生まれつき持ってた色んな知識のせいで性格・中庸になった紗夜ちゃんに、日菜ちゃんは情緒と性癖をぐちゃぐちゃにされてしまいました。かわいいね。

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春眠暁を覚えず

 人の心が無いとは、一体どういう意味なのだろう―――。

 

 そういう表現を、よく耳にする。耳にするというか、言われている。面と向かって茶化すように言われるときもあれば、陰口を叩かれていることもある。

 

 言われたところで何とも思っていないのだから、余計心が無いなどと思われるのだろう。

 

 悪循環だ。

 

 悪い流れを作るばかりで、このままでは負の連鎖から抜け出せない。

 

 抜け出せない、が。

 

 抜け出せなかったところで、何がどう変わると言うのだ。

 

 あるいは。

 

 抜け出したところで、何がどう変わると言うのだろうか。

 

 どちらにしたって同じじゃないか、と氷川日菜は考えている。

 

 人の心が無い。その妄言を言われないようにする解決策は簡単だ。馬鹿でもわかるように、オーバーなリアクションを取ってやればいい。目に見えた表現をしてやれば、それで大抵は納得する。

 

 馬鹿だから。とは、流石に言い過ぎだけれども。

 

 そんな表現に、一体何の価値があるのだろうか。

 

 人の心が無い。

 

 そう言われて喜んでいるようでは、変人の振りをした凡人だ。怒ったり悲しんだりしていれば、図星を指されているようですらある。

 

 いや、怒ったり悲しんだりしている時点で、感情はあるのだろうけど。

 

 感情なら、日菜にだってある。

 

 嬉しいし、腹が立つし、悲しいし、楽しいし、愛しいし、羨ましいし、面白いし、恨めしいし、妬ましい。

 

 日々を過ごす中では、様々な感情が胸の内に渦巻いている。

 

 そもそも、心と感情。その違いは何なのだろう。前提として、違いはあるものなのか。

 

 ただの類語として片付けていいものか。はたまた心と感情とは別物なのか。

 

 感情のある日菜が心無いと言われるのだから、別物だと考える人間が大半なのだろう。

 

 日菜に言わせれば、心なんて―――はじめから無いものだ。

 

 存在しないものだ。

 

 人の心、という表現からしてよくわからない。

 

 人の心があるのなら、犬や猫の心もあるのか。

 

 ―――いやないでしょ。

 

 人も犬も猫も、心なんて、誰も持ってはいないのだ。

 

 感情はわかる。脳波を測定して、外部からの刺激に反応する部位があれば、それが感情と呼べるものだ。脳の中で起こっている物理現象だ。

 

 けれど心には―――形がない。

 

 脳という器官があるわけでもなければ、その中で起こっている化学反応でもない。

 

 物理的に存在していない。

 

 実在していない。

 

 だから見ることも、触れることもできない。

 

 幽霊と同じだ。

 

 ―――そう。おんなじだ。

 

 生きている人間の心は、そのまま心と呼ばれ、死んだ人間の心は、幽霊と呼び名が変わる。

 

 幽霊の存在はみんな信じないのに、心の存在はみんなが信じきっている。

 

 面倒くさい概念だなぁ、と日菜は思う。

 

 人間はわかりやすいものが好きすぎる。もしくはその逆で、わかりにくいものが嫌いすぎる。

 

 わかりやすくするために都合の良い概念を発明して、そのせいで余計にわかりにくくしている気がする。

 

 なんでも人間というやつは地球上で唯一の知的生命体を名乗っているらしいが、日菜が知性を感じた相手は今のところ存在しない。

 

 家族や学校の知り合いや、自分も含めて。

 

 馬鹿ばかりだ。

 

 一等マシなのは、自身の片割れである双子の姉くらいだろうか。

 

 そう本人に言ってみれば、「ふふっ」と笑われてしまった。

 

 お風呂上がりだからだろうか。普段はボリュームのある細く柔らかなロングヘアが、しっとりとしていてストレートのように見える。

 

 第二次性徴期真っ只中の身体は、身長が大きく伸び始めている。けれど女性らしい丸みはまだ帯びておらず、姉の身体はすらりと細く、しなやかで―――美しい。

 

 今はパジャマに隠されているが、無防備に裸や下着姿で目の前を横切られたら、思わず目で追ってしまうほど。

 

 いやらしい意味ではなく。

 

 姉の身体は、ひどく均整が取れている。

 

 余分な肉が一切ついておらず、生きるために最適化された肉体。

 

 正直、どんな芸術品にも勝っていると、日菜は感じている。

 

 その肉体がスポーツなどで躍動しているときなんて、日菜は無意識に姉の服の下を夢想している。

 

 そこに野生を感じている。決して動きが粗野なわけではない。むしろ一つ一つの動作はキビキビとしていて、見ていて心地良い。

 

 生きるという動作が本来どのようなものだったのか、姉を見ていると伝わってくる気がするのだ。

 

 姉を見るのは、剥き出しの生命を見ているのに近い。

 

 そして、そんな姉は。

 

「かわいいわね。カミュの『異邦人』みたいで」

 

 もう西暦二〇〇〇年代だって言うのにね、と言った。

 

 その口調が、日菜よりも人類を馬鹿にしているように聞こえる。

 

 日菜の姉―――氷川紗夜は、二段ベッドの端に座って、黙々とお手玉で遊んでいた。日菜が見ている前で、三つのお手玉が順繰りに宙を舞っている。紗夜がお手玉を掴む度に、シャッ、シャッ、と中に入ったお米だか小豆だかが音を立てる。

 

 伝統的と言えば聞こえはいいが、小学六年生が寝る前にやる遊びがそれでいいのかと思う。

 

 上手いは上手いのだけれど。もうかれこれ五分ほど、一度もお手玉を落とすことなく、姉はお手玉を投げ続けている。

 

 とは言え、折角人が知性を褒めたのだから、もう少し締まることをしてほしい。

 

「遊びながらではあるけどね、空間認識能力を養っているのよ。古臭いと、笑いたければ笑えばいいわ。十年後に笑っているのは私の方だから」

 

「ほら。そういうところ。同年代の子と六年間接してわかったけど、本気で十年後を見据えて行動してる人なんて、おねーちゃんしかいないじゃん」

 

 クラスメイトが考える先のことなんて、今日の放課後何して遊ぶ? 程度のものだ。

 

 大人にだって早々居ない。学校の先生は節目節目に大きなイベントがあるから、数ヶ月先のことは考えているようだが、実際に行動を起こすのは直近になってからだし、来年のことなんて考える余裕は無いだろう。

 

 けれどこの姉は―――脳死でお手玉をしているようにしか見えないこの片割れは―――自分の十年後の姿が鮮明に見えている素振りをする。

 

 自分の思い描く姿になるように、今から調整を重ねている。

 

 日菜には、そう見えている。

 

 あたしには。

 

 ―――無理だった。

 

 来年どころか明日を考えることすら危うい。

 

 精々、目の前の背中に追い縋るだけで精一杯だ。

 

「私には私のスタンスがあって、スタイルがある。別に思想や指針まで真似る必要は無いんだから、日菜はその辺自由にやれば? あなたなら、刹那主義でも十分上手く立ち回れるでしょう」

 

「おねーちゃんが何かに縛られてる状態こそ、あたしには想像できないんだけどね……」

 

 姉こそ自由だ。自由というより、多芸だ。

 

 勉強はできる。運動もできる。料理にも手を出した。絵心だってあるし、ピアノ教室にも通っている。

 

 どれもこれも、年の割りには高水準でまとまっている。

 

 日菜はまったく興味がないが、姉はコンテストやコンクールにも消極的ではあるものの、時折参加している。姉が金賞を取り損ねるときは、一点特化型の天才が現れたときくらい。

 

 そういうときの姉は悔しがる素振りを微塵も見せず、素直に自分より上の受賞者を称賛する。

 

 なんというか、人間ができている。

 

 というか、自分が負けたと思っていない。

 

「いい、日菜? こういう特技や趣味みたいなものは、全然別のジャンルから三つ以上のものを選びなさい」

 

 そう、かつて紗夜は言っていた。

 

 どうして? と問い返せば、物事が安定するのは三つ以上の要素がある場合よ、と返された。

 

「先の尖った鉛筆とコンパスと三脚。自立できるのはどれ?」

 

「三脚だけど……」

 

「三つ以上支えがあった方が安定するのはわかったわね? あとは心のバランスの問題。ピアノで負けても、私の方がたぶん運動できるし。運動で負けても、たぶん私の方が料理上手いし。料理で負けても、たぶん私の方が絵は上手いし。そうやって、あらかじめ逃げ道を複数作っておくのよ」

 

 それじゃあそもそも、勝負なんて成り立たないじゃないか、と日菜は思った。

 

 紗夜と同じことは日菜にもできる。どの分野であってもだ。

 

 瞬間瞬間であれば、紗夜よりも高い点を取れるだろう。

 

 けれど、日菜が紗夜と同じ趣味に手を出した理由は、紗夜がやっているからというのが十割だ。

 

 今のモチベーションはそれでいい。誰もが日菜にそう言ってくれる。

 

 しかし十年後、自分はまだ勉強したり、運動したり、料理をしたり、絵を描いたり、ピアノを弾いたりしているかと聞かれれば、たぶん、やっていない気がする。

 

 元々、飽きるのは早いたちなのだ。何事も、長続きはしない方だ。

 

 けれど。

 

 姉は―――ずっと続けているだろう。

 

