継国之物語   作:西次

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 見直しもマトモにできていない状況ですが、取り急ぎ投稿させていただきます。
 定期的な投稿こそが正義であると、私は信じております。読者の皆様方に理解を求めることではないかもしれませんが、拙い我が作品でも、目を通すだけ通してくださると嬉しく思います。

 他愛のない時間つぶしの種にでもなれば、それだけでも幸いです。



第二十話 武家における婚約の重さについて

 

 言い訳をさせてもらえるならば、巌勝は無断で寺に向かったつもりはなかった。朝起きて、朝餉の前に下男に言付けておき、月舟禅師に昼から訪ねていく旨を伝えたつもりだった。

 朝の間であれば、智子に会わずに済ませることも、外部の人間の目を避けることも、そう難しいことではない。だから昼過ぎ頃には、誰はばかることなく家を出て、禅寺に向かったのである。

 そして寺の中に入っては廊下を練り歩き、御堂で朝の読経を終えた月舟禅師を発見すると、不躾にも声をかけた。

 

「――禅師、おはようございます」

「……巌勝、お前、朝の務めはどうした?」

「喫緊の課題はありませんし、早朝の鍛錬は済ませております。禅師も、読経を終えたところではありませんか?」

 

 何か怒らせたかな? という風に、腑に落ちぬ感覚を巌勝は覚えていた。

 下男が言伝を忘れたのか。とがめるような言い方をされてしまったが、しかし怒気は感じない。どう反応したら良いのかわからないまま、月舟禅師は言葉を続けた。

 

「……おお、そうよな。ところで、わしはこれから庭技の剪定と畑仕事に繰り出すつもりであったが、お前はそれに付き合いにでも来たのかね? 今日は授業の予定をいれていなかったはずじゃが――」

「個人的に、相談したいことが、ありました。不躾で申し訳ありませんが……お付き合いくだされば、ありがたく思います」

「左様か。その程度の話であれば、草むしりしながらでもできるであろう。裏の畑に向かうゆえ、表に出る前に作業着に着替えるように。――ああ、この寺で作業をしたことのないお主には、服の用意もわからぬか。であれば、わしが案内してやろう」

 

 月舟は厳格な表情を歪めることなく、巌勝に付き合っていた。剪定や畑仕事は至って平穏であり、余計な誰かが介入してくることもなかった。

 作物の植え付けや、雑草の処理、畑への水やりなど、巌勝にとっては既知のものである。農村の村人と付き合う以上、こうした畑仕事とも無縁であってはならないというのが、景勝の教育方針であった。

 だからクワの使い方も一応は様になっているし、畝の作り方も下手ではない。芋の土寄せも、きちんとやっている。指示をせずともこれができるというだけで、よくできた子供であるといってよいだろう。

 どんなに意義を伝えても、理解しない子供はいる。そうした連中と比べれば、確かに巌勝は真面目で教え甲斐のあるこどもであった。

 

「お前が相談したくなるような、悩みとはなにか。――どうせ奥方になるであろう女児の件であろうが、聞くだけ聞いてやるとしよう」

「はい。まさに、富岡智子の件です。彼女は、なんといいますか、その――ひどく、成熟しているように感ずる……ような、気がするのです。同年代で、さほど年が変わらぬと言うのに、あの振る舞いはどうでしょう。この継国家に嫁ぎに来たと、初めから覚悟を決めている、風でもありました。ああした手合は、初めて見たのです」

 

 そうして、とうとうと巌勝は智子についての話をした。鍛錬の合間に話しかけられたこと、夕餉をともにしたこと。今まで見たことがないような人格であり、しかも異性である。戸惑って当然とも言える。

 そうした彼の言葉を、月舟は聞いた。そのうえで、あたり前のことを告げるように、そっけない答えを返す。

 

