「信っじらんない! なにあの落選理由!」
あたしはぷんぷんしていた。
ぜーったいかの邪智暴虐の審査員を除かねばと決意した。
あたしにはエンタメはわかんない。あたしは、バンドのギタリストだもん。ギターを弾いて、おねーちゃんに怯えて暮らしてきた。けれどもナメられに対しては、人一倍敏感であった。以下略。
とにかくぷんぷんしていた。
「伸び代大きいのが気に入らないなら募集要項に対象年齢80歳以上って書いときなよばーかばーか!」
「まあまあまあ……どうどう……」
「ポテトおかわり!」
「よく食べるわね……そんなにポテトばかり」
隣のリサちーがあたしを窘めて、斜向かいの友希那ちゃんが呆れた目をしている。正面のあこちゃんは隣の燐子ちゃんと楽しそうにメニューを見ていて、それがまた癪に障った。今この瞬間、あたしたちの座るファミレスのボックス席は『FWF』予選落ち反省会場だっていうのに。
店員さんがテーブルの真ん中に置いていったパーティーポテトを引き寄せて独り占めしながら、素知らぬ顔でお冷を飲んでる友希那ちゃんをじろりと睨む。
「ていうかさぁ、なんでそんな余裕綽々なの! 悲願だったんじゃないわけ!?」
「別に、ごねたところで結果はもう出てしまっているのだから手遅れだわ。それよりは来年までに飛躍することを考えるべきよ。違うかしら」
「リサちー!」
「いやー、こればっかりは友希那の言う通りだって」
リサちーも友希那ちゃんも至って冷静……というかもう駄々こねる子供見てるみたいな顔してるから、段々あたしも鎮火していく。いや全然燻ってるけど。熾火で大事に寝かせとくけど。
ケチャップをポテトで掬い取ってぱくり。揚げたてのパリパリと冷たいディップのマリアージュでちょっぴり落ち着いたあたしがむっすり黙り込んだのをもって、友希那ちゃんが「……では、改めてやっておきましょうか」とメンバーを見回した。
「……結果は振るわなかったけれど、まずはここまで、お疲れ様」
「わー」
歓声上げたついでにもう一口ぱっくん。そのままでも結構塩気が効いてておいしい。……あれ?
「どうしたのみんな、そんなぽかんとして」
「……い、いや友希那が! みんなを労うから!」
「私をなんだと思っているの」
友希那ちゃんもむっすりした。あたしとしてはCiRCLEからちょっと離れた箱まで追っかけてきたりとか情熱的なイメージが強いんだけど、他三人は違うのかな。や、リサちーは昔の友希那ちゃんは活発だったみたいなこと言ってた気がするし、単純に昔から知ってるからこそ──あぁ。あー、ダメだ。ちらつく。
かぶりを振るあたしをそっちのけで喧々諤々……じゃないか。和気藹々と言い争うみんな。
「下手に誤魔化したらバンドが崩壊してたかもしれない場面だってあったのだから、言うべきことは飾らず伝えるに決まっているじゃない」
「でもこんな素直じゃなかったって! ろ、録音! 録音するからもっかい!」
「今井さん……私、動画を……!」
「こんな挨拶を残してどうするの……」
「あ、すみませーん! このやけ食いセット四人前お願いしまーす!」
……前だったら絶対あり得ない光景だなぁ。こんなの。
Roseliaのためにすべてを賭けろ、みたいなことは特に言われちゃいなかったけど、そういうこと言われそうなくらいの気迫をあの日までは持ってた気がする。ストイックさをバンドに求めてた頃のあたしが居心地よく感じてたくらいだし。
今は……今も、別に。だけど。
「技術は少なくとも及第点を超えた。あとはあの審査員の言う通り、一層の結束と発展……要するに、個々の能力の向上からバンドとしての練度を上げるフェイズに切り替えていきましょう」
「バンドとして……んー、みんなもっと仲良くなろう! とかですか?」
「それも……ええ、そうね。息の合わないよりはいいでしょう」
「おっ」
