次回以降は、もう少し劇的に進められると思うのですが、いつもながら進みの遅い話に付き合ってくださっている、読者の皆様には感謝しております。
巌勝と智子がお互いの理解を求めている間にも、継国家は動いていた。具体的に言うならば、平助と景勝は、巌勝の浅慮の尻拭いを考えていたとも言える。
継国家と富岡家の婚姻は、すでに現実的なものとして景勝は認識していた。平助も、そうした理解で物事を進める気でいた。
だからこそ、巌勝の一時的とは言え――寺への逃避を選んだことは、それなりの衝撃を持って二人を打ち据えたのである。
「富岡の者たちは、すでに帰還の準備を行っている。いきなり滞在を決め、いきなり帰ると言い出す。なんとも勝手なことではないか」
「とはいえ、あえて引き止める理由もございません。あちらの都合ではありますが、頃合いと言えば頃合い。このたびは、継国と富岡で交流を行った。それだけでも成果と考えるべきかと。そしてお互いの理解を深めたならば、一度は距離を置くことも必要でしょう。べったりと引っ付いているばかりが、人付き合いではありません」
「付き合い方には色々ある、というのはわかるがな。……それだけに、今回の巌勝の行動は軽率だった。そこは言い聞かせてやりたいが、私からではやりすぎるかもしれん。婚約者同士の交流に、悪影響を出すわけにもいかん。お前から、女への接し方について、教授してやってくれ」
「教えてやれることは、教えてやりますがね。俺とて、女遊びは趣味でもありません。一般的なこと以上には、なんとも」
「……継国家の武官筆頭が、女に熱を上げている方が問題か。まあ、それはそれでよい」
その日の夜のうちにも、彼らは対策を練らねばならなかった。日常の業務を終えたあと、彼らは顔を突き合わせた。その必要性を、景勝も平助も軽視しなかったと言える。
継国家には油の備蓄もあり、明かりをつけて話し合うくらいの時間は、余裕で確保できた。そうした家の構造上の頑強さが、いままで継国家を支え続けていたとも表現できよう。
思考を練るのが一日遅れれば、行動も一日遅れる。逆に言えば、油を消耗するだけで一日早く行動を起こせると思えば、武家である以上、それは迷わずにやるべきことなのだった。
「ともかく、富岡の連中に、巌勝がどのように見えているのか。――精査する時間はもはやないのだ。立ち退くなら立ち退くでいいのだが、婚約に影響するような結果になっては困る。あちらの反応を探れないのは、どうにも不安だ」
「まあ、そこら辺はこちらでどうにか、短い時間でもできる限り改善を図ります。ご当主としては、動揺せずに結果を待つ方向でよろしいでしょう」
二人がまず話題に出したのは、やはり巌勝の婚約の件だった。彼の行動は軽率であり、富岡側の受け取り方次第で、より問題が深刻化した可能性すらある。
もし、巌勝が智子を嫌悪して逃げ出した――という噂がたてば、打ち消すのが難しい。当事者が否定しても、噂に根拠は必要なく、ただ人々の娯楽として都合が良ければ、それだけで広まってしまうという事実がある。そこに武家の没落という結果がついてくれば、部外者にとっては良い酒の肴になる話だろう。もちろん現実はここまで簡単ではないが、景勝はこれを危惧していた。
「待つだけでどうにかなるなら、どれほど楽か――」
「巌勝は、あれから智子殿と会って、何かしらの成果は得たようです。少なくともお互いの間では、深刻になるほどの悪印象など、残ってはいないでしょう」
だが、富岡にしろ継国にしろ、当事者同士の仲である。その家人ともなれば関係性の深さは変わってくるが、娯楽として消費するにもはばかられる状況だろう。
仮に、そんな娯楽に耽溺するやつがいたら、それは間者とか奸物とか、過激な表現すら許される。
そして、乱世はこの手の馬鹿に優しくない。そう割り切っている平助の方は、比較的楽観的だった。
「確か、なのだな? それは」
「まあ、二人の夕餉は穏やかでしたよ。この部分は、俺自身同席して確認しましたから保証します。――俺だけではなく、富岡側の人員も、それなりに参加させました。これで不仲だ、なんてあちらも主張できないでしょうよ」
夕餉以後も険悪な雰囲気はなく、就寝前は子どもなりに礼を尽くして、巌勝と智子は別れたと平助はいう。
そこまで聞いて、景勝は安堵した。すでに今回の婚約は、彼自身のメンツもかかっている。失敗する要素は、なるべく排除しておきたかった。
そして我が身を省みてみれば、己の責任というものも、決して少なくはないのだと自覚するのであった。
――巌勝への負担を、私は軽く考えすぎていたのか? そして、それを月舟禅師に抑えられた。あの人に、借りを作ってしまったと考えるのは、私が武士としての利害ばかり考えているからか?
