継国之物語   作:西次

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 うたの口調については、悩みながら書いています。これで正しいのかわからないし、読者から違和感を持たれないかどうか、不安を持ちながらも執筆を続けています。

 何かしらの、明確に参考になるものがあれば良いのですが、原作でもセリフが少なすぎるくらいなので、想像で補うほかありませんでした。拙く見えたなら、申し訳ありません。



第十九話 二人の恋路、その始まりについて

 

 縁壱は、うたと共に暮らして月日が経つうちに、彼女がどれだけ立派な女性であるか、理解するようになっていた。

 定期的に彼女を見直す機会があり、そのたびに唸らされるほどの結果を見せつけられるものだから、いちいち驚くことをやめたという事情もある。塩切村は子供に優しい村ではないが、仕事のできる村民を、あえて切り捨てるような無情な村でもなかった。

 

「塩切村は、色々と複雑なのだな。他所から入った身の上としては、改めて覚えねばならないことばかりで、面倒をかけて心苦しく思う」

「この村は水害が多いから、何かと考えることも多いんじゃ。一家の耕地の配分とか、小作人の扱いとか、平地とはだいぶ違うと思う。……うちは低地の水の管理を任されてるけど、範囲を超えれば簡単に口出せないし、みんなもみんなで、自分の仕事に責任もあるから。だから、よそ者の縁壱には、難しいことも多いかもしれんね」

 

 縁壱とて体力に自信はあったのだが、効率的に動けるかどうかはまた別の話である。そして、うたは縁壱という体力自慢の男を上手に使い切った。指導の内容も、指示の仕方も、同年代の子どもとしては破格なほどに、秀でていたと言える。

 

 この塩切村において、低地の農地は上等の畑にならない。地形上避けられないことだが、この村ではたびたび水害が起こる。低地はその影響を受けやすく、収穫量も安定しないのだから、まともに運用するほうが難しい。

 なればこそ、いかに価値の低い土地を犠牲にし、マシな土地を守るべきか? それを正しく実行するために、水の管理は重要であるとも言えた。

 うたの家は、不足なく仕事をこなしてきていた。うたも、両親から技術を受け継いでおり、縁壱もその一助となっている自覚はある。

 そして、いまだに一助にしかなれていない、という現状を歯がゆく思いつつも、うたが立派に義務を果たしている姿を、美しいと思うのだった。

 

「そこを言うと、やはりうたは凄いな。俺にはわからない農地のことも、水の扱いも、うたは習熟しているように思う」

「これでも、まだまだじゃと思う。村の中では、どうにかやれてる。でも、他所で同じことができるかなんてわからない。……教えてもらったことしか、できないから」

 

 農地への水の管理は、水路の整備も含めて細々とした作業が多く、結果として重労働になる。

 水と作物の関係を考えれば、公益に直接関わる仕事でもあるので、人間関係もさらに重要だった。利害に関わらないよう、うた本人が田畑を直接所持できないというのも、この村なりに知恵を絞ったのだろう。

 そして、それらはただ教えられただけで実行できるものではない。体力、技術、そして人付き合いの上手さがなければならぬと、縁壱には理解できていた。

 

「教えてもらったことを、間違いなくやり続けられる。それだけでも、俺が凄いと思う。言われたことを言われたとおりにできるというのは、案外、難しい。俺も以前はわからなかったが、この村で過ごしていくうちに、実際の行動というものは、口でいうほどには簡単ではないのだと、ようやく理解できるようになった」

「……苦労したもんなぁ」

「俺は恥ずかしい。俺はそうとは知らず、己の力にあぐらをかいていたのだ。俺は、普通の子供ではない。普通の人は、たいてい多くの言葉と経験がなければ、正しいこともわからない。そして、間違いを間違いとして認めることも、多くの人にとっては難しいのだ」

 

 水と畑の争い、言葉通りに働かない人々、時に不正をする大人たち。そうした例を、縁壱は何度も見てきていた。

 うたと共に働いて、数ヶ月という短い期間でもこれである。縁壱とて、この世がどのように動いているのか、多少なりとも理解できるようになったと思う。

 

