どうにも調子が良くないものですが、とにもかくにも話を進めねばなりません。
牛歩の如き有り様ですが、よろしければ時間つぶしにでも付き合ってくださいませ。
入部村と国部村の間には、以前から交流があったにせよ、それは悪いものではなかったはずである。それが最近になって変わったのには、当然ながら理由があった。
その理由というものが、ただ一人の若者によるものだと知ったら、平助らは呆れたかもしれない。継国家に喧嘩を売るつもりであれば、あまりに拙い――と。
しかし拙かろうと、愚かであろうと、障害となりえるほどの影響力があるのだから、若者の力といって侮ることもできぬ。
「東次郎! お前、探られてるぞ。長老衆が何やら動いているらしい。俺ら、やりすぎたんじゃねぇか?」
「オオ、そうかよ。連中も馬鹿じゃないらしい。――ああ、心配するなよ。今日もいつもどおりの仕事をすれば良いんだ」
「長老衆を敵に回すつもりか?」
「俺達には、こいつがいる。そして馬どもを御せる技量を持つ若衆は、村の中でも俺達だけだ。……馬を間引きさせず、食わせるためにも、もうちょっとは稼いでおきたい。その程度は目こぼししてほしかったんだがなぁ」
東次郎と呼ばれた青年。彼が入部村に生を受けてからというもの、貧しさは常に友であった。
豊かさという概念はどこか他所に存在するもので、己がそれを知る機会など、よほどの幸運に恵まれなければありえないことであったろう。
空きっ腹を抱えて隙間風の吹く家屋に住み、不潔な寝床と浅ましい家族こそが、彼にとっての現実である。――いや、かつてはそうであったが、体ができあがった今はそうではない。
「今日も頼むぜ、相棒。……オオ! そう猛るな。慌てなくても、お前の出番はすぐに来るさ」
東次郎にとって、馬は常に良き家族であった。今騎乗している馬は、長年乗りこなしてきた相棒であり、最近は番との間に子も生まれている。この得難い仲間を養うことについて、東次郎はずっと心を砕いてきていた。山林荒らしは、その一環であったとも言える。
青年期に経験した戦場と、馬の存在。そして何よりも天賦の才が、彼に他者から裕福さを奪うことの快楽を教えてくれた。
「いくさとは言わんが、争いの種はいつでもくすぶっている。お前を食わせるための手段は、選んでられんさ」
誰にも聞こえないような声で、東次郎は馬に語りかけた。いくさが危険なことは、誰もが知っている。お上の勢力争いが、下々の庶民にとって、ただの名目に過ぎないことも理解している。
ただ他所から糧を奪わずに生きられるものは、恵まれた立場の者だけであろう。貧民たちにとって、いくさは命の危機である以上に、略奪の好機でもあった。
東次郎という青年は、子供の頃から大人に紛れて略奪の術を学び、いくさのたびに何かしらの成果を得ていった。幸運が重なって、体が出来上がる頃にはそれなりの武力を身に着けていて、村にも成果を持ち帰ることが多くなる。
そのうちに、若者の中でも抜きん出て評価されるようになり、馬の運用を任されるようになり――今では、村の若衆の中でも、一種のまとめ役という立ち位置に収まっていた。
略奪は、組織的に動かねば効率よく物資を集められない。鎌で作物を刈るにしろ、家具や米俵を運び出すにしろ、個々人が勝手にやるよりは集団で結託して分担するほうが、よほど多くのものを分配できるようになる。
そして馬は物資の運搬において、これ以上ないほどの有用性を発揮する。馬車というものがどれほど活用されたのか。その歴史を鑑みるだけでも、それは証明されていると言ってよい。
更に言葉を尽くすならば、馬の重量と速度は、人にとっての凶器でもある。この武力としての運用こそ、東次郎の得意とするところだった。
「東次郎、馬の用意が出来たんなら、そろそろ行こうぜ。お前と同じくらい、俺らだって自分の相棒を食わせてやりたいんだ」
「オオ! 村長公認の略奪なんて、そうそうあるもんじゃない。ここで稼がなきゃ損だぞってな」
東次郎自身もそうだが、入部村の若衆の一部は、馬という資源を使いこなし、略奪という副収入で周囲を従えたのだった。そうであればこそ頼りにもされるし、村内での発言権も大きくなる。
最初のうちは、村長から黙認されているな、という感覚だけだった。しかし回数を重ねるうちに大胆になり、黙認という認識から『これはもう公認だろう』と都合よく解釈するようになり、今ではお墨付きである――などと公言するまでになった。