気の迷いだ。雑念である。そんな些事に頭を回している場合ではない。今の自分には、必要のない思考だ――と、景勝は即座に切り捨てた。
とにかく平助の判断を信じ、成果を待つ立場を彼は受け入れる。
「ならば、それはそれでよい。……が、富岡家との関係が維持されるとして、婚姻が周辺に与える影響は、今から考慮しておくべきだろう」
「予想はつきますが、具体的にどのように?」
「まず、外部に流す馬の数を絞る。家で運用する馬を増やす、と言ってもいいが、つまりは上野における流通の要を、我が家が占めるよう動いていくつもりだ」
それを聞いた平助の表情が引き締まる。景勝は、重要な決断を下した。この一言で、それを彼は理解したのだ。
「売却や貸与という形で外に流していた分を、我が家で運用する。我が家の馬借の隊を増やして流通の要を抑え、上野内での経済的影響力を確保して回るのですな? 定期的に馬を献じていたところ……主家の上杉家などは、文句をつけてきそうですが、富岡との交流を認めた手前、これが将来の布石となるなら……ある程度は、容認されるかも知れませんな」
「長期間は難しいが、この件に関しては短期間でよいのだ。上杉にはこれまでの貸しの精算ということで、押し通させるとも。さて、絞る場所と割合は、改めて考えねばなるまいが。――ともかく、こちらとの力関係を考慮し、政治的な問題が出にくいところを優先する。そして、富岡の目につきやすいところから、商圏を広げていくのだ。富岡の出方次第だが、様子を見ながら参加させていきたい。一度付き合わせれば、ずるずると引き込んでやれる自信はある」
「正確には、富岡も引き込まねば、立ち行かないと言うべきでしょう? 人員には余裕がありません。短期間なら無理やり回せましょうが、いずれ無理が出ます。本気でやるなら、富岡の協力は必須。それを加味しても足りない、という事態が容易く予想できますな」
これまでそれを行わなかったのは、純粋に失敗したときの損害が恐ろしかったからでもあり、そこまで急激に拡大すると、実務のための人材が不足することが目に見えていたからでもある。
平助は、この懸念を遠慮なく口に出した。主君が現場を理解していないとは思わないが、万が一にも忘れていたなら一大事だ。
「少なくとも、上野で経済の要となるには、馬の数以上に『信用して運用できる人間の数』が圧倒的に足りません。それを守る戦力を考えれば、なおさらに。流通は常に外敵の脅威にさらされております。どうか、それをご考慮ください」
つづく平助の言葉には、真剣さが込められていた。しくじれば物的、人的被害は当然ながら、回復不能なほどに信用が破壊されるかもしれぬ。
そうした彼の危惧は当然のものであるが、景勝はその問いに対する答えを持ち合わせていた。
「富岡だけでは足らぬ、というのも道理よ。だが護衛に付ける人員は、節約が可能と考える。この上野では、上杉の権威は当然だが、古河公方の権威もまた同時に有用な部分があるのでな。富岡の方から、古河の庇護を正式に引き出させる……というのは無理筋であるにしても、富岡の有志を参加させた馬借の一団が『古河の保護を自称する』ことは可能だろう」
「富岡に濡れ衣でも着せるおつもりで? 古河の方から咎めが飛んできたら如何にします?」
「金で黙らせる。いや、はじめから金を積んで黙認させる方向で動かしてもよい。ここで重要なのは、お墨付きの証明ではない。古河が黙って、我々の商売を通らせることだ」
「そうして、黙認がお墨付きであると誤解されれば……それに一枚噛みたい者はいる。すると、護衛くらいなら引き受けて報酬を得ようと考える地侍が、いくらでも湧いてくるでしょうな。我々は、それを選別して使えば良い。結果、信用できる人材は内向きに全振りできるようになる――と。なるほど、これなら現状の人員に富岡の連中が加われば、何もかもがうまくいく可能性も、ありうるかもしれません」
平助は納得した。継国家がこれまで全力で馬借業に乗り出し、収益を荒稼ぎしなかったのは、継国家の伸長を快く思わない勢力を刺激し、抵抗される危険があったという部分も大きい。それがいくさになるほどに反感が育ってしまえば、継国家は周囲から袋叩きにされるだろう。
上杉の庇護が届けばよいが、乱世において主家の庇護は絶対とは限らぬ。今回のような、特別な契機がなければ、景勝もここまでの決断は行わなかったであろう。巻き込む家が多くなればなるほど、商業活動は邪魔されにくい。円滑性が犠牲になるが、そこは富岡からの人員があれば緩和できる。
景勝は、平助の同意を得たことで、確信を得たかのように語り続けた。