 十年後も今と対して変わらない生活リズムで過ごしている様子が、ありありと目に浮かぶ。

 

 どんなに短くても隙間時間で練習を重ねて、着実にスキルを身に着けて、最後には日菜の手の届かない領域へ行ってしまう。

 

 置いていかれるのが嫌だから、今は懸命に紗夜の背中にしがみついているけれど。

 

 もう無理だと悟ったときが、本当の意味で日菜が姉離れをする瞬間なのだろう。

 

 そう思っているから、日菜は紗夜に対して、勝ったと思ったことなど一度として無い。

 

 たまたまこの一回の成績が姉よりも高かっただけ。それこそ十年後に最終成績を比べてみれば、大敗を喫しているのは日菜の方だろう。

 

 だから、勝ったなんて、口が裂けても誇れない。

 

「日菜は、一度刹那主義に振り切った方がいいと思うけれど」

 

「刹那主義って、先のことを全然考えないってことでしょ。そういうの、おねーちゃんは嫌いじゃないの?」

 

「主義主張を好き嫌いで語るのは反対よ。あるのは合うか合わないかだけでしょう。私はただ、ある程度予定を立てて動いた方が生きやすいのよ。無計画に生きる人を嫌うことも糾弾することも、私に不利益が生じない限りするつもりはないわ」

 

「それ。表に出してないだけで、本質的には嫌いじゃん。あたし、おねーちゃんには迷惑しかかけない自信しかないんだけど…………えっと、もしかして、あたしのことを遠ざけたいから、そうなるように誘導してる?」

 

「変なところで被害妄想が強いのよね……。あなたから被る迷惑を不利益と考えたことは無いし、その程度のことで日菜を嫌いになったりしないわ。愛してるわよ」

 

 お手玉をする片手間で愛を囁かれても、日菜はちっともときめいたりはしなかった。

 

「これはあくまで私が日菜に対して持ってる偏見だから、真に受けないでほしいのだけれど、たぶん、あなたは感情のまま今この瞬間を全力で駆け抜ける方が性に合ってるわ」

 

「……根拠は?」

 

 日菜の問いに、紗夜はパスと答えた。

 

 回答を放棄したわけではなく、手に持ったお手玉をそのまま日菜に投げ渡してきたのだ。

 

 驚いたものの、日菜は危うげなくお手玉を頭上に弾いて、そのまま三つのお手玉でジャグリングをはじめた。

 

 今まで散々紗夜の手の動きを見て、お手玉をキャッチするリズムを聞いてきたのだ。このくらいは、簡単にこなせる。

 

「じゃあ、これも」

 

 と、紗夜は自身の傍らに置いていたお手玉を、さらにもう二個投げてきた。

 

「ちょっ、とっ、とっ」

 

 咄嗟に掴んで反射的に上へ投げるも、リズムは完全に崩壊した。かろうじて十回近くは投げれたから、二巡はできた気がする。

 

 それが限界だった。

 

 リズムの立て直しには失敗し、お手玉を一つ取りこぼす。

 

「急に五個は無理だよ」

 

 残りの四個を掌に収めながら、日菜は悪態をついた。床に落ちた一個を拾って、まとめて学習机の上に置く。

 

「五個同時になんて、私は一回だってできないけれど」

 

 一回というか一巡かしら、と紗夜は言った。

 

「現状は私よりもできてるんだから、それを喜ぶなり誇るなり煽るなりする気にはならないの?」

 

「……煽っていいの?」

 

「ぶん殴るわよ」

 

 おねーちゃんが言ったのに……。

 

「でもやってればそのうちおねーちゃんの方が上手くなるでしょ。あたしは練習続ける気無いし、たぶん一回抜かれたらもうおねーちゃんを抜き返すなんてできないし」

 

 素直には喜べないよ、と日菜は言った。

 

「別に私だって生涯かけてお手玉やり続けるつもりなんてないわよ。というか今日限りで触らないつもりだもの」

 

「そうなの? ついさっき、空間認識能力を鍛えて十年後に笑うのは自分だとか言ってなかった?」

 

「それは単純に地図が読めたり、平面図から立体図を想像する力を指しているだけよ。お手玉以外でもこの手の認知力はいくらでも鍛えられるしね。小学校の時分は動体視力とか、ボールの着地点を予想する力とか、諸々含めてお手玉が最適かなって思っただけで、拘泥するつもりはないわ」

 

 だからお手玉なら生涯であなたの方が上手よ。嬉しい? と、日菜は問われた。

 

「そんな勝ちを譲るみたいな言い方されても嬉しくない」

 

 そもそも、日菜と紗夜ではまるで視座が違う。

 

 空間認識能力を鍛える目的のために、お手玉という道具を選んだ理由。正直半分くらいはただの暇つぶしだと思っていた。けれど蓋を開ければ、紗夜らしい合理的な理由が敷き詰められている。

 

 日菜は―――何も考えていない。

 

 すべて、紗夜の見様見真似だ。

 

 勝ち負けと言うのなら、もうその時点で負けていると思う。

 

 思ったことをそのまま口にすれば、紗夜は困ったように口元に手をやった。

 

「これは私の価値観の押し付けになってしまうのだけど」

 

 そう前置きして、紗夜は黙る。とても慎重に、言葉を選んでいるのが伝わってくる。

 

「―――いえ、迂遠な言い方は却って分かりにくくするだけね。ストレートに言ってしまうわ。あなたの生き方だと―――私は全然楽しめない。もちろん私と日菜はそれぞれ独立した別個の人間であるし、同じものを見てもどう感じるかは違うと理解してる。その上で聞くけれど、日菜はそんな価値観で本当に物事を楽しめているの?」

 

「あたしは、おねーちゃんと一緒なら何だって楽しいよ」

 

 これは紛れもない本心だ。

 

 日菜は元から、結果にはこだわっていない。そもそも競っていると思っていない。競ったところで、どうせそのうち紗夜に抜かれるという意識の方が強いからだ。

 

 だから日菜にとって重要なのは、紗夜と共に、紗夜と同じ過程や経験を得ること。

 

 紗夜と少しでも多くの時間を共有することが、日菜にとって大切だった。

 

「あくまでも、私ありきということね」

 

 そう紗夜は納得した。

 

 納得して、それはそれでムカつくわね、と呟いた。

 

「私は普通に悔しいわよ。私があなたに勝ちを拾えているのは、あなたが新しい物事に不慣れな、言ってみればチュートリアルみたいなときだけでしょう。あなたがルールや手順に慣れたあとは、よくて引き分けか、私の負けで終わっていると、私は記憶しているのだけれど」

 

「……まあ、そういうことが多い気は、あたしもする。けど、おねーちゃんが悔しがってたっていうのは嘘でしょ。普通にいっぱい褒められた記憶しかないんだけど」

 

「そりゃあそうでしょう。私の悔しさと、日菜の成果の間には、何の関係も無いわ。あなたに私の悔しさをぶつけるのは、お門違いにもほどがある。だから極力、気をつけてきた―――つもりよ」

 

 覚えはあった。

 

 氷川紗夜は、自分を負かした相手に惜しみない賞賛を送る。

 

 特に印象に残っているのはピアノのコンクール。あのとき金賞を取ったのは、見るからに気弱そうな女の子で、紗夜の過剰な褒め言葉に引いていた。褒められているのに、怯えて泣きそうになっていた。

 

 氷川紗夜は人間ができているから―――。

 

 悔しさよりも、相手を褒め称える行為が先立つのだと思っていた。

 

 でもそれは日菜の勘違いで、紗夜はずっと悔しい思いをしていたらしい。

 

「相手の得意分野で負けたとしても、私の別の得意分野ならボコボコに仕返す自信はあるわ。でも負けたという事実は変わらないし―――負けたら素直に悔しいわよ」

 

 しかもあなたには、すべての土俵で全敗よ、と紗夜は嘯く。

 

 今のところ、日菜は紗夜に全勝している。けれど日菜にとって、それらは遠くない将来、すべて巻き返されるものであって、日菜には何の価値も無いものだ。

 

 喜ぶことも、誇ることも、してこなかった。

 

「あなたが優れたものを作ったときなんかは、私も言葉を尽くしたものだけど、あまり刺さってはいなかったわよね。今の話を聞く限り、そのうち私がもっと素晴らしいものを作るから、とか思っていたのでしょうけど」

 

 あなたがそんな調子じゃあ、今の私の立つ瀬が無いじゃない。と、紗夜は言った。

 

 吐き捨てる、とまでは言わないが、彼女にしては珍しい乱暴な言い方だった。

 

 日菜が見ているのは、いつも未来の紗夜だった。紗夜が自身の成りたい姿を明確に描いているようだから、日菜もその姿を見ようと夢想した結果なのかもしれない。

 

 ただその代わり、いま日菜の目の前に座っている、この紗夜の姿は見落としていたかもしれなかった。

 

 いや。

 

 かもしれないではなく、事実、見落としていた。

 

 日菜が無意識で行っていたのは、紗夜の存在を無視していたのと同じことだ。

 

 たしかにこれは、ムカつくと言われても仕方がない。

 

「日菜は今を見ていないのよ。今を見ていないから、地に足ついていないのよ。地に足ついていないから、賛美も罵倒も同等で、右から左に柳に風。いつまで経っても、自分で作った私の幻影に囚われているから―――」

 

 ―――人の心が無いなんて、言われてしまうのよ。

 

 心ここに非ずだものね。

 

 すとん、と紗夜の言葉が臓腑に落ちた。

 

 心なんてもの、実は誰もが持っていない、都合の良い辻褄合わせの道具だと思っていた。

 

