とある姉妹の、ありふれた話。

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反射

 隣の部屋から聞きなれない楽器の音色が聞こえてきていつもの様にノックもせずにおねーちゃんの部屋に入ると、おねーちゃんはこれまたいつもの様に、さして驚いた様子もなく私を見上げた。

 

「おねーちゃん、ギター始めるの?」

 

 今までおねーちゃんが触れた楽器と言えばピアノやバイオリンのような、ちょっとお上品な物ばかりだったから少し意外だ。

 あたしにはそれがギターなのかベースなのかすら区別がつかなかったから、便宜上ギターと呼んだだけなのだけど。

 

「本格的に始めるか、と聞かれたら正しい返答は『いいえ』でしょう。知人──同級生が一時的にバンドのサポートを探しているようだから試してみたのだけれど、これではダメね」

 

 訂正されなかったということは、あれはギターで正しかったのだろう。

 

 バンドのサポートメンバーなんて、そんな面倒事に自ら協力したいと思う程の相手を知人、或いは同級生と呼んだおねーちゃんは相変わらずだなと思う。

 

 人付き合いを避けるタイプ──ではないと思う。あたしから見ればおねーちゃんは人から慕われる、友達の多いタイプの人間だ。おねーちゃんと一緒に外出すると、高確率でおねーちゃんの学校の生徒から好意的な声色で話掛けられるから間違いない。

 空気を読むことが苦手なあたしと違って、些細な行き違いで喧嘩をするような性格でもない。けれどあたしは、おねーちゃんの口から友という言葉をこれまで一度も聞いたことは無かった。

 

「おねーちゃん、ギター弾けたんだ」

「昔少し触ったことがあるだけよ」

「……ふーん」

 

 嘘だ、とは言わない。けれど本当のことではないとも思う。

 さっき聴こえていた音色が付け焼き刃のものかどうかくらいは、素人のあたしにも分かるから。

 

 昔からおねーちゃんは時折、あたしの知らない過去を語る。四六時中──とは言わないまでも、物心着いてから今日に至るまでの殆どの時間を一緒に過ごしたはずのあたしが全く知らない経験を、おねーちゃんはいくつもしているらしい。

 

 その傷一つ見当たらないギターは、昨日までこの殺風景な部屋には無かったでしょ?

 吹奏楽部にも軽音部にも所属したことの無いおねーちゃんが、いつそんな楽器に触る暇があったの。

 

 そう言いたいけど、絶対に口には出さない。

 貴女には関係ない事でしょう? なんて言われた日には多分、立ち直れなくなっちゃいそうだから。

 

「それ貸して」

「ええ、いいわよ」

 

 高校生のあたし達には決して安くはなかっただろう新品(・・)のギターでも、なんて事ないようにポンと貸してくれるおねーちゃんはつくづくあたしに甘いと思う。

 まるでそれが当然であるかのように、或いはそうあれとプログラミングされているかのように。おねーちゃんはあたしのお願いを断らないし、無償の愛を注いでくれている。

 

 それがあたしには不満だった。おねーちゃんが愛しているのは()という存在であって、氷川日菜(あたし)という人間そのものを見てくれたことは無いような気がして。

 

 普通の姉妹なら、喧嘩の一つや二つするはすだ。けれどあたしは、生まれてこの方おねーちゃんと喧嘩をした記憶はない。

 例えばおねーちゃんが大事に取っておいたアイスを食べちゃった時も、夜中に部屋に突撃して一緒に寝て欲しいと誘った時も。おねーちゃんは少し困ったように笑いながら「仕方ないわね」って、それだけ言って許してくれるのだ。

 それが健全な姉妹の形なのかは分からない。

 

 あたしから見れば非合理的で変わった形の、暗い青──おねーちゃんの色をしたギター。昔からおねーちゃんは青という色を好んでいた気がする。

 