「まさに。我々は、古河公方と山内上杉が庇護する馬借の一団であり、これを襲撃するものは武家の権威に挑戦し、関東武士のメンツに喧嘩を売るものである――という認識を、この上野に広げるのだ。それだけで、商売はかなりやりやすくなる」
「……可能であれば、たしかに継国家は上野の流通を差配し、経済的支配の一端を担うことができましょう。くどいようですが、あらゆる可能性が有効な方向に働けば、の話ですが」
「わかっている、私は急がぬ。一年二年で達成すべきことではない。段階的に、慎重に進めていく。仮に古河の許しがなくとも、小規模化することで軌道修正は効くだろう。――だが、初めから上手く行かぬものと見切るより、進むべき道を見定め、動いていくべきだ。乱世の武家に、停滞は許されぬのだからな」
依然、危険はある。問題の多くは、解決したと思った端から生まれてくるものだ。
いまだ乗り越えるべき難点はあるが、それでも景勝が行動に出るのは、継国家の将来をかんがみてのこと。
ここを逃しては巌勝の時代まで、継国が伸びる余地がなくなるかもしれない――というさらに大きな危機感があったからだ。
「わかります。――ええ、我々が黙っていても、将来の敵は力をつけ、我々に従属を迫ってくるでしょう。それが上杉のいけ好かない連中より、慈悲深いという保証はありません」
「だから、我々がまず力をつけるのだ。さしあたっては、富岡への対応だな。馬借をあちらにやるとしても、許可を取っておかねば気分を害しよう。婚約者の家でもあるし、今後の協力も得ねばならぬ。交渉が急務だが、ここを失敗してはすべてが画餅に帰すだけに、悩みどころだな」
そして、平助もまた彼と危機感を共有した。ならば、あとは行動のための思索に入るべき頃合いだった。
「お望みなら、私が富岡まで飛んでいって、交渉に入りますが」
「お前か、私自ら出るべきか、考えているところだ」
「ならば私が行くべきですな。はじめから当主が出ていくと、弱みと見られかねません。そこまで富岡には人がいないのか――と侮られても、不愉快です」
「ふむ、そうか。そういえば……あちらには、人員に余裕があるようだ。婚約者との会合に、実務ができる人材を派遣できるほどにな? どうやって確保し、育成しているのか、ぜひ知りたいところよ」
「見栄を張って、あえて全力でこちらに掛けている可能性はありますが、それはそれで好都合。一度共犯者となり、報酬の果実を味わえば、もう手放すことは叶いますまい。お互いの将来のため、今度はこちらに優位な交渉を仕掛けることもできるでしょう」
平助は狡猾そうな、悪い笑みを浮かべたが、景勝はこうした彼の態度が気に食わないらしい。
眉をひそめ、とがめるように言った。
「甘い将来を語った後で言うことではないが……交渉を前にして、あまり楽観はするな。――富岡秀光は、私と同じ武家の当主である。油断すれば付け込まれると思い、優位に立つことに固執するなよ。一歩や二歩、あえて譲る謙虚さを示して良い。具体的には、馬借の一団をまるごと与え、運用させてやる。それくらいの度量は必要になるだろう」
「……いささか思い切りが良すぎるのでは? 馬借の一団をこれから立ち上げて、その運用の自由を与えるなど。投資なら費用を回収する目処も立ちましょうが、これを他家に与えては、丸損というものです。せめて、こちらの流通網に組み込んで、我々の手の内に収めたうえで馬の運用を許す。帳簿の管理は成果を見ながらやらせるべきで、一団に過ぎないとは言え、丸投げするのは媚びを売るに等しいもの。手順を踏ませなければ、富岡家がつけあがって継国家を下に見るかもしれません。両家は対等であり、主従関係ではありますまい。どうか、お考え直しください」
抗議はしたが、他にそれらしい代案を思いついているわけではない。そこが平助の限界であると、景勝は見切っていた。
そして彼を見切っているがゆえに、景勝は己の正しさを確信するのである。発想は限定的でも、平助の実務能力の高さを景勝は評価している。それがゆえに、彼の声にも明るさが出てきていた。
「お前の目からも、媚びているように映るのなら、かえって効果的だ。これで油断してくれる甘さを持つ相手なら、私とお前の手腕で富岡を経済的に従属させることも不可能ではあるまい。――が、秀光がそこまでの馬鹿と、私には見えぬ。賢明な武家であれば、この媚び方にかえって警戒するだろう。こちらの意図を、再度探りに来る。その反応を見てから、その都度こちらの意図を伝えればよいのだ。共存共栄が第一、どちらかが優位に立つ関係を望みはしない――とな」
「富岡とは身内になる間柄とは言え、いささか回りくどいように思われます。そこまで婉曲に意図を示して、相手にもそれを期待するくらいなら、直接に文のやり取りをすればいいではありませんか。そこで自分を偽るほど、秀光も馬鹿ではありますまい」
