいミハルは内外両面で美少女だ。
こんな美少女の恋人を逃す手はない。となると、
「ミハルの方からフッた?」
目を丸くするミハル。
「よく分かったわね」
「ふふん。でもこれ以上は分からない。なんで?」
ミハルは腕を組み、眉根を寄せてしばらく唸ってから、やっと言った。
「えっちが多すぎるの」
「ほほう」
がつん、と頭を殴られたようなショックを隠しつつ、感心した風を装う。えっち? セックス?
マジか。
絶句する私に構わず、ミハルはほっぺたに両手を添えて、耳まで赤くなりながら続ける。
「顔を合わせるたび、えっち、えっち……! 今日はキスだけって言っても無理やり押し倒してきてそういう雰囲気になっちゃうし、明日テストだからって言っても朝まで放してくれないし! そのくせ生理のときだけは私がどんなに誘惑しても絶対手を出してこなくて……あはは。そういう優しさがあるから、私も強くやめてって言えなかったのかな……だからこんなことになっちゃったのかな……」
「う、うん。そうだね、分かるよ」
怒り心頭から一転、しくしく嗚咽を漏らすミハルに胸を貸しながら、情報を整理する。
早くない? 大人の階段相当登ってないこの子? しかも付き合い始めた当初って中一だから、去年までランドセル背負ってた子供なのに。
私が興味なさすぎるだけで、今時の女子中学生ってこんなもんなのかな。でも他人に生理周期把握されるくらいなら、私は恋愛とはずっと無縁でいいかも。なんか怖いし。
私の胸で泣きじゃくりながら、ミハルの独白は続く。
「もうやめてって言ってもやめてくれないの……手足を縛って気持ちいいところを一晩中……その次は逆にじれったいところだけを触って意地悪するのよ……」
「手足を縛って? それってヤバイやつなんじゃ」
「ううん、プレイの一環よ。セーフワードも決めてたから問題ないわ」
「??」
じゃあもう一生楽しんでればよくない? 私は何を聞かされているの? 愚痴に見せかけた惚気だよねこれ? あとセーフワードって何?
「じゃあもう一生楽しんでればよくない? って思ってそうな顔ね」
ミハルが涙に濡れた顔を上げた。ふくれっ面がかわいい。どっかの涙と鼻水で化粧崩壊女とは大違いだ。
「私もそう思ったわよ! でもこのままじゃ、えっち以外何一つできなくなると思った! あいつも大学の単位落としてるみたいだし……だから別れたの。このままじゃお互いどんどんダメになっていってしまう」
「あー、確かにミハル、成績落ちてたね」
一昨日の終業式で見せあいっこした一学期の成績には、実際にダメになってきている様子が表れていた。大得意だったはずの体育さえ、水泳の授業を休み過ぎて最高評価でなくなっていた。
我が意を得たりとばかり頷くミハル。
「でしょう!? 私これはいけないと思ってあいつのこと、『エロ魔人!』って言いながらビンタしてやったわ」
「なんで!? ミハルも満更じゃなかったんでしょ!?」
「私がえっち好きみたいじゃない! 恥ずかしくて言えないわよ! でもあいつ、ビンタしたら泣きながら出てい行っちゃって……」
つまり、お互い体の相性はばっちりで間違いなく愛し合っているが、理性なきえっちマシンに成り果てる恐れがあって、ミハルは自分がすけべ娘であるとは恥ずかしくて言えず、一方的に「えっちが多すぎるのよ!」とビンタして破局したと。
恋愛って難しい。理解はできるがまったく共感できない。
お互い裸を見せあえる仲なのに、どうしてえっち大好きだと認めるのは恥ずかしいのか。乙女心の複雑さを感じる。
「一つ確認するね。ミハルはどうしたいの?」
ミハルは逡巡するように目を伏せて、
「ごめんなさい、したい。素直になれなくてごめんって。それから、何されても抵抗できないように縛られて、たくさんお仕置きしてほし──」
「うんうんそうだね。今、その恋人さんはどこに?」