仲良しこよしとか一番嫌いそうな友希那ちゃんが頷いたことで場が明るくなる。腕を組んだり指で頭を押さえたりめいめい考え始めて、最初に「そういうことなら」と沈黙を破ったのは燐子ちゃんだった。
「精神的な課題の解消も、必要でしょうか」
「緊張しちゃうのどうにかしようとか? まーこれはアタシだけだろうけど」
「それは、私もですから……人混みも少しくらい耐えられるようにならないと……」
「りんりんがどっかあらりょーじに行くなら、あこも付き添うからね!」
「ふふ……心強いなぁ」
人懐っこい笑顔で立候補するあこちゃんの頭を優しくなでる燐子ちゃん。ふたりの仲が良い理由は最近聞いて知っているけど、あたしの目には友達というより、姉妹みたいで。
少し胸が痛むのを見透かしたように友希那ちゃんが呟いた。
「……バンド外の個人的な問題も、ね」
「……なにさ」
「演奏の妨げになりかねない憂いはしっかり断ちなさい、と言っているのよ。どれだけ難しくても、一朝一夕では片付きそうになくとも……一歩踏み出すだけで構わない。前進したという意識があるだけでも、きっと音はガラリと変わるわ」
「友希那ちゃんもブラックコーヒー飲めるようになったら歌声変わるかもね」
「ぶふっ」
切り返したあたしの嫌味に、噴き出しながら咄嗟に顔を背けるリサちー。事情を察しているだろう彼女が倣わなかったのに内心感謝していた。
個人的な問題──あたしが、おねーちゃんを恐れるようになったこと。
あの日からおねーちゃんは一躍時の人になった。軽率な事務所の失態をバンド総出でリカバリーした伝説のライブ、それを主導した美貌の天才ギタリストとして。
万が一のために電源の取り方を事務所の指示と違えてほしいって音響スタッフにお願いしてたとか、事務所の指示を無視してこっそり練習してる様を他のスタッフさんには見せてたとか、裏で色々していたらしい。じゃあ事務所にひとりで対抗した深謀遠慮のフィクサー扱いかと思いきや、隙あらば弾きたがるくらいのギター大好きっぷりやちょっと天然なところが隠しきれなくて、すっかり愛されキャラだ。
テレビでインタビューを受けるおねーちゃんを見てお母さんが大はしゃぎしてたっけ。ライブの件で家まで謝罪に来たお偉いさんには怖いくらい冷静だったのに。
そんな「アイドル・氷川紗夜」を目の当たりにするたび、もう「あたしのおねーちゃん」はどこにもいないんだと突きつけられているようで。ふたりでお使いに行ったクリスマスも、幼い背丈じゃ届かない短冊に願った七夕も、都合のいい夢だったんじゃないかって思えて。
おねーちゃんは、本当にあたしをどうでもいい存在にしてしまったんじゃないかって。
漱石のこころが脳裏をよぎる。あたしを
……そこまで赤裸々じゃないにしてもある程度は打ち明けると、リサちーは「ヒナのはやっぱ厳しいって」と擁護してくれる。
「お姉さんと、仲直り自体はしちゃってるんだもんね」
「うん……」
「いっそ開き直ってわーってぶちまけちゃったら──」
「ちょっと、あこ」
「ううん、正しいと思うよ。あたしがあこちゃんの立場でも当たって砕けろって言うかも」
「……でも、言うは易く、ですよね」
燐子ちゃんが案じてくれる。サポートの頃にひとを散々扱き下ろしておきながら、あたしも結局は正論に従えない弱い人間だった。
「氷川さんのお姉さんとはクラスメイトですけど、お話したことはなくて……」
「えっそうだったの!?」
「は、はい……」
リサちーの大声にびっくりしながら、燐子ちゃんは続ける。
「はたから見ていると……お昼にご友人とお話している途中でも、急にギターを弾きに行ってしまったりするので、氷川さんの懸念もあながち否定出来なくて……」
「燐子!? 追い打ちになってない!?」
「……ううん……大丈夫だよリサちー……」
斬首を待つ罪人の気持ちで項垂れる。もうポテトを食べる気にもなれなくて溜め息を吐くあたしにあこちゃんがしゅんとした。
