継国之物語   作:西次

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 どうにも最近は調子が悪いので、あまり良い文章が書けていない気がしました。
 こんな自分の作品に付き合ってくださっている、読者の皆様方には頭が下がります。
 今回は分量が少なめですが、いくらかでも皆様の時間つぶしにでもなれば、幸いに思います。



第七話 残された者達

 

 巌勝は、縁壱と遊んだ時のことをよく覚えている。札遊びであっても、凧揚げであっても、縁壱は実に楽しそうに付き合ってくれた。

 巌勝には周囲に同年代の相手がおらず、もっとも身近で価値観を共有しあえる相手として、彼を選んだのである。

 縁壱を哀れに思って、ともに遊んで孤独を癒してやりたかった。そうした面もあったにしろ、巌勝自身、彼を家族として相応に意識していたことは間違いない。

 以前父に殴られたときも、札遊びをしていた。殴られたのはその時だけだったわけではないが、巌勝にとって一番厳しい記憶として、頭の中に残っている。

 殴るほどのことではないだろう――と、本音では思う。しかし、この家で当主たる景勝に逆らえるものはない。

 妻朱乃の激しい抗議も、どこまで効果があったことか。巌勝は、そこまで実感したことはなかった。なにしろ彼自身、母のあれこれを人づてに聞くことはあっても、直接話し合う機会などほとんど与えられなかったからだ。

 

 嫉妬という感情を覚えたばかりの巌勝だが、その理由については、なんとなく察しがつくような気がした。

 自分と父には、きっと似ているところがあるのだろう。そして、父は自分に似ている人物が……それが息子であったとしても、近づくことを好まないのだ。

 

――なんという小ささか、と思わぬでもない。しかし、そうした問題を持ちながら、見事に家を維持しているのだから、人格の小ささも父の才覚のうち、と考えるべきかもしれぬ。

 

 そしておそらく、その人格的な問題を、己は受け継いでしまっている。

 縁壱だけが、この家から自由なのだ。そう思えばこそ、余計に巌勝は苦しくなった。嫉妬の心を抑えることは、本当に辛いことだから。

 

 縁壱には、剣の才がある。いや、あれは剣だけの才能ではあるまい。あれが口にした条理は、全ての物事に通ずる。

 生きていくだけならば、容易かろう。そして有事とあらば、どのような戦でも活躍できるはずだと、巌勝には思われた。

 

 うらやましい、と思う。縁壱が野に放たれたならば、いかに生きるであろうか。

 どうでもいいではないか、知ったことではない、と己に言い聞かせてみても、今すぐに納得するのは難しい。

 悪感情がぬぐえないとはいえ、かつては気にかけていた弟である。生死はおろか、どこでどうしているかもわからない状態は、呑み込むまで時間がかかるだろう。

 今も生々しく感じる怒りや憎しみは、身勝手なものである。その身勝手さを恥じ、自ら改めるにも、やはり時が必要だった。

 縁壱に関しては、もはや思い出の中に閉じ込めて、日常を生きる間に忘れるべきものだと、巌勝は思うようになっていた。

 

『――兄上は、どうして俺に構ってくれるのですか?』

 

 過去を振り返れば、そんな風に問われたこともあったか――と、今更ながらに思う。剣才において縁壱に圧倒され、自尊心が傷ついたことを自覚した今となっては、そのような過去さえ忘れたくなった。

 あの問いに、どのように答えたのか。巌勝はもう、覚えていない。覚えていられなかったと言うのが、正直なところだったろう。

 縁壱に対しては、もはや虚心ではいられぬ。対抗心というのも、また違う。純粋に嫉妬であると認めようとしても、それを無様だと感ずる価値観のため、受け入れられぬ――。

 

 思い悩むほど、消えてくれない惨めさを抱えながら、巌勝はさらに虚ろな数日を過ごした。

 その数日で何かが変わるとも思わず、ただ自らの境遇を思い返し、周囲の反応を恐れ続けた不毛な日々であった。

 

――平助殿は、父上にどのように報告しただろう。まさか、これで縁壱を後継ぎに、とはなるまいが……。

 

 これまでの積み重ねを捨てて、ただ一つの取り柄が見えた縁壱に乗り換えるというのは、不合理であろう。それでも不安はあるから、やはり心穏やかにはいられない。父が否定してくれたらそれで済むことでもあるが、自分から問いただしに行くのも怖かった。

 

