今回も分量は少なめですが、目を通していただければ幸いです。
武家同士の婚約は、そのまま婚姻を見据えて進められるものであり、家同士の付き合いもそれに伴って増えていく。継国も富岡も、政治的商業的な利点を求めているのは同じであるから、お互いの家の強みをどう活かしていくか。まずは対話が必要なのは確かであった。
景勝は体調が回復しきっていないので、実務面では平助が担当することになる。代理を立てるのはよくあることなので、そこは問題にならない。
とにかく取り急ぎ、日程だけは決めて置きたいと、継国家に富岡から使者がやってきていた。家同士の話は、時間をかけるとこじれることがある。だから、早いうちに話を進めたくなる気持ちは、お互いにあった。
平助もそれは察しているので、富岡からの使者を丁重にもてなし、会談の場を作る。
まず最初に確かめるべきは、婚姻そのものの保証。これを担保する書類を交換し、お互いの意思を確認することだった。
「古河公方からの婚姻許可の証書、確認しました。継国当主の名代として、富岡の意思を認め、これを受け入れましょう」
「こちらも、山内上杉家からの婚姻許可の証書、確認させていただきました。富岡当主の名代として、継国の決断に感謝いたします」
富岡側も名代としての権限を使者に与えていたから、今後の調整を話し合うことに支障はなかった。
使者の男は、平助から見れば線の細い、柔弱な人物にも見えたが、仕事をこなすだけの胆力は持ち合わせているようだった。
少なくとも、話していて不安を持つような手合ではないと、平助は評価する。
「ともあれ、富岡としては、こちらに娘を派遣させるということで、よろしいのですな? 継国としても、嫡子を遠出させるのを危惧する声があります。なので、渡りに船とも言えますが……」
「平助殿の言いたいことはよくわかります。同じ上野内といえど富岡は辺境、お互いに距離のある付き合いになります。あえて娘の方を遠出させる危険、これを飲まされる富岡の面子を、危惧なされているのでしょう。――ですが、そこはいいのです。これは必須だと、当主秀光から命じられておりますから」
婚約の後、顔合わせの機会を設定するのに、継国家は巌勝を富岡に派遣するつもりだったが、これは富岡の方が遠慮した。
むしろ自身の娘を継国家に送って、二人の仲を深めてやってほしいと伝えてきたのである。これには当主である景勝も、実務を担当する平助も驚いていた。
話を持ちかけたのはこちらであるから、嫡子を相手の方に出向かせるくらいの誠意は、見せるのが筋であろうと思っていたのだ。だというのに、富岡家は娘を人質のように送り出して、ご機嫌伺いをするように扱ってきたのである。
「命じられている? それはまた、なんとも。いや疑っているのではなく、そちらから下手に出られるのも、戸惑ってしまうというか……」
「平助殿は、外聞を気にしすぎておりますな。富岡家では、実利が全てに優先されます。お互いに了解を得られたならば、この方向で進めるということで。……よろしいですね?」
「富岡が自ら娘をよこしてくださる、というのであれば、拒否する理由はありません。――結構、では日程の調整から始めていきましょうか」
平助は困惑しつつも、富岡側がそれで良いという以上、話を進めざるを得なかった。
これは富岡家の窮状を示しているのか? あるいは何かしらの謀略が挟まっているのか? どのように情報を分析しても、相手の意図が読めず、判断がつかない。
しかし積極的に拒否する理由もひねり出せないとあれば、受け入れるのが筋であろうと、平助は結論を出した。
事後承諾になるが、景勝もまた、この結論を否定することはなかったのである。
――初回はこれで良いとして、次回はこちらから富岡家に、機嫌をうかがいに行く形にせねばならんな。これくらいの配慮もできないとなれば、それこそこちらの面子が立たなくなる。
婚姻を政争の一種と捉えるならば、富岡の方から先制を仕掛けてきた、とも取れた。今後の主導権を得るために、出会い頭に一撃をいれる。手法としてはむしろ在り来りな手でもあるが、初手で打ってこられると、やはり嫌な感じがするものである。
