稲妻の双雷   作:八魔刀

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これで、最終回です。


最終話

 

 

 目を覚ました焔硝は、自分が布団の上で寝ているのだとすぐに理解できた。身体の至る箇所を包帯で巻かれており、左腕と右脚には添え木と一緒に巻かれている。視界の左側も包帯に巻かれているのか、暗く閉ざされている。身体を起こそうと動かしてみると、見た目に反して痛みは無く、難無く起き上がることができた。寝ている部屋も、雰囲気から稲妻城の一室のようだ。

 

「……。……? ……っ!?」

 

 焔硝はぼーっと部屋の光景を眺めていたが、やがて重大な事実に気が付く。慌てて手で身体を弄り、今が現実であるということを確かめる。呼吸もしているし、心臓の鼓動も聞こえる。部屋に微かに漂っているお香の香りもわかる。

 

「……生きて……いる……」

 

 生きている――生きている――。

 死んだと思った――違う、死んだはずだ。眞が迎えに来てくれて、それから――。

 

「……」

 

 焔硝は自分の両手を見つめる。

 

 ――あれは……あれは夢じゃない。俺は確かに霧依を殺して、俺も死んで、それで霧依が俺の代わりに……。

 

「……」

 

 焔硝は立ち上がる。布団を捲り、フラつく身体だが立てないことはなかった。震える四肢を引き摺りながら動かして移動し、部屋の戸を開けて出て行く。浴衣が開けようと、包帯が緩んで解けようと、壁に手を突いて移動していく。その姿を見かけた者は、最後までただの一人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベリアルとの戦いから一ヶ月――。

 

 稲妻は比較的早くに平穏を取り戻した。主な戦場となったのは焔ノ島と焔ノ島付近の海岸のみ。本島でも不意を突いてベリアルの軍勢が侵入していたが、そちらは旅人である空とパイモン、そして社奉行の神里家が尽力して阻止してくれた。この戦いによる死者は奇跡的にも確認されず、負傷者が少々出ただけに留まった。

 

 戦場となった焔ノ島は、焔硝とベリアルの戦いで二つに割れて更地になってしまった。ベリアルが造り上げた道はそのまま残っており、脅威が去った今では誰でも歩いて辿り着ける。

 

 焔硝――焔の魔神アウナスと武火の魔神ベリアルの戦いは、民達の間で瞬く間に広まった。

 

 人間が生きている間に目にすることは叶わないだろう、神々の戦い。戦場にいた武士達の口から伝えられ、離れた場所でも見えた巨大な武神がそれを真実だと証明した。人々はアウナスを稲妻に生けるもう一柱の神と崇めた。稲妻に二柱の神ありと、稲妻だけではなく他の国々にも知らしめたのだ。

 

 その神である焔硝はあの戦いから一ヶ月の間、ずっと眠り続けている。生きているのが間違っていると言える程の傷を負いながらも生きている。いや、それは正しくない。彼は一度確かに死んだ。しかし、彼は息を吹き返した。彼の妹である霧依の火が彼の命となり、彼を愛する者達の雷によって魂が呼び戻された。それから彼は眠り続けている。

 

 稲妻の雷神バアルゼブル――雷電影は彼の看病を自ら率先して行っていた。自分の他には八重しか彼に触れることを許さず、献身的に彼の看病を続けた。包帯を取り替え、薬を塗り、汗を拭い、排泄物の処理も行い、粥を少しずつ口から流し入れて栄養を与え、身なりも常に綺麗に整えた。苦労や辛さは何一つ感じなかった。愛する者の為ならば寧ろ喜びを感じる程だった。

 

 ただそれとは裏腹に、不安を抱いていた。呼吸はしている、心臓も動いている、血色も良い、身体の反応もある。生きてくれている――それは確かだ。しかし、目を覚ます気配が無い。このまま眠り続けて目を覚まさないのだろうかと、影は怖がっていた。強制的に目覚めさせる方法が無い以上、ただ信じて待ち続けるしかない。それは理解しているのだが、それでもやるせない気持ちが拭えない。

