原作:モンスターハンター
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エルガドで起こる殺人事件。
その影で暗躍するひとりの女の物語。
(用語解説・登場人物紹介)
【用語解説】
竜人族
千年を超える寿命を持つ長寿の少数種族。
感情を共有する能力をもつ個体も存在する。
人間
有限の時間しか持たない、短命な種族。
この世界の大多数を占める。
【登場人物紹介】
カムラの里
猛き炎
人間。
百竜夜行からカムラの里を救った英雄。後にエルガドの救世主。
ヒノエ
竜人族。
里クエストの受付嬢。ミノトの双子の姉。
カムラの里の太陽として皆を愛し、皆に愛されている。
感情を「共鳴」することで共有できる。
ミノト
竜人族。
集会所クエストの受付嬢。ヒノエの双子の妹。
ヒノエを愛し慕っている。
ヒノエと感情を「共鳴」出来る。
ヨモギ
人間。
茶屋の看板娘。元ツキトの都の王女。
フゲン
人間。
カムラの里長。
ゴコク
竜人族。
カムラの里・集会所所長。
ウツシ
人間。
カムラの里・猛き炎の教官。
ハモン
人間。
カムラの里・加工屋。
王国観測拠点エルガド
フィオレーネ
人間。
王国騎士団所属。ロンディーネの姉。
リーダー格として騎士団をまとめる。
太陽のような正義感の持ち主で人望が厚い。
ロンディーネ
人間。
王国騎士団所属。フィオレーネの妹。
カムラの里に内偵として潜入。猛き炎をエルガドに導いた。
ミネーレ
人間。
エルガドの加工屋の看板娘。明るくはつらつとした娘。
物事の本質を見抜く「目」を持つ。
チッチェ姫
人間。
王国王位第一位の王女。
エルガドの受付嬢。
ジェイ
人間。
王国騎士団所属。
薬師
タドリ
竜人族。
元ツキトの都の薬師。現在は世界各地を転々とする薬師。
カゲロウ
竜人族。
元ツキトの都の薬師。現在はカムラの里の薬師。ヨモギを助けた過去を持つ。
(序)
【抜粋 捜査記録一 新聞八二五年六月三日】
発行元 王国 国営通信
速報 エルガドの王国騎士 死亡か
三日午後五時頃、王国観測拠点エルガド近郊の城塞高地にて、王国騎士フィオレーネ氏が死亡しているのが発見された。王国調査隊が明日現地入りし、事件・事故の両面から調査する見込み。
【抜粋 捜査記録二 証言〇一-一】
証言者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
記録者 エルガド 王国事件担当捜査官
(記録開始)
──では記録を始めます。本件において、初めて事件を知ったきっかけと状況を教えてください。
はい。
わたしの務める集会所には、エルガドからの王国国営通信が配られます。
まず初めにゴコク様が目を通すのですが、一面を見るなり、おおっ、と声をあげられまして。すぐに見せていただき、事件を知りました。
──その時の心境を教えてください。
……
──ミノトさん?
……うまく、表現出来ないのですが。ああ、やはり起きてしまったのか、と。
こういう事を言ったら不謹慎なのかもしれませんが、事件までの間に起こった様々なことが、結果として惨劇を産んでしまったのでは。……そう考えています。
──様々なこと……というと?
本当に、様々なことです。不可解なことから有り得ないことまで。
知るのが怖かったんです。ずっと心の中で、仕舞っておきたかった。けれど……
それは許されなかったんですね。里で起きていたこと、エルガドで起きていたこと、それらが全部繋がっていた。
──この事件について、何かとても重要なことをご存知なのですね?
はい。
──それでは、教えてください。事件が起こるまで、カムラの里で起きていたことを……
(記録終了)
(一-一)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇一五】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
三月二日
今日は晴れ。 とてもいい気持ち。
遠い遠い所へ、わたしたちの猛き炎が船で旅立っていった。里の皆で、寂しい気持ちを堪えて英雄を送り出した。
わたしも里の大切な誉を、精一杯の拍手で送り出した。
夕刻になり、姉様の姿が見えなくなる。猛き炎が旅立ったすぐ後だったから、里はちょっとした騒ぎになる。
わたしはハンターさん何人かと慌てて集会所を飛び出したけれど、すぐに見つかった。
見つかったのは、大社跡。心の底からホッとしたけれど……
姉様は捕獲したダイミョウザザミの傍で、一生懸命何かを探していたようだった。いったい何を探していたのだろう……
でも、見つかって良かった。
姉様は、里の、わたしの太陽。
何かあったら、生きていけないもの。
今日の日記はここで終わり。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇二一】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
三月八日
今日は晴れ。 あたたか。
里は今日もとても平和。
モンスターたちもこの所は大人しく、依頼も納品依頼ばかり。いい事だけど、少し寂しい。
……寂しい?何でだろう。
モンスターに脅かされない日常こそ、わたし達集会所の望むことなのに。
午後、里の門でうずくまる姉様を見かけた。
「なあに?ミノト」
心配になって声をかけたけれど、振り返った姉様はニコニコしている。
泣いているように見えた。
だけどそれは気の所為みたいだった。
それもそうだ。
姉様は皆の太陽。涙は似合わない。
今日の日記はここで終わり。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇二三】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
三月一〇日
今日は雨。 ゆううつ。
明け方、夢を見て早くに起きた。
夢と言うよりは、誰かの思い出を覗いているみたいだった。
夢の主は里の門で一昨日の姉様のようにうずくまっている。違うのは泣いていることだった。心の中を寂しさと絶望でいっぱいにして。
「うわああん、うわああん」
声の限りを振り絞って泣いている。空からは涙みたいな雨が降り注いでいる。けれど、夢の主は構わず、傘もささずに泣いている。
「あのう」
突然、女の子に後ろから声をかけられる。燃えるような赤毛が綺麗だった。
「……」
何かを話していたみたいだけれど、記憶が少し「飛んだ」ようで聞き取れなかった。
「どこ行ってた。心配したよ」
また別の声がして、そちらを見る。男の人だ。けれど、涙と雨に濡れてよく見えない。
「さあ、帰ろう」
上着を被せられ、夢の主は家路についた。
門をくぐる。お味噌汁の匂い。お風呂の匂い。暖かい家族の安らぎが夢の主を出迎える。
「……ずっと、ねえちゃんのそばにいてくれますか?」
「当たり前だろ」
そこで、目が覚めた。
枕が濡れていた。泣いていたみたいだ。
なぜこんな夢を見たんだろう。
前に体験した、「感情の共鳴」にも似ていたけれど。
……明日、姉様に相談してみよう。
今日の日記はここで終わり。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇二四】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
三月一一日
今日は曇り。 花が咲いた。
仕事のあと、姉様と茶屋に行った。
「はいはーい、いつもので!」
ヨモギちゃんがてきぱきとお団子を作る。
「あの、姉様」
思い切って昨日の夢のことを聞いてみた。あまりにありありとした感覚で、現実と区別がつかなかった、あの夢を。
「イブシマキヒコ?」
姉様が聞き返す。あの時の「感情の共鳴」と似ていたから、その名前を出した。
「……なんのことだったかしら」
けれど姉様は首を捻るだけ。そのまま考え込んでしまった。
そんなはずない、覚えてないはずがない。
魂が揺さぶられるようだった、百竜夜行でのあの「感情の共鳴」を。
「あれれー?お団子固くなっちゃうよー」
ヨモギちゃんが驚く。黒みつ団子が、お皿に残ったまま。
「大好物でしょ?あ、もしかして好きな物は取っとく派ー?」
無邪気に笑う。しかし、姉様は考え込んだまま動かない。
「姉様?……姉様!」
「あ……ああ、なんだったかしら」
もしかしたら疲れてるのかもしれない。
違和感が残るが、わたしはお茶の時間をお開きにした。
「先に帰ってて」
姉様はわたしにそう告げると、何かに憑かれてるかのような足取りで、里の門の方へ歩き出した。
「ヒノエさん、どうしたんだろ」
ヨモギちゃんが、姉様の後ろ姿を見ながら不安げに呟く。
「大丈夫です。姉様は里の太陽。すぐにまた笑ってくれます」
わたしは答えた。自分自身に言い聞かせるように。
お皿の上の黒みつ団子はまだ、残ったまま。
今日の日記はここで終わり。
(一-二)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇三三】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
三月二〇日
今日は晴れのち曇り。 春もうららか。
文が届いた。
なんでも、わたしたちの猛き炎が、王域三公の一体、ガランゴルムを退けたらしい。
フゲン様もゴコク様も満足そう。王国の為に頑張るわたし達の英雄の姿を思い浮かべると、わたしも嬉しい。
嬉しい知らせの他は何も無い。そう信じたい。
今日の日記はここで終わり。
やっぱり明日、確かめてみようと思う。
きっと聞き間違いだ。そうに違いない。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇三四】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
三月二一日
今日は曇り。 ちょっと蒸し暑い。
大社跡でちょっとした事件があって、若いハンターが調査をすることになった。なんでも、アイルーが一匹、狩られたとか。
里ではアイルーは野良を含めて狩猟は禁じられているはずなのに。
調べたけれど収穫はほとんどなく、唯一の証拠は野良アイルーの証言しかなかったそうだ。
それも取り乱していてほとんど分からなかったと聞いた。
結局、里の掟をしらない他所のハンターの過失だろう、ということになった。
わたしは事件を知っていた訳じゃない。それでも知っているのは、受付したから──
いいえ、昨日のうちに何かあったことは知っていた。
なぜ知っていたか……
──昨日。取り乱した野良アイルーとは、里の門の所で出会った。
「ミノトしゃま、ミノトしゃま」
「たいへん、たいへん」
相変わらずの舌っ足らず。
それでも一生懸命何かを伝えようとしていた。
けれどやっぱり、野良アイルーの言葉は足りなくて、何を言っているのかは分からなかった。
「ごめんなさい、もっとゆっくり……」
そう言いかけたとき、わたしを見て急に「ひいいっ」と悲鳴を上げて茂みに逃げていってしまった。
呆気に取られていると、急に後ろから声をかけられた。
「ミノト?誰と話しているの?」
姉様だった。
姉様と取り乱したアイルーの事が結びつかなくて、数瞬、言葉が出なかった。
「な、なんでも……ありません」
取り繕うかのようにその場を去ろうとした時。
確かに、姉様はこう言った。
「あの猫ちゃん、お仕置効いたかしら」
あの言葉が、一日経っても耳から離れない。
姉様らしくない。
だって姉様は皆から愛される里の太陽。
あんなこと、言うはずがないのに。
今日は確かめることができなかった。
また日を置いて、聞いてみようと思う。
今日の日記はここで終わり。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇三六】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
三月二三日
晴れ。 気持ちいい朝。
今日、また誰かの夢を見た。
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
冬の初め、肌寒い朝。
赤ちゃんが泣いている。里の門のところだ。
「姉様、どうしましょう」
隣にいる「わたし」が聞いてきた。
「姉様……?」
「連れて帰りましょう」
夢の主は答えた。
「え?」
「さあさあ、可愛い赤ん坊ちゃん。私のおうちにいらっしゃいな。」
夢はここで終わり。たったこれだけ。短い夢。
でも、ただの夢じゃない。確信を持って言える。
この夢はあの時の……姉様の「思い出」だ。
なぜ、夢で他人の「思い出」を覗き見ることが出来たのだろう?
今日の日記はここで終わり。
(一-三)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇四七】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
四月三日
今日は晴れ。 春も本番。
昼過ぎ、わたしたちの猛き炎が王国騎士のフィオレーネさんと帰ってきた。
王国の仇敵、メルゼナ討伐の報告をしに来たそう。
王国の危機を救った英雄の帰還に、里長も、ゴコク様も、皆大喜び。
遅くまで宴会が開かれた。
わたしも浮かれていた。いつも飲まないお酒も、美味しく感じた。
これで、里に帰ってきてくれるんだ……王国のことよりもメルゼナのことよりも、わたしはそのことが、何より嬉しかった。
「まだ、やり残したことがある」
だから耳を疑ってしまった。猛き炎の急な宣言に。
どうやら、まだ完全に危機は去っていないということのようだった。
よくわからないのだけれど、キュリア?という虫が、王国周辺のモンスターに悪影響を与えているらしい。
フゲン様もゴコク様も、寝耳に水だったみたいだ。
「なんだ、戻らないのか」
「みな待ちわびておったのに」
肩を落とすのは私だけではないようだ。
宴の熱もいつの間にか冷めてしまった。
里の皆は夜道を歩き、各々の家に帰って行った。
宴の席で、フィオレーネさんと、話す機会があった。
そういえば、猛き炎がロンディーネさんに連れられて突然出国して以来、まともに話していない。
「猛き炎には、いつも助けて貰ってばかりなのだ」
お酒が入っているからか、頬が赤い。
「彼は王国の太陽だ」
はい、わたしもそう思います。
「王国防衛の為にも、猛き炎の力が必要だ」
そうですよね。
「すまぬが、もうしばし力を貸してくれ」
もちろんです、喜んで。
……「喜んで」。
そう言ったけれど、寂しい気持ちで胸が疼く。
もしかしたら、わたしにとって猛き炎の存在が大きくなっているのかもしれない。
最近、あの人のことを想うと胸が苦しい。
──これが、恋なのだろうか。
五百年以上生きてきて初めて沸き起こる感覚に、惑う気持ちが隠せない。
「ミノト殿?」
正直、フィオレーネさんの言葉は半分も入ってこなかった。
ごめんなさい、気分が悪くなってきたので。
そう言って、逃げるように宴の場を後にした。
その時だった。
きぃん。
唐突な頭痛と共に誰かの夢が流れ込んできた。
これは、白昼夢……?
「ミノト、ミノト!」
夢の主が慌てて駆け寄る。
「わたし」もよばれて駆けつける。
小さな、小さな子が立っている。
そしてそのまま、おぼつかない足取りで一歩踏み出す。
「見て」
一歩。また一歩。よろりとして倒れる。けれどまた立ち上がる……
とても、とても小さいけれど、それは確かな一歩だ。
視界が歪む。夢の主は涙ぐんでいるようだ。
「この子、歩いたわ」
目の前を、蟻がよたよたと歩いている。
「歩いた……」
わたしは宴の外、通りの道端で目を覚ました。
「今」に戻ったわたしは、袖と袴についた土を払う。
ふと、見られたかもしれないと思い慌てて辺りを見渡す。
宴も終わった集会所は、薄暗く、人の気配は無い。
わたしはホッとして自室に戻る。
部屋は薄暗く、誰もいない。
姉様も。
そう、でも確かにあの日。彼はここで歩いたのだ。
日記を開いたわたしは、意識に直接送り込まれたあの白昼夢に思いを馳せている。
あれはわたし達姉妹だけが知っている「思い出」だ。
しかも、見た景色にはわたしが映っていた。つまりあれは姉様の「記憶」だ。
最近頻発する共鳴。
共鳴は「感情」だけでなく、「記憶」をも共有できるのかもしれない。
姉様の「記憶」だとして、何をわたしに伝えたいのだろうか。
……お酒のせいか、結局考えはまとまらなかった。
今日の日記はここで終わり。
明日、姉様にもう一度相談しよう。
共鳴のことと……
私のあの人への想いのことも。
(一-四)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇四八】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
四月四日
今日は晴れ時々曇り。 草木が元気だ。
姉様に散歩に誘われた。
大社跡を、ゆっくり歩きたいらしい。
アイルーの一件以来、特にめぼしい依頼も来ていなかったので、ゴコク様も快く許可してくださった。
姉様のお誘いは、とても嬉しかった。
でも大社跡の散歩など、何十年ぶりだろう。
もちろん、私も里守の一員。
異変の調査で訪れたことは数え切れないくらいあるし、目をつぶっていても歩けるほど大社跡のことは知っている。
けれど……
今日は、とてもよく晴れて、空が明るく感じた。
緑は濃く、生き物たちのいぶきを身近に感じる。
あの人への想いに気づいてから、世界が明るく感じた。
慣れた大社跡が美しく、愛おしく感じる。
姉様も、いつもの太陽のように優しい笑顔だ。
「あら、蝶々!」
「ほら、みて、花のつぼみがこんなに」
私のよく知る姉様だ。
久々の姉妹水入らずの散歩、姉様も喜んでいてくれて素直に嬉しい。
山に登ろう。姉様の方から切り出した。
大社跡の中腹にそびえる、里いちばんの高い山だ。
「ねえ、ミノト。覚えてる?」
登山道の鳥居を潜りながら、姉様が語りかける。
「猛き炎が小さな頃。三人でここを登ったわ」
先を行く姉様の顔は見えなかったけれど、優しい顔をしているのがわかる。
「うふふ。半分も登らないうちに音を上げて泣き出して」
覚えている。そうか、あれからもう二十年も経つのか……
「やめましょ。里に帰ろう?って私が言うと、ミノトったら『いけません姉様、この子には強い子になってもらわなければ』なんて言って。喧嘩になったわね。……あの頃は私達、喧嘩ばかりだった」
姉様は遠くを見る。わたしは、バツが悪そうに視線を逸らした。
「そしたら私の猛き炎ったら、半泣きのまま、やだもん、登るもんって。あの頃から、心の中には炎が猛っていたのね……」
それでも、姉様はいつも優しい。里の太陽だ。
それは私にも同じ、太陽だ。
強くて優しくて、皆を愛して、皆からも愛されて。
今なら、猛き炎への私の気持ちを打ち明けてもいいかもしれない。
「……いま、なんて?」
山頂に着く頃合で、私は自分の胸の中で燃える、あの方への思いを打ち明けた。
「あの人の事を思うと、胸の高鳴りがやみません……これが、恋というものでしょうか」
山頂の祠の前で、姉様は立ち止まったまま、振り返らない。
なにを考えてるのだろう。
微動だにせず、立ち尽くしてしまった。
私のこの想い、いつもの姉様なら優しく受け止めてくれるはず。
抱きしめ、頭を撫で、私の話を聞いてくれるはず。そう、いつものように。
……だから早く、太陽のようなその優しいその目が見たい。
「……あの、姉様」
思わず肩に手を置いた。次の瞬間、姉様が振り返りこちらを「見た」。
──左の目が、光っている。
がんっ。
脳に直接記憶が叩きつけられた。
これは……共鳴だ。
「いけません、姉様。もっと外で遊ばせないと」
家の中で積み木をする男の子の前で、「わたし」が姉様に詰め寄る。
「いけません、姉様。男の子にはこれくらいの傷、当たり前です」
膝を擦りむいて薬を塗る少年の前で、「わたし」が姉様に詰め寄る。
「いけません、姉様。ハンターたるもの、二、三日戻らないことくらいあります」
帰らぬハンターを心配で涙を零す姉様に、「わたし」が詰め寄る。
いけません。いけません。いけません。
……
「……!……はっ!」
わたしの意識は現実に戻された。
心が冷たく冷えている。
憎い。妬ましい。悲しい。……寂しい。
──木霊のように頭の中でわたしでない意識が響き続ける。
姉様は、わたしをまだ見つめている。無機質な目で。
それはまるで虫が排除する敵を見定めた時のような、感情のない目のよう。
「……ねえ……さま……?」
あまりの変貌ぶりと、頭の中の雑音に、声を絞り出すのがやっとだ。
気がつくと、太陽が隠れてあたりは暗くなっている。
どんよりとした重たい雲が空を覆う。
里の太陽は、無機質な灰色で覆い隠された。
「……あなたはいつもそう」
一歩。
「そうやって、何でも私から取り上げようとする」
また一歩。
「全てを捧げてきたのは私なのに」
姉様の皮を被った何かが私に近づく。
後ろは崖だ。
後ずさった足から、小石がはるか下へ落ちていく。
「……私達三人の永遠まで、取り上げるの?」
「あの……姉様……何を……」
何を言っているのかわからない。
けれど見透かすその目が、決して許してくれないことだけはわかった。
──そう、ならあなたから。
そう言ったような気がした。
次の瞬間、わたしは崖から足を滑らせた──
ほんの一瞬、気を失っていたのかもしれない。
わたしの体は宙に浮かんでいた。
上を見あげると、頭上で姉様が手を強く掴んでいてくれている。
嬉しそうな笑顔で、左目を光らせたまま、姉様が口を開いた。
「あら、見つけたの……早かったですね……ええ……ええ」
笑顔で話しているが、目がこちらを見ていない。
「じゃあ、後で行きます。うん、私も愛してる。……それじゃ」
誰と、どうやって話しているんだろう。わからない。
わたしの命が助かったことだけ、わかった。
「会話」が終わったからなのか、目の光は消え、今度はわたしの目を見て優しく話しかけてきた。
「ミノトも私達の味方よね?」
里の太陽は、優しい、それはそれは優しい顔で微笑んだ。
「最後まで、私達の味方よね?」
「はい……」
まるですすり泣く幼子のように、私は答えた。
「よいしょっと」
姉様は、小さな子を起こすかのように簡単に、私を引き上げた。
「可愛い可愛い私のミノト」
「最後の最後までずっと……あなたは私達の味方よ」
唇に口付けをされた。
長く生きてきて姉様にそんなことをされたのは初めてだった。
しかし、驚きよりも安堵の方が大きく、そのまま泣いてしまった。
気がつくと空の太陽は、また輝きを取り戻していた。
今日の日記はここで終わり。
(一-五)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇五四】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
四月一〇日
今日は晴れ。 緑が瑞々しい。
ロンディーネさんと、クエストに行くことになった。
なんでも、里とエルガドの間に結ばれた新たな同盟の一つで、両国のハンターがクエストに向かう際に、「盟友」として里守やエルガドの騎士達がサポートする……というものらしい。
百竜夜行も終わり、大分時間が経っている。わたしで力になれるだろうか。
そんな不安も、クエストカウンターにロンディーネさんが来て、杞憂だと気付く。
「やあやあ、ミノト殿。今日はよろしく頼むよ。正直、この時を楽しみにしていたからね」
ロンディーネ様は、遠くの国の貿易商の人だと思っていたから、王国騎士だとわかった時はびっくりした。
けれど、今はそれがとても心強い。
緊張も解けたし、何より身知った人がいっしょにいてくれる。
おかげで、里守としての闘志が温まってくるのを感じられる。
「ど、どうもよろしくお願いします」
ハンターは、里の若い青年だった。
つい先日、ハンターの登録を済ませた新人だ。
わたしは青年が赤ちゃんだった頃から知っている。
ブナハブラを見て母親に泣きついていた頃を思い出す。
正直、ハンターに向いているかと言われると難しいところだ。
クエスト内容は、水没林でのドスフロギィの捕獲だ。
毒牙が毒消しとして必要なようで、採取後はまたフィールドへ還すようだ。
調査隊の報告によると、小柄で毒にさえ気をつけていれば、新人には丁度いい難度とのこと。
私たちは、現地に向かった。
大社跡に比べると、里からは少し遠い。
乗ってきたガルクの背から降り、しきりに地図を見ながら進む新人を見ていると、ふぅ、とため息が出た。
──まだ、危険はないかしら。
ロンディーネさんもそう思ったのか、新人の後ろでしばらく会話に華が咲いた。
「姉上は、私にとって太陽なのだよ」
「わたしも、幼い頃からずっと二人で一緒でした」
「姉上がいない世界など、考えられない」
「うふふ、わたし達、よく似てますね」
よく知らなかったはずのこの女の人が、実はわたしととてもよく似てると思うと、嬉しくて思わず笑みが零れた。
水没林に着いた。
「ひゃあ、水が冷たいぃ……」
新人が情けない声をあげる。やっぱりハンターには向いてない。
「痕跡を探すんだ、ハンター殿」
「ドスフロギィは高台をうろついていることが多いぞ」
ロンディーネさんのアドバイスはとてもとても的確だった。
こういう時に声をかけるのが苦手なわたしは、時々自分がとても嫌になる。
ドスフロギィを発見した。
確かに小柄で、配下のフロギィたちも今は寝ている。
今なら絶好のチャンスだ。
「ほら、行くなら今だぞ」
「は、はい」
新人は、まだ下ろし立ての、鉄鉱石の太刀を握りしめる。
ドスフロギィが後ろを向く。
「う、うわあああ!」
すごく情けない声を上げて、新人が斬り掛かる。
「馬鹿者め、そんな声をあげたら……」
ロンディーネさんが言うが早いか、敵の接近に気付いたドスフロギィが素人丸出しの剣筋をひらりと躱す。
わたしも、慌てて狩猟笛で新人を強化する旋律を吹き始める。
その時。
グォォォォ!