「もっともなことではないか。富岡の秀光殿とて、愚かな娘を嫁ぎに出すつもりはなかったはず。それなりの出来物に育ったからこそ、この時点で継国に送り出したのであろうに。覚悟とて、武家の娘ならば当然のこと。何を悩む?」

「――わかりません。私には、彼女のことが、わからないのです。家の意向であれ、婚姻はお互いにとって、一大事でしょう。……私は、彼女を受け入れるつもり、ではあります。ですが、まともに接するのも一苦労で、どうしたらいいのか、わからないことがある。……私は、おかしくなったのでしょうか?」

 

 男女の仲を意識した、初めての相手である。何かしらの過剰反応は、あって当たり前であり、男女の違いに戸惑う食らうなら、子供らしい感想だと笑うこともできた。

 だが、どうにもわかりにくい部分で、当人は真剣に悩んでいるらしい。

 

「お前に必要なのは、理解より実感だな。さて、すると下手に思い悩むほうが毒とも言える。素直に思うところを話すが良い。ここでは天と地と、わし以外には、聞くものもおらぬでな」

 

 月舟とて、巌勝の想いに真剣に取り組もうとするくらいには、肩入れしてやりたいと感じている。

 さりとて、男女の仲を第三者の助言でこじれさせたくない、とも思う。ある程度の距離をおいたうえで、まずは当人の気持ちを吐き出させ、己の想いを自覚させるところから始めるべきかと、月舟は判断した。

 

「……禅師は、女の事はわからないのでは、ありませんでしたか?」

「わからぬ僧に、あえて相談しに来たお前が悪い――とは、言いたくないことじゃが。まあ、許せ。わしなりに、できるところは手を貸してやろうというのだ。手を動かしながらでいいから、話を続けよ。思うところを言葉にするだけでも、気持ちはスッキリするもの。そうして感情を発散させてからではなくては、己を理解することさえできぬ」

 

 年ばかりを重ねた愚僧が相手ならば、はばかることもあるまい――と月舟は付け加えた。

 そこまで言われれば、巌勝とて気持ちを張り詰めたままではいられない。これまでも本心を口にしていたつもりだが、遠慮があったというのも事実。

 とはいえ、感情をそのまま言語化するということは、自分をさらけ出すことに等しい。ここに及んでも、なお巌勝は迷った。

 

「禅師に自身の感情を、ぶつけるなど。……不躾な相談を、わざわざ頼んでいるのです。非礼を重ねることに……なりませんか?」

「わしが自分から言っているのだ。そもそも、子どものうちは、素直に振る舞うことを楽しんでも良い。わしは、そう思うがね」

 

 土を弄りながら、そうして二人は会話を続けた。ときには土と向かい合うことが、人に逃げ場と考える余裕を作ることを、月舟は知っていたのだ。だから、二人はしばし畑仕事を続ける。

 すると月舟の予想通り、ある程度の時間を置いて、巌勝の方から話し始めた。

 

「私は……彼女が、自分に何を求めているのか、よくわからないのです。どうしてやれば喜ぶのか、嫌がるのか。わかるようで、わからない。もどかしい。……私は、女性の心理を理解するには、未熟すぎるように思います。禅師なら、わかることもあるのでしょうか?」

「ここで容易く『わかる』などと言う相手を、お前は信頼するまい。わからぬ中で、答えを出すとしたら――そうよな。お前が未熟なのは当然じゃが、智子殿とてそれを理解せぬほど狭量ではなかろう。付き合う気があればこそ、求めてくる。お互いに感情を持て余していたとしても、拒否するよりは歩み寄ろうとする。……そうした雰囲気はなかったかね?」

「……なんとも、言えません。確信など、何も持てないと言うのが……正直な、ところです」

「よろしい。ならば希望はあると思え。――お前はわからぬというが、それは相手の感情を明確に感じ取れないか、未知の感情をぶつけられているからそう思うのだ。教育者として言わせてもらうが、智子殿にわかりやすい悪意や疑念があれば、それに気づかぬほどお前は愚鈍ではないぞ。……そんな素振りがあれば、この場で率直に、お前は怒りなり嫌悪なりを言葉にしてみせただろうよ」

