情けない音は風を切る轟音でかき消される。まだいくらも吸ってないうちに吐き出されたそれは、勢いが弱かったのか風に押し戻され、赤い車体にぶつかってから後ろに流れていく。
「こんな不味いの吸ってんのかよ」
タバコは20歳になってから。
「いやぁ……不味くて。偶にね」
「へー」
別に興味もねーけど。
「もうそろそろだっけ、ライブハウス」
「うんっ! ここら辺!
今日はアタシの好きなバンドがいっぱい出てて凄い楽しみだ!」
「オススメのバンドは?」
「うーん、アリサは可愛い系が好き? カッコイイ系が好き?
個人的にはパスパレかなー! やっぱりちょー可愛いし、音はカッコよくてイカしてるし! 技術はアマと比べてもそんなにだけど、歌は上手いしセンスとかプロ流石って感じで――」
「聞いた私が悪かったから前見てくれ、頼むから」
曲がりながらよそ見すんじゃねぇよ。
「ていうか、まだつかねぇの?」
曲がり終えるのをしっかり確認してから、もう一度問う。こいつは普段からテンション高ぇけど、ここまではしゃいでるのは珍しい。自分もそのバンドに、少し興味が湧いていた。
今日、もしかしたら、聞けるかもしれない。『鼓動』を。
「ん……ちょい待って。この辺ではあるんだけど、画面小さくて……。
――あ、やば」
「へ?」
ドドズン。
ライブの何倍もの音が、腹に響いた。
「腹ばいになれ!! それで、両手を組むんだ!! 今すぐに!!」
星のシールを辿った先には、やはりというべきか星の形のギターがあった。道理だ。
うっかり他所の敷地を越え、ギターを見ている時にそんな反応をされるのも、やっぱり道理だと思う。ただ、自他ともに認める素行が宜しくない女の子な私が、目の前の、ツインテールの、おっぱいが大きくて可愛い女の子の言うことに素直に従うかは、NOだけれど。
腹ばいの私は、手を伸ばして、頭の上の方で組んでいる。少女ながら、なかなかにいい判断。私の背中には先程の可愛い女の子のお尻があって、つまり乗っかられている。頭に押し付けられているのは、拳銃か。偽物だろうけど、蔵、又は倉庫みたいな内装のこの部屋にある、様々な、本当に様々なモノを見る限り、本物な可能性もなきにしもあらず。
「お前は誰だ? 学校、学年、組、番号、名前を答えろ。両親の名前もな」
勝ち誇ったようにそう言う女の子の声が、そう私に訊く。
頭に押し付けられたオモチャが、ゴリ、と深く捩じ込まれる。
……私は、答えたくなかった。
分かっている。不法侵入、家財を漁っていた泥棒を確保、大人しくさせて身分を聞く。当たり前の行動だ。ここで私が何か変なことを言えば、女の子はオモチャを持っていない方の手にあるだろう、スマホで、すぐ様警察を呼ぶはずだ。というか、今呼ばれてもおかしくない。
なんで一番に通報しないんだろうか? 私は既にギターにべったりと皮脂やら指紋やらつけているし、ある程度殊勝な態度を見せている(自分から捕まっている)ので、嘘はつかない風に見えるはずなのに。……何か裏事情があって呼べないのか。
とにかく、それは今関係ない。
重要なのは、私が今、《質問に答えたくない》事だった。それでいて、《犯罪者にもなりたくない》し、女の子には何もやましいことなんかないことを《理解してもらいたい》。
考えろ。
埃っぽい所だ。確りと造られた倉庫で、床は木板、入口はそう遠くない。女の子の体重はそこまで重くない。足は自由に動く。声と頭の感触からして、女の子は私と同じ方向に頭を向けている。倉庫の中には本当に色々なものがあるけど、整理も整頓もないので、使えるものを探す時間もないだろう。少なくとも、見える範囲にはない。
作戦は決まった。
財布の中にはいくら残ってたかな。
なんて、昨日の出費と少ない小遣いを怨みつつ、私は行動に移す。
足を上げても、女の子は反応しなかった。恐らく前を向いているからだろうが、それならと思い切り勢いをつけて、尻を蹴るつもりで、ただし全力でかかとを振り下ろす。
「げぇぇっ!?」
背中を強く打たれた女の子の口から、汚い悲鳴が出て興奮を煽る。これが聞けるから、不良は辞められない。
左腕をL字に立てて上半身を固定、倒れて来た女の子を指を離した右肘で打つ。「グエッ」と鈍い声を聞きつつ、後ろに倒れる方向に勢いがついた女の子をさらに押しのけるように、腕立て伏せの容量で立ち上がる。
振り返ると、そこには尻餅をついた女の子。こんなに可愛い風貌だった、と私は今更ながらに思い、右足で両手首を蹴り、オモチャと携帯を取り落とさせた。ついでに頬にも一発。
……歳は私と同じくらいか。ツインテールの髪が良く似合う女の子だった。勝気な表情には薄ら涙が浮かんでいて、蹴られて赤くなった頬と相まってとても儚げだ。あとおっぱいが大きい。腰はキュッとくびれて細くて、おしりは大きい。あと鎖骨もいい。実に女性らしい体で、およそ運動なんて出来なさそうだった。
女の子は庭いじりでもしていたのか、ポッケからハサミを取り出そうとしていたため、腹を蹴ってやめさせる。お腹も程よく柔らかく、蹴った足が気持ちよくなるくらいだ。
「やってやる……」
「ん、なんて?」
言いつつ、女の子が立ち上がる。
なんて、とは返しつつ、私も気がつけば構えていた。右手は胸の前で硬く握り、左を前にして右足を引く。緩く伸ばした左腕の、指もまたゆるく固めておく。
「やってやるよ……!