凄まじい咆哮がわたしたちを襲った。
待って。ドスフロギィは咆哮しなかったはず……
その衝撃は、余りにも凄まじく、大きかった。
大きな壁が頬に思いっきり当たる。数瞬の後、その壁は地面で、わたしは地に倒れているのだと気がついた。
「うっ……ごほっ」
胸に鋭い痛みが走る。息ができない。
肋骨が折れているかもしれないと思った。
──わたしを突いた尾を、マガイマガドがゆっくりと戻す。
通常の個体よりも大きく発達した前足の刀。思い出せ、確か資料で見たはずだ……
「怨嗟響めくマガイマガド!なぜここに!」
ロンディーネさんが剣を構える。
新人は腰を抜かしてしまっており、戦力になりそうにない。
「うう……くっ……」
早く立ち上がらなきゃ、けれど体に力が入らない。
怨嗟響めくマガイマガドが、更に咆哮する。
……すると、不思議なことが起こった。
赤い虫のような小さな生き物が、竜を囲うように集まりだした。
これは……?
「気をつけろ、傀異化しているぞ!」
実際に見るのは初めてだった。
わたしが受けた普通じゃない衝撃も、通常の個体のものではない証拠だったのかもしれない。
気がつくとドスフロギィは逃げ、マガイマガドと私達三人だけになっていた。
マガイマガドがその禍々しい尾を降り始める。
まずい。ロンディーネさんだけじゃ防げない……
どんっ。
──これは、夢?
目を開けると、あの人が大剣を構え、恐ろしい恐ろしい尾の攻撃からわたしを守ってくれていた。
「……猛き炎……?どうして……」
「大丈夫か?ここは任せろ。……フィオレーネ!」
呼ばれた王国騎士が、軽々と空を翔け、マガイマガドのアギトに鋭い一撃を放つ。
「姉上!」
「さがれ!ここは私達に任せろ!」
フィオレーネさんが叫ぶ。
「だ、大丈夫ですか?」
新人がわたしのもとに駆け寄り、助け起こしてくれた。
自慢の牙に痛手を受けたマガイマガドは悔しげに咆哮し、腕が光り始める。
「来るぞ!」
大技を予見した猛き炎が叫ぶ。
突然に、眩い光と共に視界が奪われる。
閃光玉だ。
ロンディーネさんが放ってくれたのだろうと思った。
不意打ちを喰らったマガイマガドは、そのまま逃走を図った。
「追うぞ!」
「ああ、猛き炎、行くぞ!️」
二人もまた、怒涛の勢いでこの場を後にした。
「ミノト殿、大丈夫か」
ロンディーネさんが駆けつけ、生命の粉塵を撒いてくれた。痛みがゆっくりと引き、幾分か楽になった。
「今日はここまでだ。撤収しよう。ゴコク殿には私から説明しておく」
「ありがとうございます」
わたしは心からお礼を伝えた。
「危ない所を、閃光玉に助けられました」
「閃光玉?」
ロンディーネさんが不思議そうに聞き返す。
「あれは、私では無い。姉上であろう」
違和感があったが、傷の痛みで上手く考えがまとまらない。
「さあ、帰ろう」
ガルクの上で意識を失っていたらしい。
気がつくと、わたしは自宅の寝室で目を覚ました。
姉様が目覚めたわたしに抱きつく。
「ミノト、ああ、ミノト……心配したわ。本当によかった……」
流すその涙は、本物に見える。
ゴコク様もいらっしゃった。
「まさか傀異化個体に出くわすとはな。まあ、命があっただけよかったわい」
わたしはまた目を閉じた。
意識の遠くで、二人の会話が聞こえた。
「じゃが、ドスフロギィの捕獲が上手くいったのは、不幸中の幸いじゃわい」
「あれくらい、大したことありませんわ。イソネミクニ討伐のついでです」
……なにか、違和感がある。
「それにしても。フィオレーネ様、だったかしら。私の猛き炎と随分と仲が良さそうなこと」
なんだろう、この違和感は。
「私達三人の大切な永遠。邪魔するなら、容赦しませんからね」
けれど私は、そのまま意識を失った。
今日の日記はここで終わり。
(一-六)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇五七】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
四月一三日
今日は晴れ。 朝靄がきれい。
傷がまだ癒えず寝ていたところ、夢でまた共鳴を見たので書き留めておく。
まず見えたのはお墓だ。
それと声が聞こえる。泣いている声だ。この声の主を知っている。
「ああああん、ああああん」
わたしは姉様となって、お墓に縋り付いて泣いているのだった。
「姉様」
「わたし」が姉様の後ろからそっと声をかける。
「姉様いけません。人はみな、いつか死ぬものですから」
「どうして」
姉様が「わたし」を見て訴える。
「どうしてみんな私を連れて行ってくれないの」
「わたし」は困ってしまって何も言えない。
「ねえ、どうしてよ。どうしてよぉ!」
悲痛な叫び声で目が覚めた。
頻発する共鳴──毎度ありありとした現実感で、慣れそうにない。
それにしても……いつの記憶だろうか。
五百年は生きてきた。
「見送ってきたこと」も、数知れない。
だから記憶の光景がいつ時点のものなのかはわからなかった。
姉様が居れば後は要らない。
そう割り切って生きるわたしと対照的に、姉様はいつまでも割り切れずにいた。
だから旅立たれる度泣いていた。何度も……何度も。
わたしはそれを、ただずっと後ろで見てきた。
また太陽のように笑ってくれる、それを信じて。
わたしにはそれ以外何も、出来ることはなかったから。
今日の日記はここで終わり。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇六四】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
四月二〇日
今日は晴れ。 空気がおいしい。
傷がだいぶ良くなってきたので、今日は外に散歩がてら空気を吸いに出た。
里のいつもの道を歩いていると、薬師のタドリさんが来ている。
珍しいお客様だと声をかけようと近づくと、姉様が側に居ることに気が付き、わたしはとっさに物陰に身を隠した。
──なぜ?それはわからない。
ただ、何を話しているのか、とても気になった。
タドリさんが何か説明している。
「……ですから……黒真珠……違うのです……」
黒真珠?わたしの中で何か引っかかる。
姉様が何かのモンスター素材を見せる。
「……通常の……ではありません……玉にその効果が……」
よく聞こえない。何の話だろう。聞きたい。
そう思って身を乗り出した時……
「ミノトさぁん!怪我、もうだいじょぶなんですかぁ?」
しまった。ヨモギちゃんが後ろから元気よく話しかけてきた。
「ミノト?」
姉様が鋭く反応する。
「あ、いえ……ひ、久しぶりに外の空気が吸いたくて……」
しどろもどろにわたしは答える。
「あの、タドリさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです」
「うわあ!きれい!これ、なんの素材ですか?」
ヨモギちゃんが目をキラキラさせて聞く。
が、すぐに姉様が遮る。
「なんでもありません。……ね?タドリ様」
野良アイルーの時と同じ、冷たい態度だ。
また「姉様らしくない」と感じた。
「それでは、失礼します」
手早く素材を懐にしまうと、足早に立ち去ってしまった。
「なんのお話を?」
姉様の姿が見えなくなったあと、タドリさんに尋ねてみる。
「申し訳ございません、内密に、とされております」
タドリさんがバツが悪そうに答える。
「妹のわたしにも、ですか」
どうしても聞きたいわたしは食い下がる。
「私も聞きたい!教えて教えて!️」
ヨモギちゃんも加勢する。
「あー……」
観念したかのように、タドリさんが頭をかく。
「ヨモギ様のお言葉とあらば……」
「……これは私の故郷、ツキトの都に伝わる、古い民話のひとつなのですが」
タドリさんが呟くように語り出した。
「人魚の肉を食べ、不老になった女性の物語がありまして」
その話、わたしも知っているはずだ……どこかで見た。
いつ、どこでだったかしら。……思い出せない。
「不老って?」
ヨモギちゃんが不思議そうに聞く。
「歳を取らなくなる、ということでございます」
タドリさんが答える。
「……姉様が、そのお話を聞きに?」
「いいえ、ヒノエ様はもうそのお話は知っておいでのようでして……以前、お持ちの素材がそうではないかご確認にきたことがありました」
「人魚の素材……」
わたしがそう呟くと、タドリさんが丸い宝石を懐から取り出した。
「……はい。これは、その時渡されたダイミョウザザミから採れる極上黒真珠です」
「うわあ、綺麗!」
ヨモギちゃんは女の子らしく目を輝かせた。
ダイミョウザザミ……
「はい。本来里の近郊には居ないはずのモノなので、どうやって手に入れたかはわかりませんが」
わたしはハッとする。
猛き炎がエルガドへ旅立つ直前、大社跡に現れたダイミョウザザミがいたはず。
たしかあの夜は……
「古い文献を調べた結果、これは物語に書かれていたものではなかったのですが」
そうだ、姉様の姿がみえなくなって、ダイミョウザザミの傍で見つかったのだ。
「……で、また新たに素材を持ってきた……と?」
「はい。今度はイソネミクニの素材を」
──姉様は、不老の素材を探している……?
「で?で?人魚のお肉だったの?」
ヨモギちゃんが食い気味に聞く。
「いいえ、先程お持ちになった素材では、不老の霊薬にはなり得ません。ただ……」
「ただ……?」
私とヨモギちゃんが同時に聞いた。
「……イソネミクニから採れる大竜玉に、その効果がある……と、文献には書いてありました」
「うわあ!」
ヨモギちゃんが感嘆の声を漏らす。
「いいなあ、私も不老不死になりたい!️」
「いえいえ」
タドリさんが遮るように否定する。
「あくまで物語の中でのお話です。文献も正確なものではなく、創作物に近いものでしたから」
「では……」
わたしは念を押すように聞いてみた。
「イソネミクニの大竜玉には、不老の効果はない、と」
タドリさんが困ったように答える。
「あー……そうと決まったわけではないのですが……何しろおとぎ話の中のこと。誰も試したことがありませんので」
そそくさと、薬の棚をしまい始める。
「今日のところは、ここまでで。ヨモギ様、ミノト様、失礼いたします」
「あーあ、不老の薬、見てみたかったなあ」
ヨモギちゃんが残念そうに漏らす。
「そうですね、わたしも、見てみたかったです」
そう言って、茶屋の前で別れた。
不老の霊薬。遠いツキトの都の昔話。
実在するのだろうか。
実在するとして、なぜ姉様が?
