「この眼帯に感謝するのは生涯で初めてだな」
女にしては低い、無感情な声音。
決して大きな声量ではないが、聞き取りにくさは感じない。
閑散としたホーム故によく響くからだろう。
そして、常人より遥かに優れた耳と、長年の経験で培われた感覚が拾うのは、殺意にも似た重圧。
――ホントにツイてねぇよ、クソッタレが。
言葉に出さず、悪態をつく。
眼前に突き刺さる
眼帯で強烈な光を防いだのだ。事実、先ほどまで自身を鋭く射抜いていた瞳は閉じられ、覆い隠されていた瞳のみが睥睨している。
怒りや憎しみなどを含まない純粋な殺意を放つソレ。ただ義務的に自身の命を刈り取ろうとするその姿は、まさしく死神のようであり。
いや、そんなことはどうでもいい。
肌を突き刺すような鋭い眼光と目が合った。
その姿に瞠目し、背筋が凍る。戦慄し、思考が停止する。
本来、瞳孔があるはずの場所に鎮座するソレは、凡そ普通の人間を恐怖させて余りある程の圧を放っていた。
容貌は至って普通の人間のはずなのに、何故か同じ人間のように思えない。
そんな奇妙な感覚が真島を襲った。
――人外染みた身体能力といい、あの変な目ん玉といい、俺が戦ってるのは人間ですらねぇってのか?
などと、愚痴をぶつけたくなるのも無理からぬ話である。
まるで映画に出てくる人外ヒーローを見ている気分だ。ああいうのは見るだけだから面白いのであって、実際に戦うことなんか考えたくもない。
しかし、そんな存在が目の前に来てしまった以上、考えずにはいられない。
さて、どうしたものか。
まず、戦って勝つという可能性。これは不可能であるため除外。
となると撤退という選択になる訳だが、しかし……その選択を実践するのが果てしなく遠いというのも、また事実。
そしてまた思考は振り出しに戻る。ああ、ダメだ、ダメだ。
だが、まだ終わったわけじゃない。生還は絶望的と言っても過言ではないが、何とかしなけりゃ待ってるのは確実な「死」だ。
なら万が一――いや、億が一の可能性に賭けてみようじゃねぇか。
これだから戦争屋はやめらんねぇんだよな。
-□-□-□-
「やれやれ、中々に無茶をする」
鞘に戻した細剣を邪魔にならないようにと腰の後ろへ回しながら、服に付着した砂埃を払う。
地下鉄の暗闇へと消えたテロリスト。その男が逃げていった方向を見やる。
悔しくない、と言えば嘘にはなる。
事実、逃がしたかと内心で盛大な舌打ちをかますくらいには悔しい。先の台詞はそれを隠してのものでもある。
どうせやるなら任務は完遂したかったし、何よりも
……完全な私怨である。
しかし、あの男。中々にやる。
小銃は最初に斬り落としたが、手榴弾や閃光弾、拳銃にナイフ。埃のように湧いて出る武装の数々。挙句の果てには事前に設置されていたであろう天井を崩落させるほどの爆弾ときた。
一歩間違えば自分自身も生き埋めになるかもしれないにも拘らず、それを実行する胆力。
それだけではない。
自身の剣術と不安定ながらも切り結ぶ戦闘能力。
「あのまま行けば勝っていた」などと子供のような言い訳はしない。
素直に称賛しよう。大したものだと。
「……この“眼”がなければ危なかったな。」
瓦礫が散乱した薄暗い空間をちらりと見渡す。中には刀那の身体と同サイズの――もはや岩と呼んで差し支えないものも転がっており、下敷きにでもなろうものなら即死は免れないだろう。
仮にだが、他のリコリスが居たら彼女以外は全滅となっていた可能性が高い。
そういう意味では、自身一人だけの派遣を決めた楠木司令の判断は正しかったと言える。
……信頼してくれたと喜ぶべきか、危うく死地となるところだったと嘆くべきか。