余計な情報に声をかぶせる。真面目でかわいい友人だったミハルはもう死んだらしい。
真面目でかわいい変態のミハルが、悲しげに俯く。
「分かんない。連絡がつかなくて……このまま会えなかったらどうしよう……!」
「大丈夫、大丈夫」
ミハルはまた泣き出して、私のシャツと汗拭きタオルを水分でいっぱいにした。
その後、発作的に泣くのを数回挟みつつ変態ミハルの話をできる限り理解しようと努めた。最終的にミハルの望みは「ビンタしたのを謝って、お互いのためにえっちの回数を減らす」ことにまとまった。ひとまずは恋人の携帯に電話とメッセージを鬼のように連打する方針らしい。
話が終わるころにはお昼を回っていた。ミハルは目が腫れて疲れた様子だったけど、
「相談に乗ってくれてありがとう! 大好きよ、スサビ!」
と、晴れやかに言い置いて帰っていった。
そう、ミハルはあんな風に素直だ。感謝や好意を恥じらうことはない。なのに恋人には「私スケベ大好き!」と言えず痴情のもつれが発生した。誰しも恋人にだけ見せる一面がある、ということだろうか。恋愛感情を知らない私にはややこしい話だ。
しばしミハルの話を反芻してから、スーパーの外に出る。真夏の蒸し暑い空気が全身を包み込み、一気に汗が噴き出た。緑の匂いが鼻をつき、どこからか聞こえるセミの濁声が耳元を過ぎていく。曇り空の晴れ間から太陽が顔を出し、アスファルトに照り付けていた。
これだから、夏は引きこもるに限るというんだ。
暑さ、それから変態美少女汁でカピカピになったシャツにうんざりしながら、私は帰路を急いだ。
ーーー
最近は恋愛が流行のコンテンツらしい。いや、時代問わずいつでも誰でも夢中なのだろうけど、こうも立て続けだと取り分け流行っている感が拭えない。
「恋人にフラれたぁ?」
オウム返しに確認すると、ムチムチ佐藤のお姉さんはスマホを片手に、重々しくうなずいた。
佐藤さんは一夜明けてもうちにいて、ミハルに会って帰って来てからもうちにいて、おかえりを言ってくれた。二人でお昼ごはんのそうめんをすすり、二人で片付けを済ませ、昼寝でもしようかと思ったとき、佐藤さんが真面目な顔で切り出したのだ。「恋人にフラれて行くところがないのでしばらくここにおいてほしい」と。
「ははぁ、それであんなに落ち込んでたんだ。行くところがないって、同棲してたの?」
「どうせい……? うん、まあそんな感じ」
なぜか曖昧な肯定だけど、昨日のこの世の終わりみたいな落ち込みぶり含めて合点がいった。たぶん実家も遠いか頼れないか、事情があるのだろう。
まさか恋愛話を短時間に二度も聞くことになるとは。もしかしてミハルがビンタした相手が佐藤さんだったりしてと一瞬考えたけど、女の子同士なら違うか。
ともかく、いてもらうのはいいとしても親に説明するのが面倒だ。長くても二人が帰ってくる5日後までにしてほしい。
そうやんわりと言ってみると、佐藤さんは神妙な顔でうなずいた。
「分かった。それまでには覚悟を決める」
「覚悟って?」
「実はさっき連絡があってね」
スマホに視線を落とす。ここに来た当初は電池切れだったが、運よく私の充電器と規格があって復活したものだ。
「恋人からもう一度話そうって。でもまだ話す覚悟ができてないから……」
「心の準備をしたいと。まあいいんじゃない、この家一人だと広いし暇だし」
期限を切るなら何も言うことはない。佐藤さんはぱあっと表情を明るくした。
しかし世の中には奇特な男性がいるものだ。佐藤さんはムチムチしているが太っているわけではなく、適度に肉がついた豊満な体をしている。多少幼い顔立ちも庇護欲をそそるし、性格の方も目立った瑕疵は見られない。こんな彼女を振るなんて、もし私が男なら考えられない。
「なんでフラれたの?」
尋ねたとたんに佐藤さんは口を尖らせた。