景勝は腹を据えて鷹揚に構えているから、現場を取り仕切る平助が、実際には警戒と対策に当たらねばならぬ。この点、彼の悩みは深い。
あれこれと話し合いを重ね、調整を続ける中でも、平助は己の内心を隠しつづけた。自分の不安をさとられぬようにしつつ、今後の富岡家との付き合い方を考えていく。
――景勝殿は、こうした形式に弱い。一度相手にへりくだられると、気が大きくなって物事が解決したような気持ちになられてしまう。なにより、今は体調が万全ではないのだ。下手に富岡の者と合わせて話をさせようものなら、どんな発言を引き出されるかわからん。
まだまだ老年には程遠い身の上ながら、景勝の命数は年々縮まっていっているように、平助には見えていた。それと同時に、彼の精神もまた、現実から遠ざかっていくように無気力になってきている。これがなにを意味するのか、あまり想像したくはないと思う。
――例外が縁壱と、朱乃様に関わることだけだというのが、さらに悪い。今でも、俺等が少しでも話題に出して触れようとすると、人が変わったように激昂される。これはもはや、最後まで変わることはないのだろうな。
それはそれとして、巌勝が元服し、婚姻を済ませて次代を紡ぐところまでは健在でいてほしいと、平助は願った。
継国家は今、栄えつつある。常人ならば、孫の顔を見るくらいまで、長生きできるくらいの環境は整っているはずである。
朱乃の死がどれほどの心痛をもたらしていようと、乱世がどれだけの重圧を彼に与えていようと、そこは耐えるのが武家の当主の義務であろう。ここは堪えて継国家の存続のため、意地でも生きる意思を見せるのが父親の役目ではないか。
――出向いてくる富岡の娘に、不調な姿は見せられない。だが、無理をさせて命を縮めさせるのも、俺としては避けたいと思う。
病は気から。まずは景勝本人が、まだ死ねないと執着するべきなのだ。そうせねばならぬ理由はいくらでもあるというのに、最近は彼から覇気が消えていっているように平助は感じてならぬ。
どうにかして元気を取り戻してほしいのだが、その方法が彼にはわからない。安静にしていれば、まずは問題なかろうが、長期間にわたっては隠蔽は難しい。
滋養のあるものを食べ、仕事を控えて体を休める。気休めだが、できるのはそれくらいだった。継国家の伝手では、信頼できる医師を呼び寄せることも難しかったから。
――その場その場で、どうにかするしかない、か。……俺にできることは、そう多くもないんだが。
二人の顔合わせの日取りが決まったときも、平助はため息とともに現状を受け入れるしかなかった。
結局、人事を尽くしたならば天命を待つ他ない。富岡の娘、智子と継国の継子、巌勝の対面が、いかなる結果をもたらすのか。平助は、そこに楽観的な想像を混ぜることすら、もはやできなくなっていたのである。
大人たちの思惑は別にして、巌勝は初めての経験を前に、緊張していたと言ってよい。
村の女子となら軽く話したこともあるが、同じ武家の、年齢の近い娘というものは、どういう存在なのか。
想像することすら、彼には難しかった。巌勝はいまだ未熟な身の上であり、子どもであることを許された立場でもある。彼自身、成人する前の試練として、この婚約をとらえていたのだが――。
「巌勝だ。これから、私と貴方は婚約者、ということになる。――家の関係もあるので、なるべく丁重に……接してやりたい、と思っている。至らぬところもあろうが、お互いに……子ども、なのだ。未熟は当たり前と思って、不満があれば、遠慮なく、申し出てもらいたい」
しかし実際に顔を合わせてみれば、富岡智子は危惧したほどの相手ではなく、真っ当に可愛らしい女児に見えたのである。
だから男として、自分から言うべきことを伝えねばならぬと思った。口に出してから、余計なことまで言ってしまったのではないかと、焦りを覚えるほどに。それほどまでに、巌勝は婚約者を扱いかねていたのである。