 

 巌勝は、月舟禅師の言葉を受け止められなかった。反射的に疑問を口に出したのも、わからぬがゆえの、子供らしい態度であったのだろう。

 

「……つまり、どういうことなのでしょう。禅師の言葉は、わかりにくく……思います」

「もう一度いうが、まずは実感してみるがいい。夕餉をともにしたなら、床も共にするが良い。何もせずともよい。ただ隣に他者をおいて眠る経験をするだけでも、理解は深まるものよ」

「男女が、そうそう気軽に、同衾するものではない。……私は武家の嫡子として、そのように、教育を受けました。禅師の言いようは……父母の教えに背くように、感じます」

「その父母とて、男女の関係を作らねば家を維持できないという現実に向き合うがよい。どうせ、婚姻を結べば同じことよ。醜聞にもなりはせぬ。良いかな? お前が注力すべきは智子殿との関係構築であって、景勝殿や家人共の配慮などではない。お前はあの子の婚約者として、むしろ積極的に関わる態度をもって、あの子を守らねばならぬ。それが、武家の男子としての責務だと思え」

「お言葉ながら、申し上げます。……禅師は、武家の男子だったことが、あるのでしょうか。責務を問う側にも、相応の資格が必要である……ように思います。果たして、禅師の言いようを、私の立場で、そのまま受け止めて……いいものでしょうか。率直に申し上げまして――受け入れがたい。私は、そう言わねば、なりません」

 

 巌勝は、暗に『貴方に私の立場の何がわかるのか? 貴方は一介の僧に過ぎないのではないか?』と問うてきた。

 月舟は、笑った。久しくなかったことであるが、声に出して笑ってしまったのである。巌勝の怪訝な顔を眺めつつ、思う。この物わかりのいい子も、ようやく反抗を覚える年になったのかと。

 そして、その反抗心の表し方も、なんと可愛らしいことであるか。言葉をいちいち区切りつつ、真っ向から反論せずに疑問を呈するような言い方をして、丁寧な態度を崩さない。

 性根の良さがにじみ出ていて、俗世に染まりきって禅師の心には、むしろ微笑ましく見えたのである。

 

「くくく、いや、すまん。あんまりにも面白い返答が来たので、取り乱してしまった。いや、子どもと関わる醍醐味よな、これは。――ささくれだった精神が癒やされるようで、癖になりそうじゃよ」

「私は、至って真剣に……事実を問うている、のですが」

「ああ、わし個人は、ただの漁師の子に過ぎぬよ。海に接した寒村の、まずしい家の次男……いや、実質には長男に近かったのかな。わしの兄は、生まれて一年くらいで、逝ってしまったと父母に聞かされた。――それで、せめてお前だけは長生きしてくれと、寺に預けられた。そこの寺僧にまあまあ気に入られて、過ぎた教育を受けさせてもらったのは、幸運であったと思っておるよ」

 

 まあ細かくは聞いてくれるな、と月舟禅師は言った。畑いじりがうまくなったのは、寺に入ってからだとも付け加えて。

 

「巌勝、お前は聡明だが、それはお前の家が裕福であったから。相応の教育を受けられる環境であったからで、誰もが得られるものではないと、それはわきまえているかね?」

「それは、もちろん。父に対して、あるいは祖先に対して、敬意を忘れたことはありません。敬意だけは、忘れてはならぬものと……わきまえております」

「言葉が、若干早くなったな? まあ、お前の複雑な感情は察してやろうとも。で、いい加減にはぐらかした言い方はやめようか。巌勝、お前はわしに理解を求めておる。それも、深い部分での感情の、己の中にある言葉にならぬもどかしさ、あるいは焦りか? 何でも良いが、女という、それも婚約者の価値観の相違や未知の部分を脅威に思っているのだろう。それで、何かしらの答えを求めてわしのもとに来た。しかし、わしの言葉を答えとするのは納得がいかぬ――と。早い話が、そういうことではないか。まったく、こんな寺に何をしに来たのか? 今となっては、そう思わぬか。冷静さを失い、焦り、ただ逃げ出した。巌勝、今のお前は、そうした醜態をさらしておるのだ。そこは、認めるな?」

