継国之物語   作:西次

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 今回は、いつもより短くなりました。どうにもこうにも難産でしたが、やはり定期的な投稿こそが大事なのだと、いつものように己に言い聞かせております。

 筆者の歴史理解については、ふわっとした感覚しか持っていないと思ってください。
 歴史的な出来事には、なんとか矛盾が出ないよう努力しているつもりですが、どこかしらおかしい部分が出てくるかもしれません。

 多少の差異は見逃してくださると嬉しいのですが、流石に見過ごせないくらいにひどい場合は、ぜひご指摘ください。
 その場合は、なるべく矛盾の無いよう、修正していきたいと思います。



第十三話 日常への帰還と変化の兆候

 

 騒動の種が収まれば、継国家は平穏を取り戻す。結局のところ、山林荒らしは一時的に家の秩序を乱しはしたが、その程度の話で終わったのである。

 そして、巌勝も学びと鍛錬の日々に戻った。月舟禅師との交流の機会も、また同様に取り戻したと言えよう。

 

 寺に通う足取りも、思いの外に軽かった。実際に対面してみれば、月舟禅師も巌勝が快活さを発揮していることがわかる。

 禅寺は村々の争いについて、慎重な態度が求められる。特に武力行使が前提の場では、表立って主張する立場ではない。なればこそ、ここ最近の国部村と入部村の動向には気を揉んでいたものだ。

 結果として、収まるべきところに収まったとしても、月舟は苦言の一つや二つはこぼしたい気持ちがある。それこそ授業の前に、巌勝に対してあれこれと語りだすほど、老僧は感情を持て余していたのだった。

 

「景勝殿は言うだろう。現場を知ってこそ、将来の糧となるのだと。学習にも様々な形があることは、百も承知。しかし、あえて命を危険にさらす価値はあるのか、とわしは言いたい。安全に配慮したとは言え、もしも万に一つの事故が起きた場合、ここで跡継ぎを失うことがどれだけの痛手であるのか? その程度のことすら、わからぬのか。……景勝殿は、他者からの評価というものを軽視しておるように、わしには思える」

 

 事情を間接的にしか知らぬ禅師にとっては、先日の件は批判の対象になる。しかし、当事者である巌勝としては――結果的に怪我一つ負わなかったのだから、後からグチグチ言われたくないとも思う。

 

「……父上には、父上の考えがございます。武家と僧侶では、噛み合わぬことも……ありましょう。私は、帰ってきました。経験を得ました。それでよし、とは言えますまいか」

「ふん、もっともらしくお前は言うがな。それは結局、武士の価値観であって世間一般のそれとは違うと理解するが良い。以前にも、武家に僧侶の教育は不要、あくまでも武士として相応しく教育せよ――と景勝殿に言われて、その時のわしは納得した。仏典の価値観が、戦国の世にそぐわないと言われても、あえて言い返しはせなんだ。……しかし、未だ成熟しない子どもを鉄火場に連れて行くことには、どうしても批判的になる。平助も平助よ、あれがどれだけ強かろうと、万が一があれば取り返しがつかんと言うのに――」

 

 彼がいまだ幼少のみであること考えれば、護衛付きであっても危険を伴う現場に同行させた事自体、批判に値すると月舟は口にした。彼らなりの論理があり、安全策があったと言っても、それで納得できるような状態ではなかっただろう。

 

 しかし、そもそもの話、景勝ではなく巌勝に感情をぶつけるあたり、禅師もまた冷静さを失っているといって良い。

 それだけ気をもませたことに、巌勝はなんとなく責任を感じてしまった。それだけ、愛されているのだと思えば、どうして素知らぬ顔などできよう。

 高い倫理感を持つ、月舟禅師の怒りは最もである。とすれば、彼としては口にするべき言葉は一つしかない。

 

