本来であれば、武家の子供は幼名があるのですが、継国巌勝と黒死牟という名に加え、ここだけの幼名までつけてしまうと、読者にとっても筆者にとってもややこしいことこの上ない話になります。
なので、子供のころから継国巌勝という名で通すことにします。
この時代を描くにおいて、話の都合でいろいろな種類の人物が出てくることになりますが、全てこの物語の独自設定であり筆者の趣味です。
他にも時代考証的におかしい部分は多くあると思いますが、完璧を目指しているといつまでたっても書き始められないので、ある程度は目をつむっていただけると幸いです。
筆者は室町時代には詳しくないので、それっぽい描写があっても、大体にわか知識だとお考え下さい。
縁壱と巌勝の母親の名前は公開されていますが、父親の名前は出ていなかったはずですので、ここでは『継国景勝』と名付けています。この両親の来歴も筆者の空想なので、その点もご了承ください。
また筆者の鬼滅の知識は、原作とファンブックのみであり、ほかの媒体による情報は取り入れておりません。
この物語を書き続けるためにも、書きにくいところは極力省いていきたいという、筆者の希望によるものです。まとめて、ご了承くだされば幸いに存じます。
そして筆者も間違いをすることがありますので、原作の解釈で問題などがありましたら、ご指摘いただければと思います。
戦国時代の武家において、弱さとはすなわち悪であり、強さを求めることは義務であるとすら言えた。
強くあらねば、秩序は愚か、自らの命さえ守ることはできない。力を持たぬ武士に価値などない。
正しく武家としての義務を果たさねば、所属する共同体そのものが維持できなくなる。
そも、戦で敗北すれば族滅、根切りにされることさえ覚悟せねばならぬ――そんな世の中だった。
源頼朝をはじめとする源氏が、平家への逆襲を果たしたことは、室町時代の武士ならば誰もが知るところである。かの兄弟を無理にでも始末しておけば、平家の天下は、今少し続いていたはずだ。
打ち負かした家を下手に生かしては、我が身の災いとなる。勝者が敗者への残酷性を表すのは、この例があったためでもあるだろう。一族郎党が殺害対象となるのは、もはや大陸の専売特許ではなくなっていた。
実際、鎌倉幕府以降の内乱においては、十を数えたばかりの童子のみならず、寺に出家した子供をも手に掛けて、禍根を断とうとする例がいくつも存在した。
それこそ源氏、足利の一族であっても、例外なく勝者のための生贄となっていったのである。
こうした血で血を洗う歴史を経て、やがて戦国の世に至る。この時代、力がなければ生き抜くことも難しく。正しき権威の後ろ盾がなければ、恐れを知らぬ人の群れは、たやすく個人を押し流す。
しかし権威とは歴史か、あるいは宗教か。結論など出せぬままに、混沌とした世を漂わねばならぬこと。それ自体が、当時の人々にとっての不幸であったろう。
力と権威が伴った、絶対的な抑止力は存在しない。戦国とは、まさにそうした環境から生まれる時代のことを言うのだ。
上は室町将軍から下は辺境の地侍まで。武家であれば、その認識は共有されていたと言っても、言い過ぎではあるまい。
室町時代も後半に差し掛かれば、嘉吉の乱による将軍暗殺の混乱と、それによる幕府権限の弱体化のため、地方の勢力はそれぞれの生き残り方を模索せざるを得なかった。
もとより室町幕府は、地方自治に関しては緩い部分があり、ガチガチに統制を取るよりは『よきに計らえ』とばかりにその土地の有力者に仕事を投げている所が多かった。
室町幕府にとって、自身の直轄地以外は関心がなかった。――たとえ興味を持ったところで、強権の発動は劇薬であり、反動の大きさを思えば躊躇って当然だった。
下手に関心をもって地方に干渉しだせば、反乱を招きかねぬ――という。当初は理解していたはずの、その事実を忘れたこと。幕府の凋落は、まさにその瞬間に始まったと言うべきだった。
施政の失敗から、いくつもの戦を経て紆余曲折あり、複数の思惑が絡んだお家騒動の挙句の果て、大小の争いが勃発する。
そして、応仁の乱による混乱から、もはや将軍家には守護大名を統制する力がないことが、満天下に明らかとなってしまった。
争いを押しとどめる権威なく、全国を統べる強者も凋落したとあらば、天下動乱となるのが必定。
力あるものが土地を制する時代、何処から搾取して誰を食わせるか。それを決める義務が、強者には存在する。
武力の維持と行使を存在意義とする武家にとって、これはまさに死活問題であった。
上野国(こうずけのくに)の国部村に居を構える『継国家』もまた、地方にある有力な武家の一つであった。
元は馬借の棟梁の一族だったが、経営上手の傑物が生まれたことによって、禅宗寺院との人脈を作り、高利貸しも兼ねるようになったという。
馬を用いるならば武力も備えるのが理想である。流通を担う馬借が、それを実現したとすれば、在地領主として台頭していくのが常道。
これに広い人脈と経済力まで重なれば、土地の利益を差配する有力者へと成り上がるのも、当然の成り行きだった。
そして、ついには鎌倉時代後期において地頭の職を得ることとなったと言い伝えられている。
実際の歴史的事実がどうであれ――この手の地方勢力が確立すると、領国から離れていた守護への忠誠など消えて、民は土着の有力者を頼るもの。
遠くの邏卒より、近くのヤクザの方がアテになる。したたかな民衆は、いつだってそれを理解していた。室町時代は飢饉が猛威を振るった時期もあり、この際の一揆においても、継国家は地元を先導する統率者として振舞ったという記録がある。
それはつまり、当時の継国家を支持する人々が、思いのほか多かったことの表れとも言えよう。