我々竜人族の寿命は、千年は超える。
そんな姉様に、なぜ不老の霊薬が必要なのだろう。
今日の日記はここで終わり。
……疑問は深まるばかりだ。
(二-一)
【抜粋 捜査記録四 日報〇六四】
記録者 エルガド王国騎士 カムラの里内偵 ロンディーネ
日報 八二五年 四月二〇日
エルガドに戻る。
普段は内偵としてカムラに入る身。
エルガドに戻ると王国騎士としての私に戻れる。
もっとも、浮かれた気分で戻ってきた訳では無い。
「姉上」
「よく来てくれた、ロンディーネ」
王国騎士団のリーダーを務める姉上が、嬉しそうに私を抱きしめる。
エルガドは現在、姉上を中心とした掃討部隊が展開し、作戦に当たっている。
専らキュリアによる傀異化したモンスターの掃討が主作戦である。
「かけてくれ」
作戦指令所に入り、末席に座る。
「傀異化した古龍だと?」
姉上が真剣な眼差しで聞き返す。
「はい、カムラの偵察部隊からそのような報告が……」
猛き炎は、黙って聞いている。
ガイアデルム討伐。
討伐は成功するもキュリアの猛威、依然止まらず。
当初は中型個体ばかりが被害を受けていた。
しかしここ数日発見されるは、一級の強力な個体ばかりである。
先に遭遇した傀異化した「怨嗟響めくマガイマガド」には、私では全く太刀打ち出来なかった。
猛き炎が居なかったならば、今日私はこの日報を書いていなかったであろう。
そして今知らされるは古龍傀異化の情報である。
詳細不明ではあるが、通常の傀異化とも違う可能性すら有り得るとのことだ。
もしも襲来があれば、私では猛き炎をお守りすることさえ叶わぬかもしれぬ。
「……どんな相手が来ようとも」
その猛き炎が口を開く。
「王国を守る。それだけだ」
「彼が居ると、作戦司令所に明かりが灯ったかの様だろう?」
エルガドを散策する傍ら、姉上が誇らしげに言う。
「彼が発する言葉一つ一つが、勝利する為の勇気を皆に与えるのだ」
まだ作戦司令所に残る彼を見る目は、大変嬉しそうである。
「もちろん、この私にも」
姉上は、恋をしているのだ。
色恋に疎い私ですらはっきりとわかる。
姉上は、猛き炎を好いている。
自覚はない様子だが。
「ええっ、今度は古龍ですかぁ!」
姫君はたいそう驚かれ、声を上げる。
「はい。……ですが、ご心配には及びません。我らには猛き炎がいらっしゃいます」
「チッチェは心配です……猛き炎やフィオレーネ様に何かあったら、チッチェは、チッチェは……」
眼鏡の奥のその瞳は、涙を浮かべられておられるご様子である。
「猛き炎は、姉上がお守りくださいます……そして姉上は、私が命をかけて守る所存でございます」
私に述べる事が出来るのは、ありきたりな言葉だけである。
──そのありきたりな言葉を守ることすら、最近では難しくなってきているのがもどかしいのであるが。
「おや、今日も休みか?」
姉上が立ち止まって呟いた。
ミネーレの加工屋である。
見ると、確かに誰もいない。
タタラの火も消えている様子である。
「以前から防具の傀異錬成をお願いしたいと思っているんだが」
「前から休んでいるのですか?」
「ああ、ここ最近はどういう訳か……」
「あら、フィオレーネ様、ロンディーネ様」
突然、後ろから声をかけられた。
あまりの驚きに、振り返りざま剣を抜きそうになる。
──なぜここに。
その女は乗ってきた船にはいなかった、そのはずである。
「ヒノエ殿」
二人同時に声を上げる。
姉上も同じ事を考えているようである。
「うふふ。どうなさったの。まるで狐につままれたようなお顔をなさって」
「……失礼、今日貴女がいらっしゃるとは聞いていなかったもので」
数瞬、返事が詰まっていた姉上も、平然を取り戻して返した。
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか。私の猛き炎のお顔、たまには拝見したいものですわ」
そう言うとその女は私達が居ないかのように、笑顔のまま平然と作戦指令所に向かって歩き出したのである。
「私の?」
姉上が問いただした。
「確かに猛き炎は、カムラの里を百竜夜行の災禍からお守りになった」
ヒノエがピタリと歩みを止める。
「だが今や、王国の民やエルガドの皆にとっても……そして私にとっても、必要な人間だ」
ヒノエは背を向けたまま動かない。
「貴女だけのもの、ではない」
姉上も動かない。
いったい、この女は何を考えているのか。
──長い長い沈黙が流れる。
「あ、ヒノエさん、ごきげんよう!」
沈黙を破ったのは姫君である。
「チッチェ姫様、ごきげんよう」
先程の沈黙が嘘のような優しい声で、ヒノエが答える。
「茶屋で新しいお団子ができたみたいですよ!一緒に食べに参りませんか?」
「いいえ、今日はクエストを受けに参りました。イソネミクニのクエストはございますか」
二人はクエストカウンターに向かって歩いていく。
「全く、あの方も困ったものだ」
姉上は二人を目で見送ると、そう一人呟いた。
「猛き炎は皆の英雄。誰かの所有物ではないというのに」
「本当ですね」
私も苦笑い気味にそう返した。
それにしても、何のために密航まがいの事をしてまでエルガドへ訪れたのか。
来たことを知られたくない理由でもあったとでも言うのだろうか。
ヒノエ。
カムラの里の受付嬢にして里一番の守り人。
そして、我らの英雄の母親代わりを務めた竜人族の女。
一体、どれが本当の顔であろうか。
いつかきっと、本当の顔を見せてくれるであろう。
私はそう信じている。
本日はここで筆を置く。
(二-二)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇八二】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
五月八日
今日は晴れ。 お空がきれい。
春も本番、暑い日が多くなってきた。
カムラの里はいつも通り。何も変わらない漫然とした時間が流れている。
集会所に来ている依頼も、簡単なクエストが二つのみ。
そのクエストを、新人が迷っている。
「アオアシラの捕獲にするか…ブナハブラ十匹の駆除にしようか…ああ、アオアシラは怖い…けど、ブナハブラは嫌いだ…どうしよう」
自然とため息が出る。
この青年に、じゃない。
……あの人がいない。
その人は今、遠く離れた異国の地で、他の国の人の為に戦っている。
正義感も責任感も強い人だから。
他の国のこととはいえ、困っている人を見て放っておける人じゃない。
今の里は平和そのものだ。何も困ってはいない。
そのことがあの人を遠ざけている気すらした。
「……私達三人の永遠まで、取り上げるの?」
ふと、姉様が呟いた言葉が蘇える。
わたしが大社跡の崖から落ちる直前、そう呟いた。
永遠……遠いツキトの都の、古いおとぎ話。
そして姉様が求める、不老。
姉様の言う三人の永遠とは、誰を指すのだろうか。
「これにします!」
青年がアオアシラのクエストを選んだ。よほどブナハブラが嫌いと見える。
恐る恐るクエストに出発した新人を見送って、わたしは茶屋に向かった。
「あら、ミノト。ごきげんよう」
姉様が優しく答える。手にはいつものうさ団子。
いつもの姉様だとわたしは心からホッとした。
カムラの里が平和なこと。最近仕事に身が入らないこと。新人のこと。
他愛もない、わたしの言葉を一つ一つ拾ってくれて、頷いて、同意して、時にはわたしの頭を撫でて、聞いてくれた。
やっぱり、姉様は太陽だ。
あの人の、里の皆の、そしてわたしの。
皆に愛され、皆を愛する、わたしの自慢の姉様だ。
「ミノト」
団子を食べ終わった姉様が言った。
「あなたのこと、何でもわかっちゃうの。何でもよ」
そう言うとまたあの日のように私の唇に口付けをして、席を立った。
気がつくと結局、わたしは聞くことを忘れていた。
姉様の気持ち。──不老の霊薬のこと。
でも、それでもいいのかもしれない。
今、カムラの里も姉様も、平穏だ。何も変わらない。
きっとそうだ。
不穏をわざわざ持ち込む必要は無い。
今日の日記はここで終わり。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇八三】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
五月九日
今日は晴れ。 朝日が眩しい。
今日もまた共鳴を見たので、なるべく正確に書き残そうとしている……つもりだ。
ここはどこだろう。里のどこかだとは思うけれど、自室じゃない。
天井を見ている。どこかの空き家のようだ。
「あなたのこと、何でもわかっちゃうの」
声の方を見る。赤毛の女の子が、こちらを見て話しかけている。
「何でもよ」
よく見ると、その子も姉様も、何を着ていない。
わたしは顔が真っ赤になりそうだが、姉様の心は冷たく、暗い。
「どうして、こんな私の事をそんなにいつも……」
目を逸らす姉様の顎を、女の子が唇ごと奪う。
「ん……」
柔らかい感触と吐息がして、甘い──とても甘い香りが口の中に広がる。
「だって、秘密を分け合う絆で結ばれてるじゃない」
唇を離して、女の子が見つめる。真っ赤で、燃えるような緋色だ。
「あたし達の永遠、のね」
目を覚ます。心臓が飛び出てしまうくらい高鳴っている。
何度も見てきたからわかるけれど、これは夢などではなく、間違いなく姉様の記憶だ。
けれど、姉様のこんな一面、まったく知らない。
あの子は誰?秘密を分け合う二人?あたし達の永遠?なんのことだか一つもわからない。
だいたい、女の人同士であんなこと──
書くのが恥ずかしくなってきた。
今日の日記はここで終わり。
(二-三)
【抜粋 捜査記録五 手紙〇一】
記録者 不明
(くしゃくしゃに丸められたような跡がある)
あたしの大切なヒノエさんへ
突然のお手紙
お許しください
あたしが里を出てから
もう何年経つでしょう
あなたを初めて見かけた時の
あたしの胸の高鳴りの激しさときたら
表す言葉が見つかりません
あなたと初めて肌と肌を重ね合わせた時の
甘い甘い時間の幸福感の大きさときたら
表す言葉が見つかりません
里を離れる時が来て
あなたから頂いた大切な絆の強さときたら
表す言葉が見つかりません
もう二度と会えないかもしれない
秘めた想いを胸に修行に励むことの苦しさときたら
表す言葉が見つかりません
あの日
エルガドで影からあの人を見守るあなたを
見つけた時の嬉しさの高まりときたら
表す言葉が見つかりません
あたしの心に
また火がついた時のこの衝動ときたら
もう
抑えることができません
覚えていますか
あの日
泣いていたあなたに声をかけた
あの場所を
伝えたい想いがあります
今夜
そこで待っています
■■■■より (上から墨で塗りつぶされている)
【抜粋 捜査記録六 走り書き〇一】
記録者 不明
必要素材
カムラチケット×一〇
堅竜骨×六 (上から線で消されている)
迅竜の上黒毛×三 (上から線で消されている)
天狗獣の上腕羽×三 (上から線で消されている)
蛮顎竜の上鱗×三 (上から線で消されている)
泡立つ上滑液×二 (上から線で消されている)
人魚竜の微睡み粉×二
グラシスメタル×二 (上から線で消されている)
ノヴァクリスタル×二 (上から線で消されている)
獄炎石×二 (上から線で消されている)
(下に小さく走り書きがある)
カムラチケットの発券方法は?
イソネミクニの素材は別個集めること
ウィッグをどうにかしなきゃ
(走り書きはここで終わっている)
(二-四)
【抜粋 捜査記録二 証言〇二】
証言者 カムラの里 ハンター(三年目) ■■■■
記録者 エルガド 王国事件担当捜査官
※ハンター氏名については修正済み
(記録開始)
──では記録を始めます。あなたがアイルー密猟の調査を担当するまでの経緯をご説明ください。
おう。
俺ァハンターとしちゃまだ新入りくらいだろうけど。
こう見えてあの猛き炎と一緒に百竜夜行に参加して、ヌシ討伐の力になれたりして、大分自信がついてきてたんだ。
もうリオレイアくらいなら一人で討伐できるしな。
だから、アイルーの密猟の調査なんて……
それこそ、この前入ったばかりで怨嗟響めくマガイマガドに会った、アイツに任せておけばいいと思って言ったんだ。
「新入りがやることだ、俺がやるには簡単すぎる」ってね。
──はじめは拒否した?
そうよ。
まあ、嫌って訳じゃあないんだが。
新入りにやらせてあげた方がアイツの為になるって。
けどアイツなんて言ったと思う?
「アイルーが狩られた現場なんて可哀想で見たくない」ってよ。
そりゃあ、ここじゃアイルーは狩っちゃいけない相手だがよ、他所じゃ平気で狩ってるんだよな。
あんまり情けないんで、仕方なく引き受けたんだよ。仕方なく、な。
──仕方なく引き受けたんですね。
ああ、まったくだぜ。
まあ、でもやるからには命張る気でやってやろうって、ミノトさんとこから受注したよ。
──現場は大社跡でしたね。到着して、何か気になることはありましたか。
いいや、特に何も。
他所からハンターが来てると、すぐわかるんだよな。
ベースキャンプじゃない所で火を炊いた痕跡があったり、寝泊まりした形跡があったり。
そういうのは、なにもなかった。
変だと思ったんだ。
他所からハンターが出向いてくるような時ってのは、大物だったり古龍だったり、大抵そういうのが居たりするもんなんだよ。
でも、ミノトさんからは何も聞かされなかったし、実際大型モンスターがいるような雰囲気はなかった。
「なにも気になることがない」ってことに、違和感を覚えたのは事実だな。
あれ、に気づくまでは。
──あれ、とはなんでしょう。
血痕だよ。
竹林の中で気がついた。
こう見えて、並のハンターくらいには鼻が利くんでね。
竹林の中に入ってすぐに気がついた。
血の量からして斬られたのは一匹……
ただ、足跡は三匹……四匹はいないな、足跡は三匹分あった。
──狩られたアイルーの他にもう二匹いたのですか。
ああ、間違いない。
一匹の足跡じゃあなかった。
三匹いっしょになって逃げていたみたいだ。それを……
──続けて。
……すまない、思い出すと胸がムカムカする。
三匹のアイルーを……執拗に追いかけていたようだ。
たぶん、出血量からして、初撃で致命傷になるくらい深い傷だったんじゃないかな。
それなのに必死で逃げるほど、何かを怖がっていたみたいだ。
それから少なくとも二回は斬られていたな。
三回目切られた時、力尽きたようだった。
──ちょうどそこが発見場所になったんですね。
ああ。……無惨なモンだぜ。
背中に三箇所も斬られたアイルーが、そこに転がってた。
──なんの武器で斬られたか、わかりましたか。
おう、わかったぜ。
斬撃系の武器で、大剣や太刀みたいな重くて深い傷じゃなかった。
ありゃあ、片手剣だな。
アイルーが三箇所も斬られて生きてたんだ、狩ったハンターは片手剣使いで間違いないと思う。
──他になにか気になったことはありましたか。
傷が背中に集中してた。
何か見て、逃げた時に斬られた、って感じだった。
──他の二匹は見つけられましたか。
ああ。
死体を調べていたら、後ろから声がしたんだ。
拙いし、震えてたが、アイルーの声だった。
振り返ると、アイルーが一匹震えてやがる。
俺はビビらせないように、誰がやったか聞いた。
──なんと、答えたのでしょう。
……正直、よくわからなかった。
震えていたし、にゃーにゃー泣いてばかりだったし。
「おちつけ、もう怖くない」
そう言ったんだが、距離を縮ませてくれなかった。
あと一歩話を聞こうと近づいた時、逃げられちまった。
──もう一匹のアイルーは、どうしていましたか。
……影にかくれて、何かぶつくさ言っていたよ……
──なんと、言っていたのでしょう。
……
──■■■■さん?
……ヒノエさんから、赤い悪魔が出てきた、と。
──赤い悪魔が出てきた……?
よくわからねえ。
そいつもすぐに逃げちまったからな。
でも、確かにそう言っていた。
──■■■■さん、あなたはギルドにそのことを報告しなかった。何故ですか。
ありえねえって、思ったからな。
ヒノエさんは片手剣を使わねえしなにより……
そんなことをするお人じゃねえ。
「赤い悪魔」ってのもよくわからねえしな。
ビビったアイルーが見た、何かの勘違いだと。
そう思うことにして、掟を知らない他所のハンターの所業として里には報告をあげたよ。
──わかりました。本日はここまでといたしますが、何か他に伝えたいことはありますか。
ヒノエさんは、逃げ回るアイルーを殺すようなことはしねえ。
彼女は里の太陽だ。いつも明るくて優しいお人だ。
……それだけは、言っておきたい。
──わかりました。本日はありがとうございました。
(記録終了)
(二-五)
【抜粋 捜査記録五 手紙〇二】
記録者 不明
あたしの大切なヒノエさんへ
あなたと抱き合い 溶け合った
あの雨の日が忘れられません
別れのあの夜
あなたがあたしにくれたのは
あなたの「心」そのもの
あの時あたしは
初めてあなたとひとつになれた
なんでも言って
あたしはあなたのためなら
永遠のためなら
なんでも出来る
邪魔するものはどんな小さなものでも
ゆるさない
必要ならあたしの命も
よろこんで差し出すわ
あたし達三人の永遠のため
■■■■より (上から墨で塗りつぶされている)
追伸
ヒノエさんが不在の間
例の情報が聞けました
必要なのはイソネミクニの大竜玉です
工房の在庫にないか
帰国したらすぐ確認します
【抜粋 捜査記録三 手記あ-〇九三】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
五月一九日
今日は大雨。 恐ろしい予感。
ここ百年で一番の危機が里に迫っている。
カゲロウさんがそう伝えてきた。
里は今、厳戒態勢に入っている。
そんな中、わたしにとっていちばん起きて欲しくないことが起きてしまった。
これから捜索隊が出発する。わたしも同行する予定だ。
今も頭は混乱してる。けど、そばに猛き炎がいてくれる。
今のわたしにはその存在が本当に救いだ。
捜索隊の出発が近い。
今日の日記はここで終わり。
……姉様、どうかご無事で。
(三-一)
【抜粋 捜査記録二 証言〇一-二】
証言者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
記録者 エルガド 王国事件担当捜査官
(記録開始)
──では記録を始めます。ミノトさん、あなたが姉であるヒノエさんが事件に関わっているのでは、と考えるに至った経緯をお話ください。
はい。
里の人間は皆が口を揃えて言います。
姉は「太陽のような人だ」と。
里の全ての人間から愛され、そして同じように皆を愛している。
里には無くてはならない人だと。わたしも、そう思っていました。
──でも、そうではなかった?
いえ。
本当は今でも、そうであって欲しい、そうに違いない。
半分はそう思っています。
ですが姉と接すれば接する程、ある疑問を感じるようになっていきました。
──どのような疑問でしょう。
うまく言えないのですが……姉が姉でなく感じる時があるんです。
──ヒノエさんが、ヒノエさんでない?
……はい。
以前から、姉に対して小さな違和感を感じることがありました。
それは事件までの日々の中で、徐々に徐々に積み重なりやがて溢れていきました。
「姉に成り代わっている人がいる」
全部がそうではないのかもしれないけれど、そう考えると自然と合点が行くことに気がつきました。
──ヒノエさんに成り代わっているとしたら、それは誰だと思いますか。
それは……まだ確証が持てません。心当たりはあるんですが……
──それでも結構です。教えてくださいませんか。
……申し訳ございません。
色々と有り得ないことも起こっていて……うまく言葉に出来ません。ご勘弁を……
──質問を変えます。ヒノエさんとその人物が、今回の事件に関わっていると考えているんですね?
はい。
──事件の首謀者だと思っていますか。
わかりません。
でも、姉は手に入れた、と言っていました。
──手に入れた?