これは正しく増長であるのだが、それを指摘するような相手を、東次郎は傍に置いていない。
「まったくだ。国部村の連中から、山の恵みをかすめ取る。それくらいは、許されてもいいだろうよ。なあ、東次郎」
「オオ、そうだろうともよ。まあ、連中だって馬鹿じゃない。次あたり、真面目にぶつかり合うことを考えても良いかもな。……ああ、安心しろ。上役の了解は取っている。思うがままに奪って、ついでに邪魔者を殴り倒すくらいはやっていいぞ」
この青年は己の行為に疑問を持つことはない。他の誰かに利用されているとしても、己への自負と周囲からの信頼が、全てを許容させた。奪われる側の人間の感覚など、すでに失って久しかったから。
「長老衆がそこまで? 危なそうなら退け、とでも言いそうなもんだが。……腹をくくったのかね。それとも、手打ちにする方法がある? ――まあ、東次郎がそう言うなら、心配はいらんな」
「そうともよ。継国家は一部が突出しているだけで、そこまで大きな武家じゃない。後ろ盾さえあれば、黙らせることも難しくはないさ」
東次郎は、明らかな偽りを口にすることにも、抵抗はない。村長からは、黙認以上の同意を得たことなどないのだから、国部村の山林を荒らす行為は間違いなく非難に値する。
――といって、彼の独断というわけでもない。この暴挙を東次郎にそそのかした黒幕がいる。それは明確に継国家に敵対する武家であり、そちらの上役と話がついていることは、間違いのない事実であった。
もっとも、彼は正直にそれを述べるつもりはない。周囲からの誤解も利用することで、東次郎は自身だけの利益を貪る算段である。この男にとって、故郷の名声など、いつ捨てても構わないものだったから。
「長老衆がうるさいだろ。いつもいつも、継国家を刺激するなって。……それでも腹は減るもんだ。もしかしたら相棒の馬を失ってでも、村の人間を優先させることになるかもしれん。いやだろう? そんなのは。――で、そうした不安があるなら、別のところで補いたくもなる。オオ! こいつは仕方ねぇよな。継国の国部村は、馬借の仕事で潤ってるんだ。貧しい俺達が、連中の山林の恵みをちっとくらい拝借したって、いいだろうがよ」
若者たちを煽る声には、力があった。根拠のない自信があった。それを正しく分析して、反対するほどの気概を持つものは、やはり最初から東次郎は仲間になどしていない。
同時に、地元の長老衆に期待もしていない。このままだと己が排除されるであろうことも、彼にはわかっている。オイタの過ぎた悪餓鬼は、押し込められ首を切られて、悪評とともに消耗されることになるのが常道。
――使い潰されてたまるものかよ。俺はまだまだ楽しみたい。奪い、犯し、殺す。勝ちいくさ以上に楽しいことなんて、生きていて他にないんだから。
自業自得といえばそれまでだが、東次郎は自分の悪性を誇りたかった。他人を足蹴にして生きていく快感が、奪って支配する感覚が、生来の気性に合っていたから。
畜生の如き力の論理にしたがって、彼は他者を消費する道を選ぶ。だがそれは無謀な道であってはならない。生き残る算段は、常に頭の中で巡らせていた。
――継国家と敵対する家は、思ったよりも多いらしい。ついでに上野国の武家を衰退させて、後釜に座りたい連中もいる。国部村周辺は、継国家が代々手入れをしていたこともあってか、奪えればどれほどの利益になるか。……そこまで妬みと僻みを受けるところなら、村を出る前の稼ぎ先として、俺にとっては都合がいいんだよな。
東次郎個人に忠誠を誓うものは、仲間内にはいない。気前のいい親分、くらいの評判はあるが、それにしたところで地元で生まれ育った相手だから――という前提がある。
これまで略奪を共にしてきた相手とは言え、生まれ故郷を捨てる決断をさせられるとまでは、東次郎も幻想を見てはいない。
だからこそ、いざというときは己の身と馬だけを引き連れて、外部に出ていくつもりであった。どうせ出ていくのだと思えば、地元の仲間程度、使い捨てることにもためらいはなくなるものである。
――今の俺の力量で、例の武官筆頭殿に勝てるとまでは、流石に思えない。だから逃げるときは捨て駒が必要になる。そして、俺が次の職場で働くための実績を作るのに、こいつらは絶好の囮になってくれるだろう!
