継国之物語   作:西次

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 冒頭で不躾なことをお伝えすることを、まずはお許しください。

 毎月投稿はそろそろ厳しくなってきたので、不定期更新にしようかと思います。

 別名義でXでの発信もやっていますので、そちらの活動にもリソースを割きたくなりました。
 反応も読者も少ない様子なので、自分なりに色々と試したいこともありますし、そちらを優先させていきたいのですね。

 数少ない、貴重な読者の皆様には申し訳ありませんが、ご理解いただければ幸いです。



第二十六話 富岡から見た継国とその発展

 

 富岡秀光は、自らがほどこした策略の結果を、満足げに受け入れていた。

 継国家との婚姻は、異常なほどに富岡の利益となった。婚約の段階から馬借の一団を惜しげもなく提供してくれたおかげで、上野の流通に関わる契機を勝ち取れた。これが第一。

 使い道の難しい、気の病んだ娘を無難に処理できたこと、これが第二。

 そして継国家が両上杉と古河公方との折衝を担当してくれるおかげで、それを利用して富岡も人脈と外交の手段を広げることができた。これが決定的な第三の利である。

 

――たとえ名門の血筋でも、小勢力の国人として生きる他ないのが、我が富岡である。どこが勝っても生き残れるよう、手段を講ずるのはもちろん。勝つときは認められやすい形で活躍し、これを主張することができねばならぬ。

 

 その意味では、どこにもいい顔が出来る立場というのは、便利なものである。三勢力をつなげた継国の舅(しゅうと)――という己の立場は、どこに顔を出すにも理由が付けられる、絶好の位置とも言えた。

 富岡秀光は、こうした環境を自覚していたから、最大限利用するつもりで動いている。結果として、生気がみなぎるような働きをしているし、これまでにないほどの生きがいを覚えながら仕事ができているのだった。

 継国との婚儀に参加するのも、我が家にとって関係を維持するため、自ら足を運ぶ価値を認めたからである。補足するならば、娘へ釘を指しに行く、という目的もあった。

 

 騎馬の一隊を組織して、自らも騎乗しながら、富岡秀光は富岡との婚儀に向かう。武備を示しながらも、過剰ではない一線。それを主張しながら出向くことが、彼なりの誠意であった。さらに、騎乗する馬は継国が提供したもの。これもまた、富岡からの親愛の演出である。

 

――しかし、ここらの道も、ずいぶんと広くなったものだ。轍(わだち)の後も、はっきり残っている。頻繁に馬借が行き来している証拠であろう。これもまた、継国の力か。

 

 富岡の城を出て、街道を進み、国部村へ。その道程を自身の目で確認しながら、秀光は上野の発展を改めて自覚することになった。

 街道の広さと頑丈さ、馬車の轍の跡は交易の頻繁さを示し、治安と物流が安定していることも示している。外出するだけで、それくらいのことを読み取れる程度には、上野は明らかに変わっていた。

 これを成したのが継国とその郎党であると思えば、舅としても誇らしくはある。あるが、同時に秀光は武家の男である。

 敵に回したとき、これがどれほど厄介な結果となるか。どうしても考えてしまう。流通を抑えられている以上、明確な敵対行為は荷留め、市場からの締め出しを喰らうことになる。

 軍需物資の調達に支障をきたすため、長期戦はできない。攻めるにも守るにも、厳しい制約を課せられよう。かといって、短期決戦で単純に殴り倒されてくれるほど、継国家はもろくはあるまい。そう思えば、やはり敵とするより味方とする方に大きな利がある、と富岡秀光は結論づける。

 

――今は、望んで敵対するつもりはない。だが娘の嫁ぎ先など戦国の世ではなんの保証にもならぬ。縁をつなげる口実とはなるが、婚姻同盟は防衛同盟として正しく機能することは、あまりない。そこまで考えると、富岡が継国に経済的に従属するというのも、愉快な未来ではないものだが……さて。

 

 婚姻は相互の同盟でもある。明文化こそされていないが、富岡が戦場にて助力を請えば、継国はこれに応えるのが誠意ある態度となる。

 派兵そのものは、当たり前にやってくれることが多い。しかし、敗北しても滅亡の間際まで付き合ってくれるかと言えば、流石にそこまで律儀にやってくれる例は少ない。

 古典に置ける張耳と陳余のように、理屈をつけて援軍を渋るというのが、実際の同盟の現実であろう。秀光は、そこを過剰に評価してはいない。

 

