継国之物語   作:西次

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 色々と調べながら書いておりますので、いつものように解釈違いとか史実の誤りとか、完全に防ぐことは出来ないと思っています。

 これも一種の戦国ファンタジーとして、受け入れてくだされば幸いです。
 いつもながら取り急ぎの投稿で、見直しが足りないところもありましょうが、とにかく読者の皆様方に成果を見せることが最優先と心得ております。

 よろしければ、どうか最後まで目を通してやってください。そして、感想などもいただければ、望外の幸運だと思います。



第十四話 東国の混乱と継国家の将来

 

 何事もなく、一年余りが過ぎた。……といっても、それは巌勝の主観から見た話に過ぎない。

 一年あれば、情勢は動く。家業が滞りなく運営できたとしても、それは周囲の治安が保たれていればこそ。

 巌勝は、おおよそ十を数える頃合いになり、背丈も伸びた。まだまだ成長の余地はあるが、彼の成熟を待っていてくれるほど、この世の中は平穏でいてくれない。

 彼は彼なりに家業を手伝っていたし、鍛錬に参加する同世代の少年の間にも、戦乱の伝聞は流れて来て耳に入ることも多い。近隣で大きな戦があれば、真偽を問わず噂が出回って、彼の心を騒がれることもある。これは、そういう話でもあった。

 

――小弓公方討ち死に。その報が、上野まで流れてきている。これが事実ならば、下総まで北条の手が及ぶ日も、遠くはあるまい。私の周囲にまで聞こえてきたのだから、他人事として見てはいられぬ。勝ち戦で気を大きくした連中が、上野を視野にいれるまで……さて。どれほどの時間が、必要だろうか。

 

 後の世で言う、第一次国府台合戦と呼ばれる戦いが、天文七年に行われた。

 下総国の国府台城一帯で、北条氏と足利氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦である。

 結果だけを言うならば、小弓公方足利義明の敗北、北条氏の勝利ということになり、詳細については、上野の一武家の知るところではない。

 だが、その結果そのものが重要であった。小弓公方を自称し、その血筋と武勇によって権勢を誇った足利義明が、ただの一戦で滅びたのである。肩書や家格の大きさなど、子どもの巌勝に実感できるようなものではないが、学識だけでも理解できることはある。

 足利氏は、武家の棟梁の血筋であり、そもそもの出自を言えば関東の名門と言ってよい。対して北条氏はもともと関東に地盤を持たなかった新興勢力である。

 戦国乱世の習いといえばそれまでだが、現実に近隣で起こってしまったことを思えば、他人事のように受け止めてはいられない。

 

――公方たる足利義明殿は、北条氏綱に挑み、敗死した。嫡子もまた戦いの中で戦死し、小弓で成立した権威は、これで滅亡したと言ってよい。……一戦にして、かつての権威が消滅する。そのような世の中であると、改めて自覚せねばならぬな。

 

 巌勝は、受けた教育の成果によって、自体の推移を重く見て、その結果を重視した。自分の家にとっても、これは憂慮すべき自体であると感じたのだ。

 足利義明は小弓公方を自称し、本家である古河公方と対立し、関東における覇権を狙っていた。

 公方を名乗る者同士で、われこそが関東における将軍代行、関東における武家の取りまとめ役にふさわしい存在である――と、お互いに主張していた。

 この権威を巡って小弓と古河は正当性を争い、血を伴う合戦の末に、古河が勝利した。国府台合戦とは、そうした権力争いの一環であったと言ってよい。

 

 足利氏同士の内紛といえばそれまでだが、これに北条氏が関わり、れっきとした戦果をあげたことが気がかりである。

 古河公方――足利晴氏は、新興勢力の北条氏綱をけしかけて義明を打ち破り、その命脈を断った。晴氏は北条を便利使いして、自身の権勢の維持に使ったとも言える。

 

 だが、断たれたのは小弓公方という家だけではなく、関東における足利氏の権威そのものではないのか。

 勝利した以上、晴氏は北条を評価せねばならず、生半可な褒美では釣り合わない戦果を北条はあげている。なにかしらの公職を用意して、報いるのが筋であろう。

 

 そうすれば、北条氏は権威の後ろ盾を得ることになる。地方の地盤が浅く、支配の名目を欲していた北条氏に、うまうまと勢力拡大の余地を与えたように、巌勝は思うのだった。

 調子に乗った北条氏は、強硬な手段をもって近隣の支配に乗り出し、足利晴氏――古河公方の威を利用して、国人たちを従えることだろう。

 ……北条がどれほど勢力を伸ばすか、巌勝にはわからない。上野まで手が届くか、届くとして何時頃に脅威になってくるのか――?