「あんまり、思い悩んでも仕方ないんよ。人を責めても、自分を責めても、できないことはできないし、足りないものは足りないから……苦しい時はあきらめるじゃ」

「この村の蓄えも収穫も、すべてを賄うには遠い。……割を食らわされる人は、どうしても出てくる。それを避けよう、押し付けようとする努力を、一概に否定もできない。俺は、恵まれていたのだと。それを骨身にしみて、理解できた気がする」

 

 言われたようにやるべきことを行える人物は、間違いなく環境に恵まれているのだ。うたがそうであるからこそ、縁壱はその事実を理解できたのである。

 両親から受けた教育の賜物、といえばそうであろうが、その遺産を活用できる環境を維持しているのは、やはり、うたの才覚によるものだった。

 正確には、才覚と言うより人格とでも言うべきだが、先天的な共感性と慈愛の精神――要するに『優しさ』のある人格は、この戦国の世において貴重なものだ。私益よりも他益を優先し、自分よりも村全体を思いやる精神性は、同胞にとっても模範になるし目をかける理由になる。

 うたは、それを理屈でなく感性で理解している。だから、言葉にするのではなく行動によって村人たちの利益に還元しているのだ。縁壱がうたを称賛するのは、決してへつらいによってではない。現実的な目線で、客観的な評価によって、彼女を塩切村のかすがいであると理解したのだ。

 

「なんか、大げさな。うちは別に、特別な家じゃないし、高地には水の管理をやってる女の人も、他にもいるんじゃが」

「だとしても、うたのやったことは正しく残る。うたが義務を果たし、村に貢献していることは、誰もが理解するところだろう。それくらいの働きは、していると思う。近所の若衆だって、うたが働き者だって褒めてた。俺は、それを聞いたことがある」

「……うちの両親から、それだけ恩を受けた者が多いんじゃ。うちはまだ子供だし、どんなに働いても大人には勝てない。若衆がなにか言っていても、うちにはわからんよ」

 

 うたは、自己肯定が正しくできていないことを、ここで縁壱は理解した。両親を失いながらも、勤勉に生きている彼女の美しさを、当人が自覚していない。それを悲しく思えばこそ、縁壱はより彼女に寄り添いたくなった。

 縁壱が、うたへの恋心を自覚したのは、まさにこの瞬間だったと言える。

 

「これからは、俺が言う。うたは、よくやっている。これからも、支えていきたいと思う」

「……それは、ありがたい、けど」

「他にやるべきこともない。だから、頼む。この家に、うたのそばに居させてくれ」

 

 うたも、縁壱も、お互いを意識し始めていた。子ども同士とはいえ、男女が近しい距離で、共に過ごしたならば――好きになるか、嫌いになるか。そのいずれかしか無い。

 そして、二人は相手に好意を持つことになった。ただの偶然の出会い、成り行きで暮らし始めた二人が、日常を通して感情を育んでいく。

 この信濃の塩切村とて、乱世と無縁の場所ではない。争いの火種は、どこにでも転がっている時代でもある。

 

「……今更、どこかに行かれても困る。男手が増えたからって、仕事も増やされたし、これからも居てくれないと、うちも、嫌じゃ」

「うたが嫌がることなど、しない。これからも、ずっと一緒だ」

 

 だが、それでも。うたと縁壱の二人の間には、今は快い感情だけが存在していた。それを愛と表現するようになるまで、さほどの時間はかからなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 継国家では、受け入れた富岡家の者たちを、どうにか使えるように努力しているところだった。

 しかし結果から見れば、一月という滞在期間は、他家の者を受け入れる時間としては、実に絶妙だったと言える。流石にこれより長くなれば面倒が過ぎるが、相互理解に要する期間としては、それくらいが適正であったろう。

 

――従順で、こちらの意に従うことにためらいがない。与えた仕事は期待以上に仕上げてくるが、そのうえで『富岡ではこれくらいは普通だ』なんて言ってくる。反感を抱かれぬよう、しかし舐められないよう、実に上手に接してくれるものだ。

