コン、コン。
キィ……。
ドアが静かに叩かれ、そしてゆっくりと開かれた。
「……」
「よぉ」
静かな部屋だった。
秒針が刻む僅かな機械の音と、微かな呼吸音だけがそこにあった。
「また来たぜ。ロッド」
窓から陽の光が差し込み、その先には真っ白な肌をした少年が、深い眠りについていた。
「そろそろ外出て運動しろよ。ただでさえ筋肉足りてねぇんだからな」
少年の兄は、ぶっきらぼうに言い放ちながら腕に下げていたバスケットを下ろした。
「置いとくぜ。腹減ったら食え。減ってなくても、とりあえず口ン中に入れとけ」
兄……カルヴァンは弟のアレクロッドに、普段の口調より幾分か穏やかな口調で語りかけていた。
しかしその声に応えるものはない。
あの日アレクロッドが消え、そして黒竜に取り込まれてから彼は目を覚ましていない。
表上はすでに回復していると発表されており、この事実を知る者はカルヴァン含めた何人かの身内と、竜騎士団上層部のみだ。
アレクロッドが意識不明の重体であるという情報は、それだけ知られてはまずい情報なのだ。
政治に大して興味がないカルヴァンとて、今の状況が王国にとってどれほどの窮地かは理解している。
「……チッ」
以前ほど、体が思うように動かなくなっている。
腕一本失ったとて、自分の強さに翳りが差すなど考えもしなかった。いや、考えないようにしていた。
無くなったものは別のもので埋めればいい。体が動かないのは自分自身の未熟さが理由でしかない。
15歳にして竜騎士団に乗り込み、入団したあの時からカルヴァンの考えは変わっていない。
それしか考える能がなかったとも言える。
ただひたすらに技を磨き、己を鍛え上げ、鍛錬に次ぐ鍛錬で全ての問題は解決してきた。
そうでない方法を持っていたのがアレクロッドだ。
弟は賢く、弱者のそばに立って物事を考えることができる。彼はカルヴァンには理解することができない類の強さを持っている。
考えに考えて、考え抜いて、それでも答えは出ない。
一体どうすれば……。
「……誰だ」
コン、コン。
ドアのノック音より前に、ドアの前に誰かが立ったその足音でカルヴァンは警戒を強めた。
「私よ」
だがドアの向こうから聞こえてきた声に、警戒を解く。
「……珍しいな。皇女様直々とは」
「状況が状況だもの」
ドアを開け、入ってきたのは……以前よりも僅かに疲弊している様子が見える皇女、エレオノーアだった。
彼女もまたアレクロッドの危急を知る数少ない人物の一人だ。
本来、かつて王国と敵対関係にあった帝国の皇族にこの事態を把握されることなどはあってはならない。
だが彼女の言った通り、状況が状況だった。
事は一刻を争う。
「……お父様が、国内に滞在していたホーンブレイブ竜騎士団の構成員に国外退去命令を下したわ」
「なに……?」
「フロイア王国、トトロイゼ共和国でも同様の動きよ。各国の首脳陣は、竜騎士団が信用できないと判断を下したようね」
「……いくらなんでも性急すぎるだろう」
周辺の主要国家内部には常にホーンブレイブ竜騎士団が駐在し、竜被害に対応する手筈となっている。
彼らの主な敵は“竜”だが、もし有事の際には。
“国”を相手取ることが彼らには求められている。
国内に竜騎士団という抑止力が存在することで、各国間の紛争を防ぐストッパーとして機能しているのだ。
それを国外に追放することは、他国に対して軍事的手段を取る選択を視野に入れたことを宣言することに他ならない。
にも関わらず、竜騎士団は国外に追放された。それも一国だけでなく、周辺国で同時に。
「それじゃあまるで……」
「ええ、戦争の準備をしているのでしょうね」
「……」
カルヴァンが行き着いた結論を、エレオノーアが確と断じた。
……こんなにも簡単に、平和が破られるものか。
「私も、国に早急に戻るようにと言われたわ。お父様はここが戦場になると予想しているのでしょう」
「ちょっと待て……まさか帝国はすぐに軍を動かすつもりなのか?」