 だから富岡と継国との同盟も、いずれかが存亡の危機に至れば有名無実と化する。そうしたことを、彼自身考慮していた。

 しかし、結論はと言えばそれでも富岡は継国との縁を切れない。継国の方から切ってこない限り、ぎりぎりまで利用する価値がある――と。そのように、結論付けねばならなかった。

 

――そして整備されているのは街道ばかりではない。物流を動かしている馬借どもは、輸送のさなかでさえ馬を休ませる必要がある。定期的な休養のための宿場町、これを作り整備したのも、継国家だ。

 

 馬借のための宿場町も、ここ三年の間にかなり整備されていた。馬を休憩させ、食わせる設備が道中に作られている。流通が活性化するには、こうした要素も不可欠である。

 秀光自身も、こうした設備を利用しながら、継国家に向かっていた。改めて継国家の経済力に感嘆と恐怖に近い何かを感じながらも、国部村に到着する。

 そして案内に従って継国の家に向かったのだが、秀光には違和感ばかりがあった。

まず、城らしい城が見えない。いや、本当にないのだと理解すると、その構造に秀光は驚いた。

 

――城ではないのか。本当に、ただの屋敷と蔵があるばかり。敷地の内と外を分ける壁こそあるが、城壁などとはとても呼べるものではない。継国家は、あれだけの経済力を持ちながら、城を持とうとしないのか……?

 

 国部村の防備そのものは、確かに整えられている。門番に立っていた村人たちは鍛えられており、巡回の体制や武装を見る限りでも、決して素人ではない。

 日常的に、兵としての鍛錬を続けていることがわかる。農作業に出ている男たちも、遠目に見れば統制が取れており、立派な体つきをしている。郎党全てをきちんと食わせ、働かせていることができている。この凄まじさを、富岡秀光は理解した。

 

――本来、継国ほどの規模の家ならば、象徴としての城を立てることすらできよう。それをしないのは、領民に負担をかけないため。領民たちとの信頼と忠誠、それに練度の高い部隊があれば、城に頼るより地形と機動で敵を振り回したほうが、よほど効率的に防衛、撃退できる!

 

 兵に不足はない。物資もある。蔵は純粋に貯蔵のためであろうが、馬の扱いに長けていることを鑑みれば、不測の事態でも馬車で運び出すことができるだろう。

 そして兵の練度と忠誠が本物であれば、城にこもるよりも散開して遊撃するほうが、長期間しぶとく戦える。

 それを想定した訓練もまた、行っているのだろう。秀光が知る継国の武官筆頭は、日常的な訓練を怠るような無能ではない。城がないということは、城を必要としない仕組みを作っているはず。

 そうしながらも継国の権威を揺らがせぬよう、あらかじめ村民からの忠誠を勝ち取っている、統治の巧みさ。秀光は、そこまで洞察し得たのだった。

 

――継国家がいくさに出るとき、彼らは迷うことなく武器を手に取り、付き従うだろう。経済を後ろ盾に、鍛え上げられた郎党を背景に、継国巌勝は戦場に出ることになる。

 

 上野の情勢を、秀光は把握している。北条との決戦は、おそらくまだ先になるだろうが、その 時までにどの程度を戦力を揃えられるか? それ次第では、先陣をきることも、おそらく不可能ではあるまい。

 継国が北条との戦線に置ける、鍵を握ることになるかも知れぬ。まだ可能性に過ぎないが、現実的に選ばれることも、なくはないだろう。

 

 だが、それには政治力も武力以上に必要になる。そこを、富岡が埋める――という形で、自分が外交の中心に座るのも悪くない。そこまで、秀光は考えていた。

 さて、次代の当主たる継国巌勝に、そこまで入れ込む価値があるか? 大事なのは、そこである。富岡秀光は、投資の対象を確認するために来たのだ。今回の遠出は、それが大きな目的の一つであったとも言える。

 

 屋敷の中にまで通されると、秀光は早々に武官筆頭たる平助と面会した。互いに挨拶をして、今後の日程を確認する。

 

「では、明後日にまた、婚儀の場にて。……本当に、よく来てくださいました」

「ああ。智子に会っておきたいのだが、今どこにいる?」

「この時間帯でしたら、巌勝の部屋にいるでしょう。仲良く、書物と向き合っているかと思います。――人をやりましょう。舅御ならば、気兼ねはいりません」

「いや、呼び出すには及ばぬ。わしも、巌勝殿の顔を見ておきたい。部屋に案内してくれまいか」

 