やがて一揆は穏便な形で収まり、継国を名乗った家は、上野国守護職の上杉家から、国部村を統治する権限を頂くこととなった。
正式にその名が認められて被官となり、当地を実効支配する勢力として、周囲からも認識されたのである。
これらの過程の中、一歩間違えば継国家は滅ぼされる側に回っていたことは、想像に難くない。それでも勝ち残ったのだから、今の地位を保つに足るだけの実績は示したことになる。
――結果論であるが、継国家は上野国の中でも名のある武家にまで成り上がった、と言い切って良いだろう。
もっとも、勢力としては居を構える国部村とその周辺までが限界であり、守護である上杉家の意向に逆らうところまでは、到底及ぶところではない――というのが実情ではあった。
「巌勝、わかるな。継国家は武家としては歴史の浅い方ではあるが、この土地に根付いて長い家であることは確かだ。……我らは武をつかさどる一家として、民を統率する責任者として、直接彼らに関わる立場にある。その生活に留意し、仁義にもとる振る舞いがあってはならぬと心得よ。この場合の仁義とは、常日頃の生活態度のみならず、勝つべき戦で必ず勝利すること。我が家と周辺の村々に不利益をもたらさないことも、当然のように含まれるのだ」
そうして、継国家現当主である継国景勝(つぎくにかげかつ)は、嫡子である継国巌勝(つぎくにみちかつ)に説いた。
自らの起源となる家の歴史を説くことは、他者に任せることではないと、思ったのであろう。
教育を人任せにして放置した結果、不心得者が生まれた例は多い。だから景勝は、継嗣に対する教育は熱心に行っていた。
それこそ、自らの分身とでもするかのように。よかれと思いながら、自身の倫理と価値観を押し付けるほどに熱弁したのだ。
「越前朝倉家は、元は有力な国人であっても、幕府の重責を担うような立場ではなかった。しかし応仁の乱による政変の果てに、朝倉孝景の代で越前守護にまで成り上がることとなった。これは政治的な立ち回りの結果でもあるだろうが、それだけではない。地元からの支持なくして、土地の支配はままならぬ。――我ら武家の者は、機会さえあれば多くの責任を負う地位を任されることになるのだ。その時に備えて、強く、正しく生きることを常に意識せよ」
継国景勝は、自らが認めた息子に、『巌勝』と名付けた。
強く、いつも勝ち続けるように――と願いを込めてのことであったが、それは武家の定めを背負わせることへの、せめても配慮でもあったろう。
それだけ愛情深く、息子を愛していた。その愛を明確に言葉にすることはなかったが――己がそう望んでいたように、巌勝には正しさを貫けるだけの強さを持ってほしかったのだ。
「良いか。お前は弟の縁壱とは違う。あれは半ば押し込めているが、必要だからやっていること。とにかくあれとお前は、違う立場だと理解するがいい。――私の跡継ぎはお前だ。それを自覚しろ」
「……はい、わかっております。父上」
この親の愛も、双子のうちの、兄と定めた一子に限られていた。偏愛という他ないが、その程度ならばこの時代、ままあることだと言わねばならぬ。
何より、律儀に自らの教えを説いてくるものだから、巌勝も長兄としての責務を理解せざるを得なかった。
巌勝はこの年、数えにして七歳になったばかり。まだまだ幼いながらも聡明であった彼は、正しく親の言葉を理解している。
景勝もそれがわかったから、父としても教育に熱が入るのだった。
「室町殿(むろまちどの)は、土地に対する投資に無関心だ。堤防や用水路と言った設備は、現地で苦労する者達が負担せねばならぬ。――それでいて貴人どもは、自らの遊興や見栄の為ならば、湯水のごとく金を徴収し浪費することを躊躇わぬ。しわ寄せを食らうこちらにとっては、いい迷惑よ」
水利権の調整、災害への備え等は、農村の人々にとっては死活問題である。いずれも公共事業として行われるべきものなのだが、室町幕府はこの点は地方の好き勝手にさせていた。
それでいて幕府の任命した守護は、遠地でふんぞり返りながら、名目を押し付けて税金をむしり取ろうとする。
これでは、現地の人間が反感を持つのは当然であった。子供である巌勝は、複雑な事情など分からないが、顔も知らない名目上の上役に、払うべき敬意などないと思っている。
それが農村に住むものの総意であることもまた、確かであった。
「近隣の甲斐や信濃に比べれば、交通の便がいい分、上野は恵まれている。特にこの国部村の近くには曹洞宗の寺院があるだろう。……あそこの禅僧は、我々国人や農村の状況について、理解してくださっていてな。先年の河川への堤防づくりに際しては、特に多くの銭金を出してくれた。おかげで人を集められたし、今年の水害は軽微なものにとどまった。お前も、禅僧たちへの感謝を忘れてはならんぞ」
この家の者が食う飯は、そうして守られた田畑によって賄われているのだから。
人足を務めてくれた農民たちも含めて、それを守っている者たちへの義理は、常に意識しておくのだと景勝は言った。
「わかりました、父上。……その寺が、その」
「縁壱に行かせる予定の寺でもある。禅僧たちは教養高く、人格も相応だ。継国家は武家としての地位は低いゆえ、僧籍としては高位には上れぬであろうが、食うに困ることにはならん。……お前が心配することは何もないと、あらかじめ言い渡しておく」
そんなことより、お前の教育を頼む予定もあるゆえ、顔を合わせたときは先生を敬う気持ちで接するように――と、景勝は巌勝に言い聞かせた。
わずかに怒気をまとわせているのは、縁壱の名が出たためか。自分が弟の名を言わずとも、何が言いたいのかはわかっていたらしい。
「お前は武士なのだ。この継国家の跡継ぎであり、この地に根付く者たちへの責任を背負わねばならぬ宿命である。――私の息子は、お前だけだ。あれのことは、血がつながっているだけの他人と思え」
