色々と雑に感じる部分もありましょうが、鬼滅の映画も公開されて、黒死牟の晴れ姿を見る日も、そう遠くないと思うのですね。
彼の物語を綴っている身としては、話を進めたくて仕方がないという思いもあるのですが、どうも上手くいきません。
気持ちと筆の進みが一致しないのは、作者としても不本意ですが、どうしようもないと割り切ってもいます。
付き合ってくださる読者の皆様がたには感謝しかありません。どうか、ご理解してくだされば幸いです。
馬車が道をゆく。その荷は米や麦といった穀物が積まれており、税の徴収という形で指定の倉に納められることになっている。
富岡智信は、これの護衛として荷物を目的地に運ぶ義務があった。徴税が滞りなく進められるよう、そのための努力を期待される護衛という立場を、彼は選んだのである。
煉獄誠二郎には治安維持という役割を当てているのだが、その間、自分だけが楽な仕事をするわけには行かない。むしろ主導している以上、人一倍働かねばならないと、智信自身が望んだ結果でもある。
――まあ、馬車と言っても、運搬目的の簡易な荷台を取り付けただけのものだ。京都の貴族が見れば、こんなものは馬車ではない、というかもしれん。だが、こんなものが一時的にでも普及している時点で、今の上野は確実に変化しているとも言える。
智信は元が武家の男であるから、武張った振る舞いには慣れており、ただ刀を差して歩くだけでも、それなりの威嚇として役立てられる自信があった。
税の徴収は必ず定期的に行われるが、価値のある荷物が運ばれる以上、これを狙う賊というものは、常に存在していた。もしこれを奪われれば、再度徴収する流れになり、村人たちへの負担は計り知れないものとなる。
智信は、こうした民の苦労を思うたびに、胸の奥が張り裂けそうになるのだった。これを踏みつける武家という存在に、忸怩たる思いを禁じ得ない。それでも武家たる己の出自を否定しきれない感覚もあるものだから、己の感情は欺瞞に過ぎない――なんて、不毛な自己反省もする。
そうした複雑な感情を抱えるがゆえに、智信は自らの足で現場に向かい、当事者たちとのふれあいを忘れないようにしようと、己に課しているのだった。
――何も無いに越したことはないが、いつもそうなってくれるとは限らん。信濃にしろ上野にしろ、守護大名の力で全てが保護できるわけではない。必ず、間隙を縫って自己利益を図ろうとする者が現れる。平時には普通の農民でも、このときばかりは賊に変貌し、周囲から当然のように財物を奪おうとする。……そうした少数の馬鹿が存在することを、俺は知っている。
要するに、智信は徴収元の村人たちに寄り添うつもりで、護衛を買って出たと言ってよい。上野と信濃の境界に活動を移しているから、自然と複雑な政治事情にも精通するのだが、この地域の面倒さには彼をして辟易させるものがあった。
しかし、放り出すこともできない。己の使命を思えば、ここで踏ん張ることが公共の利益につながるものだと――そこまで地域に密着する態度に出たのには、当然理由がある。
――鬼は、この世に存在してはならぬのだ。鬼殺隊は、まさに人の世から鬼の脅威を守るためにある。俺は、人々を鬼から守るために、何でもするつもりだ。そして守護するためには、情報が何よりも重要なのだと俺は信じている。
情報網を築くならば、地域住民への信頼構築が不可欠であり、それには難しい役割を己に課して、結果責任を一身に負うという態度が一番手っ取り早いのだ。
智信は信濃と上野を行き来する中で、己のこうした信念に従い、地元に密着した仕事もこなすようになっていた。
――これも鬼の探索の一部、と思えば、面倒でもやる甲斐はある。まずは実績をもって、鬼殺隊の芽を地に根付かせていかねばならん。そうして住民が恩に着る形を作って、こちらはこちらで利用するのだ。武力の提供の見返りとしては、なんともささやかなものじゃないか。だからどうか、村人たちよ。俺達に協力することを、ためらわないでくれ。そのためならば、俺はなんでもしてやるから。