 けれど日菜も持っていたのだろう。ただそれを自分で持たず、完成された未来の紗夜という妄想に預けてしまっていただけだ。

 

 あは、と笑みが溢れる。

 

「そっか。そうだったんだ。なんか、納得したっていうか、つながったっていうか、霧が晴れたっていうか、憑き物が落ちた気分。いま人生で初めて、あたしは心を見つけた気がする」

 

「そ。なら私も、心を砕いた甲斐があったというものね」

 

 紗夜の持って回った言い回しに、今度こそ大口を開けて、日菜は笑った。

 

「負けだよ、あたしの負け! おねーちゃんの勝ち!」

 

 点数だとか、技量だとか、作品の優劣だとか、そんな小手先でどうにかなる矮小なものとは違って、もっと本質的なもので日菜は紗夜に負けたと思った。

 

 負けを悟った。

 

 おねーちゃんには敵わない、と自然に思えた。

 

 紗夜は自身の戦績を全敗だと言っていたが、今の日菜は完敗だ。

 

 けれど紗夜とは違って、悔しさは毛ほども湧き上がってこない。

 

 胸の内から溢れてくるのは、気持ち良いくらいの清々しさ。

 

 肋骨の内側ではるんっと心臓が高鳴って、紗夜に対するときめきが隠しきれない。

 

「ありがとう、おねーちゃん。余所見せず今目の前だけに全力を注げばいいから―――刹那主義。そういうことでしょ?」

 

「そういうことよ。……そういうことだけど―――餞別代わりにちょっと啓蒙する程度のつもりだったのに、何だか思想を押し付けてしまったみたいで気が引けるわ」

 

「えー? いいよ別に。あたしもそっちの方がいいなって納得した上での改宗? 回心? なんだからさ! それより何? 餞別って」

 

「もう願書受付も終わったから日菜に言うのだけれど、実は私―――中学受験するのよ」

 

「―――は?」

 

 人生最高の気分は一転し、人生で最もドスの利いた声が日菜の口から発せられた。

 

 

       ◇

 

 

 姉から好かれているとは思う。

 

 姉に嫌われているとは思えない。

 

 むしろ、そんな疑念を挟む必要が無いほどに、気にかけてもらっていると日菜は感じている。

 

 日菜は気づいている。

 

 ふとした日常の中で、紗夜の視線が自然と日菜を追っていることを。

 

 日菜は覚えている。

 

 たとえばランドセルに給食袋を入れっ放しにして忘れていたときや、図工や理科の実験で親に買ってもらう必要があるものを失念していたとき、そういった場合に紗夜の事細かなフォローに幾度も助けられてきた。

 

 いくら紗夜でも。

 

 日菜からして人間ができていると思える紗夜であっても。

 

 嫌いな相手を逐一構うような真似はしないだろう。

 

 紗夜が嫌うとしたら、それはきっと自身の安寧を脅かすものだ。

 

 わざと不利益を押し付けてくるような輩とは、流石に紗夜も関わらない。

 

 日菜は―――。

 

 その区分には、入っていない―――はずだ。

 

 自信が、持てない。

 

 日菜は刹那主義が性に合っていると勧められた。

 

 けれどそれを勧めてきた張本人は、秘密主義の色が濃い。

 

 聞けば何でも答えてくれる。

 

 紗夜が知っていることなら、日菜が理解するまで付き合ってくれる。

 

 紗夜が知らなかったとしても、一緒に調べ物をしてくれる。

 

 紗夜自身のことについても、嘘偽りなく答えてくれる。

 

 以前、紗夜は言っていた。

 

「嘘って、利点は言葉一つで行える手軽さくらいのもので、パフォーマンスは低いし、そのくせコストが高すぎるのよね」

 

 低学年の頃の道徳とか、そういったものの合同授業の絡みだったと思う。紗夜と一緒に授業を受けれる数少ない機会だから覚えている。

 

 嘘をついてはいけない理由として、言われた方は悲しいからとか、人を騙すのは犯罪だからとか、周りがやいのやいの言っている中で、紗夜は日菜に対して費用対効果を述べていた。

 

 誰に何を言ったか覚えておかなければならないし、その人物が他の誰かに自分の発言を喋っていた可能性を考えると、二度とその話題で迂闊なことは言えなくなる。

 

 端的に言ってコスパは最悪。だから日菜も極力つかないようにしておきなさい。

 

 この言葉は、紗夜の根幹に根差しているものだと思う。利害関係で物事を判断しているのがいかにもらしいし、紗夜は無駄なことをいつまでも覚えていたくはないだろう。

 

 だから、紗夜の言葉に嘘は無い。

 

 紗夜が言葉にした中には―――嘘は無い。

 

 聞かれれば、本人が勘違いしていない限り本当のことを教えてくれる。

 

 逆に言えば、日菜が訊ねなければ、一々説明したりはしないのだ。

 

 日菜に黙って、隠していることは―――かなりある、と睨んでいる。

 

 中学受験を隠されていたことで、ひとつの知識と紗夜の行動が結びついた。

 

 小学六年間において、日菜と紗夜は一度も同じクラスになったことがない。

 

 クラス分けは運だからしょうがないと諦めていたが、流石に六年連続で外れたときは今の担任に愚痴ったものだ。

 

 すると少し考えた後に担任は言った。「氷川って、姉妹一緒にピアノ習ってなかった?」と。

 

 クラス分けにピアノが一体何の関係があるのかと思ったが、クラスごとに合唱をする校内行事などの絡みで、ピアノが弾ける生徒は極力分散させられるのだという。

 

 えー、じゃあピアノ習わなければよかったなー、と当時はそんなことを思って、そんな制度があることに不満を抱いたものだ。

 

 今ならわかる。

 

 ―――やられた。

 

 姉は、初めから知っていた。日菜が自分を真似てピアノを習うところまで読んで、ピアノ教室に通いたいと言ったに違いない。

 

「特技のひとつで楽器が弾けたら格好良くない? それにピアノだと音楽理論を覚えないといけないらしいから、他の楽器に転向するときも理解や上達が早いって聞くけれど」

 

 ピアノ教室に通いたい理由として、紗夜はそんなことを言っていた。きっとそれは嘘ではない。裏の意図があっただけで。

 

 ひとつの行動で、二重三重に意味を含ませている。

 

 じゃあ本当は、どこまでが含みのない真意なのだろう。

 

 色々と気遣われてきた。いっぱい助けられてきた。たくさん支えられてきた。

 

 けれどそれらは、紗夜の本心からの行動だったのだろうか。真心あっての振る舞いだったのだろうか。

 

 もしも―――本気で嫌われていたら。

 

 本気で、日菜と顔も合わせたくないのだとしたら。

 

「……あたしって―――どうなっちゃうんだろうな」

 

「日菜? 何か言ったかしら?」

 

「流石にね。あたしもおねーちゃんを疑うことを覚えたよって言ったの」

 

「……心外ね。疚しいことなんて、私は何もしていないわよ」

 

「でもあたしに黙ってることはまだあるよね?」

 

 中学受験をすると告白された日、続けて「じゃあ明後日受験だから、そろそろ本腰入れて復習させてね」と、聞く人が聞けば舐めているとしか思えないようなことを姉は口にした。

 

 とはいえ。

 

 日菜の見ていないところで受験対策は万全なのだろうし、すでに勉強が習慣化していて、多種多様な知識を兼ね備えている我が姉が、同年代の子供に負けるとは思えない。

 

 ―――受かるだろうな。

 

 日菜自身、そう思っている。

 

 これまで姉に負けを認めさせたことがあるのは、芸術方面における突き抜けた天才たちと、この氷川日菜だけなのだ。

 

 受験帰りの姉に「どうだった?」と聞けば、「人事は尽くしたからあとは知らない」と返された。

 

 余裕だったのだろう。天命を待つまでもない。

 

 受験があったことなどお構いなく、日々のルーティーンとして机に向かっている姉に対して、日菜は一枚のパンフレットを叩きつけた。

 

 ―――月ノ森女子学園。

 

 中高一貫の女子校であり、創立から百年近く経つ由緒ある名門校と謳われている。

 

 紗夜が通おうとしている、学校だった。

 

「これ」

 

「読んだの?」

 

 うん、と日菜は頷く。

 

「そう、ね。たしかに、日菜には言っておくことがあるわ」

 

 紗夜の発言を受けて。ああやっぱりと日菜は思った。

 

「一応親の了解は得ているとはいえ、私とあなたで教育コストに差がついてしまったもの。高校まで上がったら、私はバイトをはじめて少しでも自分の学費の足しにするから。だから先の話になってしまうけど、大学受験は日菜の意思を尊重する。あなたはあなたで、好きにすればいいわ」

 

「……いや、そういうのはどうでもよくて、あたしが言いたいのは」

 

「日菜」

 

 珍しく、強い口調で遮られた。言葉の強さに、日菜は思わず押し黙る。

 

「お金の話は、どうでもよくない。大事なことよ」

 

 紗夜の言う通り、なのだろう。

 

 紗夜が正しいと思うが、どう正しいのかは、日菜には判断がつかない。

 

 教育コストと紗夜は言うが、月ノ森の学費を日菜は知らない。パンフレットに書いてあったかもしれないが、興味が無いので読み飛ばした。本当に記載があったか、思い出すことすらできない。

 

 それに学費がいくらだろうと、日菜は両親の収入を知らない。我が家の貯蓄がどのくらいあるのかも知らない。

 

