時代考証は適当で正確ではありませんし、時間とか通すべき筋とか、色々とすっ飛ばしたり、曖昧に濁す場面もあるかとは思いますが、ご寛恕いただければ幸いです。
それでも未熟な物書きの一人として、自分なりに二次創作に向かい合っているつもりです。
それでもよろしければ、どうか今回も、最後までお付き合いください。
縁壱は、塩切村に来てからの日数を、とうとう数えなくなっていた。一年すぎ、二年を数えるようになってからは、村で過ごす日々を当たり前と思うようにして、過ぎ去る時を特別なものだとは考えなくなっていたのである。
ーー秋の村は、穏やかだな。
すでに季節は秋を過ぎていた。割り当てられている稲の収穫も終わったところであり、うたも含む村の女衆は田畑に出る回数も少なくなって、養蚕の方の手伝いに行くことが増えていた。
縁壱も村を見回りながら、雑事を手伝っていた。養蚕は繊細な仕事であり、まだ村に入って日の浅い彼には、まだ任せられないという事情もある。
それでも日常的な雑務を期待されるくらいには、縁壱は信頼を獲得できていたのだ。
ーーもう少し、体が出来上がれば、任せてくれる仕事も増えるだろうが。とにかく、今はこの穏やかな日常に、感謝しよう。
今年は水害も大したことはなく、低地の農地からも収穫が上がっていた。水の管理の関係上、増水時だからといって、仕事を放棄はできない。そのときは命をかけて自分が前に出るつもりであったから、これは縁壱にとっても幸運なことであった。
そうして、誰もが飢えずに住む環境に、塩切村は湧いていたのである。労働にも、前向きになろうというものだった。
想定外の収穫と商業活動によって、どうにか安定して春まで食えそうだという目算も立っているから、村の空気もどこか軽い。
こうした過程を見守りながら、縁壱は己にできることはすべてやったつもりだった。彼にとって、農村の実感を得られたという意味でも、実りの大きい学習期間であったろう。
――村とは、こうも難しい環境の中で、生きていくことを強いられているのか。農業とは、ここまでの献身を人に求めるものであるのか。俺は本当に、何も知らなかったのだな。
この過程において、武家の生まれである縁壱は、米の生育から収穫に至るまで、その身を持って理解できた。
縁壱は知らなかった。武家社会の中で、継国という実家が守っている間は、自覚しようもなかったことである。
信濃の寒村では、農事のみで全ての村民の口を満たすことが難しい。積極的に他所のいくさに出ていくことで、口減らしと出稼ぎを同時に行うこともあった。塩切村の近辺では、もっと過激な意見として、盗賊の真似事すら肯定的に語られることさえあるらしい。
おおよそ二年を経たとは言え、縁壱はまだまだ新参という扱いだ。自ら聞き出すのも不躾だから、聞き耳を立てて得られた情報では、そのくらいしか探れない。もっとも、これだけわかれば十分であるとも、彼は判断していた。
ーー逆に言えば、塩切村ではよほどの緊急事態でもない限り、略奪行為が肯定的に語られることは少ない。それだけ環境に恵まれた、偶然に助けられたとも言えようが、俺にとってもこれは幸運だったのだろう。
過去を掘り下げれば、収穫が思っていたよりも少なかった年もあり、その都市に何があったかを想像すれば、陰惨たる想いが心中を駆け巡る。
さりとて、縁壱はこれを責められなかった。たとえ貧困の中であろうと、徴税は行われる。凶作時は手加減してくれることもあるが、絶対ではない。この徴税分をごまかすことに成功したとしても、村人が欠けることなく春を迎えるには、厳しい状況もあったはずだ。
そうした現場の辛さを実感していればこそ、縁壱には無法を責めることができなかった。環境の過酷さを思えば、今年の増収は奇跡のようなものであり、期待すべきではない。
様々な手段を模索せねば生き残れないのが、戦国時代というものなのだ。
ーー厳しい話だが、飢えて死ぬだけの環境になれば、他所から奪うことを否定もできない。それでも塩切村は、そうした非道とは無縁でいられている。恵まれていると、自覚しよう。
縁壱は寄り合いにおいても、村の新参の若衆の一人として、隅っこで小さくなったまま耳を傾けることしかできなかった。どのように口聞くべきなのか、暗黙の了解を推し量るのには、二年程度では足りない。縁壱は慎ましく、控えていることが、無難な態度であることを知っている。それだけが、彼のできたことだった。