「ごめんなさい……あこ、こんな悩んでる日菜さんにおねーちゃんの話なんて……」
「……あのときは、完全にあたしが悪かったじゃん。年下に当たるとかみっともないでしょ。謝んなくていーの」
「……さっき諌めた手前アレだけど。いっそさ、あのときの勢いでお姉さんに恨み節ぶつけるのってどうかな?」
「恨み節?」
「向こうは仲直りした気でいるんでしょ? じゃあ、恨み言をこんこんと叩きつけたら、少しは……」
「やだよ」
びっくりするくらい素直に口を突いて出た。
あたしは──
「──だって、おねーちゃんのこと大好きだもん」
こんなに怯えて、悲しんで、傷ついてるのは、結局そういうことなんだから。
やけ食いセットなんか頼んで死屍累々のみんなを送り届けて、あたしはギグバッグとふたりきりになった。これからどこかへいくらしい女子高生たち、疲れた顔のサラリーマン、保育園帰りらしい親子連れ。それぞれをぼんやり眺めながら、まだ弦の感触が残る左手を胸元で握る。
Roseliaとして出せる全力は出した。曲の要として完璧なテンポキープ、ベースと息を合わせたリフ。あこちゃんのドラムは迸りそうな熱量を表面張力ギリギリで保たせきったし、迫真のリズム隊の上で繰り広げられた世界観は間違いなくあたしたちの最高地点の更新で、あの場の最強だった。
それを「まだ伸び代が見えるから今すぐ出すのは惜しい」なんてふざけた理由で蹴られてさぁ、どうしたらいいの。
今のあたしがおねーちゃんに迫れるものはRoseliaしかないのに。これで届かないなら、あとはなにを積んだらいいんだろう。
あたしに、なにが残ってるんだろう。
目線が落ちていることに気付いて意識的に顔ごと上げると、薄ら雲でくすんだ茜空がどことなく近い。届きそうな気がして手を伸ばす。しとり、こそぐ感触。白々しい月がぽつんと浮いたままだった。
描かれた弧は細くちっぽけで、弓というより遠く羽ばたく鳥に見える。
「……『白鳥』は、恋の歌だっけ」
誰に聞いたんだったか、忘れちゃったけど。牧水には好きな人がいて、告白をしても返事ははぐらかされて、実は相手にはもう恋人がいましたってオチだったっけ?
独り相撲じゃん。滑稽だ。思い上がって舞い上がってさぁ、あたしみたい。
悠々と
太陽に照らされない、影を湛える月の海に浮かぶのは、まっさらな無関心。
あたしは自分だけのものなんて要らなかった。ただ、お姉ちゃんのいろんな顔が見たい──違ったんだ。そうじゃなかった。
横顔でもいいから、見えるくらい近くにいてほしかった。
おねーちゃんと一緒にいたかっただけなんだ。
左手を徐ろに翳した。指の隙間から傾きかけた日差しと、薄ら笑いの白い月と、他愛もない雑踏、電車の音、流行りの音楽────
「それ──か──」
「そうそう──でね──」
──耳が、それを拾った。
人波の向こうに、おねーちゃんを見つけた。
「おねーちゃ──」
その隣に、あのアイドルグループのボーカルも。
おねーちゃんと最後のセッションで垣間見た誰かの影。クラスメイトの誰か、あるいはバイト先の人だろうと思ってた。あれは、その両方。
あたしのおねーちゃんを、盗った女。
「そのお店というのは──」
「──ちゃんの行きつけで──」
「──珈琲店ですか──」
足が跳ねる。
駆け出す。背中の重みも忘れて。
息の仕方を忘れて、歯を食い縛って、あたしは。
「待って、行かないで──」
人が邪魔だ。
距離が邪魔だ。
空気が邪魔だ。
そこにいるのに、見えるのに、空より月よりずっと近くなのに、どうして、届かないの。
「──置いてかないで、おねーちゃん!」
遠くでふたりが曲がる。狭い路地に入って行かれたらここからじゃどこで折れたかわからない。当てずっぽうで駆け込んだ道は人通りがなくて声もしない。引き返す時間も惜しんで方向を頼りにまだ走った。喫茶店はいくつか知ってる。好きそうな場所も、あたしなら──