「回りくどくとも、率直にやり取りをしないからこそ、証拠を残さないからこそ、意味があるのだ。――逃げ道を残すというのは、これで案外重要なのだ。言い訳の余地を残しておけば、政治的に生き残りやすくなる。私が軌道修正、などという表現を用いたのもそれ故だ。そして最後に武力を示すことさえできれば、武家は生き残ることができる。この手の狡猾さを、我々は武略と呼ぶのだ。……巌勝にも、教えておけ。乱世はこうして備え、備えが多いものが生き延びるのだ、とな」
これには、平助も意図をつかみかねた。武家の生まれではない、市井の一個人であったからこその違和感である。
そうした態度も、景勝は受け入れた。武家の生まれではない、単純に有能な部下について。彼はある程度までなら寛容になれたのである。
「山内上杉家と、古河公方。油断ならぬ関係だが、私が利用したように、将来的には同盟の余地がある。北条氏の存在が、これからは関東を動かしていくだろう。この時代のうねりを、秀光もまた敏感に感じ取っているはずだと、私は信ずる。信ずるに足るだけの反応を、彼は示しているのだ。重ねていうが、智子に貴重な人員を付き添わせ、ここまでやってきたという時点で、彼は一定の投資の価値を我々に認めている。あとは、それを正しい判断だと秀光に確信させればよい」
「それならば、なおさら率直にやり取りを行うべきだと、私等は思うのですがね……? 生き残りばかりを優先して、誠意を見せないというのは、どうにも」
「率直に表さないことが、誠意の表現になりうる場合もある。――そもそもお互いに、容易く顔を合わせて話し合えるような余裕もない時代だ。人づてのやり取りや、実際の行動から相手の意図を図らねばならぬことも多かろう。今回の件も含めて、綱渡りを繰り返すことになる。これくらいで音を上げていたら大変だぞ、平助」
平助は狡猾な人間であり、敵であれ味方であれ、ずるさを許容するだけの広さを精神に持ち合わせているが、実務家として率直さを尊ぶ一面も同時に存在する。
だから景勝の論理を受け止めるにも、噛みしめるだけの時間が必要であり、内省するための手順が必要だった。
それは明かりの油がにじみ、語り合う時間が目減りすることをも意味する。そして景勝は部下のこうした葛藤を受け止めるだけの余裕を――あるいは信用のおける部下であったからこそ、我慢強く示すことができた。
これが自身の息子であったなら、己への権威への挑戦と見て、かえって過剰な反応をしたであろう。景勝の資質が、正しく表された一時であった言ってよい。
「……難しゅうございます。今回の話、咀嚼し直すだけでも、頭がよじれそうだ。それを巌勝に学ばせるというのは、いささか年齢的に、早いようにも感じますが」
「お前なら、すぐに咀嚼できるだろうし、巌勝も早熟な武家の子だ。心配はいらぬ。私の体調も、そろそろ回復してきた頃合いゆえ、本格的に現場に戻るにはちょうどいい機会よ。――私とて、まだ老いてはいないぞ。お前の至らぬところは、こちらで補正する。実地でお互いに、学びを深めようではないか」
景勝は平助の前でこそ、こうした快活な態度を見せるが、これは平助という股肱の臣のもとでしか発揮できない代物である。
他の家人や巌勝の前では、過剰なほどに威厳を意識し、己の弱さを微塵でも悟られたくない。そのように考えてしまう、ある種の頑なさを備えた主であると平助は理解していた。
――この頑迷とも言える思考の不自由さが、この人の最大の欠点だな。まあ、それを支えるためにこそ、俺が存在するわけだ。自己の存在意義を痛感する日々は、張り合いがあって良いものだな! まったく。
平助は、内心で自身への自負を高めつつ、景勝を支えつつも巌勝への配慮を行うという、極めて高度な立ち回りを己に課すことを決めた。
彼は従者としての最高の知性を備えており、臣下として最善の才能を備えていたと言える。批判的精神を持ちながら、決して主の意向に反しない。むしろ主の知性を刺激し、その短所を補うという非の打ち所のない振る舞いができていた。
継国家は、景勝の代で平助という臣下に恵まれた。そう言い切って、良いであろう。巌勝がこの場に居合わせていたら、そのような感想を抱いたに違いない。
「上杉と古河の関係についてまで、巌勝に聞かせる必要はない。もしこれまでの文脈を理解したうえで、同盟の可能性に気付いたのであれば、それは褒めても構わぬが――おそらく巌勝には、そこまで頭を巡らせる余裕などないはずだ」
「目下、悩みのタネとなった婚約者がおりますからな」