 今回の紗夜の選択がどの程度負担になっているのか、そもそも親は負担に感じているのか、まるでわからない。

 

 紗夜は、わかっているのだろう。

 

 自分の我儘のために、無茶な要求を親にしているとは、日菜には思えなかった。

 

「要するに、今はおねーちゃんだけお金をかけられてるように見えるけど、高校とか大学は、あたしの好きにさせてくれるってことでしょ。おねーちゃん的には、そこで帳尻を合わせるつもりってことだよね」

 

 別に今も文句はないよ、と日菜は言った。

 

「あたしだって中学受験したいかはおかーさんに聞かれてたしね。おとーさんもおかーさんもあたしたちにその気があるなら応援するって感じだったし、おねーちゃんはそのとき興味無いって言ったから、あたしもおねーちゃんに倣ったわけだけど」

 

「私はそのあと気が変わったのよ」

 

「一言言えよとは思ったけどさ。でもまあ、それ聞いてたら絶対『じゃああたしも』って言ってただろうし。おねーちゃんはちゃんと自分の人生考えた上で進路決めたんだろうけど、そこに何も考えず乗っかるのは違うんじゃない? って、おねーちゃんが受験してる間に納得させました」

 

 だからお金の話は本当に気にしないでいいよ。おねーちゃんたちも色々考えてくれてるのはわかったから、と日菜は答えた。

 

「あたしに不満があるとしたら、こうやって話を逸らされてる気がするってこと」

 

「これも大事な話だから、逸らしたつもりは無いのだけれど……。じゃあ、日菜の本題って何よ?」

 

 そしてようやく、広げたパンフレットの出番が来た。日菜はパンフレットの中から、全寮制の文字列を指し示す。

 

「学生寮があるらしいね」

 

「そうみたいね。まあ百年続く名門だそうだし、地方に嫁いだ先でも娘を自分の母校に通わせたいと考える母親は少なくないってことでしょう」

 

「おねーちゃんも入るつもりでしょ、この寮に」

 

「そうだけど」

 

「聞いてない」

 

「まだ言ってなかったわね」

 

 なんて、紗夜は澄ました顔で嘯いた。

 

 どのタイミングで言うつもりだったのか、日菜にはわからないが、単純に言いそびれていたわけではないと感じる。

 

「むしろよくわかったわね」

 

 と、紗夜は感心したように日菜の瞳を覗き込んでくる。

 

「名門とかお嬢様学校みたいなブランドにおねーちゃんが欠片も興味持ってないのは流石にわかるから、他の要素で絞り込んだの。で、全寮制の中学校で、家から一番近いのが月ノ森だった。だから、これがおねーちゃんの主目的だろうなって。

 寮に入っても、休日に顔を見せに帰ってこれるなら、おとーさんたちを納得させるのも簡単だったんじゃないの?」

 

「ええ。合ってるわよ。まだ続きはあるの?」

 

「で、なんでそんなチョイスをしたのかっていう理由についてなんだけど―――」

 

 日菜は言葉を区切った。次にする質問に、紗夜がなんて答えるか、まるで想像ができない。聞き届ける覚悟なんてできないから、一拍踏み留まった。

 

「あたしと―――」

 

 息を深く吸って、吐く。

 

 ―――離れるためでしょ。

 

 言い切ってしまえば、あとは紗夜の反応を待つだけだ。

 

 固唾を呑んで、紗夜の言葉を待つ。胸の奥はバクバクとうるさいし、胃の辺りは色んなものがギュッと縮まって痛いくらい。息苦しさすら覚えて、日菜は服の襟元を乱暴に掴んだ。

 

「―――まあ、そうよ」

 

 そっけない返事。否定してはくれないんだな、と日菜は少しショックに思った。

 

「だよね。おねーちゃんがピアノ習い出したのも同じ理由でしょ。もうわかってるんだから。学校では出来る限りあたしと顔合わせないようにして、今度は家でもそうするつもりってことでしょ」

 

 言ってて悲しくなってくる。

 

 目がどんどん熱くなる。声をしゃくり上げそうになってしまう。横隔膜はズキズキと震えて、鼻から吸う息すらも途切れ途切れだ。

 

「あたし、そんなに嫌われてた―――?」

 

 紗夜は、困り果てたように眉根を寄せた。

 

 実は今も嫌なのだろうか。共用で使っている子供部屋も、隣に並べられた学習机も、日菜が高い方を独占している二段ベッドも。

 

 紗夜はぜんぶ―――嫌だったのだろうか。

 

「日菜のことは愛しているけど―――」

 

 けど。

 

 何なのだろう。何が、続くのだろう。

 

 紗夜は嘘をつかない。自分を偽るような真似はしない。そこだけは信用できる。

 

 けれど、真実を話しているとも限らない。胸の内を、早々に晒したりはしない。隠し事は―――上手い方だ。

 

「傷つけたいわけでも、泣かせたいわけでもないのよ、本当に」

 

 紗夜が手を伸ばしてきて、日菜の目元を拭った。紗夜の指先が、日菜の涙で輝いている。

 

 絵に描いたような優しいおねーちゃんの仕草だけれど。

 

 裏がないかを―――勘繰ってしまう。

 

「氷川日菜を愛している。たとえ幾千幾万の人があなたに魅了されようと、この姉一人の愛には到底敵わないでしょう」

 

「他人の言葉。今のは、煙に巻こうとしてる」

 

「星が炎であることを疑っても―――とは、もういかないようね」

 

 星が炎であることは疑わない。

 

 太陽が動くことも疑わない。

 

 真実が嘘つきだとも疑わない。

 

 けれど、氷川紗夜の愛だけを―――疑ってしまう。

 

 ―――あたしは、何を言われたかったんだろう。

 

 なんて言って欲しかったんだろう。

 

 紗夜が何を言おうと、その言葉を信じられない以上、どんな仮定を考えたとしても意味はない。

 

 仮定どころか、今の話し合いにすら意味はない。

 

 日菜が紗夜の言葉を信じられないのだから、これ以上言葉を尽くす行為に価値はない。

 

 話し合いは、とうに平行線になっている。

 

「もう無駄かもしれないけど一応言っておくと、世間一般にいる小学生の兄弟姉妹は日常会話で推理小説の謎解きパートみたいな話はしないものなの」

 

「腹立つなぁ……。日常生活で伏線張りながら生きてるのはおねーちゃんじゃん。解かれるような謎を張り巡らせてるのもおねーちゃんだからね」

 

「別に私は普通に生きてるだけだから、こんなの謎でもなんでもないのよ。でも私の行動を謎めいてると捉えているなら、それこそ私の悪影響をあなたが受け過ぎている証左でしょう」

 

「だから、一回離れようって?」

 

 ええ、と紗夜は頷いた。

 

 筋は、通っているのだろう。

 

 日菜が紗夜にベタベタしすぎて、紗夜がもたらす良い影響も悪い影響もすべて滞りなく日菜は受け取ってしまっている。それが度を越していて心配だから、紗夜は距離を置こうと行動した。

 

 日菜には、何の相談もなく。

 

 紗夜が尽くす言葉に嘘は無いと思うけど、それって単純にベタベタされるのが嫌だっただけなんじゃないの?

 

 今の日菜は、そう思わずにはいられない。

 

「でもおねーちゃんのプランだと、大前提が間違ってるよ」

 

「そうね。散々好き放題言ったけど、ぜんぶ合格してることが大前提だものね。取らぬ狸の皮算用で大見得きって、これで落ちてたりしたら目も当てられないわ」

 

「そうじゃなくて、おねーちゃんは寮生活なんてできないよ。一人部屋ってわけでもないんでしょ?」

 

「相部屋ね。そう聞いているけど、それこそ今とそう違わない生活でしょう。一緒に暮らす相手が、血の繋がったあなたか、赤の他人かというだけで」

 

「おねーちゃんは覚えてないだろうけど、おねーちゃんはその恐怖心をどうにかしないと、そのうち追い出されることになると思うよ」

 

「恐怖心?」

 

 紗夜が目の色を変える。好奇心に輝く瞳は、日菜の言葉を面白がっている。

 

 氷川紗夜には、日菜しか知らない欠陥がある。今の反応で紗夜自身も本当に思い当たる節がないと確信できた。

 

 確信はできたが。

 

 日菜は口にしてしまったことをすでに後悔している。

 

 言うつもりは無かった。

 

 紗夜自身すら気づいていない紗夜の秘密。もうしばらくは日菜だけで味わうつもりでいた。

 

 けれど、何でもかんでも自分の思い通りに事を動かしている紗夜に反抗したい気持ちが邪魔をした。

 

「恐怖ねぇ……。過度に恐れているものはないつもりだけれど、自覚が無いだけなのかしら? 日菜は、私が何に怯えているっていうの?」

 

 先手を打たせてもらうけど、私は熱いお茶より白湯の方が怖いわ、と紗夜は言った。

 

 明らかに、面白がっている。でも面白がって話を広げようとする以上、相応に興味はあるのだろう。

 

 思いの外食いつきがいいのは、普段であれば喜ぶべきところなのに。

 

 今ではもう日菜の方が早々に話題を切り上げたいと考えている。

 

「まーたそうやって。飲みたかったら自分で淹れれば?」

 

「本当に心当たりが無いのよ。共同生活に支障をきたすレベルでしょう? もしそうなら、心療内科やカウンセリングのお世話になる度合いだと思うし、そんな極度の恐怖症を抱えているなら、無自覚というのはおかしくないかしら? 少なくとも、あなたは私と過ごしていて、困ったことは無いんでしょう?」

 

