走馬燈。
目の前で零れていくものに手を伸ばしながら、凍りついた何かが滴りだすのを、心がぼうと見ていた。
幼い頃、母からビスクドールを贈られた。片手で乱暴に掴めるようなものではない、大きく、精巧なそれはまさしく人間のように思えて、私より頭ひとつほど小さなそれを妹のように可愛がっていた。母の好みなのか、衣装が自分とよく似たものばかりだったのも拍車を掛けて、どこへ行くにもお揃いの格好で抱え歩いていた。
母が選んだものを享受して、他には何も知らない、子供だった。
転機はさほど劇的でもない些細なものだった。夏休み、親に連れられて訪れたコテージで出会った女の子と、どんな流れだったか、とにかく虫取りへ行くことになった。
「置いてった方がいいよ。たぶん、その子も暑くてヤだと思うし」
「……確かに、仰るとおりですわね」
妹のような、あるいは自分の写し身のような人形を気遣ってもらえたのが嬉しくて、それから仲良くなれた気がする。
私の世界に、人形でない人が現れた。両親以来、初めての。
家族から愛されていないだなんて思ったことはなかった。寂しいと感じたこともなかった。ただ、ただただ、私の世界は狭く純粋に、完結していた。
曲線と象牙、鋼の蔓、欧州の森のひとかけらを束ねて、八十八の鍵を連ねた世界。ピアノの前に人形を座らせた西日の差す部屋が私の心象風景だった。
いつも、その扉を母が叩く。花のワルツを指先で踊ればアルペジオの粒立ちの荒さに溜め息を吐かれ、雨だれを爪弾けば左手が欠いた繊細さを見咎められる。その都度ゼンマイのネジを巻き直す。精彩を、緻密を、母の求める解釈を形にする研ぎ澄ませた技巧が求められた。私は高名なピアニストの娘だから。それだけじゃない。名門女子校の生徒。格式あるコンクールの受賞者。肩書きに合った振る舞いと交流を当然のものとしていた人生。
……そこに、ほんの少し疑念の茜が差した。狭い窓から覗く青ばかりの夏に飛び込んできた命の色。カブトムシは新しい世界の力強さを象徴するかのようだった。
あの日からしばらく、私物の量がどっと増えた。どれもこれもカブトムシのモチーフで、珍しく母の顔が引きつっていたのを覚えている。逆に父は鷹揚に微笑んで、大切にするんだよと頭を撫でてくれた。初めて買ったキーホルダー、精巧なシルバーブローチ、譜面留め、それから、児童用のノート。
学校へ持ち込むことは決してなかったから、中に書きこんだのはピアノのことばかりだったけれど。通っているのが幼稚舎から高等部まで一貫の名門校だったために、周囲には馴染まないだろうと思っていた。ドレスコードというわけではないが、ふさわしいもの、装いでなくてはならない場所があることは理解していた。お風呂場でドレスは着ないし、キッチンではエプロンをする。その程度の分別は初等部の私にだって備わっていた。
分別。自制していたわけではなかった。制するほどの自我はまだ持っていなかった。だから、手足から伸びた糸を母が引きやすいよう姿勢を整えるのを不自由だと思わなかった。虫取りの思い出はただの思い出のまま、夏が過ぎた私はまた人形に戻っていた。
違いがあったとすれば、己が人形なのだと知ってしまったこと。
友はいる。同窓には勿論、虫取りの彼女とだって付き合いは続いているし、両親同士の繋がりから交流の深い子だっている。共にピアノの伴奏で歌い、彼女たちの奏でるギターに感じ入った思い出もある。
心はある。人形を貰って嬉しかったし、大切なそれを尊重されるのもそう。コンクールで届かない相手がいれば悔しくて練習に励んだし、思うようにいかずピアノに明け暮れる日々の中、友人たちの世間話について行けなくなるのを寂しがったこともある。
体はある。母の言う通りに髪も指も磨いて、母の言う通りに所作を整えて、母のあつらえた服を着る体が。