 

 今は辛抱するしかない――そう考えながら、影は書斎で政務を進めていく。一心浄土で瞑想し続けるよりも、こうして表に出て仕事に取り組んでいる方が気を紛らわせることができるのだ。

 

「……――」

 

 そうは言ったものの、仕事に身が入る訳もなく――。頬杖を突いて筆を書簡の上でユラユラと揺らしながら遠い目で呆けているだけだった。憂いた表情で焔硝の事を考えていると、何やら廊下から慌ただしい足音が近寄ってくるのが聞こえてくる。その足音は書斎の戸の前で止まり、戸が勢い良く開かれた。現れたのは城勤めの女中だった。

 

「将軍様!」

「何事です?」

「え、焔硝様のお姿が!」

「っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焔硝が部屋から消えた。廊下には包帯が散らばっており、外に出た形跡も見られる。

 影は焔硝が目覚めたのだと理解し、しかしだとすれば何故姿を消したのか。何か――何か彼の身に起きたのではないか? 影は血相を変えて城下を探し回る。だが城下には焔硝の気配は無い。今の彼女には彼の居場所を突き止めることができる。

 

「……これは」

 

 彼の気配を感じ取り、影はそちら側に向かって走り出す。丘を越え、浜を越え、海を渡ったその先に、彼は居た。彼だけじゃなく、鳴神大社に居るはずの八重もそこに居た。彼女は彼から離れた場所で彼の背中を見つめていたが、影が来たことに気が付いて振り向く。

 

「影……」

「神子……彼は……」

「……今は妾の言葉より、汝の言葉が良い。妾は少し離れておる」

 

 八重はそう言うと、少し悲しげにして離れていく。影は八重の気持ちを尊重し、焔硝の下へと歩み寄って行く。

 焔硝の前には真新しい小さな祠がある。そこには八重が用意したであろう酒と榊が、そして蝋燭がある。

 焔硝はその祠を静かに黙って見つめていた。

 

「……焔――」

「これは……霧依の祠か?」

 

 影が名を呼ぶ声を遮り、祠について問い掛けた。

 

「……はい。神殺しの神として顕現したとしても、彼女は神。それに私にとっても、彼女は古い知人です。これはせめてもの彼女への手向けです」

「……」

 

 焔硝は影に何も言い返さず、祠へと手を伸ばす。蝋燭の先端を包むように手を置くと、蝋燭に火が灯る。それから合掌し、彼女の冥福を祈る。影も焔硝の隣に立ち、同じように手を合わせる。

 

 暫くして、焔硝から口を開く。

 

「……影、俺は――」

 

 開いたものの、それ以上そこから言葉は出なかった。口籠もった声が漏れるだけで、今にも泣きそうな顔で必死に何かを堪えている。その顔を見て、影は彼の気持ちを察することができた。

 

 彼は今、自分を責めている。責めているからこそ、己が何かを言う権利は無いのだと、顔を合わせることも、償いの言葉を投げることもしてはいけないのだと、そんな事を考えているのだろう。それはすぐ分かる。何故ならあの五百年で互いに同じ考えをして擦れ違っていたのだから。

 

 だからこそ――今度は自分から歩み寄るべきだ。此処で何もしなければ、また擦れ違いの日々が続くかもしれない。今度は修復できないかもしれない。

 

「……あなたが生きててくれて、良かったです」

「……」

「もう二度とあなたと言葉を交わせないかもしれない。あなたの顔をもう見られなくなるかもしれない。そう思うと……とても胸が張り裂けそうでした」

「……」

 

 焔硝は押し黙る。影をそんな気持ちにさせてしまったのは他の誰でもない、焔硝なのだから。影の気持ちを踏み躙るような形で死地に赴いたのは焔硝の意志。影を守る為の刃を影に向けてしまったのも焔硝。斬ったのも焔硝だ。責められるのは分かっていた。だが面と向かって責め立てられると言うのは、焔硝にとってかなり堪えるものだった。