「あたしの意趣返しで、ただのブラフだと思ってる?」

 

「そこまでは、思っていないけれど……」

 

「ホントにわからないの?」

 

「…………強いて言うなら、仏壇の線香がたちぎれるのが怖いかしら」

 

 おねーちゃんはあたしの言葉にまともに取り合ってくれない。と、拗ねた振りをして、日菜は二段ベッドの梯子を登った。

 

 ベッドの上で、布団にくるまる。真っ暗な視界の外からは、梯子が軋む音がして、紗夜がベッドを覗き込んでいるのが感じ取れる。

 

「待って日菜。それで、結局私が抱えている恐怖心って何なの?」

 

「もう知らなーい!」

 

 日菜の声は布団の中で反響して、いつもの自分の声よりもくぐもって聞こえた。

 

 言うだけ言ったが、気配が消えない。

 

 紗夜が立ち去った感じがしない。

 

 まだ日菜のベッドを覗き込んでいる―――気がする。

 

 日菜の感覚を裏付けるように、もしかして、と布団越しに紗夜の呟きが聞こえてきた。

 

「あなたと会えなくなるのが怖いから、寮暮らしはできないっていう可愛らしい系だった?」

 

「知らないッ!」

 

 自分でも驚くほど大きな声が出た。

 

 紗夜の言葉が思ってもみないもので、なぜだかとても耳が痛くなった。

 

 咄嗟に否定したのは、図星―――だったからか。

 

 ただし、姉が、ではなく。

 

 日菜が、紗夜に会えなくなることが怖いのだ。

 

 たぶん紗夜に他意は無かった。中途半端に会話を切り上げた日菜に対するからかいだったと思う。

 

 けれどその言葉がずっと燻っていた胸の煙に、正しい形を与えてしまった。

 

 あたしは。

 

 おねーちゃんに嫌われるよりも、おねーちゃんを一目見ることすらできなくなる方が、嫌なんだなぁ。

 

 

       ◇

 

 

 予定調和のように紗夜は受験に合格し、流れ作業のように小学校は卒業した。

 

 春休みも残すところ数日となり、日菜も紗夜も中学校の入学式を間近に控えていた。

 

 そんな夜のこと。

 

 日菜が待ちに待った瞬間が、ついに訪れた。

 

 ベッドの下段から、荒い呼吸と呻き声が聞こえてくる。

 

 残された時間はわずかで、もうチャンスは無いのだと諦めかけていた。この千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。

 

 日菜はベッドから起き上がり、そろりそろりと音を殺しながら二段ベッドの梯子を下りた。

 

「はぁっ……はぁっ……う、うぅぅ……」

 

 苦しげな息と声。布団の中から大きな布擦れの音が聞こえてくる。

 

 すべて、うなされている紗夜が発している音だ。

 

 寝るときは部屋を真っ暗にするので、日菜には何も見えていない。それでも紗夜が苦悶の表情を浮かべていることは想像に難くなかった。

 

 紗夜の呼吸を聞く限り、今日はまだマシな方だなと日菜は思う。

 

 紗夜は、たまにこうなる。

 

 うなされていると感じられる間はまだやさしい方。はじめて日菜がこうなった紗夜を見たときは本当に酷かった。今思えば、あれは過呼吸に陥っていたと思う。

 

 息を吸っても吸っても酸素を取り込めていないような、陸で溺れている印象を日菜は受けた。

 

 明らかに様子がおかしいと、パニクった日菜がどれだけ呼びかけても揺さぶっても、紗夜は目を覚まさなかった。

 

 何が何でもすぐに起こさなければマズいと幼ながらに思ったのか、当時の日菜は紗夜に謝りながら力強く紗夜の頬を張った。

 

 紗夜は一度びくんと痙攣して、さっきまでが嘘のように静かになった。

 

 その対比が、幼い日菜にはとても恐ろしく映って、慌てて寝ていた両親を叩き起こしたことを覚えている。けれど両親が急いで子供部屋に入ったときは、紗夜は規則正しい寝息を立てているだけだった。

 

 一応母が紗夜を揺すり起こそうとしたものの、本人は野生動物の唸り声みたいな声を出すばかりで。結局紗夜はむずがって目覚めることはなかったが、異常らしい異常は見受けられなかった。

 

 だから、深刻な症状だと両親には思われなかった。

 

 日菜は覚えてないだろうけど、と母は言った。

 

「元々紗夜ってすごく夢見の悪い子だったのよね。赤ちゃんの頃から寝ている最中に一回は絶対大泣きして大変だったのよ。大きくなるに連れて回数も減ったし、うなされてる様子も無いから大丈夫だと思ってたんだけど、何か病気なのかしら……」

 

 不安そうな母の呟きとは裏腹に、その翌朝、ケロリとした表情で紗夜は起きてきた。

 

「よく眠れた?」

 

 と、母が昨夜のことを訊ねても、紗夜はきょとんと首を傾げるばかりで、「何が? いつも通りじゃない?」と何も覚えてはいなかった。

 

 その後しばらくは家族全員で紗夜の様子を伺ってはいたのだが、まったく再発せず、日菜自身アレは自分が見ていた夢を寝ぼけて勘違いしたのかもしれないとすら思い始めていた。

 

 そして季節も変わった頃、日菜は紗夜に二度目の症状が現れるのを見た。

 

 ただ一度目と違って、今すぐどうにかしなければ、と思わせるような、切羽詰まった様子ではなかった。おそらく世間一般で思い描かれる通りのうなされ方で、日菜には紗夜の様子をじっくり観察する余裕すらあった。

 

 気づいたことは「いや」とか「来ないで」とか、小さな呟きを紗夜が漏らしていたことだ。

 

 ―――何かに追いかけられてる夢でも見てるのかな。

 

 日菜は紗夜の傍らに寄り添って「大丈夫?」と声を投げかけた。そこで発見してしまったのは、紗夜が日菜の声に相槌のようなものを打っているということだった。

 

「うー」とか「ん」とか、何を言っているのかは要領を得ないが、日菜の声に反応していることは伝わった。

 

 夢の中の紗夜に、日菜の声が届いていると思わせるには十分すぎる反応だった。

 

 だから。

 

「大丈夫だよ、おねーちゃん。日菜が一緒に居るからねー。もう怖くないよー」

 

 日菜は紗夜と同じ布団に潜り込んで、紗夜の耳元に囁きかけた。

 

 すると面白いくらいに紗夜の呼吸は安定して、安らかな寝息を立てるようになった。

 

 双子の立場が入れ替わるどころか、紗夜がもっと小さい妹になったみたいで、日菜は悪くない心地でいた。

 

 とは言え日菜も当然眠いので、自分のベッドに戻ることはせず、そのまま寝落ちすることがほとんどだ。

 

 朝起きた紗夜に「人恋しかったの?」とからかわれた。その反応で、やっぱり紗夜は何も覚えていないのだと確信した。

 

 一応両親には告げてある。「久しぶりにうなされてたけど、あたしが添い寝したら落ち着いた」と日菜がありのままを伝えたら、「病気でもなさそうだし、大したことなかったみたいね」と納得していた。

 

 初見のインパクトこそ凄まじかったが、もう症状としては落ち着いている。

 

 むしろ日菜にとっては、数ヶ月ごとに訪れるボーナスタイムのような認識でさえいた。

 

「ねぇおねーちゃん。あたしのこと好き?」

 

「―――うん」

 

 寝言だとはわかっている。何の意味もない反射のようなものだろう。

 

 けれど普段とは違って、ふにゃふにゃのとろけた声で返事をしてくれる様がたまらなく愛おしくて、日菜に徹夜を覚悟させるには十分すぎた。

 

 うなされているときの紗夜は、決して途中で起きたりしない。

 

 それをいいことに、日菜は起きている紗夜が許してくれないことをたくさんした。

 

 桜色の瑞々しい唇を指で撫でた。舌を這わせた。唇を落とした。

 

 双子でも日菜とは形の違う耳の溝をなぞり、ほっそりとした首筋から脈動を感じ、鎖骨の硬さを確かめて、膨らみかけのおっぱいに指を沈めて、凹凸がわかる腹筋を撫で付けて、触ってはいけないと言われる女の子の大事なところの柔らかさだって知った。

 

 最初はただの好奇心だったはずなのに。どこまで触ったらおねーちゃんが起きるか、寝る前のちょっとしたゲームのつもりだったのに。バレたときに怒られてしまうスリルを味わっていただけだったのに。

 

 苦しみに満ちた呼吸が、艶のある熱っぽい吐息に変わったとき。

 

 それが日菜にとって、性の目覚めになったのだと、今では思う。

 

「でももうダメだよね。寮に入ったら、あたしが落ち着けてあげることもできないし。もし万が一、最初に見たときくらいひどいうなされ方をしちゃったら」

 

 本当に、病院に連れて行かれてしまうだろう。

 

 日菜は荒い呼吸を繰り返す紗夜の隣に寝そべった。

 

 紗夜は日菜と違ってちゃんとしている。常に先のことを考えて、模範的な行動に従事して、自分が幸せになる未来に向かって決断できる、すごい人なのだ。

 

 自慢の―――姉なのだ。

 

 正直本当に嫌だけど。

 

 姉が寮に入って中々会えなくなることも、このうなされている間だけしか会えない素直で従順な紗夜が消えてしまうことも、本当に本当に嫌だけれど。

 

 ―――治せるなら、治した方がいいに決まってる。

 

 それが、紗夜のためだ。

 

 紗夜から中学受験をすると告白された日から、日菜はずっと紗夜に嫌われていた可能性を考えていた。

 