「智子と申します。……巌勝様は、律儀な方なのですね」
「律儀、とは?」
「言葉多く、伝えようとすることは、苦手な性分であると見ました。しかし、伝えずにいて、わたくしに不快を与えたくもない、と考えておられる。……女の言う事など、押し潰して良い立場にあるというのに。将来の夫殿は、わたくしを気遣ってくださっている。その気持が、とてもよくわかります」
しかし、さすがは富岡の娘。戦国の世を生き抜いた武家の娘である。不器用な巌勝の気持ちを汲み取るように、智子は振る舞った。如才ない態度の中には誠実さがあり、正直な感想を述べていることが、巌勝にもわかった。そうであればこそ、安心して向かい合えるというものだった。
「わかる、ものなのか」
「男には男の道理があるように、女には女の生き方というものがございます。家に仕え、夫に仕える身であればこそ、己に求められている立場は理解しています」
その言葉の中に悪意はなく、純粋に自分への感情を向けてくれている。巌勝は、そのように信じることができた。
仮にこれが演技だとすれば、もはや理外の化け物であろう。そのような女性に対し、何ができるものか。こうなれば、正直に正面からぶつかる他ないと、彼は判断する。
「理解、は、難しい。男女の違い、立場の違い……。私は、そう察しの良い方では、ないのだ。言葉にして表現することも、慣れぬところも多い。――すまない」
だから至らぬところは許せ、と言いたいわけではない。未熟はお互いさまであるから、自分も無作法を働くところはあろう。だから、今から謝罪をしておくつもりで言ったのである。
言葉足らずな巌勝は、そんな言い方しかできなかった。そんな、本来ならば誤解を招く言い方であったところを、智子は完全な返答を持って返した。
「――ご安心を。わたくしは、富岡と継国を結び、両家を繁栄させる使命を負ってここにいるのです。たとえ、何が起ころうと、わたくしは……その責任の重さを忘れることはありません」
事実上の容認発言である。精神の成熟という部分に限るならば、智子は巌勝を凌駕していたと言ってよい。
女子は男子よりも早熟の傾向にあるとは言え、智子のそれは同世代の同性と比べても、著しく秀でていた。
「責任、か。それを実感するのは、まだ先の話になるだろう。今は忘れてよい、と、言ったら……どうか?」
巌勝自身、時間を掛けてゆっくりと、婚姻というものに向かい合っていきたかった。家庭を持つという責任を前に、若干ひるんでいた部分もなくはない。
だから智子の方にも、今から重い覚悟を背負うのではなく、まずはただの個人として接していきたかったのだ。
自分も忘れたかったから、彼女にもそうしてほしかった。そういう意図の発言だったが、智子にとっては不満であったらしい。言質を与えた分だけ、智子もまた言葉を尽くしてきた。
「どうかと言われれば――なぜに、と問わねばなりませぬ。わたくしは、まさに両家のための楔として、婚姻のために継国に来たのですから。これを一時であれ忘れるなど、富岡の娘であることを、放棄するようなものです。なぜ、そのようなことができましょうか」
「そう……か。貴女は、そう思うのか。――いや、失礼をした。私の言い方が、悪かった」
この、過剰なまでの自家に対する従順さ――というべきものが彼女の幸福につながるかは別であるが、巌勝にとっても、両家にとっても都合が良かったのは確かである。
あるいは、そこまで早熟せねばならなかった環境こそが、智子の不幸であったと表現できるかも知れない。ここまでのモノになった過程は、相応に過酷であったはずであるから。
富岡の当主、秀光は娘の教育に妥協しなかった。そうした事情を把握していない巌勝であるが、彼は彼なりの感性で、智子の事情をなんとなく察した。
この乱世において、武家の女として生きるのは辛いことなのだろう。彼女の気持ちを無視してはならぬ、と思えばこそ、さらに言葉を重ねていくのだ。