今回はそれを実行する、最後にして最良の機会であろうとも思う。――ほどなくして、東次郎のもとに長老衆の使者がやってくることになるのだが、彼はこれを斬り捨てて処分した。
故郷の入部村、その組織そのものへの反逆行為と言ってよい。だが、彼はそれで構わないと思っていた。
自分が泥をかぶるから、最後に一仕事をしよう。舐められない程度の被害を与えれば、交渉の余地は残るのだと。最初から腹を見せて降伏すれば、皆殺しにされて終わるだけだと東次郎は主張する。
「やっちまったもんは仕方ないだろ? 今更になって、村長が俺達を切り捨てる判断をした。それだけの話しだ。……だったら、俺のツテを頼れよ。入部村を出ていっても、働き口はあるんだ。俺についてこい! 俺達を裏切った村に義理立てする必要がどこにある――!」
彼が弁の立つ人間であったことは、入部村にとって不幸であった。しかし東次郎本人にとっては、これもまた生き残るための手段に過ぎない。
いくさに出ざるを得なかった、貧しい生まれであったこと。そして争いの中で、他者を踏みつける愉悦を覚えたことが、彼の精神の原風景である。
だとするならば、この罪は当人のみにあるものではなく、時代と環境が生み出したものだと言う表現が的確であったろう。
村長を始めとする長老衆と、東次郎が率いる若衆の間に違いがあるとするなら、血を流すことを厭うか厭わないかという部分にあり――。
まさにこのために、東次郎たちは自らを拘束しようとする、長老衆の意思をはねのけることが出来たのだった。
これはつまり、交渉が一日では済まぬこと。争いを介さずに事態を解決することが、不可能になったことをも意味する。
そして継国家は、次代の後継ぎである巌勝は、この東次郎が作り上げた悪意に立ち向かわねばならなかった。貧しい者の悪意に、富める武家の幼子が相対する。
これもまた、悪い意味での縁というものであろう。好むと好まざるとにかかわらず、こうした争いに勝ち続けねばならないのが、戦国の武家の宿命というものであった――。
巌勝は、自分がほぼほぼ蚊帳の外に置かれていることはわかっていた。入部村との事態を解決するための、何らかの意思決定に関われるとは思っていないし、それでもいいと考えていた。
未だ己は未熟であるのだから、経験させてくれるだけでありがたい、と。常日頃から身をわきまえた態度は、子どもの中でも成熟した存在として、周囲からは評価されている。
さりとて平助としては、もう一歩踏み込むことも覚えてほしいと思う。控えめであることが、常に美徳になるわけではないと知っていたから。
「で、巌勝にも今回は出張ってもらうことになる。おおよそはこっちでやるから、お前は適当に指示に従ってくれれば良い。それでも、十分に功績を立てたことになる」
「しかし平助殿。私に出来ることなど、あるのでしょうか。平助殿の手前を拝見するだけで、とりあえずは十分だと聞きましたが――」
「とりあえず、っていうのは今だけの話だ。未来を見据えるなら、ここで行動を縛るほうが良くない。どんな役割でもいいから、仕事を得るために動くことも覚えていけ。今回は俺が助けてやれるが、いつでも補助が期待できるとは限らん。将来の自立のためにも、ここらで後継ぎ殿に配慮が必要になる場面だとも思うのさ」
そうして平助が促せば、巌勝とて自分にできる仕事を探りたくなる。やる気は、最初から持っていたのだ。
邪魔になってはならぬ。足を引っ張っては申し訳ない――と考えていればこそ、彼も黙っていた。だが許しが得られるならば、自ら動くことは望むところである。
「茶化さないで、ください。……ともあれ、私は何が出来るのでしょう。己を知ることさえ出来ぬ、未熟者ではありますが……今が非常時であることは、なんとなくわかります。何らかの形で、働くことが出来るならば。これを厭うことは決してない、と申し上げましょう」
「おう、いいね、その気概は大事だ。何が適任か、俺の方でも考えてみるが、あんまり多くは期待するなよ」
「はい。それは、もちろん」