 日菜を愛していると紗夜は言ってくれるが、日菜を避けようとしていることも事実だ。

 

 どこまで紗夜を信じていいのか、日菜にはわからない。

 

 わからないなりに考えて、考えて、考え続けた結果―――やっぱり、紗夜の気持ちなんてわからないと結論付けた。

 

 ―――だからもう、いいのだ。

 

 わからなくても、いい。

 

 わからないことを考え続けるのは不毛で、無意味だ。

 

 いくら思考を繰り返したところで、また居もしない幻に囚われて、より一層拗れてしまうのが目に見えている。

 

 日菜は自分の都合の良い紗夜に心を奪われたいのではなく、目の前にいる紗夜へ心を寄せたいのだから。

 

 だからこそ、日菜は考えることをやめた。

 

 過度な希望は抱かない。紗夜からの見返りも求めない。将来ふたりで何をしたいかなんて展望は持たない。

 

 ―――あたしは、おねーちゃんが好き。

 

 未来のことを削ぎ落とせば、日菜に残る感情はたったこれだけ。

 

 嫌われていてもいい。

 

 あたしが、おねーちゃんを好きなことだけは変わらない。

 

 あたしの今の気持ちは、これが全部だから。

 

 日菜は、苦悶に歪んでいるであろう紗夜の顔に手を添える。

 

 暗闇の中で、日菜は紗夜に寄り添い、指を絡めるように手をつないだ。逆の手ではより密着感が増すように紗夜を抱きしめ、少しでも触れ合う場所が増えるように足先も紗夜に巻きつける。

 

 そして、日菜は紗夜の耳元に口を近づける。吐息だけでも擽ったさを覚える距離で、日菜は優しげな声色を意識しつつ囁いた。

 

「大丈夫。おねーちゃんは傷つけられたり、痛い思いは絶対にしません。おねーちゃんには日菜ちゃんがついています。日菜ちゃんが怖いものからおねーちゃんを守ってくれます」

 

 うぅ、と紗夜は呻いた。寝言の成り損ないなのか、日菜の囁きに応えようとしたのか、判断はつかない。

 

 構わず、日菜は続ける。

 

「だからおねーちゃんは安全です。安全な場所から、のんびり怖いものを観察できます。怖いものはこれ以上、おねーちゃんに近づくことができません」

 

 紗夜の胸の中には恐怖心が巣食っている。

 

 以前口を滑らせて、告げてしまった内容だ。そのときは自分で話を振っておきながら、「知らない」と会話を続けるのを拒否して、無理矢理話を終わらせた。

 

 紗夜からしてみれば、煮え切らない受け答えだったと思う。

 

 しかし日菜は、嘘は言っていないのだ。

 

 紗夜は何かに怯えている。夢に見るほど何かを恐れ、時折こうして苦しそうにうなされている。

 

 紗夜の心に名状しがたい恐怖の種が根を下ろしているのは一目瞭然だ。

 

 けれどその恐怖の正体を―――日菜は知らない。

 

 見当もつかない。

 

 もしもあの日紗夜に食い下がれていたとしても、日菜は回答など持ち合わせていなかったのだ。

 

 だから。

 

 いま、その恐怖の正体を紗夜に答えさせる。

 

 恐怖症は自分が何を恐れているのか、どうして恐れるようになったのか、それを正確に知るだけでも症状の軽減につながることがある―――らしい。

 

 紗夜は無意識で恐れているのだろう。自分が極度に怖がっているものがあると、本人ですら気づいていない。

 

 だからまず、自覚させる。自覚したところで紗夜はすぐ忘れてしまうかもしれないが、明日の朝に日菜がまた教えればいいだけだ。

 

 これが日菜から紗夜に贈れる入学祝いであり―――餞別だった。

 

「さあおねーちゃん、よく見てみて。おねーちゃんの目の前には何が居る?」

 

 少しずつ紗夜の呼気が震えてきた。

 

「手はあるかな? 足はあるかな?」

 

 ここから逃げ出したいとばかりに、紗夜の身動ぎが大きくなる。

 

「大丈夫だよ。それはおねーちゃんに近づけないからね。おねーちゃんに何が見えてるのか、日菜ちゃんに教えてほしいな」

 

「……………………なぃ」

 

 蚊の鳴くような声で、紗夜が口を開いた。

 

 ひとまず、日菜は安堵した。自分の声は紗夜に届いているし、わずかながらでも紗夜は反応を示してくれる。

 

 それで。

 

 ―――ないっていうのは。

 

 見えないってことだろうか。

 

 これまで何度か紗夜がうなされている夜に立ち会ったとき、紗夜は「来ないで」と言っていた。覚えている。だからクモとかヘビとか、自分に近づいてくる気持ちの悪い生き物を日菜は想像していた。

 

 その想像は―――外れているのか。

 

 質問を、変えてみる。

 

「おねーちゃんは今どこにいるか、わかるかな?」

 

 つないでいる手が、ひどくベタつく。紗夜の手から、汗が吹き出していた。

 

「なに、も」

 

 ―――ない。

 

 と、紗夜は答えた。

 

 何もない。

 

 何もないなんてことは、ありえるのか。

 

 日菜は小首を傾げる。何かがいるわけでもなければ、特定の場所に居るわけでもない。

 

 聞くだけでは、紗夜が恐れるものなど何もないとしか思えない。

 

 日菜の手応えとは対照的に、紗夜の呼吸はどんどん荒くなっていく。

 

 日菜は紗夜を抱きしめていた手を離した。紗夜と触れている箇所が、すごく湿っぽくなっているように感じたから。

 

 そしてそれは勘違いではなく、紗夜のパジャマはぐっしょりと汗を吸って、日菜の寝間着にも染み込んでいた。

 

 明かりのない真っ暗闇の中、日菜は紗夜の顔に触れた。額には粘ついた汗が吹き出して、日菜の指先をぬるりと濡らす。

 

 怖がるものが無いなんて、そんなはずがない。

 

 明らかに紗夜は何かを感じている。何かに怯え、恐れ、震えている。

 

 それは―――何だ。

 

「おねーちゃんは知ってるの? そこには何も無いのに、おねーちゃんを狙ってるものがあるって。知ってるなら、それは一体何なのかな?」

 

「………あ、れは」

 

 ―――あれは。

 

 死だ。

 

「し? し、って……」

 

 ―――死ぬってこと?

 

 怖いか怖くないかで言えば、怖くはあるだろう。日菜にはいまいち実感がないが。

 

 それでも自分から死にたいとは思わない。

 

 日菜だって、死にたくは―――ない。

 

 紗夜の恐怖の源は、当然と言えば当然で、意外と言えば意外だった。

 

「い、やっ。来ない、で……」

 

 ギュッと、つないだ手が万力のように締め上げられる。次第に呼吸が浅く、速くなっていき、全身が強張ってひどく緊張しているのが伝わってくる。

 

 良くない流れだ。

 

 悪い兆候だと、考えずともわかる。

 

 死が―――氷川紗夜に迫っている。

 

「大丈夫だよ、おねーちゃん。落ち着いて。あたしが傍にいるからね。あたしが居れば怖いものなんてないからね」

 

「だ、め」

 

 身動ぎが、強くなる。抵抗が、大きくなる。いつもと違う。普段はもっと簡単になだめられる。すぐ安らかになって、日菜の思うがままにされている。

 

 けれど今日は―――。

 

 ひゅー、ひゅー、と紗夜の呼吸の中に嫌な音が混ざり始めた。喘息を日菜は知識でしか知らないが、罹っていればきっとこんな息の仕方をするのだろうと思わされる。

 

 いつもより、どんどん酷くなっていく。

 

 いつもと違うのは、紗夜が、自身の恐怖を自覚してしまったからか。

 

 あえて本能が気づかない振りをしてやり過ごしていたことを、日菜が、暴いてしまったからか。

 

 ―――起こそう。

 

 マズいと思ってからの、日菜の決断は早かった。

 

 本当は、なぜ紗夜が極度に死を恐れるのか、理由まで解明したかった。けれどもう、そんな余裕は無い。

 

「おねーちゃん、起きて! おねーちゃんッ!!」

 

 どれだけ強く揺さぶっても、呼びかけても、紗夜は目覚めない。

 

 うなされているときの紗夜は、何をしようと朝まで目覚めない。

 

「おねーちゃん、()つよ! あとで謝るから!」

 

 紗夜がうなされている夜に、はじめて立ち会ったときを思い出す。

 

 あのときはわけもわからず紗夜を叩いて起こそうとしたが、今思えば、叩くことが逆に正解だったのだろう。

 

 紗夜の身体は、極度の緊張を強いられている。ずっと張り詰めて、紗夜自身を苦しめている。そこに与えられた日菜の一撃によって、限界ギリギリまで達していた紗夜の恐怖心が臨界点を超えたのだろう。

 

 有り体に言えば、紗夜は日菜に殴られた衝撃で、気絶したのだ。

 

 気絶と睡眠は違う。

 

 気絶は眠るのではない。意識を失っている間、人は夢を見ない。

 

 それが紗夜にとっては、セーフティになる。

 

 そう信じて。

 

 日菜は手を振り上げた。

 

 ―――ばちんっ。

 

 鈍く重い音が響く。同時に、日菜の掌が熱を帯びた。

 

 じん、と痺れるような熱さが掌から伝わってくる。人を殴った感触だった。

 

 姉は、数瞬呼吸を止めたようだった。

 

 ―――大丈夫、だよね……?