今回は馬車の護衛であり、彼の健脚をもってすれば、歩行で馬車に追随することも難しくはない。荷台が大きく、荷物もまた多いため、馬の脚はそれほど早くないにしても、日中を歩きづめでもへこたれない体力は、智信にとっても財産の一つである。
信濃と上野を往復しながら、鬼殺隊としての活動を始めて、結構な年月が経った。半年、一年、二年と月日を数える日もあったが、もうそれにも飽きて、職務に専念してどれだけの時間が経ったろうと思う。
それでも、自分に何ができたか。何をなせたかと言えば、驚くほどに少ない、と智信は思う。それでも腐らず、できることをやらねばならぬ。それが己の責務であると、彼は強く自覚していた。
――お館様も、自分の代で全てを決せられるとは思っていない。次の代、次の次の代のために、将来に残る財産を残す。俺達が今作っている情報網は、その象徴的なものになるだろう。
藤の花の家紋を、大々的に構えられる時代ではない。だがこの部分に関しては、隊士同士で情報を共有すれば良いだけのこと。鬼殺隊の協力者を増やすことは、将来への布石となる。
藤の花を持たせるほどでなくとも、日常的な付き合いや恩を通じて、うっすらとした結びつきを維持することにも意義はある。鬼殺隊を支える土台作りとして、大事なものであると智信は考えていた。そのための力ならば、己にはあるとも確信している。
――鬼殺隊に入っての修練で、多少なりとも、常人の壁を破ったという自覚はある。こうして社会に資するのも、また力ある者の義務ってやつだろうよ。
改めて、智信は己の職務に立ち帰り、現状を見つめ直した。連なる荷台の穀物はうず高く、これだけで何人分の食料になるものか、想定するのも面倒になるほどだ。その護衛を務めるのは、重大な責任を負うことに等しい。
もしも賊共の略奪に会い、物資を強奪されたならば、民の負担は単純に倍になるだろう。いかなる理由であれ、物納がなされなければ、領主は領民は締め付ける。結果として、逃散せねばならぬ民はどれほどの数にのぼることか! そう思えば、智信とて背筋が凍るような想いであった。
――まあ、それでひるんでいては侍などやってはおれぬ。実家を出て、身分を捨てた身ではあるが、武家としての富岡の名まで捨てたわけではない。武とは、まさに戦えぬ者を守るためにある。富岡智信を名乗っている以上、武を修めた者として、義務を果たすのが道理というものだろうよ。
それにしても、これだけの物量を一度に輸送するには、馬車の規模はもちろんのこと、街道の整備も重要になるのだが。……智信が確認する限りにおいて、上野の主要な街道は、大容量の馬車を定期的に通すのに不足ないだけの広さと頑強さを維持していた。
これは容易なことではなく、それだけ多くの人手と費用を整備のために割いているということになる。
それが徴税の結果ではなく、市場への対応のためであるというのだから、上野は随分と流通が活性化したらしい。在地領主ばかりではなく、寺からも少なくない金が出ていることを、彼は知っていた。
主導したのが継国という武家であることは知っていたが、具体的な内情にまでは踏み込めていない。理由はどうあれ、まことにご苦労なことであると智信は思う。
――いつの間にか、上野は発展していってるんだな。俺の家も、そこにいくらかでも貢献してくれていたら良いんだが。親父はどうでもいいが、妹は、弟は、健やかに育っているだろうか。もう近づけなくなって久しい身だが、そのうち消息を知れればいいとも思う。
上野から信濃の間に、情報網を構築しつつある富岡智信は、現状を正しく認識しつつあった。それでも手を伸ばせない部分、積極的になりにくい部分もあり、全てを把握するところにまでは行かない。