彼自身の膂力の強さを思えば、状況次第で盗賊行為に駆り出された可能性はあった。うたとの生活を捨てたくないならば、こうした共同体への献身は必須でありーーたとえ非道徳的な行為であろうとも、拒絶することはできないであろう。
そうした行為に加担せずに済んだことを思えば、今一度縁壱は自然の実りに感謝せねばならなかった。
――所詮、この不完全な世においては、正しく生きることすら資格がいるのだ。邪悪に染まらずにいられるのは、一種の特権でもあるだろう。俺は、そのように考えてしまう。
個々の環境を精査すれば、正しく生きるという選択を奪われたものが、確実に存在することに気づく。
そして、悪をなすことでしか生きられない人々のことを思えば、正義を唱えられる人々がいかに恵まれているのか。そうした現実も、直視せずにはいられないではないか――と。
このような思考、思想に近い考え方を、縁壱は自然とするようになっていた。兄巌勝も早熟型の人間であったが、彼は兄以上に早熟である。
ーー仏典や古典の教養は、人々の善性や悪性、あるいは救いを語る。だが文字に触れられず、その思想の正しさを理解することすらできない庶民に対して、単なる知識がなんの力を持つのか? 卑近なものにこそ、目を向けるべきではないのか。
これは、寺に入っては実感できなかったことであろうと、縁壱は確信する。彼自身、己の恵まれた境遇を自覚せねばならなかった。こうして言葉で表現して自覚できること自体、一種の特権であったろう。
稲の生育、蚕の管理、肥料の確保や水の利用に至るまで、経験によって判断するしかない庶人の過酷さを、果たして武家階級は正しく認識できているのか? 寺で知識を蓄えている僧は、実学をより良い形で村人に教授することができるのか?
難しいのではないか、という疑念すら縁壱は抱いている。戦国の世の庶人は、眼の前の生活の維持に手一杯であり、余計なことを考えている暇もなければ、書に向かう時間的余裕すらない。
これからのことを思えば、自家に割り当てられた稲の収穫が終わったからと言って、村民の田畑の仕事が全てなくなったわけではない。何より、稲が成熟する速度には土地ごとの違いがある。肥えた土地、やや肥えている土地、最低限には生育させられる土地とでは、それぞれ稲の植え付けから成熟の過程で、時間差が生まれてしまう。
刈り入れ、乾燥、貯蔵の手順は、結果として田地の状況によってバラバラになってしまうのが現状だった。女衆も蚕の世話をしながら、できる範囲で従事している。そうした姿を見ていれば、村民の勤勉さ、食うことの難しさと尊さを、改めて実感する想いである。
そうした現地では当たり前の事柄ですら、縁壱にとっては新鮮だった。何度繰り返しても、慣れることはないだろうという確信が、彼にはあった。
――土地に食むとは、まさにこうしたことの積み重ねなのだと、改めて知ることができたと思う。書物だけではわからない現実が、まさにここにあるのだ。
うたは今日は特別に、朝早く暗い内から刈り取った稲を天日にかけて乾燥させていた。また別の乾燥させ終わった稲を脱穀したり、納税するための良質の米を選別する作業に従事していた。
自分が責任を持たされた田んぼでもないのに、これを相互扶助の一環として労働を提供したのである。
さらに女衆は互いに話し合って、人手が必要なところはあるか、体調を崩したものはいないか、いかに男衆と歩調を合わせるかの話し合いがあった。
うたはこれを何度も確認を繰り返してから、あちこちに動き回ってやるべきことをやり尽くしている。
昨日もそれを終わらせたときにはすでに真昼を過ぎていたが、そこから養蚕家の元に出向いて、様々な雑務を自らに課して働き続けていた。
ここまで集団としての同胞意識があり、公共の奉仕が行き届いている村は、おそらく稀であろう。
縁壱は村の実務について詳しくないが、ここの村人の善性が特別であることを、疑おうとは思わなかった。あくまでも切迫していない状況であればこそ、維持できる善性。限定的ではあれど、今の過酷な時代の中で、極めて貴重であると信じたいと思う。
――なんというか、本当に、人々は精一杯に生きているのだなと思う。生きるということは、それだけで戦いなのだ。俺はそれをもっと理解したいと、心から願う。うたと共に生きるためには、それこそが大事であると思うから。
やらなければわからなかったことだが、田に生えた雑草は、除去する作業も辛いものである。
食えもしないのに、稲の生育を邪魔する田の中の雑草の存在は、収穫に直結する深刻な問題である。
