「どうしてくれんだよ!! 俺のバナナ!!」
ロナルドと密着していた。
より具体的に表すと、激昂した彼女に胸ぐらをつかまれていた。それはもう口付けするような距離で、ロナルドは凄む。
「せっかく熟成させてたのに、吸血鬼化したら食えねぇだろ!」
「それで机に……いや、いくらドラルク達が出払っているといっても
「うっ、うるせぇ! お前以外にも急な仕事が入ってくるかもだしすぐ腹拵えできるようにしてたんだよ!」
「なんて横着な……」
「お前がドラ公の代わりに居座って魅了使うからだろ!」
「それは……まぁ、そうだろうな」
ロナルドの指摘通り、ここ数日に渡って手間隙かけた口説き方をしたのは事実だ。されどロナルドが陥落するよりも先にウリ科ならざるバナナを吸血鬼化させてしまったこの現状は不本意の極みだった。
そうであるからこそ、目的を達成できないまま関係が悪化するような展開は避けたい。ここは真摯にご機嫌取りに――もとい謝罪に徹するべきだ。
「ロナルド」
咳払いで整えた喉で切り出して、彼はロナルドの両肩に手を乗せる。
「……なんだよ」
いかにも渋々といった様子ではあるものの、ロナルドは手を緩めた。切換えが早いと言うべきか、押しに弱いと言うべきか、はたまた聞き分けがいいと言うべきか――とにかく、彼女がノースディンの意を汲んだことに変わりはない。
「……」
故に自分がやるべきことにも変わりはないはずだ――と、ノースディンは自身を納得させる。
そして
「どうして君は私の
真正面から糾弾した。
して、しまっていた。
「……は?」
いくら自分自身が提案した条件とはいえ、なまじ意思疎通が出来るだけに際立つ頑なさに苛立っていなかったといえば嘘にはなる。
それでも、責めるつもりは無かったのだ。あくまでも此度のナンパにおける口説き甲斐として捉えていたつもりだった。
内心に留めておくどころか今の今まで自分の中にこんなものがあるという自覚さえ及んでいなかった鬱屈だ。彼はただただ戸惑う。
「へぇ?」
対して、ロナルドの反応はといえば、それはもう冷ややかだった。青い瞳に、鋭く研ぎ澄まされた呆れがよく映えるくらいに。
「女なら受精卵から地縛霊まで口説くような奴の
棺を蓋ごと貫く杭のように、抉る傍から肉を灼く弾丸のように、その嘲笑はノースディンの心を抉った。
「なんだと」
――己が本気を出さなかったことなど一度として無いからだ。
いつだって真剣に相手と向き合い、最も相応しい口説き文句を贈り続けてきた。当然、ロナルドにも。
踏み躙られたプライドから溢れた怒りがあるはずのない逆鱗を象り、身を震わせる。
「君に何がわかる」
「クズだってことは知ってる」
「そのクズに口説かれて浮かれているくせによく言う」
「口説き甲斐があるだろ?」
頬を卑しくひくつかせる様をせせら笑ってやったというのに、ロナルドはたじろぐどころか開き直った。ここまでふてぶてしいのならもっと手に力を込めてもいいのではないかと、そんなあらぬ思考にふけりかけた時だった。
「ビービビービー ビビー ビービービービー ビビビビー! ビービビービー ビビー ビービービービー ビビビビー!」
割り込んできたけたたましさに舌を打ちつつそちらを見やれば、メビヤツがやたら伸ばした首を振りながらまた叫ぶ(・・)。ノースディンには単なる音の繋がりにしか聞こえないそれを、ロナルドは口語として理解できるらしい。
「どうした?」
「ビビビービビ ビビ ビビビ ビービビ―ビービ ビビビビー ビビービビ ビビ ビービビビ ビビ ビビービービ ビービービービー ビビビー!」
「マジかよ!?」
「ビービビビー ビービビビービ
ビビービ ビビビビー ビービービビービ ビービビービー ビビービービ ビービビビ ビビビービービ ビビービービ」
「……ちょっとまずいな」
「……」
一人だけ会話についていけない疎外感はいたたまれないことこの上ない。耐えかねてついメビヤツを睨んでしまったが、無機質な一つ目はロナルドに向けられたままだった。可愛げがない態度に、ノースディンの中でメビヤツへの印象が更に荒んでいく。