 

 不安気に、日菜は紗夜を見下ろす。光源はないが、強張った紗夜の身体から、するすると力が抜けていくのが感じられた。

 

 紗夜は張り裂ける寸前の風船から空気が抜けるように息を吐いて、

 

 ―――ああ、消える……。

 

 と、呟きを残した。

 

 蝋燭の火を吹き消すようにか細く、線香が立ち切れるように静かな声だった。

 

 日菜が見守る中で、紗夜の容態は安定していく。

 

 呼吸は次第に落ち着いて、触れている限り脈拍も穏やかなものになっていく。

 

 もう、本当に大丈夫そう。

 

 ふう、と日菜は一息ついた。気づけば日菜の方が息を詰まらせていた。姉の呼吸音を聞くのに集中して、自分の息を止めてしまっていた。

 

 寝間着の袖で、額を拭う。気づけば、自分の身体も気持ちの悪い嫌な汗が吹き出ていた。

 

 どっと疲れた。

 

 疑問はひとつ解消されたが、逆にもうひとつの疑問が大きくなった。

 

 一体どうして、紗夜は夢に見るほど死を恐れているのだろうか。

 

 双子の自分は、ずっと紗夜と時間を共にしてきた。だから、紗夜が大きな怪我をしたり重い病気になったことはないと、当然ながら知っている。

 

 ―――まあいいや。明日おねーちゃんに聞いてみよう。

 

 そして日菜はそのまま紗夜の布団の中に潜り込んだ。汗を吸った寝間着が肌に張り付いて気持ち悪かったが、もう寝る以外の行動をしたくなかった。

 

 紗夜の安らかな寝息を耳にしながら、日菜もまた眠りに落ちた。

 

 そして。

 

 紗夜にだけ、明日は訪れなかった。

 

 紗夜が―――目を覚まさない。

 

 次の日も。次の日も。次の日も。

 

 中学校の入学式を迎えても、紗夜は眠り続けた。

 

 あの夢の中で、紗夜は死神に肩を叩かれたのだと、日菜だけが分かった。

 

 自分の軽挙が紗夜の心を殺したのだと―――日菜だけが理解している。

 

 

       ◇

 

 

「おはよっ! おねーちゃん! 今日も相変わらずぐっすりだね!」

 

 努めて出した明るい声に、紗夜は何も答えない。

 

「おねーちゃん知ってる? いよいよ看護師さんたちがおねーちゃんに白雪姫とか眠れる美少女とか、そういうあだ名を付けてるの隠さなくなってきたよ。まあ、遅かったなぁとは思うけどさ」

 

 壁に立てかけられたパイプ椅子を取り出して、日菜はその上に学校指定のバッグを置いた。自分は椅子には座らずに、清潔なベッドの上で点滴のカテーテルに繋がれた姉を見下ろす。

 

 相も変わらず姉はきれいな顔をして、安らかな寝息を立てている。

 

 その光景は、本当にいつまで経っても変わらない。

 

 紗夜の顔を思い浮かべようとすれば、まず真っ先に寝顔が浮かぶ。

 

 ここ最近ずっと寝顔ばかり見続けているせいで、紗夜の笑ったり、怒ったり、悲しんだり、得意気な表情や、よく浮かべていた澄まし顔を、すぐに思い出せなくなってきた。

 

 代わりとばかりに日菜は笑う。表情の変わらない姉の分まで、日菜はよく笑うようになった。楽しそうな声色を、紗夜に対して聞かせ続ける。

 

「それじゃあ今日もストレッチやっていこっか!」

 

 紗夜に一度も見てもらったことのない制服の上着を脱いで、椅子にかける。

 

 成長することを見込んで大きめに仕立てられた中学校の制服はまだぶかぶかで、服を着ているというよりも、服に着られているような印象を受ける。

 

 本来なら、紗夜だってそうだったはずだ。

 

「月ノ森の制服って可愛いし、いい加減あたしもおねーちゃんの制服姿見たいんだけどなー」

 

 言いながら、日菜は紗夜が包まっている掛け布団を剥ぎ取った。わかりきったことではあったが、紗夜は何の反応も示さない。

 

 日菜はベッドの端に座り込むと、紗夜の背中に手を差し入れる。ぐったりとした重い身体が、日菜の力によって起き上がる。

 

 そして日菜は、紗夜の肩を回し、肩甲骨を剥がし、腕の筋肉を伸ばし、肘も十二分に動かして、指の一本一本を丁寧に揉み込んだ。

 

「んー? 腕の長さは大体あたしと同じくらい? おねーちゃんってどのくらい背が伸びたのかな? ぱっと見で成長がわかるのなんて髪だけだもんね」

 

 髪もそろそろ切った方がいいのかな。腰まで届いてるし、と日菜は呟く。

 

 再び紗夜の身体を寝かせると、次は下半身だ。股関節、膝、足首の関節を大きく駆動させて、腿とふくらはぎの筋を伸ばす。

 

 ずっと寝ているだけの人間は、あっという間に体力が落ちる。碌に身体を動かさないままでいると、筋肉や関節が硬く強張り、動こうとすると苦痛を伴う場合すらある。

 

 それじゃあ、目覚めたときの紗夜の苦労が忍ばれる。

 

 だから紗夜の身体をストレッチさせることは、紗夜が入院して以来、一日だって欠かしたことの無い日菜の日課になっている。

 

 一向に目を覚まさない双子の姉。そんな姉への献身を頑なに続ける双子の妹。

 

 そんな美談めいた語り口をされてしまうから、この病院では日菜はちょっとした有名人だ。学校の知り合いよりも、看護師の知り合いの方が多いかもしれない。

 

「ま、あたしは別にいいんだけどね。こうやっておねーちゃんを個室に移してくれたし。向こうの都合だから保険も利くし」

 

 ドラマや映画でよくあるような、昏睡状態にある身内の治療費を稼ぐために悪事を働くといったシチュエーションは早々起こり得ないんだなぁ、と日菜は実感している。

 

 入院費と点滴代くらいしか必要ないということも大きいのだろう。どちらも医療保険対象内のため、氷川家の家計は然程圧迫されていない。

 

「お医者さんたちはクライネ・レビン症候群とか言うのを疑ってるみたいだけど、おねーちゃんの病状はそういうのじゃないよね?」

 

 紗夜は、何も答えない。

 

 クライネ・レビン症候群。

 

 別名、眠れる森の美女症候群。

 

 平たく言うと、過眠症の一種。

 

 この病気を発症すると、数日から数週間に及ぶ過眠が年に何度も訪れるらしい。

 

 紗夜の場合は、そんな短いスパンでは収まらなかった。

 

 当然寝たきりになる病気は他にいくらでも考えられる。入院初期はそれこそ様々な検査を実施した。

 

 その結果、すべてにおいて異常なし。

 

 測定された数値だけ見れば、病院とは無縁であるべき健康体にしか思えない。

 

 過眠症患者用の目覚めるための薬も投薬されたが、そちらもまったく効果なし。

 

 医者をして、起きることを拒絶しているとしか思えない、とまで言わしめた。

 

 元々クライネ・レビン症候群は百万人に一人といった割合で発症する、とても稀有な疾患だ。紗夜は輪をかけて重い症状に当たったのでは、と疑われている。

 

 疑われているというか、その他の主要な原因である可能性を粗方潰し終わったから、もう疑わしきものがそのくらいしか残ってないとも言い換えられる。

 

「そのうち、おねーちゃんの病状について医学論文が発表されたりするかもね」

 

 わざわざ個室を用意してくれたのも、経過観察がしやすいようにだし。

 

 まあそれはそれで助かってるから、あたしに文句は無いんだけど。

 

「ちょっと待っててね、おねーちゃん。いま汗拭くタオル用意するから」

 

 スクールバッグから持ってきたタオルを取り出すと、日菜は室内にある洗面台へ駆けていく。熱いくらいのお湯にタオルを漬けて、固く絞る。

 

 そして紗夜の元へ戻ると、彼女のパジャマを脱がしていく。

 

「そういえば、おかーさんから聞いちゃった」

 

 丹念に紗夜の全身を拭いながら、楽しげな口調で日菜はしゃべる。

 

「おねーちゃんってば、おかーさんには中学受験したい理由ちゃんと話してたんだね。あたしおねーちゃんに嫌われてたかもってポロッと漏らしちゃったら、おかーさんはあたしの健気さにあてられて、おねーちゃんとの約束破っちゃったよ」

 

 おかーさんを責めるなら、さっさと起きて責めてあげなよ。おかーさんもそっちの方が喜ぶから。

 

 そして母の言っていた内容を思い出し、日菜は苦笑を漏らしてしまう。

 

「おかーさん言ってたよ。あたしのことが好きで好きでたまらなくなっちゃったから、おねーちゃんはあたしから離れようとしたんだって」

 

 でも、だからこそ。

 

「意外だったなぁ。おねーちゃん、本気であたしのこと愛してたんだ。家族とか妹相手じゃなくて、あたしのこと、一人の人間として好きだったんだ。おねーちゃんがあたしに言う好きって家族愛としか思ってなかったから、結構本気でびっくりしちゃった」

 

 中学受験のこと、これでもちょっとはおかしくない? って思ってたんだよ、と日菜は続ける。

 

「おねーちゃんじゃなくて、おとーさんとおかーさんの方がね。おねーちゃんがあたしと離れるために、あたしに黙ってるのはわかるよ。でも二人まであたしに最終確認しないのは変じゃない? ってホントにちょっとは思ってたから」

 