彼は上野の武家の出であり、実家である富岡家にもそれなりの情を残している。情を持ち続けながらも実家を飛び出したのは、相応の理由があればこそだが……そこまで思い出に浸れる余裕など、彼にはなかった。馬車の御者から、智信に声が飛ぶ。
「おうい、そろそろ目的地だが、足元は大丈夫か? 荷下ろしも手伝ってほしいから、到着したら役立たずっていうのも困るんだぞ」
「問題ない。……俺たち護衛が歩行で追従しているのは、馬車の上からではわからない変化を見逃さぬよう、警戒に集中したいからだ。馬上のお前の方こそ、気を抜くなよ。俺なら、目的地にたどり着く直前、緊張が緩む瞬間を狙って、荷物を強奪にかかる。――世の中はまだまだ物騒なんだ、それをわきまえることだよ」
富岡智信は三十路には届かぬ年齢だが、立派な成人であり、実家にいれば頼りにされる年代でもあった。
戦闘の経験は豊富であるし、武家として生まれ育ったという自負がある。戦国の世知辛さ、悪党どもの狡猾さについては、一家言あるつもりだ。
この世は、決して豊かな時代ではない。誰も彼もが、物資を欲している。生存のため、安心のため、あるいは戦うため――智信は、一切の敗北の要素を許容したくない。
馬車は荷物の多さゆえ、歩行で追従できる程度には速度も遅い。速歩きするつもりで続けば、老いていかれる心配はなかった。
――まあ、それでも半日も歩行の速度を落とさずに歩くには、一定の訓練がいる。休息しなくても息を切らさず、気を抜いた様子も見せない俺の存在は、周囲からひどく浮いていることだろう。急増の護衛ゆえ、素人ばかりか交じるのは仕方のないことだが、襲撃時に他の連中を当てにできないのは、ちと面倒だな。
智信はこのような事を考えているが、そもそも鬼殺隊の外の者に、彼の個人的な理解を求めるのも無理筋であろう。鬼殺しの術を身につけた人は、余人からは想像もできぬ身体能力を発揮する。鬼殺隊においてそれは顕著であり、常識に近いものであるが、智信はそれを吹聴するつもりもなかった。
だから彼からの警告も、周囲は聞き流すだけだった。荷物の運搬自体、結構な労苦である。その上、絶え間なく周囲を警戒し続けるというのは、肉体的精神的にも無学な人間には難しいことだ。
周囲は開けた平野であり、そばに川が流れているだけの当たり前の道筋をゆくだけなのだから、何を警戒する必要があるのか、と言われたら、智信とてあえて言葉を尽くそうとは思わない。
それは周囲の護衛や商隊の人々も同様の認識であり、上野の治安の良さを信じている様子でもあった。だから川の上流から、徐々に一隻の船が流れてきたときも、視界に入れただけでまともに認識しようともしなかったのだ。
――怪しいとは思っていたが、やはり、ここらで仕掛けて来そうだな。この大胆さ、いやはや上野は良くも悪くも景気が良いらしい。
周囲が当てにならぬのなら、自分の力で帳尻を合わせるまで。智信は、妥協せずに戦うことを己に課すことにした。船の上にいる連中の目つきは怪しく、武装は一見していない風に見えるが、積まれている袋は長く大きく、明らかに仕込みの後が見受けられる。武装を隠しているようにしか、智信には思えなかった。
そして結局は、彼の予想通りにことは進む。目的の村にたどり着く道程、その半里前の距離であった。
村のそばにある桟橋に船が着いたかと思うと、乗り込んでいた者たちは即座に武装を済ませ、こちらに向かってやってくるではないか。
「来ると思っていたぞ、おい。――鬼の前に、人を相手にしなきゃならん世の中だ。まったくもって、天下の静謐は遠いことを実感させられるじゃないか」
明らかに、こちらを狙った賊である。賊に襲われる、という認識をようやく周囲も理解した時。馬車の護衛の中で迅速に動けたのは、智信ただ一人であった。