まあ、この仕事をする以上はすぐ隣が死で溢れている。今更かと思い直し、また前者であってほしいと願いながら、その場を後にした。
-□-□-□-
「刀那おっかえり~!!」
彼女がこの場所に配属された初日。予想外にも飛びつかれた経験から僅かながら体幹にチカラを入れつつ、しかしそれを悟らせぬように柔らかく抱擁する。
今でも鮮明に思い出せる。
幼い千束が、自身の腕の中でわんわん泣く姿を。
あの時ばかりは自身の不甲斐なさを恨んだものだ。
電波塔事件を解決したリコリスの一人として脚光を浴びていた千束。
皆が彼女を認め、褒め称えた。
その卓越した戦闘能力から浮いた存在だった彼女が、ようやく皆の中心たる存在になれたように見えた。
それは刀那にとって何よりも嬉しいものであった。
それこそ自身への称賛が耳に入ってこないくらいには。
しかし、同時に思ったのだ。
もう千束は私を必要としていないのではないかと。
千束が皆と仲良くなったのは嬉しい。
嬉しいはずなのに、心が陰った。
矛盾している。嬉しいのに嬉しくない。
この気持ちは一体何なのだ。
そんなもの考えるまでもない。
――寂しかったのだろう、私は。
自覚した途端笑いがこみ上げてきた。
なんて女々しく、面倒くさい女なのだ。
だから、千束と距離を空けようと思った。
一度頭を冷やす必要があると。
今までが近すぎたのだ。
千束も姉離れする年頃だとは常々思っていたし、何より自分自身も妹離れするべきだ。
しかし、真に妹離れが出来てなかったのは刀那自身だと気付いたのはそれから暫くしてのことだった。
千束が傍にいない日々は実に空虚だった。
訓練中も果てには任務中でも、千束のことを考えなかったことはない。
今なにをしているのか、今日はなにを食べたのか、元気にやっているだろうか――
千束に会う前の私からは想像も出来ないことだ。
私はとっくにおかしくなっていたのだろう。
だからこそ、不殺だけは貫いた。
千束との約束だからではない。
彼女を傍で感じられる唯一の手段だったからだ。
そしてそんな永遠にも思えた日々が、まだたったの一週間程だったことに驚いた。
限界だ。
楠木司令に直談判をした。
『千束の代わりに殺しを請け負うから、彼女の傍に居させてほしい』
千束と共に居たいという理由だけで、千束との約束を破った。
当然、司令には糾弾された。
でも、どうでもよかった。
これまでも、そしてこれからも自身の手によって何百という人間の命が奪われることになったとしても、千束と共にいることを選んだのだ。
命に貴賤はないというのであれば、それは最悪の決断と取れるかもしれない。
しかし、後悔はない。
不殺の誓いなど、千束と共に居られることを考えれば、路傍の石ころと同価値なのだから。
千束と一緒に居られるなら――顔も知らぬ犯罪者共の命など等しく無価値なのだから。
「遅くなったね。待っててくれたのかい?」
「勿論だよぉ~、あっ、私だけじゃないよ、みんなで待ってたのっ!」
そう言いながら刀那が店内を見渡せる位置に身体を逸らす。
営業時間外と言うこともあり、流石に客はいないが、リコリコのメンバーは全員残っていた。
なんか申し訳ないなと、バツが悪そうな表情を浮かべる刀那。
「おかえり、刀那」
「ただいま戻りました、先生」
そんな彼女の心境を知ってか知らずか、微笑むミカ。
それと同時に、刀那のために淹れたであろうコーヒーがカウンター席にゆっくり置かれた。
――ミカは刀那に多くを語らない。そしてそれは刀那も同様である。
だが、
ミカは刀那が
それを知った上で協力しているのだ。
刀那は千束と共に居たいがため。
ミカは千束の笑顔が見たいがため。