 

 当初、焔硝は霧依を殺してそのまま己も死ぬつもりだった。実際に死んだし、死者の魂にも出会った。だからそのまま影と言葉を交わす予定は無かった。しかしこうして生き延びてしまった以上、焔硝は影を裏切った罰を彼女から直接受ける事になる。それが焔硝にとって、事この上なく辛い。

 

「……俺を責めるか?」

「……」

「当然だ。俺はお前を斬ってまで戦いに出向いた。お前の気持ちを知った上で、俺は進んだ。お前に軽蔑されても仕方が無い」

「……では、覚悟はよろしいですね?」

「っ……」

 

 影の気迫が込められた言葉に、焔硝は覚悟を決めて頷く。影は焔硝の正面に回り、焔硝は来たる罰に構えて瞼を閉じる。心臓を貫かれるか、首を斬り落とされるか、それとも四肢を斬り落として苦痛を与えてから殺すか。何れにせよ、死は免れない。

 

「……」

 

 影が構えた。焔硝は息を止めた。

 

「ふんっ!!」

「ぐぇえっ!?」

 

 影の紫雷が発せられた拳が焔硝の腹を打つ。紫雷と衝撃が焔硝を貫き、苦悶の悲鳴があがる。そのまま前のめりに倒れかけるが、影が焔硝の頭を抱き締めるようにして受け止めた。彼の温もり、彼の鼓動を確かめるように、ぎゅっと抱き締める。

 

 焔硝は腹の痛みをすぐに忘れ、影の行動に驚く。影は焔硝に囁くように言葉を紡ぐ。

 

「これで手打ちです。もう忘れてください」

「え……?」

 

 焔硝は信じられないという目をする。アレだけの事を仕出かしておいて、今の腹殴りだけで終わりにすると口にしたのだ。それでは犯した罪に対して与えられる罰が釣り合っていない。少なくとも殺しはしなくとも血を流す必要はあると踏んでいた。それをこの程度で済ませるなんてこと、あって良いはずがない。

 

「確かに、私の心は酷く傷付きました。ええ、恨みもしましたよ。ですが、私達は本気で刃を交えました。あの結果に悲しみはあれど、もう遺恨はありません」

「……」

「私達は武神です。時には意志を貫き通す為にぶつかることもあります。あれがそうです」

「だが……俺はお前を……」

 

 焔硝の言葉に、影は抱き締める力を強めることで応える。焔硝はそれ以上言葉を紡げず、為すがままに影に身を任せる。

 

「ですから、先程ので手打ちです。それに私だってあなたを斬りましたよ」

 

 焔硝は少しだけ目を大きくし、だらんとしていた両腕を徐々に動かし、影の身体に回していく。

 

「……影、俺はお前を守りたかった」

「はい」

「お前に死んでほしくなかった」

「はい」

「お前は俺の手に残った最後の宝だ。何も守れなかった俺が、お前だけは守りたかった」

「はい……私は無事です」

 

 焔硝の肩が震える。影の背中に回した両腕に力が入り、影を抱き締める。そして彼の目から涙が零れ始める。影は彼の気持ちを受け止める為に静かに耳を傾ける。

 

「俺は影……お前を失いたくなかった。妹を殺してでも、お前を失いたくなかった」

「……」

「だから殺した……妹を……霧依を……っ。今度こそ、確実に殺したっ……!」

「……」

「なのにアイツはっ、自分を殺した俺に救ってくれたと言った。俺の妹に生まれて幸せだったと、俺に幸せになってくれと言ってくれたっ!」

 

 あの場所で、霧依は確かにそう言った。兄の幸せを願い、己の命を捧げて蘇らせた。彼女は眞達の下へと逝った。昔見た優しく幸せに満ちた笑みを浮かべ、彼女は満足げに去っていった。この結果で良かったのか、正しかったのか焔硝には分からない。分かるのは、霧依と眞が幸せを願ったということだけ。

 

「良いのだろうかっ……? 俺はっ、幸せになって良いのだろうかっ……?」

「……焔硝」

 

 ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ空間が揺らぐ。それはすぐに収まり、空気が変わる。気が付けばそこは世界が変わっていた。一心浄土、影の意識空間に焔硝はいた。焔硝が抱き締めている身体は人形ではなく、影本人の身体だ。人形よりも柔らかく、温かみもあり、甘い香りがする。

 

 影は一度焔硝から離れ、彼の顔を見つめる。慈しみに満ち溢れた優しい笑みで、焔硝の頬を触る。

 

「私もあなたに幸せになってほしいと願います。私の愛しい(ひと) 、今は泣いてください」

 

「っ……!? ぅ――くっ――あぁ……っ……!」

 

 焔硝の心が決壊した。子供のように嗚咽混じりで泣きじゃくり、気持ちの全てを吐き出す。愛する者を守る為に愛する者を傷付けた、愛する者を生かす為に愛する者を殺した、愛する者の願いで愛する者の命を代価に新たな命を得た。そんな己に生きる権利があるのかと、生きていて良いのかと、目覚めたばかりの焔硝は分からなかった。

 

 だが焔硝の目の前にいる女性は、彼に生きて幸せになってほしいと口にしてくれた。それがどれ程、彼の心を救っただろうか。多くを失ってきた彼は、漸く全てを清算して解放されたのだ。

 

 

 

 

 

 影に抱き締められながら、焔硝は泣き続けた。泣き続けて、やがて全てを吐き出した焔硝は落ち着きを取り戻し、気恥ずかしそうに影から離れた。影から顔を背け、ほんの少しだけ距離を取った。影は可笑しそうに笑い、口元を手で隠す。

 

「……悪かったな。みっともない所を見せた」

「いいえ、見られて嬉しかったです。ところで、その左頬の傷……」

 

 影は焔硝の顔を見た時から気になっていたことを口にした。既に彼の元素力の大半は戻っているはずだ。その証拠に頬の傷以外は既に消え去っており、元通りになっている。

 

「確かその傷は私の雷で……」

「あぁ……戒め、かな」

「……?」

 

「もう二度と愛する(ひと)を傷付けないと言う、な」

 

「っ……」

 

 影の頬に赤が差した。今度は影が気恥ずかしそうに顔を焔硝から背ける。しおらしくなり、気を紛らわせる為か自分の髪を弄り出す。

 

 そんな彼女を見て、焔硝の心は決まった。

 

「影」

「な、何です?」

 

 恥ずかしそうに返事をする影の手を、焔硝は握り締める。影の身体を正面に向け、真っ直ぐとした瞳で彼女を見つめる。

 

「影……俺と夫婦(めおと)になってくれ」

「え……!?」

 

 影の目が大きく見開かれる。焔硝が吐いた言葉の意味が頭の中で反響し、影の顔を真っ赤に染めていく。雷神の顔から炎が出そうになる程に赤くなった所で、焔硝は更に言葉を掛ける。

 

「眞は俺に言った。俺に幸せになれと。お前を幸せにしてくれと。だけどこれは、そう言われたからじゃない。俺がお前と幸せになりたいと、そう願ったからだ」

「っ……!」

 

「バアルゼブル、雷電影――お前を愛してる。こんなどうしようもない男だが、お前と生きることを認めてほしい」

 

 櫻の香りがする風が二人の間に流れた――。

 

 焔硝の申し入れを聞き、影は目に涙を溜める。

 

 そして――誰もが魅了される美しい笑みを浮かべた――。

 

「――はい、喜んで。私も愛しています」

 

 数千年の時を経て、二柱の神々の影が一つに重なった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから少し時が経ち――。

 

 焔硝は離島の港へと足を運んでいた。紫の刺繍が入った新たな羽織をはためかせ、二人の若者を前にして立っている。その若者とは、幾度も稲妻の危機を救う為に命懸けで戦って来た異邦の旅人である。

 

「焔硝、もう身体は大丈夫なのか?」

 