一つの集団が、武器をもって、自分たちに近づいてくる。それだけで、迎撃に打って出るには十分な理由となるのだが――明確な害意にさらされた時、即時の対応ができるのは経験と訓練を積んだものだけだ。
「恨んでくれるなよ。お前らなりに思考して、上手くやっているつもりなんだろうが、こちらにはこちらの事情があるもんでね」
仕掛けてきたのはあちらの方だ。そう思えば、智信にもためらいはない。……人を斬ることに悩んだ日々は、もはや過去のものだった。
賊は賊らしく、戦術も何も無い、集団がまっすぐ突っ込んでくるだけの形である。智信にとって、素人どもの突撃を潰すことなど、造作もないこと。
「憐れんでやるさ。この富岡智信の前に出たのが、お前たちの誤りだと知るが良い」
呼吸を整え、戦意を全身にみなぎらせていく。清廉で涼やかな空気が、己を包んでいくのを感じる。後は刀を握るだけで、智信は一騎当千の働きができると確信できた。
そして己に暗示をかけるかのように、智信は不敵に笑うのだ。自ら駆け、賊の集団に頭から突っ込んでいく。
そして勢いのままに刀を振るい、先頭にいた一人を斬り捨てた。周囲の賊どもは、彼の一連の行為すら、理解することはできなかったろう。
さらに智信は身体能力の高さを活かし、集団の中に入り込んで四方を敵に囲まれる状況に自らを置きつつ、斬り、躱し、飛び、殴り、そしてまた斬り抜ける。
それから大きく後方に跳躍し、距離を取った。出鼻を挫かれた賊共は、そこで足を止めざるを得ぬ。
ここで智信は自らを大きく見せるように、刀を上段に構えてから言った。
「お前たちは失敗した! これ以上は、無駄死にだ。逃げるなら好きにしろ。こちらは荷物を無事に届けたいだけだ。……奪いたいなら、他所をあたれ!」
智信の後ろから、今になって商隊の護衛たちも駆けつけてきていた。勢いを失い、反撃の体制を整えた商隊に対し、賊共は不利を悟った様子であった。
互いに顔を見合わせると、即座に撤退していった。智信はそれを目で追うだけで、自分で斬りに行くことはしなかった。向かい合って殴り合うより、逃げる敵を後ろから殴りかかるほうが、被害は与えやすいと智信は知っている。
わきまえていればこそ、商隊の護衛たちが連中を追撃することは止めなかった。せいぜい、報いを与えてやればいいとも思う。
――お互いに、好きにすれば良いんだ。自分ばかりが働くこともない。他の連中にも仕事を残してやらんと、相手のメンツにも関わる。こうした気遣いが、いつだって社会には必要とされているものだ。
そうした諦観を抱きつつも、智信は現状への冷徹な分析をやめない。近年の治安の改善は確かであるが、行き届かぬ部分はどうしてもある。どこの誰かは知らないが、不穏な連中が、上野にもはびこりつつあるかもしれぬ。これは誰の意志なのか。何が原因なのか――。
単純な困窮とか、村同士のいさかいとかであれば、深く介入することもないのだが。おそらくは、そんなわかりやすい話にはなるまい、とも思っていた。
――上野か、信濃か。その境目か? いずれかで、鬼が何かしらの介入をしている形跡がある。流通が活性化したせいで、他国から上野につながる街道でのいさかいが増えている。その略奪行為の中に、とても只人では不可能、不可解な事例が見え隠れしている。輸送用の馬が食い散らかされている痕などは、わかりやすい事例だ。……しかし、単独の事象がたまたま連続しているのか、鬼どもが互いに連携しているのかはわからん。こうして現場に出て、少しでも情報を掴みたいところだ。
鬼が人間の物資を略奪することに意味があるとしても、限定的なものだ。
鬼が生きるのに、穀物や家畜、衣料品などの交易品は必要ない。あえて求めるとすれば娯楽であろうが、この戦国の世において、鬼もまた暴君が如きふるまいも難しい。