父からの教えの多くは、巌勝も共感できるものが多く、不可解であっても受け入れるのが難しいことではなかった。
しかしただ一つ、弟の縁壱のことに関してだけは、思うところがあったのだが――以前、それを口にした時、巌勝は派手に殴られている。
継国家は、親子で見解の相違を許せるような、余裕を持った家庭ではなかったのだ。
だから、彼も自身の弟の境遇に関しては、むやみに触れようとはしない。必要な時にだけ、遠回しに言うようにしていたが――それはそれで父の勘気に触れかねないと、巌勝はここで学んだ。
「今日は、これまでとする。昼からは剣術指南を受ける時間であろう。武士たるもの、文武は両道で当然。勝てない武士に価値などない――励め」
「……はい、父上」
継国景勝には、彼にしか出来ぬ仕事がある。幼い巌勝が手伝えることはないし、鍛錬を重ねて将来に備えることしか、今は出来ないとわかっていた。
実権がない継嗣にできることなど、多くはないのだ。半ば押し込められている弟に対して、してやれることといえば、自己満足の範囲でしかない。
――教えられたことを伝えれば、密かに、共に学ぶ体裁を整えることはできる。だが、兄として、出来るのはこの程度なのか。
ささやかな施しをして、哀れんでやることしかできない。自分の弱さを、巌勝は自覚せねばならなかった。
父親に反抗する力さえない自分。無力さを噛みしめる日々を数えて、もうどれくらいになるだろうか。
縁壱が寺に行くことを、反対するわけではない。それは、彼の身を守ることにもなる。禅僧をためらいなく斬れるものなど、戦国の世にあってもそう多くはないだろう。
だが、それでも。何一つとして自由なく、閉じた世界を押し付けられる肉親に対して、思うところを持たぬほど。継国巌勝は、人情を解さぬ子供ではなかったのである――。
剣の道が如何に険しいか。これは、父も知らぬことであろうと、巌勝は確信している。
文武両道などと言ったが、父が鍛錬をしているところを、彼は見たことがない。理想は理想として、文の道を歩むことにしたのだろうと、勝手に解釈していた。
その決断の裏にどのような葛藤があったのかなど、子供である巌勝にはわかるはずもなかったのだが――。
「まだ子供だからな。加減はしてやるが、それだけだ。……わかっているだろうが、将来お前がいくさに出たとしても、この剣術はお前を活躍させるためのもんじゃない。死なないための手段の一つだと、割り切って考えろ」
「……はい!」
「今は、元気な返事だけで済ませてもいい。だが、俺をはじめとして、継国家に養われている連中は、時にはお前を守って死ぬのが役目になる。――その重さを、理解できるようになれよ」
父の部下に、剣術の達者な者がいた。初の顔合わせの時は、ただ『平助』とだけ名乗って、早々に剣の型を覚えさせる作業をやらせた。
巌勝が素振りをするときさえ、真面目くさった表情を崩さなかったが、それは自身がただの兵卒であり、駒として死ぬことを割り切っていたが故の態度でもあるのだろう。
「平助殿は、ある流派の……御高弟と、聞きましたが」
「そんな立派なもんでもないぞ。ちょっとばかり無理をして、稽古を続けさせてもらっただけだ。お前さんの父上には、その件でケツを拭いてもらったから、結構な負い目があって――おい、剣を振る手を止めるな。強くなるには、斬り覚えるのが一番だが、お前の年だと剣を振っているだけでも鍛錬になるんだよ」
どのような流派の、誰それの弟子であったとしても、巌勝にとっては思い入れなどなく――実用的でありさえすれば、それでよいという程度の認識である。
だから、これ以上追求しなかった。剣を学ぶことに異論はないのだから、こうして鍛錬に付き合ってくれるだけでも、それで十分だと思うのだ。
「気持ちがはやるのはわかるが、まずは体を作ることだな。――ま、子供の時分だから、無理はさせん。時間のあるうちに、精一杯励め」
「……はい!」
――剣士として、自らの強さを示したい。幼いとはいえ、武士の自覚を持つ巌勝は、そうした考えを捨てることは出来なかった。
いわれるがままに木剣を振り、走り、水練も行う。そうして動き続けた後、時には模擬戦を行うこともあった。
未熟な体には難しいことでもあったが、常に万全の態勢で戦えるわけもない。疲労した体でいかに剣を振るうか。それを知るのも鍛錬の内だと言われれば、否やはなかった。
「まあまあ、こんなもんだろ。昼過ぎから日が暮れるまで動き回れるなら、まずは十分。その年でそれだけ動けるなら、将来は期待していいぞ」
「……将来は、ですか」
「心配しなくても、戦に出るまではまだ時間がある。成人するまでは鍛られる余裕があることを、まずは喜べ」
「どう、でしょう。……わかりません。ただ、強くならねばならぬ。戦わねばならぬのなら……必ず、勝たねばならぬと。そればかりを、考えるのです――」
子供の体で出来ることは多くはなく、指導する側も手加減をするものだから、無茶というほどの無茶はなかったと、巌勝は成長後に振り返って思う。
しかし、今はまだまだできるのだと思いたい年頃であったから、もっと鍛錬を増やしてもいい、父親よりも強くなりたいのだという希望を示したこともある。だが指導役の父の部下は、冷淡な言葉をもってそれに返した。
「うぬぼれるなよ。お前ひとりが苦しんで、強くなったとて。単独の力ではどうにもならんのが現実ってやつだ。――勇者が一人で戦局を変えられる時代は、もう過去になったんだよ」
「剣に長ける程度では、不足だと?」
