宇宙を背景に人が飛び立ってから、人という言葉の定義するところは希釈されていった。
時間もそうだった。空間も同様だ。
とあるオフィス。落ち着き払った、古く見える(否、見せる)床や壁に、黄色みがかった光源がさらなる格調を与えている。大きく場所を占有する偉そうなソファ。木目調の幅広で威圧的なデスク。源流が最早何処にあるのかもわからないような調度品の数々。それらは一人の青年が背負うにはすこしばかり重々しすぎるきらいがあった。
一皮むけば、それもまた宇宙開発期以降、もっともらしい権威の美味しい部分だけにあやかろうとした、人としてありふれた過去への立脚から生まれる虚勢である。
床や壁、まるで年代物のような面をしているが、その下には隔壁として十分以上の役割を果たす最新の建材が潜んでいる。たとえナイフを突き立てようが傷一つつかず、部屋の中で長剣を振り回そうがどこ吹く風。しかしその事実が、そういった年代を脅威としてきた歴史そのものを振り払い、紛い物であることを証明している。
ソファに座る者は誰も居ない。対した喧騒も聞こえない。この社の需要と釣り合わせるには、椅子など一つあれば十分なのだろう。
調度品が本物かどうかなど、誰も気にしていなかった。
ここには、中心に居ながら居心地悪そうにしている一人の男がいた。
彼の心中に渦巻くのは、彼らしからぬ疑念と恐怖だ。
時間は人を摩耗させる。空間も同様だ。
脳裏に刻まれた赤い獅子は今でも色あせない。それを映す瞳に傷がついている。
原因は多岐に渡るが、目下巨大なのは────”アーキバス”という名の、かつてのベネリットを想起させる企業連合だった。
彼らは一年────いや、そのような昔堅気の期間ではなく、人一人の生涯のほとんどを星外で過ごす。構成員の殆どは、地球に大した興味も無ければ、太陽にすら恩義を感じたことがない。
だから巨大だ。アーキバスに矜持があるとすれば、おそらくそれは勝つことである。
まかり間違っても慈善団体ではない。募金をすればロンダリングのためであり、孤児院を経営するのであれば強化人間の素体のためにであろう。経営者たるものあらゆるものは色眼鏡で見るべきではない。だが下調べをすればするほどに、暗部を裏付ける事実が、パソコンの記憶容量を埋め尽くすほどに湧き出した。
「あそこは俺の古巣とトントンだね」
知り合いであるプリオン社の役員────エランはそういった。
彼の言う古巣────ペイル社と言えば、ベネリット時代の御三家が一つである。相応に大きく、相応にあくどいことをして生きていた。
強化人士研究もその最たるものである。人体に対して情報過多を引き起こす過剰なパーメットに耐性の在る人間を人工的に作り出す。まるで人の命に配慮しているようでいて、その実限界に晒すのだ。
そういえば、アーキバスも似たような”強化”を自社の兵士へと施しているらしい。
彼らの扱う兵器も、何の因果かMSによく似ていた。少し前の自分であれば、如何にジェタークのそれが優れていたかをアーキバスに喧伝していたであろうが────今はそうするべきではなかった。
そう、何故アーキバスをわざわざ気にすべき必要があるのか。
あの巨大企業が、恐ろしいことにジェターク社に対して”業務提携”を持ちかけてきたのだ。
最初は情報が遅れているのかと思ったほどだ。三年前ならいざ知らず、零落して立て直す最中である今になって、何故なのか。社長は其処に頭を抱えた。
この男の弟も、電話越しではあるが同様に警戒心をあらわにしていた。
「ともかく、今後継続して目をつけられないようにするべきだ」
兄弟共に意見の一致するところである。恩義を受けてしまっては何をやらされるかわかったものでもないし、真正面から突っぱねるにはありがたすぎる。
約束は少しずつ近づいてくる。取り消すことは出来ず、もう賽は投げられていた。
先ほど検問に訪れ、ビデオ越しに少し話したV.Ⅱ.ペイターと名乗る男は、どうやら軍人のようだった。
