彼の名前は星野愛久愛海である。たった今、そう名付けられた。
だが、その中身は原作とは全く異なる。
このSSにおいては、彼の前世は「五味山屑乃介」という日本人の男性であった。
彼は前世では派遣社員だった。新しい働き方、といったような良い意味ではない。3年がたつと都合よく切り捨てられる方の派遣社員である。自らの才覚のなさと怠惰によって、就職活動に失敗し、ろくなキャリアを創造できなかったのだ。やりがいの感じない、きついだけの仕事を終えると、安アパートに転がり込んで寝てしまう。そんな日々を送っていた。ギリギリの生活の中には、空虚さだけが募っていた。
恵まれなかったのはキャリア面だけではなかった。
小さい頃からコミュニケーションが苦手だった。だから、クラスではいつもこりつしていた。
容姿も良くなかったので、異性にモテることもなかった。遂に一生を童貞で終えてしまったほどである。
さて、ではいつ彼が死んだのか気になるところだが、何のことはない。アラサーもアラサーの28歳の時に、派遣先から遂に契約を切られてしまった。彼は生涯を通じて、さして勉強したわけでもなく、これといった社会経験もなかったので、それが不当解雇であり、さらに失業手当や生活保護を申請することなど想像にすら及ばなかった。
彼は不景気のあおりを受け、新しい仕事を見つけることもできずに、貧困の中で栄養失調で一人寂しく死んでいった。
さて、彼はたった今、原作同様妹のルビーとともに星野アイの隠し子の双子として出生した。ルビーの方はどうも原作と相違ないようである。
ここで、この世界におけるアクアのポジションとステータスを整理してみよう。
彼の中身は、言ってしまえば非常に凡庸な人間である。世に何かをなし得る才もなければ、人生を最低限豊かに生きることのできる能力も持っていない。
だがアクアとしての肉体は彼に優れた容姿を与えた。
・・・・・・・逆に言えば、今の彼にはこれ以外存在しない。
では、ポジションとしてはどうであろうか。国民的アイドルの隠し子として芸能界に非常に近い立場を持ち、アイドル業による収入や芸能事務所夫妻のサポートによって家計も世間一般で言えばかなり裕福である。父親がいないことは一種のネガティブポイントとして挙げられるかもしれないが、父同然に面倒を見てくれる社長がいて、さらに社長夫人がベビーシッティングをしてくれるありさまだ。
世間一般で言えば、家庭環境はかなり恵まれている方であるし、芸能界という特殊な業界への近接性は非常に得難いアドバンテージであると言えよう。
尤も、以上の条件は原作と何ら変わることはない。・・・原作はそれが特殊で特別であることを若干等閑視する傾向はあるが。
さて、総じていえば、この世界における星野アクアは、内面以外は全て原作通りの特殊で特別な存在である一方、内面は非常に凡庸である。
以上の条件を踏まえると、以下のような展開が予想される。
・趣味がないので、アイドルオタクであるルビーと距離が発生する
・凡庸なので、監督の作品に出演しても何の成果を得られない、あるいはそうした話自体が舞い込まない
・アイが死亡した際、無気力ゆえに復讐心があってもそれを現実に落とし込むことが出来ない
・従って、監督に弟子入りして芸能界に潜入しようというプランを実行することが出来ない
・容姿が良いことだけが取り柄となる。
・中高生時代に女性から遠巻きに注目を集めることが予想される。これだけが彼にとっての慰めとなろう。(尤も、実際の恋愛はコミュニケーション能力の比重が意外にも大きいため、性生活が充実することは考えづらい)
このように、特別な何かを持たないものには物語が発生しない。だからこそ、創作の世界の人間は個性と能力にあふれる人物ばかりになる。
それは仕方ないのかもしれないが、平均値以上のものを持たざる一般大衆が等閑視されているこの現状に、むなしさを感じるのは私だけなのだろうか?
何も特別なものを持たない我々は、ただのモブとして生きなければならないのだろうか?
かつては労働運動や国家社会主義運動が大衆に主語の立場を与えてくれた。大衆こそが歴史の意思を代弁したのである。
だが、草の根の政治活動が息絶えた現代世界において、我々一般大衆は顔を失ってしまった。いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうか。
せめて、創作の中だけでも、一般大衆が主体として物語を生きることはできないだろうか。