 この場合、どちらが非常識かといえば、秀光の方である。婚儀を前に、舅が娘と会いたいというのは、気持ち的に理解はできる。

 だがこれから夫婦となるであろう二人の場に、父親がわざわざ出張ってくるのは、どう考えても空気の読めない行いである。

 人をやって呼び出すと平助が言っているのだから、穏便に済ませるのが親として正当の振る舞いであろう。だが、秀光はそれを無視して自ら進んでいった。平助とて、ここまで強硬に出られるのならば、内心はどうあれ追従する他ない。

 

 富岡との関係は、継国家にとっても命綱たりえる。だからこそ、多少の無茶振りは許容せざるを得なかった。

 そして富岡秀光は、継国巌勝の部屋を前にしていた。ふすまの奥から、二人の声が聞こえてくる。

 

「ふふ、そこは解釈が異なりますね。わたくしとしては、詩経は漢文で漢字だけを見つめることに意義があると思うのです。声に出すのは読み下しで結構ですが、文を絵として見て、その文字列の妙に美しさを感ずる。そうした見方も、いいと思うのです」

「……そうした態度を、否定するものではないが。詩は、役立ててこそ、だろう。詩に対する美観は、尊重する。だが、詩をどれだけ多く覚えても、それを外交などで活用できねば……やはり、むなしいものだ。孔子も、論語でそのように語っていた……だろう? 教養は、実用を兼ねればこそ、価値を持つ。私は……そう思えばこそ、詩経を持ち上げる風潮には、意義を呈したいと思うものだ」

「――ええ、ええ! 巌勝様は、それでよろしいでしょう。よろしいでしょうとも。ですから、どうか。わたくしの考えも、考慮してほしいのですね。それが、夫婦になる男女の、思いやりというものではないですか。私がそれを求めて、悪い道理がありますか?」

 

 楽しげであり、娘は女の声をしていた。沸騰する怒りを、あえて秀光は抑えねばならなかった。

 

――お前は所詮、あの女の娘か! わしが押さえつけねば、感情を制御すらできぬ、不完全な性の女め。これは一つ、釘を差しておかねばなるまい。

 

 秀光は個人的感情を、表面に出さない狡猾さを備えている。だから平助がふすまの前から声をかけ、秀光の入室を求める過程も無表情のまま待っていた。

 ふすまを開き、二人の前に出たときも、舅としての体裁を保つことが、彼にはできていたのである。

 

「さて。……初めて、お目にかかる。富岡が当主、秀光にござる。 ――巌勝殿には、我が不肖の娘の伴侶となってくださることに、深く感謝する。よくぞ、娘を受け入れる決断をなされた。舅として、まことにありがたく存ずる――」

「これはご丁寧に、こちらこそありがたく。……継国、巌勝と申します。舅殿には、これからもよろしく、お願いいたしたく思いまする」

「結構。未熟で愚かな娘であるが、どうかよろしくお願いしたい。――歓談の中すまないが、親子の時間をとってもよろしいかな?」

 

 智子に視線を向けながら、秀光は言った。巌勝としては、当然の礼儀として、拒否するという選択肢はない。

 智子もまた、笑顔を保ったまま、巌勝の言葉を待っている。その態度が見えたから、なおさら拒むべき理由は見出せなかった。

 

「智子」

「はい」

「よいな」

「はい」

 

 智子の笑顔が、凍りついていた。そうした印象を、巌勝は覚えていた。

 それでも父親が娘を連れ出す行為を、押し留めようとは思わなかった。

 

――親子であるのだ。私が、あえて……割り込むことも、あるまい。舅御の立場も、考慮してや らねばならぬ。

 

 自分の態度には、間違いはないはずである。武家の男として、そこは確信を持っていた。 

 だが、智子の伴侶として、これから彼女と結婚する男として。

 どうにも言葉にしがたい違和感を、巌勝は感じ続けていた。それは明確な違和感として、彼の精神にこびりつくのである。

 巌勝とて、父から暴力を受けて育った身である。智子が父を信頼しきれない気持ちがあったとしても、それを咎めようとは思わない。嫌なのに逆らえなかった、というのであれば、後で愚痴でも聞いてやればよかろう。

