その日から暫くの間は、特に大きなことも起きず、平凡な日々が過ぎていった。
相変わらず彼女は毎日のように貧民街で治療を行っているし、リューは定期的に休みを貰ってはそれに着いていく。時々フレイヤ・ファミリアへ向かいフレイヤの心の治療へ向かうと、互いにそれほど言葉を交わすこともなく淡々と作業は終わるし。特段ディアンケヒトからも言葉はない。
これはそんな最中に出てきた話。
「怪物祭、ですか……」
「?あまり嬉しそうではありませんね」
「まあ、オラリオに数あるお祭りの中でも最も恐ろしいだと思っていますから」
「ああ、なるほど……」
なんとなく疲れた顔でそう言うサラに、まあ確かに祭の内容を考えればそう思うのも仕方がないとリューは納得する。
モンスターを地上にもってくるなどという祭、恩恵を持たない民間人も多い中で開くには少々リスクが大きい。ただでさえ祭ということで普段より浮かれている者も多い中での行動となれば、治療師という立場上ゲンナリとしてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。
(しかしこうなると……誘い難い……)
どうも祭ということで浮かれてしまっていたのはリューも同じだったらしい。
せっかくの機会なのだからと休みを貰って、少しの間でも2人で出掛けられれば……などと考えていたのだが、彼女にとってこれは楽しめるイベントではなかったらしい。まあ少し考えれば分かるような話ではあるのだが、その少しが考えられなかった。流石にこれは言い出せない。
「あ、あの、サラ……?当日は……」
「当日は一応貧民街の方でも多少の屋台を出す方が居ますので、そちらを見に行く予定です。やっぱりお祭りですからね、裏道であってもそれに変わりはありません。もしもの為に待機はしつつ、その雰囲気に触れておくことも交流の一環になりますし」
「!……であれば、私も行きます。丁度偶然にも、本当に運良く、その日に休みが取れましたので」
「そうですか……あの、いいんですよ?私に気を遣わなくても」
「何を言いますか、むしろ行かせてください!」
「そ、そこまで言うのなら構いませんが……」
もう毎日いっしょの布団で眠ることにも慣れてきた今日この頃。ここでもう一歩を進めるためにも、この機会を逃したくない。むしろこういう特別でもなければ勇気を出せない自分にとって、このイベントは無駄に出来るものではない。
自分の臆病さを自覚し始めたリューのそんな奇妙な焦りと必死さが、そこには現れていた。
しかし当日。
今日も今日とてやっぱり、リューの思い通りに事は進まなかった。
「おっ、サラちゃんじゃないかい!ほれほれ、串肉1本どうだい?世話になってるしオマケするよ!」
「それでは……ええと、1本頂けますか?実は彼女、油の強いものが苦手なんです」
「なんだそうなのかい。それならお金は要らないよ、恩人に1本の串肉をケチるような女だとは思われたくないからね!」
「ありがとうございます。最近身体の調子はどうですか?」
「……また今度、頼んでいいかい?」
「もちろんです、何時でも行きますよ」
「………」
「サラおねえちゃ〜ん!」
「おっと……こんにちは、もう外に出ても平気?」
「うん!おくすり全部のんだもん!」
「そう、それなら良かった。偉いね。……お母さんはどうしたの?」
「しらない男のひととお仕事だって〜」
「……そっか」
「……あのね、おねえちゃん。今日はおまつりなんだよね」
「……良かったら一緒に屋台を見に行く?」
「いいの!?」
「うん。お姉ちゃんもお腹空いたから、一緒に食べよう?良かったら選んで欲しいな」
「うん!まかせて!!ほらほら!そっちのおねえさんも行こっ!」
「あ、ああっ……」
「………」
「痛っつつ………そっちの姉ちゃん強ぇな……」
「あの……お祭りだからと言って飲み過ぎです。また胃に穴が空きますよ」
「るっせぇ!いいんだよ俺なんかよぉ……どうせ女房も娘も帰ってこねぇんだ。何処で死のうがどうでもいいんだよぅ」
「……」
「はぁ……それならもう私は何も言いません。ただ次に穴が空いた時は、暫く治しませんからね。私が居る限り簡単に死ねるとは思わないでください」
「ひぇっ」
「………」
流石の治安の悪さというか、なんというか。
本当に何処に行っても、祭の最中でも、色々な問題が目に付いてしまう。
母親が身体を売り、その間こうして放置されてしまっている子供もいれば、妻と娘に見捨てられ酒に溺れる男も居る。ここぞとばかりに明らかにぼったくり価格で肉を売る女も居れば、突如として殴り合いを始める浮浪者達だって居た。
……改めて考えると、やはりこんな場所に自分の大切な妹がたった1人で毎日彷徨いていたという事実はあまりに恐ろしい。今はこうしてある程度の信頼を勝ち取れているとは言え、果たして最初はどうだったのだろうか。