 

 一ヶ月以上も顔を突き合わせるとなると気が滅入るが、短期間の仕事仲間としては、最上の相手と言ってよい。

 平助は、数日を共に過ごした後、彼らとの交流に自信を持つようになっていた。彼らへの評価も、とりあえずは定まったところで、平助は結論を出すことにした。

 

 継国家現当主、継国景勝への報告においても、悪い内容を口にせずに済むことを、まずは安心していたのである。

 

「下働きをさせたことで、連中の仕事ぶりはわかりました。下男下女の扱いでも文句を言わないってことは、連中は本気だと見ていいでしょう。――この婚約、富岡家にとっても軽いものではないと、確信しています」

「……で、あろうな。そこは、疑惑を持つことでもあるまい。むしろ、お前の態度のほうが心配に過ぎているように思うぞ。富岡家は――我等の手を、取ったのだ。ここに至っては、信用を与えて、相手を安心させてやるべき段階だぞ」

 

 景勝の体調は、いまだに完全ではない。うっすらと調子を崩している身体を抱えながらも、彼は継国の当主としての義務を果たし続けている。

 地元の人々からの陳情は、郎党を通じて届けられているが、これの対応は毎日行っており、過剰に溜め置いたことは一度もない。馬借の事業にしても、自ら隊列を率いることは稀であるが、未だに馬上の姿には一定の威厳がある。

 今回の件に関しても、富岡家との外交的な文章そのものは、月舟禅師の手によって作成されているが――これを確認して自身の名を明記して花押を押すのは、当然ながら当主の役目になる。

 文章を確認して正誤を判断する明晰さを、景勝は維持していた。その事実を確認できたことで、平助も安心して周囲に目を向けることができていた。

 

「まことに、その通りでしょう。我が身の不明を恥じまする。しかし、これも継国家を思っての行為であると、どうかご理解ください。武官筆頭の身としては、外部勢力との対応は、常に気を使うものでありますから」

「……お前を信頼しなかったことなど、ない。わかったことがあるなら、話せ」

 

 平助はもっとも近しい部下として、今回も仕事の報告をしているに過ぎない。その報告を冷静に受け止められている様子を見て、彼は安心した。

 全快ではないにしても、これくらいの判断ができるのなら、まだまだ景勝は当主の座に座っていられる。そう信じて、平助は言葉を続けた。

 

「――はい。富岡の連中、どうやら当主自身から、継国の内情を探るよう命じられているようです。これくらいは想定の範囲内ですが」

 

 平助は、富岡家の者たちを一人ひとり見ていた。それこそ上から下まで、当主の名代や婚約相手の智子はもちろん、お付きの女どもまで見逃すことなく、仕事のやり方から休憩の仕方まで、万事把握していたと言ってよい。

 それだけ細やかに監視していたということは、それだけ平助が富岡家を警戒していたことの現れでもあるが、やるだけやった甲斐はあったと、彼自身は判断していた。

 

「深く探りすぎて、こちらの不興を買わない程度の分別はある様子。狡猾ですが、それだけあちらも慎重なのでしょう。……不穏な行為であることは確かなので、富岡秀光の企みがどこにあるのか? これは考えておく必要があります。」

「そうか、平助には難しいか。……私には、秀光殿の思考はわかりやすく映るな。こちらの事情が悪ければ、何かしらの名目を付けて、婚約を今からでも解消するつもりなのだろう。被害を最小限にし、利用できる部分だけを都合良く使うというのは、乱世の武略というものだ。だが、これまでの働きを聞く限り、婚約を進めるつもりでは、あるらしい。深刻に考えすぎるほうが、バカを見るぞ」

 

 多少探られたからといって、そこは景勝とて富岡を責めようとは思わない。あちらがこちらを値踏みするのは当たり前で、問題はそれ以上の事柄を秘めているかどうか、娘を捨ててでも継国に敵対しようとする意思があるかどうか――という部分にある。

 この点に関しては、平助の方で調査は済んでいると、景勝にはわかっていた。それだけの信頼を向けているのは、確かであったから。

 