名はある。高名なピアニストの実子にして秘蔵っ子、母の傑作としての私の名が。
母が書いた
流行りのドラマなんて知らない。みんなが帰りに立ち寄るカラオケも行ったことがない。買い食いだってしたことがない。完結していたはずの世界はいつの間にか外に繋がっていて、今まで気に留めもしなかった世間の普通が全くわからないことに愕然とした。
でも、夏の日差しで焼き上げたガラスの瞳と陶磁器の体をどうしようとも思っていなかった。その狭さだけを知りながら、ただ日々が過ぎた。木枯らしのエチュード、金平糖の精の踊り、セレナード13番、テンペスト、枯葉、冬の篝火、田園──やがてまた、季節が巡って。ヴィヴァルディの夏を弾きながら青嵐の情景に思いを馳せていた五月、初夏のある日。
私は、この身に燈す光に出逢った。
その少女は高架を渡りながら、まるで暗い影の水面からやっと息継ぎをしたように、ふと顔を上げて。散り落ちる花を徐ろに追いかけ、その身を投げ出そうとしていた。
心臓が跳ねた。見知らぬ誰かが世を儚もうとしている。思わず駆け出した足音より鼓動の方が大きかった。頭の中を浸していた音楽が弾け飛ぶほど強烈な拍動に突き動かされて、私は彼女を押し倒した。
……結論から言えば、彼女はただ空を流れる花に気を取られていただけだったが。散った花が生きているだとか死んでいるだとか、気が動転していたにしても変な問答をしたけれど、仔細までは覚えていない。
けれど、安心した私が膝を擦りむいているのを見て必死に声を振り絞った彼女の顔は、今でも焼き付いている。気弱さの滲んだ困り眉、おどおどと彷徨わせた視線。でも、今まさに死ぬかもしれなかったことへの恐れや助かった安堵より、早とちりをした私の擦り傷なんかを本気で心配する優しさが、なんだか振り切れなくて。
彼女の家に通された。小さくて丸いものが好きだと言う通りの可愛らしい部屋。動物も好きなようで、私に施してくれた絆創膏もその類の柄だった。私の世界とはまるきり違う温かな部屋が新鮮でつい見回していると、一冊のノートが目に留まった。覚えがある。私も集めていた児童用のノート。ほんのわずかに命を得たあの夏の残滓。
懐かしいと零したら、彼女は全種類あると言って箱を引っ張り出してきた。子リスが懐いてくれたようだと微笑ましく思いながら箱ごと受け取る。不思議な出会い。せっかくの、母とは関係のない縁。細々とでも繋がったら嬉しいという多少の打算もあって、話題を探せないかと適当な一冊を開いた。
……嗚呼、まさか、あんなにも、私の全てを言い当てる詩が、そこにあると知っていたなら。
たとえどれだけ悲しませたとしても、心配げな貴女を振り切って走り去ったのに。
「……人間になりたい、うた」
書き殴られた仮題の下に続く、罫線を無視して散りばめられた言葉の数々。周りの当たり前に、求められる常識に応える、それ自体を頑張らなければ出来ない自分の情けなさ、孤独感、自虐自嘲自責が赤裸々に綴られていた。
母の求める人生をただ歩みながら、人形の鎧に閉じこもるままだった私と、同じ。
このノートに注がれているのは無言の悲鳴だった。そして、悲しみを誰のせいにもしない優しさだった。
人間になりたいと叫ぶ彼女のことが、もう、どうしても他人には思えなくて。少しでもこの欷泣に応えてあげたくて。
私は彼女を自宅へ招待した。
住所を尋ねて家の運転手の方にここまで来て頂き、そのまま彼女も乗せて帰宅した。困惑しきりの彼女の手を引いて自室まで歩いた道すがら、どんな話をしただろうか。記憶にない。頭の中はあの詩にどんな曲をつけようかと五線譜を手繰ってばかりでまともに口も開けず、きっと怖い思いをさせてしまったと思う。
あのときの私はすっかり平静を欠いていて、幼い頃からピアノを嗜んでいるだとか多少は理論の面でも心得があるだとか、あとは絶対に無事に帰すだとか出来ればお夕食くらいは一緒にいかがかしらだとか、支離滅裂なことを口走っていたような。恥じ入るばかりだ。