なぜなら鬼殺隊という明確な敵が存在し、見つかり次第積極的に排除に乗り出されることは、鬼の方も周知しているからだ。
智信が現実に、流通網の違和感に気づいたのである。鬼殺隊の目は、決して節穴ではない。こうして彼が動いている以上、鬼の方も察知されたことを悟るはず。
現地の住民に入り込み、その社会のつながりから追うことで、鬼の動向を探る。智信はそのための情報網を構築しなければならないと、常々考えていた。
今回の襲撃で己の力は見せたから、信頼を勝ち取るための段階を、また一つ登ったと思っていいだろう。
そうした智信の思考の正しさを証明するように、輸送を終えた後、輸送団の長からの感謝を伝えられた。
「――智信殿。よくやってくださった。一団の長として、お礼を申し上げます」
「あたり前のことをしたまでです。護衛としての仕事ができたのなら、なにより。それにしても上野も物騒になりましたな。――最近は流通が良くなって、経済事情も改善して、上野では飢える者がなくなって久しいと聞きましたが」
「いやはや、それは確かにそうなのですが、豊かになればなっただけ、そこには悪いものも集まりたがるというわけで。……助かりました。貴方のような武力は、流通を担う者にとっても貴重です。どうか、今後も頼りにさせてくださいな。報酬は、期待してくれて結構ですよ!」
一団の長に対して、あれこれと智信は語った。語り合うことで、新たな情報を得る。
行動とそこに伴う対話において、智信は確かに非凡な才能を示していた。多くの協力者を作り、交流を絶やさずに資本の源泉とする実績において。鬼殺隊にとって富岡智信の存在は、大きいものであったと言えよう。
――緊張が溶けたところで、優しく謙虚な態度で甘い言葉を投げかけて、理解を示す態度を見せてやれば、案外人々は心を許してくれるものだ。こちらに武力や知識があり、お互いに補完し合えるという自覚を持ってしまえば、協力という行為は抗いがたい誘惑になる。富岡智信という存在は、さぞ貴重で有用な資源に見えるだろう? 何度でも使いたくなる、魅力的な人材に見えるだろう? 結構! 存分に使い倒してくれていいぞ。……代わりに、こっちも利用させてもらう。恨みっこなしということで、どうか納得してくれ。
鬼の存在が確かであるならば、それの発覚が前後しても構うまい。こちらで勝手に賊を鬼認定して、恩に着せることすら、智信は考えていた。
しかし、それで無用な危険を呼び込むのは本末転倒というものであるから、手順は踏まねばならぬ。
いかにして双方が納得できる形に修められるか? 智信が心を砕くべきは、間違いなく無辜の人々であり、鬼の討伐はその結果という形が望ましい。
組織への貢献のため、お互いの納得のための、戦略的な誇張や詐術は許されると智信は考えている。狡猾であり、主家のためなら他者を欺くこともできる智信だが、それでも他者を思いやる視点を彼は忘れなかった。
わざわざ実働に参加するのも、彼の誠意の表れと言える。己が他者を利用するように、他者も己を利用するが良い――という。ある種のひねくれた誠実さを、彼は体現していた。
――とはいえ、本物の鬼が潜んでいる可能性は、決して低くない。どこでどう、というところまで、早く調べておきたいが……それにはどうしても、人手が必要だな。何かしら理由をつけて、俺自身が人を使う立場になっておきたい。誠二郎のやつが上手く言っているなら、あいつでもいいんだが、このあたりの判断は難しい。熟考する時間がほしいところだ。
こうした複雑さを「智信という個性」として認め、味のある性格だと認めてくれる人もまた、いる。誠二郎は、そのわかりやすい具体例と言ってよい。
智信自身も、己を認めてくれる相手に対しての尊敬を忘れない。そうであればこそ、互いに組織の中で生きていけるのだと、彼自身わきまえていた。
