【書籍化】残影の英雄 ~俺が死んだらみんな曇るとか聞いてない~ 作:龍川芥/タツガワアクタ
2036年 10月10日
災玉国防学園
きっかり朝五時。
「……は」
天井を薄く染める白い
凛々しい美貌にまるで似合わぬ嘲りは、他ならぬ己に向けられたものだ。
―――骨身に染み込んだ習慣は、自分の心情さえ汲んではくれないんだな。
そう目覚めてすぐに自嘲するのが、ここ数日で彼女が身に付けた新たな癖だった。
“彼”を失って得たものがコレだと思うと、気が滅入るどころの話ではない。
真実、死にたくなる。
体は鉛の塊になって、ずぶずぶとベッドに沈み込んでいくようだ。
けれど現実問題、そんなのはただの錯覚で。
悲しいかな、八重桐テンカという人間は、十秒だって無為に甘えてはいられなかった。
ぎしり、ベッドを軋ませ立ち上がる。
カーテンは開けない。流石にその気力はないし、必要もない。黎明の光は薄い布など貫いて、彼女の住む部屋を充分なくらい照らしている。
本当に、眩しすぎるくらいに。
「……広いな」
見慣れた光景に、どこか間抜けな評を溢す。
事実、学園の生徒会長である八重桐テンカが住む部屋は広かった。
学生寮最上階、
空間の広さ、調度品の格、立地から建築センスまで。どれひとつとっても超一流――ホテルであれば一泊百万に届くだろう豪華絢爛。それでいながらどこか所帯じみた印象が全体を纏めているのは、この部屋の主の意向と見て相違ない。
正に星五異能者の強権を象徴する、願望が形となったかのような空間だが……この部屋には明確に欠けているものがあって。他が理想的だからこそ、テンカはその欠落を無視できない。
―――そうだ。この部屋は、一人で住むには広すぎる。
贅に囲まれ虚しく響くその悲嘆は、もう幾度となく抱いた不毛な感慨だ。だから言葉にはしない。
ただテンカは、先程まで自分が寝ていた豪奢な拵えのベッドを振り返る。
誰が見ても高級と分かる四つ足のマホガニー。
畳で育った彼女だが、布団ではどうしても寝台の寝心地には及ばない。サイズは
「…………」
あるいは。
その部屋の中に居る限り、彼女はまだ夢の中に居るのかもしれない。
朝の支度を済ませるため、テンカはベッドから離れ歩き出す。必然目に入る室内の様子は、どれも昨日の夜から変わっていない。
食卓のテーブルは一般サイズで、机を挟んで椅子が二つ。
マグカップも二つ、形はお揃いで色違い。
食器は全て二セットずつ、同じものがきっちり二つある。
洗面所には歯ブラシが二本、片方は使われた形跡がない。
スリッパも色違いで二足、青色の方は男性用。
誰が見ても二人暮らしの光景だが、実際のところ彼女に同居人は居ない。
無駄を好まないテンカらしからぬ無駄の多さ……いいや、それらの調度品が埃一つ被っていないところを見るに、彼女にも必要なものであるらしい。
―――揃いも揃えた高級品。足りなかったのはたった一つ、それを使う誰かの存在だけ。
「こんなにも佳い部屋なのに。おまえは、どうして……」
ここに住むことを拒んだ。一体この部屋の、私の何が不満だったのだ。
本来なら美術館に収められるべき歴史ある絵画も。
全ては独占する為ではなく、共有するためにこそ手に入れたのに。
「…………」
部屋に溢れた、
そのひとつひとつを、女の視線が、指先がなぞっていく。よせばいいのに壊れた
片付け忘れたおもちゃ箱。今ではすっかりゴミの山。
泣いて恨んで化けて出て、気付いた時にはこの有様。
―――夢は夢でも、これでは悪夢だ。
叶わない夢が腐って歪んだ、そんな光景に眩暈がする。
そうして、見知らぬ街を彷徨うような足取りで。
八重桐テンカは今日もそこへ。
「――――」
部屋に備え付けられた和室には、立派な造りの仏壇がひとつ。
以前までは両親を弔うものだった黒いハコは、最近になって一人、新しい住人を迎えてしまった。
その遺影を。
若くして世を去った弟の
「…………エイト」
彼女が泣き崩れる事はない。
名を呼ぶ声は湿ってなどいない。
――――折れず歪まず曲がらない。
それは磨き抜かれた
才気と練磨が辿り着いた、八重桐テンカの魂の姿。
だが、その比喩が正しいならば。
どれだけ切れ味が鋭くとも。折れず歪まず曲がらなくとも。
収める鞘を失った刀は、いったいいつまで、
そんな問いより約二ヶ月後
2037年 1月1日
影宮エイト、学園へ帰還。
次回からは『国防学園帰還編』を予定。