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あるところに東山コベニという女の子がいた。
コベニは自分に自信の持てない女の子だ。というのも、彼女は九人兄妹で兄も弟も妹もいる立場上、なにかと両親から比べられて育ってきたからだ。
特に酷かったのは出来のイイ兄がいたことだ。そのお陰か、或いはその所為でコベニは、自分と言う存在が、如何にみじめでちっぽけな存在なのか、これでもかというくらい、両親に教え込まれた。
今の世間は最悪だ。不況の嵐に襲われて、皆、普通だったら忘れないような、大事なことを忘れている。
コベニの、生まれた家もそうだった。コベニが小さい頃はまだ好かった。けれど、大人になるにつれて、コベニは比べられて、虐げられて、扱き使われるようになった。
コベニが、大人になるころには、将来も親の都合、もっと言えば、家族の都合で決められた。風俗かデビルハンターか、結局のところ、お金を如何に短期間で、より多く稼ぐことが出来るのかが、重要だったのだ。
全ては、出来のイイ、コベニよりも、出来のイイ兄を、大学に行かせるため。大学に行かせて、より良い将来を誰かに捧げるため。
でも誰の為に?両親にとっては、孝行息子が出来上がるかもしれない。けれど、多分コベニには、人生を賭けるに足る、それほどのリターンは、確約されないだろう。
けれども、コベニは、結局二者択一を迫られて、後者のデビルハンターを選んだ。それが運命の分かれ目。コベニは、命の危険と引き換えに、自分の未来を切り拓く道を選んだ。それは、それだけは、誰のお陰でもなく、選んだコベニ自身のお陰だろう。
だが、未来への道を切り拓いたところで、コベニ自身が、変わらなければ効果も半減してしまう。
とはいえ、幼いころから、そうなるように、惨めでどうしようもなくて可哀そうになるように、そうなるように、育てられてきたコベニには、自分では、変わる手立てが思いつかないのも事実だった。
コベニに、自覚はあったのか、なかったのか。それはさておき、両親と、家族と、そういった鎖が、肉体と精神に、深く食いこめば食い込むほど、コベニは自信を無くし、従順になった。
大人になってもそれはかわらない。幼いころ、自分を傷めつけた鎖、その恐怖は、大人になった後でも痛みを伴う過去として、コベニの深層に残り続けるらしい。コベニもまた、自分を貶し、扱き使いながらも必要とする存在に、家族に依存していたのだ。
だが、そんなコベニにも、ある日、転機が訪れた。
コベニに、彼氏が出来たのだ。
生まれて初めての、恋人の存在に、コベニは舞い上がった。
そんなに感情の起伏が大きい方ではないと、そう思っていたが、実際はそうでもないらしい。
怯え以外の、明確な快楽と歓喜の感情が、コベニには生まれていた。
彼は、コベニをよく褒めた。
「コベニは可愛い」というのが、専らの口癖なくらいだ。
また、彼は、よくコベニの為に金を出した。
「全部現金で」というのが、コベニにとっては、ベッドでの睦言の次に、心落ち着く言葉なくらいだ。
コベニの彼氏は顔も好かった。セックスも上手かった。言葉も綺麗で、身形も整っていて、性格も好ましい。
コベニは、生まれて初めて、じめじめしない、温かい場所で深呼吸したような、そんな心地だった。
弟や妹にも、出来のイイ兄にも、両親にも、同僚にも、コベニは恋人のことを話さなかった。
コベニは、自分のことはすべて、恋人に教えた。
職業、家族構成、所得、住所、好物、嫌いなコト、嫌いなモノ、習慣、日課…全て、彼氏に報告した。
命じられた訳でも、頼まれた訳でもない。ただ、純粋に知って欲しかった、自分のことを。
生まれて初めてできた恋人。それもとびっきりのヒトを、コベニは、無意識の内に試した。そして、彼はその試練に合格した。
コベニは幸せだった。毎週末、一日だけ朝から晩まで、男と過ごす時間が救いになった。
コベニは幸せだった。例え、男が自分の全てを知っていても。例え、自分が恋人の名前すら知らなくても。
そう、コベニは、恋人の名前を知らない。
恋人の職業も知らない。