 パイモンが焔硝の周りをふよふよと飛び回り、彼の身体に怪我が無いか確かめる。パイモンを幼子を持ち上げるようにして掴んだ焔硝は、空にパイモンを返しながら答える。

 

「もう大丈夫さ。迷惑を掛けたな」

「まったくだ! オイラたちがどれだけ大変な目にあったか!」

「悪い悪い。その詫びに、御馳走を何日も振る舞ってやったろ?」

「お前のモラじゃないだろ! ぜ~んぶ、影が用意した奴じゃないか!」

「いや、そうだがな……」

 

 焔硝はプンスカと怒り出すパイモンを宥め、面白そうにその様子を眺めていた空に向き直る。巫山戯ていた態度を改め、真剣な眼差しで空を見つめる。空とパイモンも真面目に彼へ耳を傾ける。

 

「空、異邦の旅人。パイモン、旅人の相棒。お前達には本当に世話になった。二人がいなければ、今の稲妻は無かっただろう」

「フヒヒッ、当然だろ!」

「パイモン、どうどう」

 

 鼻を高くして胸を張るパイモンに微笑みが溢れ、焔硝は更に言葉を続ける。

 

「空、お前の手助けが無ければ俺はあの時、何も成し得ずに終えていた。お前は我が恩人だ」

「えっへん」

「……空、俺はその恩に報いたい。これを持って行け」

 

 焔硝は懐から真っ赤な石を渡される。その石からは炎元素と雷元素を感じ、特別な物だと言うのが見て分かる。その石を手に取りながら、空は訊ねる。

 

「これは?」

「俺の神威で作った石だ。お前の元素力をそれに流すと俺に繋がる。どの元素力でも良い。お前のであれば問題無い。この先の旅、お前達には多くの困難が待ち受けるだろう。二人でその困難に立ち向かえない時、その石を通して俺を呼べ。焔雷の神が何処へでも助けに行く」

 

 それは即ち、稲妻に住まう魔神を助っ人に呼ぶことができると言うことか。

 思いがけない贈り物に、空とパイモンは驚く。まさか神様を使役できるなんて、と二人はマジマジと石を見つめる。

 

「……本当に助けが必要な時だからな? 分かってるよな?」

「うんうん、大丈夫大丈夫。分かってるよ」

「分かってるよ~」

 

 空とパイモンは同じような含みのある笑みを焔硝に見せる。焔硝は「選択を誤ったか?」と内心不安に思いながらも、その時はその時だと切り替える。改めて焔硝は二人に礼を伝える。

 

「本当にありがとう。お前達が俺の友であること、誇りに思う」

「おう! 色々あったけど、今後ともよろしくな!」

「もう影を泣かせないでね。神子の方も大切にしなよ?」

「ああ、肝に銘じるとしよう」

 

 空は右手を焔硝に差し出した。

 焔硝は右手でその手を握る。

 

「フォンテーヌでも達者でな」

「うん。焔硝も元気で」

「じゃあ、またな!」

 

 空とパイモンは船に乗り込み、船は港を出港した。

 船が小さくなるまで見送り続けた焔硝は帰路に就く。

 

 その途中、焔硝は寄り道をした。辿り着いた場所では、海乱鬼の怨霊が待ち伏せていた。ベリアルが去った今でも、あの時の影響を僅かながらに残しているのか、怨霊の出現は完全には止まらなかった。一度に出現する数は少なく、力もそこまで強い訳でもなく天領奉行の武士達だけで対処できる程度だ。しかし怨霊に襲われる被害が出てしまっているのも事実。焔硝はこれを率先して自ら出て叩いている。それが己に課された役目だと弁えて。

 

 怨霊らは焔硝を取り囲み、今にも飛び掛からんとする。焔硝は怨霊らを見渡して余裕の笑みを浮かべる。

 そして、焔雷を迸らせた。雷電眞の雷は失われたが、雷電影の雷を得たこと、そして霧依から武火を託されたことにより赤雷を取り戻し、更に今度は完全に二つの力を受け入れられたことにより正真正銘、焔雷の神と至ったのだ。