田んぼは当然、日常的な仕事の合間に見回るのだが、イヌビエなどは小さいうちは目に入りづらく、稲の丈に隠れて生えて、気付いたときにはそこらに中に茂っていた、ということもあるのだ。
これをぬかるんだ水田の中に入って、日光にさらされながら一つ一つ除去する作業の苦しさ。雑草の種を他所にばらまいては申し訳ないと、回収と処理にも気を使うことの煩雑さを、縁壱は実務の中で理解していった。
うたは、たびたび参って休憩していたが、これは実際に従事する者にとっても重労働であることを意味する。農民が米を収穫するということは、あらゆる過程を真剣に従事するということ。稲に対して、真摯に尽くすことでもあるのだ。
ーー俺にとっては慣れない作業ゆえ、どこまで効率的に動けたか。今でも、恥ずかしく思う。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。来年は、もっと良い働きをしたいな。
結果から言うならば、縁壱自身は、手伝い以上のことはできなかったと思うのだ。有り余る体力も、腕力も、繊細な畑仕事や雑務の中で完全に活かすのは難しい。
極端な合理化も不可能だと悟った後は、やはり自分など大したものではないのだと、縁壱は自分の評価を固定せざるを得なかった。
――俺は、自分が何かをなせると思っていた。だが、世の中は案外複雑で、個人にできることなど、思ったより多くはないらしい。武家の生まれで、家族に恵まれたということは、俺にとっては幸運だった。こうした幸運を全ての人が享受できない時代であるということは、きちんと自覚しなくてはならない。そのうえで、俺にできることを全力で行うことが、共同体に対する誠意というものだろう。うたのためにも、俺は俺自身の働きを持って、村に尽くそう。
縁壱は、自分が何かしらの特別な力を持って生まれたのだと、このときには自覚するようになっていた。
うたという客観的な存在を通じて、自分の能力の特殊性、特異で高度な異常性について、ようやく理解が及ぶようになっていた。
それでもなお、世間を変えるには足りないこと。できることはせいぜい、村社会の中で労働力を提供するくらいがやっとであること。
長じて個人的武力を発揮できるようになったとて、一人の働きで数百人を数える村人全員を食わせることなどできないことも、縁壱にはわかるようになっていた。
顔見知りの村人も増えた。彼らを助けられるなら、できることはしてあげたいと、そう思うくらいには親近感を覚えている。
「縁壱! 伊右衛門さん家で、牛が溝に足を取られて困っとるらしいんじゃ。若衆も呼んでいるが、お前さんが手伝ってくれたら、もっと早く助けられる。ついてきてくれるか?」
思考に集中していても、気軽に声をかけてくれる村人がいる。縁壱は、こうした人々にこそ、真摯でありたいと思っていた。だから、即座に反応する。
「わかった、やろう。――場所は?」
「案内する。頼む」
「俺は新参者だ。もっと働いて、村のためになることをしたいと思う。これからも気兼ねなく頼ってほしい」
「ありがたい。縁壱は力が強いし、大人びていて頼りになる。うたとの仲も、この分だと早々に認められるかもしれんぞ。とにかく、ありがたい!」
「……なら、いいが。ーーよし、行こう」
村人からの評価に、縁壱は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。
とにかく仕事の時間である。縁壱は快く受け入れて、ただちに動く。今となっては、縁壱は村人にとっても貴重な労働力となっていた。
うたが縁壱を呼び込んだ当初は、彼自身身寄りの証明できない子どもであったこともあり、胡乱な視線で見られることも多かった。
しかし、実用に際しての有用性を一貫して示し続けていたからこそ、縁壱は村に受け入れられるようになっていた。うたですらこれを予測して受け入れたわけではないから、村の指導者層にとって、これは嬉しい誤算だったのではないか。今になって、縁壱はそう思う。
――しかし、この程度なら容易いことだ。何事も、力技でどうにかなるなら、この世はもっと行きやすいものであったのだろうが、残念ながらそうではない。俺にできることなら、なんでもしてやろうという態度を、これからも維持していこう。村の一員になるということは、おそらくそういうことなのだ。
そして縁壱は期待通り、若衆と共に牛の足を溝から持ち上げて、ぬかるんだ地面から救い出すことができた。