――ばあちゃんは、足が悪ぃからな! うわぁぁぁあああ!」
どうもにも拭えない罪悪感の中、突っ込んでくる女の子を見る。
速い。およそ彼女の
女の子はその体躯からは想像もできないスピードで迫る。右手を固く握りしめていて、よく見ると中指の関節を突き出しているし、喧嘩は案外できるのかもしれない。おばあちゃんがいるのかな?
まあ、どうだっていい。私はつかまりたくないから……。
ごめん! と内心謝りつつ、一歩だけ引いて突撃する女の子と呼吸を合わせる。少しだけ右にずれて位置を微調整し、そのまま踏み込みとともに右拳を繰り出した。
女の子は直前で後ろ方向に飛ぶようにしてうまく衝撃を減らしたけど、それでもそれくらじゃ私の拳は受け切らない。きれいにお腹に刺さったのもあって、女の子は一撃で沈み、蹲る。喧嘩はある程度できてもタフさは見た通りらしい。無様に転がった女の子のお腹に追撃に蹴りを2,3発入れてもよけるそぶりはない。「ウっ」と鈍い声を出すだけ。
ふう、と一息つく。拳から伝わる”人を殴った感触”を強く意識する。それと右足に残った”人”の重み。不良が、不良をやめられない理由だと思う。
と、そして、余韻に十分に浸った後、我に返って気付く。
「やりすぎちゃったかなぁ……。えへへっ」
全速力で家に帰った。
「いただきま~す!」
お昼休みの昼食会がさらににぎやかになって、私、戸山香澄は上機嫌だった。
「いただきます」
端を持った手を礼儀正しく合わせるのサアヤ、山吹咲綾とは入学式の時に会った。クラス表を見ているときにぶつかって、そのときにともだちになった。実家はパン屋をやっているらしく、良く店頭に立つそうだ。体が弱く病気がちな母親もいるので、店が大変なときもあるらしく、そんな時は手伝ったりしている。本人はもうしわけなさそうにするけど、格好に文句を言われないから、シフトが入ると嬉しいバイト先だ。お客のいない時ならギターを弾いてもいいし、パンの賄は出るし。
「……いただきます」
どこか恥ずかし気に手を合わせるのはアリサ、市ヶ谷有紗だ。星のシールを追っていた時の、あの質屋のとこの子。あの時はびっくりしてとっさにボコボコにしちゃったけど、あとでしっかり謝ったので大丈夫だ。
それで、仲直りの時にあのときの星のギターをくれた。毎日蔵に通って、掃除を手伝って、一緒にライブハウスに行って、キラキラドキドキが伝わったんだと思う。
とにかく、それ以来有紗とは友達だ。お昼ご飯を一緒に食べる約束もしたし、蔵の地下を使っていいとも言われたので遠慮なく使わせてもらっている。なので、放課後はバイトか蔵で過ごしている。
朝、アリサの家までアリサを迎えに行って、学校に行って、それで放課後はバイトか蔵で、夜は遅くになる。最近の生活はそんな感じだ。
「――それでさ、バンドを始めようと思ってて」
「おー。てかそれ、いっつも言ってんじゃ……言ってましたよね?」
「市ヶ谷さんはやるの?」
「う~ん」
「やるよねっ、アリサ!」
「うわ、急にやりたくなくなってきた……」
「は? どういう意味?」
アリサはなぜか、他人の前では猫を被ってお嬢様ぶる。このまえ、生徒会に呼び出されたときだってなんだか気取ったしゃべり方で、一瞬他の人が乗り移っちゃったかと思ったし。出会って少し経つサアヤの前ですらそうだけど、すぐボロが出るところがかわいいところだと思っている。個人的な意見をいうと、学校をサボりがちって時点でもうイメージ的にダメだと思うんだけど。
今みたいにちょっとにらみをきかせただけで『わ、わかったよ……』と素直に、逆らえないところもかわいい。