「元々悪いのはあっちなんだよ! 二人っきりでデートしてるのに、他の子の話ばっかりして! あの子は頭が良くて落ち着いた雰囲気がかっこよくて、運動が苦手なのもちょっとかわいくて、でも誰よりも優しくて困ったときは傍にいてくれる……悪かったね私じゃなくて!」
「ふむ、それで?」
「それで、口論になって……売り言葉に買い言葉というか」
尻すぼみになる言葉、肩を落として涙ぐむ佐藤さん。
聞いた感じ、きっかけは佐藤さんの男のほうにあるらしい。デート中に他の女の話をして、それが気に入らない佐藤さんが不満を漏らす。するとお互い感情的になり、勢いで別れ話につながったと。
その男は何を考えて他の女の話をしたんだろう。嫌味か、焼きもちを促したのか、他に深遠な意図があったのか。私には想像もつかない。
なんにせよ、外野の私にできるのは無責任な応援だけだ。
「佐藤さんなら大丈夫だよ。性格は知らんけど、見た目と顔と体はいいから。ちゃんと話せば分かってもらえるさ。がんばれがんばれ、元気いっぱいで」
「テキトーというか、いい加減だよねキミ……でもありがと」
佐藤さんは呆れた溜息をついて、微笑を浮かべた。
こうして佐藤さんとの短い同棲生活が始まった。寝床は別、料理や掃除の当番はジャンケンで、お風呂の順番はその時の気分で決める。家族以外に家の中で話す人がいるのは新鮮で、結構会話が弾むこともあった。
「○○大行ってるんですか? すごー、賢い」
「いやぁ、そんなことあるよ。だってすごく勉強したからね」
その中で分かったのは、佐藤さんが地元の有名国立校の勤勉な学生であること。どや顔までかわいいこと。
あと、爪のお手入れにこだわりがあること。私がゲームや読書、勉強で時間を潰している間に、コンビニで買ってきたらしい道具を使って爪を丹念に短く、なめらかに磨き上げる。最後には細くしなやかな指先に宝石がついているような仕上がりになるのだ。
もちろん恋人のことも忘れてはいない。スマホを親の仇みたいににらみつけながら、両手で顔を覆ったり天を仰いだり体を抱いて悶絶したりして、ケンカ別れ? した恋人と必死に向き合おうとしていた。
その成果が上がったのは、居候を始めた翌日のことだった。
佐藤さんはリビングのソファに座り、スマホの液晶を般若の形相で睨みつけていた。私はそれを隣に座って眺めていたのだけど、『ポコン』と新着通知の独特な音が響くと、佐藤さんは糸が切れたように倒れた。頭が私の太ももに着地し、膝枕の態勢である。
「あ、ごめん」
「よいよい。それより進展あった?」
慌てて起き上がろうとする佐藤さんを押しとどめて話を聞く。
佐藤さんは心なしかどや顔で、
「4日後に話をする約束を取り付けました!」
「期限ぎりぎりじゃねーか」
うちの親が帰ってくる当日である。誇らしげな割に相当びびっているらしい。
とはいえ、びびっているなりに頑張ったせいかなのは違いない。そう思うと、自然に手が動いた。
「あ……」
サラサラの髪をゆっくり撫でつける。昔おばあちゃんちの犬と一緒に寝たときを思い出す。大きくてもふもふしたものを撫でながら、セミの声と暑気を体いっぱいに浴びて、その中に風鈴の澄んだ音が一筋。
あの時の犬よりもでかいムチムチ女は、徐々に目を細め、寝息を立て始めた。
膝枕の上で美少女が眠っている。図らずも膝の上で猫が眠ってしまったときと同じ状況だ。動けない。
幸いにも近くに読書用のタブレットがあったので、起きるまでこれで時間を潰す。
お父さんの私物であるそのタブレットには、ミステリーにコメディ、恋愛、学術書、バトルものなどなど、小説や漫画がジャンルの別なく大量に入っている。結婚記念日の旅行には必要ないとして置いていくので、これのパターン認証を突破し読み漁るのが毎年の楽しみだ。