彼の体躯はまだ成人には及ばないが、その力は並外れていた。共同作業を行っていた村人が、彼の力を頼りにするところまで、すでに信頼を得ていたのである。
「ありがとよ! うたには、またよろしく言っといてくれ。うちの家内も、うたは働き者で助かってると、いつも言うておるでな」
「はい。……そうします」
縁壱が信頼を得た背景には、当然ながら、うたの存在があった。彼女が縁壱を受け入れてくれなければ、彼自身が共同体に属することはなく、驚異的な身体能力のままに信濃の地を駆け続けていたことは疑いない。
そうして、どこに行き着いたか? もはや、想像すらできぬことである。信濃を超え、越後に至ったとして、どうなったか。楽観的な未来は、おそらく訪れなかっただろう。そうした意味でも、縁壱はうたに感謝していた。
ーーよくぞ、俺という個性を認めてくれた。よくぞ、俺をこの村に留めてくれた。うた、俺はいつでも感謝している。
言葉にするのは恥ずかしいと言うか、口に出すと不純なものが交じる気がして、縁壱は未だに純粋な感謝をうたに聞かせていない。
ありがとう、と言ったことはある。助かった、頼りにしている、という言葉も言ったことがある。
『お互い様、じゃ。うちの村では、それが当たり前で、縁壱にもわかってほしいと思う。村の一員になるっていうことは、それを本当にやって、みんなに認めてもらう。そうしたことの積み重ねだと、私は思うんよ』
そして、うたはいつでもこう返すのだ。当たり前だ、と。こうした態度を取る同世代の異性に対しては、特別な言葉で返してやりたいと、縁壱なりに思うところもあるのだった。
もしかしたら、こうした特別視をやめたとき、それがほんとうの意味で縁壱がうたと家族となれるときなのかもしれない。
そんな風に思いながらも、縁壱は日々を過ごしていた。そしてある日、うたの家にとっては遠縁の人、村の外の人と接する機会があった。
まさにその日こそが、縁壱にとって後の運命を決めた日であり、彼が自身の使命を知るための最初の一歩であったのだろう。晩年に振り返ったとき、まさにそう評価されるときを、彼は迎えていたのだった。
「縁壱、いるか? ーーおお、うたも」
朝方、朝食を終えて働きに出ようとするときに、うたの家に客が来た。村の若衆の一人である。
縁壱とは顔見知りであるというだけで、特別な付き合いはないが、うたにとっては幼馴染だ。用事があるなら、一時を割いて話を聞くことくらいは、当たり前にする仲だった。
「なんかあった? 寄り合いの日はまた今度じゃったろ? 今日なにかあるとかは、聞いとらんよ」
「おお、そっちじゃなくてな。最近、なにかと物騒じゃろ。若衆でも見回りくらいはやっとるが、近隣の村々で協力しようっていう話が出ておってな。ーー今日の夕方辺り、縁壱を借りられんか? 紹介したい人らがおるんじゃ」
そこで出た名こそ、縁壱の人生を決定づけることになる者である。彼は今、人づてにこれを聞いた。
「名前はなんじゃったか、ああ。……確か、煉獄誠二郎、と言ったと思う。聞き覚えのない名じゃが、一応は武家の人であるらしい。頼りになるかどうかも知らんが、信濃と上野の間で、警備をしてくれるらしくてな。こうやって、顔を売り歩いているーーとも言うておった」
「へえ。……縁壱さえよかったら、行ってきたらええよ。顔見せに付き合うくらいは、余裕もあるじゃろ?」
うたにまで促されれば、縁壱としては断る理由はない。
もとより、体力は有り余っている。若衆として公共の場に出ていくことも、村の一員としてあるべき姿だろう。
「わかった。俺の他にも、誰か行くのか?」
「若衆のみんなに声をかけてるから、だいたいは行くんじゃないか? 大きな声じゃ言えないが、物騒な話はいつでも転がっとる。これがなにかの役に立つなら、ちょっと顔を貸すくらいは大したことじゃあるまいーー」
鬼殺隊という形で関わるまでには、今少し時間が必要になるとしても。
その前日譚として、縁壱と彼らの間には、こうした関わりがあった。今回の件は、それを象徴する出来事であったろうーー。
農村も武家も、年月の流れは同じ。富岡との婚約の後、投資と開発の月日を経て、上野国と継国家は発展した。
関係を築いた富岡家もまた恩恵をこうむった結果として、今では従属的な繁栄を享受している――というのが、両家の婚約以後の趨勢と言ってよい。
婚姻においては継国が主であり、富岡が従であるという認識は、経済的政治的部分においては、確かに事実であった。継国は馬借の元締めとしての地位を、近年はさらに高めており、その恩恵に預かるものは多い。その結果として、政治的な発言力も増しており、当主景勝はついに名目上の主たる上杉家に対して、およそ三年、不戦期間の約定を結ぶことが出来たのである。