 

 巌勝は、それを安易に肯定することができなかった。本音としては禅師の言葉のとおりではあるのだが、これまでの前置きが長すぎた、という部分もある。

 素直に感情を言葉にするには、己も余計なことを言い過ぎた。そうした自覚があるだけに、巌勝もすぐには口を開けなかった。そうした態度を、月舟禅師は見逃さない。

 

「ふふん、図星を付かれたゆえ、言葉もないと見える。だが、それで良い。子供らしく惑い、すねてみるが良いのよ。お前は物わかりは良すぎる上に、無駄に聡明だ。たまには馬鹿をやって、無思慮に黙って不貞腐れるのも、一興であろうよ」

「禅師、それは、流石に……いえ、そう望まれるのであれば、是非もございません。改めて、思うところを……述べさせて、いただきます」

「おう、そうせい。納得するまで、聞いてやろうて」

 

 月舟禅師がうながすのであればと、巌勝は思うところを述べた。智子との僅かな触れ合いから感じたこと、これからの生活への不安、婚約者という未知の存在に対する抵抗感など、正直に彼は口に出せるだけのことを吐き出したのである。

 一通り言い切ったところで、巌勝は我に返った。そうして、己を恥じる。あまりに無思慮に言葉を使いすぎたことを、自覚したのであろう。不言実行こそが武士の本懐だと思えば、未熟に過ぎる言動である。

 

「……言うだけ言いましたが、みっともなかった、と思います。非礼を、詫びさせてください」

「よい、よい。頭など下げるな。――責めるようなことも言ったが、お前だけに非があるわけでもない、と思う。いやまったく、智子殿も困った女子よ」

 

 しかし、月舟禅師にとっては、そちらのほうが返って好感の持てる態度であった。

 耳を傾け、聞くべきことを聞いたと理解したら、禅師は答えを返す。

 

「あの子もあの子なりに悩んだ結果であろうが、ちと性急にことを進めたがっている節はあるな。――いや、あるいはそれこそが秀光殿の意志なのか。彼女は秀光殿の意向をそのままに、行動しているだけなのやもしれぬ」

「――禅師?」

「すると、お前の反応もまた計算のうちということになる。……ふむ、巌勝よ。この時点で家を出て寺にやってきたのは、実はとんでもない悪手であったのかもしれんぞ? わしの想像が正しければ、智子という女子は政治的に極めて早熟かつ行動的な相手ということになる。いや、だとしたら富岡家も大した姫を授かったものだと褒めるべきか? さて」

 

 月舟禅師の言葉を、巌勝は受け止めきれなかった。ただ、自分の行動が良くない事態を呼び込む可能性を、この時に明らかに自覚した。

 出る前に家人に声をかけたが、平助や景勝から明確に許可を得たわけではない。ただ智子と接しづらいという理由だけで、家から逃げてきた。そう受け止められる行動を自ら行ったとして、それを知った智子はどう思うだろうか。ひいては、富岡家の家臣団はどう判断するか?