「……ヴェルドラ帝国は、他国への侵略を繰り返して大国になったわ。お父様は他国からの侵略を許すより、先陣を切ることを選んだみたい」
「……!」
カルヴァンは眉を寄せ、歯軋りをする他なかった。
……ここ最近の事件を受けて、周辺諸国がなんらかの動きを見せる可能性は当然考えていた。だがまさかこんなにも早く事態が目まぐるしく動くとは予想だにしていなかった。
戦争を止めるのにはやたら時間がかかるくせに、始める時は随分手際がいいらしい。
……そこまで考えて、はたと気づく。
「……なんでその情報を、俺に教えた」
「……」
エレオノーアはカルヴァンからの問いに対して、黙して答えなかった。
エレオノーア。この女は国の政治を担うに足る能力を持っている。
年齢などは関係なく、彼女の行動一つ一つはまるで老獪な政治家の立ち回りのように計算され尽くされたものだ。国益の前には、情など捨て去ることができるのがこの女だ。
そんな女が……ヴェルドラ帝国の内部情報をペラペラと外部の人間に。ましてや“王族”であり“竜騎士”であるカルヴァンに話すはずがない。
そこには必ず、隠された腹の内があるはずだった。
「ここからが本題よ」
エレオノーアは、そう前置きして……そして。
彼女にしては珍しく、緊張した面持ちで言った。
「今、この学園に残っている全戦力で……戦争を止めたいわ」
「!」
「力を貸して欲しい」
そう言って、エレオノーアは……。
カルヴァンに対して頭を下げたのだった。
◆
ここがターニングポイントだったと思う。
私はこの時点まで、なんとか“竜角散”のゲームのシナリオ通りにこの世界の物事を進めようとしていた。
だけど気づいた時には全て手遅れで、この世界の歴史はすでに大きく、修正しようがないほど変わっていたんだ。
のちの歴史で“ヴェロイゼ危機”と呼ばれることになるこの一連の騒動は世界の情勢を大きく書き換えて、世界の行く末を決定づけた。
そして私は気づくべきだったと思う。
この時点で私が犯していた大きな“勘違い”に。
それは私がこの世界があくまでゲームの世界であって、私が関与しない限りは世界の物語はちゃんとシナリオ通りに進むものだとばかり考えていたからこそ起こった大きな誤算。
とにかく私は、この出来事をきっかけに“外部者”ではいられなくなる。
裏で“暗躍”する立場にはいられなくなる。
だけどこの時の私は、そんなことも露知らず。
クロエ嬢から聞いたノアたその危機についてだけ注意を払っておけばいいかー。なんて呑気なことを考えながら。
「……ふぅ」
聖竜教本部から学園に戻ってきていたのだった。
……
…………。
「明日から、ここともお別れか」
……明日から私は死んだことになる。
とりあえず、ノアたそがヤバい状況ってのはわかった。そこについては注意を払っておいて、もし不届者が近づこうものならボコすとしよう。
それでもやっぱり私は、もうここにはいられないと思う。
クロエ嬢には悪いけど、騎士団内部のゴタゴタとかは私には手が負えない。だって私が介入したってロクなことにならないに決まってるし。だからこそやりたくもないのにレイヴリーをわざわざ解放したんだし。
その辺は、無責任ながら皆に任せて。
私は近い将来戦争の火種になるラスボスを倒すために、いつかみたいに竜を食いまくって力を溜めておく。これがベストだ。
それで世界が平和になったら、山奥でキャンプ生活でもして過ごそう。幸いサバイバル能力には事欠かん。
優秀なアシスト役もいるしね。
《……》
なんか言えや。
《同志様》
うん?
《敵対反応です》
私は大きく、後ろ跳びしてその場から立ち退いた。
「……やはり、前と同じじゃのう」
地面がまるでトラバサミのように開いて、私を飲み込まんとした。
「張っていた甲斐があったというものよ」
そうして、長い長い事件は。
一人の“魔術師”によって火蓋を切られた。
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