結局自室に着くまで浮足立ったままで、随分と久しぶりに緊張を落ち着けないままピアノの鍵を開けた。そのままでいいと、そのままがいいと思った。陶磁器の心臓がやっと目を覚ました。どくどく、どきどき、想い奏でた。
歌い終わったときのあの子の顔が瞼に残っている。夕日より赤い頬、白鍵より透き通った瞳。即興の旋律は、全霊のシンパシーは確かに届いたのだと確信して……ああ、そういえばと、口にした。
「私は
「た、
「トモリさん……字は、どう書きまして?」
「えっ、えと……火偏に、山登りの方の……」
聞いて、素敵な親御さんがいらっしゃるのだと思った。灯、および燈という字には単にランプなどの明かりを指すだけでなく、仏教において世を照らす教えの意味もある。女の子の名前に画数の多く仰々しい旧字体の方を使うからには、きっとただ明るい子になってほしいだけではないだろうから。
……いや、違う。私の心を照らしてくれた彼女の全てに、勝手にそういう運命を感じたいだけだった。
彼女の手を取って熱に浮かされたまま捲し立てた。私の馴染みきれない
果たして、彼女は頷いた。勢いで押し切った感は否めない。だからせめて後悔をさせないために、私は当たれる人脈の中で最高のメンバーを集めようとして……それはひと月も経たない内に達成されることになる。
運命だと思った。
彼女の名前に感じたように、何にもかもが上手くいくと信じて疑わなかった。
運命だなんて言葉はつまり、人形劇の繰り手が母から神に代わったという、それだけの意味でしかないのに。
母が倒れた。
私達がバンドを組んで初めてのライブが大成功して舞台袖に捌けたまさにその時間、国内最大規模のホールでソロコンサートを行っていた母はひとり、曲を弾き終えることなく意識を失っていたのだ。
軽度の脳梗塞。幸い命は助かったものの、長年の修練と合わさってジストニアを発症していた。
左の人差し指以外の手指と右足を演奏に使えなくなって、世界的ピアニストはその技巧を失い。
私のように幼い頃からピアノを弾くことだけし続けた母は、心を病んだ。
私の部屋に訪れてはピアノに指を向けて、弾くでもなく無気力に項垂れ伏せるのを見かけるようになった。私と目が合った瞬間に怒声を上げるならまだいい方で、酷いときはまるで小さな子供でも相手にするように声をかけてくる。私の返事に構わず、そのまま独りで、母の思う理想の私に語りかけ続ける。妄想の中でピアノを弾かせ、幼い頃の私に言ったことのない賛辞を唱え、指導のためにピアノを鳴らして我に返る。そしてまた、空虚な面持ちでピアノに倒れ伏す。
母は、私のバンド活動を知っていた。止められなかったのは自由を認められたのだと思っていた。
違った。可愛い人形でしかなかったのだ。可愛くないなら用はない。
父は疲弊していた。元々母のマネジメントをしていて、ほぼ専属のレーベルを運営し企画を回す敏腕社長でもあった。しかし今や、会社は傾く一方だった。母の凋落は面白い悲劇だったらしい。クラシックの話など欠片もしなかったメディアが餌を見つけたとばかりに食いついて、思うように動かせない体と心に苦悩する様をまるで見世物のように取り上げる。
両親には人徳があった。離れず側で支えてくれる人々もいる。それでも、悪意は強大だった。
──私が、なんとかするしか、ない。
技術だけはある。母の姿が悲劇だと言うなら、逆境を跳ね除けてハッピーエンドにしてみせる……なんて、意気込むことも許されなかった。
収入の減少と醜聞の加速が、私の通う学園の当局に批難された。
いわゆる、お嬢様学校なのだ。品格やしきたりはブランドイメージと言い換えられる。名前や看板が重い意味を持つ世界に人材を排出する学園において、零落し荒れ狂ったピアニストの娘にして、学園の理念にもそぐわない遊びのバンドに耽る放蕩者なんて、瑕でしかない。