――なさけない。こんな弱い自分を認めたくない。思い悩む私を、父上はきっと厭うだろう。あの人は、私の弱さを許したことなど、これまでに一度もなかったのだから――。

 

 思い悩むのは、自らの保身のためである。これが自信の無さ、そして卑しい性根から出てきたものであると、巌勝はわかっていた。自覚していながら、その卑しさを消すことがどうしてもできない。

 

――度し難い。どうして私は、こんなに弱いのだ。醜いのだ。これを責められたら、言い訳などできないではないか。

 

 傷を負った平助を、まず最初に思いやれなかったこと。才を見せた弟を認めるより、最初に己との差に絶望したこと。

 その事実に向かい合うことは、幼い子供にとって厳しいことであった。早熟さ故の倫理観の高さが、巌勝を自虐の道に引き込んだともいえる。まさにその自虐を自虐と認めることさえ、この幼い武士には難しいことであると言うのに。

 

 この程度の嫉視、人として当たり前の感情である――などと悟れるほど、彼の精神は成熟していなかった。冷静な目で見れば、子供が子供らしい背伸びの結果、勝手に傷ついているだけなのだろう。

 しかし、本人にとっては重要で、今の巌勝には周囲の理解こそが必要なものであった。だが巌勝自身は、助けを求めることを恥だと思った。頑固さは父親譲りだと考えるなら、まさにこの受け継がれる気性にこそ、継国家の悲劇があるというべきだろう。

 

――仮に、私があの三畳の部屋に押し込まれたら、どうなるだろう。縁壱のように、寺に入る日に備えて、粛々と日々を過ごすことが出来るだろうか。己の価値に疑問を抱かず、無為に耐え続けることが出来ようか――。

 

 できない、と思う。縁壱に出来たことが、自分にはできないと言う事実に、再度巌勝は向かい合わねばならなかった。

 

 そうした悶々とした悩みを抱えているうちに、彼は再び縁壱と顔を合わせることになる。それも夜中、穏やかならぬ雰囲気を抱えてきたものだから、何事かとまず驚かされた。

 

「どうした、こんな夜中に……」

「母上が、身罷られました」

「――何だと?」

 

 いぶかしげに思えたのは、縁壱が口を開くまでのことで、そこから出てきた言葉に再度驚愕し、母の容態の悪化にさえ気づけなかったことを悔いた。

 しかし悔いるといえば、自分よりも父の方が強かろう。縁壱には、特に母に関して問いただしたく思った。

 つながりが薄かったからこそ、その死の詳細を知らねばならぬ。母にそこまで深くかかわったことはないが、それでも暖かな人であったという印象を、今も巌勝は持っている。

 

「何故、突然そのような。……何があった?」

 

 いかに死に、何を残したのか。縁壱はそれを知っているのだと思えば、とても無関心ではいられない。しかし縁壱は、巌勝の疑問に答えなかった。

 

「申し訳ありません。仔細は側務めの『いと』にお聞きください。俺はこのまま、寺へ発ちます」

 

 拒否したと言うよりは、言葉を濁した感じではあるが、とにかく彼は急いで家を出たがっているらしい。

 そうした弟の態度は、何度目かわからぬほどの困惑を巌勝に与えた。それでも対話を続けようと、彼は引き止めるように言う。

 

「発つ? 今からか?」

 

 何も今から発つことはないだろうに。子供の足で夜を駆けるのは、いくらなんでも無謀であろう――と巌勝は言いたかった。

 穏やかならぬ想いを抱いていても、それくらいの情は彼にも残されている。だが、縁壱には兄の情は解しても、自分を抑えるつもりはまるでなかった。

 

「はい。別れの挨拶だけさせていただきたく……」

 

 返答はそっけなかった。迷いもないように見受けられた。夜の恐怖など、縁壱は感じたこともないのか。彼の身体能力ならば、不確かな夜道も徘徊する獣たちも、大した障害にならぬとすれば――。巌勝にはわからないが、急ぐ理由があるのなら、縁壱は迷うまいとも思う。

 

「そうか。……決めたのだな」

「はい」

「達者でな。――寺にはそのうち、顔を出しに行く」

 

 ならば、武家の男として、弟の決断を否定も出来ぬ。自らの意思で運命を受け入れると言うならば、それを尊重するべきだろう。

 心無い声で、顔を出しに行く、とまで言ってしまった。別れの前に、それらしい言葉を口にせねばならぬと思って、慣れない気遣いをしてしまった結果である。

 