言うなれば利害の一致である。そんな利己的な関係。
そんな彼女の隣で酒瓶片手に絡むミズキもまた、秘密を知る者の一人だ。
酒だ、男だと騒ぎ散らかしてはいるものの、その本質は妹を想う姉そのものである。
だから彼女も何も言わない。
ミカもミズキも、刀那が千束に隠れて殺しをやっていることに思うところがない訳ではない。
だが、DAがファーストリコリスに求めるのは、隔絶した殺戮能力。
そんな最大戦力たる二人を同じ場所に居させて、尚且つ一切の殺しをやらずにいるなど、それこそ不可能である。
現状に甘んじているのは仕方ないと言えるだろう。
それに、今更殺しに抵抗などあるはずがない。
ゼロとイチの違いは大きいが、イチとヒャクに大きな違いはないのだから。
◆ ◆ ◆
「お前は本当にそれでいいのか?」
それは、刀那がリコリコに来て一週間程経ったある日の夜のことだ。
その日の業務を終え、閉店作業に勤しんでいた刀那にそう声をかけたのはミカだった。
千束は一足早く家に帰っており、店内にいるのはミカと刀那、そしてカウンター席を陣取るミズキだけである。
「……先生はご存知でしたね」
食器の水滴を丁寧に拭き取り、棚に並べながらそう返答する刀那。手は止めずとも、その声音は若干悲しげである。
「千束の代わりに殺しを請け負う、そう言ったらしいな」
「……はい」
「お前は殺しが嫌なのではないのか?だからこそ千束と共に不殺を貫いているのではないのか?」
最後の一枚の拭き終え、タオルをカウンターに置く。
いつか訊かれることは分かっていた。千束と共に決めたことを簡単に破るのかと糾弾されることも。
「楠木司令にも言いましたが、私は殺しが嫌な訳ではありません」
「……」
「そもそもおかしな話でしょう?何故リコリスが殺しを嫌がるんです?……ああ、いえ。千束のことじゃないです。彼女は彼女なりの大義がある。命を救われたことで命の重さを認識出来た。だからこその不殺だ。……良いことだよ、本当に」
それは自嘲するかのような、はたまた自身に言い聞かせるているかのようにも聞こえた。
「……じゃあ、私は?私にはなにがある?――ないんですよ、何も。私には千束のような逆境の中でも貫ける崇高な意志がない。それでも、出来ることはある……私が唯一出来ることが千束のためになるというなら、喜んでこの手を血に染めよう」
俯き、自身の掌を見る。
そして――
「――千束の
シンと静まる店内に、その声はよく響いた。
刀那が口にしたのは誓いであり、呪いだ。
その隻眼に宿るは狂気と憤怒の炎。
数多の戦場を渡り歩いた歴戦の猛者たるミカですら恐怖を覚えるものだった。
これが本当に10歳にも満たない子供なのか?
「私にとっての最優先事項は千束の笑顔。千束が傍に居てというなら、どのような手を使っても傍に居ますし、殺しが嫌だと言うなら、千束が見えないところで遂行してみせます……だから、先生。
「!……わかった」
刀那の言に僅かに瞠目するミカ。
彼女は気づいていた。
千束の代わりを請け負う刀那という存在にミカが後ろめたい気持ちを持っていることを。
刀那のことを大切に思いつつも、千束を優先させた己自身に強い嫌悪感と罪悪感を抱いていることをよく知っていた。
だからこそ、刀那は告げたのだ。
自身は
ミカの肯定を聴いた刀那は、軽い会釈の後、更衣室の方向へと歩を進めた。
これ以上の問答は無意味であるとミカも解っているため、止めることはしない。
断じて納得は出来ないが、彼女の考えも理解出来た。
今はそれだけで十分だろう。
そう思いながら見たのは、更衣室の奥へ消える刀那の後ろ姿。
その姿は年相応に小さく見えた。
千束さん=危ない薬