はい。
「永遠を手に入れた」
そう言っていました。
──永遠。どういう意味でしょう。
それが……わからないのです。
けれど事件があった日。確かに聞こえたんです。
奪われた……
「私達の永遠が奪われた」、と。
(記録終了)
(三-二)
【抜粋 捜査記録四 日報〇九四】
記録者 エルガド王国騎士 カムラの里内偵 ロンディーネ
日報 八二五年 五月二〇日
困難な二日間であった。
様々な名状しがたい事案が、立て続けに起こったのだ。
今現在、頭の中を整理しながら記録している。
時系列順に書き記していきたいと思う。
昨日 八二五年 五月一九日
アマツマガツチがカムラの里近郊に出現との報告を受ける。
カムラの里は王国と同盟関係。
猛き炎と姉上が緊急でエルガドからカムラの里に派遣され、到着する。
里に迫る最大の危機を前に、姉上との再会を喜ぶ暇もなく、皆、集会所に集まった。
集会所では、フゲン氏、ゴコク氏を中心に討伐部隊の選定が執り行われた。
主戦力は我らが猛き炎である。盟友には姉上とウツシ氏が選ばれた。後方部隊として里守達が総出で支援にあたる。
磐石な布陣である。姉上も参戦し、なにより我らが猛き炎が控えているのだ。
アマツマガツチの恐ろしさは未知数だが、この戦力であれば討伐も夢物語ではないと確信できる。
事態は、アマツマガツチ誘導作戦会議の場で起こる。
現在、当該個体は寒冷群島で確認されている。
それを、里からより離れた獄泉郷に誘導するのだ。
主力は我らが猛き炎。
別働隊も組織せねばならない。
「聞いて!みんな聞いて!」
一人の女が、叫びながら突如として集会所へ駆け込んできたのだ。
「お願い!お願い、助けて!」
「……ミネーレ?」
姉上が驚きを隠しきれない様子で名を呟いた。
それも無理は無い。
信じ難いことに、エルガドの加工屋ミネーレが、カムラの里の集会所で、赤毛を振り乱して錯乱しているのだから。
「ヒノエさんがっ!ヒノエさんがっ!」
一同全員、事態を飲み込めずにいる中、ミネーレひとりがパニックに陥っているのだ。
「待って、落ち着いて」
ヒノエの名前を聞いたミノトが駆け寄ってミネーレの両肩を掴んだ。
「姉様が、どうかされたのですか?ミネーレさん?……ミネーレさん!」
狂ったように泣きわめいていたミネーレも、少しづつ落ち着きを取り戻す。
「ひっく……さんが、群島に……ひっく」
「……え?」
「ヒノエさんが、寒冷群島に……」
集会所が騒然となる。
寒冷群島。……今まさにアマツマガツチが暴れている、その場所なのだから当然だ。
「そんなわけありません!」
ミノトが悲鳴をあげるかのように否定する。
「姉様は、先程まで私たちの自宅にいらっしゃって……!」
「……いいえ、違うの」
震えながらミネーレが首を振った。顔面は蒼白だ。
「今は……寒冷群島にいるの……」
「俺もさっき居たのを見たぜ!」
里の若いハンターがミノトに賛同する。
集会所が再びざわめく。
里でヒノエを見たという声がそこかしこから上がったからである。
「違うの!お願いみんな、信じて!」
ミネーレが涙を流しながら里の者達に訴えかける。
「ヒノエさんは今、寒冷群島にいるのよ!あたしにはわかるの!」
そう言うと、力無く猛き炎の前に倒れ込んだ。
「猛き炎さん……お願い。信じて……」
皆の視線が猛き炎に向いた。
力無く床に伏せるミレーネを見て、我らが猛き炎が口を開いた。
「……それが本当ならば」
皆の注目を背負った英雄が立ち上がる。
「一刻の猶予もない。行こう」
捜索隊の編成は速やかに行われた。
猛き炎を中心に、盟友として姉上、私が選抜された。
ミノトが挙手する。
自身の姉のことだ。満場一致で同行が許可された。
ここで再び集会所がざわめいた。
ミネーレが挙手をしたのだ。
「いやいやいやいや、お主、加工屋だろう」
当然の様にゴコク氏が遮る。
「お願い、あたしを連れて行って!」
それでもミネーレは食い下がった。
「ヒノエさんのいる場所なら、わかるから……!」
ミノトが目を丸くしているのがわかる。私もそうだからだ。
それ位、乱入してからのミネーレの言動・行動はおかしな所ばかりなのだ。
「……それに、片手剣くらいなら使えるから……」
「どこにいるか、見当がつくんだな?」
フゲン氏が、念を押すように聞く。
ミネーレは頷いた。
「それならば、同行を許可する……ただし。皆の者の理解が得られるよう、後ですべて説明してもらうぞ」
こうして、行方不明であるヒノエの捜索隊は結成され、夕刻遅い時間に出発したのである。
(三-三)
今日 八二五年 五月二〇日
ヒノエの捜索は絶望的な状況下で強行された。
寒冷群島到着前から雪は強まり、群島全体はブリザードに覆われていたのである。
捜索隊も出来うる限りの重装備で赴いたが、吹雪で数メートル先も見えない状況。猛き炎ですら、その歩みは重たい。
群島のキャンプに着く頃には、日を跨いでいた。
「一旦休もう!」
姉上が皆に号令を出す。幸い、テントはまだ壊されてはいなかった。
我々捜索隊は、中に入り暖を取った。
テントの中は暖かかったが、重い空気に包まれていた。
凄まじいブリザード。いつ襲い来るかわからないアマツマガツチ。
もう、手遅れなのでは。
誰も口を開かないが、誰もがそう考えていたに違いなかった。
ふとミノトを見ると、何かを探しているかのように辺りを見回していた。
「……あの、ミネーレさんは……」
全員、テントの中を見回す。
──しまった。
はぐれたかと思い、慌てて数名で外に出た。
が、ミネーレはテントのすぐ傍にいた。
どこを見ているのか、背中しか見えない。
「ミネーレ、寒さが危険だ。テントへ入るんだ」
姉上が声を掛けるが反応がない。
「……」
吹雪でよく聞こえないが何かを呟いているようである。
「ミネーレ!」
姉上が肩を掴む。
ミネーレは振り返るが、その虚ろな表情を見て、姉上も私も驚嘆する。
右目が、光っていた。
「ミレーネさん、その目は……なぜ」
ミノトが絶句する。
「だいじょうぶ」
その女は涙を流し、そして笑った。
「大丈夫よ。ヒノエさんは生きてるわ。わかるの。伝わるの」
それからは、ミネーレが捜索隊の先陣を切って歩いた。
正直、何処をどの方向に歩いているかすらわからない猛吹雪である。
だが不思議なことに、ミネーレの足取りはヒノエがどこに居るのか予めわかっているかのようだった。
疑問は山積みだが、手がかりは先を行くミネーレのみである。従うしかなかった。
こうして我々は、普段ならガルクで数分の道のりを、数時間掛けて歩いた。
「あそこよ!」
薄ぼんやりとだが見える洞窟の入口を指さし、ミネーレが走り出す。
ふと、何者かの気配がした。
同時に猛き炎が電光石火の勢いでミネーレの前に飛び出した。
ごおっ。
凄まじい圧力の風の塊が、大剣によって分断され、我々の横を掠める。
「アマツマガツチ!」
嵐の権化。水と雷を司る古龍を前に誰もが叫んだ。
ミネーレが、慌てるように鉄鉱石で出来た片手剣を構える。
「フィオレーネっ!俺と来い!あとの皆は、ヒノエを!」
猛き炎がそう叫ぶや否や、姉上が蝶のように飛び上がる。
「ミネーレ、行くぞ!」
不慣れな手つきで片手剣を構えるミネーレも、ハッとして私に続いた。
洞窟へ急ぐ私達の背後で、嵐の古龍が咆哮する。
私達が着くのとほぼ同時に、洞窟の入口は崩れ落ちたのだった。
洞窟の内部は、外のブリザードが嘘のように静かである。
周りを見渡す。ミノト、ミネーレ、私…よかった、全員無事のようだ。
「こっちよ」
ミネーレが先導する。
明かりに照らされた洞窟は青一色だったが、何か気になった。よく目をこらすと、違和感の正体に気がついた。
……血だ。
人間のものではない。モンスターの血痕が洞窟の奥まで続いている。
そしてそれをなぞるかのように、ミネーレの先導が続いた。
血痕の間隔が短くなっていく。
いったいどれくらい進んだであろうか、冷たい洞窟の奥底にそれはあった。
「姉様!」
「ヒノエさん!」
ミノトとミネーレが同時に叫んだ。
それはまさに、異様としか言いようがない光景であった。
巨大なイソネミクニが体を横たえ、息絶えている。
その体に抱かれるようにして、ヒノエが眠っている。その顔は氷に包まれ、青白く、生気がない様子である。
「ああああっ、ヒノエさんっ!」
駆け寄ろうとするミノトを突き飛ばし、ミネーレがすがり付く。
まるで母親を見つけた迷子の子のように。
「待ってて、今あたしが!」
生命の粉塵を撒いたのだろう、辺りがほんのりと明るくなる。
そして、ヒノエの顔色も少しづつ良くなってゆく。
「ん……あら、愛するミネーレちゃん。来てくれたのね」
まるで昼寝から起きたかのような穏やか声で、その竜人の女は目を覚ました。
「うん、あたしのヒノエさん……お迎えにきたよ……さあ、帰ろう……」
「ほら、見て?やっと……やっと手に入れたのよ」
そう言うと、手のひらに握っていた宝玉を見せたのだ。
「ああ、遂に。遂に手に入れたのね……」
ミネーレの右目と、ヒノエの左目が同時に強く光った。
「これで三人の望みが、永遠が、手に入るのね」
頬を寄せ合う二人は、同時に呟いた。
ミノトはその光景を、まるでおぞましいものを見るかのような目付きで、ただただ呆然と見ていたのであった。
アマツマガツチは猛き炎と姉上が撃退し、寒冷群島は明け方には平穏を取り戻していた。
洞窟のさらに奥は別の出口に通じており、私達は外に出ることが出来た。
そのまま、第二部隊の捜索隊に程なく救助され、無事、カムラの里に生還することが叶ったのであった。
怒涛と波乱に満ちたこの二日分の日報は、ここで筆を置く。
(三-四)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-一〇六】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
六月一日
今日は雨。 心も灰色の空。
アマツマガツチは、翌日に猛き炎によって獄泉郷にて討伐された。
危機が去った里では宴が開かれた。
皆、心の底から喜んでいる。わたしも少し、お酒を飲んだ。
それから十日あまり経った。
里は平穏そのもの。めぼしいクエスト依頼もない。
姉様も、普通だ。
いつもの太陽のような笑顔。むしろあれからとても機嫌がいい。
その笑顔が、里の皆に活力を与えている。
それなのに……ううん、それだからこそ、ある予感で胸がざわめく。
なにか、良くないことが起ころうとしている……
ミネーレさんは、結局あれから姿を消してしまった。
フゲン様との約束も果たさぬまま……
それに、加工屋といえば、人と人を繋ぐ街の要。
エルガドでも、不安は広がっているに違いない。
何より……あの夜のことが分からずじまいになってしまった。
なぜ、姉様と共鳴出来ていたのか。
「三人の永遠」とはなんなのか。
ふと、雨の中、傘もささず里の門の外へ向かう姉様を見た。
「姉様!」
呼び止めようとしたのに、気がついてくれない。聞こえてないのかしら──
「ねえさ……」
「ミノト?」
後ろから聞き慣れた声がする。
「どうかしたかしら?」
わたしの後ろから姉様がこちらを覗く。
……里の門へ目をやる。
門から出ようとしてた「姉様」はもう見えない。
「ああ、いえ、なんでも……」
曖昧に答えるわたしを他所に、姉様はいつもの他愛もない話を始める。
今日は雨だから草花が喜んでるわ。
茶屋の新しいうさ団子は絶品ですよ。
新米ハンターさんが里のクエストを受けていきましたよ……
「あの、姉様」
聞かなくてはならない。このまま「いつもの」会話で終わらせる訳にはいかない。
「なあに?ミノト」
「あの夜、ミネーレさんと話していたことですが」
姉様はにこにこしている。まるで全部を知っているかのように。
「永遠とは、なんですか?三人の永遠とはなんなのですか?なぜ……ミネーレさんと共鳴できていたのですか?」
矢継ぎ早に疑問をぶつける。
聞くのは怖かったが、聞かないでいることにわたしはもう耐えられなかった。
「ごめんね、ミノト。あの晩のことは、よく覚えてないの」
いつもの太陽のような笑顔。
困った様子すら見せない。
──頭がどうにかなりそうになる。
おかしいのは、わたしなのだろうか。
「いいえ、姉様。確かにそうおっしゃってました。どうして……」
「ミノト」
姉様が笑顔で遮る。
「覚えてない、の。悪いわね」
そのまま、姉様は話を切り上げ、雨の中どこかへ行ってしまった。
ふと、ある感覚を覚えてしまった。
……姉様……ではない……?
ほんの僅かな違和感が積み重なり姉様を覆い隠し、もはや姉様をなぞった別の誰かと話しているかのようにしか感じられなかった。
自分の中の不安や焦りと、姉様の反応が、あまりに食い違っている……
そう感じた。
雨はいつの間にか本降りになり、昼間なのに空は真っ暗。
何か、とてつもないことが起きてしまう。
それなのに、わたしには何も出来ない。
誰か、知っていたらわたしに教えて欲しい。
今、カムラの里で何が起こっているのか、を。
今日の日記はここで終わり。
【抜粋 捜査記録一 新聞八二五年六月四日】
発行元 王国 国営通信
続報 王国騎士死亡 加工屋経営者行方不明か
三日、城塞高地にて王国騎士フィオレーネ氏が死亡しているのが発見されたエルガドにて、加工屋を営むミネーレさんの捜索願いが出されていたことが、本日捜査機関への取材で明らかになった。調査隊はミネーレさんが行方不明になっているものとして、死亡事件と因果関係があるか、継続して捜査にあたっている。
(三-五)
【抜粋 捜査記録二 証言〇一-三】
証言者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
記録者 エルガド 王国事件担当捜査官
(記録開始)
──永遠が奪われた……気になります。まずは事件のあった日のことをお聞かせください。
はい。
あの日、昼間は特に何もありませんでした。夜遅く、日付が変わる頃……
目が覚めました。夢を見たんです。
とても……怖い夢でした。
──夢、ですか。
……いえ。共鳴、でした。後から気づいたのですが。
夢だったらどんなに良かったか。
──前に話して頂いた、強制的に他者へ働きかける、感情と記憶の共有のことですね?
はい。私達竜人族の姉妹に備わる、感情と記憶を共鳴させる能力です。
あの夜見たものは、間違いなく共鳴でした。ただ、余りに恐ろしいものでした……
──詳しく聞かせてください。
姉様は床に伏せていました。
目の前に、何か……紫色の水が零れていたんです。
視線をあげると、フィオレーネさんがすごい剣幕でこちらを怒鳴っていました。
そんな中、床に零れてしまった水をかき集めながら、姉様の心は怒りと、嫉妬と、憎しみに満ちていきました。
そして最後に、フィオレーネさんが言い放ちました。
「お前は哀れだ」と。
その時、感情が爆発しました。
姉様は近くに置いていた自分の狩猟笛を手に取り、それで思い切り……
──続けて。
思い切り、フィオレーネさんを殴りました。
後ろを向いていたので、とても容易く……何度も、何度も。
夢中で狩猟笛を振り下ろして……
そこで目が覚めました。
──随分鮮明に覚えていますね。
はい。
自分でもびっくりするくらいでした。
ひどい夢を見た、と。
あまりの生々しさに、心臓が早鐘のように鳴っていて、信じられないくらい汗をかいていました。
喉がとても乾いたので、水を飲みに土間の水瓶まで行こうとして……
その時気がついたんです。
隣に寝ていたはずの姉がいないことに。
──以前の記録だと、その日はずっとヒノエさんと一緒に居た、とおっしゃっていましたね?
……はい。だから、初めは共鳴だったと気づかなかったんですが……
姉様は眠れなくて外の空気を吸いに出ているのかと。
そう思ってわたしも外に出ました。
でも、姉の姿は中々見つけられませんでした。
徐々にわたしは、あれが夢などではなく共鳴なのではないかと思い始めておりました。
焦り始めた私は、雨の中、駆け足で里中を探しました。
それで里の門の近くまで来た時、声が聞こえたんです。
──ヒノエさんの……?
はい。
わたしは気配をなるべく消して、声のする方へ歩いていきました。
声は門の近くの茂みから聞こえていました。
丁度以前、野良アイルーを見かけた辺りでした。
──どんなことを言っていましたか。
「失敗した」
「三人の永遠が奪われた」
「もう残り一人分しか」
「わかりました、あとはあたしが」
そんなようなことが聞こえてきました。
聞こえてくるのは姉の声だけなのに、まるで二人分の会話が聞こえているかのような印象でした。
──実際に二人、いたのでしょうか。
そうなのかもしれません。
以前だったらそんなこと否定していたでしょうけれど。
ここ最近は、そう考えてもおかしくない、と思ってしまうんです。
──先程言っていた、ヒノエさんの成り代わり……ですか。
……はい。「その人」と話をしていたのでは、そう考えています。
──話を最後まで聞けましたか。
最後まで聞けたか、それはわかりません。
なにしろとても小さな声だったので。
でも会話がやんだ後、茂みから姉が出てきました。
──一人でしたか。
はい。
姉一人でした。
「あら、ミノト。どうしたの?そんな所で」
と、私を見ても驚く様子もなく言いました。
いつもの優しい、姉の顔でした。
でも何か、とても疲れている……そんな印象を持ちました。
──どちらの「ヒノエさん」だったか、わかりますか。
たぶん……本物だったんじゃないかと思います。
以前感じた小さな違和感を感じなかったので。
……信じたくありませんが。
──なぜ、信じたくないのでしょう。
血が付いていたからです。
持っていた狩猟笛に、べったりと。
(記録終了)
(三-六)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-一〇九】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
六月四日
今日も雨。 恐ろしい予感。
雨のせいか、夕べ見た光景のせいか……それとも、あの血糊のせいか。
朝早くに目覚めたけれど、ほとんど眠れなかった。
夕べ。雨の降る夜。里の門近く。
「姉様、その血は……いったい……?」
「あらぁ?何かしら、これ」
姉様はまるで服にご飯粒でも付いているかのように不思議がっていた。
「きっとモンスターのね。あとで洗っておくわ」
穏やかに微笑み、私を撫で、唇に口付けた。
降りしきる雨。
狩猟笛にべったりと付いた血の、生臭い匂い。
薄明かりの下で、女神のように穏やかに微笑む姉様。
血が通ってないかのような、白くて美しい華奢な手。
甘い吐息と柔らかい唇。
全てがちぐはぐで、何もかもがおかしくて。
恐ろしい予感に胸がかき乱され、心臓が破裂しそうになるのを必死に堪えて……
気がついたら朝になっていた。
歌声がする。
どこからか探ると、土間からのようだ。
見ると、武器のお手入れをしていた。
鼻歌を歌いながら。
「あら、おはようミノト」
いつもの姉様だ。太陽のように優しい歌声。
わたしの大好きないつもの姉様だ。
そうだ、わたしの大好きな姉様は、こうやっていつも毎朝歌っていた。
竈門にはお鍋が置いてあって、お味噌汁の匂いがしている。
そうだ、わたしの大好きな姉様は、こうやっていつも毎朝お味噌汁を作っていた。
そうだ。
夕べのことも、今までの不安も、全部怖い夢だったんだ。
たまに見る怖い怖い夢の、たった一つ。
だって、姉様は太陽だもの。わたしの、皆の、里の。
だから今もこうしてそばに居てくれる。
だからわたしは駆け寄った。
思いっきり抱きついて、目をつぶった。
ああ、姉様だ。
わたしの大切な姉様だ。
「ふふ、なあに?ミノト」
大好きです。
そう言おうと思って目を開くと──
足元に血溜まりが出来ていた。
姉様は鼻歌を歌いながら柄杓で狩猟笛に水をかけていた。
まだ付いたままの血糊が、下に流れ落ちる。
その土間に落ちた水が、朱色の水溜まりを作っていたのだった。
ふつふつふつふつ。
土間の横で火にかけられているお鍋が沸く。
「あらあら、お味噌汁が」
姉様がわたしをそっとどかしてぱたぱたと鍋に駆け寄る。
「ミノト、お席に着いてて。朝ごはん、もうすぐ出来るから」
相変わらず鼻歌を歌いながら、鍋を混ぜている。
涙が溢れてきた。
なぜ?
里で今起きていることが知りたかったから?
姉様が何かに関わってるかもしれないから?