そして、自ら開拓した人脈を活用してこそ、鬼殺隊に貢献できる。全ては戦うすべを持たぬ人々を守るために。智信は、自らの生まれと名を誇っている。
智は、自らと他者が生き残る手段を与えてくれる美徳である。
信は、自分と他人の間を取り持って、新しい関係を築いてくれる美徳である。
富岡の名は、地域に根ざした武家として、今もなお価値をもっている。
資質も名誉も、この世で生きるうえで大事なことであろう。だからこそ智信は、家は捨てても、己のつちかった価値観を捨てることはないのだった。
目的地にたどり着き、荷下ろしを手伝った後、智信は商隊の人々との交流を重ねていった。
それが鬼を追い詰めるための、情報網の構築の一手となる。数年の後は、鬼殺隊の新たな財産になるのだと――そう信じて、彼は地道な努力を続けていくのであった。
交易路を襲う賊徒にも、賊徒なりの論理はある。貧しい時代である。他所から奪わねばやってられない、というのが正直なところであったろう。
畑を耕すだけでは足りない。交易に関われるほどの生産力も人脈もなく、僅かな土地の実りを当てにしていては、家族を養うこともできぬ――。
そうした時代を生きる中で、他所に負債を押し付けることで、せめて身内だけでも生き延びさせようと願うのは、普遍的な祈りであるとすら言えよう。
そのためならば、「鬼」にすら膝を屈しても構わない。そう考える人がいて、それを受け入れる村があったとしても、この時代においては不思議なことではない。
「それで、しくじったって? 昼間のお前らは、本当にどうしようもねぇな。俺は昼間は働かねぇって、何度も言ってるだろ?」
「い、いや、そうは言われても、相手にひどく強いやつがいて……」
「そんなことはわかってる。帰ってこれたのは、三割がいいとこ。七割が帰還しなかった時点で、相手の方が上手で、手ひどくやり返されたんだろうってことはな。……それでも失敗は失敗だ。俺が出ていかなかっただけで、これだ。今後は、昼間の襲撃は考え直すようにしろよ」
富岡智信が危惧したように、鬼は思っていたよりも間近に潜んでいた。
昼間の襲撃とその失敗を、その鬼は昼間でも暗く、陽の光が入らない陰気な屋内で聞いている。
報告する村人にぞんざいな視線を向ける、この鬼の名を東次郎と言った。かつて共同体を追われ、ただ一人で鬼舞辻無惨と遭遇し、結果として鬼になった男だった。
東次郎は鬼になった後、鬼舞辻無惨の教育を経て、それなりの力量を身に着けていた。
まだまだ経験は浅いため、鬼の中では下から数えたほうが早い程度の力しか持たぬが、知恵に関してはすでに上澄みと言ってよい。
――所詮、人間ってやつは強いものに頼りたがる。楽をして稼ぎたがる。鬼の力を売り込んでやれば、雇ってくれるやつはいくらでもいるものさ。村でも、賊でも、相手さえ選ばなきゃ、いくらでもな。
力の差は、奸計によって埋めることができる。上位の鬼と入れ替わることはまだ先の課題であるが、人間どもを食い散らかせば、そのうち機会も巡ってくるだろうと東次郎は鷹揚に構えていた。
それができるのも、彼の知恵の賜物――社会に寄生し、略奪者として振る舞える狡猾さを備えていたからこそだ。
東次郎は、上野の中にとどまり、経済的に困窮している村に寄宿していた。もちろん無断であり、そこには血を見るだけの衝突もあったが、最終的には東次郎という鬼は、村という共同体の中に入り込むことに成功していた。
一口に村と言っても、形態は様々だ。ここで彼が入り込んだのは、上野と信濃のちょうど境目にあり、政治的に対立が起きやすい土地だった。その土地の中でも、いくさや悪環境によって、今年の収穫が見込めない村を選んだ。
そうした村では、飢え死ぬより武力による略奪が常態化しやすい。農民が賊になる条件が満たしやすいことを、東次郎は知っていたのだ。取り入ることは、なんとも容易かった。