「……申し訳、ございません。禅師の心を乱したこと、私から……詫びさせていただきます」

「お前が謝ることではない! ――が、そうだな。わしとしたことが、つい気を立ててしまった。この老年になっても、まだ修行は道半ば。僧としても人としても、まだまだ未熟と言わねばなるまい。お前に愚痴ったところで、何かが変わるわけでもあるまいに。……すまぬ、余計なことを言ってしまったな」

「禅師。私は……自分の行動に、責任を持つべきなのです。そして家の後継ぎであるならば、自分のこと以上に、我が家の言動とその結果をも、背負うべきなのです。父と、その部下のやったことが批判されるのならば……私も、そこから逃げてはならない、と思います」

 

 月舟は、この子供らしからぬ責任感の強さと、彼がそれを自覚できるだけの人格の成長に、まず感嘆した。

 巌勝は未だ十を数えぬ童で有り、それと比べて己はどうか――と、我が身を振り返らねばならなかった。彼の聡明さが、老僧に冷静さを取り戻させたと言ってよい。

 そして、これほどの子どもを導かねばならぬ、という責任もまた、同時に自覚した。過ちを繰り返さないためには、過去を知るのが一番である。

 もっとも、前提となる知識がまず必要であるから、段階をふんで教えていかねばなるまい。冷静になればこそ、ここは急ぐべきではないと思う。

 

「結構。……継国の男の頑固さは、わしも理解しておる。これ以上は、言うまい。だが、反省するところがあるのならば、繰り返してはならぬ。――人の過ちを知り、教訓とすれば、同じ失敗は侵さずに済むであろう。だからこそ歴史を知ることは重要である」

「歴史、ですか。――吾妻鏡と史記は、空いた時間にも読み進めております。まだまだ……理解できた、とは言えませんが。しかし、素読にも意味がある……と思えば、苦ではありません」

 

 日常に帰り、月舟禅師の授業も増えたことで、巌勝は素読の時間も取ることが出来た。古典、歴史書の類は、難しい。文章の理解はさておいて、とにかく読ませて覚えさせるというのが素読の目的である。

 

 覚えておけば、後から解析するのも容易くなる。昔から続けられている学習であるのだから、そこには一定の理があるものだと、巌勝も理解していた。

 老僧の前で書を口に出して読む時間は、これでなかなか緊張するものである。なにしろこの禅師は、間違った読み方をしたり、言葉をつまらせたりすると、容赦なくやり直させられるのだ。はじめの頃は、夜になるまで声を出し続けたこともあった。

 

 古人の言葉を尊重し、その教えをおろそかにしてはならぬ。間違えるのは仕方ないにしても、これを正しく理解するためには、まず正しく発声し、言葉を頭に叩き込むところから始めるべきだ――と。

 子供には厳しい学習であったが、巌勝がこれに反感を抱かなかったのは、月舟も同時に音読しており、その厳格な発音が巌勝の心に響くほどのものであったからである。

 

「苦にならぬ、か。そう思えるのならば、素読を繰り返した意味もあるというものよ。――まあ、予習しているのなら、貸し出して正解であったな。……覚えたところの中身を理解するのは、時間をかけてもよい。焦らず、ゆるゆるとやっていくとしよう」

 

 惜しむらくは、寺にある分だけでは完全なものを用意できなかったところか。

 吾妻鏡はともかく、史記は内容が膨大なうえ、原典は海を超えた大陸にある。月舟が所有しているものは作りの荒い写本であり、しかも内容としては半分程度に過ぎなかった。

 教育に完全を求めたい老僧としては、歯がゆいことであったろう。だが巌勝は、そうした気持ちに寄り添える程度には、思いやりを持った子供でもあった。

 

「私には、こうして、学習できるだけの環境がある。……それだけでも、恵まれていると思います。たとえば、縁壱などには、ここまでの待遇は、受けられなかったでしょう。月舟禅師と、その書架の世話になれるというのは、私などには……望外の幸運であると、思わずにはいられません」

 