今回選んだのは今流行りの大人気恋愛マンガ。購入日時が新しい順に表示される中でトップだった。ここでも恋愛に縁があるらしい。
ミハルや佐藤さんの気持ちを理解する助けになるかもしれない。殊勝な気持ちとただ暇つぶしがしたい気持ち半々の気分で、ページを繰った。
1時間後。
「はっ! ごめん寝ちゃってた!?」
「今いいとこだからもうちょい寝てて」
「え、いいの?」
山場から結末まで読み終える。いい勉強になった。
分かったことは、恋愛はとことん理不尽であること。誰かが誰かを好きになる理由は明文化されるものではなく、ひどく抽象的で、損得勘定や利害対立とは一線を画した不条理であることだ。一度でも誰かを好きになれば、その人は恋人を最優先で動くようになる。
私はそれほど熱い想いを抱いたことはない。なので共感はできないにしても、楽しむことはできた。誰と誰が付き合っているとか別れたとかは、本能的に楽しい。
「すーはー、すーはー」
「何してんの、苦しいでしょその姿勢」
で、情熱的な恋をしているらしい佐藤さんはというと、私の膝枕にうつぶせになっていた。太ももに顔をくっつけ、苦しそうに深呼吸している。吐息が肌にかかってくすぐったい。
「ずっと同じ姿勢だと寝違えるから」
「くすぐったいから起きろ」
「はぁい」
渋々起きた佐藤さんの顔は上気して、口元がだらしなく緩んでいた。他人の家でよくこれだけくつろげるな。
しばらくぼんやりと夢見心地だった佐藤さんは、急にはっとして私から目を逸らした。
「もう、キミってやつは!」
「なんだ急に」
「居候を生足で膝枕なんて無防備にも程があるよ! あとその恰好! 警戒心がなさすぎる!」
そうかな。自分の恰好を見下ろしてみる。上はキャミソール、下はショートパンツ。夏はいつもこの格好だ。露出は多いけど女の子同士なら別に恥ずかしくはない。
恥ずかしいどころかむしろ、恥ずかしがってる佐藤さんを見ていると嗜虐心が湧いてくる。
目を逸らす佐藤さんの膝に乗り上げ、密着してみた。佐藤さんの体は全体的にもちもちしている。
「クラスの男子じゃないんだからさー、恥ずかしいことないでしょー、ほれほれ」
「ひゅっ」
息を吸う音を出したっきり反応がなくなった。見ると、真っ赤な顔でぐるぐるきょときょとと視線を泳がせ、聞き取れないほどの早口で何かを呟いている佐藤さんがいた。
マジで思春期のクラスメイト男子みたいな反応だ。女でもこんな風になる人っているもんなんだな。
申し訳なくなったので、その日の夕飯とお風呂掃除は私がやってあげた。
でもいたずら心でお風呂に乱入したら、佐藤さんが湯船に水没してしまって、夜の間ずっとぷんすこしていた。
次の日には機嫌を直していたので、私はこっそり仕掛けた。さりげなく背伸びをしたり、キャミの肩紐を直したり、胸元をぱたぱたしたりすると、視線が飛んでくる。体育の時間にミハルの揺れる胸をガン見してくる男子を彷彿とさせる熱視線だった。あー楽しい。
そうして佐藤さんで遊んでいると、ミハルからメッセが飛んできた。
ーーー
水と緑の匂いに混じる、焦げたソースの香ばしい匂い、砂糖菓子の甘い匂い。期待に満ちた喧騒と雑踏の合間に、川の流れるかすかな水音が聞こえる。夏の夜の河原を屋台の提灯が明るく照らし、ほこりっぽく生ぬるい風が頬を撫でていく。
「昔から思ってたけど、この祭りってどういう名目の祭りなんだろうね」
「夏が来たわっしょーい、に一票」
「なるほど、わっしょい」
腕を振り上げわっしょいわっしょいしつつ、私とミハルは屋台の合間を練り歩く。
全部奢るからお祭りに行きましょう、とミハルからメッセが飛んで来て、暑いのが嫌いな私も奢りの誘惑には弱い。橋のたもとで待ち合わせして由来不明のお祭りにやってきた。ささやかながら打ち上げ花火もある地元でおなじみの催しだ。
