太陽の光がカーテンの隙間から差し込み、目覚まし時計のベルが鳴り響く。五反田は手探りでそのベルを止めると、ゆっくり体を起こした。
「うぅ……」
眠い目を擦りながら、薄暗い部屋を見回す。見慣れた家具に、使い慣れた設備。今年から講師として小遣い稼ぎを始めたが毎朝のこの時間が億劫に感じてならない。
「あ、おはよう。監督」
「……あぁ、おはよう」
「相変わらず朝は弱いね」
五反田の住むアパートに毎日のように尋ねるのは、世間で天使と名高い女優──百城千世子だ。そんな彼女も五反田が見出した原石の一人である。
「早くしないと遅れるよ?」
「わーったよ。玄関で待っとけ」
そんなやり取りをした後、五反田は洗面台に歩いていき顔を洗う。冷水を顔にぶつけ、完全に目を覚ますと引き出しから櫛を取り出して髪を解かす。鏡には目の隈が目立つぼさぼさの髪の男がいる。
誰かが扉を叩く音が聞こえた。扉を二度叩くのはこのアパートの支配者であることを表している。つまり訪問者は五反田と深い関わりがある人物だと言うことだ。
「泰志!千世子ちゃんも来てくれてるんだから早く支度しな!」
「あー……今行く」
一度、五反田は部屋に戻りスーツに着替えて再び玄関へ。そこにはこのアパートの支配者が仁王立ちしていた。
「遅い!」
「だから今行くって言ったろ……」
「教え子を待たせちゃダメでしょうが! ごめんね〜。千世子ちゃん」
「あー、お構いなく」
朝から元気なこの女性こそアパートの支配者であり、五反田の母である。
「はい、これ朝ごはんね」
「……わりぃな」
「はいはい。それよりさっさと行きな!遅れるよ!」
五反田は弁当箱が入った巾着袋を受け取るとアパートから出ていった。その後ろ姿を千世子がじっと見つめる。
「よっぽどカントクのこと心配なんですね」
そう呟くと五反田母は千世子は見ずに一度小さく頷くのだった。
そして朝の8時30分を迎えた頃、五反田の姿が阿佐ヶ谷芸術学校映像科にあった。朝、きっちり着こなしたスーツは既に乱れており、覇気のない顔は誰が見ても苦虫を噛み締めるだろう。
「あ〜、やる気でねぇーな」
チクタクと時計の針の音が静かに木霊する。そのせいか五反田の発した言葉は思いの外響いた。
「まだ始まったばっかりなんだから少しは頑張りなよカントク」
五反田の背後からいきなり声がした。その声に驚きながら勢い良く振り向く。
「おい百城、ドア位ノックしてから入ってこい」
「したよ? したけどカントクが気づかなかっただけじゃん」
怪訝な顔でそう言い放つ百城を見ながらわざわざ出向いた理由を尋ねる。
「そんで何しに来た」
「やだなカントク。昨日出した課題忘れたの?」
ああ、そう言えばそんな物出したな。そう考えながら五反田は千世子の手に持つ数枚の用紙を受け取った。読み進めること3秒。五反田は口を魚のようにパクパクさせながら固まった。
「どうしたの?」
千世子の声は今の五反田には届いていなかった。
いや、なんでだ。なんで百城はこっ…こんな何も書いていない白紙で提出できるんだ───
「じゃあね。もうそろそろ授業始まるから私もう行くよ」
「おい、ちょっと待て」
「どうしたの?」
どうしたの?じゃねぇーよ。
「さすがにこれはダメだろ」
「何言ってるのカントク?」
「は?」
「カントクが言ったんじゃん。心の中の情景を映画として書き出せって……。だから空っぽな私の心の中を表すには白紙で出すしかないんだよ」
百城千世子にとって女優と言う職業は天職だ。1度目の人生でもそれは間違いなかった。彼女の概念を揺るがす者はそういなかった。だが出会ってしまった。自身のライバルと言う者に───。存在しない勝負に気分が高揚する。強く願う想いがなす演技。それが次第に笑顔に変わる。そんな感情はもう得ることはできないだろうと2度目の人生では心の奥底に深く、深く千世子はしまった。それでも作品が第一。それは今も昔も変わらない。それが千世子大事にする物だから。
「だからさ、カントクがいつか作る映画…… 結構楽しみにしてるんだ」
今までもこれからも百城の心の内側は俺には分からないだろう。だが、今だけはなんとくなく百城の内心が透けた気がした。