いくら目を背けたところで、時間は進んでいくし、事態は進行していく。そうしてまた目を戻せば、そこには自分の怠惰が引き起こした結果が広がっている。どれだけ苦しく悲しくとも、世界は目を逸らすことを許してくれない。
そんな厳しさをここ最近はより強く感じていて、だから何をするにしてもまず『逃げない』ということを大切にしようとリューは思っている。
「……正直に言えば」
「?はい」
「貴女がここでしている活動は間違っていると、そう思っていました」
「………」
子供達が走り回っている姿を見守りながら、リューはポツリとそんな言葉を溢した。隣に座るサラにまるで懺悔するように。それでも決して、目の前に広がるこの光景から目を逸らすことなく。
「このような活動をしても、根本的な解決にはならない。むしろ場合によっては、問題が表面化せずギルドが動かなくなる。……そんなことを考えていました」
「……別に間違っていないと思います。それについての指摘を私は何度も受けましたし、私自身そう思います」
「ただ、それは結局のところ。この場所を遠くからしか見ていない人間の、酷く他人事で勝手な意見なのだと……そう、思ったのです」
「……」
リューの考えは、きっと間違っていない。
サラの行動は、きっと間違っている。
大局的に見れば。
「より広く見れば、より将来を見据えれば、この貧民街に手を触れるべきではないのでしょう。より深刻な問題が起きなければギルドは手を加えない、ならばそれまで待つべきだ。根本的な解決は個人の力では成し得ない」
「……そうですね」
「……ただ、それは言い換えれば今ここに生きている人を見捨てることに他ならない。ここで苦しむ人々に目を向けることさえせず、大義で塗り潰すような行いだった」
「リューさん……」
「そんなやり方を、アストレア・ファミリアは許さない」
「っ」
「少なくともアリーゼ達なら……今の貴女と同じことをしたでしょう」
たとえそれが本当の救いにはならなくとも。
過去の自分であれば、あの時を生きていた仲間達であれば、目の前でこうして苦しむ人達を見捨てることなんて絶対にしなかった。『本当の救いにはならない』などと言われたら、『だったら別の方法で救ってみせる』と言い切っていたはずだ。
それがリューが好きだったファミリアの姿で、だからこそあの場所を彼女は愛したのだ。悲惨な現実ばかりを目にして、自身の愚かさに向き合わされて、大切なことを忘れてしまっていた。そういう愚直さこそが、そういう必死さこそが、何より世界を変える原動力になるのだと。自分は誰より知っていた筈なのに。
「サラ、貴女は間違っていない。貴女のこの行動は、他でもない私だけは絶対に否定してはならないものだった」
「……私はそんな、大層なことは」
「少なくとも目の前に広がるこの光景は、貴女が作り上げたものだ」
「っ」
「貴女は多くのものを救っていた。私が目を背け、逃げていた間に……貴女だけは、アストレア・ファミリアの意思を守ってくれていた」
より強大な力を捩じ伏せる力が無くても。より多くを圧倒するような数さえ無くても。彼女はたった1人でこの小さな廃れた場所に光を当て続けていた。
アストレア・ファミリアという正義の星が潰えた後も、彼女だけは光を放ち続けていた。未だ正義の光が消えることなく在り続けているのは……
「貴女のおかげです」
自身の成してしまった復讐によって、自分はもう2度と正義を名乗ることは出来なくなった。それは今も変わらずそう思っているし、それを曲げることは永久にないと。……少なくとも少し前まではそう思っていた。
ただ、それは今もこうして光を絶やすことのないように努力している妹を見捨てる行いであると言われたなら、曲げてしまうくらいには心が揺らされている。
それが仮に偽りの正義であったとしても。
自分が正義を名乗るに相応しくない穢れた人間であったとしても。
それは今にも壊れそうな妹を見捨ててでも手に取らなければならないものなのかと言われたら、絶対に違うと言い切れる。何もかもを失ったからこそ、唯一残った彼女のために自分の何もかもを費やすことが責任なのではないかと、今は思える。
「サラ、私は……」
「あの………リューさん……」
「?」
「……私を、そんな綺麗な人みたいに……言わないで、ください」
「っ」
「私はそんな……リューさんが思っているほど、綺麗な理由で頑張っている訳じゃ……ないので……」
日が雲に隠れる。
少し熱いくらいの日差しが途絶え、少しだけ寒くなるような感覚が身を走る。
薄暗くなった世界の中、それでも走り回る子ども達の声は途絶えないし、酒呑達の歌声も止まることはない。
止まったのは単純に、思考だけ。
「私は……正義のために動いてなんか、いないので」
「っ」
「私は、本当に……自分のために……」
「サ、ラ……」