 己の境遇を、恵まれていると自覚し、その事実に感謝できる。これだけでも巌勝がまっすぐ育っていることがうかがえよう。

 縁壱のことをあえて口にしたのは、彼なりの、決意の表明でもあるのだろう。行方不明になった今でも、巌勝にとって彼の存在は大きかったのだ。

 それでも、表立って口にする程度には割り切れたのだと、己に言い聞かせるためにも言葉に出したのである。

 

「仮定の話に意味はない。しかし、縁壱について、思うところがあるとみえるな」

「今どうしているのか、考えることがないと言えば、嘘になります。……同時に、思い悩んでも、己にできることなどないのだと、わきまえてもおります」

 

 月舟は、巌勝が口にした言葉から、その感情を正確に読み解いていた。

 実際、正直な感想ではあるのだろう。巌勝自身、縁壱には複雑な感情を隠せない部分がある。憎んでいるのか、悲しんでいるのか。実際に顔を合わせたとき、どんな反応をしてしまうのか。本人にもわかってはおるまい。

 

 だから月舟は、縁壱の情報はすべて伏せるつもりでいた。父である景勝にも、迂闊に話せることではないのだ。

 ――手塩にかけて育てている、この子供が。お家騒動で、排除されてほしくないと思うがゆえに。

 

「戯れに聞くのですが、月舟禅師は、顔が広い……と聞きます。縁壱の行先について、調べることも、できるのではありませんか?」

「景勝殿から、なにかわかればすぐ報告するようにと、直々に頼まれたよ。――わしの目と耳を、よほど高く評価してくれているらしい。人探しは簡単ではないから、あまり期待してほしくはないのだがな」

 

 月舟としては、あまり触れたくない話題である。確証のある段階ではないので、口にすることは憚られるが、本気で探ればおそらく居場所ぐらいはすぐに割れるであろう――と思っている。

 だが、今の継国家に、縁壱が本当に必要なのか。かえって不和の種になるのではないかと思えば、本腰を入れる気にもなれないのだった。

 老僧が本気を出せば、上野はもちろん、近隣の下野や武蔵、信濃はもちろんのこと、越後にまで手を伸ばすことも出来る。

 

――子供が一人でまともに生きていけるほど、この世は甘くない。今頃どのような身の上でいるのか、想像するだに気の重い話よ。

 

 縁壱がどれだけ優れた体力をもっていたとしても、遠国まで走り抜けられたとは思えぬ。そして、どのような形であれ、子供が糧を得る手段は限られているだろう。

 武家の息子として、恥ずべきことをしていないとも限らぬ。だとすれば、あまり熱心に調べる気にもなれなかった。月舟は縁壱の能力と人格を知らないからこそ、そう思ったのである。

 

「とりあえず、お前が気にするようなことではない。縁壱は、帰ってこないものと思って、日々精進することだ。後継ぎとしての自覚があるならば、そうすべきよ」

「……はい」

「無駄話に随分と時間を使ってしまったな。もっと有用な、学習になる話をこそ、わしはすべきなのだ。……大人の愚かしさを知るための、歴史の話もしたいのだが、今は知識を積み重ねる段階。焦らずに、学んでいこうではないか」

「はい、もちろん。……正しい武士になるために、必要な努力は、決して欠かしませぬ」

 

 出来すぎる子供の前では、かえって大人の方が試されている気持ちになる。

 この場合、失敗を侵さぬよう気をもむのは、月舟禅師の方であった。事実を伝えるのみならず、誤解を生じさせぬよう、言葉の表現にも気を使わねばなるまい。

 

 基礎としての教養は、合間に自習している様子なので、確認する程度に時間を取ればよい。

 算術の問題も宿題にしておけば、同様に行うだろう。すると、質疑応答が可能な授業において、優先するべきはもっと高度なこと――。

 たとえばだが、武家に関わる政治体制について、触りだけでも教えておくべきだと、月舟は判断した。

 

「室町幕府の体制について、いくらか講義することにしよう。最初の最初からやるとなると、鎌倉幕府が作られた頃、あるいは武士の始まりから説くことになるから、そこは省略する。とにかく、現実に我らが置かれている状況を理解するところから、はじめようではないか」