――私は、素直に旅立ちを祝福することすらできぬ。本当に心配なら、無理にでも引き止めればよいものを。

 

 縁壱への隔意が、この場で引き止めることを選ばせなかったのか。だとするならば、自分はひどく狭量な兄であったと言うことになるではないか――。

 巌勝の心中には、そうした複雑な感情が渦巻いていた。これが確かな形を持つ前に、縁壱は旅立つことになる。

 

「いつまでも邪魔をしてはおられません。もう、発ちます」

「そうか。……そうだな」

 

 彼がそれをどうにかして、受け入れようと葛藤しているうちに――縁壱の方から別れの言葉を突き付けられた。その事実が、巌勝には悔しかった。

 弟を守ろうとしない、狭量な兄。むしろ遠ざけて安心するような、卑しい兄であると、巌勝は己を定義しかけていた。だから、唐突な縁壱の言葉に、まずは困惑することになる。

 

「この笛を」

「笛?」

「いただいた、この笛を兄上だと思い。どれだけ離れていても挫けず。日々精進いたします」

 

 何を言い出すかと思えば、あの出来損ないの笛がどうしたと言うのか。

 拙い作りの、外れた音しかならない駄作が、縁壱の何の役に立つものか。巌勝はこの期に及んで、改めて己を恥じねばならなかった。

 この弟にとって、家から持ち出す数少ない私物となるならば、もう少しマシな作りにするべきであった。売り物にならぬとしても、助けを求める手段として、まともに音が鳴る様に作り直すべきであったと、強く後悔する。

 

――お前は、そんな意味のないガラクタを、どうして宝物のように扱うのだ。

 

 巌勝にとっては、何にもならぬ玩具を、布にくるんで懐にしまい込む。その動作が慈しみにあふれていたために、彼の方が苦しい思いをした。

 縁壱は終始笑顔であり、兄からもらった笛を自分の物として持ち出せることを、この上なくうれしく思っている様子であった。

 

――わからぬ。何がそれほど嬉しいのだ。そんな不格好な駄作しか送れない、ふがいない兄に。そこまで感謝せねばならぬ理由が、どこにあるというのだ――。

 

 巌勝にはわからない。縁壱は感謝したように深々と頭を下げ、まともな荷物も持たず、淡々と家を出ていったのである。

 てくてくと歩む、その足取りは、むしろ軽やかで楽しそうにも見えた。その様子が、武家という籠の中で生きることを否定するようにも、巌勝には思えてならなかった。

 

「お前にとって、継国家は足かせでしかなかったのだな。お前ほどの才の持ち主に、この家はあまりに狭すぎたと言うのだな」

 

 それなのに、あの程度の笛に意味を見出して、家自体には何ら執着しない。その価値観が、巌勝には不愉快だった。

 

――私がしがみつき、痛みと苦しみの中で継承しようとしている継国家のすべてが、お前にとっては無価値であったのか。

 

 勝手な感想である。的外れな非難である。そのような深い考えが、縁壱にあるとは思えぬ――。

 そうと自覚しながらも、なおも巌勝は、縁壱への反感を抑えきれなかった。

 何をお前は、この家を出ることを当たり前のようにふるまうのだ。執着すらしないということは、我が家に何の価値も認めていないと言うことではないか?

 気味が悪いほどの割り切りようと、母の死すら悼まぬような、早々とした行動に、巌勝は怒りに近いものを覚える。

 

――お前にとって、母は大事な人ではなかったのか。せめて葬儀を終えてから出ていくと言うことが、どうしてできぬ。いや、そこまで待てぬほど、我が家の居心地が悪かったのか。そうさせたのは、私にも責任の一端があるのか――。

 

 縁壱への疚しさとか、己への不甲斐なさとか、混合した感情が、悪い方に変化しつつあることを巌勝は実感していた。

 そうとわかっていても、間違っているとわかっていても、彼は悪感情に酔わされていった。なけなしの自尊心を維持するために、巌勝は自分の立場を肯定するための手段として、悩み続けた挙句に縁壱を非難することを選んだのである。

 

――慎め、慎め、と己に言い聞かせても、私はお前を意識する。せざるを得ないだけのことを、お前はしたのだぞと、問い詰めてやりたかった。いや、やりたかった、などと今更のように思うこと自体が女々しいではないか。どうして私は、縁壱一人にここまで執着してしまうのか――。

 