──あたしに真似をされるのがヤだったんだ、おねーちゃんは。
それを、いきなり思い出して。
あたしは慌てた子供みたいに転んだ。
「……い、った……」
膝、血ぃ出てないかな。
アイドルじゃなくてよかった。アイドルだったら、体に傷なんか作れないし、なーんて。
「……痛い」
ギターをだらりと投げ出して、俯せから仰向けになった。あーあ、ちょっと擦り剥いちゃった。ちょっとで助かったけどさぁ。
「……いたいよ、おねーちゃん……」
じくじくと、痛む場所を押さえて。
「……側に、いたいよ……おねーちゃん」
張り裂けそうな胸から染み出す言葉を押さえて。
誰もいない路地で、しばらく惨めに転がっていた。
日が暮れた頃にやっと家に着いた。
擦りむいた膝をお父さんとお母さんにとっても心配されて、少し嬉しくて。友達と食べてくるからって帰ってこないおねーちゃんに安堵して、そんな自分に嫌悪感が湧いて。痛む膝に怯えながらお風呂を済ませた後はずっと部屋でギターを弾いていた。両親の優しさだと思う。そっとしておいてくれるのに甘えて没頭していたら、ふと喉の乾きを覚えて、やっと手を止めた。
時計を見ると、真夜中……どころか、もうちょっとで未明ってくらいの時間で面食らう。おねーちゃんは流石に帰ってきてるかな。
電気を消して、おねーちゃんの部屋へ向かう。
なんのことはなくて、しいて言えば魔が差しただけ。スマホも持たずに真っ暗闇の中でも、あたしは壁を伝うこともせずに迷わず歩き出せた。
瞼の裏に浮かぶのは生まれてから何度も通った短い廊下。小さい頃はあたしがおねーちゃんの手を引いていた。リビングからこの廊下を通って、かつては姉妹共用だったあの部屋までちょこちょこ走って。
扉は内鍵が付いてるんだけど、おねーちゃんは掛けてなかった。すんなり開いたドアから、恐る恐る、足を踏み入れる。
カーテンが開けっ放しで、真っ暗な廊下と打って変わって眩しいほどの月明かりが満ちていた。壁際の勉強机と、お父さんのお下がりのレコードプレイヤー、ちょっと性能の良いノートパソコン。ベッドからも机からも取れるように、部屋のまん中にギタースタンドが置かれている。綺麗な青が憎らしいくらい鮮やかに輝いて、あたしの後ろに影を伸ばしていた。
──かぐや姫はこんな顔してたのかな。
寝苦しかったのか薄い毛布だけ掛けて、お腹の上で指を組んだおねーちゃんが寝息を立てていた。
アイドル衣装のときに結んでいた髪は空を梳ったみたいにさらりすらり溢れて、落ちた月の雫が白い右頬を妖しく潤わせている。光を溶く長い睫毛の奥でどんな夢を見ているのか、艶めく唇は薄く笑みを浮かべて──壊れそうな、壊せそうな、危うい美しさ。
「おねー、ちゃん」
ベッドの上に片膝を乗り上げて、顔を挟むように腕を突っ張った。
あたしの声じゃ目覚めない。目元に垂れた髪を掬っても起きない。
眠り、姫を、起こすなら──この肘をすとんと、畳めば。
「……できないよ、おねーちゃん」
唇を奪って、首筋に噛みついて、傷つけて、穢して、あたしのものにしてしまいたい。そんな行いで本当に、あたしのものになるのなら、だけど。
額だけをそろりと下ろして合わせた。あたしの前髪が垂れて陰が落ちる。重なる鼻先、唇に触れる寝息。今、おねーちゃんが目を覚ましたらどう思うんだろう。驚くかな。悲鳴でも上げるかな。──せめて、嫌ってくれるかなぁ。
「……すき」
近すぎて見えないおねーちゃんの顔がもっと滲んでいく。
「……大好きだよ、おねーちゃん。ほんとだよ」
あたしとよく似て、あたしとぜんぜん違うおねーちゃんの綺麗な顔を、こんな涙で汚したくなくて。でも、離れたら二度と近づけない気がして。
隣に不時着するみたいに倒れ込んだところまでは、覚えている。
「──な、日菜、どうしたの。急にぼーっとして」
「……あれ?」
なにしてたんだっけ。おねーちゃんが呆れた顔で溜め息を吐いて、上品に持ったコーヒーカップに口を付けた。