――昼間に陽の光を浴びれば、俺は死ぬ。だが、村人にはそれを知らせぬ。昼間は寝ている怠惰な姿を見せて、夜の間は村のために略奪行為に励む、村で共有する暴力として働いてやろう。それだけで、こいつらは俺を受け入れる。武力こそは、この戦国の世において、もっとも強い信用の証明であるのだから。
東次郎は、己の悪性を隠さない。同時に合理性を主張して、共同体への働きかけも忘れない。
どれだけ働いても、略奪の取り分を東次郎は主張しなかった。ある一点だけを除いて、彼は自ら報酬を要求しないことで村への貢献を果たしており、武力装置としての立ち位置を確保しているのである。
そして共犯者になることさえできれば、閉鎖的な村社会は己を守る盾となるのだと、彼は経験から知っていた。
そうして、己の鬼としての暴力性を発揮して、村に富を運ぶ限りにおいて、己の存在を秘匿しながら「本来の目的」にも貢献できると東次郎は考えていた。
――青い彼岸花なんて、どこにでも転がっているようなものではない。だったら、長い目で見て捜索することを考えないといけない。鬼だからといって、人間との関わりを捨てては、継続的な捜索なんて、到底できたものではあるまいて。……無惨様は超越者だからこそ、こうした低い目線を忘れがちだ。俺の方から働きかけることで、捜索もより捗ることだろうよ。
東次郎は、無惨の教育を前向きに活かそうとしていた。虐待に近い教育ではあったが、死なない程度には加減されていたし、鬼としての己の能力と向かい合ういい機会であったことは確かであった。
拙いながらも血鬼術にも目覚めた上、人間に取り入ることに成功した今となっては、東次郎は己を誇ることに何らはばかりはなかったのだ。
だから昼間に襲撃して、返り討ちにあった――という報告すら、東次郎は笑った。夜にまた襲撃すればよい。己も加われば、収奪の成功は明らかである。奪ったものの大きさを確認した後で、俺を称えるが良い。俺が得た鬼の力の強大さにひれ伏して、己に従えと東次郎は村人たちに説くことができた。
「お前らの都合に合わせてやる。日取りが決まったら、その夜に俺が出てやろう。お前たちも、荷車を用意して俺に続け。お前らは失敗したが、現地にはまだ現物が残っているんだろう?」
「そ、それはそうだが……夜の襲撃は、難しい。夜間に荷車を持ち出すなら、隠蔽なんて無理だろう。どうしたって、荷台が通った轍は残る。後を探られちまうぞ」
「車はあくまで、輸送手段だ! 難しく考えるなよ、適当なところでブツを下ろして荷車は始末すれば良い」
下ろした略奪品は、そこから隠しにいけばいい。人力だとどうしても手間になるが、それくらいの時間は稼げるくらい、相手に被害を与えれば解決することだ――と東次郎は説く。
「税として収めるにしても、倉の中から主家の土地に持ち出すまでには、いくらかの時間の猶予がある。二、三日のうちに準備を整えろ。俺が出張って、護衛連中を殴り倒して、後は積み込めるだけ積み込んでオサラバすれば良いんだ」
「二三日? それはまずい。こっちを撃退した、手練れがまだ残っているかも知れない。やつが離れるのを確認してから、改めて襲撃の予定を立てるから、それまで待ってくれ!」
「そうかい。だったら好きにしろよ。俺は言われるままに動くだけだ。――ああ、いつものことだが、俺への取り分は気にするなよ。ただ、お前らは『俺の嗜好』について、見て見ぬふりをしろ。戦場の痕から目を背けて、何も語るな。俺の報酬として求めるのは、それだけだ」
東次郎は、そう言って笑った。向かい合って、問いかけている村人に対して、犬歯を見せて笑いかける。それだけで、村人の畏怖を買えると思えば、なんとも安い取引だった。
村人は、そのうちに東次郎を鬼として告発するかも知れないが、それはきっとまだまだ先のこと。当面は東次郎の武力を当てにして略奪に励むであろうし、いずれ東次郎を斬り捨てたくなったとしても、その前兆を嗅ぎ取れるくらいには、彼も成長していた。