巌勝はその気性は生来から善性であり、他人への気遣いとか共感とか、そうした機微にも通じうる感性を持っていると平助は理解していた。それがどう伸びるかは観察が必要だろうが、武家の長としては得難い資質であろうと平助は評価する。
だからこそ彼は、その精神が体の成長と共に変質する前に、地域社会の面倒臭さを理解させたかったのだ。
ある程度成長し、己に自信を持ってからだと『どうしてこんな不合理がまかり通っているかわからない』と、大きな反発を見せるかもしれない。
そうした態度が、在地社会からどんな目で見られるか。知っているからこそ、巌勝に教えたいと思う。
世の中には妥協が必要であり、理想のままには動いてくれないこと。救う価値もない愚か者がいること。
弱さ故に、そんな愚者に惹かれてしまって、犠牲になるしかない哀れな者がいることを、平助は教えてやらねばならなかった。
「さて、約束の刻限までに入部村に行かねばならん。巌勝坊っちゃんを伴うかどうかは、俺に一任されている。……出来ることはあるが、危険があることは理解してほしいところだな?」
「私の立場で、出来ることがあるのなら……退こうとは思いません」
「口先だけでも、雄々しいことが言えるなら合格としようか。――実績は、ここから積み上げろ。そうすれば、成人した後でも周囲を納得させる貫禄ってもんがつく。早すぎるような気もするが、それがお前の器量ってやつなんだろう」
その気があるなら、入部村へ連れて行くと平助は言った。巌勝は当然のように同行を主張し、それは受け入れられた。
後から思い返すならば、戦国の洗礼――とでも言うべきものを、巌勝はここで受けることになるのだった。当人としては、後悔するようなことはないにしても、今少しの覚悟を持つべきだったと、そう思い返すことになるのだが――。
「よし、ついてこい。覚悟だけで渡り切れるほど世間は甘くないが、子どもの決意を無下にするほど、この世は無粋に出来ちゃいない。……俺から離れるなよ」
「ご指導……お願い、致します」
入部村へは、二人して騎乗して向かった。時間が押していたこともあるが、逃げるときのことを考えれば機動力は必要だ。
身軽であることを優先するなら、郎党を伴うのは守る対象が増える分だけ不利になる。平助は、巌勝とたった二人だけで入部村へと入った。
誰何をする門番の姿がなく、村長宅へは一直線であり、人気のない雰囲気が不気味であったことを、巌勝は後年まで忘れずに覚えていたほどに――。
彼にとって、このときの出来事は、印象深かったのである。
「おーい。刻限を前にして、平助様のお出ましだぞ――っと。……ふざけて大声を出しても、反応がないと来た。村長宅に入ることにも、躊躇したくなる展開だな、これは」
「まずいことが、起きたのでしょうか……? 皆が出払うほどの事態とは、何か? ……平助殿の見立ては、いかに?」
「さあて、な。予想だけならいくらでも思いつくが、現実はいつだって思うようには進んでくれないもんさ。――とにかく今は、確認の作業が必要だろう」
警戒する雰囲気をむき出しに、平助は村長宅へと足を踏み入れた。先日の様子が夢であったかのように、やはり人の気配がない。出払っているとしたら、どこに行ったのか。
巌勝なりに思案していたが、思案するばかりで周囲へ気を配ることを忘れていた。それを隙だと咎めるのは、子供に対して求める水準ではなかったろう。
しかし世の中には、そうした隙を見咎めるように、弱みに付け込む悪党というものが存在する。
平助は、それを目ざとく発見した。彼が無能であれば、巌勝はどうなったか。想像すらしたくないというのが、当人の感想だった。
「隠れているな? ――出てこい!」
「――平助殿?」
「巌勝、振り向くなよ。お前には、まだ刺激の強い風景だ」
巌勝がキョロキョロと周囲に目をやっていたため、今は背を向けている。その瞬間に平助が警戒の声を発した。
そこには意味があると認めていればこそ、巌勝も指示に従った。果たして、即座に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「さすが、継国家の武官筆頭殿。それでこそ、頼る甲斐があるというものですな」