「まさに、私のほうが馬鹿でありましたな。富岡家にとって、継国家は利用価値がある。そこがすべての発端と言ってもいいのだから、疑いすぎるのはお互いのためになりません。……問題は、当主の秀光が大きな不安を抱えているという部分にあります。跡継ぎがいまだ幼く、自身の健康も、自信がなくなってきているとのこと。連中からの聞き取りによって、これはおおよそ正しい情報であると判断しております」

「そこまで正直に、あいつらが話したのか? だとすると、返って欺瞞工作の方を疑いたくなるが……」

「こんなことでこちらを騙す利点など、富岡家にはないでしょう。それに、俺とて馬鹿正直に聞いたわけでもありませんよ。――さりげなく、個人の家庭事情から話し始めて、生活習慣やら仕事上の愚痴やらを聞けるくらい親しくなって、互いに噂話をし合う中になりましてね。複数人から聞き出した内容を総合して、確度の高い情報を元に、今報告しています。なので、富岡家は結構難しい状況であるわけです。……継国家の方から縁談を持ち出してくれたことは、感謝さえされているんじゃないですかね」

 

 智子と巌勝との縁談は、よほどのことがなければ撤回されないものと、平助は確信していた。そして、ここまでの情報を開示されれば、景勝も同様の確信を持つ。

 

「――ふむ。思わぬところで、相乗効果が生まれたらしい。とすれば、それを活用するのは、大人の役目だな」

 

 当主の健康問題と、後継ぎの不安を抱えているならば、継国家との結びつきは利用価値が高い。

 景勝は、この好機を次代に繋げねばならぬという義務感を覚えていた。今このときばかりは、巌勝への隔意など忘れて、純粋に自家の存続のみに心を砕いていたと言ってよい。

 

「ならば、こちらも探らせるだけ探らせた後は、真面目に仕事を手伝わせてやるとしよう。表向きの帳簿を、いくらかは見せてやるのも良い。倉の中が見たいと言うなら、中身の整理も兼ねて誘導してやれ」

「思い切りましたな。――こちらの意思を見せる行動としては、わかりやすくてあちらも助かるでしょうが」

「協調してやると、こちらから誠意を見せてやるのだ。中途半端よりも、これくらい踏み込んだほうが、富岡家としても判断の材料にしやすいだろう。……今更、婚約を破棄などされてはどちらの為にもならん。行動によって、我々は信頼を構築していかねばならんのだ。何よりも、次代のためにな」

 

 富岡家は、継国家との付き合いを言い訳にして、古河公方に働きかけることができる。将来の布石として継国家を利用するために、今しばらくは戦働きから遠ざけてほしいと望めば、おそらく通るだろう――と。景勝は、秀光の思考が手に取るように理解できていた。

 富岡と継国の関係を通じて、古河公方は山内上杉家との連絡が可能になる。いさかいの多い相手だが、乱世は何が起こるかわからない。

 伝手を残しておくことには、意味があるのだ。伝手を活用するつもりがあるなら、富岡の勢力は保たせておかねばならぬ。万が一にも戦力を消耗させて、自壊させるようなことがあってはならぬ――と、古河公方も思うだろう。

 富岡は、まさにこの点だけでも利用する意味があると思って、縁談を受けたはずである。景勝は、感情にさえ支配されなければ、もともと理知に長けた人物である。限られた情報からでも、これくらいのことは読めていた。

 

「次代のためなら、こちらが譲ることも厭わない。その態度を、継国の方から示す。……示すのは結構ですが、やはり秀光やその郎党がこちらの態度をどうとらえるか? 難しいところです。もし、先に譲ったことであちらが増長するようであれば、腹立たしいと思いませんか」

「よい。別段、腹も立たぬわ。――それならそれで、一定の距離を保てばよい。嫁の実家だからとて、特別の配慮をせねばならぬ義理など無いのだ。こちらの好意を受け取れない手合には、相応の付き合い方というものがあるだろうよ」