──いいえ。
一抹の期待ですら今、全て裏切られたから。
わたしの今までの姉様への愛と信頼と共に、全て。
今この瞬間から、わたしは姉様の全てを信じられなくなってしまった。
ならば。
取るべき行動は一つだ。
わたしは懐にあった小さな手拭いで、気付かれないようそっと血糊を染み込ませた。
そしてわたしは集会所に出勤する。
エルガドからの王国国営通信を読んでいたゴゴク様が驚きの声をあげる。
ゴコク様が記事をわたしに見せる。
姉様への疑問が確信に変わる。
「速報 エルガドの王国騎士 死亡か」
それは、とてもとても大きな悲劇で、大きな事件だった。
これからわたしは、姉様は、里は、エルガドは、どうなってしまうのだろう。
まだ事件は始まったばかりなのだろうか。
いや──本当はもうとっくの昔に始まっていたのだろうか。
どうか、どうかこの惨劇が、静かに幕を引いてくれますように……
そう祈った。繰り返し、何度も、何度も。
今日の日記はここで終わり。
(四-一)
【抜粋 捜査記録四 日報一一〇】
記録者 エルガド王国騎士 カムラの里内偵 ロンディーネ
日報 八二五年 六月五日
今朝、姉上の葬儀がつつがなく終了した。
エルガド全体を上げての葬儀であった。
担当捜査官からはまだ詳細を伝えられてはいないものの、現場を見た。
姉上は何者かに殺害されたことは明白である。
絶対に許さない。
姉上は、皆の太陽のようなお人であった。
皆を熱く鼓舞し、導く戦女神。
犯人は、それを皆から、奪ったのだ。
もちろん、私からも。
どんなことがあっても、犯人をこの手で殺してやると、強く、強く誓った。
例え相手が誰であろうとも。
本日はここで筆を置く。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-一一一】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
六月六日
今日も雨。 空も泣いている。
昨日、エルガドに赴きフィオレーネさんの葬儀に参列した。
空はまるで涙を流しているみたいに雨が降っていて、会場でも同じように皆が泣いていた。
チッチェ姫様は、激しく泣くあまりに途中で過呼吸で倒れられてしまった。
わたしも、涙が零れた。
とても悲しいから。それもあるけれど。
止められなかったから……そんな気持ちもあった。
となりの姉様を見る。
泣いていた。
「なんて恐ろしい。みな、どれ程悲しんでいることでしょう」
一見、零す涙に偽りは感じられないように見える。
誰に聞いても、本気で泣いていると答えると思う。
私もそう思えたなら、どんなにか心が楽だろう。
式に、タドリさんがいた。
参列が終わり、皆が離れている──もちろん姉様も──隙を狙って、声をかけた。
皆と同様、深く悲しんでいた。……けれど、知らせない訳にはいかなかった。
昨日血を染み込ませた手拭いを見せると、タドリさんが声を上げた。
「これは」
「しっ。昨日、見つけたものです」
タドリさんは声を小さくして訝しげに聞く。
「これをどこで……」
「それは後ほど伝えます。確認して欲しいのです。『同じ』かどうかを」
タドリさんは困惑していた。
けれどわたしは知っている。
薬師の技であれば、血液の特定くらいは可能なことを。
すぐに人が来たので、わたしはそれを押し付けるようにしてその場を離れた。
カムラの里に戻り、一日が経った。
わたしは、集会所のカウンターに座る。
窓を見る。相変わらずの、雨。
エルガドの悲劇に、カムラの里まで泣いているかのよう。
受付カウンターにあった、「原初を刻むメルゼナ」の撃退報告のレポートが目に入る。
「八二五年六月二日」
フィオレーネさんが亡くなる前日だ。
門から出ていく「姉様」を見たのは、確かその前の日だったはず。
──「同じ」かどうか、か。
もしそうだったら、わたしはどうすればいいんだろう。
喪主のロンディーネさんとは昨日は話せなかった。
「同じ」なら、彼女は許さないだろう。
私がロンディーネさんでも、そうする。
猛き炎は、どうだろうか。
ずっと押し黙って、式の間一言も口を開かなかった。
悲しんでいるのか、怒りを堪えているのか、それもわからなかった。
もし、本当に姉様が関係していたら……
あの人はどうするだろう。
姉様のことも、わたしのことも許さないかしら。
その手の大剣で、一太刀にわたし達の命を奪うかしら。
今も、あの人を想うと胸が苦しくなる。
この恋心を打ち明けることも叶わず、血を吹きながら息絶えるのだろうか。
もう、あの頃には戻れないのがわかる。
わたしと、姉様と、小さかったあの人と、小さなお家で暮らした、あの頃には。
喧嘩ばかりだったけど、幸せだったあの頃には。
……それが、罰なのだと思う。
姉様と、それを止めることが出来なかったわたしへの。
今日の日記はここで終わり。
(四-二)
【抜粋 捜査記録一 新聞八二五年六月七日】
発行元 王国 国営通信
続報 王国騎士死亡事件 殺人事件に切り替え捜査開始
今月三日、城塞高地にて王国騎士フィオレーネ氏が死亡しているのが発見された一件で、事件を殺人事件と断定したことが捜査本部への取材でわかった。被害者は後頭部を大型の鈍器で複数回殴られたことが直接の死因と判明した。容疑者特定のため捜査員を増員し、引き続き捜査を継続する。
【抜粋 捜査記録三 手記あ-一一二】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
六月七日
今日も雨。 朝は霧がかかった。
また共鳴を見たので、書き留める。
「うむ。この子は立派な里守……いや、ハンターになるぞ!」
上機嫌にフゲン様が笑っておられる。
「……でも、フゲン様」
姉様は、何かを伝えようとする。
「この子には──」
が、声が小さく届かない。
「うん、わかった!フゲンのじいちゃん!」
まだ小さなあの人が、カムラの装束を身にまとい、オトモ用のリオレウスの大剣を構えてみせる。
「ガッハッハッ!結構結構!後で集会所に来なさい、ゴコク殿にも見せねばな!」
満足気にそう笑うと、わたし達の家を出た。
姉様は、猛き炎の傍で膝立ちになる。
猛き炎の方を向き、装束の裾を掴んで、ぽつり、と話しかける。
「怖くありませんか。無理をしなくていいんですよ」
猛き炎はキョトンとしている。
「ねえちゃんは心配です。あなたが、痛い痛いけがをするのが」
話しかけるというより、ほとんど独り言だ。
「あなたが、リオレウスのブレスに焼かれてしまうのが」
裾を持つ手に力が入る。
「あなたが……遠くへ行ってしまうのが」
猛き炎が姉様を見つめる。
「ヒノエねえちゃん?」
「ねえちゃんは……あなたがハンターになんてならなくったって……」
「いけません、姉様」
姉様が「わたし」を見る。
「男の子は外を歩いてこそです。広い世界を知らなければ」
わたしは姉様から小さな猛き炎を取り上げると、装束の留め紐をきゅっとしばった。
「ほら、じいちゃんの所へ行ってきなさい」
「はーい!」
わたしにポンと背中を押され、家を飛び出す猛き炎。
姉様は慌てて大通りまで見送る。
ぐんぐん走って、小さくなる猛き炎の後ろ姿。
姉様はずっと、ずっと目を離さない。
「大丈夫です、姉様」
姉様がもう一度わたしを見る。
「姉様には、わたしがついていますよ。寂しくありません。これからも、ずっと」
なぜか、嬉しくなさそうに、姉様は目を伏せて答えた。
「……そうね」
目を覚ます。また、枕元が濡れている。
いまさら。
いまさら、姉様の記憶は何が言いたいのだ。
流れるように嘘をつく癖に。
人を──殺めているかもしれないと言うのに。
それでもなお、訴えることがあるとでもいうのか。
わからない。
姉様のことが、姉様の気持ちが、姉様の真実が。
けれど、一つだけ、伝わったきたことがある。
あの時わたしが、背中を押していなければ。
あの時猛き炎が、ハンターを目指していなければ。
悲劇は起こらなかったのだろうか。
姉様の記憶は、それを訴えているのだろうか。
──声無き記憶は、決して答えてくれはしない。
今日の日記はここで終わり。
(四-三)
【抜粋 捜査記録六 走り書き〇二】
記録者 不明
(くしゃくしゃに丸められたような跡がある)
先日 ご依頼頂いた件の結果ですが
「同じ」でしたので お知らせ申し上げます
このようなこと 申し上げるまでもないことですが
ご本人には 一刻も早く真実を
皆にお伝え下さいますよう
お伝えいただきたく 存じます
追伸
現場での血液採取を ロンディーネ様に
見られてしまっております
どうか 一刻も早い罪の告白を
(走り書きはここで終わっている)
【抜粋 捜査記録五 手紙〇三】
記録者 不明
あたしの大切なヒノエさんへ
この手紙を読んでるということは
あたしはもうこの世には居ないと思う
あなたとひとつに成れた
これまでの長い年月
とてもとても幸せな人生でした
あの日から
遠く離れていても
あなたと心を通わすことが出来て
とてもとても幸せだった
再会してから
三人の永遠を求めて
あなたと探し歩いた日々
短かったけれど
とてもとても楽しかった
あたしをあたしとして
生きさせてくれた
ヒノエさんのため
あたしの残りの人生全てをかけて
あと一回分の永遠を守ってみせるわ
あなたとあたしの愛に誓って
あなたと繋がってきた絆に誓って
成し得ることの全てに誓って
そして
どうかこれからも
あたしの
あたしだけの太陽でいて
永遠に
さようなら
■■■■より (上から墨で塗りつぶされている)
(四-四)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-一一四】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
六月九日
今日も雨。 雷が響いている。
朝、凄まじい痛みで、絶叫しながら目を覚ました。
共鳴だ。
しかしそれはいつものとは比較にならない程の記憶と感情と痛みの激流だった。
流れ込んできた情報で、頭が爆発しそうだ。
わたしは、一片の記憶も取りこぼさないよう、今、急いで筆を取っている。
ロンディーネさんが最初に見えた。
真っ暗な夜。
土砂降りが降り注ぐ里の近くの森の中。
稲妻がロンディーネさんの鬼のような形相を浮かび上がらせる。
そして凄まじい剣幕で詰め寄る。
「貴様だな、姉上を殺したのは!」
対する姉様は平然と答える。
「あらあら。突然呼び出したと思ったら、なんのことですか」
「とぼけるな!貴様が現場から付けていった血痕は、姉上のそれと同じだったんだからな、ヒノエ!」
ロンディーネさんが剣を抜き、こちらに向ける。
剣圧が夢の中でもピリピリと伝わってくる。
「あまり出鱈目ばかり仰るのなら……」
笑顔が消える。姉様が剣を抜く。
「容赦は、しませんよ?」
「ふん!それはこちらの台詞だ!姉上の仇、とらせて貰うぞ」
土砂降りの中、決闘が始まった。
王国きっての名うての騎士、ロンディーネさんが剣を振るう。
まるで雨粒を一粒づつ切り裂くかのような精密な斬撃が姉様を襲う。
姉様も刃を立て善戦する。
が、左手、右もも、左脇腹の順に傷を負っていく。
刃と刃がぶつかり、鍔迫り合いになる。
「姉上を殺した狩猟笛は使わんのか?」
「ふ、ふふ」
姉様が不敵に笑う。
「ふんっ」
ロンディーネ様が姉様の剣を力いっぱいなぎ払った。姉様の剣が宙を舞う。
「トドメだ!」
剣を姉様の胸めがけ振り下ろす。
勝負あった……かに見えたその時。
姉様が咄嗟に身をかがめ、泥と落ち葉をロンディーネさんの目にぶつける。
「ぐっ……卑怯なっ」
顔を押さえ、ふらつくロンディーネさんを、姉様が押し倒し、馬乗りになる。
姉様はロンディーネさんの剣をとり、真っ直ぐその胸に突き立てようとする。
ロンディーネさんはその手を必死に押さえる。
「ふふ……あはははは!いーこと思いついちゃったぁ!」
大きな声で姉様が笑い、唐突に宣言する。
「あたしで全部終わりにしてあげるつもりだったけど、やーめたっ」
「ぐっ」
剣が見る見るロンディーネさんに近づく。
「あたしは生きて、あの人達の永遠を見届けることにしたわっ!」
姉様は目を爛々とさせている。
「ね!素敵でしょ。とっても素敵でしょ!」
そしてとても嬉しそうに絶叫した。
ぎりぎりぎりぎり。
剣は今にもロンディーネさんを貫きそうだ。
「だからあんたは死んで!あたしと、あの人達のために死んでっ!」
と、ロンディーネさんが探っていたもう片方の手に、石が当たる。
そして、その石で思い切り姉様のこめかみを殴った。
「ぐあっ」
びりびり……姉様の痛みが、共鳴を通して「わたし」に伝わる。
剣と──ウィッグを落とした「姉様」を見たロンディーネさんが思わず口を開く。
「……な、なぜ……貴女が」
驚愕する王国騎士が、その名を呼んだ。
「ミネーレ……?」
そう呼ばれた赤毛の女は、なおも這いずりながら落とした剣を拾った。
「あんたは死ねえぇっ!」
だが、ロンディーネさんの方がわずかに早く、「姉様」が落とした剣を拾っていた。
どすっ。
「ぐっ……あ……あ」
胸を貫かれた姉様──いいえ、ミネーレさんが剣を落とす。
「わたし」の心臓に凄まじい痛みの記憶が共有され、衝撃となって押し寄せた。
「……あぅ……あ……」
口から血が滝のように溢れ、崩れ落ちた。
倒れたミネーレさんを、満身創痍のロンディーネさんが見下ろしている。
「はぁ、はぁ……なぜ貴女が……いったい……はぁ、はぁ」
「……ふ、ふふ……ふふふふ……」
胸を貫かれ、血と雨に溺れるミネーレさんは自嘲気味に笑った。
「……なあんだ……いいアイデアだと……思ったんだけどなあ」
ごほっ。血を吐く。
「あたしじゃ……見ることすら叶わないのね……えいえん、は」
ロンディーネさんはただただ、困惑する。
「いったい、なんなのだこれは!どうなっている!さっきから何を言って」
がんっ。
突然、背後から殴られたロンディーネさんが倒れる。
姉様が土砂降りの中、立っている。
隣にロンディーネさんが倒れている。
泥と血溜まりの中倒れるミネーレさんの元へ姉様が歩み寄る。
そして、まるでそこが座敷であるかのように平然と、地面を気にせず彼女の隣で正座をした。
「……ひゅー……ひゅー……ノエさん……」
「こんばんは、私の愛するミネーレちゃん」
姉様が顔を覗き込み、そしてとても優しそうに笑顔を見せる。
「……ひゅー……あたしも……ほしかっ……です……あなたと……えいえん」
「そうね、愛するミネーレちゃん。私も……とても残念です」
幼子にするように、優しく、優しく頭を撫でる。
「ひゅー……えいえん……あと、ひとり……ぶん」
姉様はそっと人差し指でミネーレさんの口を塞ぐ。
「大丈夫、大丈夫よ、ミネーレちゃん。あと一人分、ちゃんと残っていますよ」
そう言うと次に、ミネーレさんの右目に指を入れ、優しく眼球を取り出した。
「え……えへへ……ものもち……いいでしょ……きれいに、つかったの」
ほめて。そういうようにミネーレさんは笑う。
そして反対の手で自分の右目を取り出し、ミネーレさんと眼球を交換した。
「……おかえし……します」
「わたし」の共鳴は姉様の右目と繋がっていたようで、ここでミネーレさんを初めて見下ろした。
彼女はこちらに向かって手を伸ばす。
姉様が、その手を取り、握りしめる。
「……ふ、ふふ……あたしたち……いっつも雨ね……」
頬に当たる雨を受けながら、懸命に笑顔を作っている。
「そうね、いつもいつも──いつも雨だったわね」
よく見ると、姉様の手は震えている。ほんの僅かに。
「……これで……もう……ひと……りじゃな……い」
「そうよ、あなたの記憶は全部、全部私が引き継ぐわ」
姉様はミネーレさんの唇に口付けをした。
恋人にするみたいに。
血に濡れた口に、舌を入れて。
「……やったね……ヒノエさんの……キス……いただいちゃった……」
最期に、ミネーレさんは初恋をする少女のような笑顔を浮かべた。
姉様の服をまとい、姉様の影として生きた加工屋の看板娘は、とても穏やかに眠った。
姉様はミネーレさんの横で座ったまま、ずっと、ずっとミネーレさんを見ていた。
彼女が眠った後も、ずっと……
──視界が暗くなる。共鳴が終わるのだ。
消える間際……視界が歪んだ。
泣いているのかもしれない、とわたしは思った。
──ミネーレさん! ミネーレさん!
「ミネーレさんっ!」
必死に呼びかけたが、わたしの共鳴はここで終わり、いつもの寝室で叫びながら飛び起き、そして今に至る。
胸が痛い。ロンディーネさんに貫かれた、ミネーレさんの胸が。
これまでにない激しい共鳴と衝動。
事件の核心に迫る真実に、動悸が止まらない。
この事件を止めなくては。
姉様を止めなくては。
わたしの決意と覚悟と共に、今日の日記を締めようと思う。
【抜粋 捜査記録一 新聞八二五年六月九日】
発行元 王国 国営通信
速報 カムラの里近郊で殺人か
九日夕方、カムラの里近くの林の中で、二人が死亡しているのが、里所属のハンターによって発見された。詳細は不明ながら、王国騎士団所属のロンディーネ氏と、加工屋勤務のミネーレさん両名と現在連絡がとれていないことから、遺体はこの二人ではないかとの見方がなされている。現場には激しく争った痕跡があり、二人がなんらかのトラブルにより争い、互いを殺害するに至ったのではないかとみられる。また、ミネーレさんの着衣には乱れがあり、第三者が故意に着衣をすり替えた可能性も示唆されている。
エルガドでは三日にフィオレーネ氏が殺害されたばかりで、関連性は不明ながら、王国、カムラの里両国に動揺が広がることが懸念される。
(五-一)
【抜粋 捜査記録二 証言〇一-四】
証言者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
記録者 エルガド 王国事件担当捜査官
(記録開始)
──その時の共鳴を「体験」して、何を感じましたか。
互いを憎みあう衝動と、体を貫かれる痛みを感じました。
今までには無いくらいの、強い共鳴でした。
──共鳴は強くなっている……?
はい。
それは日に日に強くなっていると感じます。
──その共鳴を通じて、何か感じることはありますか。
強い、とても強い意志を感じます。
──それはヒノエさんの、ですか。
姉と、ミネーレさんお二人の、です。
まるで全てを犠牲にしてでも成し遂げようとするような、固く強い意志を感じます。
──ミノトさんは、ヒノエさんのその意思に抗えますか。
……正直、わかりません。
けれど、今、絶対にやらなければならないことがあります。
──それは、なんですか。
自らの覚悟を示すことです。
この惨劇を止める為には、覚悟が要ります。
全てを、命でさえ投げ打つような覚悟がないと、止めることは出来ない──
だからわたしが、命をかけて止めるんです。わたしの、姉様を。
(記録終了)
【抜粋 捜査記録六 走り書き〇三】
記録者 不明
姉様
=「永遠」を求めている
三人の永遠とは?(二重線で強調してある)
→何のため?
誰のため?
私のため?(上から線で消されている)
自分のため……?
ミネーレさん
=姉様と「永遠」を探していた
→なんのため?
姉様から右目を借りていた
→共鳴のため?→姉様との連絡手段に使っていた?
ミネーレさんの永遠は姉様の永遠と同じ?
フィオレーネさん
=姉様の何かに気がついた(二重線で強調してある)
→だから殺された?
何に気がついた?
永遠と関係が?
死ぬ直前に言った「お前は哀れだ」の意味は?