早速、一舟五百円もするたこ焼きと、同じく五百円の焼きそばを買ってもらった。座るところがないので、行儀悪く屋台の陰で立って食べる。お祭りの雰囲気と人のお金の相乗効果でやたらにおいしい。
といってもたくさんは食べられない。たこ焼き一舟と焼きそばを半分食べたところでお腹いっぱいになり、残りはミハルにあげた。
焼きそばを頬張るミハルをぼんやり眺めながら、今更な疑問を尋ねてみる。
「ごちそうさま。なんで奢ってくれたの?」
ミハルのお小遣いは月3000円。理由もなく奢りのできる財力ではない。
「もぐ……この前のお礼」
「どの前?」
「恋人とのこと、相談に乗ってくれたでしょ。今度会って話をすることになったの。スサビのおかげよ」
「ふーん?」
返す言葉に困った。ただ話を聞いただけで1000円も奢られたのが申し訳なくなったから。ともあれたこ焼きはおいしかったし、ミハルも晴れ晴れした顔で笑っているし、謙遜はしないでおく。
お腹いっぱいだから帰ろうと言ったら、せっかく来たので花火の時間まで屋台を回ることに。はぐれないように手をつないで、くじ引きと射的、お面屋さんにヨーヨー釣りを回った。
正直、楽しいかと言われると微妙だった。くじ引きや射的の豪華景品を見てもワクワクを感じなくなった自分に、中学生になった実感というか、目につくすべてに感動していた小学生の自分が消えてしまった気がして、むしろ少し滅入る気分だった。
でも、
「わー! きれいね、スサビ!」
ヨーヨーとお面を身に着けて、花火に照らされる無邪気なミハルの笑顔を見ていると、細かいことはどうでもよくなる。
だから私はミハルが好きだ。四六時中のろけ話をたれ流したり、唐突に恋人との変態プレイを暴露したりしても、私はこいつが嫌いになれない。
最後の花火が終わるまで、私たちは手をつないでいた。
ーーー
お祭りの翌日、私と佐藤さんは食糧難に直面した。
「佐藤さんは食いしん坊だねぇ」
「いやいや普通だって! キミが小食なんだよ!」
お昼の献立を考え始めた午前11時、両親不在の間、私一人が余裕でしのげるほど買い込んだ我が家の食料は、ハム一切れに米一合のみとなっていた。佐藤さんは豊満ボディの秘訣なのかよく食べる人なので、こうなるのは必然だった。
外は雨、自転車は使えない。私一人なら間違いなくハム一枚で済ませるところだが、佐藤さんのムチムチ感が損なわれるのは人類の損失だ。
というわけで、二人で買い物に出かけた。店はおなじみ、川の向こうのスーパー。
カゴをカートに乗せ、二人で店内を回る。
「ここ私も良く来るよ」
「じゃあ家、近所なんですね」
ここでニアミスしてたかも、と言おうとして口をつぐんだ。
「どうしたの?」
佐藤さんは出会った当初と同じ、オフショルのタートルネックとロングスカートを着用している。くっきりと浮き出る豊かな上半身のラインと、肩から二の腕にかけてのまぶしい白さといったら、目立って仕方がない。実際周囲を見てみると、お買い物中の主婦の方々が視線を送ってきている。
「こんなかわいい生き物、見かけたら一生忘れないな」
「な、何急に。照れるよ」
「初めて会ったときは魑魅魍魎だったのに」
「忘れて!」
「わはは、元気いっぱいだ」
赤面して詰め寄ってくる佐藤さんを躱し、食料をかごに入れていく。今日と明日分、それから帰ってくる両親の分。そう意識すると、明日で最後なのを嫌でも実感して、思いのほか佐藤さんとの生活が楽しかったことに気付く。名前を知らない程度の関係がちょうどいいと考えていたけど、もし聞かれたら教えよう。
会計に行くと、佐藤さんは最高に嬉しい言葉をかけてくれた。
「お世話になってるし、ここは私が出すよ」
「その言葉を待ってました。ポイントカードはこれです」
「う、うん。すごい乗り気だ」
「いいえここは私が、ってやり取りしたかったですか? あいにくですが私は人のお金が大好きです」