「いずれにせよ、将来の話。武家ともなれば、男の女の仲も、打算抜きには成り立たぬ。……巌勝にも、よく言い聞かせねばなりませんな」

「それは……そうか。そうだな、うむ」

 

 巌勝を意識した途端、景勝の表情が曇った。親子仲の悪さを、今更のように自覚したのだろうと、平助にはわかった。

 理解した以上は、これを補佐せねばならぬ。そうした義務を負っていればこそ、武官文官の中でも筆頭格たり得るのだ。

 継国家は小さな地方勢力に過ぎないが、それでも一端の組織である。平助は、その中で一番有能で、大きな責任を負っていた。その義務感が、景勝への労りを口に出させた。

 

「ご安心ください。景勝殿の、次代への想いは、俺が巌勝へと伝えましょう。聡明な子です。直接口にせずとも、俺の言葉であれば、あれは信用するはずです」

「ならば、よい。……それが、よいか。では、頼む」

 

 安心と、葛藤を伴った感情の発露。景勝の言葉に、平助はそれらを感じ取った。

 さらに言葉を尽くさねばならぬかと、彼は思う。必要性があるならば、言葉など惜しむ理由はない。義務感が突き動かすように、平助は再度口を開いた。

 

「巌勝が、気がかりですか?」

「気にしていない、といえば嘘になる。あれには、随分と厳しく接してしまった。殴ったことを、後悔するというのでは、ない。……ただ、私の気持ちを巌勝が理解することは、おそらくないであろう。それだけのことをしたと思えば、文句も言えぬ。そして今更、息子に詫びるような弱い父親になることも、私には耐え難いのだ」

 

 言葉は長いが、弱い父親になることが耐え難い。要は、それだけが言いたいのだろう。

 己の弱ささえ認めることができぬ、己を見つめ直すことを拒否した、哀れな男。能力は別として、それが景勝の本質であった。

 今になって巌勝を気遣いたくなっても、彼は父としての立場を堅持したいと思う。己の威厳のために、謝罪すらしたくないのだ。

 武家当主である男の、最後の見栄が、それである。この事実に、平助は笑いたくなった。侮蔑ではなく、哀れみをもって、景勝という人に仕えている。そうした自分を、笑いたくなってしまったのだ。

 

――俺の方が、よほど意地が悪く下劣な性根をもっている。皮肉屋の俺に比べれば、この人のほうが、むしろ純粋で真っ当だろう。部下としては、主の心を守るためにも、言葉を尽くさねばならんな。

 

 景勝の心の機微を、平助は長年の付き合いから看破していた。なればこそ、効果的な言葉の使い方も、自然にできたのである。

 

「弱いだなどと、非難される筋合いはありますまい。貴方は武家の当主として、息子の反抗を許せない立場にあった。――乱世は、厳しい時代です。強い当主のもとで、一貫した行動が取れなければ、家が滅ぶこともあるでしょう。強さを表現するのに、暴力を用いることは、ごくありふれたことです」

「だとしても……私は、巌勝に恨まれている。そうであろう?」

「弱気になっているのは、体調がすぐれないからでしょうか? かつての御身ならば、そうした態度こそ柔弱として、決して弱みを口にしなかったはずです。……状況は、いまだ楽観を許しません。継国家は、強い当主を求めております。それを、心に留め置いてください」

 

 そこまで言うと、こころなしか、景勝の顔色も良くなった様子だった。自嘲気味でも、笑みさえ浮かべている。

 

――仕方のない御方だ。まあ、俺の言葉くらいで気晴らしになるのなら、それはそれで結構なことだよ。今はまだ、貴方は必要なんだ。巌勝が、成人するまでは――。

 

 これは、へつらいなのか。媚びていると言われれば、明確に否定することができぬようにも、平助には思えた。

 さりとて、継国家の者であれば、これらの言葉を安易に否定もできぬだろう。封建社会は在地領主にも特権を与える。直属の部下に対して従属を強いることも、言葉を選ばせて快感を求めることも、ここでは許されるのだ。

 平助は間違わない。景勝に対する正しい対応を、彼は一貫して行っていた。

 