千聖ちゃんに教えてもらってからすっかりお気に入りの喫茶店、いつものボックス席。パスパレもレッスンないし、Roseliaが今日は休養日だって言うから駄々こねておねーちゃんを連れ出したんだった。
「ごめんごめん! なんかぼーっとしちゃって」
「練習がないなら付き合ってほしい、って言い出したのはあなたじゃない……疲れてるなら無理しなくても」
「そんなことない! この新作おねーちゃん好きそうだな〜って思って、一緒に食べたかったんだもん!」
まだ帰りませーん、と手でバッテン作って抗議すると、よく見えないけど、くすりと笑う声が聞こえて。
「もう……しょうがないわね。だったらしゃきっとしなさい。一日くらい、私も付き合えるから」
そんななんでもない言葉が、死んでしまいそうなくらい嬉しくて。
気付いたら、はらはら、涙が溢れていた。
「日菜……!? 本当にどうしたの、どこか悪いんじゃ」
「違うの! ……おねーちゃん。おねーちゃんは……ねえ、変なこと聞いていい?」
「……なによ」
「あたしのこと、好き……?」
走馬灯みたいに思い出が巡っていた。星座の図鑑を引っ張り出してなんでなんでって質問攻めにして、一生懸命答えてもらったこと。家族で行った海、波打ち際で転んでおねーちゃん抱き起こしてもらったこと。かけっこ、宿題、お揃いの誕生日。……少しずつすれ違っていって、あたしはパスパレと、おねーちゃんはRoseliaと出会って。そしてやっとひとつ結び直した七夕を。
あったはずの、思い出を。
「……好きよ」
「……えへへ。よかった」
恥ずかしそうに目を逸らしながら言うおねーちゃんの、顔が見れない。
机の形も、コーヒーカップも、この新作の味も、全部が覚束なくて。
「あたしね、ときどき思うんだ。 なにもかも都合のいい夢で、起きたらまた、おねーちゃんとすれ違ったままなんじゃないかって」
「……そんなわけないじゃない。辛かったことも全部飲み込んで、こうして側にいるんだから。なかったことになんて……」
「うん……そうだよね」
視界の端から、青白い光に解けて。
「夢じゃないといいなぁ────」
「……日菜、どうしたの……? こんな夜中に」
目を覚ました。
月明かりに沈んだ夜で。ここはおねーちゃんの部屋で。もう思い出せないけど、夢を見ていたことだけは胸の奥に残っていて。
「……怖い夢でも見たの?」
切れ長の目を細めて、眉を寄せて、本当に心配そうに覗き込むおねーちゃんが、グロテスクなくらい綺麗な顔で。
神様みたいに頬を撫でた手を。
「──今更、優しくしないでよ!」
あたしは、払い除けた。
「あたしのことなんかどうだっていいでしょ!? おねーちゃんはギターが大好きで、ギターで綺麗な音を出すことにしか興味なくて、それを活かせるような、アイドルなんて立場まで手に入れて──仲良さそうな友達まで出来て!」
違うのに。
言いたいこと、たくさんあるのに。
今日の予選ライブ落ちちゃったとか、今のバンドの子たちは優しいよとか、みんなでファミレス行って打ち上げなんかしたんだよとか……あたし、ギター上手くなったよ、とか。
「あたしなんか要らないでしょ、もう……もう構わないでよッ!」
離れたくない。捨てられたくない──置いていかれたくない。
あたしには、おねーちゃんしかないのに。
「あたしばっかり、おねーちゃんを好きなままで……バカみたい……」
酷い言葉を投げかけて、叫んで、そのくせベッドから離れないあたしは、なんて浅ましいんだろう。
先におねーちゃんに嫌われるようなことをしたのはあたしのくせに、それが結び直されてからこんな駄々を捏ねて。
「置いてかないでよ……あたしを、おねーちゃんの妹でいさせてよ……」
主張なんか支離滅裂だ。お腹の底から溢れるままに吐き出して、これじゃ酔っ払いと変わんない。おねーちゃんの胸にあたしは縋りついていた。