「うわぁ」
もらえるものは全部いただく主義だ。それに元々親が置いてったお金だし、余った分はそのままもらえるし。佐藤さんを拾って以来私は得しかしていない。誰か私に損という感覚を教えてくれ。
そんな風に調子に乗っていたのがまずかったのだろうか。
この後、私は14年の長い人生でもっとも理解しがたい混沌に巻き込まれることになった。
ーーー
混沌の始まりはミハルの震え声だった。
「お姉ちゃん?」
「へ?」
お互い買い物袋と傘を一つずつ持って店を出ようとしたところ、ばったりミハルと鉢合わせたのだ。
ミハルは呆然と佐藤さんを見つめ、佐藤さんも呆気に取られている。硬直する二人。
先に動いたのはミハルだ。弾かれたように顔を動かし、私に視線を移した。
「スサビ? ど、どういうこと? なんでスサビとお姉ちゃんが一緒にいるの?」
「お姉ちゃん?」
聞いたことはあった。ミハルに年の離れた姉がいると。その話になると口が重くなるのであまり聞かなかったが、佐藤さん──改めマホロさんが姉だったとは、世間は狭い。
それはそれとして一緒にいる経緯を話そうとすると、マホロさんが先んじた。
「スサビだって? まさか君があのスサビ? 有野スサビなの?」
「はあ、そうですけど」
マホロさんはあんぐり口を開けてから、最大限ほっぺたを膨らませるとかいうあざとい憤怒の形相になった。
「そうか、そうだったんだ……君があの憎たらしいスパダリのスサビ……!」
「スパダリは違うのでは」
それは男に使う形容だと思う。
混乱する私をよそに、マホロさんは憤怒から一転、不退転の覚悟を決めた顔でミハルに向き合う。
「確かにこの子はすごかったよ。料理は上手いし気遣いもできるし困ってる人を見捨てない優しさもある。ふとした仕草にどきりとさせられることも何度かあった。何より一緒にいる時間がどうしようもなく心地いい。だけどそれでもっ! 私はミハルのことが一番好き! 大好きなんだよ!」
「えっ」
やばい、脳みその処理能力が追い付かない。
まさかこの言い方、マホロさんの恋人ってミハル? でも姉妹だしな。もしかして義理の姉妹だったり、いやそもそも女の子同士で恋人とか現実にあり得るのか──
「お姉ちゃん? 今はそれより先に説明してほしいわね。どうしてスサビと一緒にいるの? スサビのことをやけに知ってるみたいだけど、今までどこで何をしていたの? それと二人とも距離が近いのよ離れなさい!」
ミハルが私とマホロさんの間に割って入り、距離を取らせた。
「信じらんない! 私をあれだけ弄んでおいてスサビと仲良くしてるなんて! 一番好き、大好きですって? 口ではなんとでも言えるわね!」
「ち、違う! 本当にミハルが大好きなんだよ! スサビには少しその、お世話になっていたけど、何もなかったよ、本当に! というか君だって悪いじゃないか、嫌味ったらしく他の女の話ばっかりして!」
「だからってあんな毎日毎日お仕置きされてたら体がもたないわよ!」
二人のきゃんきゃん言う声が上滑りしていく中、視界の端に危険な兆候をとらえた。店員の一人が迷惑そうにこちらを睨みつけているのだ。
傍から見ればスーパーの出入り口で口論している女三人組。迷惑が過ぎる。
興奮している二人を黙らせるには、こうだ。
「ふぎゃあ!?」
「何するのスサビ!?」
マホロさんの尻をフルスイングでひっぱたいた。厄介客認定されたらどうしてくれるの恨みを込めて。二人のうちどっちでもよかったが、叩きやすいサイズの方を選んだ。
涙目のマホロさんと、困惑するミハルに向け、仕切り直しを告げる。
「そこ邪魔。こっち」
ーーー
出入口のすぐ横にある、ガチャと自販機とベンチのある休憩スペース。
そこで二人から聞いた話をまとめると、混沌とした恋愛事情が見えてきた。