 秀光も、まさか外出先で下手なことはするまい。心配することはないのだ、と巌勝は自分に言い聞かせる。

 

――どのような話をしていたか、秀光殿に後で聞いてみようか。舅御の娘への接し方を通じて、見えるものもあるだろう。私は、智子を理解せねばならない。親子関係から、直接感じるものも、私は体験しておきたい。

 

 巌勝は、富岡家を尊重する態度を取る。それは当主秀光に対してもそうであり、当たり前の気遣いとして実行するものである。

 彼の中には、両家の将来があった。継国と富岡が、当然のように一体となることを、疑うことすらしなかった。

 そうした純朴さを、智子は高く評価し、救いすら見出している。だが、巌勝は知るまい。富岡秀光の狡猾さと、娘に対する無情さを。

 

 彼は娘を廊下に呼び出して、歩きながら語った。秀光とその一行には割り当てられた宿舎があり、そこに至るまで娘を伴うという行為は、そこまで不自然に映らない。

 婚儀を前に、念を押すために親子の時間を取ったのだとしたら――武家のものとして、むしろ肯定すべきことであった。

 

 会話をしながら歩いていたとしても、親子の雰囲気があるために、他者からの注意を必要以上には惹かないという形式も整えられていた。だからこそ、ありのまま、露骨に秀光は智子に語りかけるのである。

 

「わかっているな」

「はい」

「お前は、我が妻の娘だ。ゆめゆめ、心せよ。無礼を働くことは、許さぬ」

「はい」

「夫を尊重し、あらゆる場において、継国巌勝を立てることを忘れるな。それができぬ娘は、我が娘ではない」

「はい」

 

 声だけを聞けば、当たり前の親子の会話である。厳格であっても、武家らしい対話であると言えるだろう。

 だが、二人の表情を見た者が居たら、かえって違和感を感じたはずである。

 

「お前は富岡の家から、継国に嫁入りするのだ。改めて、命ずる。その事実の重さを、忘れるでないぞ」

「はい、わたしはとみおかひでみつの、むすめです。それをわすれたことは、いちどもありません」

「ならば、よい。ならばよいのだ。――お前は、わしの娘だ。我が妻のことは忘れて、眼の前の父を見よ。――本当に、わかって居ろうな?」

「はい。はい、わかっております。だからどうか、おとうさま。わたしをおみとめください。わたしを、あなたのむすめ、ははのむすめであると。どうか」

「わしはこれから宿舎に入る。継国の歓待を見せてもらおうと思っておる。お前も、無礼はくれぐれも働くなよ」

 

 親子の対話は、これで終わった。智子は足を止め、頭を下げて秀光を見送る。

 それがどれだけ道のりにおいては中途半端であり、他者からは首を傾げそうな形であっても、親子であればこそ疑義を呈しにくい空気があった。

 智子は秀光の姿が視界から消えるまで。その確信を得るまで、足を止めて頭を下げ続けていた。そうせねばならぬほどの威厳と、恐怖を、実の父親から感じていたからである。

 

――ああ、お許しください、巌勝様。わたくしは、どうしようもなく、富岡の女なのです。父の支配から逃れられない。母の不甲斐なさを知り、女として、娘として軽蔑するがゆえに、父の承認が欲しくてたまらない! どんなにぞんざいに扱われても、わたくしは父の娘なのです。あの父の、娘なのです! 巌勝様、あなた。どうか、あなた。わたくしの背信を、お許しください――。

 

 智子は、生まれながらに情の深い女性であった。良くも悪くも、母に似ていたのだと、両親も子も知っていた。

 だから、父秀光は母娘を冷遇し、支配した。母娘は教育の中で、依存的で支配的な関係を構築され、秀光の意志に縛られるようになった。これは強固であり、智子がいかに自覚しても、逃れることができない――。

 

 こうした内心は、誰も知ることがない。ただ秀光だけは、支配の実感を持っていただろう。

 富岡秀光は、智子の態度を確信していたから、娘の姿を確認しようと、振り返ることをしなかった。

 お前は富岡からの継国への刺客である。それを自覚しろと、言外に伝えていた。自身が教育した智子という娘には、それだけで十分であると知っていたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 婚礼当日は、吉日を選んでいた。供される食事から婚姻の儀礼に至るまで、月舟禅師が取り仕切る中、富岡智子が継国智子となる過程は、見事なまでに尊重されていたと言って良い。