「それはそれで悪いことではない。先も言ったが、富岡との関係は、こちらで外堀を埋めていく。富岡とのつながりは、おそらく月舟禅師――いや、富岡秀光自身、いまだ自覚してはいない部分で、上野の勢力を激変させかねない危険をはらんでいる。実際の婚姻まで、私も気を抜かぬようにしよう。もちろん、あちらの都合で反故にさせるつもりなど、まったくない。私が見定めた以上、富岡には継国の次代のため、踏み台になってもらわねばならぬ」
「随分と、強い言葉を使われますな。――ことここに至って、何かしらの確信でも得られましたか?」
「お前と向かい合う前に、富岡の交友範囲や古河公方との政治的綱引きの関係、そこから継国との結びつきがもたらす影響について、分析を終えていてな。お前との会話の中で、さらに確信を得るようになった。――やはり我々は、お互いに結びつくべきなのだ。その可能性が検討され、衆目に示された時点で、すでに我々は上野の中心にいると言っても過言ではない。だからこそ、迅速に行動せねばならんぞ。迷っている余裕など、我々にはないのだ」
景勝の言葉には自信があった。確信に満ちた言葉の中には、すでに彼の中で婚約が婚姻に進化していることを示している。
彼がここまで外部の事柄に対して、断言するのは珍しい。武家らしい大胆さ、豪胆な態度を見るのは、平助の記憶の中でも稀なことである。
「興味本位で聞きますが、もしや富岡と古河との付き合いに、何かしらの問題でも見つかりましたか?」
「そこを今更聞くのか? ……富岡はそもそも結城氏の庶流であり、今は公的には上野赤井氏に従属している立場でもある。しかし小泉城を実効支配しているように、その関係を私のような独立性の強い在地領主の視点から見れば、従属よりは同盟に近いように思える。――富岡家は、間違いなく確固とした武家の一家なのだ。自らの行動を制約する規範はあっても絶対ではない。自家のため、よそに犠牲を押し付ける気概くらいは、当然もっているだろうよ」
秀光自身、これまで戦国の世を渡りきって生き延びた自負もあるだろう。ここにきて継国という上野でも有数の販路を持つ、商業的に知名度の高い家との関係は、願ってもないことであるはず。
今回の滞在期間中で、様々な形で調査が入ったであろう。景勝はあえて一定の配慮を見せ、情報を開示したが、それは自家に対する自信があったからだ。
「継国家は、元は馬借である。それが引け目に感じるところでもあるが、実情に沿った理解をするならば古くから地元に根付いた商業活動と、それを維持する人脈と販路の広さは上野でも随一という自負くらいはある。そして富岡は相応の武勲があり、複雑な立場が許されるだけの政治力もこれまで示してきた。当主秀光の才によるところも大きいが、これが次代においても保証されるのなら、古河の態度も変化が現れる可能性がなくもない」
「具体的には、どのように? 景勝殿の物言いは、いささか迂遠に過ぎますな。巌勝への説明にも、それだけだと苦労しそうです」
「急いで結論を出そうとするのは、平助の悪い癖だな。……今は断言することも難しい。現場の人間としては、率直で迅速な対応こそが求められるのだろうが、巌勝への教育は段階を踏んで、時間を掛けて行うものだ。――まずは、お前が実務の中でどう振る舞っているか、仕事への姿勢を学ばせるつもりで、あれに接すれば良い。修正が必要そうに成れば、その都度指示する。だから、今はそう複雑な考えを保つ必要はあるまいよ」
景勝は、巧妙に話をすり替えた。平助はそれを感じ取っていたが、口には出さなかった
聞かれたくない事情があるのか、余計な情報は今後の実務に差し障ると考えたのか――。それとも、単に巌勝への話題を続けたくないだけか。
平助の視点から見れば、景勝はもっと巌勝に寄り添うべきだし、人任せにするよりも、真心を持って自身の背中を彼に見せるべきであると思う。
しかし、そうした実直さを持てるほど、強くないのが景勝という人である。そうした悲しい理解もまた、同時に持ち合わせていた。
だから、この人には自分がいなくてはならない。継国家の次代のために、己が尽力しなくてはならないという自負を、改めて平助は持つことになるのであった。
「委細、承知しました。私にできることは、いたしましょう」
「頼む。――私が心から、頼む、と言えるのはお前だけだ。なればこそ、巌勝の代においても、お前の献身を期待したい。くどくどと言うのも今更の話だが、頼めるな?」
「もとより、そのつもりですとも! ――そこは、疑ってほしくないですな」
「別に、疑っているつもりはない。言葉にすることに、意味がある。自らが口にすることで、行動にも誠意が現れるようになる。私は、お前の背中を押す手伝いをしたかった。……それだけの、ことなのだ」