「わかった、留め置こう。――これからも、私に尽くしてくれ」

「は、もちろんにございます」

 

 平助はただ、景勝の前で平伏した。己がそうであればこそ、景勝は武家の当主足りうる。

 自分だけは、景勝の期待を裏切るまい。根無し草の自分が土着できたのは、まぎれもなく景勝の恩顧のたまものであり、これにあらゆる働きを持って返すのが、己の役目であると平助は思っていた。

 どんなに批判の余地があろうと、己の主が景勝を置いて他にはいない。この一線を守っている限り、外道に落ちずに済むのだと、平助は信じていたから。

 

――しかし、私に尽くしてくれ、か。我が家に、とここで応えられないことが、貴方の心境を表している。体の病と同様に、心の病にもかかっておられるのだな、貴方は。それでも、やるべきことは変わらない。今更、生き方を変えることもできん。俺はこれでも、不器用なつもりなんだ。

 

 俺とて、そう大層な存在ではないのだと、平助は内心で思う。だが巌勝がこの場にいれば、頭を下げて謝罪したに違いない。父が迷惑をかけて申し訳ない、と。

 父がその弱さ故に、肯定の言葉を求めねばならなかったこと。何よりも、一番に頼りにすべき対象に対して、心理的負荷をかけたことを、率直に詫びたであろう。

 巌勝ならば、そう思う。平助は、そこまで理解していた。理解していればこそ、景勝にも誠意を持って仕えることができたのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 巌勝は、智子という女性がわからない。彼自身、女性経験をもたない子供であるのだから当然ではあるのだが、わからないままで済ませて良いことではないと、一応はそこまで考慮していた。

 考慮するだけで、実行力が伴わなかったのは、仕方のないことだったのか。巌勝には、巌勝なりの言い分というものがあった。

 

――放置はするな、ときつく言われている。だが共に仕事をするにしても……どう扱えば良いのだ。ただ傍で見ていろというのも、私が気まずい。まさか鍛錬を一緒にするわけにも、いかん。正直……困る。

 

 滞在期間が数日ではなく、一ヶ月に変化したことで、彼もまた彼女との付き合い方を早々に考えねばならなかった。もちろん、考えるだけではなく、結論が必要なのは言うまでもない。

 だが容易く結論が出る問題であれば、そもそも悩んでいない――というわけで、巌勝はただ一人で剣を振っていた。剣を振ることに逃げていた、というのが実情であった。

 

 これは日課の鍛錬であったが、最近は平助も忙しく、共に打ち合う時間も取れていなかった。だから鍛錬と言っても、素振りをするか、走り込むか、立ち木を打つくらいしか――子どもの彼には許されていなかったのである。

 平助も景勝も、通常の業務に加え、富岡家の者たちへの配慮、仕事の配分などに忙しい。融和の姿勢はあっても、他家の者には任せられない、見せられない部分はどうしてもあるものだ。

 そして外部の者と接触して、家中に乱れが生じるところも現れてくる。これらの処置とて、放置して良いものではない。

 いずれに対しても目を配り、雰囲気を察して、問題を起こさぬよう気を使うことが求められる。口論になる前に、反感を抱かれる前に双方に気持ちをほぐし、相互理解に務めるよう、環境を整えること。平助も景勝も、それに注力していることを、巌勝は実際に見聞きしていたのだから、不満も言えない。

 

――忙しく動き回っていることを、私は知っている。最近は平助殿に付き合おうとしても、とにかく鍛錬だけしていろ、と言われてしまう。父も執務に集中していて、あれこれ指示している様子だけはやたらと目に付く。私にはわからないところで、苦労なされているのだ。それを察した以上は、余計な事柄で煩わせたくない、と心から思う。

 

 なればこそ、嫡男としてはこれを邪魔するような行動は厳に慎むべきであろう。

 だから、外交と内政の調整に徹している彼らに対して、巌勝は新たな悩みを持ち込ませることはしたくなかった。せめて、自分と智子の間には、問題などないのだと信じさせたかったのである。