「楔として役割は、すでに成っている。……私は、この婚約を、反故にしようとは思わぬ。父もそうだろう。継国家は……富岡を受け入れる準備を、もう始めている。貴女が気張らずとも、両家の関係は、納まるべきところに、納まるだろう」
「であれば、もう一段階、話を進めねばなりません。――仕事上の、事務的な信頼だけではなく、感情的にもお互いを不可欠だと信じられるようにすること。富岡の娘として、継国家の信頼を勝ち取るため、身を粉にして働こうと思います。……家事はもちろんのこと、畑仕事ができる程度には、体も鍛えています。下女の真似事をしてでも、継国に尽くせと、父秀光から言いつけられておりますから。どうぞ、都合よく使い倒してくだされば、幸に存じます」
聡いだけの女子か、それとも本当に物の怪の類であるのか。巌勝は、智子という女性を測りかねていた。発言内容もそうだが、頭を下げて懇願するような態度が、なんとも痛ましい。
ここまで己を卑下してくるとは、彼の想定の範囲外であった。まさか、当人の言う通り、下女の如き扱いはできぬ。それは継国の、武家としての面子に関わることであった。
だが、本人が是非にというのに無視するのも問題だろう。では具体的にどう扱うのが正解なのか。これはもはや、巌勝の判断を超えているように思われた。
「なんとも……気の早い話だ。今回の顔合わせは、事務的な要因が、大きい。家同士のつながり。それを持つための準備として、互いの人員を交流させる。問題があれば、修正する。子ども同士の関係も、また然り。――貴女の扱いについては、のちほど、父上が決められるだろう」
「子どもには、詳しい事情などわかりません。……少しだけ、早口になりましたね。わからないことが、気持ち悪いのですね。これで一つ、巌勝様のことが、わかった気がします」
自分では見極められぬとあれば、周囲の助けを借りる他ない。せっかくの婚約、富岡の娘の方に出向いてもらったのだ。父景勝、そして平助や月収禅師らと顔を合わせてもらっても、いいではないかと巌勝は思う。
大人たちならば、子どもの自分にはわからなかったことも、探り出してくれるはずだと彼は信じた。
「わかった、と? なにが、と聞いてもよいか」
「わたくしのことを、理解しようとしてくださる。その態度、嬉しく思います。――けれど、巌勝様は結局、わたくしを扱いかねている。どうすればいいか、他者に委ねねばならないことを、不快に思われている。――大したことは、やはりわかりません。お気に触ったのなら、謝罪いたします」
「もう、よい。頭など下げるな。……それ以上は、富岡の名が泣くだろう。あなたは、継国に従属しに来たのではないのだから」
「はい。従属ではなく、共栄のために参りました。――巌勝様は、それをお題目ではなく、本気で目指してくださっている。律儀、と感じたのは、やはり間違いではありませんでした。頼りがいのある人であると、今、わたくしは確信しております」
「――よせ。将来はともかく、私は当主の息子であるに過ぎない。今、頼られても、できることは……たかが知れていよう。媚びへつらうような物言いは、私には不要だ」
改めて見れば、智子は薄ら寒いほどに冷静であり、子供らしい部分が見られない。身体が小さいだけの大人が、自分の前で話している。そのように、巌勝には感じられた。
くどいくらいに上下関係を強調してくるのも、どこか大人らしい嫌らしさを思い起こすようで、彼は早々に話題を打ち切りたく成った。
決して、この娘に不気味さを感じたせいではない。未知の相手に、己よりも非力な存在に、脅威を感じたわけでは断じて無いのだと、巌勝は内心で強く思っていた。
「――失礼しました。重ねて、非礼をお詫びします。わたくしは、必要もないのに言葉が多くなるときがありまして……父にも、よく叱られるのです。性分というものでしょうか、ご不快ならば、口を閉じておきますね」
「いや、別にそこまでは、求めぬ。私は、口が上手い方ではない。難しいが……私の前では、我慢をしなくて良い、と思う。私は、あなたに、媚びるような態度をとってほしくない――という、それだけのこと……なのだ」