返事がない。とうとう、ほんとに嫌われちゃったかな。引かれてたりして。
いつの間にか陰った部屋は月が消えたみたいだった。なにもかも失くしたらどんな夜が来るんだろう。どうにでもなっちゃえばいい。
犯行を終えた爆弾魔か、ボタンが押されるのを待つ死刑囚か。空っぽの清々しさのまま最後の体温を享受する私に、なにかが滴った。
「……ごめんなさい」
また、明かりが差して。
「──ごめんなさい。ずっと、蔑ろにしてばかりだった」
あのときと同じ言葉で。
震えた声で。
おねーちゃんは、あたしを抱き締めた。
「……なん、で」
「……好きなことにかまけてばかりの私なんて、とうに見限っていると思っていたのに。私と違って才能豊かなあなたなら、どこへだって自由に行けると思っていたのに……あなたを、そこまで追い詰めていたなんて」
おねーちゃんの髪の香りは変わってなかった。
最後のセッションのときと。
転んだ幼いあたしを抱き起こしてくれたときと。
いつか、一緒にお昼寝なんてしてたときと。
おねーちゃんがお姉ちゃんで、あたしが妹だったときと、少しも。
「ごめんなさい……ごめんなさい……! もっと、もっと早く気付いてあげなくちゃ、いけなかったのに……!」
背中に回された腕が、骨に堪えるほどにあたしを締め付けて。
その痛みが底の抜けた心を少しずつ、少しずつ、無謬の温度で埋めていって。
指先まで回ったそれが、あたしに抱き締め返させた。
「おねー、ちゃん……おねーちゃん……!」
現金なやつ、そうなじられるだろうか。
あたしに滴ったそれが涙だって、震えた声が後悔だって気づいた途端、あたしは迎えが来た迷子みたいに縋りつくのを抑えられなかった。抑えようとも思えなかった。
もらった温かさを返すみたいに力を込めるあたしに、おねーちゃんはふるふると首を振る。
「お姉ちゃん、なんて……ギターしか取り柄のない、妹が悲しんでるのにも、気付けなかったのに……」
「お姉ちゃんだよ……! あたし、あたしの、お姉ちゃんは、おねーちゃんだけだもん──!」
──あたしは、天才らしい。
本の一冊くらい流し読みで暗記できる。学校のテストなんて当たり前に満点が取れる。ギターだって、一年ちょっとにしては弾ける方だ。
できない人の気持ちは、正直今だってわからない。正論に従えないのはともかく、それ自体がわからないなんてことはない。生きていくに限り必要な試行錯誤と折り合いに困ることはきっとない。
でも。
「おねーちゃん……あたしを、置いてかないで! おねーちゃんの、妹のままでいさせて……!」
たった一言でよかったのに。
そんなことに気づかずに迷走して、空回って、傷付いて、傷付けて。
馬鹿みたいだなぁ、あたし。
「わた……私、こそ」
おねーちゃんは泣きじゃくって、私の両頬に手を添えた。顔を上げると、宝石みたいな雫をはらはら散らしながら、真っ赤になってあたしを見ていた。
かぐや姫でもなんでもない、ありもしない幻の晴れた素顔はしわくちゃだった。──あたしも、きっと。
「こんな、不甲斐ない私でも……でも、あなたの姉でいたい……!」
「……うん、うん……!」
みっともなく泣いて、泣いて泣いて泣いて、喚いて、抱き合って。
泣き疲れて子供みたいに倒れ込んだあたしたちを、夜の日差しだけがふんわり見ていた。
夢を見た気がするけど、覚えてないや。
ただ、夕溜まりに浸したみたいな温もりだけは左手に、穏やかに、まだ。
いつもよりちょっぴり遅くて、世間よりはほんのり早い朝だった。
あたしの隣にはおねーちゃんが眠っている。意外と寝坊助らしい。カーテンの隙間からほのかに差す日に照らされた横顔を影の側から眺める。
窓の向こう、空の端っこへ帰っていく白い月は、浅い青の中でも浮かんで見えて。
こんな良い月をひとり──ううん、やっぱり、独り占めはもったいないかな。
「──起きた? おはよ──」
あたしの、大好きなおねーちゃん。