少し話しただけで、最初に文面でこちらに話を寄越したのも同様の人物であろうとの確信が持てるほど特徴的な男だった。無神経さが見て取れる。若いのだ。
自分ももしかするとああなっていたのかもしれないと思うと、奇妙な動揺が若きCEOの心の水面下で広がっていた。
そんな若者の後ろに控える上司であろう人物は、攻撃的な笑みを隠そうともしない。
張り付くような靴音が響く。最新式の軍靴は、カツカツと言った音を鳴らさない。
「お前がグエル・ジェタークか」
扉が開く音が先だったのか、そいつが声を出すのが先だったのか。
突然自分のフルネームを読み上げられたCEO────グエルは、目の前の獣じみた男に瞠目していた。
驚いていたのではなく、ましてや恐怖していたのでもない。
後ろに清潔感を漂わせるペイターを従えて尚、何故か社会通念に従うつもりが微塵も感じられない。まるですべてを手に握っているように見える。
かつて自分が思い描いていた理想、強さによってすべてを手に入れるという思考。
実現不可能であり、思うところではないと投げうった考えが、形になって帰ってきたのだと感じてしまった。それほどに────
「俺はV.Ⅰ.フロイト。こいつの上司で、ヴェスパーの総司令だ」
「駆け引きの成り立つような取引ではないので、早めに本題へと入らせて頂きますね」
ジェタークのことを馬鹿にしているのか、そう怒りたくなる気持ちを胸に秘める。
実際、生半な駆け引きではマトモな交渉にならないというのは端的な事実だった。まさかそれを直接言う奴が居るか、というのは、きっと誰もが同意することがらだ。
「我々アーキバスは、貴方方が”活用していた”MSの技術に対して強い興味があります」
「パーメットを介した機体制御系には、学ぶべきところが沢山ある」
「何より、私たちならよりうまく扱える技術であるとも」
普段であれば気前よく頷き、耳を傾けすぎるほどに耳のいいグエルだが、流石に一拍沖に襲い来る無自覚な嫌味には辟易とした。セセリアが如何にスレスレを考えて刺してきていたのかがよくわかる。本当に不味い奴は、こいつじゃないか。
「対価ならいくらでもお支払いいたしましょう」
「必要としている情報は多岐に渡ります。かつて製造されていた製品について、こちらでも独自に調査しました。こちらに目ぼしいMSをラインナップしております、目を通していただければ」
話を聞いている間、グエルにはどうにも気にかかることがあった。フロイトと名乗った総司令である男は、ペイターの言う取引に大した興味が無いらしい。
あたりをちらりと見まわしたり、他人の顔をじーっと見つめたりしている。特にグエルの顔を見ていた。見惚れているという訳ではなく、どうやら所作が気にかかるらしい。
渡された画像媒体には、錚々たるラインナップが揃っていた。一体どこにそのような情報網が潜んでいたのかはわからないが、デスルター等の旧型機体までカバーしているのだから凄まじい。
「……!」
過ぎるかつての会社の製品たちに懐かしい、等という感情は持てない。
全てを吹き飛ばすのは、真っ黒な機体だった。目の端に確かに映ったそれは────
「そんなことより」
突っぱねよう。その機体には譲れないものがあった。そう心にグエルが決めたと同時、フロイトが口を開く。まるで狙いすましたかのようだが、ペイターに助け舟を出したわけでも、ましてやグエルのためでもなさそうだ。
「お前、元ホルダーなんだってな。言わなくても知ってる、学園最強だったんだろ?」
「俺と”決闘”してくれ」
「……ええ?」
そう、結局彼の目的は最初から一つ────
煮詰まるか、なんなら文句が出そうなタイミングを見計らって、逃げ道として決闘を用意する。
この狭い世界であっても、”最強”であった男とやりあいたい。その一心で、なんとアーキバスの思惑までを利用してやろうと画策していたのだ。