具体的に言うならば、『お前たちは三年の間、いくさに出なくて良い』という約束をし、この明文化した書状を自家で保管することを許されたのである。
この瞬間を確認したときーー継国景勝は、ほくそ笑んだ。そして次代への流れを作り出せた実績に、人知れず涙すら流したのである。
ーーこれで、巌勝が元服するまでの時間は稼げる。私の政治力とその実績によって、継国家は栄光ある武家としての地位を認められたのだ。
景勝のこうした喜びを、理解できるものは少ない。山内上杉家に対し、ここまで譲歩させた国人が、継国の他にいようか? いや、他に類を見ない例であればこそ、この実績の大きさがわかる。
戦国の世においては、主家が命令を撤回することなど、当たり前にある。だから完全な安心はできないが、それならそれで主家に負い目を作らせることが出来よう。景勝は、書状の価値を正しく見積もっていた。
明文化されて政治的権威が保証されたものは、正当な権利と資格を持つ。これを継国家が得たということは、決して小さくない変化だった。
「不戦期間の約定に、富岡の連中も入れてやった。上杉から古河の方に通達してくれるというのだから、ありがたい話だとは思わんか? 平助」
山内上杉家と古河公方は、長年の対立の過去がある。しかし同時に、足利幕府を権威の根拠としているという、同族意識もある。
殴り合った後に和解する道は、いつでも存在しているのだ。完全な滅びを防ぐためにも、こうした狡猾さは武家に必要なものである。今回は、継国と富岡の関係筋から、両家は結びつきを強化していくことにしたらしい。
こうした背景を、平助はなんとなく悟った。それならそれで結構なことだと、口を開いて肯定する。
「……あちらはあちらで、武名を必要とはしているでしょうが、不安もある。三年の時間稼ぎの恩恵は、我らよりむしろ富岡の方に利があるでしょう。これを恩に思ってくれるなら、いいのですが」
「心配することはない。富岡秀光は、有能な男だ。こちらの意図を汲めないような馬鹿なら、『余計なことはするな』と、抗議の文を寄越してもいいはずだが、それもない。我々は、上手にやっていける。まずはその結果を喜ぼうではないか」
「ならばーーはい。それは、確かに」
景勝は、これを平助と共に喜ぶことを選んだ。厳格で狭量なところもある、気難しい人間ではあるが、頼りにするものはある。
自室で書状を確認したら、即座に平助を呼びつけ、これを読ませる。そのうえで感想を求めるのだから、武家の当主らしい横暴さとも取れるがーー平助はこれを景勝なりの稚気の発露と考えた。
「そもそも、恩は感じさせるものではない。押し付けるものだ。あちらは自覚しているだけに、拒否もできぬ。婚姻を済ませた後は、これは巌勝の仕事になるがーー後継に不安があるのなら、巌勝の次男あたりを富岡にやっても良いな」
「おっと、あちらのお家騒動に干渉するのは、流石にやり過ぎではありませんか? そこまでやってしまえば、かえってこちらの腹黒さを非難されかねません」
話が飛びすぎている。それを平助は指摘したが、景勝は気分を害したようでもなく、まくしたてるように話を続けた。
「あくまで、これは一例だとも。匂わせるだけで、富岡に対する十分な牽制になる。嫁の実家とは言え、油断していい相手ではないからな。ーー巌勝はあまりに純粋すぎ、実直過ぎる。武士としてはそれも美点だが、狡猾さも備えてこそ武家の存続がなるということを、そろそろ覚えねばならぬ歳だ。不安といえば、それくらいであるが……武家の本質とは、卑怯卑劣を受け入れた先にあるということを、理解せずには生き残れない。そうした世の中であるということを、実感させねばならぬ。それだけが、心配なのだーー」
「お気持ち、お察しいたします。しかし、ご安心ください。巌勝には、この平助がおります。貴方と同様に、巌勝に仕えましょう。継国家の武官筆頭を信頼なさるのならば、余計な心配は不要にございます」
最近、とみに老いを感じさせる場面も増えたと、平助は敏感に感じ取っていた。人は、老いれば幼子に戻る。そうした傾向があることを、彼は知っていたのだ。
景勝は、まだ四十代に入ったばかりである。老境とはとても言えない年齢だが、生来頑強とは言えない肉体に、精神的な労苦も重なっている。