 だからあたしも青が好きだ。筆記用具も私服も自室に置いている家具の一つ一つも、おねーちゃんが好んでいる暗い青をよく使う。

 おねーちゃんが気付いてるかは知らないけれど、多分気付いていても何にも言わないんだろうな。

 

「ん……やっぱりいいや。代わりにおねーちゃんが弾いてるところ、見せて?」

「そう? 別にいいけれど……あまり上手では無いわよ」

 

 だから期待しないで、と釘を刺し数秒何か考えてから弦に指をかける。

 スローテンポの静かな曲調から始まる、あたしが生まれるより何十年も前にヒットした洋楽だ。

 

 多分、きっと、確実に、これは一朝一夕で身に付くような演奏技術では無いと思う。おねーちゃんはよく、あたしの学習能力──模倣技術の高さを褒めるけど、あたしよりもずっとおねーちゃんは凄いんだ。

 あたしが他人から見て何でも卒なく熟せる人間だと思われているなら、それは偏に身近に絶対的なお手本が居たからに他ならない。所詮あたしはおねーちゃんの劣化模造品(コピー)なのだから。

 

 その辺の自覚が欠けているところが、おねーちゃんの唯一の欠点なのかもしれない。そしてその欠点こそがおねーちゃんを人間たらしめているのだろう。

 完全無欠な人間なんて居ないし、居てはいけない。何よりあたしはおねーちゃんに完璧であって欲しくない。

 

 だって完璧ということは、それだけで全てが完結していて、満ち足りていて、他に何も必要としていないということだ。

 あたしはおねーちゃんが居なければ、これまでも生きてこられなかったし、この先息を吸うことすらできないと言うのに。完璧なおねーちゃんはあたしの存在など必要としていないなんて。そんな悲しくて寂しいことがあるだろうか。

 

 

 

 そしてもう一つ。技術のことよりも、あたしにはもっと驚くべきことがあった。

 

 

 

 少しづつ曲調が盛り上がり、そのままサビへと突入する。洋楽を聴かないあたしでも知っている有名なフレーズが頭に浮かんだ。

 一番のサビが終わると、おねーちゃんはそのまま演奏をやめて一息ついた。折角なんだから、最後まで聴かせてくれたっていいのに。 

 

「……ふぅ、やっぱりダメね。こんな状態でステージに立つなんて白金さんに失礼だわ」

「そんなことないよ、すっごいるんっときたもん!」

 

 その言葉に嘘はない。未熟なあたしの嘘なんておねーちゃんには一発でお見通しだから、そんな無駄なことは言わない。

 久しぶりにるんっときたのは本当。だって、ギターを弾くおねーちゃんの表情が、生まれて初めて見るくらいに嬉しそうだったから。

 

 子供っぽいあたしと同じ日に生まれたとは思えないくらい大人びたおねーちゃんが、あそこまで表情を見せたのはいつ以来だっただろう?

 寧ろ最近は、あたしが余りにも幼稚だからおねーちゃんは無理して大人になってしまったのかもしれない、なんて考えてるくらいだ。

 

 だから嬉しかった。おねーちゃんの表情を変えられるなら、それが良くないものだとしても嬉しいと感じてしまうくらいにはあたしはそれに飢えている。

 

「そう……」

 

 けれど真実を全て伝えた訳でもない。

 るんっとしたのは本当。でも、それは別におねーちゃんが奏でた音色に対してじゃない。

 

 ピアノだってバイオリンだって、おねーちゃんの音楽はいつも正確だ。言わば譜面通りに奏でた優等生の音。作業的で、機械的で、何一つの面白味のない──なんてつまらない音楽だろう。

 

 あんなに顔は楽しそうだったのに、音色に何も感情が乗らないなんてことが有り得るの。

 

 ──あたしがおねーちゃんの模造品だというのなら、おねーちゃんは一体誰の真似をして生きているのだろう?