「村長殿。話が違うのでは? 話のとおりであれば、今の刻限の頃には、話をつけてくれている段取りだったはず。これは、そちらの不手際と考えてもよろしいのかな?」
血の匂い。濃厚な争いの痕を感じさせながら、村長は現れた。
村長の声を忘れるほど、間を空けていたわけではない。巌勝はその声が誰のものであるか、目で確認せずとも会話だけで理解していた。
同時に、多くの人間の雰囲気も背後に感じている。危機感を煽られている現状だが、平助は巌勝に振り返ることを許さなかった。
「いやはや、恥ずかしながら、多くの計算違いを認めることになったもので――。ともあれ交渉と行こう、平助殿」
村長の顔と声には震えがあった。それが興奮によるものか、恐怖によるものか。それを確かめるためにも、平助は強気に言葉を発することを選ぶ。
「交渉! それだけ剣呑な空気を振りまいておいて、交渉とはなんとも。俺に隙があったら、狼藉を働くつもりだったつもりのくせに――よく言うぜ」
「お互いに、生き残りを図らねばならぬのが戦国の常というものじゃろう。未だに、対話の術を放棄しておらぬ。その部分に、こちらの誠意を認めてほしいものよ」
平助には相手の悪意がわかる。それが発された瞬間と、消えた瞬間も余さず感じ取っている。
だからこその罵倒であり、村長もこれを察して言葉を選んだ。誠意というものを口にする時、人はお互いへの信頼を前提とする。
状況は変化した。ならば、やるべきこともまた変わる。本気で話し合うつもりだと、平助は悟った。この村長が誠意を口にするときは、まず荒事を行わないと知っていたからだ。
「いいぞ、誠意が必要だと思うくらいには、まだ俺を評価してくれているわけだ。……血の匂いを嗅がせずに済ませてくれたなら、なお良かったんだがね。数を頼みたい気持ちはわかるが、傷のあるやつは下がらせてやれ。――子供には刺激の強すぎる光景だし、虚勢など俺には通用せん」
「物騒な雰囲気を演出する結果になったのは、すまぬとは思う。ちと行き違いというか、やむにやまれぬ事情で、帰ってきたばかりなのよ。――無作法はお互い様と思って、許してはくれぬか」
「馬鹿らしいとは思うが、事情次第だな。――ああ、そのまま近づくなよ。この場で、詳細を話せ。そうすれば、考えてやるとも」
村長は、平助が促すままに事情を話した。
結論から言うなら、入部村の長老衆は若衆を抑えることに失敗した。山林荒らしの実行犯というか、主導した人物である東次郎とその仲間たちについて、十分すぎる情報は集められたものの、入部村にとっては都合が悪すぎるために処置に困ったのである。
東次郎は正直に出頭して罪を償うような手合ではなく、むしろ黙認を盾に村の意思を広大に解釈し、略奪を正当化するような奸物である。
それが外部の武家に通じ、ここ上野での狼藉を繰り返そうなどと図っているとあれば、なおさら厳罰は免れ得ない。――本来ならば。
「だが、村の武力を担当している若衆が、不穏なことを本気に企んだなら、そう簡単に止められるものではない。結局、使者が殺されて離反された――というのが事の顛末ですな。いやはや、我ながら情けない。我が村の面子も潰れ、継国家の義理を欠く結果になったこと。まことに恥じ入るばかりでありますれば――」
「だからどうした。……こちらに隙があれば、巌勝をさらって若衆に合流し、共に外部の武家と通ずるという方法もあったのだろう。お前らが生き残りを図るために手段を選ばぬのならば、こちらも同様に情け無用の対応を講ずることも出来るのだぞ」
「しかし、そうはならなかった。――貴方のそれは、邪推というものです。我らの行動を把握する手段など、そちらにはなかったはず。平助殿、まずは疑心を抑えて、我々と共存する道を歩むつもりはありませんかな? ことここに至れば、継国家の武力を当てにしたい。過激な若衆を抑えられれば、入部村は、継国家とこれまでと変わりない付き合いを保証できると思うのですが、のう?」