 舅である富岡秀光も、この点は文句のつけようがなかった。何かしらの落ち度があれば、後で回収してやろうと思っていたが、流石にここで弱みを見せるほど継国家は迂闊ではないらしい。

 嫁入りさせた家として、なんとも頼もしいものだと秀光は思う。

 

――そうではなくては困る。容易くわしに屈服されるような、やわな家ではあってくれるなよ。

 

 婚儀の後の祝い酒を口に含みながら、秀光は独りごちた。彼なりの余裕の表現であり、また虚勢でもあった。

 秀光は自ら出向いた。その価値を彼自身が認めていた結果でもあるが、継国家の事情のために引っ張り出されたという、客観的な視点は否定できるものではない。

 富岡家があからさまに継国家の庇護を受け、経済的政治的利益を得ていることが明らかであるからこそ、秀光は嫁入りさせた家の大きさに自覚的でもある。

 

――智子のやつ、ようやく役に立ってくれたな。あの愚かな女の胎から生まれたにしては、まずは上出来だろうと評価してやろう。役目を果たしたならば、多少は飴をしゃぶらせてやらねばなるまい。

 

 智子の支配権を握っている、という確信がなければ。継国家の足を引っ張ることも、選択肢としてはあり得たのである。それだけ両家の格差は明らかであり、継国家の支援が富岡家の将来に必要であることを、末端の下男下女に至るまでに周知されている。

 そうした厳しい現実を、秀光に自覚させていたという構造が、まず存在していた。だが、これを受け継ぐのが未熟な子どもであったとしたら、どうだろう? 付け入る隙がありそうではないか。

 継国巌勝は、秀光にとって娘の夫であり、自身を都合の良い立場にしてくれる舞台装置でもある。愚鈍であっても困るが、賢すぎても望ましくない。ちょうどいい塩梅への調整を、彼は智子に期待していた。

 

――婚儀の前に顔を合わせて、一応の挨拶はしたが。実直でわかりやすい、ただ強いだけの武士に見えた。智子との関係を勘ぐられたようであれば、言葉の上ではいくらでも誤魔化しようはある。……知識はあろうが、実戦を知らぬゆえ、甘いのよ。継国家を背景とした義と勇を持ち、生来の智と信の資質も見受けられるが、善良すぎて吐き気がする。……こうした若者には、智子の毒が、よく行き渡るであろうな。

 

 己が背負う富岡の名を、後世に残すため。己が受け継ぐ血に誇りを持ち、我が家の権威と歴史に対する奉仕が、全ての価値基準である男。それが、富岡秀光である。

 彼の精神には、冷徹な打算があった。自分の代で、どこまで富岡家を伸ばせるのか? あるいは没落するにしても、どこまで抵抗し続けられるのか?

 こうした思考を、いつでもどこでも平然と続けられるのが、秀光という男である。自身の優位を確信していればこそ、これから打つべき布石を考えることができていた。

 

――さて、そうなると気になるのは現当主、景勝の容態だ。もし、あからさまに死にかけているなら、面白いことになる。そうであれば楽なのだが、さてどうか? 面会ができるかどうか、無理押しする価値はあるな。

 

 秀光はよりにもよって祝いの席で、その同盟相手を出し抜くすべを考えているのだが――これは、必ずしも不誠実さを示すものではない。

 不誠実を説くならば、むしろ汚点は継国家にこそある。当主の病を伏せ、継国家の不安を隠しながら富岡とのつながりを求めたならば、婚姻に対してあまりに自分本位に過ぎよう。

 

 富岡は勢力こそ小さいながらも、武門の名籍に連なるものであり、公式に認められた立場を持っている。そのつながりを得るために、情報の開示を渋ったのだとしたら、これは富岡を『舐めている』と解釈されても文句はいえまい――と、秀光は考えていた。

 実際には、そこまで厳密に問い詰める理由にはならないのだが、継国家は名門とのつながりが薄い傾向にある。ここで出し抜ければ、将来に布石になるだろう。

 これはどうしても、探らずにはいられない部分である。秀光は、時をおいて確かめることを決心した。

 