「やればやっただけ成長する、その才は認めるがね。……お前は一人で強くなるんじゃなくて、周囲と一緒に頑張るやり方を覚えろ。将来の部下との顔合わせは、もう少し後の話になるが――とにかく、同年代の連中とのつながりを、まずは大事にすることだ。それが結局は、最後の最後で生きのこるための命綱になるってもんだ」
父の部下は、よほど過酷な戦場を経験したのだろう。巌勝は何となく察するくらいのことしかできなかったが、それだけでも数えで七歳を迎えたばかりの幼子としては、利発な方であるといえよう。
「あなたも、そうして……生き残ったのですか?」
「若に語れるほど、いい思い出でもないかね。聞きたいのかよ、ええ?」
「……できるならば」
「なら話したくないね。負け戦の話だなんて、酒でも入ってなきゃ口に出せるものかよ。――で、若様は酒を入れるには早すぎる。十年後なら、考えてやってもいいがな」
相手の気持ちを斟酌せず、自らの疑問に正直な態度は、この年ならばまだ可愛げの内であろう。だから、平助も軽く受け流す。
「その時も、どこの戦だったとか、そういうのは聞くな。――お上への批判は、巡り巡って自分を刺すことになる。まあ、若にはまだわからんだろうが……ああ、悪い。余計なことまで口にしたがるのは、俺の悪い癖だな」
「悪い癖ついでに、お聞かせください。……父上を、貴方は、どう思いますか」
「ご主君、というほど遠くない。しかしただの上司、というには義理がある。――まあ、なんだかんだで、継国家の維持のためなら、命を張ってもいいと思ってはいるぞ。これは俺に限った話でもないが」
「……それは、なぜ」
「継国家が、ここら周辺の安定のため、必要不可欠な存在だから、だよ。俺らが俺ら自身を守るための、名目になってくれる。今までずっと音頭をとってくれた家だから、俺たちも尊重してやろうって気になるんだ。――あけすけに言うなら、持ちつ持たれつってところかね」
名目上の君主の嫡子に対して、彼はそれなりの礼儀をわきまえていた。悪い癖と言いながらも、巌勝が好奇心をもって話を促すなら、あえて口を滑らすのも将来の部下の務めだろう。
そう思って、平助は話を続ける。口調こそ素のままだが、配慮を欠かさない態度だけは、常に維持し続けていたのだ。
「地方の、土着した国人って連中は、大なり小なり難しい立場なんだよ。……兵を募るのも、税を徴収するにも、その地の農民を正しく扱う必要がある。下っ端下っ端と軽く言うが、そもそも従ってくれる人がいなきゃ、武家なんて維持出来やしない。横暴なふるまいなんてした日には、手痛いしっぺ返しを食らっちまう。――正しくあれ、強くあれって、親父殿が口を酸っぱくして言うのにも、それなりの道理があるってことだ」
前置きとして、彼はそう言った。巌勝は意味のあることを聞いているのだと、それだけを理解していた。
しかし、実感を得るほどには、経験を積んでいない。それが許される齢であればこそ、誰もが若殿を尊重しようとするのだった。
「若、あんたは継国の家の跡取りだ。あんたの世代でも、俺たちは変わらずに暮らしていけると思えばこそ、盛り立てもするし戦で命を懸けたりもする。……期待外れだなんて、思わせてくれるなよ。馬鹿殿様を祭り上げられるほど、国部村は豊かじゃないんだ」
「馬鹿には……なりません。約束します」
「そうしてくれ。俺もその約束が破られることのないよう、仏様にでも祈っとくよ」
土着の国人ともなれば、その土地の農産物を生産し、開拓してくれる民に対して、配慮を欠かすことはできぬ。
巌勝の父が言ったように、彼もまた特権に胡坐をかくなと警告するのだ。
「あんたの家の紐付きである俺は、継国家が健在であるうちは、それなりに尊重される。教育も受けているから、生き残りやすい。……逆に言えば、俺らが死ねばそれだけ若の命も危うくなる。だから、目下の連中を舐めたりするなよ」
「はい。……決して」
父の部下は、みな彼のような認識を持っているのだろうか。だとすれば、巌勝としてはこれを頼もしく思い、きちんと食わせていくことを考えねばならぬ。
そうした自覚こそが、主たるものの使命であると、すでに父から学んでいたからだ。
「今日は一対一だが、これからは他の連中も混ざって鍛錬する。そうして、武士と農民の差ってやつを、まずは実感してみるといい。……社交の練習と思って、いろいろな連中と混ざる努力をするんだな」
「はい!」
「返事はいい。委縮するよりは、まあ、挑戦してみろ。若の年代なら、失敗も許されるもんだ」
平助はそれだけ言って、定められた時間内まで、適当に流していった。
鍛錬に手を抜いていたわけではないが、巌勝を見定めることに重点を置いていたのだろう。
巌勝自身、そうした彼の視線と表情こそ、最後まで気になって仕方がなかった。
気の休まることない時間。鍛錬のたびに、そうした感覚を覚えねばならぬのかと、巌勝は気に病まねばならなかった。
しかし、それこそが武家の長男の義務であるのだと。それが継国家の嫡男たる者の責任だと、理解するだけの聡明さも巌勝は備えていた。
「上野だと聞いたことはないが、信濃辺りでは戦場が近くなると、『鬼』が出るって噂があるらしい。俺はそれらしいものは見たことはないが、戦いの場では理不尽なんてありふれたもんだ。だから、景勝殿のように験担ぎもしたくなるんだが……とりあえず、お前は何があってもいいように鍛えておけ。地力を上げておけば、生き残りやすいと言うのも、確かな事実だからな」
「……はい、平助殿」
彼の不幸は、その生まれか、あるいは運命によるものであったのか。いずれにせよ、未来の結果から逆算して見れば、無情な結論を出すことになる。
継国巌勝が罪を重ねることになった、その原点。戦国時代の武家、しかも辺境の国人の家に生まれた者が鬼に関わることの不幸さは、筆舌に尽くしがたいものであったと。
全てを知ることができる者がいたのなら、きっとそのように結論付けたはずであろう――。