 その思考の結果が逃避であるというのは、子供らしい間違いだと言えるだろうか。少なくとも、当人は他の手段を用いることができなかった。

 

――子供らしい気遣いだと、父や平助殿は笑うだろうか。だが、それでも良い。自分にできることを、できる範囲でやっていくほかない。結論の出ない頭で智子殿に接しても、まともに口が回るかもわからない。ならば今は、足りない気遣いでも、やらないよりはマシというものではないか――。

 

 巌勝は、中庭で剣を振っていた。朝な夕なに木剣を立ち木に打ち付け、ただ振り方だけを身体に染み付かせるように続けていた。

 そうした彼を、智子のほうが放置するわけもなく――過剰な鍛錬を続けている巌勝に、彼女から接触を試みたとしても、それは当然の成り行きというものだろう。

 

 時はちょうど、夕方に差し掛かる頃合い。夕餉の直前に、智子は鍛錬を終えた巌勝の元へ赴いたのだった。

 人が近づけば、気配でわかる。巌勝は未熟者だが、あからさまに寄って来る女子に、気付かぬほど愚かでもなかった。鍛錬による疲労から、口を開くことが遅れ、彼女に発言を譲ったのは、失策ではあったろうが。

 

「婚約者を放置して、鍛錬に専念するのが、継国の方針なのですか? それはなんとも、寂しいことではありませんか。――私に割く時間さえ惜しいと、そのように巌勝殿はお考えなのですか?」

 

 顔を突き合わせて、開口一番に智子は言った。表情は穏やかで、声にも責めるような感情の色はない。

 だが、言っていること自体は巌勝に対する糾弾そのものである。巌勝は、この智子の問いに対し、誠実に向き合わねばならなかった。

 そうでなければ、婚約者という立場さえ虚しいものになるであろう。わかっていればこそ、巌勝は正直に答えた。

 

「……構ってやれなかったのは、詫びる。だが、私にも……考える時間が、必要だったのだ」

「時間は、まだ必要ですか?」

「それは……すまぬ。貴方を、ないがしろにしたいわけでは、ない。それだけは、信じてほしい」

 

 後ろめたさは、あるにはある。だが、己にどうせよというのか――? それが、巌勝という子どもの本音であった。

 そうした態度は、付け入る隙になる。それを教えてくれる大人が、今は傍に居ない。彼にとって、現状はまさに不利の極地であったと言える。

 

「信用は、言葉だけではなく、行動によって積み重ねるもの。そうは思いませんか?」

「……私に、どうせよ、と言われるのか」

「ほら、そのように相手に委ねて、考えることを怠ける。――いけませんよ、そういうの」

 

 巌勝が智子に対して、明確な苦手意識を覚えたのは、この瞬間が最初であったろう。

 彼女は怒っているわけではないが、明らかに上から目線で巌勝を批判していた。彼は経験浅く、情緒も未熟だが、馬鹿ではない。彼女の言葉が正しいことは、わかっていた。

 智子も反感を買うことを承知で、己に詰め寄っているのだ。そうと理解したならば、いうべき言葉は決まっている。

 

「反論を、させてくれ。……富岡家の者たちは、今は継国家の客人である。――客人が、主人の息子に非礼を働くのは、どうなのだ」

「ええ、私も言葉が過ぎました。――やっと、頭を働かせてくださいましたね。その調子、ですよ」

 

 智子は反論を受けて、不機嫌になるどころか楽しそうにそう言ってのけた。望む言葉を引き出せた、とも言いたい様子だった。

 こうもわかりやすい態度を取られれば、巌勝としても対応は簡単だった。案ずるより産むが易し、とはよく言ったものである。

 

「無礼は……お互い様。これで、わだかまりは消えた……ということに、させてもらいたい。異論は?」

「ありません。――巌勝様は、教えればわかってくださる方なのですね。過ちと知って、なお改めないことを、本当の過ちという。改めることを恐れず、実践できる方が、将来の夫でよかったと、本心からそう思います」

 