 自分が継国家の嫡子として、婚約者として、あまりに無思慮な行動をしてしまったのではないかと、巌勝は今更のように気がついたのである――。

 

「禅師、申し訳ありませんが……」

「よい。わしも、少し話しすぎた。畑仕事を終えてから、わしなりに動いてみよう。お前は急いで帰るがいい。寺の者に挨拶はいらぬ、智子殿が秀光殿から政治教育を受けていたなら、ちと面倒なことになっているかもしれん。問題は、早めに決着させたほうが傷が浅いものゆえな」

 

 巌勝は、そうして自宅へと跳んで帰ることになった。彼自身、危惧していたようなことが起こったかどうか。

 

 

 

 

 

 それは、帰宅直後に理解することになった。家人たちが自分の姿を確認した瞬間、彼らはすぐに驚いた様子を見せ、すぐに去っていった。誰かに報告しに言ったのであろう。その誰か、については、巌勝も想像がついていた。

 果たして、現れたのは平助だった。彼は頭を掻きながら、困ったような表情を向け、巌勝を見やる。そうして、口を開いて言った。

 

「寺に行ったんだって? 禅師に何を話したのかは、今はさておく。――とりあえず、お前さんに悪気はなかったんだろうがね。お姫様はヘソを曲げているぞ。婚約者殿が、朝から顔も合わせてくれない。きっと、嫌われたんだ……ってね。どうするつもりだ?」

「……嫌っては、おりません」

「結構。なら誤解を解いてこい。富岡の連中が、不穏な雰囲気で結託されても困る。――お前でなくては、解決できんことだ」

 

 平助は早々に会話を打ち切って、巌勝に行動をうながした。ここではまだ、彼は己の浅慮を責めるつもりはないらしい――と、巌勝も理解した。

 婚約者との対話を、諦めるつもりはなかった。悩むための時間が必要だった。戸惑いを抑えるために、距離を置きたかった。それらしい言い訳は、いくつも思いつく。

 だが、智子に必要なのは、そうした取り繕いではないのだろう。月舟禅師は、巌勝の背中を押してくれた。それを無意味に終わらせることだけは、したくないと思うのだ。

 

 智子が滞在している部屋は、流石に巌勝も把握している。周囲には当然のように取り巻きたちのための空間があったが、それらをすべて無視して、彼は智子の部屋に向かい、顔を合わせることを選んだ。

 

「お早いお帰りですね。今日の夕餉は、共に取れないものと考えていましたが」

「……私には、そこまで、信用がないか」

「信用は、積み上げるものにございます。わたくしたちは、お互いに理解が足りない。富岡も、継国も、まだまだ不信を拭い切るには時間が必要です。――そう、お互いに距離を詰めて、話し合う時間が」

 

 しかし、巌勝はそこから逃げた。一時のことに過ぎぬが、智子はそれを言外に責めている風でもあった。

 もし自分がわがままをこねて、寺で夕餉を取り、一泊などしていたら、どうなっていたか。

 巌勝は、それを想像する勇気を持たなかった。代わりに今、智子と対峙する勇気を振り絞り、言葉を尽くそうと決意する。

 

「無作法は、詫びる。……この通りだ。許してはもらえまいか」

「頭を下げられても、それ解決する話ではありません。重ねて申し上げますが、我々が求めるのは理解と協力であって、従属ではないのです」

 

 どちらがどちらに従属するのか、という話にはしたくない。そうした意思を、智子から感じた。

 では、己の判断は取り越し苦労だったのか。智子から距離を置こうとしたこと。その弱みに付け込んで、継国から譲歩を迫る――というような、生臭い展開にはなっていない。

 すると問題があるとしたら、内心の後ろめたさにある。己は、確かに智子を理解できなかった。その事実から、目を逸らそうとした。その事実を見つめ直すと、改めて、悪いことをしたと思う。

 

「今日の夕餉も、共にしよう。できれば、お互いの家臣も交えて。――どうか?」

「巌勝様が提案しなければ、こちらからしようと思っていたこと。――お受けします」

 

 とりあえず一歩、巌勝は歩み寄った。しかしこれで解決という話ではないということも、彼にはわかっていた。

 これ以上、どう距離を詰めていくべきか。悩む暇もなく、今度は智子の方から切り出してくる。

 