巌勝は、慣れぬ場で慣れぬ言葉を用いて、どうにか思うところを述べた。
別段嘘をついたわけではないのだが、いくらでも解釈のしようがある言い方をしてしまったのは、彼の失敗と言ってよい。
もっとも、当人はその失敗の自覚さえ、持つことはできなかった。子どもは子ども同士、と平助が席を外していなかったら、間違いなく叱責が飛んできていたであろうに。
「はい。お許しが出ましたので、我慢をせず振る舞うことに致します。もちろん、度を超えた態度を取ろうというのでは、ありません。……ご安心ください」
「まだ、なにか引っかかる物言いだが。……ああ、そうしてくれ」
「では、そういたします。巌勝様が、良いお方で、私達も安心できます」
交渉の場であれば、いかに巌勝が未熟とて、ここまで不用意な言葉を使わなかったであろう。
富岡の娘が、未知の存在でありすぎたこと。ある意味、男女の関係を意識しすぎたゆえに、落とし穴にハマってしまったのだとも言える。
智子は、穏やかに笑った。その笑みの中に、何かしらの意図があるのではないか――と、今になって不安になる巌勝であった。
不安になってしまったから、言わなくともよいことまで、この場で口にしてしまう。
「私は、本当に……良い、夫になると思うか? 私には、わからぬ。手本らしい手本を、見たこともないのに」
「はい。――はい、もちろん。わたくしもまた、良き妻たろうと思います。大事なのは、お互いの想いだけ、そうではありませんか? ……巌勝様、どうぞ末永く、よろしくおねがいしますね」
お互いに気の早い話だと思ってはいたが、口に出した感想に、偽りはなかった。
どこか噛み合わぬところがあっても、それは当然だと思い、巌勝は問題だとは見なさなかった。
相手のことは、これから知っていけばよい。時間はあるのだから、理解する努力をしていけば、お互いの家に不利益をもたらすことはないだろうと、彼は信じたかった。
この点は、智子も同様であろう。しかし、彼女には父から命ぜられた使命があり、子供らしからぬ狡猾さを持って、自家の利益を見出そうとしている。
巌勝には、智子の事情を察せられるほどの、経験は持たなかった。だからこそ、周囲からの気付きが大事なのであり、補佐が必要である。これからの二人の関係を深めていくうえで、景勝や平助の保つ役割は、大きいものになるはずだ。
――こちらは上手に話せたと思うが、平助殿はどうだろう。話し合いたいが、あの人にも富岡から出向してきた連中との打ち合わせがある。今日明日のうちに、相談できる時間があるかどうかは、微妙なところか。……父上は、まだ本調子ではない。むやみに相談を持っていくのは、控えるべきだろう。
問題は、巌勝を支えるべき両輪のうち、片方が機能不全を起こしていること。その不幸な事実にこそあったろう。
息子の目からは、家庭人として問題の多い父であるが、経験だけは重ねている。他家からやってきた娘に対し、適度にあしらって手本を見せることくらいは、できたであろう。
たが体調面からも、精神的な理由からも、景勝は巌勝に教えを授けることができなかった。結局、彼はこの婚姻において、父親らしいことは何もしてやれなかった。それだけが、事実として残ったのである――。
客観的にはともかくとして、当事者同士の認識においては――富岡の娘と継国の継子の顔合わせは、無難な形で収まったと言ってよい。
事後に振り返ってみれば、お互いに好印象を抱いて終わった。それに何よりも安堵しているのは、富岡ではなく継国のほうであったのかもしれない。
具体的には、平助である。彼が思い煩うほど、巌勝も智子もお互いをわきまえていた。まずはそれを確認できただけでも、安心するに足ると彼は思うのだった。
「……そうか。富岡の娘はわきまえた態度を取っていたか。好ましいが、賢すぎる妻を持つと、返って気苦労が増えるかもしれん。そこらへん、どう思うよ、ええ?」
「苦労、というほどの苦労でも、ありますまい。智子殿は、こちらの事情を慮って、気を使える方だと思います。……継国家にとって、損になる相手ではない、かと」