 智子は、論語を知っているらしい。巌勝は、そんな感想を抱いていた。

 教養のある女子というものを、彼は今まで見たことがなかった。彼女は、富岡家でどのように育ったのか。興味が出てきたところではあるが、この場で追求するのも怖い気がする。

 ともかく、鍛錬も終わった後。夕餉に呼ばれる時間も近い。態度を改めた証明として、共に食事をする誘いくらいは、しておくのが礼儀であろうかと巌勝は判断する。

 

「これから、夕餉の時間だが……」

「はい。話はつけておりますので、同席いたしましょう」

 

 智子のほうが、先に話をつけていたらしい。となれば、巌勝は言葉もない。

 そのまま大人しく連れられ、二人は夕餉を共にした。その間、ずっと無言ではあったが、不快というわけでもなかったので、巌勝は智子の行動のすべてを許すことにした。

 

――彼女なりに、努力したということか。富岡は、継国を重く見ている。だから、あえてここで夕餉を共にすることで、将来の婚姻が現実的なものであると、ここで周囲に主張したかったのかもしれぬ。

 

 夕餉の後、巌勝は智子と別れた。巌勝は私室に戻り、禅師から借り受けていた書物を開いた。学習が目的ではなく、頭を整理させるため、あえて文字と向かい合ったのである。

 

――純粋に思考にふけるのに、天井を見つめ続けるよりは、書物と向かい合ったほうが、性に合う。それにしても、智子殿は難しい人らしい。苦手とまでは言わんが、ずるずると付き合わされていく感覚は、おそらく健全なものではあるまい。どうしたものか……。

 

 暗くなった後も同室させるというのは、流石に時期尚早と言うものだろう。そこは、彼女の方もわきまえていた。

 彼女の思惑がどうあれ、許されるギリギリの範囲で、彼女はこの婚約を成立させるため、できる限りのことやっているのだと理解する。

 巌勝にとって鍛錬が義務であるように、智子にとっては家の意向に従うことが、義務なのだろう。

 彼女は、重い使命を持ってここにいるのだ。それを今になって、思い知った気分だった。

 平助に相談を持ちかけたいところだが、彼とて婚約自体には賛成だし、誠実に接する以上の行動を求められた場合、自分がきちんと応えられるかどうかも不安だった。

 子供である自分でも、床には床の作法があるのだと、耳にしたことはあった。それが婚姻を結んだ男女の行うことであると、巌勝はおぼろげながらも知ってはいた。

 

――女のほうが詳しい、だから状況が許すなら、相手に任せるのも一つの方法だと、平助殿は言っていた。その意味を理解できるほど、私は成熟していない。それを、嘆くべきなのか……。

 

 いずれは、必要になることである。焦ることではないとわかっていても、今日の智子の強引さを思えば、曖昧なままにしておくのも恐ろしい気がした。

 対策がいる。……自分に頼れる人が、他にいるとしたら、それは――。

 

「月舟禅師……? しかし、仏門の方に、男女の機微を求めるのも……」

 

 以前、その手のことは教えてやれぬ――という言葉を頂いたこともある。だが、智子はいましばらく継国家に滞在する予定があり、逃げ場を探すとしたら禅寺くらいしかない、というのも事実であった。

 禅師が相談相手として適切ではないにしても、婚約者との距離を保つ、という目的だけは達せられるだろう。そう思えば、明日にでも行動すべきだと思う。

 

 最近は忙しく、予定も立てられなかったが、寺に通うことをやめたわけではない。明日は講義の日ではないが、一日くらいは急な訪問も構わぬだろうと思い定めてから、巌勝は眠りに落ちた。

 

 その行動が、大人たちの目からはどのように映るか。彼は、そこまで考えが至るほど、大人にはなりきれていなかったのである――。

 

 




 相変わらず、進みの遅い作品で、申し訳ありません。
 その上、今回は体調を崩した結果、通常よりも3日遅い投稿になりました。
 来月は、再び10日くらいに投稿できるよう、調整していきたいと思います。

 ではまた、よろしければ読みに来てください。感想などももらえると、嬉しく思います。

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