 楽観したくはないが、自分ひとりで悩んだところで、どうにもならぬという諦観もあった。

 

――公方といい、将軍という。幕府の象徴、足利の血筋すら、弱肉強食の摂理に埋もれる世の中だ。東国は、これから荒れるぞ……。

 

 公儀の権威失墜は、今更の話ではある。血筋や名目だけで収められるほど、東国は甘い土地ではない。将門公の時代から、この地は都との確執を抱えていた。鎌倉殿がいた頃はともかく、室町は政権を関東から都に移した時点で、東国との問題を抱え続けていたと言ってよい。

 なにより巌勝は、月舟禅師のもとで歴史を学んでいる最中である。鎌倉から室町の変遷、戦国の世にどうして至ったかの過程を見れば、小弓公方の一件はいかにも教訓的な目線で見てしまう。

 平安の昔から、東国は気性の荒い武士の土地であった。これを治めるには、権威と武力を現地に張り付かせねばならぬと、時の権力者――少なくとも、創始者とその子孫は理解していたものである。

 

 室町幕府が東国統治のため、鎌倉府を設置したのが貞和5年(1349年)の話。それから享徳4年(1455年)までおよそ百年続いたものの、享徳の乱において、鎌倉公方は自身の補佐役たる関東管領とも対立。周囲を巻き込んで身内同士で殴り合った挙げ句、ついには今川氏に鎌倉を占拠されるに至る。

 結果として、公方と共に統治機構は鎌倉を脱出し、以後は古河に拠点を移した。これを古河府といい、古河公方の名もそこからきている。

 いずれにせよ、権威だけで、武力を伴わない勢力が、没落したというほかない。要するに、現在の古河公方はかつての敗残者なのである。

 

――権威の欠片を、後生大事に持ち続けているように、私には思える。小弓公方は滅ぼされたが、それは北条氏の勢力拡大を手伝ったようなものではないか。古河の足利殿は、歴史の教訓に学ぶ気がないのかと、個人的には思う。

 

 古河公方とその府は、現状、権威をしぶとく保っている。しかし鎌倉に勢力を回復できていない時点で、公方といえども絶対的な統治者たり得なくなっているのは、傍目にも明らかだった。

 北条と古河、両者にとって共通の敵である小弓公方は倒れた。ならば、いずれはお互いを疎ましく思うようになるのは必定であろうに。

 本格的に仲違いして、いくさが起こるのは何時頃か。巌勝は、それが気がかりだった。自分でさえそう思うのだから、父の景勝も案じているはず。

 子供が政治的な場に出ていくことは出来ないから、ここは父を頼りにしたいところだった。可能であれば、自分の不安を払拭するついでに、今後の継国家の方針なども聞いておきたく思う。

 

――今日にでも、聞いてみようか。大きな悩みは、早めに解消するに限る。まずは平助殿に話を通して、それから会談の場を設けて、それから――。

 

 およそ、一般的な父子の関係にない継国家は、ただ話し合うだけでも一定の配慮が必要だった。巌勝の方から何事か切り出したい時は、特にその傾向がある。

 これは、親子の確執を放置し続けてしまったために出来た、余計な手間とも言えるのだが……。その手間を挟まなければ、巌勝は父親に虚心になれない事情があった。

 あくまでも仕事なのだと思わなければ、父に対する感情が吹き出しそうで、彼は怖かったのだ。

 

――父上は、私を愛してくれるのか。いまだに、縁壱を求めているのではないか。私などより、出来の良さそうな弟に、あの人は期待を持ち続けているのではないか――。

 

 教育の中で、巌勝は父からの厳しい叱咤、叱責を何度も受けていた。その中で、かつて切り離されたはずの弟への感情が、再びもたげてきていたのだった。

 これは馬鹿げた妄想だと、巌勝は思いたい。景勝の中で、後継者は自分だと決めているのだと信じたい想いがある。

 だが、それを口にしたところで、父は本心を語らないだろうとも考えてしまうのだった。不躾なことを聞けば、暴力で黙らされる。それくらいの理不尽さを、景勝は未だに持ち合わせていたから。