高等部には上がれず転校することになるだろう。母の名を背負ってピアノを弾こうにも、その名が邪魔をするなら身一つで挑めるまで爪を研がなければならない。これ以上誰にも何も奪わせず、詮索させず、誰にも知られず、世界に牙を剥く瞬間まで虎視眈々と。
そのためには……今の生活を、楽しかったバンドを、捨てなくてはならない。
でもこんなこと、話せるはずがなかった。大好きな友人たちとの日々が母の名を貶めているだなんて。そのせいで生活すら危ぶまれる、貴女達を捨てて修練に励みますだなんて、どんな顔で吐けばいい。
バンドのみんなの顔が浮かんでは消える。不器用で情深いあの子、心配性で奥ゆかしいあの子、朴訥として純粋なあの子……繊細で怖がりで、孤独に苛まれて俯いていても、人の傷に怯えすら忘れて優しくしてしまうあの子──私をさきちゃんだなんて呼んでくれる、親友の顔が。
なにを言えばいい。
なんて、言えばいい。
伝えれば悲しませるだろう。心配させるだろう。手出しのできないもどかしさに、きっと歯痒い気持ちにさせるだろう。
そんな思いをさせず、彼女たちを遠ざけるには──
「……嫌われる、しか」
バンドは運命共同体だと言ったことがある。そんなこと、口にしなければよかった。
初めてのライブから一度も練習に行けないまま月日は過ぎて、もうじき梅雨になろうとしていた。
世界が終わった。
進路調査という名の最後通牒が来た。地域でそれなりの進学校へと進むことを決め、それを父には納得してもらった。こんなことになって済まないと自嘲する彼の髪には白髪が増えていた。もうどうしようもないことだった。
母だけは、頑として認めようとしなかった。
いつの通り私の部屋へやってきた母に転校すると告げた瞬間、ヒステリックにピアノの天盤をこじ開けて、中に私のビスクドールを叩きつけた。人形の首が砕けた。フェルトハンマーが折れた。響板が悲鳴を上げた。木片が頬を掠めて血が出ても母は人生の破壊を繰り返した。父は後ろから抱き竦めて止めようとして、ただ引き摺られるばかりで、情けなく縋るだけにしかならなかった。
厳しくも愛情の垣間見えた母と鷹揚で聡明な父の姿は見る影もなくなった。
静謐な雨が窓を滑っている。外から風だけ招き入れたような惨状。狭く穏やかだった世界は、優しい春日影に浸っていた窓辺は、もう、ぐちゃぐちゃ、ドロドロで。
嵐に見舞われた部屋の真ん中で、何もかも失くした私はふと、気付いた。
今日はバンド練の日だ。
「……行かなくては、なりませんわね」
酷い言葉を投げかけるために。こんな忘れて当然の醜い女のことなんて、嫌ってもらうために。
バンドの脱退を申し出るために。
上の空のまましばらく歩いて、雨が降っていることを思い出した。傘を差そうにも遅すぎたし、そもそも持っていなかった。頬にも瞼にも流れるそれを止める術もないまま見上げる。途方もない暗晦を黒南風が這い蹲って、私の足を引いていた。
みんなで練習していたあのスタジオにたどり着いた。ずぶ濡れの私に驚く受付に部屋を尋ねて、重い、重い扉を開く。
顔を合わせるや否や、思いつく限り最も酷い言葉を投げかけた。一番頑張っているのは燈だから、あの子の能力の不足をなじった。心の叫びを歌う詩に、外連味のない懸命に絞り出すあの歌い回しは天性の魅力があるのに、それを頭から否定するように。
ドラムスローンから立ち上がった黒髪のあの子が燈を庇って私に掴みかかった。バンド曲の作り方を学ぼうと努力していた貴女がいれば、もう私が曲を作る必要はない。
栗色の髪の彼女が間に割り込んで仲裁しようとする。いつも一歩引いてみんなを見ていた貴女がいれば、もう私が音頭を取る必要はない。