国部村は、上野国でも比較的良好な経済状況を維持できている。
飢饉においても、なんとか餓死を免れる程度には物資の調達も可能であった。そこには当然、それを可能とする環境、社会が維持されていたことを意味する。
継国家は馬借を務めていた家柄であるから、先祖伝来の人脈や販路は当然だが、馬の繁殖、および管理運用する専門技術を持っていた。
馬は軍事的にも商業的にも、価値が高い。この流通を掌握することで、多方面に働きかける政治力を持っていたとも、技術による支配を確立していたともいえる訳だが――。
継国家がそれだけの強みを維持できていたのは、土地に根付いた宗教勢力と関係を持っていたことが、極めて大きい。
巌勝は、それを禅宗寺院の本拠において、実感せざるを得なかったのである。
「……月舟禅師。今日は、よろしくお願いします」
「うむ、では本日も教養の時間を取ろう。武士は斬った張ったが仕事じゃが、学問がなくては出来ぬことも多い。――さ、机に向かえ」
父は詳しく言い聞かせなかったが、曹洞宗の寺院がすぐ近くにあることは、その宗派の影響を受けることでもある。
この『月舟』という名の禅僧についても、巌勝にとっては計り知れぬ妖怪のような、底知れぬ印象を抱かせてくれた。
「禅だ儒教だ算術だというが、書物に向かうだけでは学びを得るのは難しい。学問というものは、師の元で指導を得ながら進めるべきなのよ。……ぜいたくを言うなら、同等の学友も得るのが一番じゃが――まあ、国部村でそれを求めるのは酷というものか。お前の同世代の童どもは、家の手伝いに農事にと忙しい。寺子屋で学ぶ時間など、農繁期には割く余裕すらなくなってしまう」
「……わかっております。月舟禅師のような、高僧の手ほどきを受けられるだけでも……幸福だと思うべきだと、わきまえております」
「無駄に年ばかりを食った坊主であるが、こんな一介の禅僧の学識で良ければ、喜んで伝えようさ。――これでも、知人だけはやたらと多い。右から左に伝えるくらいの器用さは、持ち合わせて居るつもりじゃ」
曹洞宗は、臨済宗や黄檗宗などと含めて、禅宗とひとくくりにされることもある。それほどまでに、お互いに距離の近い宗派といってよい。
実際、臨済宗の寺に曹洞宗の僧が出入りすることは許されており、共に学問を学ぶことさえあった。同じ寺で聴講することもあれば、出入りできない僧に対しても、個人的に知識を伝達しあった記録も残っている。
そして、互いの宗派で付き合いがあるということは、そのまま人脈の広さにつながっており、これは禅宗独自の強みといって良いだろう。
経済的文化的に、室町幕府に近しい臨済宗ほどではないが――曹洞宗の僧の学識と経験は、地方の発展に間違いなく寄与していた。
国部村において、それは土地への投資として表れている。通年の作物の収穫や水害の備えに対して、村民たちが不安を持たずに過ごせるのは、この資本への信頼があるからだろう。
こうして寄与している分、宗派の保護は継国家の義務でもある。郎党を動員して金貸しの代行のみならず、寺の荘園から徴税し、実地に配分する作業まで負担しているが、恩恵を考えれば妥当な行為であったと言える。
また、継国家が支持している以上、周辺の村落は、すべて曹洞宗の檀家となっていた。これもまた、禅宗と武家が共生するための知恵であったろう。
そして、禅宗の知恵を活かすならば、もっと単純で効果的なものがある。それが、武家の子息への教育を担当することであった。
「前提として、計算が出来ねば農事も成り立たぬ。いや、無理ではないが、非効率極まりないものになる。なぜかはわかるな?」
「はい。年貢収容における算用状作成、灌漑や開墾における測量、金貸しの事業では利息の計算など。算術に習熟しておらねば、いずれも出来ることではありません」
うむ、と月舟はつまらなそうな表情でうなづく。
しかし――と苦い顔で、この齢六十三を数える老人は、巌勝に応えた。
「最後の利息計算については余計じゃな。農事の、とわしは言った。他の事業についてまで言う必要はなかったはず。……自分の知識を披露したくなったか? とすれば、知恵ばかりが先行する、浅学の小僧らしい言いようではないか」
月舟は、巌勝の優れた資質を認めていた。認めていたから、その才気の鋭さに不安を覚えてもいた。この子の知性は、七つを数えたばかりの子供には不釣り合いである。
優れすぎていることが、当人の幸せにつながるとは限らない。だから、あえて老人は苦言を口にするのだ。
「……そんなに、いけませんか?」
「お前は武士として、身を立てるのであろう。訳知り顔で知識を振り回すような奴は、主君に嫌われるぞ。……当代の上杉殿も周囲の直臣たちも、決して馬鹿殿さまではないが、繊細な方々でもある。直接見える機会は早々なかろうが、目上の相手には滅多に意見するものではないと、わきまえるがいい」
巧言令色ばかりが、知の悪い部分ではない。できるからと言って、余計なことまでやってしまえば、かえって反感を買うものだ。
文武両道は確かに理想だが、理想なだけに体現する者は嫉視を免れぬ。ましてや不完全であれば、それだけ多くの敵を作るだろう。
「勇だけがあっても、あるいは知があっても、礼がなければ意味がありません――か」
「論語くらい、すでに暗唱出来るくらいには読み込んでおるじゃろう。ここでそのような言葉が出てくるあたり、本当に齢に似合わぬ早熟振りよ」
「お褒めに与り……恐縮です」
「褒めてはおらぬ。それがわからぬお前ではあるまいに。――遠回しな嫌味をそのまま流す柔軟さを、お前は持つべきよな」
漢学の知見では、早熟は晩成より一段劣る扱いをされる。言外にお前は大成せぬと伝えたようなものだが、巌勝はひるまない。