 しかし、私人としての欠点がどうであれ、公人としての能力があるのなら、巌勝はそれに敬意を払うことが出来た。父は、判断を誤るまい。そう信じることで、巌勝は自身の焦燥を押し殺していたと言える。

 そして、景勝はそうした息子の期待通り、継国家の今後について、舵取りをしくじることはなかった。結果だけを言うならば、親子の間での信頼関係は、保たれたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 勢力争いが常ならば、国人たちにとっても近隣のいくさは他人事ではない。戦いの後の政治的変化にも、敏感になる。

 国府台での戦いとその結果は、上野の国人たちにとっても無視できないことであった。景勝もまた、この件を軽視せず、わざわざ月舟禅師を呼び寄せたうえ、平助と共に協議することを選んだ。

 

「まずは、平助より申し上げます。この度はお招きに応じてくださり、感謝の意に堪えません。月舟禅師の学識を慕い、この場を設けさせていただいた次第であります。どうか、忌憚なき意見をいただければと思います」

「平助殿にそこまで恐縮されると、かえってやりにくいですな。別段、発言が記録される場でもなし。――私の意見などは、茶の席の与太話だと思って、適当に聞き流してくれても構わぬのですぞ?」

 

 平助はどこまでも恭しく月舟禅師を迎えた。その態度は正しいものであったが、当の禅師本人は恐縮するばかりだった。

 力関係を思うならば、禅寺よりも継国家の方が大きい。それを自覚していればこそ、禅師も、そして当主たる景勝も、相応の振る舞いをしようとするのだった。

 

「月舟禅師の言い方は鷹揚にすぎるが、そうだな。平助が萎縮する必要はないと、私も認める。ここは我が継国家の邸宅であり、月舟禅師は私に招かれた客に過ぎない。我々が教えを請う立場にあるとしても、僧と武士は、持ちつ持たれつの関係にあるものだ。ただ卑屈になったところで、禅師は同情以上のものなど、返してはくれんぞ」

 

 景勝は鷹揚に振る舞い、月舟は苦笑し、平助はため息を付く。それぞれの立場から、それぞれの感情を態度で示していた。

 この三人が一同に介して話し合うことなど、そうあることではない。特に軍事に明るいわけではない禅師が呼ばれたのは異例である。政治的影響については予測が困難であり、異なる意見を欲したからだろう。

 思うところはそれぞれにあれど、話し合うことの必要性だけは、確かに認めていたのだった。

 

「武家は武力と住居を保証し、ときには人も動員して寺を維持する。寺は学識を武家に提供し、ときには銭をもって地域の支配に貢献する。……利害の対立もなくはないが、我々はうまくやっているはずだ。そうであるな? 月舟禅師」

「はい、まさに。景勝殿の言葉は正しく、否定するようなことはございませぬ」

 

 景勝と月舟は、お互いに本心で語っている。そのように、平助には見える。しかし、その心のなかでどのような計算が渦巻いているか、彼が推し量るのは難しい。

 ともかく、協力してやっていく意欲だけはあるのだから、話を進めるのに支障はないはずだ。平助は、今後の方針を固めていこうと思い、口を開いた。

 

「牽制は、そこまでで結構でしょう。我々は協力すべき立場にあり、協議すべき題材もあります。前置きを省いて、早々に本題に入ってもよろしいではありませんか」

「平助の言いよう、まことに最もである。月舟禅師、そういうことで、よろしいな?」

「もちろんですとも。……景勝殿も、話し合うべき事柄については、すでにおわかりでしょう。国府台での戦いで、小弓公方が討ち取られたこと。北条氏と古河公方が結びつき、関東の情勢が大きく変わったこと。気がかりは、それでしょう」

「月舟禅師は、まことに聡明だ。こちらの懸念を理解してくれているのだから、お互いに利益を共有できていることも信じられる。――さて、上野の国人として、我が家はこれからどのように動くべきなのか。私なりに考えはあるが、禅師には禅師なりの見解があろう。高僧独自の思考というものを、私は高く買っている。忌憚なく、意見を述べてもらいたい」