心が老いれば、体にもそれは現れる。二年前にはなかった深いシワが、景勝の顔に刻まれていることを、平助は観察するしかなかった。
「おお、そうか。そう、言ってくれるか」
「ええ、ええ、重ねて申し上げます。どうか、ご安心を。この平助の目が黒いうちは、継国家の衰退など許しはしませぬ」
「信じよう、どうか、巌勝を頼むぞ。お前ならば、いや、お前だけが、誠に信頼の置ける臣下だ。お前という臣下を、あれに相続させることができる。その幸運を、私は実感しているとも」
景勝の言葉と態度に、どこか焦燥を感じ取っている平助であるが、無理もないという諦観をも同時に覚えていた。
景勝は妻の朱乃を失ってから、後妻を迎えようともしない。相手を選ぶことさえ出来るのに、彼は朱乃以外の女性に興味を持とうとはしなかった。これは、朱乃への愛に殉じようという、個人的感情の発露でもあったろう。
そうした繊細さを抱えて、酷薄な戦国の世を渡り切るのは、どれほどの苦痛であったのか。平助には、なんとなく察することしか出来なかった。
ーー哀れな人だ。朱乃様を失ってからは、景勝殿は必死に働いた。家のため、次代のためというよりは、犠牲にしてしまった妻のため。あの人なりに妻の死を受け止めた結果が、寿命を費やすほどの激務と、継国家の飛躍なのだ。
そう思えば、なんと純粋な愛情の持ち主であろうかと、感激することも出来なくはない。肝心の長男に対する、歪んだ愛情を考慮に入れなければーーとただし書きはつくのだが。
景勝の、巌勝の暴力は未だに止んでいない。巌勝は景勝を恐れずに直言する癖が出来たようで、近頃は特に顕著であった。
反抗を覚える年になったのだな、と平助は鷹揚に構えているのだが、景勝はこれが癇に障るらしく、暴言や暴力を持って巌勝に接することも、少なくはないらしい。
とはいえ、成長するにつれ、腕力や武力において、もう巌勝は景勝を圧倒している。景勝の張り手、拳骨に対して、巌勝はもう恐れることがない。
適当に流して、殴られるふりをすることも、上手になっていた。平助は、巌勝の体の心配をやめて久しいのだが、問題は別のところにあった。
「巌勝は、身体的には明確に優れています。長ずれば、間違いなく一廉の武士になるでしょう。戦働きは常人を超えること、疑いないと考えます」
「そんなことは今更疑わぬ。問題は武略、政治についてだ。こればかりは、教えて理解できる部分は少ない。人間の感情、世情の浅はかさというものを、実務を通じてわからせてやらねばならぬ。それでも理解できず、家を潰す武家のなんと多いことか! 私が案じるのは、巌勝の美点が、かえって家を損なう理由になってしまう事態ーーそれが起きてしまうことだ」
「……ご心配は、ごもっともでありますが。そこは、私を信頼していただきたい。継国家の武官筆頭が、全てお引き受けします。巌勝は、私を活用することを躊躇いませぬ。それくらいには、信頼も信用も重ねてきたと確信しております」
「ーー頼む。お前だけが、頼りだ」
これである。平助は、景勝が衰えたことを、この場で実感せねばならなかった。
本当は、こんな風にあからさまに弱音を口にできる人ではなかったはずである。直接的な追従など、素直に受け入れられない気性の持ち主だったはずである。
それでも今、こうして不安の解消を求めるほどに、おそらくは衰えを自覚してもいるのだ。頼むと、頼りだと口にするのは、それゆえであろう。
だからこそ、平助は彼の臣下として、その信頼と恩情を受け続けたものとして、最大限の保障をする義務があるのだ。
御恩と奉公の関係とは、実利だけではない。精神的なつながりによっても成立する。信頼には信頼を返すことが、武家の道理というものだった。
「お任せを。ーーしかし、まだまだ景勝殿は現役を張れる年齢です。今から老け込みそうな言葉を、あえて使うこともありますまい」
「そうか。……そうか? 私はそこまで、老け込んでいるように見えるか」
「はい。僭越ながら、そのように申し上げます」
ここでようやく気付いたとばかりに、顎に手を当てて考え込む。そうした景勝の態度から、平助は目を逸らした。
その実務能力だけは研ぎ澄まされながらも、老いの実感が難しい。この主君の姿を直視することが、彼にはできなかったのだ。
「ふむ、それはいかんな。少なくとも、巌勝と智子殿の婚儀を見届けるまでは、絶対に死ぬものかと決めている。ーー不戦期間の約定を求めたのも、本音を言うならばそれが発端でな」
「いくさともなれば、私が出れば、まあ義理は果たせましょう。しかし当主不在のいくさとなると、どうしても気が緩む部分もあります。補佐しきれぬ己の蒙昧さを、恥じるばかりでーー」