「我々は、もうしばらく滞在する予定でしたが、帰り道の安全の確保ができたと今朝報告がありました。……勝手な言い分で申し訳ありませんが、明後日にでも継国家を出ようかと思っています」

「それは……」

「誤解なさらないでください。継国家に不満があるから出ていくとか、そういう話ではありません。純粋に、これ以上の迷惑はおかけしたくないのです」

 

 今日と明日は、まだ共に過ごす機会はあります――と智子は伝えてくれた。逆に言えば、それをすぎれば、しばらくは対話の機会は訪れないということだ。

 巌勝は、こんなところでも焦らねばならなかった。彼は今、使命感すら感じていた。彼女の婚約者として、恥をかかせるような別れ方をしてはならぬ。

 生来の真面目さ故か。せめて、気持ちよく帰還できるよう――己はできる限りのことをするべきだとさえ、彼は思っていた。

 

「望むことは、他にないか? 私にできることが、あれば……」

「その態度だけで、十分ですよ! ……極端から極端に走るのは、貴方が真面目だからでしょうか? 貴方ほど真っ直ぐな人は、見たことがありません。わたくしは子供で、そこまで多くの人を見たわけではありませんが――きっと。巌勝様、貴方は特別、立派な性根をお持ちなのだと思います」

 

 智子は真面目だ立派だと言うが、具体的にどうしてほしいとは答えない。これが平助などであれば、これをもって彼女の年に似合わぬ狡猾さを理解しただろう。

 だが巌勝は未熟な身の上であり、智子の婚約者としてあろうという意識が強く、彼女への警戒など思いもよらぬことであった。

 

「……私には、貴女がわからないのだ、智子殿。お互いを、理解し合うために……できることが、あるのか。改めて、貴女に問いたい」

「わからないことを聞くのは、いい態度だと答えてあげたいのですが。やはり、貴方には自覚がないのですね。……いつでも聞けば答えが返ってくる、などと思うのも、一種の傲慢なのですよ。お互いの家を思えばこそ、貴方が、わたくしのために、何をしてあげたいと思うか。まずは、それをお考えください」

 

 巌勝の方から問うた以上、ここで答えを出さない、保留にするという手段は取れない。

 取りたくない、のが本音であったろう。だから急いで答えを出そうとする。しばし沈黙し、目を伏せる。

 巌勝は思考中ゆえ智子の顔など見てはいなかったが、もし顔を上げていれば、穏やかに微笑む彼女の姿が見えただろう。

 その笑みが何を意味するのか、判断する機会さえ与えられず、巌勝は悩む。そしてひとしきり悩んだ後、唐突に口を開いた。

 

「共に……」

「はい、共に?」

「……同じ部屋で過ごす、というのは。いや――すまない。そんなこと、くらいしか……私には、思いつかなかった」

 

 月舟禅師からは『床を共にする』ことを提案されたが、それをまさかこのような場所で言うこともできなかった。なので、これくらいがせいぜいだろう――と巌勝本人は思っていたのだが。

 智子当人からすれば、これでも十分刺激的な提案である。同じ部屋で過ごす。何をして? いつからいつまで? まさか、今から夜が明けるまで共に過ごすとでも言うのか?

 巌勝が顔を上げたときには、穏やかなほほ笑みから、表面的で感情の消えた笑顔へと、智子は表情を変貌させていた。

 

「大変愉快な提案であると、わたくしは思いますわ。けれど、どうでしょう。それはまたの機会ということにして、とりあえず夕餉までの時間を、何かしら……そうですね。一緒に勉強などするというのは、いかがです? 何か、この家に教材などがあればいいのですけれど」

「それなら……論語や、孫子の写しなどが、部屋においてある」

「孫子があるなら、もしや戦国策や、韓非子なども、あったりしますか? わたくしも名を知っているだけで、読んだことは、実はないのです」

「ある。興味があるなら、取ってこよう。――しばし、待っていてくれ」

 