「私、は……」
「サラさん!!ダイダロス通りでモンスターが!!」
「「っ!?」」
世界はままならない。
いつでも余裕があるとは限らない。
どれほど重要な局面であったとしても、空気を読んでなどくれはしない。
必要な言葉を必要な相手に、必ずしも伝えることが出来るとは限らないのだから。人は常に言葉を交わすべきなのだ。それが出来なければ、きっと……
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ガネーシャ・ファミリアが逃してしまったというモンスター達、その処理を主に行なっていたのはロキ・ファミリアのアイズだった。
遠征から帰って来た彼女は息抜きも兼ねてロキと共に祭に来ていたのだが、その最中に蔓状の奇妙なモンスターが出現したり、それによって借りていた剣を破壊されてしまったりと、少しばかり想定外に見舞われたことも事実である。
それでも冷静に全てを処理し、こうして最後のモンスターであるシルバーバックを残すのみとなったのだから、そこは流石の上級冒険者と言ったところなのだろう。
……ただ、そんな彼女にも想定外であったのは。
「恩恵を持っている方は瓦礫を退かすのを手伝ってください!!瓦礫は適当に放り投げないで!!下に埋まっている人達の空間を潰してしまいます!!見つけたら大声で叫んで下さい!!それ以外での会話は原則禁止です!助けを求める声をかき消してしまう可能性がありますから!!」
ダイダロス通りに広がる、惨状。
恐らくシルバーバックが暴れたのだろう。彼のモンスターが通ったルートの建物の多くが破損し、かなりの広範囲でそれによる怪我人が出ていた。
幸いにもまだ死人は出ていないようであるが、このダイダロス通りという場所は貧民層が多く生活している場所。金にも種にもならないような者達が住み着いている場所。
故にもちろん、冒険者達が積極的に救助に駆け付けてくれるような場所ではなく、ギルドからの支援も結果的に後回しになってしまうような、そんな場所だ。
仮に今回の件で死傷者数が発表されたとしても、この場所における被害だけは報告されないということも普通に考えられる。政治的な思惑のためであれば容易く無視されるということも、過去の経験からこの場所に住まう者達はよく知っていた。
それ故に彼等が冒険者達のことをよく思っていないということも知っている。助けてくれないギルドを恨んでいることも知っている。
だからこそ、アイズは驚いた。
「あの人は、確か……」
そんな中でも、何の見返りも得られないような場所なのに、誰よりも声を張って、誰よりも汗を流して走り回っている少女が居た。
眩しいくらい真っ白な治療衣を赤と黒に汚しながら、必死になってこの場所に住まう人々を救おうとしている治療師が居た。
アイズは彼女のことをよくは知らない。
アミッドと話していた時に紹介された覚えはあるけれど、それ以来は殆ど話したこともなく、常にアミッドの背後で仕事のために走り回っていた姿しか記憶にない。
……ただ変わらないのは、その必死な顔。何をするにしても必死に、まるで追い詰められるように苦しそうな、その表情。あの時に見たそれと全く変わらない表情を貼り付けて声を張り上げる彼女を見て、身体が自然と動いていた。自分のすべきことを、出来ることを、しなければならないと。居ても立っても居られなくなった。
「あの……手伝います」
「っ、剣姫……ありがとうございます、助かります」
「何をすればいい?モンスターは?」
「シルバーバックはもう討伐されましたが、とにかく被害が甚大です。この道をずっと一本道で続いていますので、瓦礫の撤去と、危険な状態の患者が居た際の搬送をお願いします。私の元に連れてさえ下されば、必ず治しますので」
「うん、任せて」
必ず治す。
そう言い切った彼女に頷いて、自身も全速力で走る。
やはり治療師というのは、ああいう人でなければ続かないのだろうか。何処かアミッドを思わせるその雰囲気と、覚悟の決まった瞳。
治療の場では誰よりも自身を主張し、自身を殺し、決して弱音は吐かない。嘘であろうと必ず治すと宣い、笑顔と涙を使い分ける。冷酷とも言える判断を下しながら、時には批判されることさえも受け入れて、自身の手で命を奪うことさえも頭に入れながら、取捨選択を行う。
「誰か手を貸してくれ!!足が抜けないんだ!!デカい瓦礫が退かせない!!」
「っ、私がやります……!」
アイズだって抗争を経験している。闇派閥との戦いにも参加していた。このような光景を見たこともあるし、その末に目の前で人の命が潰えた瞬間だって見た。
だからこそ、思うのだ。
戦いを終えた後のこの場所もまた、戦場の1つであるのだと。自分達の戦い終えた戦場は、その後こうして治療師達が奮闘する戦場に変わるのだと。そしてその戦場における自分はまだ……無力なのだと。