ぬけぬけと言い腐る、と平助は吐き捨てたくなった。しかし、相手が得意になって持論を展開しているときは、すでに自分の取るべき行動を見定めていることが多い。
「血の匂い。使者どころか、お前ら全員返り討ちにされて、派手に負けてきたところだろう? 勝っていたなら、敵方の首を持ってきてもいいくらいだ。功を誇るのではなく、交渉を強要してくるあたり、相当追い詰められているようだな、ええ?」
「この場での戦力を言うならば、数を頼んでいる分、こちらが上のはず。平助殿は相当な武力をお持ちだが、そちらの巌勝殿を連れている以上、万が一の事態は避けたいでしょう。――貴方が率先して若衆と戦ってくれると、そう確約していただけるなら、我々としても都合がいい。……賢明な判断を下していただけるものと、信頼しておりますとも」
「まあ、協力自体はやぶさかじゃないが――それはそれとして、ここには継国家の跡継ぎがいる。俺への無礼は良いが、継国家への敬意と配慮は忘れてくれるなよ。お前らも、山内上杉家の被官たる継国家に対して、誤解を招きたくはあるまい? ……我らがご主君たる巌勝殿に、頭を下げて申し上げろよ。それが筋ってもんだろうが」
確信を持って、こちらを説き伏せにかかっている。それがわかっているからこそ、平助は強くは否定せず、むしろ煽るように強気な態度で村長の言葉を待つ。
入部村にとって、最大限の利益を得るならば、強硬策は匂わせるだけで十分。基本的には、継国家への配慮を欠かさぬ態度を示しておけば、名目は立つ。
裏切りは常に最後の手段であり、多用して良いものではない。保身を第一に考えると、ここは平助の顔を立てるのが無難であると村長は考えるであろう。
「頭を下げればよいのかな。この白髪首で良ければ、いくらでも地面に擦り付けよう」
「大事なのは気持ちだ。――もういいぞ、巌勝。こっちを振り返って、この哀れな者共の姿を見てやれ。ここでようやく、入部村は継国家に従う気になったらしい」
果たして違わず、その平助の予想の通りに事は進んだ。巌勝はここでようやく、血の匂いが村人たちの体や衣服から臭ってきてことを確認する。
巧妙に隠しているが、服の下は傷だらけだろう。彼らを見るに、反抗した若衆の抵抗の強さが想像できる。おそらくは一方的な敗北を喫し、敗走してきた彼らに憐れみさえ感じていた。それでいてなお、虚勢を張って平助と話していたことにも、ある種の感嘆を覚えてもいる。
そんな中で、村長の白髪首が真っ先に下げられたのである。
「巌勝殿。貴方が許されるのならば、入部村にその力をお貸し願いたい。我々だけでは、若衆を抑えられぬ。もしかしたら、連中はさらなる被害を村に呼び込みかねん。それを防ぐためにも、どうか我々に慈悲を施してはくださらぬか……?」
詫びの言葉もまた、継国の耳に届けられた。ここまでお膳立てされれば、巌勝としても継国の後継として、それなりの言葉で返さねばならぬと思うのだった。
それが自分の仕事であり、この場にいる理由だと確信したがゆえに、巌勝は強い口調で返す。
「結構。協力するのは……構わない。平助の武力を貸し与えることにも、異論はないが、その見返りはなにか?」
「――まあまあ、巌勝殿。そういうのは、後だ。判断は、当主たる景勝殿がなさる」
事実、巌勝の仕事はここまでであった。お互いに手を取り合うことは出来る。しかし、一方的に利用されるつもりはない、と発言すること。
落とし前は後で絶対につけるとしても、とりあえずは先送りするということも大事だった。後の発言の補強は、平助の役目である。
「とにかく、入部村のためにも早急に武力の提供をする必要があるし、それ自体は承認された。ならば、後は行動の時間だろうよ。村長殿、件の若衆がどこでたむろっているか、この場で教えてくれ。武装についても一人ひとり、できるだけ詳しくな」
よもや、この場での勢いのままに、平助と二人だけで突っ込むことになるのかと巌勝は案じた。
それだけ大きな感情のうねりを感じたものだが、実際に平助は迅速さこそが肝心であると説く。