「義理の姉妹ではないのね」
「間違いなく血のつながった姉妹だよ」
佐藤マホロと佐藤ミハルの二人は、実の姉妹であり、恋人同士だった。
初っ端からめまいがするレベルの新情報だ。思い返せば、二人は恋人とは言っても性別には言及していなかった。だから実は女の子同士の関係でしたというのはまだ分かるが、実の姉妹なのは想定外だ。
でも恋愛感情が不条理の極みなのはマンガ知識で知っている。好きの感情が芽生えたらもうどうしようもないのだ。二人も複雑な関係なのを薄々分かっているから性別に言及せず、ミハルも姉のことを話そうとしなかったのだろう。
ここまで前提条件。ここからの痴情のもつれがまたややこしい。
「告白はどっちから?」
「……両方かな」
「そ、そうね」
私を挟んでベンチに座る二人は、赤面して俯いた。
一年前、いつものようにお風呂の浴槽で抱き合うようにあったまっていた二人は、どちらからともなくキスを交わし、付き合う運びになった。
両親には言えなかった。デートや誕生日のプレゼントなど、恋人のつもりで過ごすのを見せても、仲のいい姉妹としか見られない。実は姉妹を超えた恋人である、と告白するのは二人とも怖かった。秘密を共有する二人は何度も体を重ね、愛を深めていく。
流れが変わったのは半年前だった。
「その頃から……ミハルが君の話をするようになったんだよ、スサビ。かっこいい、かわいい、頭がいい、今日こんな話をした、こんな表情が面白かった──そんな風に」
「えっ、そ、そんな話してたかしら……?」
「してた、すっごくしてた! 話自体は昔からあったけど、頻繁にするようになったのはその頃からだ。もう私、悔しくて、憎くて、嫉妬でおかしくなりそうで──」
「で、えっちが激しくなったと?」
こくん、と頷くマホロさん。ミハルは目をぱちくりしている。
ミハルが他の女の話をする。マホロさんはそれに感情を煽られ、無理やり、激しく、頻繁にえっちをするようになった。身体の自由を奪い、ミハルが泣き叫んでも行為をやめないのが当たり前になった。
マホロさんが頭を抱え、震える声を絞り出す。
「私の知らなかった表情で、嬉しそうに、楽しそうに他の女の話をするミハルに、耐えられなかった。だから、喘ぎ苦しみ懇願するミハルの表情を見て、私だけしか知らない顔だって、自分に言い聞かせていたんだよ……ごめんなさい、ミハル。お姉ちゃん、恋人失格だね。フラれるのも当然だよ……」
「お姉ちゃん……!」
「いやミハルの方も満更でもなかったらしいですよ」
「スサビぃ!?」
ミハルが私の口を塞ごうと伸ばした手を受け止め、指を絡める。
「ミハル。ここで勇気を出さなきゃ女が廃るよ」
「ぐ、ぐぬぬ」
「どういうこと? 私が嫌になったんじゃないの?」
マホロさんが縋るような目で聞いてくる一方、ミハルはまだぐずぐずと躊躇している。ええいじれったい。
「ミハルはドスケベ大好き娘なんですよ。縛られて無理やりされるの最高って言ってました」
ミハルは顔を手で覆って天を仰いだ。
マホロさんが目を見開き、懐疑的につぶやく。
「じゃあなんで私、ビンタされたの?」
「それはですね──ええい邪魔するくらいなら自分で言えや! こほん、えっちのし過ぎで成績が落ちたからです。マホロさんも単位落としたらしいですね。お互いのためにならないと思って、ついやっちゃったそうですよ」
ミハルの妨害を無視して言い切ると、マホロさんは愕然とした。
「私は『つい』でフラれたのか……」
そのことについて言いたいことがあるそうで、と補足する必要はさすがになかった。
変態娘、違ったミハルがやっとマホロさんに向き合ったからだ。
「お姉ちゃん。素直になれなくてごめんなさい。お姉ちゃんのことはずっと大好きよ。スサビのことそんなに話してるとは思わなかったけど、できるだけもうしないようにする。だからお姉ちゃんも、ちょっとだけえっちを我慢してほしいの。このままだと私たちダメになっちゃうから」