 

 景勝は、意味ありげな視線を月舟禅師に向けた。こちらの把握していない情報も、彼ならばもっているであろう――という、確信に満ちた視線でもあった。

 そして実際、禅師には自分しか持ち得ぬ情報があった。武蔵、相模にも曹洞宗の禅寺はある。同じ禅宗の僧たちとのつながりを、この老僧はもっている。そこから新しい事実、蔓延する噂の類を分析すれば、景勝にとって興味深い話をすることも出来るだろう。

 

「先の戦の件について、自身の見解を述べるならば。――小弓公方が排除されたことで、彼が掌握していた部分に空白が出来た。よって、そこに新興勢力が割り込み、新たな秩序が構築されるのは、自明の理。我々は、その過程を注視するだけで、今は構わぬかと考えます」

「禅師。要は、ただ見ていればいい。こちらから出来ることはなにもない、ということか?」

「景勝殿は、いつも結論を急がれる。……継国家の手は、そこまで長くないでしょう。近場ではないにしても、目の届きそうなところで大きな争いがあれば、関心を持つのはわかります。自家に不利益が飛び込んでこないか、不安になるのも当然でしょう。――しかし、人間には限界というものがございます」

 

 何もかもを把握することは出来るものではなく、直接的な被害を被る確信もない。

 ならば、今は流れに身を任せ、今後の情勢を見守るくらいが、現実的な対処であろうと禅師は言った。

 

「禅師のおっしゃりようは現実的ではあっても、具体性に欠けるな」

「景勝殿。それこそ、武家と僧侶の性質の違いというものでしょう。我ら僧侶は、ただ仏の教えによって、現世を生きるのみ。しかし武家の人々は家を維持するとか、勢力を拡大するとか、あるいは同業者との軋轢など、難しいことをいちいち考えねばなりますまい。まこと、ご苦労なことでございますな?」

 

 月舟禅師は、ただ日々を生きるだけで不満はないのだろう。だからそうせよ、と容易く言える。

 これを突き崩して、武家に利のある意見を引き出したければ、まずはこちらから踏み込まねばならない。

 景勝は、この禅僧から武略を聞き出すには、手順が必要だと理解した。

 

「……まずは、こちらの手札をさらせ、と言いたいのかな。禅師はいつも、やりたくないことから目を背けたがる。いくさ嫌いは結構だが、私の前ではわきまえていただきたいところだ」

「景勝様、月舟禅師とて、立場がございましょう。言い方は悪いですが、これはお互いの利害を調整し、皆の利益を図る。そうした話ではありませんか? 強硬になる場面では、ないと考えます」

「まさにそうだな、平助。立場故に言葉を選ぶし、持って回った言い回しをするものだ。――禅寺には世話になることも多い。ここは、私が先に折れるべき場面か」

 

 平助がうながしたのも、一種の作業と言ってよい。二人の間でやり取りを挟むのは景勝の見栄でもあった。

 景勝は部下の諌めの後、一考した後に月舟に折れる。これもまた、継国家の様式に従った手順である。景勝個人の感情に配慮し、平助を巻き込んだ自慰のようなものであるが、月舟はそれを指摘しないだけの情を持ち合わせていた。

 とにかく積極的な発言を選んだ景勝は、本音で話すことを決めた。この場で重要なのは、その事実だけだった。

 

「まず、純然たる事実として――継国家としては、下総国の小弓に伝手を持つわけでもない。勝って成り上がるであろう北条とのつながりも、直接には持たぬ。だから上野から武蔵、相模へと通じる販路を通じて、北条の動きをどうにか掴めぬものか、試行錯誤していくつもりだ」

「試行錯誤とは?」

「あらゆる手段を通じての情報収集。言ってしまえば、間諜の真似事をすることになる。……部下への負担が増えるから、あまりやらせたい仕事ではないがな」

 

 馬借としての事業を、継国家はもっている。これまで活用していなかったわけではないが、ここから情報を探る術を、景勝はさらに洗練していくつもりだった。

 相模まで行くと、間に挟む業者の数も増え、間接的にでも実態を掴むのは難しい。噂話程度の精度では、何もわからぬ。

 といって、不躾に手の者を其処此処に送り込めば、仕事を邪魔しに来たのか――と、現地の同業者に憎まれるであろう。だから、これも具体策としては弱い手になる。

 景勝には、それが不満だった。わざわざ月舟禅師を招いたのは、僧の伝手ならば、刺激せずに情報を得られるのではないか? と期待した部分が大きいのである。

 