「いいんだがね、別に。――今更、話を反故にするほうが面子に関わる。だが、まあ、そうだな。お前が行き届かぬところは、俺の方で補佐すればいいだけのことか」
巌勝の方が無難に終わったのなら、平助の方はどうだと問われれば、これもまた問題なく終えられたと言ってよい。
双方の間で意思の疎通と情報の共有は、問題なくなされた。翌日以降は詳細を詰めるとともに、これからの両家がいかに事業を展開していくのか、その手段を模索していくことになるだろう。
とりあえず、現状としては巌勝にアレコレと懸念を伝える段階ではない。なればこそ、平助は巌勝の補佐を堂々と公言できるのだった。
「平助殿には、お世話をかけます。本当に、どう報いればよいか、わからぬほどですが――」
「おい、今更かしこまって、アレコレと気を回すなよ。子供は子供らしく、大人に甘えておけば良い。少なくとも、今はそうしていい。応えられるだけの実力は、これでも持っているつもりだからな」
巌勝から事情を聞く限りにおいて、智子との接触は、この年若い継子に新たな刺激を与えたようだった。
良くも悪くも、子どもは成長する。どうせなら刺激を弱めるのではなく、むしろ積極的に与えつつ、いい方向へと誘導してやりたいと平助は考えていた。
――初見で悪印象を持たれなかっただけ、マシというものか。問題はこれからの付き合い方だが、男女のこと。理屈をつけてうまくいくことでもないし、気長に見ていく他あるまい。富岡家とて、利益を見込めるからこそ、婚約を受けいれたのだ。共栄できるだけの実力を認めたならば、ふらちなことは考えぬはず……。
平助の感想としては、そうしたものであった。だが、今の継国家に滞在しているのは、婚約相手の智子だけではない。実務の調整役、その他諸々のお付きの者たちも、当然のように多数存在している。
顔合わせだけを済ませて、速やかに帰還するならば、平助とて思案が必要になる場面ではないのだが、今回は少しややこしい。
「まあ、予定と違って、連中の待遇を真剣に考えねばならなく成った。数日ならともかく、それ以上の滞在となると、周囲の目もある。無為徒食を強いるより、何かしらの仕事を用意してやらねばならん。お前も、しばらくは智子殿と顔を突き合わせる機会が増えるだろうよ」
富岡の娘――富岡智子のお付きの者共は、ただ顔を合わせるだけではなく、当分の間は継国家に滞在できないか、という申し出をしているのだ。
巌勝が智子と話している間、大人たちは互いの状況を確認し合い、今後の予定を立てるつもりで情報を交換していた。その中で、唐突に『我々は我々の都合で、継国家に長期滞在します』と告げてきたのだ。
これには、さすがの平助も辟易とした思いを隠せなかった。拒否して終わり――なんて簡単な話にできないからこそ、なおさらに嫌らしい意図を、平助は感じている。
「それは……どうして。なにかしらの不都合が、あちらにはある、ということでしょうか……?」
「富岡から、こっちまでの道程で、盗賊の被害が増えている――と聞いたらしくてな。帰り道が不安だとか、落ち着くまで……一月くらいは、滞在したいとか言ってきている。俺としては、お前が婚約を交わした家が相手だと思えば、強く突き放すのも難しい。色々と面倒だが、一月様子を見るくらいで済むのなら、受け入れてやるべきとも思う。思うが、富岡家に対して無防備になるのも、油断して隙を見せるのも避けたいと思うわけだ」
平助にとってこれは初耳であり、景勝も同様である。根回しもなにもない、唐突な申し出に、継国家は対応を迫られていた。
とはいえ、実際の処理としては難しくない。面倒に思うのは感情的な理由であって、実務的な部分ではなかった。
「滞在させるだけなら、問題は……ありますまい。馬借の仕事を、手伝わせては?」
「そうだな。しかし付き合いが浅い内は、帳簿を見せたいとは思わん。実働をさせるのが無難だろう。馬に乗れない奴は、馬丁として使うか、下男の真似事でもさせてやろうか。……いずれにしろ、相手の感情を刺激しない方法で、手伝わせようと思う」