(走り書きはここで終わっている)
(五-二)
【抜粋 捜査記録三 手記あ-一一五】
記録者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
六月一〇日
今日は晴れ。 梅雨の晴れ間、抜けるような青空。
姉様とエルガドへ赴いた。
猛き炎の盟友に選ばれたからだ。
クエストは、怨嗟響めくマガイマガドと原初を刻むメルゼナの討伐。
最高難度のクエストだ。
わたし達は万全の準備を整え、城塞高地へ向かった。
姉様は、終始鼻歌を歌っていた。
それは……まるで初恋の相手とピクニックに行く、少女のような歌声で。
姉様が笑うと、こちらも笑顔になる。たとえ今日でさえも。
猛き炎は、ずっと押し黙っている。
何を考えているのだろう。
子供の頃から、考えていることが読みづらい人だった。
──あの日、心を閉ざして以来は、特に。
けれど、内なる炎は、常に燃え盛っているのだ。
その炎に何度救われたことか。
わたしは、その炎に焦がれた女の一人だ。
それに対して、姉様はどうなのだろう。
彼女が求めているのは、「恋」などでは無い。永遠の命だ。
里の、皆の──わたしの太陽は、永遠に焦がれるあまり、全てを犠牲にして焼き尽くす、灼熱の死の星になってしまった。
キャンプに着いた。規制線が貼られている。
一週間前。ここでフィオレーネさんは殺されたのだ。
サブキャンプへ行こう。猛き炎が言った。
姉様は今も笑顔で鼻歌を歌っている。
何があったのか、まるで知らないかのように。
──そうだったら。
そうだったらどんなに、どんなに良かったことか。
「一息つこう」
サブキャンプに着いたわたし達は、猛き炎の提案でテントの中に入った。
「お茶の準備をしますね」
にこにこして火を炊き始めた。いつものお味噌汁を用意する時のように。
猛き炎は黙って前を向いて座っている。
ふつふつふつふつ。
姉様の鼻歌とお湯が沸く音がテントに響く。
「お湯が沸きましたよ」
姉様が嬉しそうに知らせる。
ふつふつふつふつ。
「今日は何のお茶にしましょうか」
ふつふつふつふつ。
「あ、今日はこれがいいわ!」
ふつふつふつふつ。
「うふふ、香りがとってもいいんですよ」
ふつふつふつふつ。
「もうすぐ出来ますからねえ、待ってて下さいねえ」
ふつふつふつふつ。
「きゃっ」
「……その薬は、なんだ?」
姉様が小さく悲鳴をあげるのと、猛き炎が姉様の腕を掴むのはほぼ同時だった。
姉様の手は懐に伸び、紫色の水が入った小さな小瓶を握っていた。
その小瓶をわたしが見た瞬間──
きぃぃぃん──
激しい耳鳴りと共に、私の中に共鳴を通じて記憶の濁流が流れ込んできた。
「これはなんだ、ヒノエ!何を混ぜようとした!」
「待って、違う、違うの!お願い、話を聞いて!それを返して!」
まず聞こえてきたのは、フィオレーネさんの怒鳴り声。そして姉様の嘆願する声。
あの日だ。これは、あの日の姉様の記憶だ。
次に、フィオレーネさんが小瓶を床に叩きつけるのが見えた。
「ああっ!」
それは、急に時間がゆっくりになったみたいに見える景色だった。
──手から放たれた小瓶はくるりと逆さになり、栓を下にして床に当たる。衝撃で栓がゆっくりと外れ、姉様が中に込めた、何よりも、命よりも大切な紫色をした水が、命を燃やす花火のように、きらきら、きらきらと舞い散った。
「見損なったぞ、ヒノエ!こんなことをしてまで人を貶めたいのか!」
「……ああああああああっ!」
時間が戻る。姉様の絶叫が脳に刺さる。
大切な紫色の水は、床に薄く伸ばされ、姉様はそれを必死に手でかき集めていた。
「私達の……私達三人の永遠が……」
「永遠?」
フィオレーネさんが訝しむ。
「これが無いと……私、ひとりに……ひとりになってしまう」
「なんだ?ひとりに?……なるほど、惚れ薬か何かか」
「違うっ!」
姉様が叫ぶ。目に涙を浮かべて。
そして、こう続けたのだ。
「不老の霊薬だったんです!……命より大切な、猛き炎とミネーレちゃんに飲ませるはずだったのに!」
「わたし」はハッとした。
永遠。不老の霊薬。猛き炎。加工屋の看板娘。
人間の寿命。竜人族の寿命。お墓の前で泣く姉様。
全ての記憶が今──繋がった。
姉様は永遠の命が欲しかったんじゃない。
大切な人達と、ずっとずっと、自分が死ぬまで共に生きたいだけだった。
「不老の霊薬だって?」
フィオレーネさんが冷たく突き放す。
「そんなもの、ある訳がない。あったとしても、そんなもので彼を不老にした所で、お前のものになんてならないんだぞ!」
「あなたには、わからない!わかりっこない!」
姉様は尚も床に伏せ、霊薬を両の手で必死にかき集めている。
「はっ!好いた男を振り向かせる為にこんな得体の知れないモノに頼るなんてな」
「お前という女は、本当に哀れだな!」
高名な王国騎士は吐き捨てるようにそう言い、テントから出ようとした。
姉様の手が、ピタリ、と止まった。
──なんですって。……あなたにわかるはずがない。ニンゲンのあなたに。「残され続ける」ことの残酷さと恐ろしさが、あなたに──
姉様がゆっくりと顔を上げる。
嫉妬と、憤怒と……絶望で瞳を燃やしながら。
──あなたに、わかるとでもいうの?いいえ。あなたには絶対。絶対。絶対に──
その瞳が右手側に置いてあった姉様のお気に入りの……狩猟笛を映す。
咄嗟に手に取るには、丁度いい距離だった。
「うわああああああ──!」
姉様の声は遠くまで響いた。
それは慟哭だったのか。悲鳴だったのか。
今となっては誰にもわからない。
こうして、一人ぼっちの竜人族の女は、最初の罪を犯したのだった。
(五-三)
「いやですわ、私の猛き炎」
わたしの記憶は、今に戻ってきた。
「強走薬のひとつです。今回はとびきり難しいクエスト。これをひと振りすれば、百人力ですよ」
姉様がにっこり笑う。
しかし、猛き炎は腕を離さない。
「い、いた、痛いです」
「フィオレーネにも、そう言ったのか」
「……え?」
姉様の表情が固まる。
「ロンディーネにも、ミネーレにも、そう言ったのか」
顔色がみるみる青ざめていく。
テントの外を、複数の人間の足音が取り囲む。王国捜査官たちが到着したようだ。
「姉様」
わたしは、姉様の手から小瓶を取り上げた。
もう、ほんのひと振り分しか残っていない、命より大切な姉様の紫の水。
姉様は呆気にとられたまま動かない。いや、動けないのか。
「命をかけてたんですね。持ちうる全てを犠牲にしながら」
「……やめて」
「でももう、終わりにしましょう。この薬は、あまりに多くの命を喰いすぎた」
「お願いよ、ミノト……」
姉様は震えている。
けれどわたしは構わず小瓶の蓋を取った。そして……
ゆっくり傾けた。
「やめてえええええええ!」
ほんの少しの霊薬は、テントの床に僅かな染みを作って、呆気なく消えていった。
「カムラの里の受付係、ヒノエ!無駄な抵抗はやめ、投降せよ!」
テントの外から、捜査官達が叫ぶ。
それを合図にわたしはテントを開け、猛き炎を外へ連れ出す。
受け取った捜査官達は、迅速に彼を保護した。
これで、あの人は大丈夫。あとは……
あとは。
──わたしの手で、ケリをつけなきゃ。
テントを真っ直ぐ見つめる。
姉様が、霊薬が零れた場所でうずくまっている。
懐から、剥ぎ取り用の短刀を取り出した。
姉様に近づく。
一歩。二歩。
「ミノト殿、離れてください」
捜査官達が呼びかける。
「危険であります」
けれど今のわたしにはその忠告は要らない。
そして姉様の後ろに立った。
「姉様」
返事は無い。それでも構わず続ける。
「本当に、全てをかけて生きてきたんですね。今まで、ずっと」
わたしは、短刀を構えた。
「その覚悟、ミノトは確かに受け取りました」
ゆっくりと振り上げる。背後で捜査官達がざわつき始める。
「ミノトも、同じ覚悟です。いつだって姉様のお傍にいる覚悟です」
狙うは首筋。一太刀で終わらせなくては。
「例え、わたしが世界でたった一人になろうとも──」
──その時。姉様が勢いよく振り返る。
両の目が強く光っている。
きいぃぃぃん──
「うっ!」
共鳴を最大限にしている。
憎しみと絶望が強制的に頭の中に流れ込んでくる。
短刀を振りかぶったまま、動けなくなった。
捜査官達にも共鳴しているのか、悲鳴が上がる。
「覚悟?たった一人になろうとも?」
姉様が、問いかけてきた。
「あなたの覚悟じゃあ、まったく足りない」
憎しみと絶望の合間に、姉様の記憶が紛れて入り込んでくる。
「止めてみるなら止めてみるがいいわ。一人のニンゲンを育てあげた私の覚悟を。全てを投げ打って永遠を求めた、私の覚悟を」
限界を超えて共鳴をさせているのか、瞳は更に光り輝いた。
頭が割れそうに痛い。心臓が張り裂けそうに鳴り続ける。
でも。
「負けない……負けられない」
振り上げたまま動かない短刀に、思いっきり力を込めた。
「止める。姉様を止める。そう、決めましたから……!」
そして、持てる力を振り絞って、そのまま自分の腹に突き立てた。
「ぐぅっ……!」
「!」
さすがの姉様も驚いたのか、共鳴が弱まった。
「見てください、姉様……これがミノトの……覚悟です」
もっとだ、もっと切り捨てなくては。
自分自身にある、あらゆるものを。
「姉様を、止めるための……わたしの、覚悟です」
短刀を引き抜く。ごほっ。血を吐いた。
「……まだ……まだ!」
再度突き立てようとしたした、その時──
「動くな」
姉様が後ろから羽交い締めにした。
「ヒノエ!今すぐ投稿せよ!最後の警告だ!」
いや、違う。
短刀を持つ腕を押さえて、わたしがまた刺さないようにしてくれている……?
「姉……様?」
「ミノト、いい覚悟でしたよ」
捜査官達がライトボウガンを構える。
「さようなら」
そう言うと、自ら人質のわたしを突き飛ばし、数名の捜査官にぶつける。
その隙に狩猟笛を持ち、捜査官達に襲いかかろうとした。
「……撃てっ!」
一斉にライトボウガンが放たれた。
姉様は狩猟笛を構えるが、防ぎきれない弾が腕や足を掠める。が、構わず捜査官達に襲いかかる。
「ふふ……あはははは、ニンゲンども!あなたたちにわかって?」
わたしはその様子を、地面に倒れたまま見ている。
「私たち竜人族の持つ時間が、どれほど残酷かっ!」
二人吹き飛ばされる。
「構わん、撃て、撃てっ!」
捜査官達が焦り始める。
「愛しい人の旅立ちを見送る、その涙の数をっ!」
姉様でも全部は防げない。姉様の白の着物が、紅く染まり始める。
「残された時間と、胸に空いた空白をっ!」
姉様の両の目は光ったまま。
腹の痛みが分からなくなるほどの悲痛な感情が、共鳴を通じて私の脳に直接刺さる。
「新たな命と触れるたび、期待してしまう心をっ!」
銃声と、捜査官達の悲鳴と、姉様の叫びが城塞高地に響く。
既に半分以上の捜査官が倒された。
姉様ももう、数え切れないほどの弾を受けている。
でも、姉様は倒れない。
「その……子がハンターになって……危険な狩場へ行くのを見送るしかない日々をっ!」
姉様の血しぶきが、倒れるわたしの顔にかかる。
──もう。
「……私を置いて、どんどん……遠くまで行ってしまう……その不安をっ!」
わかったから──
「いつか……私を忘れて……永遠に離れてしまう……その寂しさをっ!」
あなたの覚悟はもう、わかったから──
「あなたたち……ニンゲンに……あなたたち……ニンゲンに……」
その時。
ぐっ。
猛き炎が、姉様の間にたち、そして抱きしめた。
弾が彼の背中に命中する。
「やめ、打ち方やめっ!」
捜査官が叫ぶ。
「もう……いい。もう、わかった、お前の気持ちは……」
「……え?」
姉様は止まった。
「ほんとは……ずっと好きだったんだ。小さな頃から」
「……嘘。知っているんですよ。もう、私から心が離れてしまっていること……」
姉様は心を閉ざしている。
けれど、猛き炎は告白を止めない。
「本当なんだ。お前を拒絶したあの日。謝りたかった。守りたかった。ハンターになったのも、お前を守りたかったからなんだ。いつか英雄になって、ずっと、ずっと守ってあげたいって思ってた。それは今も同じだよ。だってお前は……俺のヒノエ姉ちゃんは、ずっとずっと小さな頃から、俺を守ってくれていたから」
そして笑顔が戻る。いつもの、柔らかい太陽のような笑顔。
──あの日から綻んだ姉様と猛き炎の絆は、今やっと結び直されたのだ。
「ありがとうございます……そうですよ。だってねえちゃんは、あなたの為ならなんだって出来る。そうやって燃えるように生きてきた、あなたの太陽なんですから……」
そう言うと、彼の両肩をポンっと押して数歩後ろに下がった。
満面の笑顔。
今までの覚悟や犠牲が全て報われた。
そんな顔をしている。
「……太陽は、いつか沈むのですよ。さあ、時間です」
這いつくばったままのわたしの胸に、嫌な予感が過ぎる。
姉様?何を言って──
どすっ。
騎士団の剣が姉様の胸を貫いた。
「あ……ぐぅ……」
「……よくも……よくもミネーレさんを……」
王国騎士ジェイさんが、涙を浮かべながら言った。
「ミネーレさんを返せっ、返せぇ!」
ジェイさんは捜査官達に取り押さえられながら叫ぶ。
あまりに突然のことに、猛き炎も、わたしも呆然となっている。
姉様は──倒れた。
持てる全ての力を出し切り、燃え尽きて灰になったかのように。
「ふ、ふふ、ジェイ様……気づいて、いましたよ……」
「ヒ、ヒノエ姉ちゃん……どうして……」
猛き炎が倒れた駆け寄る。目には涙を浮かべている。
わたしも、這いずりながら姉様のもとへ急ぐ。
「いいのです坊ちゃん……これが……全てを犠牲にして……得た私の……私達三人の永遠……なのだから……」
「姉様!」
「ミノト……素晴らしい……覚悟でした……里にはあなたが……必要……あなたが次の……太陽に……」
「ヒノエ姉ちゃん、死んじゃやだよお」
子供のように泣きじゃくる猛き炎に、身体も心も血にまみれた太陽は、笑った。
「あらあら……私の坊ちゃんは……いつまでも……可愛い可愛い……子供ですね……もう、大丈夫。だから……ねえちゃんが……お歌を歌って……あげましょうね……」
姉様は歌った。声の続く限り歌った。
血まみれの子守歌は、どんな歌より綺麗で、どんな歌よりも遠くに響き、これから産まれる全ての命に祝福の種をまいた。まき続けた。
そして歌が途切れ、空の太陽は沈んだ頃、里の太陽も、沈んだ。
深い深い夜に、沈んでいった。
里と王国を巻き込み三人の命を喰い、わたし達竜人族の持つ業を命をかけて訴え……
そしてただ、大切な人達と一緒に生きるためだけに、全てを捧げた私の姉は、血に塗れた笑顔で、眠った。
「姉様!姉様ぁ!」
「ヒノエ姉ちゃん!」
わたし達の叫びは、遠くまで響いた。
きっと……姉様にも届いたに違いない。
今日は晴れ。 梅雨の晴れ間、抜けるような青空。
今日の日記はここで終わり。
(五-四)
【抜粋 捜査記録一 新聞八二五年六月一一日】
発行元 王国 国営通信
速報 王国騎士殺人 犯人死亡か
フィオレーネ氏、ロンディーネ氏両名の殺害と、行方が分からなくなっていたミネーレさんの死亡に関わった疑いがあるとして、容疑者として捜査中だった、カムラの里受付係のヒノエ容疑者が死亡したと、一〇日夜、捜査班が明らかにした。また、ヒノエ容疑者を殺害したとして、王国騎士所属ジェイ容疑者を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。なお、ヒノエ容疑者確保の際に、複数名の捜査官が負傷した他、ヒノエ容疑者の妹のミノトさんも重傷を負った模様。
本件においては被疑者が死亡しているものの、事件の社会的影響の大きさを鑑み、動機等解明の為捜査は継続されると、捜査本部が発表している。
【抜粋 捜査記録五 手紙〇四】
記録者 不明
ジェイくん
昨日はありがとう
正直とてもびっくりしたけど
嬉しかった
でも今あたしは
ジェイくんの気持ちには答えられない
あたしね
好きな人達がいるんだ
子供の頃からその人達のこと
好きで好きでしかたなくて
今は遠くにいて会えないんだけど
いつか会えた時
輝いている自分でいたくて
だから今は
仕事に打ち込んでいたくて
ごめんね
だからあたしは──
ジェイくんの彼女にはなれない
ごめんなさい
【抜粋 捜査記録二 証言〇一-五】
証言者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
記録者 エルガド 王国事件担当捜査官
(記録開始)
──こんにちは。怪我の具合はいかがですか。
おかげさまで、だいぶ良くなりました。
その節は、大変ご心配をおかけしました。
ですがそのおかげで、覚悟を姉に示せました。
姉のものに比べれば、軽いかもしれませんが。
──大切な人達と「永遠」に共に生きる為。不老の薬を得る為。その為に何でも犠牲にする……その覚悟でしたか。
はい。
それが姉の共鳴を「見た」、わたしの結論です。
──でもその為にあなたのお姉さんは……
……はい。三人もの人間の命を犠牲にしました。
──三つの命を使って得た三人分の永遠。その先に彼女らは何を求めていたのでしょう。
今となっては……それはわかりません。
不老の霊薬はわたしが捨ててしまいましたし。
人間の命がいくら短くても、私達竜人族の命と変わりありません。
それを三つも犠牲にしてまで得た永遠になど、幸せな結末はないのではないでしょうか。
──それは……よいしょ、と。……こちらをご覧ください。
これは……日記?
古いものが……こんなにたくさん……
いったい誰が?
まさか……姉様の……?
──どうぞ、お読みください。これを読めば、ヒノエさん達が覚悟を決めるまでの生き様や、その先に探していた永遠が、わかるかもしれません。
(記録終了)
(六-一)
【抜粋 捜査記録三 手記い-〇〇〇一】
記録者 不明
八〇〇年 一一月二〇日
晴れ。 肌寒い朝。
今朝、里の門の下で、人間の赤ん坊を見つけました。
明け方、胸騒ぎでいつもよりうんと早く目が覚めたのです。
不安なのでミノトにも来てもらって、それでこの子を見つけることができました。
戦乱の世が終わって久しいのに、未だに捨て子を見かけます。
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
元気な男の子でした。
竹かごの中で白い布で包まれ、まるで猛る炎のように力いっぱい大きな声で泣く赤ん坊。
こんなところで泣いていては、モンスターに見つかってしまいます。
「姉様、どうしましょう」
隣のミノトが聞いてきます。
その時──
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
ふと、私の心に何かが灯るのを感じました。
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
「姉様……?」
ミノトは不安そうでした。
けれど私の心の中で、小さな決意のようなものが芽吹くのを感じたのでした。
「連れて帰りましょう」
「え?」
「さあさあ、可愛い赤ん坊ちゃん。私のおうちにいらっしゃいな」
「いけません、姉様」
ミノトが何か言いかけますが、私は構わず連れ帰りました。
私は人間の赤ん坊を育てたことはありませんし、お乳も出ません。
……でも。この子を、一人ぼっちで泣くこの子を、放ってはおけなかったのです。
──私の、持ちうる全てをあげる。
その決意を胸に、私は自室の戸を開けました。
【抜粋 捜査記録三 手記い-〇〇二八】
記録者 不明
八〇〇年 一二月一六日
曇り。 お日様が恋しい。
赤ん坊を我が家へ連れ帰ってもうすぐひと月。
決意を持って、妹の反対を押し切ってまで育て始めたけれど……
正直言ってこれ程までに大変だとは思いませんでした。
私の決意は、まだまだ足りていないようです。
お乳の代わりの粉はエルガドからの交易品でなんとか調達できますが、それをあげるのがとても大変。
毎晩二時間置きには目を覚まし、泣くのです。お乳代わりの粉を溶くため湯を沸かし、粉を溶かして、人肌に戻してから、飲ませます。
お乳が欲しくて泣いている時はそれでいいのだけれど。
お乳を飲ませてもおしめを替えても泣き止まない時は、本当に途方に暮れてしまいます。
そういう時は、泣き止むまで、抱っこをして昼も夜も里を歩き続けるのです。
やっと寝たと思って、私が寝ようとすると、また泣きだして……
……その繰り返しです。
このひと月で、体重がうんと減りました。
頬のこけた私を見て、ミノトが言いました。
「いけません、姉様。お母さんはもっと栄養をつけなくては」
そう言うと、タドリ様から滋養のある丸薬を取り寄せてくれました。
はじめは反対していたミノトも、今では私の立派な味方。
とても頼もしく、心強く感じます。
そして、この子の寝顔を見る度に思うのです。
私の全てをささげて、この子を育てると決めたあの時の決意は、決して間違いではなかった、と。
【抜粋 捜査記録三 手記い-〇三四三】
記録者 不明
八〇一年 一〇月三一日
晴れ。 眩しい昼下がり。
今日、初めてあの子が歩いた!
舞い上がる気持ちで今、日記を書いています。
それは、昼下がり、おしめを洗って干していた時のこと。
ふと部屋を覗くと、小さなあの子が立っていたのです!