「なるほど、継国家が打てる手段としては、それくらいのものでしょうな」

「月舟禅師は、それくらい、ではない、ご立派な方法を持ち合わせておられるのですな? そうでないならば、強い言葉を吐かないでもらいたいが」

「これは失礼。――こちらとしても、個人の伝手で、今後も下総の事情を探ることは出来まする。そして、とりあえず必要な情報は、持ち合わせているつもりです。開帳するのはやぶさかではありませんが、一つ、お約束いただきたいことがありまして」

「わかった、聞こう」

 

 月舟という、曲者の老僧が何を求めるのか。景勝はもちろん、そばで見ているだけの平助にも気がかりだったが、その内容はひどく穏当なものであった。

 

「……巌勝に、今少し労りの気持ちをもって、接していただきたく思います。あの子の教育を担当するものとして、一人の子供の将来を案じるものとして、家族からの愛情に飢えるさまを見るのは、辛いものなのです」

 

 禅寺の利ではなく、自身への実利でもなく、ただ顔を合わせているだけの子どもの待遇改善について、月舟は求めた。

 

「そうか。巌勝に、いたわりをな」

「愛情と、思いやりを持って接してくだされ。年長者の言葉として、親の責務を果たしていただきたいと、そう求めまする。……よろしいな?」

「ふむ」

 

 景勝は乱世に慣れた武家であったから、これを正直には受け止めなかった。

 

――巌勝を通じて、何かしらの意図を汲み取ってほしいのか。この老僧は、自分の代理人として、あれを便利使いしたいのか? これを、あの子を優遇せよ、と解釈すると……庇護下にあるものに、責任を持てといいたいのか。

 

 すぐには思いつかないが、月舟禅師が巌勝を厚遇したとて、なんの意味がある? などと景勝は考えてしまった。

 

「景勝様、己の感情一つで収まることならば、悩むようなことではないかと思います。禅師の思惑はさておき、飲んで損になる取引ではありません」

 

 そして主君が悩んでいるのなら、補佐をするのが平助の役割だった。こうした細々な気が利くからこそ、彼はこの場への同席が許されているとも言える。

 もっとも彼の場合、巌勝には個人的に肩入れしている部分がある。渡りに船と禅師の話に乗った、という表現もできるだろう。

 景勝の、後継になるはずの長子への態度が、いささか目に余る。それもまた、武官筆頭の平助にとっては解決すべき問題だったからだ。

 

「いいだろう。巌勝への対応は、考えておく」

「考えて、きちんと実行なさいませ。親が子を愛するのは、自然なことでしょう。武家には武家の事情がありましょうが――親子の関係から目を背けても、いいことはなにもありませぬ」

「くどい。とにかくわかった。禅師のお言葉に従おうとも。……これだけ譲歩するのだ。建設的な意見を期待しても、よいだろうな?」

 

 とりあえず、肯定的な返答をしても問題はあるまいと景勝は判断した。月舟禅師の本心など、後からいくらでも探ればよい。

 現実に対処すべき事柄があるのなら、まずはそれを優先すべきだった。

 

「では、申し上げまする。古河公方足利晴氏は、小弓公方を下した北条家当主、北条氏綱に関東管領の役職を与えるのではないか。そうした話が、持ち上がっておるそうです」

「関東管領! ――真に任命されるのであるならば、これは大事だ。関東の情勢が一気にひっくり返るぞ」

 

 関東管領補任は幕府の権限であり、関東管領には、継国家の主君である上杉憲政がすでに存在する。これを無視して、古河公方の一存で役職を与えるというのだから、これは掟破りの行いというほかない。

 実現すれば、北条氏綱は、政治的地位を得て、大義名分を得たことになる。

 山内上杉氏の勢力圏である上野、その国人である継国にとっても、これは大きな変事であった。

 関東管領は、もともと鎌倉公方を補佐する役職であり、その職務は多岐にわたるが、要は公方にもっとも近しい副官であり、その威光を一身に受ける立場であると言ってよい。

 北条と古河公方の関係がそれだけ深くなるとなれば、政治的影響力が上野にまで及ぶ可能性を、景勝は真面目に考慮しなくてはならなかった。

 