「まだまだ私に当主の座を温めていろと、そう言いたげだな、平助? もう、いくさに出られるほどの元気はない。もとより、武名などとは無縁であった私だ。そちらの活躍は、お前と巌勝に譲ろう」
長生きする気を起こさせようと、平助は言葉を尽くした。そうした気持ちが伝わったのか、景勝も改めるように言った。
「お前なりの懸念もあろうが、もう、よい。それより、前を向くことだ。……不戦の三年を、これからどう活かすかが問題だ。富岡を我が家の事業に組み込んで、関東の流通を差配する立場になるのが最善であるが、おそらくそこまで上手くは行くまい。それでも上野の中で、突出した経済力と政治力を持つことは出来ると私は信じている」
「他家の嫉妬を買いますかな? いえ、問題は治安の悪化ですか。上野に富が集まりすぎるのも、また良くない。上野を盗賊どもの草刈り場にはさせたくありません」
「その盗賊共に、どこの武家の紐がついているかもわからんからな。治安の維持は、最優先事項だ。ーーお上の黙認だけでは、もはや足りなくなるかもしれん。不戦の間、富岡の武力を遊ばせるのももったいない話だ。ここは、頼らせてもらうとしよう」
信濃と上野の境では、この手の強奪行為がよく報告に入っている。
貧困からの行為であれば、まだよいが、何かしらの意図があっての行為であれば、話は難しくなる。景勝は、まずそれを懸念した。
「婚姻により、つながる両家でありますれば、助け合うのもまた当然。……顎で使うような、傲慢な振る舞いに見えぬよう、扱い方には気をつけねばなりませんな」
「もちろんだ。ーー経済的な従属を、当人たちには気づかせないことが重要だ。そのうえで、富岡の武力を有効に使う。こちらで雇いあげている連中もいるが、思ったよりも戦力の調達がうまくいっておらん。商圏の拡大に、体制の整備が追いついていない現状を、ゴロツキ共に乱されるのは正直不快だ。権威も、人脈も、利用し尽くさねば生き残れぬ」
「逆に言えば、利用し尽くす環境自体は、揃っております。運用さえ誤らねばーー継国の飛躍は、もはや約束されたようなものでしょう」
二人はこうして、今後の戦略を練っていった。その中には主家を巻き込むものも当然のように検討されており、あらゆる手段が、そこには加えられていた。
つまり継国家の上野における経済的優位を揺るがすには、武力や実務能力だけではなく既存の権威への挑戦、そして常に更新されてゆく戦略にも対応せねばなるまい。
これを吹き飛ばすには、よほどのことーー圧倒的な武力であるとか、理不尽な災害が必要になるだろう。
継国家の将来は、まず、安泰であろう。そのような確信の中に、二人はいたのであったーー。
まず順調であると言ってよい、継国の伸長に対して、富岡のそれはやや厳しい。特に商業方面に関しては、確実に収益を挙げられる手段と事業を持たないがため、富岡の成長は継国次第であると言うしかなかった。
この点について、当主富岡秀光は、毎夜頭を悩ませ続けていた。領地の見回りに馬を駆っているとき、外部での折衝に赴くとき、そして自室で書状に向かい合っている時でさえ、彼の頭は自家の将来についての懸念で一杯だった。
ーー継国家の働きを、余計だとは言うまい。あちらの婚約の申し出に飛びついた、こちらにも非がないとは言わぬ。だが、ここまで一方的な展開を強いられたのは、あちらに戦略的な優位を維持するだけの実力、そして運があったことを認めざるを得まい。
この優位を取られた以上、富岡家は両家の婚姻に対し、従属的な立場になってしまうことは避けられない。そもそも富岡家の成長は、継国家以上に難しいという、政治的事情もあった。
それは、富岡家が古河公方とってやや複雑な立場にあることに起因する。富岡は確かに古河公方の傘下にあり、公的な主君であると言える。
しかし直接的に従属しているのは「赤井氏」であり、赤井氏の旗本として戦功を上げ、名声を得ているという実態があった。それでいてこの赤井氏への従属は依存ではなく、名目上のものというのが現実であった。
ーーだからといって、富岡が従うだけの兵卒であったことは、一度もない。我々は血統の正しい、武家の家系である。結城家から続く、伝統ある武士の家を、私は今、継いでいるのだ。この責任に見合うだけの功績もある。それは、否定させぬ。