なにせこのメビヤツ、元々はドラルク城の備品であったくせに今は人間――それも退治人であるロナルドの味方をするような不届き物だ。ドラルクたちが此処に住んでいる件と動機はどうあれロナルドとの仲介役をしている件から大目に見てやってはいるが、それだけだ。
本音としてはメッセージに用いてくるモールス信号の読み方を覚えてやるのさえ癪である。
――とはいえ、ロナルドに解説を乞うのも嫌だった。
「……」
仕方なく、ノースディンは耳を澄ましてやる。
読み方はわかっているのだ。その気になれば聞き取れるはずだ。
「ビービ ビービ ビビ ビービー ビービビビー――亜空間を移動中!」
「フクマさんだな……距離は?」
「到着まであとどれくらいだ?」
「約三分!」
「おい!!!」
このタイミングで移動中だの到着だのが問題となるような存在など一人と一匹しかいない。
確信じみた予感に顔をしかめながらロナルドへと向き直れば、彼女はいかにもばつが悪そうな面持ちで頷いた。
「まぁ……その、うん。あいつらもうすぐ帰ってくるって」
「……っ」
こればかりはロナルドに文句を言うわけにはいかなかった。なにせドラルクの成果だ。
もっとも、労ってやったところでドラルクは素直に受け取らないだろうし――自分がここにいる件に関してあれこれ追求してくるだろう。それは、困る。
一刻も早く引き上げるべきだ。
「わかった」
深々と溜め息を吐くままロナルドの肩から手を下ろし、ノースディンは窓に向かって歩き出す。
ただ
「……」
このまま有耶無耶にできるものだろうか――そんな逡巡が、吸血バナナと共に足にまとわりついた。際どく言い争った相手を何事もなかったかのように口説けるほど、ノースディンは恥知らずではない。
「? 早く出てけよ」
不機嫌そうな声で急かしてくるロナルドにそんな繊細さは無さそうだとしてもだ。
「ドラ公にバレて騒がれたらどうすんだ」
「……そうだな」
「お前のことだから来づらくなったからとか理由つけて他の女の子口説きに行くだろうし」
「は?」
「あっ、もしかしてそれが目的なのか?」
「いい加減にっ」
いよいよ言いがかりめいてきた物言いを咎めようと振り返って――息を呑む。ロナルドが、すぐ後ろにいたからだ。
「だとしたら、俺は困るんだよ」
いやに落ち着いた声とはかけ離れた力で突き飛ばされる。
中途半端に半身をひねっていた体はあっさりとバランスを崩し、窓の向こうへと押し出される。重力に引きずり降ろされるノースディンを見ながら、ロナルドは微笑んでいた。
「このっ……!」
――どこまで非道な女なのだ。
念動力よりも先に迸った怒りは、かえって喉を詰まらせた。遠ざかっていく光の中へ届くどころかまず音にすらない息が、街路樹の樹冠を突き破る音にかき消されていく。
どうにか太い枝に受け止められはしたものの、服も髪も葉っぱまみれな上に背中には落下の衝撃が響いている。おまけに不本意なポーズでバランスを取らなければいけない。
どうしてこんな仕打ちを受けねばならないのか。
みっともなさの極地へと追いやられたことによる屈辱が、つかえていた怒りを押し出す。
「私はまだ何もしていないだろうが!! このじゃじゃ馬め!!」
もっとも、叫んだところでもう遅い。
今頃ロナルドは何食わぬ顔でドラルクたちを出迎えていることだろう。もう怒るだけ無駄なのだ。
労力を使うなら――いや、使ったところでまた虚しくなるだけな気もする。何もかもうまくいかないせいだろうか、ひどく馬鹿馬鹿しい気分だった。
やたら力んでいた体をだらりと弛緩させながら、ノースディンはぼやく。
「これだから人間は……」
そこでふと気付いて下を見やれば、通行人達は窓から突き飛ばされた男が街路樹に落下するというバイオレンスな出来事に驚くどころか至って平然と現場の真下を通り過ぎていく。いくら法則性が狂った街とはいえ危機感が無い住人達の様子にノースディンはますます呆れた。
それでも、彼が人間相手に抱く感情としては随分と柔らかい方だった。