「山内の上杉殿は、この手の横紙破りを許すまい。即座に討伐――とはいかぬまでも、何かしらの処置を検討すること、想像するに容易でありますな」

 

 検討、と月舟は言った。討伐について言葉を濁した時点で、その意図は明白である。

 すぐには情勢は動かないと名言したに等しい。景勝は正確に老僧の意図を把握して、言葉を返した。

 

「月舟禅師の言葉を信ずるなら、それはそのとおり。しかし、一国人の手に余る事態ともなり得る。……北条も、それくらいは予想していよう。情報を探るにしても、事業の合間に、というのは難しかろうな。事の真偽を探るものが、北条のもとに集うことであろう。競争も防諜も、激しさを増すと考えるべきか。――付け焼き刃の諜報活動で、有益な話を拾うことが出来るかどうか、怪しくなってくるな」

 

 どうしたものかと、景勝は悩まねばならなくなった。そうしたところで、すっと月舟禅師が助け舟を出す。

 

「やはり、急がずともよろしい、と私などは考えますな。事が起きるとしても数年後です。北条には余力があるし、付け入る隙も少ない。さらに今すぐ戦をふっかけるほど、上杉殿も切羽詰まってはいないはず。どうせなら古河公方と北条の決裂を待ってから、囲んで殴る手筈を整えるほうがいいでしょう。山内で少しでも頭の回る者がいれば、それくらいは考えつくものです」

「……決裂するような問題が、両者の間にあるのか? 関東管領を任じる以上、それなりの信頼を置いているはずではないか」

「これは願望に近い予想ですが、両者が決裂する問題は、これから起きていく。増えていくものと思っています。――もとより打算で成立した関係なのです。古河公方は北条を利用して小弓公方を滅した。そして北条は古河公方を利用して、名目を得た。そうして、自身の勢力を伸ばしていくでしょう」

 

 北条は、先祖からの関東での地盤を持たない。だからこそ、しがらみを振り切った勢力の伸長を望めるが、結果として既存の勢力との軋轢は増えるだろう。

 政治的影響が積み重なって、古河公方と北条氏が決裂し、正面衝突する可能性――。

 改めて思考を重ねてみれば、その未来は確かに現実味を持って感じられるように、景勝と平助には思えた。

 すると、やはり正念場は数年後と見てよいだろう。予想通りにことが進むとしたら、情勢の悪化にも時間が必要である。

 情報収集を怠ってはならないが、さりとて急ぐ必要もないというのは、道理であった。

 

「そうした予測を振り切って、いきなり古河と北条の戦が始まる。そんな事態になったら、どうしたものか」

「山内上杉氏が、どう判断するかによります。一番物騒なのは、継国家も参戦を求められる事態ですが……そうなったら、私が郎党を率いて出陣する以外に、手はないかと考えます。打てる手が極端に少なくなりますので、とりあえず覚悟を決めておく他、ありますまい。――すると、やはり禅師の言う通り、急がずに情報網を構築することを進めるのが一番かと」

「――問題は、その情報網だ。今の継国家の伝手では、どうにも心もとない。よそを頼るにしても、確かな付き合いのある家はすべて上野内だ。武蔵、相模、下総といった地方には繋がらぬ」

「正確に言うならまったくないわけではないですが、どうしても間接的な手段を使います。決定打にならないという意味では、まったくもって心もとない話ですな」

 

 平助と景勝の間で、意志の統一が叶った瞬間であった。結局のところ、一番の問題はそれに帰結する。

 それを解決する手段を持つのも、また月舟禅師であった。

 

「では、よそとの付き合いを増やせばよろしい。継国家には、それにふさわしい駒もあります。――巌勝殿と他家の縁談を、そろそろ考えてはいかがですかな?」

「……そういうことか。相手は?」

「前向きに考えてくださるのならば、私が有用なところから年頃の娘を見つけてまいりましょう。実際の婚姻にはまだ早いですが、話を持っていくだけならば難しくありません」

 