 継国家は儀式においても、歓待においても、落ち度を見せなかった。厳しい目で見れば、そうでもなかったのだが、秀光はこれから舅としての立場を利用せねばならない。

 婚儀の場において、空気の読めない振る舞いは舅としての格を下げる。よって、多少の無法を通すならば、宴の終わりごろ。気が緩みつつも、無礼講の雰囲気が残っている間にすべきことだった。

 秀光は、周囲の人を使い、平助を呼び寄せた。身内ばかりの場であるから、こうした行動は早い。すぐに、平助は秀光の前に現れる。

 

「お呼びと聞きましたが、何用でしょうか?」

「いや、なに。結局、婚儀にも宴の席にも、景勝殿は姿を見せなかったなと思うてな。そこまで病が重いのかと、ちと気になったのよ。……娘が嫁いだ家の当主には、きちんと顔を合わせて挨拶をしておきたい。迷惑をかけるつもりはないゆえ、わずかな時間だけでも、景勝殿と顔を合わせる機会を作ってくれぬか?」

「はい、もちろん。今日は気分が優れないようすなので、遠慮させていただきましたが、明日には持ち直されるでしょう。……吉日を選んで、もろもろの準備もしていたものですから、自身の体調で延期させるには忍びない。景勝の思いやりゆえの結果であり、当主の不在は、秀光殿をないがしろにする意図があったわけではありません。そこは、ご理解ください」

「承知しておるとも。……そこは、疑っておらぬ。明日、会えるならばそれで良い。こちらこそ、不躾な願いであると断られなくてよかった」

 

 平助の表情は変わらなかった。恐縮した姿勢は、他家の当主に対する礼儀を保っている。

 秀光の表情もおだやかだった。言葉の選び方も巧妙で、断られない間際の線を求めている。

 

 他家が交わる時、そこには打算と謀略が交じる。お互いもそれは理解したうえで、利用し合うのだ。こうした秀光の申し出は、平助も予想していたのだろう。だからこその、円滑な対話であった。

 婚儀も終わり、宴もやがてはお開きになる。継国と富岡の両家は、ここで確かなつながりを得た。誰にとっても、喜ばしい結果であるはずだった。

 

 

 

 

 

 ――そして、翌日。富岡秀光は、午前中に継国景勝との面会の機会を得た。

 平助が自ら先導し、景勝の療養している部屋に入る。

 平助はこれが平時であるかのように、ごく自然に襖を開ける。そして、そこには正装した継国景勝の姿があった。

 

「継国景勝にござる。此度はこちらの事情に配慮し、婚儀のために出向いてくださったこと。心から感謝しております」

「富岡秀光にござる。こちらこそ、我が娘を受け入れてくださったこと。何よりも、富岡という家を選んでくださったこと、まことに感謝しております」

 

 入室から挨拶、その僅かな間にも、秀光の目線は景勝を観察していた。

 一挙手一投足、声の調子から言葉の選び方まで、あらゆる動作を見逃さない。そうした鋭さを持ちながらも、表面は極めて柔和であり、警戒心を説くための努力を払っている。

 平助は、その景勝の傍に控えつつも、秀光からは微妙に距離を取っていた。礼節の内ではあるが、それ以上に警戒心からだろうと、彼は平助の態度を分析する。

 

「此度の婚儀は、これまでに参加したものの中でも、一等立派なものでした。……至らぬ娘ですが、それなりの教育は施しております。継国の嫁として、恥ずかしくない振る舞いをするように――と、改めて伝えておりますゆえ、気兼ねなく接してくだされ」

 

 秀光は、娘をダシに使って、自らの立場をあえて低くすることを選んだ。継国家を同格と認めつつも、しかし継国が選んでくれたからこそ、今の自家がある。そうした現実を口にすることで、遠回しに景勝を讃えたのである。

 

「それは、もちろん。我が家としても、富岡から迎えた娘を、ないがしろにはしませぬ。お互いの面子を理解したうえで、もちつ、もたれつ。やっていこうではありませんか」

 

 景勝の受け答えは真っ当であり、病の影は見られない。

 とはいえ顔色は薄く、体つきも細い。死病であるかどうか、判断は難しいが、健康が失われていることは確かであるだろう。

 

 婚儀の手順がどうだとか、もてなしには満足してもらえたか、そのあたりの対話を無難にこなしつつ、秀光はそうした雰囲気を感じ取っていた。

 さて、では景勝が、どの程度現役を維持できそうか? 多少なりとも、判断材料がほしい。そこを突くつもりで、彼は世間話を振ってみた。

 