「ミハル……分かった。お姉ちゃんも我慢する。ミハルは私たちのことを真剣に考えてくれてるんだね。私の方こそ、子供みたいに嫉妬してごめんね」
「お姉ちゃん!」
「ミハルっ!」
二人は感動的な雰囲気で抱き合った。
多少のすれ違いはあったものの、きちんと言葉を交わして相互理解を深めた二人なら、これからも困難を乗り越えていけるだろう。
と、いい話風のモノローグを脳内で流しても、暑苦しいのは変わらなかった。
「おいコラ、私を挟んで抱き合うんじゃないよ。熱々すぎて火傷しそうなんだよ、おい!」
頭が左右から柔らかいものに挟まれ、激しい心臓の鼓動が両方から聞こえてくる。
愛を確かめ合うのは結構だけど、人を挟まないでほしいと切実に思った。
ーーー
スーパーで鉢合わせ事件の後、お父さんのタブレットで参考になりそうな作品をいくつか勉強した。知らない世界に触れるワクワクを味わっているうちに予定通り両親が帰宅。お土産をたくさんくれた。マホロさんは妹であり恋人でもあるミハルとよりを戻し、実家で幸せに暮らす。いつも通りの夏休みが戻ってきてめでたしめでたし。
かに思われた。
「何しにきたの二人とも?」
「えへへ」
「うふふ」
「元気いっぱいだな」
よりを戻した数日後、佐藤姉妹が二人してやってきた。マホロさんの方は泊めてもらったお礼としてお母さんに菓子折りを渡していたけど、ミハルも一緒ということは用件は別だろう。
自室に案内して座卓につくと、二人は左右から私を挟みこんだ。肩が当たる至近距離で、両腕にむにっと柔らかいものが当たる。
なぜ熱々のカップルに恋愛を知らない私が挟まれているのか。訝しむ私の視線を受け、マホロさんが語り出した。
「実はあの後、ぜんっぜんうまくいかなくて」
いわく、つい無意識で私の話をするミハルの癖は治らなかった。そして嫉妬を拗らせ激しく体を貪るマホロさんの独占欲もどうにもならなかった。あの話し合いの当日夜にまたヤバイプレイをしてしまったそうな。このままでは先のケンカ別れの二の舞になってしまう。
そう危惧した二人はある結論に至った。
「そもそも元凶はスサビなんだから、スサビを間に挟めば解決よね」
「んなアホな」
私の話題をしなければ済む話だ。私はそんなに話題性のある女じゃないぞ。
「それができれば苦労しないわよ!」
「君の優しさは人をダメにする」
私のせいにされた。ひどい。
マホロさんがこてん、と私の肩に頭をのせる。
「でもこうして君を挟んでいる間は、嫉妬や独占欲が湧いてこない。すごく安心すると気付いたんだよ」
「だから末永く挟まってもらうために、二人で口説き落とそうって話になったの」
「何をどうすればそんな発想になるのかさっぱり分からん」
末永く挟まるってなんだ。姉妹そろって思考回路エキセントリックが過ぎる。
とはいえ、一度関わり合いになった以上二人が破局するのは寝覚めが悪い。夏休みは暇だし、二人の気が晴れるまで緩衝材になるのは吝かじゃない。
一応釘を差しておこう。
「口説くっていうけど、私は恋愛とかえっちとかは興味ないから。『末永く』挟まるのはたぶん無理。飽きたら終わりって言うよ。それでもいい?」
「もちろんだよ」
「飽きる前に口説き落とすわ!」
二人はふんす、と意気軒高だ。
柔らかくていい匂いのする二人に挟まれるのは悪い気はしないけれど、貴重な夏休みの二人の時間を、関係の薄い私を挟むことに費やすとは。やっぱり恋愛は難しい。理解不能だ。
そういえば、お父さんのタブレットに入っていた本によると、女の子同士の恋愛を百合。私みたいな女をノンケと呼ぶらしい。
だとすると、これからの私が飽きるまでを端的にまとめればこうなるだろう。
姉妹百合に挟まるノンケ女の話。