 景勝は瞬時に悟った。武家同士の結婚に、寺が仲介する。これはそういう話だった。

 継国家は新たな関係を構築し、それを自身の事業に組み込み、新たな情報を得る機会を作る。

 禅寺は互いの武家のつながりを利用して、人脈を増やし、自宗の繁栄を図る。持ちつ持たれつとは、まさにこれであろう。

 

「仮にの話だが、巌勝にふさわしい相手として、どこの家のものが良いと思う? 当然、次代の継国家に利することは大前提。そのうえで、今後の関東の情勢を見極めて、確度の高い情報を得られる立場が見込めるなら、なおのこと良いのだが」

「では、富岡の家などはいかがでしょう。ちょうど、巌勝殿と年の変わらぬ娘がおりました。曹洞宗の檀家でもあり、寺の伝手で連絡も取れまする。あの家は古河にも出入りしておりますから、何かしらの情報を掴むこともあるでしょう」

「富岡か。まったく付き合いがないわけではないが、慎重な対応が必要な相手だ。下手な付き合い方をしてヘソを曲げられては、馬借の事業にも支障をきたしかねん。あそこは他所との仲介業もよくやっている。我が家も世話になることが、たまにはあるのだ」

 

 富岡の名を、景勝が明確に意識したのは、このときが初めてであったろう。これまでは、ただの商売相手の一人に過ぎなかったのだから。

 そして巌勝が富岡の名を知るのも、これがきっかけである。この後の人生において、思わぬところで縁を持つことになるが、その始まりがこの件であった。

 

「これを機会に深く繋がれるなら、それはそれで一考に値する。しかし縁談を持ち出したとして、富岡家がその気になってくれるものかな? こちらの都合で縁を結びたいと言っても、まず相互に利益がなくては婚姻など成立せんものだが」

「御存知の通り、富岡氏は上野の中の武家ですが、地理的には各国の境界に近く、難しい土地にあります。古河にも比較的近い。――逆に言えば富岡は様々な勢力の目に触れる立場にあり、上野にありながら、上野国内の事情ばかりにかまけていられない事情がある。継国家の馬借という事業と、その販路を通じた信頼性は、喉から手が出るほど欲しいものでしょう。多少なりとも付き合いがある継国家からの縁談なら、まず前向きに考えてくれるはずです」

 

 そして、仮に縁談が成立しなかったとしても、その過程の中で互いの家を行き来すれば、自然と関係が構築されていくだろう――と月舟は言った。

 かの禅師からそうした意見が出てくるのだから、現実的に実行できる目処がついているのだろうと、景勝も平助も信頼できた。

 両家の付き合いが本格化するならば、副産物として、富岡氏を含めた情報網の構築が叶うだろう。

 月舟禅師を頼るだけで最低限の目的は達成されるのだから、景勝としても本気で取り組むべきだと判断する。

 

「――禅師、私は決めたぞ。富岡氏と、関係を深めるところから、まずは始める。縁談を進めるとしても、そこから実績を積み重ねねば、周囲からの疑念を招こう」

「はい。もちろん一足飛びに話を持っていくわけではありませぬ。まずは、継国家が本気であることを相手に伝えて、互いに頼るに足る存在であることを証明せねばなりません。そのうえで、家同士をつなげるべきかどうかを考えればよろしい」

「決まりましたな! ――景勝様と月舟禅師がそうと決められたならば、実働はこちらで担当しましょう。これは、忙しくなりそうですな」

 

 景勝、月舟、そして平助の三人の会談は、これで結論をまとめた。

 家の事情によって、巌勝は将来の相手さえ自分で決められぬが、それが武家の宿命というものであろう。

 

 巌勝は巌勝なりの悩みと宿業を背負いながら、成長していく。周りに巻き込まれながら、あるいは巻き込みながら。

 

 辿り着く先は、いまだに見えない。この世の中が思いの外、複雑で、しかも理解しがたい魔物たちがはびこっていることなど、知らずに済んだ。そんな恵まれた時代は、いずれ終わる時が来るのだった――。

 




 もっと話を進めたいと思うのですが、書き続けるのは難しいのだと、よく考えるようになりました。
 以前と比べても、明確に筆が遅くなっている自覚があります。

 それでも、最後までこの物語を書き続けるのだと、そう己に言い聞かせながら、悩みながらも執筆しています。

 次の投稿も、お付き合いいただければ幸いです。

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