「はい。……私も、そこはまだ、学んでいない部分でもあります。家業の理解のほうを、優先しておりましたもので……」

「よい。子どもの成長には、時間がかかるものだ。その教育もまた、一朝一夕にとはいかん。さて、とにかく幕府と朝廷の関係について知っておくことは、武家に義務と言って良い。その次は鎌倉府と関東管領の関係について語り、今の我々につなげていくのがわかりやすかろう。――疑問があれば、遠慮なく口にするように。なるべく、わかりやすく答えるようにしよう」

「……ありがとう、ございます」

「では、はじめるとしよう。……鎌倉幕府の崩壊については、さわりだけに留める。今の室町殿がどうして生まれたのか、なんの名目をもって、武士を統率する権利を得たのか。それについては建武の新政と、それを生み出した当時の環境について語らねばなるまい――」

 

 そうして、継国巌勝は、多少歴史を学んだ。それが人の声と書物からなるものであり、実感したものではないにしても――この世を道理を学ぶ手段として、歴史は有用な題材であろう。

 己は同じ失敗をしない、と自身に言い聞かせることができる。過去から学び、新たな未来を勝ち取るのだと、彼は子供ながらに思ったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は、誰にとっても平等に流れる。武家の使命を背負って生きる者あらば、地に足をつけ、泥にまみれて生きねばならぬ者もある。

 さらに極端に言うならば、昨日元気に生きていたものが、明日には容易く死ぬ、ということもあろう。この時代、人の命を守り続けるには、その人が生きる環境以上に、運の強さがどうしても必要だった。

 

 東次郎と鬼舞辻無惨が出会った、あの家の前で、人々は噂する。

 村はずれにあった家で、すねに傷を持つ家庭であった。だからこそ同じ村の人々にも、死後に好き放題言われることになったのである。

 

「あの家の住人は、一夜で消えたようにいなくなったとか。血の痕はあれど、死体はない。さらわれたとしても、いささか不自然ではなかろうか?」

「うむ、さらうにしても、死体を片付けるにしても、人手も準備もいる。そんな目立ちそうなことをしておきながら、誰もそれらしい奴を見なかったと言う。……村はずれの一軒家とは言え、奪うほど価値のあるものもなかったはずだが、運のないことよ」

「何かしら、危ない仕事をしていたのかもしれん。そこで恨みを買っていたとしたら……さて。いや、恐ろしい話ではないか」

 

 運。一口に言えばそれまでだが――これは例えば、天候の不順に悩まされないことであったり、戦火に巻き込まれないことであったり、『鬼のような』極悪人の目に止まらないことでもある。

 人は、時に理屈抜きで人を害す。これもまた、そうした一例であろうと、人々は納得する。被害者と縁のある者がいれば、悲しんで葬式を行うこともありえたであろうが、そうしたことには結局ならなかった。

 

 哀れな人々として、時が過ぎれば忘れ去られるだけであった。まさか本当に、鬼の被害にあったなどとは考えない。

 食われたから死体が残らなかっただけで、人食いの恐ろしい生き物は、息を潜めながらこの世にはびこっているなどと――想像すら出来なかったはずである。

 

 戦国の世は、その土地土地で勢力争いが続いたこともあり、往来が難しい部分があった。関所の存在は代表的であるが、それ以上に治安が悪く、武力を持たぬ農民が、生まれた村から離れることは、命を奪われる覚悟を持たねばならなかった。

 治安を維持するのは、その地に根付く社会の役割である。村が組織する自警団のようなもの――の役割が特に大きいのだが、これは当然、その村の住民を守ることが主目的であり、よそ者や罪人を保護するような役割は背負っていない。

 鬼はそうした後ろ暗い、容易く狩れて、追求されにくい相手をまず最初に選ぶものだ。

 鬼とて、多少は知恵が回る。狩りに際しては、相応に狡猾さを発揮するのが常である。

 