 お前は何なのだ。お前に抱いていた哀れみ、いたわりの感情を思い起こして今を見れば、なんと滑稽なことであろう――と巌勝は思う。

 最初から、縁壱には兄の庇護など必要ではなかったのだ。ただ一人で生きていけるだけの力を、あれは生まれた時から備えていたに違いない。

 巌勝は、そんな感覚を抱いてしまう。それを言葉にしないだけの理性が、この時の彼にはあった。最低限の分別というものを維持する精神を、その日だけは備えられたのである。

 

 

 

 

 

 結局のところ、巌勝の決意などというものは、儚いものでしかなかった。

 葬儀を終え、ほどなくして母の日記に触れた巌勝は、改めて縁壱と周囲を取り巻く環境に向かい合うこととなる。

 家人たちが母の遺品を整理しているうちに、日記らしき書を見つけた。それは景勝の検閲を経た後に、巌勝の元へとたどり着く。

 その内容はと言えば、日常的な愚痴から始まり、景勝への想いや巌勝縁壱兄弟への愛情の発露など、多岐にわたるものだった。

 

 内容がそうした感情的な物ばかりならば、巌勝も故人となった母を偲ぶだけで終わったことだろう。

 問題なのは、継国家の継承問題について、母が憂いていたという事実が記されていたこと。その中に、後継ぎを巌勝から縁壱へ変更される可能性が示唆されていたこと。

 いずれもが、巌勝にとっては悪夢に近い内容であった。

 

「父上……なぜですか」

 

 日記を取り落とさず、その事実を拒否しないだけでも、巌勝の心は強靭であったと言える。

 声色が乱れ、思考が狂ったとしても、それをもって彼の弱さと糾弾することはできまい。何しろ彼は、いまだ数えにして七つを越えたばかりの子供であり、親の庇護を必要とする存在であるのだから。

 

「私は、貴方の期待に応えた筈です。応え続けたはずで、そのための努力を、貴方は知っていたと言うのに。――ただ才を示したと言うだけで、縁壱こそが後継ぎに相応しいと思ったのですか。それを母に悟られるくらい、露骨に態度に示したと言うのですか」

 

 母の日記には、縁壱が己が後継ぎに据えられると気付き、予定より早く家を出ることにした旨が書かれていた。

 母にとっては、そこまで縁壱が評価されることが意外であったらしく、性急な景勝の態度を責めるような言葉もあった。彼が一度決めたことを取りやめることは、まずないだろう――と。そのために、縁壱は早々に家を出ることを決めてしまったのだ――という結論も添えて。

 巌勝にとって、この記述は何よりも衝撃が大きかった。母の評価はともかく、父が縁壱こそが後継ぎとして相応しいと判断したこと自体が、彼にとっては憎悪をあおる結果となる。

 

――縁壱ならば、なるほど。確かにこれは家を出るだろう。あれだけ急いだのも、相応の理由があってのことだと理解はできる。私がどうこう言える筋合いではなかった、ということも。

 

 背後事情を知ってしまえば、巌勝とて縁壱の人格を否定するほど愚かにはなれない。彼は今、判断力を保つことによって、同時に己の矜持をも守っていた。

 

――母の病の深さも、その死期も、縁壱にはわかっていたのだな。母があれこれと日記にも書き記しておいたことも、きっと知っていたのだ。……そうでなくては、ありえない。

 

 しかし巌勝は、母の日記を読み進めることで、自身の感情をこじれにこじれさせることとなる。

 何年も左半身が不自由になりつつあり、苦しんでいたこともその中で知った。彼の記憶の中で、縁壱が母にしがみついていたのは、ただ母恋しさからではなく――。彼が不自由な左半身を支えて、その生活の力になっていたのだという真実をも、ここで知ったのである。

 

「お前は、私の知らないところで、わからない形で、すでにその力を見せていたのか。……それを才と思わず、功績とせず、自らを誇ることもなく家を出たのだな」

 

 母の日記を放り投げる。明らかな非礼を働いておきながら、もはや巌勝には己の感情を抑制することが出来なかった。

 

 お前のその力はどこから来たのか? 理由はない。生まれてきた時から縁壱は強者だった。

 

 努力し続けた己の力は、縁壱に及ぶか? いや、そんな疑問を抱くことすらおこがましい。比べるまでもなく己は弱者であり、縁壱の力を理解することすらできぬ。

 

 縁壱は、そんな兄の不甲斐なさを知っていたか? わからぬはずがない。あれほどの力と洞察力を持ちながら、知らぬなどという理屈は通るまい。

 