 そうして、巌勝は自室へと向かった。その後姿を、智子は無表情になって見送る。 

 わざわざ悩ましい態度を取った甲斐があると、この対話を通じて思うようになった。

 

「……本当に、もしものときのことは、考えなくても良さそうですね」

 

 智子は呟く。巌勝の感情が悪いもので、智子を遠ざけようとする意思があるのなら、彼女なりに動く必要があった。

 探れるだけの情報を一気に探って――例えば帳簿を強引に奪取するとか、借用書の拝借などを行い、帰還して後、これをもって継国への交渉材料とする。

 そうした選択肢も、富岡家は取れるのだと証明すること。そうした手段さえも、智子は取ることを許されていた。当主秀光がそれを承認していたからこその、大胆な手法である。

 

 だが、こうした強硬手段を取らずに穏便に話が進むのなら、そのほうが良い。それもまた、事実であった。

 継子の巌勝が、理解を拒んでいない。共に歩むことに前向きであること。その確信を得られただけでも、現状としては満足できる結果ではないか。

 巌勝が寺に逃げ出したことを知り、すわ非常時かと直感し、最悪の事態まで想定していた智子である。直前まで家人たちと不穏な相談をしておきながらも、巌勝の感情が素直であることを確信した今は、穏やかな境地に彼女はいた。

 

「……父上は、喜んでくださるでしょうか」

 

 巌勝は自身の父親に対して、反感を覚えながらも渋々従っている。対して、智子は父親に対して従順であり、褒められることを望んで主体的に行動している。

 この違いが、将来の夫婦生活に禍根を残すことになりかねない。そうした不安を抱えられるような、両者の事情に精通した存在に欠いていたこと。それをもって、二人は不幸であったということはできなくもない。

 だが、それはそれでひどく贅沢な批評であっただろう。戦国の世において、この二人のようにお互いの事情を考慮したり、謀略を挟むような余裕を持った関係が、どれだけ成立し得たことか!

 そうした事例の少なさを思えば、彼ら、彼女らは間違いなく恵まれていた。これをもって恵まれていたと、そう表現するしかない世であったのだ。

 

「それにしても、可愛らしい御方。巌勝様、貴方を愛せる立場にあること。貴方ほど誠実で、真面目な方の元に嫁げること。それは確かに、幸福なことであるのでしょう。私は、縁に恵まれたと言って、良いのでしょう。……ええ、ええ。私はわきまえております、父上。私は、兄上のように間違いは犯しません。だからどうか、だからどうか、認めてくださいませ。私は、そうでなければ、どうして生まれてきたのか。わからなくなるのです。どうか、どうか、褒めてくださいませ。私は、選択を謝らなかったのですよね……? 帰ったら、教えて下さい」

 

 智子は、一気に呟いた。他人が聞き取れる声量ではない。ただ自分に向けた言葉であり、返答がないとわかっていて、智子は口にしていた。それが彼女の病理であり、弱点でもあった。

 環境がすべての言い訳を正当化できるわけではない。だが智子が身内からの承認に飢え、父親からの愛情を求めていたとして。年に似合わぬ成熟度と才覚と引き換えに、人格的な欠陥を持ち合わせていたとして。それを責められる立場にいるものが、果たして存在していたか、どうか――。

 少なくとも、巌勝はそうした上位の立場になかったであろう。そして彼が断罪できない以上、平助や景勝に何ができるであろうか。

 富岡家から謀略の匂いを嗅ぎ取りながらも、どうしようもない。継国家にとって、それが現実であった。

 巌勝だけが、そうした世知辛い現実からは遠ざけられていた。自覚せずに済んでいた。これをもって、継国家に愛情が存在していたと言うのは、巌勝への侮辱にあたるだろうか。

 