この子供には、ひるんでいる暇がない、というのが正確なところであろうか。
「そうさな。『六言の六蔽』を知っているか」
「論語の陽貨第十七篇、八章にある、孔子が子路に説いた話でしょう」
「さよう、わかっておるではないか。だが、言葉だけを理解するだけでは足りぬ。……美徳は、必ず学によって成就する。心を鍛えられず、己の欲望に負けるようであれば、どのような才能も腐れ落ちると知るがいい。――さて、わしの言いたいことがわかるか?」
「……はい。仁を好みて学を好まざれば、その蔽や『愚』。知を好みて学を好まざれば、その蔽や『蕩』。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や『賊』――ですか」
即座に六蔽のうち、三つをそらんじて見せる巌勝。その如才ない態度にこそ、月舟禅師は危惧を抱く。
愚とは、学をおろそかにするがゆえに陥れられたり、くらまされたりすることを言う。
蕩は、いたずらに高遠な理を求め、極めてはならないところまで極めようとする心根を言う。
賊とは、小さな信義のために利害すら忘れ、己も他者も害するような頑固さを言う。
いずれにしても、経験のない子供の身で、実感できるはずもないことであった。
「後半を省略するな。……直を好みて学を好まざれば、その蔽や『絞』。勇を好みて学を好まざれば、その蔽や『乱』。剛を好みて学を好まざれば、その蔽や『狂』。そのすべてが、お前にとって致命的な弱点となろう」
巌勝のような、優秀でも成熟しきっていない、小さな大人にとって大事なのはこれらの方だろう。
絞とは、真っすぐであろうとするために人に厳しくなりすぎ、かえって人情を失うことを言う。
乱とは、血気の勇ばかり頼んで、上には嚙みつき、下は侮って己が意を押し通そうとすることを言う。
狂とは、単純に軽挙妄動することを言う。未熟な学問しか収めておらぬがゆえに、どう行動するのが正しいのか――わからぬがゆえに、惑うのである。
孔子の弟子である子路は勇者であり、六言の中でも信・直・勇・剛を好んだ。武家の嫡子たる、巌勝もそうであろう。ゆえにその蔽をよく理解し、身の破滅を防げるようになってほしいのだ。
孔子が子路を案じたように、月舟も巌勝を案じている。
美徳は美徳なりの難しさがある。それをわからねばならない。言葉では伝えきれぬ部分こそ、最も重要ではないか。
それでも子供に対しては、まずは言葉を尽くすことが第一だと信じて――禅僧らしくもなく、老僧はひたすらに説くのだ。
「そもそも六蔽の『蔽』とは、さえぎり覆われて、物の一部分しか見えないこと。あるいは一部だけを見て知った気になり、全体を見ようともしない態度をいう。巌勝よ、お前はそうなってはならぬ。六つの弱点を知り、ゆめゆめ忘れることなかれ」
「……金言、ありがとうございます。これからも、精進してまいります」
くどい、とでも言いたげな顔色を巌勝は見せた。口調は丁重だが、彼はいまだ子供の身であり、心身を統一して他者をあざむく術を知らぬ。
言いたいことはわかっている。私はそれほど馬鹿ではない――と、内心は思っているのだろう。失敗をしたことがない、それでいて成績ばかりがいい子供にはありがちな態度だった。
見合った才があり、努力できるだけの素養があるのだから、あながち根拠なき自信ではない。それが逆に厄介であると、月舟禅師は思う。
こういう手合いが挫折を覚えた時、どんな反応をするのか。手に取るようにわかってはいるが、今は流すほかないことも分かっていた。
いずれ痛みを覚えた時に、傍にいてやれればいい。教訓を染みつかせるのは、それからで良かろう――とも。
「心意気はよし。学ぶ姿勢は大事じゃ。……身分の別など、些細なことよ。老いた農民は、作物と土に関しては誰より理解しておる。流民とて、路上で長く過ごしているものは、生きあがくことに長けている。……人を容易く蔑むな。いかなる人であれ、己より長じている部分があると思い、学び取ることを忘れてはならぬ」
月舟は、幼い子供に甘える時間を与えてやれぬ、この時代に対して。やや皮肉めいた感想を述べたくなった。巌勝がここまで力や知恵を求めねばならぬのは、それだけ環境が厳しいからに他ならない。そんな世の中を生きねばならぬ時代に子供に、伝えたいことはすべて伝えるべきだ。
しかし、この老僧とて、完全な人間ではない。釈迦や孔子とて、そうであったろう。その教えに瑕疵がないなどと、どうして言えるだろうか。
なればこそ特定の学問に拘泥せず、人間の一生とは、常に修行とともにあると考えるべきなのだ。年老いた禅僧は、その思想をこそ、この生意気な子供に教えたかった。
「……はい」
「お前は、武家の嫡男である。今後も、必要な知識は教えていこう。――だが、わしの教えだけを頼りにせず、自らも相手を選び、学び続けよ。とりあえずは、数学じゃな。これは答えが明確なゆえ、教えやすく学びやすい。面倒なところもあるが、それは慣れよ」
「それこそ……禅師のご指導があればこそ、可能なことでありましょう。……どうぞ、よろしく、お願いします」
「――うむ。四則計算を覚えたなら、実際に収支の決算報告を見てゆくとしよう。計算が合わぬ部分を意図的に作っておいたから、そこを見破る訓練から始めていこうか」
禅宗寺院では、数学は末端の僧であっても、高度な教育が施されていた。僧侶が荘園(領地である大規模な農園)を経営する関係上、これは特別なことではない。
そして寺を任されるほどの高僧であれば、さらに当時最先端であった学問――朱子学についても、収めている者もいた。
「それが終わったら、四書五経のおさらいをする。先ほどの六蔽に限らぬことであるが、論語集解の古典的な解釈は、もう身についているであろう。――しかし、大陸最新の思想家である朱子による解説もまた興味深い。実際に役立てられるかはさておき、知っておけば教養人への話題くらいにはなろうさ」