実際に小泉城という軍事拠点を持ち、軍事的功績にふさわしい領地を統治しているのが、上野富岡氏である。富岡が赤井に従っている形を崩さないのは、武家としての面目を重視しているからにすぎない。そして古河公方も赤井氏を飛び越えて、富岡に直接書状を送ったり、助力を求めることもある。これが公然として許されているのが、富岡という家であった。
二つの上司を持ちながら、上手に地位を保つには、実力以上に立ち振舞いにも気をつけねばならない。
富岡秀光もまた、老いて健康を損ないつつあるが、未だ威厳ある当主として、権威を維持している。家臣、家族もまた、そうした秀光の権威を頼りにしている。
彼は、孤独であった。この意味でも、継国景勝と比べて、環境に恵まれていないと言えるだろう。
景勝における平助の如き存在を、彼は持たなかった。幸運に恵まれなかった、という一言では済ませるには酷なほどに、両家の間には差が生まれている。
ーー手が足りぬ。そして、時間も足りぬ。私は、どれほど生きられるか。刀を振ることは出来る。馬に乗ることも、不足はないだけの力は未だに有している。だが、武勲を重ねるだけの力強さは、もはやない。息子が成長するための時間の確保は、何よりも優先すべき事柄であった。
自らの老いを、秀光もまた実感していた。だからこそ、継国の下風に立つことを許容してでも、彼らが主導した不戦期間の約定に、自家を巻き込ませたのだ。
秀光の認識としては、継国も富岡を重視していればこそ、時間の確保を共有した、と思っている。
三年の不戦は、極めて重い時間である。それだけの間、内向きに時間と資本を投資できれば、発展の土壌開発は大きくなる。それは富岡よりも継国に経済的恩恵を施すであろうが、政治的には継国よりも富岡の方に恩恵が大きいこともまた、事実であった。
秀光の息子、継子たる富岡秀信はまだ元服すらしていない子どもであった。三年後においても、まだまだ未熟なままであることは確かだが、取り繕うことを覚える程度には成熟する。
真面目な守役をつければ、戦場に立たせるくらいは、なんとか出来るだろう。それだけの時間稼ぎが出来るというだけで、一時的な従属関係は許容する価値が出来る。それを、秀光は素直に認めていた。
ーーしかし、覚えておくぞ。継国に、傷がないわけではない。富岡に、希望がないわけでもない。いずれ、機会があればお前たちに成り代わってやる。それくらいの気概を、我々は持っているのだ。そうした狡猾さを、私は秀信に教えてやる。武家の継承とは、それを持って完成するのだと、後世の者たちに教えてやろうーー。
景勝には景勝の悩みと希望があるように、秀光には秀光なりの懸念とその解消方法がある。
地域に根ざす武家同士は対等であり、だからこそ狡猾さを発揮する余地がある。表面上は笑顔で結びながらも、足元では大人気なく蹴りあって争うことが常態化していたという時代背景がある。
政治的には協働しながらも、水面下では対立し合うという矛盾。婚姻を結ぶほど付き合いを深めつつも、裏切って利益を独占することを検討する狡猾さを持つこと。それが許容する社会が存在すること自体、戦国時代における、人間関係の複雑さを示しているであろう。
景勝も秀光も、そうした時代に適応して動いている。巌勝が、智子が、そして縁壱がそうした時代において、どのような軌跡を残すのか。
示されるのは、これからのことである。当人たちをよそに、ただ環境ばかりが整えられていった。
武家と武家との関係は、どんなに単純化しても当時の倫理や利害関係からは逃れられない。権威が破壊され、下剋上が容認される時代においては、なおさらであったろう。
この酷薄な環境の中で、互いに争い合うことが宿命付けられていること。戦国時代の残酷さとは、まさにそうした部分にこそあった。
その影で、鬼どもは蠢動する。人間社会に寄生する、無法な動物の存在が認知されるのは、まだ先の話であった。巌勝らがこれを知ったときには、なにもかもが手遅れであったことを鑑みれば、まさにそれこそが真なる時代の残酷さであったのかもしれないーー。
常のことですが、見直しが不十分なまま投稿しているので、読者の皆様からのご指摘は、ありがたく思っています。
もし、何かしらの違和感を覚えたなら、感想のついでに指摘を付け加えてくだされば、修正していこうかと思っています。
もしよろしければ、今後も物語を見守ってやってください。
当たり前の話ですが、感想は強要されるものではありません。何も言わずとも、目を通してくださるだけでも、私はありがたく思っています。
では、また。次も、来月の投稿でお会いいたしましょう。