「ミノト、ミノト!」
私は慌てて駆け寄ります。
ミノトも駆けつけます。
そしてそのまま、おぼつかない足取りで一歩踏み出しました。
「見て」
一歩。また一歩。よろりとして倒れます。
私は、頑張れ、頑張れと心の中で何度も言いました。
そしてまた猛る炎のように立ち上がって……
とても、とても小さいけれど、それは確かな一歩でした。
涙が溢れそうになります。
「この子、歩いたわ」
ミノトも喜んでくれているよう。
そんな彼女の手を取って、二人で飛び跳ねました。
「歩いた、この子ったら、歩いたわ!」
そうやって子供のようにはしゃいだのは、何百年ぶりでしょうか。
それくらい、あの瞬間の感動ときたら……
どんな言葉でも表せられないほどなのでした。
この子にどんなに救われてきたでしょう。
どんなに勇気を貰えたでしょう。
これからも、よろしくね。
私の小さな……坊ちゃん。
(六-二)
【抜粋 捜査記録三 手記い-〇三六五】
記録者 不明
八〇一年 一一月二〇日
晴れ。 秋ももうすぐ終わり。
今日は私の小さな坊ちゃんの誕生日です。
……ほんとは、今日じゃないのは知っています。
けれど、それでいいのです。
私達三人で決めた誕生日は、あの門の下で出会ったあの日なのだから。
フゲン様がちらし寿司を持ってきてくれました。
「じいじ、じいじ」
ぽてぽてと歩きながら呟くその姿に、フゲン様ももうメロメロ。
「いけません、フゲン様。里長はもっと堂々としておられないと」
すかさずミノトが正します。
小さな我が家にどっと笑い声が響き渡ります。
本当に楽しい一日になりました。
──ああ、願わくば。
こんな幸せな日が、ずっと、ずっと続きますように。
私の中の悲しい悲しい思い出さん。
今は、今だけは心の奥から出てこないで。
そう願いながら、今日も眠る私の坊ちゃんの頭を撫でるのでした。
【抜粋 捜査記録三 手記い-一二三三】
記録者 不明
八〇四年 四月八日
晴れ。 若葉が芽吹いた。
「いけません、姉様。子供には絵本をしっかり読ませないと」
そう言って、ミノトが絵本を持ってきました。
「あら、絵本なんて珍しい」
「ふふふ、見てください、ツキトの都の絵本です。タドリ様からいただきました」
里には子供向けの絵本は少ないから、ミノトは自慢げです。
受け取った坊ちゃんは、熱心にページをめくり始めました。
「どんな本なんですか?」
邪魔にならないように、こっそりミノトに聞きました。
「詳しくは知りませんが、人魚と歳を取らない人間の女の話……だとか」
ミノトはそう言うと、土間で夕ご飯の支度を始めました。
とんとんとん。
夕方。お野菜を切るいい音を聴きながら、うとうとしていると、小さな坊ちゃんが駆け寄ってきました。
「ひのえねえちゃん」
「なんですかぁ?」
ばっ。開いた絵本を目の前に見せてきました。
「にんぎょのおにくをたべたら おじいさんに ならなくなるの?」
唐突だったので、返事に困っていると……
「ここ!」
開いたページを指さします。
「このおんなのひと にんぎょたべたの」
ページを更にめくります。
「そしたらね おばあさんに ならなくなったんだって」
「そうなのー。不思議なお話ですねえ」
感心していると、絵本をもって、居間に座ってまた読み始めました。
「いいなあ」
ぽつり、と呟きました。
とても小さな声でしたが、私は気になって傍に座りました。
「なにがですか?」
「にんぎょ たべたいなあ」
絵本から目を離さず呟きます。
「おじいさんになりたくないの?」
「うん」
私は、ため息が出ました。
「……あのね、坊ちゃん。いいことばかりじゃないんですよー?」
「なんでー?」
こちらを振り向き、不思議そうに聞いてくるその目を見ていたら、何も言えなくなってしまいました。
すると坊ちゃんは絵本にまた目を落とし、こう呟いたのです。
「あのね ぼく にんぎょたべて ひのえねえちゃんのこと ずっとずっとまもるんだ」
心臓が止まりそうになりました。
──私は母代わり。決して、恋人ではない。
そう決意してこの子を育ててきました。
でも今、心の中ではある感情が芽生えそうになっているのです。
絶対に抱いてはいけない、ある感情が。
どうしよう。このままではまた「失って」しまう。
いけない。決意が足りないのだ。
決意よりもっと強い、何かが要る。
何か──そう、覚悟だ。
この子のために全てを捨てる覚悟が必要だ。
捨てるのだ。この感情も、期待も。
全て。全てはこの子のため。捨てなければ。
「ねえちゃん いたい」
気がつくと、私は坊ちゃんの手を握りしめていました。
「あ……ごめんなさいね」
そして目を見てこう告げました。
「ありがとう。ねえちゃんも、きちんと守りますよ」
さっきのことは、誰にも知られてはいけない。
忘れなければ。捨てたのだから。
そう自分に言い聞かせて、私は坊ちゃんの頭を撫でました。
(六-三)
【抜粋 捜査記録三 手記い-二四三三】
記録者 不明
八〇七年 七月二三日
晴れ。 照りつける日差しが眩しい。
今日はフゲン様がハモン様に頼んで子供サイズの防具を用意して下さいました。
「うむ。この子は立派な里守……いや、ハンターになるぞ!」
留め紐を結びながらフゲン様が誇らしげに仰いました。
私もとても嬉しく思います。
嬉しいのだけれど……
「……でも、フゲン様、この子には──」
「うん、わかった!フゲンのじいちゃん!」
はあ。私の声は届かないのでした。
まだ小さな私の坊ちゃんが、カムラの装束を着て、オトモ用にあつらえたリオレウスの大剣を、得意げに構えてみせます。
「ガッハッハッ!結構結構!後で集会所に来なさい、ゴコク殿にも見せねばな!」
フゲン様の笑い声は、私達の家から離れても聞こえていました。
私は、坊ちゃんの傍で膝立ちになって、話しかけました。
「怖くありませんか。無理をしなくていいんですよ」
坊ちゃんには私の言葉がうまく伝わっていないのか、キョトンとしています。
「ねえちゃんは心配です。あなたが、痛い痛いけがをするのが」
話しかけるというより、ほとんど独り言のようでした。
「あなたが、リオレウスのブレスに焼かれてしまうのが」
坊ちゃんの裾を持つ手に、自然と力が入ってしまいます。
「あなたが……遠くへ行ってしまうのが」
坊ちゃんが私を見つめています。
「ヒノエねえちゃん?」
「ねえちゃんは……あなたがハンターになんてならなくったって……」
しまった。思わず言うべきでないことを言ってしまった──
「いけません、姉様。男の子は外を歩いてこそです。広い世界を知らなければ」
すかさず横からミノトが私を否定します。
いけません、いけません。
最近はそればかり。
ミノトは私から小さな坊ちゃんを取り上げると、装束の留め紐をもう一度きゅっと縛りました。
「ほら、じいちゃんの所へ行ってきなさい」
「はーい!」
あっ。
ミノトに背中を押された坊ちゃんが家を飛び出します。
待って、行かないで。
私は慌てて里の通りにかけ出します。
ぐんぐんと素晴らしい速さで走って、あっという間に小さくなる坊ちゃん。
私はその背中から目が離せません。
「大丈夫です、姉様」
隣のミノトが私に話しかけました。
見ると、優しい笑顔を作っています。
「姉様には、わたしがついていますよ。寂しくありません。これからも、ずっと」
気遣いは嬉しい。いつも正しいことを言う、よく出来た妹だと思う。
けれど最近は……つらい。ミノトの正しさを聞くのがつらい。
「……そうね」
私は、そう答えるのがやっとなのでした。
(六-四)
【抜粋 捜査記録三 手記い-五七八五】
記録者 不明
八一五年 一月二七日
土砂降り。 雨粒がとても冷たい。
「ただいま、ヒノエっ!」
「はい、おかえりなさい」
去年の暮れ、ハンターになった私の坊ちゃんが、雨に濡れながら狩猟から帰ってきました。
「クルルヤックを狩ってきた。上手くいったよ」
私はいつもの様に駆け寄り、雨を丁寧に拭き、鎧を外す手伝いをします。
もう、背丈は私をとうに超えています。
人前で、母親代わりとして振る舞うのもやめました。
どう見たって、歳の近いきょうだいです。
──これで、いいんだ。
最近は毎日、言い聞かせています。
坊ちゃんがお風呂に入っているうちに日記をつけよう。
そう思って引き出しを開けた時、絵本が落ちました。
先日陥落した、ツキトの都の人魚の絵本。
懐かしい。もう表紙もページもぼろぼろ。
あの頃は毎日読み返しました。毎日聞かせてくれました。
ひのえねえちゃんのこと ずっとずっとまもるんだ。
今でもあの拙い言葉が聞こえるかのよう……
「ん?何それ」
私が絵本を懐かしそうに眺めていると、お風呂上がりの坊ちゃんが、絵本に気づいて覗き込みます。
「懐かしいでしょう?」
表紙を見せました。
大きくなった今の、坊ちゃんの言葉が聞きたくて。
「ほら、覚えてる?ねえちゃんに毎日のように読んでくれましたよね。あの頃は──」
「なんだっけ、それ」
え?
だって、あんなに……
「わりぃ。覚えてないわ」
あんなに毎日、言ってくれたでしょう?
ねえちゃんのこと、守ってくれるんでしょう?
その為にハンター試験、頑張ってたんでしょう?
──いや、いいの。これでいいのよ、ヒノエ。
覚悟を決めたじゃない。
この子の為に全てを捨てるんだって。
私の気持ちも、思い出も、全部捨てるんだって。
──言い聞かせなきゃ。言い聞かせなきゃ。
気づかれてはいけない。
この胸に秘めた想いは誰にも。
絶対に気づかれてはいけない。
絶対に。──絶対に。
「ヒノエ?」
「え?」
「何で泣いてるんだ?」
気がつくと、私は家を飛び出していました。
土砂降りの中走って走って、とにかく走って……門のところで転びました。
坊ちゃんを拾った場所だ──
あれから、十五年が経っておりました。
私の目から涙が溢れ、流れ落ちました。
間もなくだ。間もなく私の元から離れる。
そして私のことを忘れ、私より先にこの世からいなくなる。永遠に──
覚悟してたはずじゃない。わかってたはずじゃない。
寂しくない。寂しくなんかない。
寂しくない、寂しくない、寂しくない、寂しくない──
「うわああん、うわああああん……」
私は泣きました。うずくまり、門にすがり付き、子供のように泣きました。
空からは涙みたいな雨が降り注いでいます。
けれど、私は構わず、傘もささずに泣きました。
「あのう」
突然、後ろから声をかけられました。
「大丈夫ですか。」
振り向くと、燃えるような赤毛が印象的な女の子が、傘をさして立っています。
十二歳くらいでしょうか。利発そうな女の子です。
「おーい。」
「姉様!」
私の坊ちゃんと、ミノトが遠くで呼んでいます。
「行かなきゃ……恥ずかしい所、お見せしました」
「あたし、ミネーレ。ハモンさんのとこで修行してます」
ミネーレちゃんがハキハキと自己紹介してくれます。
「遊びに来てください。あたしの作った刀、見せます」
そういうと、加工屋の方へ走っていきました。
真っ直ぐにこちらを見ている、良い目をした女の子でした。
「どこ行ってた。心配したよ」
「いけません、姉様。傘もささず外に出ては」
心配そうに二人が声をかけます。
けれど、涙と雨に濡れてよく見えません。
「さあ、帰ろう」
上着を被せられ、私は家路につきました。
家では、晩ご飯の準備が出来ていました。
お味噌汁の匂い。お風呂の匂い。暖かい家族の安らぎが私を出迎えます。
「……ずっと、ねえちゃんのそばにいてくれますか?」
私は坊ちゃんに聞きました。
「当たり前だろ」
坊ちゃんは照れくさそうにそっぽを向きます。
「いけません、姉様。ご飯が覚めてしまいます」
そうだ。私にはまだ、帰る場所がある。
まだ、猶予がある。
神様お願い──私が一人になって、永遠の孤独を知ってしまうまで。
あと少し、あと少しだけ時間をください。
小さな小さな願い事を胸に、私は食卓に着きました。
(六-五)
【抜粋 捜査記録三 手記い-五七八六】
記録者 不明
八一五年 一月二八日
晴れ。 澄み渡る青空。
「いらっしゃい!」
ハモン様の加工屋を尋ねると、女の子の威勢のいい挨拶が出迎えました。
「あ、昨日の!」
「ヒノエ、です。ミネーレちゃん、ですよね」
「覚えててくれたんですね、嬉しい!」
お茶に誘いました。
昼休み中だったのもあって、ハモン様も快く許可してくれました。
「昨日は、ありがとうございます」
とても嬉しかったわ。そう伝えると、ミネーレちゃんは顔を赤くしました。
「とっても綺麗な女の人が泣いてたから。どうしたのかなーって」
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
懐かしい泣き声が聞こえます。
茶屋のばあやが赤ちゃんをおぶって、忙しくお団子を作っています。
たしか──ヨモギちゃん、と名付けられたんだっけ。
カゲロウ様に、アマツマガツチによって陥落したツキトの都から、命からがら連れてこられた女の子。
その元気のいい泣き声を聞くと、あの日の坊ちゃんのことを思い出すのでした。
「あ、それ!なんの本ですか?」
ミネーレちゃんが私の手に持っている絵本に気が付きました。
なぜ、秘密を共有しようとしたのか。
それはわかりません。
──もしかしたら、私は耐えられなくなってきているのかもしれません。
五百年生き続け、「残され続ける」という地獄に。
「読んでみますか?」
うん!そう言うと、ミネーレちゃんは読み始めました。
ページをめくる度に夢中になって、あっという間に読んでしまいました。
「うわあ……永遠の命かあ。あたしも欲しいなあ!」
目をキラキラさせて想像しています。十二歳、年相応の反応でした。
「……良いことばかりではありませんよ」
──この子はまだ知らない。知るはずが無い。永遠の命の「副作用」など。
「どーしてですか?」
「残されるんです」
人間の寿命が私達より遥かに短いこと。
私達竜人族の数がとても少ないこと。
──家族や恋人が私達よりとても早く年老いて、とても早く死ぬこと──
「食べさせればいいじゃん」
「え?」
「好きなんでしょ?あの新米ハンターくんのこと」
な、な、なにを……
思いもよらぬ不意打ちに、顔が思いっきり赤くなりました。
「わかりますよー。実はあたし、あなたのこと、何でもわかっちゃうの。何でも、ですよ」
お団子とお茶がテーブルに出されました。いい匂いがします。
「もぐもぐ。あたしだったら」
大きなお口で美味しそうにお団子を頬張りながら、ミネーレちゃんが続けました。
「食べさせちゃいますけど、その子に。……内緒で、ね」
「いけません、姉様。お昼を抜かれるのなら言って下さらないと」
家に帰ると、ミノトが怒って食卓を片付けています。
……ミネーレちゃんとは、あの後もしばらく話しました。
十二歳なのに、まるで昔からの親友と話しているかのようでした。
──いいえ、本当は今までそんな人はいなかった。
だからこそ、話していてとても、とても嬉しかったのです。
こうして今日私は、生まれて初めて親友を持ったのでした。
(六-六)
【抜粋 捜査記録三 手記い-五八一八】
記録者 不明
八一五年 三月一日
晴れ。 春も麗らか
私の朝の日課。
朝起きて、竈門に火を炊き、お味噌汁を作ります。
晩ご飯をミノトに作って貰っているので、朝ご飯を作るのは私の役目なのです。
ふつふつふつふつ。
私は、この音が大好き。
大好きな人に食べてもらうためのお味噌汁。それが沸く、幸せな時間。
──食べさせればいいじゃん。
ふいにミネーレちゃんの言葉が頭を過ぎります。
──食べさせちゃいますけど、その子に。……内緒で、ね。
内緒で、か。
今ここに人魚の肉があったら、私はどうするのでしょう。
食べさせるのでしょうか。
私の坊ちゃんに。
「おーい、鍋が焦げてるぞー」
呼ばれてハッとしました。
じゅうじゅう。お鍋は底が焦げてしまっています。
しまった。時間を忘れて考え込んでしまった。
「あ、あらあら、ごめんなさい。ねえちゃんが今作り直しますから……」
「ああ、いいや、他のハンターさん待たせてるし。朝飯は携帯食料で済ますわ」
そう言うと、バタバタと出ていってしまいました。
「行ってらっしゃい……」
最近、ますます距離が遠くなってきています。
行ってらっしゃいすら上手く言えません。
……いいえ。それでも。
私と同じ孤独を、あの子に味あわせる訳にはいきません。
こんな地獄のような苦痛、私とミノトだけでじゅうぶんなのです。
ミノトに頼まれたお買い物を兼ねたお散歩に、外に出ました。
最近は、ひとりで外に出ても、そんなに寂しくありません。
「ヒノエさーん!」
明るい元気な声。この声に、いつも救われている。
「大ニュース、大ニュースですよー!」
わざと昼食時に加工屋の前を通り、偶然を装って声をかけてもらって、その足で茶屋に行く──
それは私達二人の、秘密の会合。
「ダイミョウザザミ……?」
それは、聞いた事のないモンスターの名前でした。
「あ、知らないんですね。あたしんとこでは結構いるんですけど」
「里の近くには、いませんねえ」
不思議がっていると、ミネーレちゃんが丁寧に教えてくれました。
「あいつ、モノブロスかと思って素材取ろうとしてると、よく擬態しててびっくりさせられるんですよね。……って、それはいいとして」
あむっ。相変わらず美味しそうにお団子を食べる子です。
「もぐもぐ。あの絵本に書いてあった『人魚の肉』、ダイミョウザザミの珠かもしれません」
そうは言われても、人魚の肉がダイミョウザザミの珠──
にわかには頭の中で結びつきませんでした。
するとミネーレちゃんが続けます。
「ハモンさんから聞いたんですけど……もぐもぐ。ハモンさんが若い頃、ツキトの都で修行したことがあったらしくて」
ハモンさん……ツキトの都……
「そこでは、ダイミョウザザミの珠は、ことの他喜ばれてたみたいです。人魚の涙とか呼ばれてたらしいです。だからあたし、その珠に不老の力があるんじゃないかって、そう思ったんですよー。……ヒノエさん?」
「あ、ごめんなさい」
しまった、また考え込んでしまった。
「もぉー、ちゃんと聞いてるのー?」
「だ、大丈夫、ちゃんと聞いていましたよ」
慌てて取り繕います。
……けれど、きちんと言わなくてはなりません。
「あのね、ミネーレちゃん。もう……人魚のことは、調べなくていいわ」
ミネーレちゃんはきょとんとした顔で聞いている。
「ほら、絵本の中のお話ですし。ほんとにあるのかわからないものを、探してもしょうがないでしょう。それに、不老になっても、いいことなんか……」
「嘘だ」
あまりにキッパリ言うので、お団子が詰まりそうになってしまいました。
「ヒノエさんには、不老の薬が要るんだよ。言ったでしょ、あたしあなたのこと、何でもわかっちゃうの。何でもよ。──そんなに寂しそうな目しちゃってさ」
虚をつかれたとは、このことでしょうか。
真っ直ぐ、こちらを見つめてくる、ミネーレちゃんの目。
この子は物事の本質を見抜く目を持っている、そう感じさせる目です。
そしてその瞳は、燃えるような赤い髪と同じくらい、情熱に満ちています。
「あたしが、探してあげる!あたし達の永遠!」
そういうと私の唇に口付けをしました。
「やったね!ヒノエさんのキス、いただいちゃった!」
そしていたずらっ子っぽく笑います。
「じゃあまた明日ね!ごちそうさま!」
加工屋の娘は、ガウシカのような軽やかな足取りで走り去りました。
──後には、顔を真っ赤にした私だけが残っているのでした。
(六-七)
【抜粋 捜査記録三 手記い-五八六一】
記録者 不明
八一五年 四月一二日
雨。 とても肌寒い。
幽霊みたいだ、と思う。
降りしきる雨。
服に染みる雨粒は、もう四月なのにこんなに冷たい。
冷たいのは、別に身体だけじゃない。
行くあてもなんて特にあるわけじゃないけれど。
魂が抜けている幽霊みたいに、ただただ里の通りを歩く。
きっかけは、三日前。
簡単な捕獲クエストだと、そう言って私の坊ちゃんは狩場へ向かいました。
ミノトに、晩ご飯までには帰る。そう告げて。
虫の知らせなのか、何か良くない予感で胸がざわざわして、その日はミネーレちゃんの所には行けませんでした。
予感は当たって、ミノトが晩ご飯を作り終わっても、坊ちゃんは帰って来ません。
そのまま、坊ちゃんの席を開けたまま、二人だけで晩ご飯を済ませます。
そして何事も無いかのようにミノトは食器を下げ、食卓は空っぽになりました。
もちろん、坊ちゃんは帰ってきません。
「ねえ、ミノト。私の坊ちゃんは……」
今日何十回目かにそう言った時、私は耐えられなくなり泣き出してしまいました。
ミノトのように普段通り過ごすことなどとても出来ませんでした。
坊ちゃんはどこにいるの?
まさか怪我をして動けないでいるの?
私の小さな坊ちゃんは、お腹を減らして、ひとりで泣いているの?
私はどうしたらいいの?
もしも、もしも坊ちゃんが帰ってこなかったら、私は、私は──
ミノトなら、励ましてくれる、坊ちゃんのいない私に勇気をくれる。そう期待して。
けれどその様子を見た私の妹は、いつになく強い口調で言い放ちました。
「いけません!姉様!ハンターたるもの、二、三日戻らないことくらいあります!」
「ハンターたるもの……?」
……なんですって。
その言葉が、私に強烈な怒りを呼び起こしました。
「ハンターになんて、私、させたいって、一度でも言った?」
いつもは言い返さない私が言い返したことで、ミノトも驚いたようです。
「ハンターみたいな、そんな危ない仕事、本当はやらせたくなかったわ!」
「それは……」
ミノトが言葉に詰まります。
「ミノトはいつもそう。いつも私の気持ちを無視して、いつも私から坊ちゃんを取り上げるっ!」
「姉様、わたしだって」
「いっつも! いっつも! いっつもよっ!」
もう知らない! 最後にそう言うと私は寝室に駆け込み布団に潜ってしまいました。
それから、二日経ちました。
私の小さな坊ちゃんがいない広い家で、私は布団から出ません。
ミノトが寝室に入ってきて、心配そうに覗き込みます。
「いけません、姉様。何か食べないと身体に障ります」
「……そんなの、要らない」
ミノトは、作ったご飯を枕元に置いて、部屋を出ました。
──早く、早く坊ちゃんの所にいきたい。
三日も帰ってこないんだもの。
ほんとはもう、この世にはいないんでしょう?