「ああ、しかし巌勝様、貴方への愛おしさは、どうでしょう。率直さと真面目さの化身のようで、微笑ましくてなりませんわ。あまりに微笑ましくて、笑顔が消えるくらいに愛おしいではありませんか。ええ、ええ、貴方はそれが許される環境にあったのでしょう。……羨ましい。わたくしが、そんな純真で有り得た時間など、そうそうなかったというのに」

 

 神の視点を持たぬ人々にとって、全ては理不尽の容認と諦観の中にある。完全なる菩薩も修羅もありえない現世で、もがきながらも生きるしかない人々。そうした人々を断罪できると思うのは、後世の傲慢に過ぎない。

 

「いとしいひと。わたくしは、今、思います。婚約者が、巌勝様で良かった。父上も、満足なさるでしょう。ええ、ええ、そうでしょうとも。父上の判断が、全てに優先する。わたくしは、良い子なのです。父上にとって、理想の娘なのですから――」

 

 彼女の現状を知る人がいたとしても、戦国の厳しさを思えば、過剰な同情など望むべくもあるまい。この時代においては女子の幸福など考慮の埒外であったろう。

 同年代の同性からみても、智子の境遇はありふれた不幸であり、まだしもマシな不幸であると、後世の人々は智子の立場を訳知り顔で評価するかもしれぬ。

 だが当事者たちにとっては、己の知ることが全てであり、神の視点など思いもよらぬことであった。

 

「いとしいひと。いとしいひと。いとしくあらねばならないひと。いとおしくおもわねばならないひと。巌勝様、貴方で良かった。貴方が真面目な人で良かった。――真面目な人なら、わたくしを切り捨てないでくれるでしょう? わたくしに価値を見出してくれるでしょう? ええ、一緒に勉強しましょうね。一緒に長くいられるように、お互いに努力を続けましょうね。その努力を続ける限りにおいて、わたくしは貴方を愛せるでしょうから」

 

 子供に完璧さを求める世があるとするならば、そうした世こそが間違っているのではないか。

 智子の病理は、この時代が生み出したものであり、いびつな親子関係を原因とするものであり、当人には責任のないどうしようもないことであったと言う他ない。

 

「待たせてすまない。教材をもってきたゆえ、共に読み直してみよう。……智子殿が望むなら、明日も、明後日もそうしよう。別れの際でも、お互いの理解に務めることは、できようから……な」

「まあ、巌勝様なりの気遣い、ありがたく思います。そこまでの決意であれば、もはや不安はございません。共に学び、共に理解しましょう。それが、おそらくは両家のためになるのですから――」

 

 智子は、巌勝を笑顔で迎えた。その笑顔の中に空虚な感情が詰まっていることを、巌勝は読み取れなかった。

 未熟であることが、不幸とされた時代がある。戦国の世は、まさに厳しい時代であった。

 子供であることを許されず、強制的に早熟であること、大人となることを求められたのが、この時代であった。

 その中で、巌勝と智子はお互いを思いやろうとした。いびつで欠陥だらけの感情であったとしても、その行為は間違いなく尊かった。

 後年に悪行を犯したからと言っても、このときの巌勝の言動は、紛れもない思いやりから始まったことであり、婚約者を思えばこその行動であったことは事実である。

 最終的な幸不幸は別として、巌勝も智子も許される範囲内でお互いに誠実であろうとした。二人は未熟な子供であり、その言動には一定の制約があり、どうしても限界が存在していた。この事実だけは、誰にも否定できるものでは、なかったであろう――。

 

 




 毎度毎度、見直しをするたびに気力が萎えていくことを感じますが、やらないわけにもいかないと、わきまえております。
 後日訂正が入る部分もありましょうが、ご理解いただけれると幸いです。

 またよろしければ、来月の投稿にもお付き合いください。呼んでくださるだけでも、筆者の励みになります。

 だからどうか、最後まで見守ってくださるようお願い申し上げます。
 では、また。次回の投稿まで、ごきげんよう。

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