「状況はそこまで悲観するほどじゃないぞ、村長殿。今なら油断している分、若衆に付け入る隙ができているとも考えられる。時間をおいたら、冷静になった分だけ緻密な連携をされる可能性も増えるだろう。――今だからこそ、少数で多数を翻弄できる。その機会を作るためにも、最大限の助力を期待したいもんだ。いいだろ?」
「もちろん、入部村のためになるのであれば、あらゆる助力を惜しみません。……勝ち筋は当然、あるのでしょうな?」
「俺はいつでも、継国家にとって最良の勝ち方を狙っている。今回についても、それは変わらんといえば、少しは安心できるかね?」
「……まあ、よろしいでしょう。長老衆としては、ここで努力した形を残したいのです。最悪の事態に備えることは、いつでも必要ですからな」
平助と村長は、お互いに顔を合わせて笑っていた。わざとらしい笑顔を作ることに、なんの意味があるのか。
このときの巌勝には、多くのことが未知であり、解釈にも平助の助けが必要なことが度々あった。
だが、同時に安心感もあった。平助が笑っているうちは、心配することはないのだと。そう思える程度には、巌勝も継国家のあり方について。彼への依存度の高さについて、深く理解することになった。
「――入部村の戦力は、これで把握できた。目標が短期に潰せる目算がたったならば、継国家は武力をここに集中させることが出来る」
「平助殿。それが意味するところは、つまり――」
「そう、これで勝ちは確定。後はどれだけ完璧に勝てるか、そこを追求する段階になる。……敵には敵の目論見があるんだろうが、俺達としてはここで敵戦力を殲滅できればそれでいい。勝利条件が明確であるなら、迷うことはない。景勝殿も、当日のうちに事が収まるのなら、否とは言うまいよ。――村長殿、国部村への伝令を頼みたい。至急、援軍を送るようにと。送り迎えの先導についても、完全に果たしてくれると期待していいよな?」
「それが我らへの便宜を図るために、必要な前提であるならば、是非もござらぬ。委細承知、完全に仕事を果たしましょうとも」
今回の件で巌勝が学ぶべきは、武家に楯突いた村人が、どのような処遇を受けるのか。いくさの過程において、どれだけの被害が許容されるのか、という実務的な部分であろう。
更に付け加えるならば、必要性と名分が伴った時、人々はどんな残酷な所業を許容し、実際に行ってしまうのか。
入部村の若衆の血と犠牲を目の当たりにすることで、彼はこれらを思い知らされることになるのだった――。
戦国の世に争いの種は尽きぬとは言え、穏やかな日々が消えたわけではない。
継国家を離れた縁壱は今、国部村から遠く離れた信濃の山奥に居た。偶然とは言え、近い齢の女子と知り合い、そこでともに暮らしている。
縁壱がどこの誰であるのか。過去に何をして、今どうしてここにいるのか。
当の本人である『うた』にとっては、どうでも良いことである。重要なのは、家族が増えた、という事実だけであった。嬉しいことであって、望んだ結果でもある。
しかし家族が増えたなら、わかりやすい問題が発生する。彼の食い扶持をどう工面するか。
何より、村社会に部外者を受け入れることを、いかにして周囲に納得させるかが問題であろう。縁壱はそれを案じていたのだが、この点、うたは強かだった。
「おっ母の実家は、田んぼの水の管理をしてたんだ。この村は、あえて自前の土地を持たない家を作って、そこに水の管理をさせる風習があるんだって。そのほうが、かえって公平に回せるんだって聞いたけれど……本当のところは、どうだったかはわからないんよ」
「うたは、その家族を失ったばかりだろう? 以前と同じように、水の管理を出来るのだろうか」
「おっ母から、これだけは覚えておくようにって、教えられてるから。だから、どうやればどこに水が入って、何をやれば水が止まるかはわかる。失敗する気は、全然しないんじゃ」
「田植えを終えたばかりだが、水の調整はこれからも必要だろう。失敗せずに継続してこなせるなら、うたは村での立場を確立できるというわけか。……不安は、本当にないのか?」