巌勝を愛している。巌勝の未来を案じている。そうした率直な言葉を口にできないことが、景勝の限界であったのだろう。
だが、平助はあえてそうした景勝の限界こそを愛おしく思った。景勝が無謬の人であれば、自分がこの家にいる意味がない。補佐する余地があるからこそ、自ら働くことで家に影響を残し、その業績に貢献できるという確信を持てる。
――自分の生きた意味を残したい。それは誰もがなんとなく思っていることだろうが、明確に自覚して、本当に相応しい功績を残せるやつは多くない。俺は、そのための機会を得られている。継国家と富岡家を、この時代に生き残らせる一助を担ったという役割は、俺には過ぎたものかもしれんが……俺がやらねば、誰がやる。
歴史の中で、継国家は平助という臣を得たことを知り、後世に残すだろう。それをもって、平助は己の人生を肯定できる。僅かな足跡でしかないが、そうして爪痕を残すこと。それが、武家ではない卑賤の身にできる、せめてもの『足掻き』であった。
そして、こうした足掻き方をしているのは、何も平助一人ではない。
継国家の努力が存在するように、富岡家もまた同様に生き残るための策を講じている。それは乱世に生きるものとして、ごく当たり前の備えであった。
富岡家の一行は、何事もなく帰還した。秀光が報告を待っている。そう思えば、智子も足が早まるが、これを制する家人がいた。それも一人や二人ではなく、随行した人々から説得されれば、いかに智子がわがままを言っても通るものではない。
継国家への遠征は、智子をお披露目することが主目的ではあったが、その実は継国家への諜報活動というのが正しいところでもある。
だから旅の疲れを癒やしてから、落ち着いた後に智子自身が報告すればよい――と身近な相手から言われれば、彼女も否とは言えなかった。
――まず、継国家の情報をまとめ、その結果を報告するのが先だと言われれば、譲らざるを得ません。……忌々しいこと!
智子も彼女なりに動きはしたが、主役であるだけに巌勝以外への働きかけは難しいものがあった。諜報活動自体は、秀光直属の部下やお付きの侍女にまかせていた事情もあり――冷静に考えれば彼女自身、得られた成果は少ないかもしれないと思われた。
全体の情報を整理する時間を鑑みれば、智子と秀光の会談は翌日に持ち越されることになっても、文句は言えぬ。これに割り込んで報告する価値のある成果を得られたかと言えば、主張は難しい。いまになって、そのような現実を彼女は理解したのだった。
――父上、私は、それでも私なりに頑張ったのですよ。兄上とは、違います。幼く、何もできない弟とも、私は違います。それを、認めてください。
そして翌日、智子は秀光と直接顔合わせをすることになった。
その時が来るまで、心は浮ついており、弟の秀信とたまたま顔を合わせることがあっても、無視して通り過ぎるほどに彼女は落ち着きをなくしていた。弟がどのような目で自分を見ていたのか、それすらも意識せずに。
側仕えからの静止すら無視して、彼女は指定通りの刻限に秀光の執務室に飛び込んだ。
智子は、自分の功績を主張したかった。そうして入室の礼も、うっかり忘れてしまうほどに焦れていたのだった。
入室して、迎えてくれるはずの父親の顔は、いつもどおりのしかめっ面で。その表情を変えることなく近づくと、秀光は智子を平手で張り飛ばした。
「――わきまえよ」
手加減は、されている。大の男が女子の頬を本気で張っていれば、鼓膜が破れていただろう。
そうならず、畳に伏して痛みを認識できる余裕があるだけ、温情は掛けられているとも言える。
「親子とて、守らねばならぬ礼はある。声もかけずに不躾に押し入ってくる娘がいるものか。――入室からやり直すがいい」
「は、い。失礼を……」
震えながら、腫れた頬を抑え、智子は顔を上げて秀光を見やる。
秀光は何事もなかったのかのように机に向かい、改めるように眼下の報告書を見つめていた。何を考えているのか、わからぬほどの無表情である。
娘に手を上げたという事実すら、もはや意識してはおるまい。その無情さを、智子は理解せねばならなかった
――お許しください。はしたなくも、見返りを求めたこの智子をお責めください。だからどうか、見捨てないで――。
涙を流しながら、智子は秀光の前から退く。そして入室をやり直そうと涙を拭い、息を整えた。
吸って、止める。吐いて、止める。また吸って、止めて。吐いて、止めて。呼吸を繰り返して、心を落ち着かせた。
しばし時間を老いてから、入室の許可を求める。部屋の中から了承の声が聞こえると、静々と低い姿勢を維持し、父の前へと現れ出た。
秀光の前で平伏すること、しばし。それでもなお、声はかけられない。ここで面を上げるだけの勇気を、彼女は持ち合わせなかった。