「そういえば、我が家の者が、お世話になっておりましたな。ここでは、敷地の米倉の管理をさせてもらっているとか。無作法などは、しておりませんでしたか?」

「ああ、あの者たちですか。便利に使わせてもらっております。……平助?」

「――は。富岡からの出向者については、米倉の帳簿を確かに任せております。計算に誤りなく、働きぶりは誠実で、無作法などとても見受けられません」

 

 景勝は、控えていた平助に問い、平助はそれに答えた。景勝自身が実務に実態を把握していない、ということはなかろうが。

 しかし、ここで平助に呼びかけたのは大事である。平助の見解が、景勝自身の見解になる。そうした背景を、秀光は感じ取りつつあった。

 

「好評であるならば、結構なことだ。――わしも、此度の訪問で、連中と顔を合わせた。どこかしら気まずそうな雰囲気を感じたが、これは、わしの錯覚であり、含むところはなにもない……という解釈で、間違いはあるまいな?」

「これは意なことを言われる。我々が富岡家をないがしろにしたりはせぬ、と答えたばかりではありませんか! 秀光殿の言であっても、聞き流すことはできませぬぞ」

「落ち着かれよ、景勝殿。――言葉が強すぎたことは、詫びまする。しかし、わしも主君として、臣下の言動には注意を払わねばならぬ。……ご理解、いただけようか?」

「――むむむ」

 

 景勝は唸ったが、その時、秀光は彼の顔をすでに注視していない。

 景勝の激昂に対し、そばの平助が一瞬だけ顔を引きつらせ、『まずい!』という顔をしたことを、秀光は視界の端で捉えて見逃さなかった。

 なるほど、平助はここで焦るのか、と秀光は冷酷な思考を巡らせる。内心でほくそ笑みながら、表面は深刻な顔を装う。そして疑惑を確信に至らせるために、彼はさらに言葉を紡いだ。

 

「継国家に不安、不満があるというのではありませぬ。ただ、我が臣下を尊重するように、娘もまた尊重してほしい。わしは父であるからこそ、嫁いだ娘への情も抱いておるのです。……景勝殿とて、嫡子巌勝は大事で、貴重な存在であることでしょう。ここで、あえて明言するのであれば、こうした言い方をお許し願いたい。――我が臣下を対等、公平に扱ってくれた継国家は、富岡家にとっても対等の身内足りうる。よって富岡の臣はもとより、我が娘についても、相応の待遇を要求したく思うものです。そうしてこそ、この秀光も、継国のための外交がやりやすくなる。……いかがでしょう? 景勝殿は、こうしたわしの感覚について、どうお考えになりますかな?」

「否定は、いたしますまい。秀光殿の言葉は、真っ当であると、認めましょう。……智子殿に対しては、我々は一番の身内として、尊重することをここに明言いたしましょう。それで、よろしいか?」

 

 よろしいか? と言って景勝は秀光を見る。しかし、意識としては平助に向いていることを、秀光は見破っている。

 景勝は表情こそ平静だが、視線が泳いでいる。自身の言葉に、確信が持てない不安。その表れであると、秀光には見えた。

 

「もちろんですとも。いやはや安心しました。――さて、しかしこうなると巌勝殿の人格も気になるというもの。少し話しましたが、実直な若者に見えました。巌勝殿は、智子を守ってやれる、強い男なのでしょう。しかし、この戦国の世は強いばかりでは渡って行けぬもの。……強さ以上に、柔軟さが必要になる。それを、彼は理解しておられるのでしょうかな?」

「……それは。それは、なんとも」

「はばかりながら、申し上げます。巌勝は、継国の後継ぎとして、十分な能力を備えております。言葉だけでは不安であると言われるなら、これからの行動を見定めてくださればよい。……継国の臣として、忠義ゆえ、あえて口を挟ませていただきました。ご容赦ください」

 

 景勝が答えに窮した時、平助が補足を入れてきた以上、景勝の能力の衰えは確定だ。ここは不確かでいいから、強い言葉で返すべき場面である。

 それを空気で理解できない時点で、景勝の政治能力、実務能力は以前の鋭さを失っている。直接顔を見ず、ただ実績だけで景勝を評価しているからこそ、そうした実情がわかった。

 

「いやいや、見上げた忠義者よ。平助殿、そなたのような臣を得たことは、継国の誉れとなるであろうな」

 