 

 加えて、焔硝はもう一つの力を得た。

 

「起きろ――天火聖裁」

 

 炎の大剣が焔硝の手に現れ、地面に突き立てられる。

 ベリアル――霧依の力までも焔硝の身に宿ったのだ。

 

 焔硝から発せられる力を前に、怨霊らは後ろへと退いて行く。

 

「さて……覚悟はいいな?」

 

 いつしか人々は稲妻を指してこう言う――。

 

 稲妻に双雷あり――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 璃月港――。

 

 岩神モラクスの領域であり、契約を理念とする国の中心都市。人間だけでなく、仙人や仙獣までもが正体を隠して暮らしている地である。海に面しており貿易によって栄えている。最近では鎖国していた稲妻が開国し、稲妻とも貿易船を交わしている。以前、この地で魔神と人間の大きな戦いがあったが、今ではその傷跡も綺麗に無くなっており、平和な日々が流れている。数ヶ月前に稲妻方面の空に巨大な武神が現れて騒動にもなったが、それももう落ち着いている。

 

 その璃月港の一角にて、茶を啜っている一人の男性がいる。長い黒髪を項で細く一纏めにし、黒と茶を基調とした衣服を身に纏った、どこか浮世離れした雰囲気を醸し出す凜々しい男性だ。琥珀のような綺麗な瞳を輝かせて茶を堪能していると、手に持っていた湯飲みからピシリッと音が鳴った。

 

「む……?」

 

 見てみると、湯飲みに亀裂が入っており、湯飲みの中身が漏れ出していた。決して古い物ではなく上等な物のはずであったが、それが割れてしまった。何か不吉が訪れる前触れだろうか、と男性は口を噤んだ。

 

 ふと、数ヶ月前の武神騒動もあり、とある嘗ての記憶が脳裏に過る。

 

 あの時も湯飲みが何の前触れも無く割れ、その後に『彼』がやって来たな、と。

 

 その『彼』とちょっとした騒動に巻き込まれ、魔神戦争中には体験できなかった小さな冒険が始まったのだった。

 

 あの冒険はどの物語にも書かれていない、秘密の冒険だった。思えば、あの時が初めて岩神としての立場を忘れ、今で言うただの冒険者としていられた時間だった。

 

「もうあれから二千年か……。バアルの一件もあったが、息災だろうか?」

 

 その時、男性の前に人影が差す。男性と同じく凜々しい男性であり、上等な羽織を肩から流し、毛先が赤い黒髪を持つ美丈夫。その男性は、湯飲みを持つ男性に軽く手を振った。

 

「よう」

 

「――アウナス、お前か?」

 

「久しぶりだな、モラクス」

 

 焔雷の神は、知人に向ける爽やかな笑みを浮かべていた。 

 

 

  

 

――完――

 

 

 

 

 

 




これにて、稲妻の双雷は完結しました!
これまで長い間読んで頂き、誠にありがとうございます!ご感想や誤字報告など、大変助かりました!!

この物語は雷電夢の二次創作が見当たらなかったので、書きたいと思って書き始めた物です。初めての原神二次創作ゆえに頭を抱えたり受け入れられなかったらどうしようかとも思いましたが、今では書き切れて嬉しく思います。

できるだけ原作設定から離れないように注意をして書きましたが、それでも矛盾が生じてしまっている部分や無理がある部分が見受けられるかもしれません。それを見付けても深く考えずにいただけると幸いです。

今回で稲妻を舞台とした雷電物語は終わりましたが、スピンオフとして八重神子物語を書こうかと考えております。いつになるのか、果たして本当に書くのかは置いといて。もし書くのならば、各話完結の短編集、事件簿風な流れで行きたいと……。舞台も稲妻から離れて璃月に移動したりしなかったりと、色々と試みたいと思っております。

何はともあれ、この作品を見つけ出し読んでくださった方々に多大なる感謝を。最後まで走れたのは皆様のおかげです。
本当にありがとうございました!!
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