 つまり、この現状において、鬼が本気で行為を隠蔽にかかれば、被害が周知されることは少ない。

 もし明確な目撃例があり、生き残った者がほうぼうに訴えでたとしても――まともに取り合われることはまずなかった。

 鬼の異常性は、常識で捉えることは出来ない。その情報は正しく伝わらず、ただの殺人事件として扱われる。

 この常識を超え、鬼の存在を知覚できる組織は、この世にただ一つしかない。その一つの触覚に引っかからねば、鬼はどこまでも戦国の世を謳歌できるのだ。

 

 ただし、鬼として生きるのも楽ではない。それは鬼を作り出し、鬼どもの上に君臨する無惨という男が、紛れもない暴君であるからだった。

 東次郎が虐待に近い教育を受けながらも生き残ったことで、無惨は新たな手足を一つ増やしたと言ってよい。

 世にはばかる悪の種が、純粋に一つ増えた、とも表現できる。これらが討伐されることなく、増殖するばかりならば、鬼どもが増長してこの世がどう変わったかわからない。

 

 ――しかし現実として、鬼は数を増やす以上に減少の一途をたどっており、鬼舞辻無惨が天下の往来を自由に闊歩できる状況には、なっておらぬ。

 その理由として、ある一つの組織、鬼を狩ることを目的とする『鬼殺隊』の存在が大きかった。

 この時代の幕府、守護大名すら認知しておらず、公にはされていない組織だが、民間には確かに根付いている。その隊士と呼ばれる者たちは、鬼を明確に認識し、これを人知れず狩ることを目的としていた。

 鬼を狩る以上、危険はもちろんだが、まず対象を見つけねばならぬ。――戦国の世は閉鎖的であり、情報が出回りにくいというのは前述のとおり。しかし、鬼殺隊には民間の協力者がおり、彼らが鬼の発見に一役買っていたのである。

 

「もし……この近くで、一家が殺されたとか聞きましたが、事実ですか?」

 

 一人の老人が、現場にやってきた。すでに件の殺人事件は近隣の村々に伝わっており、その異質さも同時に伝達されていた。

 閉鎖されていればこそ、その内部では噂が風のごとく素早く広まるもの。その老人もまた、話を聞きつけてやってきた一人である。

 

「うん? ……ああ、あんたか。お前さんには、耳に毒かもしれんな。何年か前に、あんたの家族が消えた事件があったろう。あれと似たような形で、人死にの痕だけがあって、肝心の遺体がない。奇妙な話だが、状況から見て、一家は生きておるまいよ」

「……そうですか。それはなんとも、由々しき事態ですな」

「おう、そうだな。この件の報告を兼ねて、見回りの人員と、頻度を増やすよう村長に申し出るか。それで解決するとは思えぬが、気休めにはなろうさ」

 

 老人は、数年前に家族を失っていた。それが鬼の仕業によるものだと知ったのは、鬼殺隊と偶然関われたからであり、老人はその後の生涯全てをもって、報復に生きるのだと誓った身だ。

 なればこそ、老人にとって全ての鬼は敵であり、鬼殺隊への貢献を生きがいとするのに疑問はない。伝達用に渡されているカラスを通じて、彼は鬼殺隊への報告を行う。

 

『信濃と上野の境目において、鬼の存在が疑われる犯行あり。馴染の隊士の派遣と調査を求むる』

 

 老人はそれだけで、自身の仕事を全うしたと確信する。後は隊士が来るのを待ち、彼らの世話をすればよい。

 長く生きていて、周辺に顔が利く彼は、よそ者を厚遇する術を持ち合わせていた。失った家族を弔うための復讐と思えば、これくらいは当然のことと思う。

 

――どこの誰かは知らぬが、鬼がいるならば、逃してはおかぬ。すみやかに死ね、お前たちは生きている事自体が間違っている。

 

 老人は、その暗い感情を発散することで、ようやく現世にしがみついていた。藤の花の家紋を掲げることで、鬼退治の一助となる。

 ちょうど、近くに待機しているであろう隊士にも、心当たりがあった。元は上野の国人の息子であったが、わざわざ鬼を狩るために実家を出た変わり種。

 その人物を信頼していればこそ、カラスにも当人を呼ぶように伝えたのだった。

 果たして数日後、その馴染の隊士と老人は、顔を合わせることになった。

 