 紗夜の身体を拭い終わり、日菜は脱がしたパジャマを着せていく。意識の無い人間を着替えさせるのは結構な重労働だと身に沁みた。けれどそれももう、慣れたものだ。

 

「おねーちゃんはあたしを遠ざけようとしてる。ずっとそう思ってたし、それ自体は間違いじゃないけど、主語が逆だったんだね。おねーちゃんからあたしを遠ざけるんじゃなくて、あたしからおねーちゃんを遠ざけたかったんだ」

 

 おねーちゃんがおねーちゃん自身を、あたしから隔離したかったんだ。

 

 だから二人とも、おねーちゃんには協力的だったんだね、と日菜は言う。

 

「ちょっと前のあたしなら、おねーちゃんのやること成すこと全部正しいって盲信してたもんね。あのときははぐらかされたけど、おねーちゃんが意識の上で本当に怖かったものって、実はあたしなんじゃないの?」

 

 盲信。

 

 強い言葉だ。

 

 理由や道理なんて関係ない。紗夜がこうだと言ったから、こうあるべきだと信じ抜いた。

 

「自分が好きな人が、自分を無条件に慕ってくれて、やろうと思えば自分好みに人生すら歪められるんだもん。もしも立場が逆だったなら、あたしはおねーちゃんを、あたしが居ないと生きていけないようにしてたと思う」

 

 独白を続けながら、日菜は紗夜のパジャマを着せ終わった。

 

 パイプ椅子の上に置いたスクールバッグを床に下ろし、空いた椅子に日菜は腰を下ろした。

 

 そして、寝ている紗夜の手を包み込むように優しく握る。

 

「おねーちゃんも、だんだんその欲求に抗い難くなってたんじゃないの? もしもおねーちゃんが性的にあたしを抱きたいって言ってたら、あたしは言葉の意味を理解しないままおねーちゃんに身を委ねてた。

 ううん。むしろ今でも、おねーちゃんがあたしを使って性欲を発散したいって言ってくれるなら、あたしは喜んでおねーちゃんに従うかな」

 

 我ながら危ういよねー、と日菜は笑った。

 

 おねーちゃんをこんな風にしたあたしに、愛される資格なんて無いのにね、となお笑う。

 

「でも、おかーさんには正直に話してたっぽいけど、それも包み隠さず思ってることを全部話したわけじゃないんでしょ。言う必要を感じないことは黙ってたはずだよね? おねーちゃんだもん」

 

 で、ちょっと考えてみたんだけど、と前置きして、日菜は続ける。

 

「あたしの光源氏になることをおねーちゃんは避けた。その逃げ道に中学受験を利用した。おとーさんとおかーさんもあたしに中学受験のことは知らせないって形で、おねーちゃんと一緒にあたしを守ることに加担した。あたしは人生の岐路を一個を潰されたことになっちゃうけど、自分の進路くらい自分で決めろってあたしも思うし、そこはいいや。

 でもさ、これって問題を先延ばしにしてるだけだよね。あたしはおねーちゃんを好きで好きで盲信してるままだし、中途半端に離れたせいで、余計にあたしが拗らせておねーちゃんにもっともっと執着する未来だってあったよね?」

 

 たまたま隠し事が上手くいっただけで、おねーちゃん的にはあたしと一緒に月ノ森に通う展開になってたとしても、本当の目的は達成されてたんじゃないの? と、日菜は問う。

 

 あらかじめ逃げ道を複数用意しておいて、どう転んでも被害を最小限に抑えるのが、氷川紗夜が最も得意とする処世術なのだから。

 

「おねーちゃんが家族に向けるべきじゃない恋愛感情を持ってることに焦点を当てそうになるけど、問題の本質は、あたしが考え無しでおねーちゃんを全肯定する方でしょ。仮におねーちゃんがあたしに迫ったとしても、あたしが拒否しちゃえばいいんだからさ」

 

 だから。

 

「おねーちゃんの狙いは、あたしがおねーちゃんを過度に信じないようにさせること。あたしが、おねーちゃんの言葉を疑うように仕向けること。おねーちゃんが月ノ森を受験するってあたしに言ったとき、あたしはおねーちゃんのことを無条件に信じられなくなった。あの瞬間におねーちゃんが本当にやりたかったことは達成されてたんじゃないの?」

 

 って、あたしは読んでるんだけど、どう? 当たってる? と、日菜は紗夜に問いかけた。

 

「どうかな? これが推理小説の謎解きパートなら、次は答え合わせ編だし、犯人の自供がほしいんだけど」

 

 ―――紗夜は、何も答えない。

 

「見えないものを見ようとして覗き込むのは望遠鏡じゃなくて色眼鏡が大概だけどさ、この予想は結構自信あるんだ。あたしの人生をめちゃめちゃに壊しかねないっておねーちゃんが危惧してるなら、流石にもう大丈夫だよ。お手本が居なくなっちゃったせいで、自分で色々考えて決めざるを得なくなっちゃったし。学校でも適当に周りに流されて、適度に主張を掬い上げるのだって上手くなったんだから」

 

 おねーちゃんの知らない偏見だって、たくさん身に着けてるんだよ、と日菜は笑った。

 

「だからそろそろ起きてあげなよ」

 

 思い浮かべるのは、父と母の顔だった。

 

 日菜は、もう紗夜が起きようが起きまいが、どっちでもいいと思っている。

 

 ―――おねーちゃんがこうなったのは、あたしのせいだし。

 

 紗夜が目覚めるまで、日菜は償い続ける覚悟をしている。たとえそれが、生涯という長い期間になろうとも。

 

 一番重い覚悟を初手で決めてしまったことで、紗夜のちょっとした体調変化で一喜一憂することはない。

 

 けれど、両親は別だ。

 

 日菜が一番時間が有り余っているから、毎日学校終わりに病院へ寄って自宅に帰る生活を苦もなくできている。

 

 共働きの両親は、そう都合良く時間を作れない。

 

 父と母は隔日で交互に紗夜に会いに行っている。今日が父なら、明日は母といった風に。

 

 忙しくないときは定時より少し早めに早退すればいいのだろうが、繁忙期は傍目から見てもキツそうだった。二日分の仕事を一日で片付けていたようなものなのだろう。紗夜の見舞いに行った翌日は、夜遅く帰ってくるのが常だった。

 

 休みも休みで、紗夜に話しかけるための話題作りに勤しんでいる。ドラマだったり映画だったり、売れ筋の小説の感想だったり。はたまた新作のコンビニスイーツだったり、近所で新しくオープンしたレストランだったり、紗夜がよく着るブランドの新作だったり、近々開催される美術館や博物館の展示だったり。

 

 少しでも紗夜が意識を取り戻すきっかけになればいいと、二人は進んで積極的な活動を心がけて、そこで得たものを紗夜に語りかけている。

 

 それでも時折、疲れの滲んだため息を暗い顔で吐いている姿や、不安をお酒で誤魔化して夜中にすすり泣く声を知ってしまったら、日菜はやるせない気持ちになってしまう。

 

 顕著なのは紗夜の容態を聞くときに「起きた?」という言葉を使わなくなった。聞かれた方は否定の言葉を使わざるを得ず、否定する言葉しか使えないのが、現実をますますつらくする。

 

 だから今は「まだ寝てる?」と聞いている。寝坊助な娘に呆れるような気安い調子で、少しでも心の負担を減らしている。

 

「そういう負担のかけ方は、おねーちゃんだって不本意でしょ」

 

 紗夜は―――何も答えない。

 

 手を少し動かして紗夜の手首を握れば、とく、とく、と紗夜が生きている証を感じ取れる。

 

 けれど、それだけ。

 

 息をして、脈があって、気づいたらいつの間にか髪が伸びている。

 

 紗夜が示してくれる生きている証は、たったこれだけ。

 

 植物よりも静かで、月よりも動きがない。

 

 この病室に居ると、世界の時間が止まっているかのような気にさえなる。

 

 かつて日菜は、紗夜に置いていかれることを恐れていた。何をするにしても紗夜について回り、紗夜の背中に追い縋って、その背にしがみついていたこともある。

 

 紗夜のやること成すこと何でもかんでも真似をして、少しでも紗夜と同じ時間を共有することが、日菜にとっては重要だった。

 

 なのに今は、紗夜の時間は静止して、日菜ばかりが先へ進んでしまっている。

 

「知ってる? おねーちゃん。もう世間では桜とか梅とか沈丁花とかの蕾が膨らみ始めて、春の風がすぐそこまでやって来てるんだよ」

 

 また寝心地よくて、寝過ごしちゃう季節になっちゃうね、と日菜は紗夜に微笑みかけた。

 

 紗夜が深い深い眠りについてから、もうすぐ一年。

 

 日菜は紗夜を置き去りにし、一人だけ中学二年生に進級する。

 

 紗夜だけが、世界から取り残されていく。

 

 そして日菜には、紗夜を生者の世界に繋ぎ止めることも、意識を引っ張り上げることも、現状から救い出すこともできない。

 

 紗夜には同じことをやってもらったはずなのに。未来の紗夜という幻影に囚われて、何もかも楽しめなくなっていたとき。そんな無味乾燥な状態から、紗夜は日菜を救い出してくれた。

 

 紗夜は日菜の心の在り処を見出してくれた。

 

 けれど日菜には―――何もできない。

 

 何も―――してあげられない。

 

「おねーちゃんの心は、一体どこにあるんだろうね?」

 

 ポツリと呟かれた日菜の言葉に。

 

 紗夜は。

 

 何も答えてはくれなかった。

 

 

 了



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