幼馴染はギターを膝に乗せたままそっぽを向いていた。よりバンドに相応しいエレキギターの技巧を幼い頃から培ってきた貴女がいれば、もう私がピアノを弾く必要はない。
……燈は、すっかり色を亡くした顔で私を見ていた。
傷つけた。
もう、戻れない。
「……このバンドを。
ごめんなさい。
そう付け加えることはしなかった。
高校生になった。慣れない制服、慣れない建物、慣れない人々。前の学園にいた頃よりずっと強い異物感を必死に飲み下して、当たり障りのない生徒になろうとした。
部屋のピアノは壊れてしまったけれど練習の場はある。学校でも、スタジオでも、こんなことになっても両親についてきてくれるピアニストたちの下でもいい。邪魔をされないためには上澄みでも澱でもない深さへ潜るのが一番だと踏んだ。誰の目にも留まらないように。
ある日、校内で燈の姿を見つけた。私と同じ制服。出会った頃と同じ俯き顔。偶然の衝撃から逃げ出しそうになるのを堪えて、遠巻きのまま知らぬ顔で通り過ぎた。
彼女は周囲に愛されているようだった。マスコットのように。可愛いペットのように。心の中では人間になりたいと泣いているのだろうか。それとも、もう物言わぬ虫でいいと思わせてしまっただろうか。私に知る術はない。
今の私は人形ですらなかった。煌びやかな衣装も愛らしい貌もない空っぽの
雨の方が多い日々、廊下で彼女を見かけることが増えた。大抵窓の外をぼんやり眺めていて、彼女の去った後に覗いてみればどこかにアジサイやクチナシが咲いている。美しいものに足が止まる彼女の感性が健在であることに身勝手な喜びを覚えもしたけれど、合わせる顔はない。
今日も雨だった。
昼休み、音楽室へ向かう道すがら。また燈の姿を見つけた。窓を開けて佇む彼女が去るまで待つか、昼の練習は止めて放課後に力を入れようかと思案しかけて、ふと、気付いた。
あの場所から見えるものに花壇も街路樹もない。ただ雨に霞む街が広がるだけだと。
凍っていた心臓が震えだした。
知らず、駆けだしていた。
走馬燈。
初めて彼女と出会ったとき、私は、彼女が世を儚んで身投げしようとしているのだと、思い込んで──
あの子が、窓の外へ、手を、
「──燈!」
目の前で零れていくものに手を伸ばしながら、凍りついた何かが滴りだすのを、心がぼうと見ていた。
目があった気がしたと思う間もなく、窓枠に乗り出した燈の上半身は向こう側へ折れていく。必死の思いでなんとか膝上に飛びついてこちらへと引っ張り込んだ。ピアニストとしてそれなりの身体作りはしているとはいえ、私の力でも支えられたほどの軽さに血の気が引く。かつて彼女の手を取って歩いたときは、もっと、人らしい重みがあったのに。
ずぶ濡れになった髪の奥で光の薄い目がきょとんとこちらを見た。目が合うや否や溢れ出したものを、私は抑えられなかった。
「貴女、今度は一体何に見惚れていましたの!? 間に合わなかったらそのまま──」
「……ごめんね、消えられなくて」
……耳を、頭を疑った。
燈は腰元に縋りついたまま絶句する私を見下ろして、伸ばしかけた手を力なく垂らした。
「……私のせいで、終わっちゃった……」
「終わった、って……」
「私がヘタなせいで、ちゃんとしてないせいで……そよちゃんも、たきちゃんも、みんなだめになっちゃった、から……もう、いいよ」
「貴女、まさか、本当に……?」
一生のような沈黙を置いて、彼女は小さく頷いた。その瞳に映る、無様に目を見開いた女の顔の、浅ましいこと。罪深いこと。
自分に言葉を刺して去った友人のことを、優しいこの子が引き摺らないはずがなかったのに。
「ごめんね、さきちゃん……虫らしく飛べもしない、人らしく言葉も出せない、こんな私で……」
「貴女がそこまで思い詰めることなんてなかったでしょう! 一方的に酷いことを吐き捨てて逃げた、馬鹿な女がここにいるでしょう!? ……私を、責めればいいじゃありませんか……!」