「……良いぞ。智子、お前の報告を聞こう」
「はい。申し上げます。申し上げますゆえ、ご無礼、お許しください」
「くどい、早う言え。お前の父は暇ではないのだ」
恐る恐る、そっと顔を上げる。秀光の表情を確認してみれば、智子の方さえ見ていない。やはり報告書から目も離さず、ただ報告せよと無言の態度で示すだけ。
娘に対する親として、これは虐待そのものであったろう。だが、秀光はあくまでもこれを躾として行っているつもりであり、智子もまたそうした父のやり方を是とした。親子の病理が、今この場に表されていたと言える。
「巌勝へ取り入ることは、成功しました。彼から一定の信頼――とは行かぬまでも、女として意識させることは、できました」
「当然だ。それができるだけの教育は施した。それで?」
「婚約から、婚姻の流れは間違いないものと、お考えください。父上が、今から撤回しない限り、これは規定のものとして、今後の戦略を練るべきかと――」
「そんなことが聞きたいのではない。……お前は、他に継国家で何をしてきたのだ。嫡子をたらしこむだけで、満足してきたのか?」
じっと、感情を持たぬ瞳で、秀光は智子を見ていた。
今、まさに現在進行系で評価されている。失望されてはならぬ、とばかりに智子は早口でまくし立てた。
「はい、はい! もちろん、それだけではありません。巌勝と接してわかりましたが、継国家は嫡子への教育に、妥協しておりません。曹洞宗の高僧に教養を学ばせ、書物も相応のものが揃えられています。我が家にはない諸子百家の書、戦国策や武経七書等の写しも確認しました。次代の継国は、武家としての飛躍を準備しております。兵法に関しても、部下の厳しい指導が行われているのを確認しました。日常的な鍛錬は、我が家のそれを比べても遜色なく、実地で経験を積ませる方式で実務にも関わっていることを、彼の口から直接聞きました。部下からの報告と合わせれば、景勝の巌勝への執着と期待は、疑うべきでないことがわかるはずです――」
智子は、称賛を期待していた。よくやった。よくそこまで継国に入り込み、有益な印象を与えつつ、有益な情報を探ってきたものだ――と。
そうした秀光の言葉を待っていた。私は母とは違うのだと、貴方の役に立てる、武家の娘として相応しい才を持っているのだと、智子は確信したかった。
だが、彼女が父からそうした愛が与えられることはない。秀光は極めて冷ややかに、智子を一瞥し、それから顔を伏せて目を閉じた。
なにか不興を買ったのかと、智子は不安になる。
「な、なにか、無作法をいたしましたか――?」
「継国には、縁壱という弟がいるらしい。景勝も、相当な期待をかけており、いまだに捜索していると言う。あるいは、お前はその縁壱への婚姻にこそ用いるべきだったのかも知れぬ。だとすれば、お前が巌勝の関心を勝ったのは、悪手であったのかもしれんな」
智子は、思わず心が凍りつくような感覚を覚えた。縁壱の存在を知らなかったわけではない。それくらいの情報は、彼女とて探っている。しかし、自分の立場に拘泥して、新たな情報の精査を怠ったと言われれば、否定も難しい。それくらいの言葉を、今自分は口にしてしまったのだから。
――母上、母上。わたしは間違ったのですか。わたしが生まれてきたのは、この家のためでは。わたしが幸せになるためには、父上に認められねばならないと、母上は言ったでしょう。こんなとき、わたしはどうすればいいのですか――。
自分はしくじったのか。余計な負債を背負わされて、無様に帰ってきたのではないか。
智子の唇が震える。背筋が伸びたまま、硬直する。血の気が引き、青ざめていく己の表情を自覚しながら、智子は秀光からの言葉を待つばかりであった。
「……ふん。だが、お前に婚約者としての役割を命じたのは、紛れもなくわし自身である。ならば、お前がしくじったと単純に評価はするまい。むしろ、お前なりに継国から関心を引き、立場を固定させるほどの働きをしたことは、認めてやらねばなるまいよ――」
その言葉で、智子は胸を撫で下ろす。しかし、と付け加えるように言って、秀光は智子を見据えた。自分の娘に対するというよりは、丁稚や下女に向けるような、厳しい目であった。
落ち度を見逃すまい、気安い振る舞いを許すまいという、裁きを下すかのような視線であるように、彼女には感じられた。
「お前の母は、わしに媚びるしか能のない女だった。挙げ句、お前の兄のような難物を生み出しおった。秀信の才はまだわからぬが、お前が不甲斐ない有り様をすれば、やはり同じ腹の兄妹よ。――切り捨てて、また新たな妻を迎えて新しい血をいれることを考えねばならぬ。それは、わしにとっても手間と時間が割かれるばかりで、望ましいことではない。……言いたいことがわかるな?」