「また、世話になる。……二度となければよかったのだが、苦労をかけるな」

「いいえ、いいえ。これもまた、わしの役目と、自ら命じております」

 

 老人は、頭を下げて、かの隊士を歓迎した。複雑な立地にある武家の生まれであり、実家まわりの政治に耐えられず、ただ剣を振るうだけの道を選んだ彼を、老人は信頼していた。

 その名を口にすることは、信仰を口にすることに等しかった。己の直接の敵を討ち、その時の復讐を代行してくれた青年を、老人は今も信じ続けている。

 

「富岡智信(とみおかとものぶ)様、あなたに助けられてこそ、今のわしがある。そう思えばこそ、鬼殺隊への献身もなろうというものでしょう。どうか、大手を振って、世話になってください」

「そう言われたら、遠慮もしにくいな。――まあ、しばらくは調査に入る。どこまで探れるかはわからんが、成果が出なくても、怒らんでくれよ?」

 

 不敵に笑って見せる、年若い男。おそらくは、二十を数えるか、まだ少し足りぬ程度の――年寄から見れば少年のように見える。

 富岡家の智信、と名乗る彼は、まさにれっきとした鬼殺隊の隊士であり、上野に生まれた武家の男でもあった。

 義と勇と、実績を兼ね備えた人物であり――鬼殺隊という組織の中では、ほどなく幹部になるであろうと目されている。その彼が、鬼舞辻無惨が出没した近辺を張っているのであった。

 

 しかも、それが信濃と上野の境目であること。これがどれほどの意味を持つのか。今は誰も、自覚することもなかったであろう。

 実際に実感するまで、さらに長い年月を待たねばならなかったのだが、遠い未来の布石は、確かにこのときに打たれていたのだ。

 

 鬼殺隊は、鬼を狩る一方で、また鬼に追い詰められることもあった。それでも盛り返し、存続出来ているのは、創始者である産屋敷家当主の能力が優れていたからだ、と言っても言い過ぎではない。

 当主の出来に上下はあれど、おおよそが特別な才覚をもっており、未来予知に近い感性を活用し、危機回避と資産運用に優れていたという。戦国の世に生を受けた産屋敷の現当主もまた、その例に漏れぬ。

 

 富岡智信もまた、お館様の慧眼を遠い未来に感嘆することになるが、今はまだ一つの布石に過ぎない。

 しかし、小さな変化であれば、それはすぐに表に現れる。

 

「そうだ。少し離れるが、信濃側には、もう一つの村があったな。確か……塩切村と言ったか」

「ああ、そちらにも、わしの縁者がおります。親がいなくなり、娘だけの家になりましたが、まだ村の水を管理しているはず。――よろしければ、紹介状を書きましょう。わしの言伝とあらば、あの娘は断りますまい」

 

 縁者と言っても、血の繋がりはなく、娘の両親と付き合いがあったというだけであるが、小さい義理も大切するのが、人間にとっては大事なのだと老人は信じていた。

 だからこうして、利用することも出来る。鬼の調査のためには、どのような縁でも使い尽くすべき。それが結局は被害を減らすことにつながると思えば、老人にためらいはなかった。

 

「良いのか。場合によっては、鬼退治に巻き込むことになるが」

「今更、惜しむべきものでもありません。……最近は男を連れ込んだ様子ですし、わしの手を離れる日も、そう遠くはないでしょう。それに、智信様との縁は、悪いことばかりとは言えますまい」

「そうか。……まあ、お前がそれで良いというのなら、状況次第で頼るのも良い。だが、まだ紹介するには及ばん。まずは俺とお前で、出来ることからやっていこう」

 