「てか、パート、二人は何やる?」
昨日パソコンで見た限りだと、ギターのほかにドラム・ベース・キーボード・ボーカルがある。あとはフルートなんかの管楽器? が入ることもあるみたい。私はギターとボーカルだから、できればそれ以外で考えたい。
そういう風に伝えると、アリサは眉間にしわを寄せてなんだか微妙そうな表情を、サアヤは困ったような笑顔をそれぞれ浮かべた。
「お前はもうちょっと人の都合ってもんを……で、すね……」
「えーと、『二人とも』って、わたしも、やるの?」
「当たり前じゃん?」
「ン……まあ、いいけど。小さいころピアノやってたし、キーボード、かな。こんなかでピンとくるのは。
途中で投げ出しちゃったし、期待はしないでほしいけど、ホント」
「いや、どうだろ。私は、家のこともあるしさ。ちょーときびしいかなーってさ」
「そっかあ。じゃ、アリサと二人でメンバー探しだね」
「……」
・
・
・
ガンッッ!!!
びゅごう、とその足が降りぬかれたことを牛込りみは肌で感じた。やばい。
女子トイレの壁を蹴ったのは戸山香澄。同じクラスのギャルで、話したことはないが派手な格好と反抗的な態度で目立っているので知っている。知っているとしても、自分はおとなしいタイプだし、一生縁のない部類の人だ。
リミは怯えていた。
ああ、自分はなんて人に目をつけられたんだろう? なんであの時『バンドに入る』なんて言っちゃったんだろう? と、後悔していた。
「別に起こってるわけじゃないんだけどね……。なんでかなぁって、理由を聞きたいだけなんだよね……」
絶対嘘だー! と、リミは心の中で絶叫する。いくら不良とは言え、何も怒っていない相手にトイレの瞬間を狙って個室に引きずり込んで、便座に座らせた状態で詰問するとは思わない。少なくとも、リミの常識ではまずありえないことだ。そしてそれは先ほどの”蹴り”……校舎の壁が悲鳴をあげた、女子高生のすることとは思えないそれからも明らかだ。
リミは、本当はその理由はわかっていた。そして、今のこの状況が、常識はずれで過剰反応極まりないことではあれど決して理不尽ではないことも。
私立で女子高、ということで意外と広く作られている花女の化粧室は個室までもがかなり広い。ポーチなどを置く棚も結構結構大きいのだが、それでもなお閉塞感を感じることはない。今まさにその広さが役に立っていて、女子、とは言え仮にも高校生が二人入ってなお圧迫を感じない大きさに、リミは心底感謝していた。いや、今は別の要因で圧迫されている気がするけども。
便座にちょこんと腰かけた、腰かけさせられたリミの正面には広めの棚があり、少しの生理用品が乗っている。これは校内の誰でも自由に使っていいもので、減っていると生徒会の人たちや有志の生徒なんかがいつの間にか"補充"したりする。何らかの"緊急事態"の時のためだ。リミも中等部の時一度お世話になったことがあり、普段はしないのだけどその次の日ばかりは若干の"寄付"をした。
右手側は便座にくっついて、ウォシュレットの操作パネルがついているくらいで、後は壁があるのみだ。
左手側には個室のドアがあって、すぐ前に鬼の形相をしたトヤマさんが陣取って塞いでいる。その顔を見て、ひぃっと声を上げることもできない。額に青筋を浮かべて、口の端を大きくゆがめて、絶対零度よりも冷たい瞳で、刺すようにこちらをにらんでいる。誇張なく、人生で初めてここまで怒った人に出会ったと思う。それに、ここまで怖い人も初めてだ。カタカタと震える自分の体に合わせて便座が音を立てる。
「えっと……その……」
ばちんっ! がんっ!!!