「はい、はい! 私は、父上の期待を裏切りません。今後は、決して――」
それから秀光は、智子との対話をいくらか挟んだものの、終始感情を表さず、冷ややかな態度を崩さなかった。
退室するころには、智子自身、ひどい疲労に苛まれるほど、精神的な負担の大きい話し合いであったとも言える。
彼女は、自室で泥のように眠り、休息に付けばそれでよい。どれだけ秀光が娘に虐待に近い振る舞いをしようと、智子はそれが許される立場にある。
だが当主たる秀光は、思考すべきこと、決断すべきこと、部下に指示すべきことを、多くもっていた。
秀光は緊張から息を吐き、脳裏に今後の戦略を思い描く。娘に弱みを見せられない父の姿が、そこにはあった。
――思ったより、智子は上手くやったらしい。もとより、継国に取り入ること以上のものを求めてはおらぬ。危機感を煽ってやれば、勝手に上手くやるだろう。……その程度の才覚は、ある娘だ。
智子を下がらせた後も、富岡秀光は孤独に頭を巡らせる。部下や智子の報告を考慮し、今後の生存戦略を決定するのだ。
今後の継国家の戦略はまだ読めないが、これは相手の行動を観察すればよい。婚約を進め、婚姻を本気で受け入れるつもりなら、こちらが動かずとも継国は自らの勢力を伸ばそうとする。
その具体的な活動について、秀光はまず静観。ただ古河公方との関係も考えに入れれば、継国家の行動を確認した時点で、情報収集のため、自らの手のものを潜り込ませておきたい。
――不都合も好都合も、まずは飲み込む。お互いに、持ちつ持たれつ、上手に関係を構築していかねばならん。
富岡家を取り巻く環境は複雑だ。直接の上司として上野赤井氏があり、身近な場所にいる主君としての古河公方がある。
いわば上役が二人存在しているようなものだが――富岡家はその中で独自の立場を勝ち取っており、赤井氏は存在感の薄い上司に過ぎず、古河公方に直接伺いを立てることもできていた。
これは富岡家が小泉城を有し、その地方の抑えになっているという政治的役割の大きさ、富岡家が武力を実績として示してきていたがゆえに、許されていることだ。
だが、そうした特別な立場が今後も許されるとは限らない。関東は享徳の乱以降、泰平とは程遠い環境の中にあり、周辺の諸勢力も虎視眈々と機会を伺っている。既存の権威におもねるだけで、生き延びられる時代はとうに過ぎ去っているのだった。
――富岡には金がない。正確には、金を生み出せる環境、そのための組織を作るだけの力がない、というべきだが……ここに来て、思わぬ好機がやってきた。これを逃すわけには行かぬ。
継国家に傷がまったくないというわけでは、無論ない。だが情報を検討する過程で、早々に秀光は結論を出していた。
今回の婚約は天佑であり、これを握らない手はない、と。しかしこちらが下手に出るのも、弱みを知られるようで不快である。
武家の当主が不快を感じる、というのは重要なことだ。そこにはメンツの存在があり、自家の誇り、実績に対する責任というものが関わっている。秀光は息をするように当主として振る舞っており、己が覚える感情についても、武家の自負が関わっているものと信じていた。
それでいて、具体的にどう、という目標があるわけではない。ただ乱世を生き、家を残すこと。正しい武家としての歴史を積み重ねることだけが、彼の存在意義であった。
――智信が、頼もしい長男として、ここにいてくれたならば。
益体もないことであるが、そのような思考に陥る己を、秀光は自覚するようになっていた。
それだけ智信に期待をかけていた過去があり、今の我が家に不安を持っているという現実がある。
そして、どれだけ不安でも、世俗は富岡を慮ってはくれぬ。北条家の台頭が取り沙汰される、この関東において。古河と北条が決裂する日が、いずれやってくることを、この富岡秀光は確信していた。
まさに、それゆえに富岡と継国は結ばれるべきだとも考えているのだが――。彼がそうした己の考えを吐き出せる相手は、どこにもいなかった。
継国と交わって、互いへの信頼を持てるようになる日さえ、まだ遠い。秀光は自らの一室で、孤独を抱えていた。それが、今の富岡家の限界であった――。
景勝にも色々と思惑はありますが、結果については皆さんは御存知でしょう。なので、これから継国家がいかに発展し、そこから転げ落ちたか、という話を書いていこうかと思います。
鬼をかかわらせるのは、まだ少し難しい感じです。私の書いている作品は、模範的な鬼滅の二次創作ではないのだと、改めて自覚しました。
それでもよろしければ、どうか今しばらく、お付き合いください。