敬愛してやまない一族の面々が抱くそれにはまだ到底及ばないとしても、自分なりに足掻き続けている結果でもあった。
そう――人間が嫌いなままでも、出来ることはあるのだ。現に、醜い側面はあれどそればかりではない生き物であることと認められるようになってきた。
かつての自分と比べればかなりの進歩だが、人に紛れることを選んだ同胞たちにとっての「当たり前」には遠く及ばないほど遅々とした変化であることは自覚している。事と次第によっては吸血鬼の寿命よりも時間がかかるかもしれない。
故にこそ――と。
結局はロナルドへの対策に戻ってきた思考回路に、ノースディンは嘆息した。
振り回され続けた今でこの様なのだ。ロナルドという存在そのものが新たに人間を嫌う理由にならない内に屈服させねばならないが、なんとも厄介なことに彼女はノースディンの獲物であると同時にドラルクの相棒だった。いくらなんでも廃人にする訳にはいかない。
そもそも、ここまできたらもう正気のまま負けを認めさせなければ気が済まない。
「……どうする」
他でもない自分自身に問うた時、心臓が――ちょうどその上のポケットに仕舞っていたスマートフォンが震えた。RINEの通知だ。
まだ億劫さが抜けきらない手で取り出してみれば、メビヤツからのものだった。不本意ではあるものの、文面であればすでに訳さずとも読むことが出来るので、意味はすぐにわかった。
「いや、泣きたいのは私の方だが?」
むしろロナルドに行うべき警告への苛立ちを眉間に刻んでいると、今度は動画が送られてきた。今度は何だと身構えつつ、相手の動向は知らねばならないからという義務感を支えに再生させる。
メビヤツの視界と思しき画角の中で、ドラルクが得意げに推理を謳っていた。
「……何故だ」
ドラルクに勘付かれたのは構わない。ドラルクとジョンとヒナイチが話し合うきっかけとなった吸血バナナの誕生は自分の落ち度でもあるからだ。
わからないの、食べられなくなったことを心底嘆いていたその口で吸血バナナを食べたというロナルドの真意だ。しかも、ドラルクたちを欺いてまでの行動である。
とても
「ふむ……」
この手がかりからは何かしらの壮絶な覚悟が感じ取れるような気がした。
「食い意地……なら、話は早いんだがな」
ロナルドの怒り方を思い返すに、それはありえない。ノースディンの観察眼をもってしても本気にしか見えなかった。
ならば――ロナルドには不味いとわかっている吸血バナナの捕食を決断せざるをえない事情があったと考えるしか無い。
やましいものを体の中に隠すのはよくある手段とはいえ、相棒たるドラルクにも隠し通そうとしたとなるとそれはきっと余程の「秘密」だと見ていいだろう。
「……」
とはいえ、今の段階ではあくまでも推測に過ぎない。問い質したところでロナルドが素直に認めることはないだろう。
つまるところ、ノースディンは今よりももっとロナルドを知らなければならなくなったのだ。いつか「秘密」を暴き、その動揺をもってして屈服させるために。
普段のそれとは違うやり方にはなるが、ここまで手を焼かされてきたロナルドとの決着にはむしろ相応しいと思えた。
「……これも口説き甲斐、か」
誰にともなく嘯いて、ノースディンは枝葉に遮られた天を仰ぐ。枝葉に遮られながらも透けて見える夜空が、やけに清々しく見えた。
*****
バイト先からの帰り道
「うん?」
ふと感じた覚えのある気配に、クラージィは顔を上げた。
すると視線の先に生えていた街路樹の樹冠が震え出したものだから、何が起きても即座に反応できるよう構えを取る。
果たして、飛び立っていったのはノースディンだった。
「何故……」
ノースディンはこちらに気づかなかったらしく、クラージィが困惑している内に夜空の星に紛れてしまった。
何故あんなところにいたのかはわからないが――この街では何が起きても不思議ではないことは知っていた。
だから、多分、ノースディンの身にもそういう何かが起こったのだろうとクラージィは納得する。
「お前も楽しそうで何よりだ」
そして自身も微笑みながら、家路に戻ったのだった。