月舟は、室町時代の最高学府、足利学校で学んだ経験がある。そこで得た学識と人脈は、上野の国のみならず、関東甲信越を含めても屈指といってよい。
この上、さらに儒学の権威である博士家清原氏とも交流があり、幾度となく仏教の講義を行って、対価として朱子学の知識を得てきたという実績があった。
本人の高齢と、人事異動の都合がなければ、国部村のような田舎にやってくることはなかっただろう。
たまたまやってきた所を継国景勝が声をかけ、こうして身の丈以上に高度な教育を受けさせてもらっている。これは、まぎれもない幸運であるはずだった。
本来であれば、継国家のような、地位の低い国人の教育に携わることなどありえないほどの人物なのだ。講義を受けるたびに、その幸運を巌勝は否応なしに理解させられている。
正確には、理解できるほどの才覚を、この幼い武家の嫡子は持っていたのである。これこそ、本当の意味で希有なことといえた。
「座禅については、わし自身が教えるよりも、知り合いに教師を頼みたいくらいじゃが……この田舎まで来てくれるとは思えぬ。禅の求道は、わしとて道半ば。不完全で悔しくもあるが、子供の手習い程度であれば、道半ばの知識でも十分であろう」
巌勝は、仏門に入るわけではない。いかに熱を入れて語ったところで、仏教知識はそれほど必要としていないというのが現実であった。
それでも知っておいて損はないのが、学問というものである。それがわかっていたから、巌勝は月舟禅師を尊敬していたし、その意思を尊重しようとも思うのだ。
「はい、精進いたします。……月舟禅師のみならず、父の部下にも、教えを乞うております」
「『棒振り』がお前の性に合っていることはわかるが、筆をとることを厭ってはならぬ。武人の理想は別にして、我々は現実を生きねばならぬのじゃ。――それを、理解はしているであろう?」
巌勝が何に執着しているか、月舟禅師は理解していた。剣にとらわれることが良いことだとは思えないが、この年の童は扱いが難しい。かたくなにならぬ程度に、言い聞かせるくらいで良いだろう。
説教は、ほどほどでよい。生意気な部分はあれど、聞き分けのない子供ではないと、月舟禅師もわかっていた。
「……もちろんです。『剣』の修行ばかりにかまけてはいられないのだと、わきまえております」
「ならば、よい。武士の強さとは、武力だけではない。知識、学問を現実に適応させ、富を生み出すこともまた一種の力といえる」
「はい。父が私に期待していることは、わかっているつもりです。そのためにも、今度も変わらぬご指導をお願いいたします」
素直な返事も、本心からだとわかる。これだけ早熟で才気闊達な後継ぎができたのだから、父君も色々と期待したくなるのだろう。
その反動として、巌勝に近づく『不適切な存在』に対して、過剰な反応を示してしまうのは、仕方のないことなのか。
そうした父親としての未熟さこそ、問題視すべきであろうが、子の前で言うべきことでもないだろう。
「……つくづく、出来が良すぎる。それだけに、ままならぬものよ」
「いかが……されましたか?」
「いや、お前の弟について、少し考えていた。将来、僧になるのであれば、共に学ばせるのも手ではないかと思ったが――」
「私と、縁壱。共に机を並ばせることは、父が……承服しますまい」
「であろうな。どうしたものか」
月舟禅師も、懇意にしている地元の武家には、いくらか甘い態度をとっておかねばならぬと考えていた。
年とともに俗世に慣れてきた、この老僧にとって――この程度の便宜は、当たり前にやるものだという認識である。
「寺に押し込めて終わり、というものでもないのだがな。この辺り、景勝殿は考えが浅くて困る」
「それは……私にも、関わることでしょうか。……それとも、知ってはいけないことなのでしょうか」
「案ずるようなことではない。所詮、大人の……そうよな、寺院内での政治的な理屈に過ぎん。例えば、武家の次男であれば、お前に何かあった時――還俗して家に戻らねばならぬ。そういうものと考えて、身の置き所を作ってやらねばならぬという話よ」
還俗が悪いというのではない。立派な名目があるのなら、咎めるべきことではないと、月舟個人は考えている。
だが、家との折り合いが悪く、弟が寺に出戻ってくるようであれば、還俗した意味がない。
万が一の事態に備えるなら、なるべく早いうちから兄弟の仲を取り持って、できれば親子関係を悪くないものにしておくべきなのだが――。
継国家現当主の父君には、それがわからぬらしい。月舟禅師は、それがどうにも気がかりだった。
「近いうちに、時間を作って話し合わねばならん。……ああ、心配はするな。わしを無礼討ちにするほど、お前の父君は愚かではないぞ」
「……はい」
その身の内に、どんなに苦悩を抱えようと、今は学ぶことが巌勝の責務だった。
書物に向かい、月舟禅師の言葉に耳を傾けながら、彼は今、武家の宿命とも向き合っていたのである――。
※ 以下、筆者のあとがきになります。
長くなりますので、適当に読み流すことをおすすめします。
原作において黒死牟の過去を見て、あるいは縁壱の回想を見て、継国巌勝という男を嫌う人は結構いたのではないでしょうか。
やったことを改めて見てみれば、控えめに言っても不忠者。弟に嫉妬して鬼と化した、外道ともいうべき人物です。
こんなのを兄にもって、勝手に嫉妬された縁壱の方が可哀そうだ――という感想があったとしても、まず正当であると言わねばなりますまい。
実際、現代の倫理観、現代人の感性からしてみれば、彼にいくらかの同情すべき部分があったとしても――。