 雰囲気も、それを助長している。いや、助長させたという自覚が秀光にあればこそ、ここからの展開は彼の予想の範疇に留まるのだ。

 秀光が平助を持ち上げた以上、次は景勝がこれを否定する流れになる。謙遜の美徳を示す、という以上に、平助の無礼は無礼として、咎めるのが武家の長の仕事である。

 

「平助、許可なく口を挟むな。――場所が場所なら、首が落ちるかもしれんのだぞ」

「はい。……再度、詫びまする。無作法、お許しください」

「もちろん、許そうとも。いや、今日はいい話ができた。景勝殿もお疲れであろう。……今日はここまで、ということにしようではありませんか」

 

 上野をあそこまで発展させた男が、いまや見る影もなく衰え、死を待っている。

 この様子では、三年も持つまいな、いや二年持つかどうかすら怪しいと、秀光は見て取った。

 

「次に会うのは、いつになるかはわかりませんが……また、顔を合わせたいものです。景勝殿も、ご健勝で」

「……ああ、秀光殿も、お元気で」

 

 そうして、武家の当主たる二人の対話は終了した。見送られ、宿舎に戻る際――秀光は、自らの勝利についての実感から、こぼれる笑みを制御しなければならなかった。

 

――智子。丈夫な男子を産めよ。景勝が死に、巌勝もまた戦場で消えれば、その子が継国の遺産を富岡にもたらしてくれる。……あくまでも、それは可能性に過ぎぬが、ありえなくはない未来でもある。

 

 積極的に、巌勝の謀殺に動こうというのではない。それでは、富岡が非難されかねない危険を残す。

 だが、結果的にそうなるかもしれない。何もかもが都合よく、富岡のために動いてくれるかも知れない。そうした期待を抱いて、先に布石を打つ。その必要性を、秀光は認めていた。

 

――すると、智子へ飴をやる機会は、先延ばしにせねばならんな。先に報酬を与えれば、あれは怠けるかもしれん。情に溺れるかもしれん。それでは、いかん。あれの心は、今しばらく、からからに乾かせて、置かせるとしよう。

 

 娘への態度について、秀光は疑問を抱かない。だが、それが客観的にどう見えるか? その点については、自覚的であった。だからこそ、露見しないための術も講ずるのである。

 あえて、必要な気遣いをしない。あえて、非のない娘に厳しくする。言葉にすればそれだけだが、それだけのことが、どれだけ年頃の娘をさいなむか。

 彼は父として、それがわからぬほど愚かでもなかった。愚かさを捨てて、富岡の地位と名誉を選んだ。彼は、そうした男であった。

 富岡秀光は確信する。自分が継国景勝と再会するのは、現世ではなく地獄に置いてであることを。

 

――この世は地獄よ。あの世が地獄であったとして、何を恐れようか。恐れるべきは、我が家の名誉、我が家の痕跡が、跡形もなく消え去ること。……それを避けるためならば、わしは何でもしよう。

 

 景勝はおそらく、その覚悟がないか、すでに失われて久しい身にある。だからこそ、ああした格好だけの整えで、秀光の前に出れたのだ。

 

 実務能力に反して、脆い男である、と。秀光の評価としては、景勝はそうした位置に置かれてしまうだろう。

 もし武家の当主ではなく、家臣であったなら。精神的な重圧で、勝手に潰れていただろう。そうした姿が見えるだけに、もはや秀光の眼中にはなかった。

 

――智子には、重ねて伝えねばならんな。早く、男子を授かるように、と。そうした義務を忘れる娘ではないが、改めてわしの言葉で伝えることが、後押しになるであろう――。

 

 あれには、それで十分、意図が伝わる。男子さえ立派に成長すれば、智子の存在を富岡から離すこともできよう。

 しばらくは、生きながらえて、乱世を見定めねばならぬ。うかうかと病などにかかっている暇はない、と。秀光は、どこまでも生き生きと、この世を謳歌しようとしていた――。

 

 




 富岡秀光という人物は、文献情報が極端に少ない人物なので、好き勝手に書かせていただいております。
 戦国時代には、こういう人物もいたんじゃないかな、くらいの感覚ですが、多少はリアリティのある描写ができていたでしょうか?

 楽しんでいただけたならば、幸いです。
 では、また。次の投稿で、お会いいたしましょう。

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