 老人が初手で身内を売り出すような行為をしたから、智信としてはたしなめざるを得なかった。

 鬼の被害にあった人間は、復讐のためにすべてを投げ出すような行為をよくやる。

 今生き延びている縁者を差し出したり、犠牲にしてでも自身の感情を優先することもあるから、鬼殺隊としても気を使わねばならない。

 切羽詰まっているならばともかく、今はまだそこまで徹底する段階にない。鬼の被害を未然に防ぐにしても、どこからどこまで調査すべきか、わからないことが多すぎる。

 

「近辺に目撃者がいないかどうか、まずはそこから始めよう。有益な話が聞けなければ、最近おきた事件を一つ一つ見定めて、血の匂いをたどっていくほかない。――近くに鬼が潜んでいるのは、まず確実と俺は見ている。とりあえず一月を目処として動くゆえ、補佐を頼むぞ」

「お任せください。……わしに出来ることは、なんでもさせていただきます。ええ、なんでも」

 

 老人の目には、暗い輝きが宿っていた。常人が見れば、その狂気にあてられて、めまいさえ起こしかねないほどの強さが、そこにはあった。

 智信は、何度目かわからぬくらい繰り返した、ため息を付く。ただでさえ悲劇の多い戦国の世でありながら、鬼という害獣が被害の上塗りをするものだから、処理に関わるたびに気が滅入る。

 うんざりするが、それだけ害の大きい鬼が相手だから、放置もしたくない。鬼殺隊の存在意義は、鬼の頭目とその一味をこの世から消し去ることにある。智信は使命感を一時たりとも忘れたことはなかったから、そのために動くことに疑問も躊躇もない。

 ないが、しかし――やはり、この世の無常さについて、思うところがあった。

 

――鬼舞辻無惨とやらは、驚嘆すべき精神力の持ち主だな。俺なら、こんな無情な世の中で、何百年と生きていたいとは思わんぞ。こんな世の中でも長く生き抜けられているのは、肉体的にもそうだが、まず心のほうが恐ろしく強靭なのだろう。

 

 やさしい世界がやってくる時は、果たして来るのだろうか。来たとして、それは何十年先の話か? 少なくとも、己が生きている間には不可能であろう。

 鬼、悪党、環境、不安と脅威について、語りだせばきりがない。そして不幸にも家族を弔うことになった老人は、ひどく荒んだ目を向けながら、鬼への復讐を隊士に期待するのだ。

 きっと、どれだけの鬼を狩ろうと、彼が救いを得られる日は来るまい――なんて。そんな無情な確信を持ちながら、智信は仕事をしなければならなかった。

 

――お館様も、心が痛いだろう。鬼の被害を知るたびに、浮かない顔をされる方だ。不幸を思うなら、この世の中、誰も彼もが不幸ではないのか。

 

 彼は鬼殺隊隊士として以上に、一人の良識のある人間として、人々の幸福を神仏に願ってやりたくなる。

 そして、もし鬼の頭目がいくらかでも幸福を享受しているのならば、これを許してはおけぬとも思うのだった――。

 




 富岡氏と冨岡氏の関係性は良くわかりませんが、都道府県別の分布図においては、結構な差異が出ているのですね。

 富岡氏は上野、つまり現在の群馬県に集中していますが、冨岡家はそうではない……くらいの差ではありますが。とにかく、冨岡義勇と富岡智信との間に血縁があるかどうかは、特に考えていません。
 この時代の鬼殺隊は、わかっている部分のほうが少ないので、登場人物の水増しは不可避である、と考えた末の決断です。
 もう一つ理由を付け加えるなら、富岡氏という国人が上野にいたものだから、なんとなく使いたくなったもので……。

 ではまた、一ヶ月後の投稿を目指して、執筆を続けていきます。よろしければ、ご感想などもいただければありがたく思います。
 良かった、悪かった、程度のものでも十分ですので、読者の皆様方の反応をいただければ、執筆も捗りましょう。

 好き勝手に書き散らしているので、やや不安を抱えている部分もあるのですね。もちろん、応えるだけの価値が、この作品にないとしても。筆者としては、筆を折るつもりなど、まったくないのですが。

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