また、わたしはひとりになったんでしょう?
これだって、ずっと繰り返されてきた別れの、取るに足らない一つなんでしょう?
なら、連れてって。私を連れてって。大事な、大事な坊ちゃんのいる所へ──
枯れ果てたと思った涙が、また溢れました。
私は、坊ちゃんは既に永遠に失われてしまっていると確信していました。
だから、一日でも早く、坊ちゃんの元へ逝きたかった。
そうして、生きてきた五百年で、いちばん長い三日がやっと過ぎた頃──
どかっ。
今のは……家の戸が開く音?
「姉様、姉様!」
ミノトの叫び声が聞こえます。
まさか。
私は心臓が爆発しそうになるくらいの衝撃で布団から跳ね起き、玄関へ急ぎました。
そこに、雨に濡れた坊ちゃんが立っていました。
防具はぼろぼろ。身体は傷だらけ。額からは血が流れていました。
「……!」
声にならない声が喉からせり上がり、涙が溢れだしました。
「坊ちゃん……!」
身体が自然と駆け出して、そして思いっきり抱きしめました。
「坊ちゃん、ああ、私の坊ちゃん……生きてる、ほんとに生きてる……」
そして思いつくままの言葉を浴びせました。
「心配してたの、死んでしまったのかと思ったの、ほんとに、ほんとに……」
「ね、もうハンターなんてやめてちょうだい。ねえちゃんは坊ちゃんに、危ないことをして欲しくないの」
「これからもずっと、ずっとねえちゃんが守ってあげるから、だから──」
「離せよっ!」
どん。
私は突き飛ばされ、気がつくと土間に尻もちをついていました。
「え……」
「うざいんだよ! なんだよ、そんなに俺がハンターに向いてないってのか! クエスト失敗したのがそんなに駄目だったってのか!」
あまりに予想と違う反応に、私は言葉が出ません。
「それになんなんだよ、いつも坊ちゃん坊ちゃん、私の小さな坊ちゃんって! 俺の母親でもなんでも無いくせに」
母親でもなんでも無いくせに。
心の奥で、いちばん触れてほしくない所に言葉が刺さるのを感じました。
「大体キモイんだよ、いつまで経っても見た目も変わんなきゃ、言ってることもぜんぜん変わんねえまんまだしよ! 俺はもう子供じゃねえんだよ!」
がらがらと、私の中の何かが崩れる音がします。
「親代わりのやつなんて、もう要らねえんだよ!」
もう、要らない。
そう。
もう──「その時」が来たのね。
ぴしゃり。
ミノトが坊ちゃんの頬を思いっきり引っぱたきました。
「いけません、坊ちゃん。姉様にそんなことを言っては」
「……うぅ、うううううっ!」
私は嗚咽を必死に堪えながら、雨の降る通りへ飛び出しました。
こうして、存在するたった一つの理由を失った私は、冷たい雨に濡れ、雑踏に紛れて幽霊みたいに彷徨っているのでした。
坊ちゃんは生きてた。
坊ちゃんはもう子供でなくなった。
坊ちゃんはもう私が必要なくなった。
わかってたでしょ。
覚悟してたはずでしょ。
思ってたより、ちょっと早かっただけ。
良い事じゃない。
全部良い事じゃない。
この後彼は、自分の人生を歩む。
自分の力で。
自分の足で。
あとは、私が身を引くだけ。
それだけ。
でも。
──でも。
長く続いたこの人生を。
永遠に続くこの別れの繰り返しを。
どうすれば、終わらせられるのだろう。
どうすれば?
滑稽だわ。
五百年生きてきた。
五百年も生きてきたのに。
生きることは出来ても、終わらせ方がわからない。
誰か教えて。
教えてよ。
誰か──
「ヒノエさん!」
振り返ると、ミネーレちゃんが立っています。
「最近見ないね、どしたの?大丈夫?」
はい、そうなんです。
大丈夫じゃないんです。
「ちょっと、びしょ濡れじゃない!」
はい、そうなんです。
そうだ、教えてくれませんか。
私──死にたいんです。
「ちょ、ちょっとちょっと!」
どさっ。
私の意識は、冷たい雨の底に落ちていきました。
──気がつくと、私は知らない部屋に寝かされていました。
「気がついた?」
私は周りを見渡します。
「あ、ここね、工房の空き倉庫なの。あ、それはね、ハモンさんの奥さんの着物。勝手に着せちゃった。……そうそう、ヒノエさんって、めっちゃスタイルいいのね!」
てへへ。いつものいたずらっ子っぽい笑顔で笑います。
「ごめんなさい」
身体を起こし、謝りました。
「どうして謝るの?」
「……終わらせて欲しいんです」
涙が次から次へと溢れてきました。
「地獄のような私のこんな人生を」
私は声を押し殺して泣きました。
十二歳の子に言うことじゃないのはわかっています。
けれどもうそれを言える人は、この子だけになってしまいました。
ミネーレちゃんはそんな私を覗き込んで、髪を撫でてくれます。
そして、包み込むような優しい声で、聞きました。
「あたしでよければ、話、聞くよ」
「ヒノエさんの寿命と、あのハンターくんの寿命、ね」
──残されるのが、怖いんです。
私は全てを打ち明けました。
「ねえ」
そんな私にミネーレちゃんが優しく尋ねます。
「ヒノエさんの永遠と同じくらい、永遠にずっと残るものって、何か知ってる?」
答えられないでいると、唐突にミネーレちゃんが唇に口付けをしてきました。
びっくりして身体が動かなくなります。
唇をゆっくり離すと、ミネーレちゃんは続けました。
「愛、だよ」
寒さで強ばった身体に、ミネーレちゃんが細い腕をまわします。
力いっぱい、抱きしめてくれます。
信じられないくらい熱くて、長く忘れていた命の脈動を感じました。
押し倒され、ふたたび唇に口付けをしました。
口の中にミネーレちゃんが入ってきて、まるで熱い命を吹き込まれたかのようでした。
だんだん頭がぼーっとしてきて、あとは彼女になされるがまま──
着物を脱がされ、ミネーレちゃんも脱いで。
身体を重ねると彼女の体温と心臓の鼓動が、若さを強く感じさせました。
次第に私たちはお互い求め合い始めました。
何度も口付けします。身体中に。していない場所がないくらい。
お互いの名を、何度も何度も、強く呼び合います。
絶対に他の人には触れさせない所も、委ねました。
そして、私の身体はとても強く痙攣して、彼女の名前を私は叫びました。
次第に頭の中は真っ白になって……
気がつくと、薄暗い蔵の中で、お互い裸で抱き合っていました。
「あなたのこと、何でもわかっちゃうの」
ミネーレちゃんがこちらを見て話しかけています。
「何でもよ」
そんな彼女を、私は直視できませんでした。
「どうして、こんな私の事をそんなにいつも……」
ミネーレちゃんは私の顎を、唇ごと奪います。
「ん……」
柔らかい感触と吐息がして、甘い──とても甘い香りが口の中に広がります。
「だって、秘密を分け合う絆で結ばれてるじゃない」
唇を離して、ミネーレちゃんが緋色の瞳で見つめます。
「あたし達の永遠、のね」
「私達の永遠?」
私が不思議そうに聞くと、自信満々の笑顔で答えます。
「そうだよ!ヒノエさんとハンターくんとあたしの、三人の永遠に続く愛だよ」
「その着物と傘、後で返してくれればいいから」
濡れた服は風呂敷で包んでくれました。
蔵の出口でミネーレちゃんが笑顔を見せる。
「ハンターくんと仲直り、頑張ってね!あたし達三人の永遠なんだから!」
仲直り、出来るかなあ。
家の前で私は独りごちました。
怖くて、なかなか戸を開けられません。
がらっ。
戸が開きます。
ミノトがこっちを見ています。
「いけません、姉様。傘もささず外に出ては」
「それ、この前も言ったわ」
私は戸をくぐります。
上手く仲直り出来ることを願いながら。
(六-八)
【抜粋 捜査記録三 手記い-六〇八八】
記録者 不明
八一五年 四月一二日
雷雨。 稲光がきれい。
「行ってくる」
短くそう言うと、私のハンターさんはクエストに出かけました。
結局私はあの日、仲直りすることは出来ませんでした。
坊ちゃんが──もうそう呼ぶこともなくなったけれど──心を開いてくれなくなって、もう半年以上が経ちます。
私達の絆は、あの日を境にほつれて元に戻らなくなってしまったのでした。
それでも、いい。
生きてくれているもの。
それに、私には覚悟があるもの。
全てを捨てて、彼を愛し続ける覚悟が。
だから、捨ててきました。
弱い心も、彼にすがる心も。
それに私には、まだ彼女がいるもの。
それを糧に、私は自分を懸命に繋いできました。
夕方、買い出しから家に帰ると、戸に紙が挟んでありました。
手に取ると、それは手紙のようでした。
中には、初めてあった場所で待ってます、とだけ書いてあります。
よく見ると、女の子の字だとわかりました。
いいえ。
字なんか見なくても、誰のものなのか私にはわかります。
──ミネーレちゃんだ。
ミノトに買ってきたものを預け、かけ出しました。
「いけません、姉様。何も言わずに飛び出しては」
私は、妹の声を背に、里の門へ急ぎます。
雷と雨の中、赤毛の少女は傘もささずに立っていました。
「ミネーレちゃんっ」
私は息を切らしながら、彼女の前に立ちました。
泣いています。
身体を小刻みに震るわせながら。
「だめじゃないですか、こんな寒い中。風邪をひきます」
かがむと、思いっきり唇に口付けをしてきました。
「んんっ……」
相変わらず香る、甘く、優しい口付け。
──この子との数ヶ月間の思い出が走馬灯のように蘇ります。
初めて声をかけてもらった時。
初めていっしょにお団子を食べた時。
初めて唇で口付けをした時。
初めて肌と肌を重ね合わせた時。
それから何度も、何度も逢瀬を重ねてきたこと。
「あたしね……」
唇を離すとびしょ濡れの少女は泣きながら言いました。
「修行が終わるんです」
忘れていました。
この子は、修行をしにカムラの里に来ていたのでした。
つまり。
「カムラの里を離れて……国に、帰らないといけないの」
私は、にっこり笑いました。
「そうですか」
そして優しく頭を撫でます。
「修行、がんばりましたね」
ミネーレちゃんは首を強く振ります。
「嫌……あたし嫌よ!」
私は、困った顔を作りました。
「あら、どうしてですか?」
「嫌なの。あたし、ヒノエさんと離れたくない!」
私は、もう一度笑顔を作ります。
「せっかくの修行が終わったのよ。早くお母さんとお父さんの所に帰らなきゃ」
「嫌!」
ミネーレちゃんは抱きついてきました。
「あたし、せっかく見つけたのに。三人の永遠、見つけたのに!」
そして叫びます。
「永遠を手離したくないの!」
私はまた──笑顔を、作ります。
「だめですよ、ミネーレちゃん」
視界が歪んできました。
だめ、だめよ、ヒノエ。まだ笑顔を作っていないと──
「聞いて、ミネーレちゃん」
抱きつく彼女を優しく離し、目を見ました。
「あなたには大事な未来がある。漫然とした──長い長い孤独しかない、私とは違います」
それでも彼女は首を振ります。
──やめて、ミネーレちゃん。このままだと私──
「嫌! 嫌よ! あたしは、あたしは……!」
この子は人間だ。
この子には未来がある。
この子には進むべき道がある。
この子には──寿命がある。
どうすれば。
どうすればこの子に勇気をあげられるだろう。
どうすればこの子の心に寄り添ってあげられるだろう。
心……?
──そうだ。
あげられるものが、私にもまだあった。
たった一つだけだけど、まだ残っていた。
私は指を右目に入れます。
「ほら、見て……?」
そしてゆっくり……取り出しました。
「ヒノエさん、何して!」
人間の少女は叫びます。
「竜人族の目はね、感情と記憶を共有する力があるんですよ」
私はこの子の前で──最後の力で笑顔を作ります。
「これ、あげます」
そして、ミネーレちゃんの右目に手をあてる。
「大丈夫、痛くありません」
「あ……ああ……」
ぴくん。ミネーレちゃんが小さく震えます。
私はとてもゆっくり、優しく……二人の目を交換しました。
「あ……これは……こころ?」
ミネーレちゃんの右目が光ります。
私の左目も、光っているはずです。
「暖かい……ヒノエさんの心が、記憶が、伝わってくる……」
「ふふ。これで私達三人はいつでも一緒」
私は小指を立てて、ミネーレちゃんに見せます。
ミネーレちゃんも、小指を絡めます。
「いつまでも、永遠にね」
「うん、あたし達三人、永遠にね!」
ミネーレちゃんの目にタタラの──命の火が灯り、ぱあっと明るくなりました。
「嬉しい……あたし、一生懸命がんばって……一人前の加工屋になってみせます! そしていつか、ヒノエさんに会いに行きます!」
加工屋の新人看板娘は、羽のように軽やかに駆け出します。
そして途中で振り返って、炎のように大きな声で叫びました。
「ヒノエさん、大好きーっ!」
私は、残りの力すべてを寄せ集めて作った笑顔で、手を振りました。
帰り道。
これで本当にひとりになった私は、家──
いいえ、ひとりの自分が「ただ眠るための場所」へと帰ります。
涙がぽたぽたと落ちます。
──彼女は、失いたくなかった。
身体を重ねるほど絆を深めても、いつかこうして必ず別れてしまう。
眼球の一つなど、交換しても全く惜しく感じませんでした。
ミネーレちゃん。
ほんとはね。
三人の永遠なんて、ないんだよ。
あなたはじきに歳をとり、死んでしまうの。
私のハンターさんも、もう私から離れてしまったの。
だから、ない。
永遠なんて、どこにも、ないの。
どこにも──
その時。
ぴしゃーん!
ものすごい轟音と共に、私のすぐ隣の木に雷が落ちました。
死ぬかと思いました。
死ぬかと……
ぱちぱちと音を立てて、木が燃え始めます。
私はそれをじっと見ています。
──何か。
私の心の中でも、何かが燃え始めました。
永遠が無いなら……作れば、いい。
私とハンターさんとミネーレちゃん三人の永遠を。
簡単だ。
とても簡単だ。
「覚悟」を決めればいい。
十五年、覚悟を決めて一人のニンゲンを育ててきた。
そうやって生きてきた。
そうやって──生きてきた。
それといっしょだ。
同じことだ。
木を燃やし始めた火は、今や木を覆うほどに大きくなり、喰らい尽くそうとしています。
すべてを喰らい尽くせばいい。
すべてを犠牲にしても構わない。
その「覚悟」があれば、簡単だ。
──私、決めたよ、ミネーレちゃん。
あなたと約束した三人の永遠、作ってみせるよ。
愛しいハンターさんと、愛しいミネーレちゃんと、私の、三人だけの永遠を。
残った左目からミネーレちゃんの声がします。
「そうだよ、ヒノエさん。それでこそあたしのヒノエさんだよ」
「あなたのこと、何でもわかっちゃうの、何でもよ」
どさっ。
木を喰らい尽くした炎は、ついに、その木を倒してしまいました。
私の中で燃え始めた感情も、私を飲み込み始めました。
紅い、ミネーレちゃんの瞳より紅い光を放ちながら。
──今、私は道を間違えたのかもしれない。
なぜかふと、そう思ったのでした。
(六-九)
【抜粋 捜査記録三 手記い-九六九七】
記録者 不明
八一五年 三月二日
今日は晴れ。 とてもいい気持ち。
遠い遠い所へ、私の猛き炎が船で旅立っていきました。里の皆で、寂しい気持ちを堪えて英雄を送り出しました。
私も里の大切な誉を、精一杯の拍手で送り出しました。
あげられるものは全てあげました。
渡せるものは全て渡しました。
私はそうやって、一人のニンゲンを英雄に育て上げました。
今なら出来ます。
同じようにして、全てを費やして。
全てを犠牲にして。
──私は今から、永遠を手にします。
三人だけの、永遠に続く愛を。
里の近くにダイミョウザザミが出ましたよ、ミネーレちゃん。
人魚の肉。
私達が求めていた、人魚の肉ですよ。
「食べさせればいいじゃん。」
「好きなんでしょ?あの新米ハンターくんのこと。」
左目から、あの日のミネーレちゃんが話しかけてきます。
ええ、そうよ。
猛き炎も、ミネーレちゃんのことも──
大好きなの。
心の底から。
愛してるの。
手離したくないの。
失うのは辛いの。
苦しいの。
だから。
私は走ります。
いつもより、うんと早く。
うんと軽い足取りで。
いつもより──いつもより。
そして叫びました。
心の限り、大きな声で。
「待ってて!待ってて私の愛しいニンゲン達!」
「あなた達にこれから、私の覚悟の全部をかけた愛をあげる!」
「永遠を、あげる!」
「ははは、あはははは!」
その時──私は生まれて初めて、生きていました。
(日記はここで終わっている)
(結)
【抜粋 捜査記録二 証言〇一-六】
証言者 カムラの里 集会所 受付係 ミノト
記録者 エルガド 王国事件担当捜査官
(記録開始)
──いかがでしたか。
(すすり泣き) ねえ……さま……
──報道では、ヒノエさんの一方的な妄想による犯行とされています。しかし私には、そうは思えなかった。
だから、こうして取材を……?
──はい。ヒノエさん達の本当の気持ちを、みなに知って欲しかったのです。
……ありがとうございます。
でも……姉のことは……
どうかそのままにしてあげてもらえませんか。
──このまま、「妄想に取り憑かれた女の凶行」という世間の評価のままで良いということでしょうか。
そういうわけではありません。
わたしだって、自分の姉の弁明をしたい。
けれど……それは姉が望んでないと思うのです。
──それはなぜでしょう。
姉は全てをかけ、一人の人間を育てあげ、それと同じ覚悟を持って、永遠を探し求めた。
愛した人間達と永遠に一緒になる。
永遠に愛し合う。
そのたった一つの目的の為に、わたしたちを含む全てを捨てた。
つまり姉の覚悟は、生き方は……
「一つを守るために、他の全てを切り捨てる」
ということに尽きると思います。
だから、世間の評価がどんなものであっても、それは「切り捨てたもの」のひとつに過ぎません。
姉のやったことは許されません。わたしも、許していません。
でも「そういう姉がいた」ということも、誰にも変えられない事実です。
わたしが言えることは、もう何もありません。
──わかりました。最後になりますが……なにか伝えておきたいことはありますか。
姉を狂わせたのは「寂しさ」と「孤独」だと思います。
里の人間は皆が口を揃えて言います。
姉は「太陽のような人だ」と。
里の全ての人間から愛され、そして同じように皆を愛している。
里には無くてはならない人だと。わたしも、そう思っていました。
でも本当の姉の姿は、弱く、泣き虫で、寂しさと孤独にいつも怯えて。
そして普通の人間達を愛した、普通の女性でした。
誰しもが、辛い時、苦しい時。
姉のように寂しさと孤独に狂わせられる可能性があると思います。
そのことを、どうか、どうか忘れないで……
伝えたいことは、それで全部です。
──ミノトさん。ありがとうございました。これにて、全ての取材を終了します。
(記録終了)
【抜粋 捜査記録五 手紙〇四】
記録者 薬師 タドリ
エルガド 王国事件担当捜査官 殿
ご依頼いただいた
鑑定の結果が出ましたので
報告いたします
事件現場に残され
被疑者が生前「不老の霊薬」と
称していた液体の主成分ですが
塩分とその他少量のミネラル
所謂「塩水」でありました
被疑者が述べた「不老」の効力は
ないものと思われます
以上を持ちまして
事件の全調査を終了と
させていただきたく存じます
薬師 タドリ
(手紙はここで終わっている)
(完)