裏切りの空気は、二度と見逃さない。村のほうが己を切り捨てる決断をするなら、それを契機として、村落の全てを食い散らかして、己の糧としてやろう。
東次郎は絶対におくびにも出さないが、すでにそこまで割り切っている。復讐の代償行為だと、無惨がここにいれば厳しく指摘しただろうが、あいにく彼はもうこの地を離れていた。
――俺は、お前たちとは違うんだ。鬼と人間の間には、絶対的な差異がある。そのうち、お前たちにも思い知らせてやるさ。
鬼と人間の間に、信頼関係など成り立たない。ただ一時的な利害の一致だけが成立しうるのだと、東次郎はわきまえていた。
だからこそ、言葉を尽くすのを惜しまないのだ。それが崩壊を押し留め、鬼が人間から搾取する構造を維持しているのだと思えばこそ、東次郎は平気で甘言を弄するのだった。
「一応言っておくが、今回、船はいらんぞ。夜間の操船は、よっぽど上手くやらなきゃ致命的だからな。襲撃の夜には、俺にも馬を回せ。これでも夜駆けができる程度には、騎乗の心得はある」
「だったら、継国から回ってきた馬がある。警備用に使っていたが、今回は襲撃に使う名目で、ひっぱってこれるだろう。……確認だが、こいつは食うなよ?」
「食欲を抑えるべき場くらい、わきまえている。馬肉は飽きたところだし、しばらく先まで取っておくさ。それより、次の襲撃の段取りを頼むぞ。敗北からの逆襲ほど、血が滾るもんはない。楽しくなってきたな? ええ、おい。――俺は、夜まで寝ている。準備が整ったら、呼びに来い」
東次郎は不遜にもそう言って、村人を追い返した。自分の戦力を当てにしている以上、蚊帳の外に置かれることはないだろうという確信がある。
多少、雑に扱っても構うまい。彼は略奪によって寄宿する村に貢献しているが、その『ついで』に己の食欲も満たしている。
また、気まぐれに村の家畜にも手を出して食らっているが、これは彼なりの計算が働いた結果でもある。
――いずれ、俺の横暴に耐えられなくなって、村人どもは総出で俺の寝込みを襲うだろう。それが、縁の切りどきだな。つまらないから、俺に唯々諾々と従うばかりの腰抜けになってくれるなよ。ぜひ俺を裏切って、返り討ちにされてくれや。それを含めて、お前らの役割なんだからな――。
東次郎は、まだ鬼になって日が浅い。十年二十年と積み重ねてきた鬼と比べたら、まだまだ脆弱だろうとも自覚していた。
だが、それでも家屋の中であれば、どんな屈強な人間が相手でも負ける気はしなかったし、自宅のそばには鬱蒼とした竹林がある。手入れが行き届いていないから昼間でも薄暗く、そこから日の差し込まない、山奥に逃げ込めるだろうという算段もあった。
そうした余裕があるから、東次郎はどこまでも傍若無人に振る舞えるのである。問題があるとすれば、彼はまだ鬼殺隊という存在を実感していないこと。
日輪刀という、鬼にすら致命的な傷を与えうる武器があり、それを使いこなす隊士が、思っているよりも近くにいること。
なにより、そうした事情を東次郎本人が自覚していないことが、何よりも大きな問題であった。とはいえ、鬼の瑕疵は人間にとっての幸運でもある。
富岡智信と煉獄誠二郎が、東次郎という鬼と遭遇するのは、こうした過程を経た結果である。
戦国の世においてすら、鬼がはびこるのは難しい。それはまさに、人の意志の尊さ、その結果であるとも言えるであろう――。
物語を進めたいとは思いますが、黒死牟に至るまでの過程もまた、疎漏なく描写したい気持ちもあるので、読者の皆様がたに歯がゆい思いをさせることもあるかも知れません。
これからは継国家の外部の描写も増えるでしょうが、ご理解くだされば幸いです。
次回もまた、よろしければお付き合いください。ではまた、来月にお会いしましょう。