無惨に屈して鬼となり、数百年にわたって人々を殺しては食らい続けたこと。犠牲を強いて生きてきたことは紛れもない事実であり、あの最後は、悪党として当然の末路であったと言えるでしょう。
しかし、インターネットの意見を色々とみてみれば、彼を擁護する声もまた存在する。私も、その中の一人であります。
鬼滅の刃で、誰が一番好きかと問われれば、巌勝兄上の名を出すでしょう。そして兄上に惚れた結果、このような小説を書きだすことになりました。
継国家は戦国時代の武家であると言います。
その兄上の生涯を描くということは、戦国時代の武家についても調べ、その背景にまで手を突っ込んだ描写を入れた方が、面白くなると思うのです。
何より曇らせと言うジャンルは、解像度の高さが重要です。いや、解像度を上げて追体験することこそが、その醍醐味と言っていいのではないでしょうか。
巌勝兄上に関していうならば、曇らせの原因が、本人の資質というよりは、環境に依存する部分が大きいことが何より重要です。
彼は生まれが悪かった。間が悪かった。あるいは、運がなかったというべきか。だからこそ、素晴らしい曇らせがそこには発生するのでしょう。
よって一念発起して、応仁の乱から調べ始めたのですが、なんといいますか、その、あれですね。調べれば調べるほどに、その内容の複雑さに辟易するといいますか……。
正直に言うなら、さっぱりわからん、という他ありません。なので、とにかく継国家の立ち位置だけでも考えようと思って、地方の国人くらいでいいか、と何となく決めて資料をあさったのですね。
で、上野の国には継国家ではありませんが、『とても見逃せない苗字』の家を見つけました。
そして、上野の国ではどうやら、曹洞宗の寺が結構多いらしいことを認識します。曹洞宗といえば、禅宗ですね。
禅宗と一緒くたにすることには批判もありますが、禅といえば『剣禅一如』なんて言葉があるでしょう。
思えば、禅の思想と黒死牟や縁壱の思考というか、その求道者らしい言動や無欲さなど。特に縁壱の剣術にとらわれない思想、自身を特別視しない悟ったような言葉については、禅の影響が見て取れるのではないか――と筆者は考えたのです。
よし、上野の国を舞台にしよう。戦国時代後期のその地方なら、色々とドラマを作りやすそうだし、都合がいいとも思いました。
ここまでくると時代背景はもちろんですが、禅についても勉強しなくては片手落ちというもの! と意気込んで三つ四つの書籍をあたったのですが、これもまたよくわからない。
禅の理解など、私個人の手におえる問題ではないと思いました。仕方がないので、兄上を曇らせられるような要素だけを抽出し、それ以外は放り投げて適当に流すことにしました。
結果、色々と中途半端な文章になったのは、基本的に筆者の不勉強と理解力のなさ故です。未熟な文章をお目にかけまして、本当に申し訳なく思います。
それでも、きっと私の同志は存在すると信じたい。
私は、巌勝兄上の解像度の高い曇らせを見たいし書きたいと願うのです。
そして善良だった人間が悪鬼と化す過程を、より詳細な描写をもって描かれた物語を見てみたい――と。
そう思う人々はいるのだと信じて、私はこれを投稿しました。控えめに言っても狂気の沙汰ですが、余暇の中くらいは他人に迷惑をかけない範囲で、狂気に浸る自由もある。私はそう信ずるものであります。
最大限の努力をしたのに報われず、河越夜戦で地黄八幡に追い立てられ、初陣で負け戦の屈辱に身を震わせる兄上を見たいと思いませんか?
再起をかけた合戦で有能さを示したばかりに、武田家の宿将たちに名前を覚えられた挙げ句、丹念に磨り潰されて、敗北の惨めさにまみれてしまう。そんな兄上を、哀れみたくはありませんか?
そして部下ともども急死に一生を得たところを、鬼に襲撃され、たった一人生き残ってしまい、おめおめと逃げ帰る。こんな屈辱、当時の武士であっても稀であったはずでしょう。
戦死者の遺族達に責められても、恥を知る兄上は、言い訳一つ出来ないのです。
敗戦の傷痕が彼を苛み続ける日々――。そこから逃げるように、ただ力を求め、助けてくれた縁壱を追いかけて、鬼殺隊という拠り所に縋りつく。
そして月の呼吸に開眼し、鬼に対する勝利を重ねていき、ようやく自分を肯定することができるようになったところで――『兄上、私たちはそれほど大そうなものではない』と、非の打ちどころのない人格者である縁壱から聞かされるのです。
後の彼自身の裏切りを考えるならば、これはなんという悲劇でしょう。彼は無惨の誘いに乗る以外に、己の尊厳を取り戻す術を持ちえなかった――という。これは、そういう物語になるでしょう。
……これらは全くの筆者個人の空想ですが、そうであったとしたら、うつくしいと思いませんか?
支持してくだされば、筆者冥利に尽きるというものですが、どうでしょうか。
ご期待に応えられるかどうかは、まだわかりません。続きを書いたとして、読んでいただけるものでしょうか。そこが一番、気になるところなのです。
何か、巌勝兄上が大層な教育を受けている風になっているのも、そうした方が、より解像度の高い曇らせを描写できそうだから。
剣だけが取り柄の猪武者より、頭が回って教養も持っていた方が、深い絶望に身をゆだねてくれそうだから、という程度の理由でしかありません。
書き溜め分はまだあるのですが、需要がなさそうなら、ちょっと考えなおします。自分の性癖に正直になりすぎるのも、よろしくないかもしれません。
一応、原作を変える気はないので、バッドエンドは約束されている物語になります。それでもよろしければ、感想やお気に入りなど、反応を返していただければ幸いです。
では、また。よろしければ、次の更新で、お会いいたしましょう。