 

 

 

 

 

 "天才姉妹"の姉の方。

 氷川紗夜は、前世の記憶を持つ異端者である。

 

 私、氷川紗夜には所謂前世の記憶というものがある。思い出したのは十二年前、私と妹がまだ三歳の頃。当時は今以上に活発であった妹のハグ──という名のタックルを受け、派手に転倒したことがきっかけだった。

 

 前世の私は平凡な人間であった。ありとあらゆる者を魅了し、森羅万象を完璧にこなす姉の残り滓。双子姉妹の"天才では無い方"。それが私だった。

 そんな私を優しい姉が見捨てることはなく、両親に見放された私を育ててくれたのは一つしか年の変わらない姉であった。

 

 勉強も習い事も私は何一つ姉に勝つことは出来なかったが悔しくはなかった。寧ろ、自分の敬愛する姉はこんなにも素晴らしいのだと誇らしくさえあった。

 例え両親に忌み嫌われ、いないものとして扱われようが関係はない。私の世界は落ちこぼれの(わたし)と姉だけで完結していたのだ。

 

 そんな幸せな生活も、私達を襲った交通事故で終わってしまったが。

 

 ただ一人の、愛すべき娘を失った両親はあの日からおかしくなってしまった。

 それまで存在すら忘れていた私を、まるで姉のように扱い始めたのだ。

 

 当然私に姉の代わりなど務まるはずもない。両親の期待に応えることが出来なかった日は、眠ることもできないほど苛烈に心身共に責められたものだ。

 

 ──どうしてお前が生きているんだ。

 ──どうしてお前が死ななかったのだ。

 ──どうして、どうして、どうして。

 

 彼らの言うことは決して間違っていない。百人に聞けば百人がそう答えるはずだ。あの日あの時死ぬべきだったのは紛れもなく、世界に愛された姉ではなく、私だったのだ。

 

 少しでも姉に近づく為に血の滲む努力を続けた。寝る間も惜しまず、可能な限り限界を越えようと足掻いた。

 そんな日々を繰り返し、両親から時折お褒めの言葉を頂くこともできるようになった。

 

 けれど私はそんなことはどうでも良かった。

 短くは無い時間が流れ、多少なりとも姉に近付くとができて、ようやく分かった。どれだけ近付こうとも手が届くことは無い。そんな努力は意味の無いものだ。

 だって私は姉になりたかったんじゃない。

 私はただ、姉と共にありたかったのだから。

 

 ──記憶はそこで途切れている。

 

 気付けば私は氷川紗夜(わたし)になっていた。いや、氷川紗夜(わたし)が私であったことを思い出してしまっていた。

 運命とは、神様とは、なんて残酷なのだろう。

 

 生まれわかってもこの世界に"姉"はいない。

 テレビやカレンダーを見ればかつてと同じ時を過ごしている事は分かる。けれど、ふと思い返せば今世で見たのは、前世では見たことの無いCMや聞き覚えのない流行曲、見知らぬアイドルグループに、存在しなかった地名ばかり。

 

 恐らく私は生まれ直す世界を間違えてしまったのだ。その癖、どこまで行っても失敗ばかりすることだけは変わらない。

 

 いっそまた死んでみようか。もしかしたら今度こそは正解に辿り着けるかもしれない。

 そう思って漸く、私に覆い被さったまま泣きじゃくる翠の頭が目に入った。

 

 前世の記憶を思い出しても今世の記憶が無くなるわけじゃない。

 目の前の翠は間違いなく私の愛する片割れだ。

 

「おねーちゃん、しなないでっ!」

 

 えぐえぐと涙と鼻水を垂らしながら私に抱きつく妹の姿が、あの日の私と重なって見えた。

 

 妹を置いて行くわけにはいかない。

 私は今、この子の唯一の姉なのだ。

 

 

 

 その日私は、この子の──氷川日菜の()になることを決めたのだった。

 

 妹の全てを愛し、受け入れ、導く完璧(・・)な姉に。

 それを終えて初めて私は罪を清算し、あの人の元へ戻れるのだろうから。

 

 大好きな姉さん。貴女の居ないこの無価値な世界で、私は今度こそ(あなた)を演じ通します。


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