瞬間、意識が一瞬だけ暗転して、頭の上を回る星と一緒に回った。ちかちかと音がするくらいに目も頭もグルグル回転し、うなじのあたりが強く締め付けられる。視界もぐるりと上を向いて、きゅっと気道が閉まって息苦しい。目線の先にあった星形のシミがついた天井はとても遠い。
気付いたら、胸倉をつかまれていた。これも人生初。こんなにも呼吸が苦しくて、こんなにも怖くて、知らなかった。普段趣味で見るホラー映画、ぐちゃぐちゃになって生死もわからず襲い来るゾンビたちよりも今、目の前のナチュラルメイクの女の子が恐ろしい。
なんだか、いや、ありえないけど、でも、夢を見ているようで現実感がない。勿論、心臓は命の危険からの警笛を爆音で鳴らしているし、空気感だとかから現実であることは肌で感じるんだけど。
一種の現実逃避かもしれない。
怖い。
コツン。後ずさりしようとして(座った状態で何をと思うが、無意識だ)便器にかかとが当たる。
「……言ったよね、アタシ。聞いてた?」
こくり。
「日本語、分かるよね」
こくこく。
「で、そのうえでのダンマリなんだ。へぇ~、偉いねェ~~!」
いや、あの、その。
思わず口から出そうになった言葉をそっと飲みこむ。理由は、ズキズキ頬が痛いほど教えてくれている。
「ごめんなさい……」
「謝って、なんて一言も言ってないけど?」
ヒぃ。
リミは限界だった。いままで、本当に穏やかに暮らしてきたのだ。いきなりこんなことになって、ストレスで泣きそうだった。いや、涙ならもうボロボロ流してる。ただ、声を上げていないだけで。
声をこらえる理由も、怖いからだ。今、この場は先生が来て何とかなるかもしれない。けど、後日。或いは登下校中。又、出会いの場でもあるライブハウスなど。学校が近いのだからそれなりに家も近い。逃げ場はないと考えている。だから、泣き叫ぶのは握手だと思って、こらえないといけない。
でも、それももう限界だ。無限に湧いてくる恐怖心とストレスを孕んだ涙が目の奥、涙袋のあたりにたまって、全てを押し流そうとしてた。その時だ。助け(ただの仕切り直しかもしれないけども、今のリミには救世主にして命の恩人に等しい)の声が聞こえたのは。
「せんせーー!! こっちこっち、早く!! またトヤマさんが!!!!」
「牛込さん!! ごめんなさい!! 今助けるからね!!」
恐らく、トヤマさんがリミをトイレの個室に連れ込んだ(つめこんだ?)のを見ていた生徒がいたのだろう、実際それは聞いた声で、たまに話す友達だった。極限の状態で研ぎ澄まされた耳には、急いだ様子で廊下を走る足音も複数聞こえる。
トヤマさんは、それを聞いて、つかんでいたリミの胸倉を開放し、チィッ、と一つ舌打ちをした。
「面倒くさい……。とにかく、今の『りみりん』に何を聞いても意味がないってのは分かった。騒がれてもダルいし、しつこいのはやめてあげる。
でも、あなたは、またアタシのところに来るような気がする。『誰か』と同じ、輝きを探してる目をしてる。
アタシのところに来れば、その時が来れば、教えてあげる」
そして、そんな、不可解なセリフ(『りみりん』というのは、恐らくリミの事だろう)を大真面目に言ったトヤマさんは、小走りにトイレの個室を出ていった。
慌てて追ってみても、トイレの外、廊下にはいない。反対側を見てみると、廊下からの脱出ができないと判断したトヤマさんが窓を開けて脱出しようとしているところだった。エアコンのホースとか、建物の構造的な凹凸を利用すれば軽業師の仕事に閊えるかどうかと思うようなとっかかりで。
無茶だよ! そんなリミの内心に反して、窓から降りる前、振り返ってリミにウインクしたトヤマさんはひょいひょいと学校の壁を移動する。ちょっとした屋根とか、人ひとり立てるかというような隙間・他クラスの窓なんかを利用して。
「牛込さん、だいじょうぶ!? なんかへんなことされてない!? 殴られたとか、変なとこ触られたとか!!
……あ!!! これ、頬、どうしたの!? 殴られた!? いたい!? 一応保険室で見てもらって……! ああ、もう、不良ってこれだから……!!」
ペタペタ体を触りつつ、心配をしてくれる友達の声を聴きながら、リミはまだ、窓の外を見ていた。とっくにトヤマさんは逃げているのに。
あの言葉がどうにも頭から離れず、なぜなのか、見つめる先に答えがある気がして、リミはぼうっと、窓から見える青い空を見ていた。
『でも、あなたは、またアタシのところに来るような気がする。『誰か』と同じ、輝きを探してる目をしてる。
アタシのところに来れば、その時が来れば、教えてあげる』
トヤマさんの言葉の他に、何か違う