知りたいと、思ったことは一度もない。
…いいや、一度だけ。コベニは、一度だけ男に訊ねたことがある。
「ね、ねぇ、本当にそんなにお金、使ってくれて大丈夫なの?」と。
恋人は、にこりと笑ってこう言った。
「穢いお金だから、コベニは何も心配しなくていいんだよ」
「そ、そっかぁ…君がそういうなら、大丈夫だよね…」
「うん。大丈夫、安心して?コベニが困ることは、何一つないんだから」
「そっか、ふふ、君がそう言うと、本当に安心するなぁ…」
男の眼が、一度だけ恐ろしいまでに冴え渡った瞬間は、後にも先にもこの時だけだ。
だから、というわけでもないが、コベニは安心して、それ以来、恋人の行動を咎めるようなことは、二度と口に出さなかった。
名前も知らない男を、コベニはコベニなりに愛していた。
親から貰ったものしか、子供は基本、誰かに与えることができない。だから、コベニは、男に何か与えることが出来ているのか、常に気掛かりだった。
「ね、ねぇ、嫌じゃ、ないかな?」とか、「ねぇ、あの、えぇっと、気持ち、イイかな?」とか、「あ、えぁっと、あの、その…ごめんなさい!」とかが、コベニの口癖だった。
受動的なばかりではいけない。そう思えるだけで大進歩だったが、コベニは怖かった。捨てられるのもそうだし、惰性で憐れまれるのも恐ろしかった。それでも、憐れまれて、惨めでも男の傍に居たいとさえ思ったが、他の女を、自分の恋人が抱くのを想像するだけで、コベニは吐いた。
それは独占欲であった。なんでも、共有と譲歩が基本だと躾けられた、コベニにとっては、革命的な感情だった。
心地好い。だのに、苦しい。
「なんでだろう…もやもやする」
そう言って、胸のあたりを押さえて、恋人の寝顔を見ながら、コベニは夢現に想いを馳せるのが日課になった。一つだけ、報告していない日課だった。
コベニと男が付き合い始めて、一年が過ぎる頃、男は腕を一本無くしていた。
コベニは理由を知りたかったが、聞けなかった。聞きたくなかった。
コベニは思った。「きっと痴情の縺れだ」と。
だが、男はコベニに正直に話してくれた。あの、秘密主義者の彼氏が!である。
「昔、付き合っていた女に会って、少し揉めてしまった。縒りを戻せと言われたが、断ったら腕を貰うと言われた。だから、呉れてやった。」
「なんで!なんで腕をあげちゃったんですかぁッ!?」
「心臓か、腕か選べと言われた。それで…。」
「え、あ、そっ…そんな、そんな女!!ず、ズルいッ!!!ズルいですよぉ~ッ!!な、何ですか!何なんですかそのヒト!!私のなのにぃぃいぃっぃぃぃぃぃぃッ!!」
コベニは絶叫して、それから初めて、生まれて初めて、衝動的に男を噛んだ。首筋にガブリッ!である。
「うわぁあああああああむぐぐぐぐぬうううううう!?」
自分でも理解できていない様子のまま、コベニは男の背中に爪を立て、泣きわめき、遂に首から血の味がする段になって、やっと男を解放した。
「ごごっごえんなさいぃッ!?そ、そんなつもりじゃなかったんですぅ~…うぐ、グズッ!ひぅ…うわあぁぁん!」
噛んで、血が出て、号泣。
もう一貫のお終いだ。コベニはそう思った。だから、子供の時にも、経験したことがないくらい、大いに泣いた。泣きに泣いた。
泣き止んだら、そこですべてが終わってしまうような気がして。
突然、潤んだ視界を、黒いものが塞いだ。
「俺が悪かった。謝るから、もう残りはコベニに全部遣る。泣きたいだけ泣けばいい。ずっと、こうしてるから。」
男がコベニを抱きしめていた。何時もより、腕一本分緩いその拘束を、しかし、コベニは解けなかった。寧ろ、自分から男の、腕の一本分の寂しさを埋めるように、体を密着させて、沈み込ませた。
眼を閉じて、男の鉄臭くなった胸の中で眠った。
一晩明けて、コベニはすっかり、男に首ったけだった。元からだったものが、もっと酷くなった。
そして思ったのだ。恋人の、男の腕を盗った女を、いつか殺して、腕を奪い返してやろうと。
まぁ、男が止めるなら、その時は、腕一本分、痛めつけて、償わせてから許してやろう。
東山コベニは自信の無い女の子。でも、最近は彼氏も出来て、少し自信がついたようだ。