「下男、下女……ですか」
「嫌なら、それこそ無為徒食に耐えてもらわねばならんな? これを侮辱と考えない手合いなら良いが、俺の知る限り、武家ってものは面子の生き物だ。……配慮が必要だと、俺は思う」
富岡とは、今後の付き合いを考えている最中、しかも婚姻前という微妙の時期でもあるし、運用には注意を要する。
近づけ過ぎれば、情報の流出という面で問題であり、雑に扱えば身内になろうという相手に、面子を潰すような事をするのかと非難されよう。
平助としても、扱いは限定させたい。信用できる確信を得られるまで、あるいは運命共同体としての実績を重ねるまでは、目の届くところにおいておきたいのが本音である。
富岡の連中が、それを受け入れてくれるかどうか。そこも含めて、見定めておく必要がある。たしかに面倒ではあれど、腰を据えてかかる覚悟さえあれば、この負担も苦ではない。
平助がそこまで語れば、巌勝とてやるべきことは見えてくる。
「智子殿に対しても、警戒は、必要ですか……?」
「お前にそれができるだけの器用さがあれば、考慮に入れても良い。どうだ? 婚約者相手に、不信を隠しながら、本音を聞き出せる自信があるか? ――無いなら面倒な考えは抱かず、正直に素のままで接するのが良いだろうよ。……俺としては、むしろお前の純朴さを利用して、智子殿の思惑を実現させてやるほうが、かえって有益だと思える。思うがままに振る舞わせてやったほうが、案外いい方向に転ぶかもしれんぞ?」
要は考えすぎず、適当に相手をしてやればいいと、平助は言った。
そんなものか、と巌勝は訝しげに思うのだが、あまりに深く考えすぎるのも、若さの表れであると平助は理解していた。
「ありのまま、無造作に接してやることが、相手の救いになることもあろうさ。――智子殿が、富岡秀光殿の薫陶厚いお人であれば、それで絆されることもなくはない、というのは邪推が過ぎるかね?」
「……もう少し、具体的に言って、いただきたいのですが?」
「そうだな、智子殿を思いやって、親切にしてやれ! ……望むものをただ与えるのではなく、お前なりの気遣いを見せるようにしろ。――直接交流するのは、お前の仕事だ。これ以上、俺からアレコレと付け加えるのは蛇足だろうよ」
面倒な事情など考えず、とにかく巌勝は優しく接することを心がけよと、平助は重ねて言った。
そうまで言われるのであれば、そうしよう。もとより、出向いてきた婚約者に対しては、相応の態度で望むつもりだったのだ。
「確かに、これは私自身の問題でも……あること。平助殿に頼るばかり、というのは、男として……望ましい態度では、ありますまい」
「自覚があるなら結構なことだ。――あちらはあちらで、独自の思惑があることだろう。だが、お前がそれに振り回される必要はない。智子殿は、どうやら厳しく躾けられているようであるし、下手は打つまいよ。お前はお前なりに、最善と信じることをやればいい。それが結果的にうまく転がることになると、俺は信じている」
「そうであれば、良いのですが」
平助から信頼されている。そう思えば、未だ未熟さを痛感している巌勝としては、恐縮したくもなる。
だが婚約、婚姻ともなれば、家に直接関わる行事である。一種の祭事であるとも言える。
なればこそ、それを任された身であると自覚し、うまく運ぶよう努力することが、継国の継子としてやるべきことだると、巌勝は理解していた。
男女の仲は、複雑であるという。男が女を理解することは、至難であるともいう。巌勝はまさに、未知の難事にこれから挑もうとしているのであった――。
中世の武家社会の理解が薄いので、ふわっとした描写にならざるを得ないのが、やはり辛いところです。
手癖で書いているのが自覚できるので、読者の皆様には、見苦しいものを見せているのかも知れません。
それでも、一度始めた物語を投げ出すことだけはしたくないと思い、執筆を続けています。
今後とも、見守っていただければ幸いです。