「自信はあるんよ。実際に見てもらった長老衆の人からも、そこは同意を得ておるから、まず大丈夫だと思う。……力仕事だから、そこは難しいかもしれないけど、縁壱も手伝ってくれるんよね? ――うん。だったら、大丈夫」
正確に言うならば、彼女は家族の遺産を有効に活用できる環境にあったからこそ、強かに振る舞えたと言うべきだろう。
彼女の家族は、死の前にやるべきことをやっており、残された娘の立場を維持できるよう、周囲からの協力を取り付けていたらしい。
不安要素はあるだろうが、ここに縁壱という男が加わった以上、力において不足はない。彼とて、うたに不都合が降りかかるとなれば、黙ってみているつもりはなかった。
「ああ、俺に出来ることがあるなら、何でもしよう。殴り合いをやったことはないが、畑仕事や山仕事の労を厭うつもりはない」
「……んん?」
「草刈りや畝作り、薪割りはもちろんのこと、山道の整備までできる限りのことはさせてもらう。体が大きいだけの大人に、働き方で負けるつもりはない」
「……やってくれるのは、いいけれども。無理したらいかんよ。わたしが無理を言って、家に来てもらったんじゃから。難しいことは、こっちでやるから」
「それでは、俺の気がすまない。お願いだから、うたの苦労を、俺にも背負わせてくれないか。そうでなくては、この家に受け入れてもらった甲斐がないと思う。……行く宛のない身に、帰る場所を与えてくれた礼を、返したいと切に願う」
うたは生粋の農民であり、教養があるわけではない。しかし縁壱の言葉を完全に理解できた訳では無いにしろ、その思いやりを受け止められる程度には、情緒が育っていた。
深くは知らないが、事情があるのだろう。縁壱が丁寧な態度を崩さなかったことも、彼女の関心を引く理由になった。
「いちいち言い方が仰々しいんよ。――でも、わかった。出来るところから手伝ってな。……最初のうちは、あれこれ指示するけれども、無理だけはしたらいかんよ」
「大抵のことは、無理なく出来るつもりだ。遠慮なく、言いつけてくれ」
少年が恩を返したいと言うならば、それを受け入れるのも自分の役目であると、うたはなんとなく理解することが出来た。
うたはこれより、縁壱という規格外の存在を、その家に収めねばならない。これまた、常人であれば至難というべき試練であったろう。
しかし彼女は、これを難なくこなし、縁壱を日常の一部として己の中に取り込むことになる。
英雄の伴侶は、凡庸な人間に務めることではない。あるいは当人以上に、縁壱は彼女の非凡さを思い知ったのかもしれなかった。
――彼女に出会えてよかった。うたという人を生み出してくれた彼女の両親と、周囲の人々に感謝を。彼女が望んでくれたからこそ、俺はここで生きるべきなのだと、確信することが出来たのだから。
縁壱がその人生において、もっとも充実していたのは、この時期になるだろう。
幼い時分に家を出て、うたと出会い、成人して彼女と家庭を作ろうとする――その直前まで。縁壱は、幸福を謳歌していた。人生ひとつ分の幸せを、この時期に使い尽くしたとも言える。
兄の巌勝が、生まれの宿命と言うべき、武家の試練を受けている頃の話である。
あらゆる意味で対照的な兄弟である二人だが、幸福を実感した期間においては――皮肉にも、圧倒的な格差があった。
巌勝は、縁壱が感じていた真っ当な幸福さえ、生涯において感ずることがなかった。お互いの資質の差がそうさせたのであり、環境の違いがこれを強要したとさえ言えるであろう。
それでも、時計の針は誰にとっても平等である。彼ら兄弟が再会するまで、しばしの時間を必要とする。
お互いを意識せずにいられた貴重な時間を、彼らは彼らなりに過ごしていくのであった――。
そろそろ作者の地頭の悪さが露呈してくる頃合いになりましたが、それはそれとして話は続きます。
読者の皆様方がどう感じているかはわかりませんが、筆者としては最後まで書き通さねばならない、という義務感で続けております。
よろしければ、筆者の心が折れぬよう、祈ってやってください。次の投稿も、来月の同じ時間帯になるかと思います。
その時は、またお付き合いください。では、また――。