惨めな泣き言を漏らした。大切な友人を傷つけ切り捨ててでも家族を背負うと覚悟したのに、愚かしいことこの上ない。
こんな私を、燈は憎んでくれなかった。
「……さきちゃんは、優しいから。さきちゃんに、あんなこと言わせるくらい……私がダメ、だって、思って」
「……ばかおっしゃい。……いえ、ばかを言ったのは、私でしたわね」
自分で突き放して壊したくせに──違う、だからこそ。
衝動じゃない。これは義務だ。蚕のように綺麗な心を傷つけた私には、今、この子を抱き締める義務がある。
「そんなこと、ありませんの。ありませんのよ。私が、ただ……」
壊れた世界。首の折れたビスクドール。半壊したグランドピアノ。
言えない。
「……ただ、ただ。逃げ出した、だけで」
「さきちゃん……」
畢竟、怯えているだけだった。
バンドだって背負ってみせると覚悟できたならよかったのだ。そう思えなかったのは……確かに優しく愛があったはずの家族が、筋書きで定められていたかのように壊れていくのを目の当たりにしたから。
絆を信じられなかったから、すべて手放して、忘れて、独りで立ち上がろうとした。
でも、こうしてまた交錯してしまった。
徹底できないのならばせめて通すべき筋があるでしょう。両親のことを背負う前に整理をつけるべきことがあるでしょう。前に進むというのなら解くべき、結び直すべき綻びがあるでしょう。
「……やるべきことが、できてしまいましたの。バンドとの両立が考えられないほど困難で、喫緊の……」
──違う。
──違う!
「──やめたくなかった!」
豊川祥子が──「さきちゃん」が「燈」に伝えなくてはならない言葉が。
理性の背中を突き飛ばして声を上げた。
「貴女の詩を奏でられて……貴女たちと一緒にいられた時間が、私にとって何より幸せでしたわ! そうでないことなんて、一瞬、一刹那としてなかった!」
楽しかった日々を、優しい日溜まりの詩を、忘却の海に沈めることなんてできなかった。
「物言わぬ人形だった私を人間にしてくれた貴女を、嫌いになれるはずがないでしょう……!」
命を繋ぎ止めるより強く抱き締める。小柄で華奢な体を折ってしまいやしないか怯えるより、この気持ちが伝わらないことをこそ恐ろしく思う身勝手さを、燈は抱き締め返してくれた。
肩になにか滴る。彼女の髪を濡らした雨だろうか、それとも。
「大好きです……大好きですわ。貴女も、
束ねることもままならない感情の溢れるに任せた叫びは、勢いを増す雨の音も飲み込んでいった。
燈の返事はなかった。代わりに私を抱き締める力が一層増して、濡れた制服と触れた頬の温度がふたりの境を曖昧にして──小さな、小さな嗚咽が時折、舌先で「さきちゃん」と息を紡ぐのが、陶磁器の心臓にこだましていた。
ここから結局なんも事情は明かせていないことに自己嫌悪しまくる祥子ちゃんを燈ちゃんがよしよししてたりRiNGにふたりで行ってりっきーと泣きながら喧嘩したり普通にクラスの子たちとバンド組んで結局逃げ出した愛音と逃亡者シンパシーで仲良くなるさきあのがあったり野良猫が寄ってきてメンバーが足りたから燈のリハビリも兼ねてMyGO(ベースレス)を結成したりCRYCHIC再建の目処が立たなすぎてすっかり絶望してそよ風どころか無風になった長崎干物そよに困り果てた睦ちゃんが助けを求めに来たりなんやかんやあって問題解決できたけど合わせる顔がなさすぎて「今更一緒にバンドをしようなんてどの口で……それにあの子達も今は自分のバンドがありますし……対バン? そうですわ──!」っつってAve Mujica結成してバレバレの仮面に気付かない燈に配慮したりっきーに小声で「薄々わかってたけどさ、祥子って思い詰めたら明後日の方向に突っ走るよね」って呆れ笑いと共に突っ込まれたりしながら最終的にCRYCHIC再建する話を誰か書いてください