 つまり、縁壱は兄の柔弱さ、愚かさを知りながら無視したのだ。それに触れることが非礼だと思って、あえて察しが悪いフリをしていたに違いあるまい。愚かな弟を演じることで、争いを避けたのだ。それを母が望まぬと知っていればこそ、馬鹿らしい振る舞いこそを是としたのだ。

 

 今から思えば、縁壱の言動に腑に落ちない部分はいくつもあった。巌勝には、それが全て己への非難のように思えれならない。自分は縁壱を哀れんでいた。しかし実際、哀れまれていたのは、己の方であったのだと彼は思い込む。

 

――憎い。

 

 巌勝が明確な憎しみを感じたのは、生涯初めてのことであったろう。怒りではない。嫉妬でもない。

 あれが生まれてさえ来なければ――などと。生きることさえ許したくない、という感情が存在することを、彼は自覚する。

 そして、多少なりとも歴史を学んでいたがゆえに、この感情こそが人の世が争い続ける理由であるのだと、悟ることにもなるのだった。

 

「これが、憎しみか。怒りを越えた、抗いがたい情動を、憎悪というならば――なるほど。いつまでも……争いが、収まらぬわけだ」

 

 理屈ではない、感情的な衝動であるからこそ、これに抵抗することは難しい。

 巌勝は、明確に表れた憎悪という感情を持て余しつつも、一つの区切りを入れることにした。それが彼に残された、最後の砦とでもいうべきものであったろう。

 縁壱が寺に入るのなら、めったに顔を合わせることはなくなる。良くない感情であると言う自覚はあるのだから、時間を置くうちに冷めてくれることを願うことにしたのだ。

 

 しかし、そうした彼の決断は、父である景勝には与り知らぬことである。いや、知ったところで考慮に値しないと判断したであろう。それほどまでに、景勝は朱乃への負い目を重視していたと言える。

 

 

 

 

 

 朱乃の葬儀はつつましいものであったが、継国家にとっては大きな不幸事である。嫡男として、巌勝は相応しい態度が求められた。

 もちろん、彼はその期待に応えた。初めてのことではあったが、弔問客への対応もそつなくこなし、一連の儀礼も無作法なく済ませることが出来た。

 葬儀が終わったときには、巌勝は経験の浅さもあってか相当に疲弊しており、母の日記に目を通したときも、疲労が十分には抜けていなかった。

 巌勝があそこまで落ち込んだのは、日記の内容だけが理由ではなく、その疲労があったことも無関係ではあるまい。

 

 母を悼み、自らの不調を治すための時間が、彼には必要だった。しかしその中でも、父景勝の方から話があると言われれば、嫌だとは言えぬのが子供の立場である。

 家人から意向を伝えられて、巌勝はどれだけ拒否したく思ったことだろう。それでも彼は、呼び出しに応じて父の部屋に入った。どのようなことを話されるのかと思えば、それは母の遺言についてであった。

 

「葬儀が終わり、朱乃の埋葬も終えた。悲しいことではあるが、長く喪に服すだけの余裕が、この家にはない。我が家は、本堂に立ち返らねばならぬ。それは、わかるだろう?」

「はい。古の儒教のように、三年も喪に服すことは、現実的ではありません」

「よろしい。……朱乃の日記は、もう見たな?」

「――はい」

「内容については、全て目を通したか?」

「……おおよそは」

 

 巌勝が日記を見たのは、景勝が目を通した後のことである。先んじて朱乃の遺志を知った彼が、どのような思いで葬儀に望み、何を考えて今、巌勝を呼び出したのか。

 疑問と言えば確かに疑問であるが、予想がつくこともある。当たってほしくない直感ほどよく当たるものだと、巌勝は学ぶこととなった。

 

「ならば、わかるな。……縁壱を呼び戻す。お前との扱いも、色々と変わるだろう。覚悟だけはしておけ」

「――父上」

 

 その覚悟とは、何を意味するのか。

 父は、まだ決定的な言葉を口にしていない。だから、巌勝も深くは聞けなかった。

 

「お前と縁壱は、平等に遇する。同じように愛せよ、と朱乃は言っていた。私はその遺志を無下にしたくはないのだ」

「だから、私と縁壱を、同じように愛してくださる、と」

「まずは同じ待遇にする。そのあとのことは、まだ考えておらん。……あまり早くに、劇的な決定をするものではないと、私はそう思うようになった」

 

 そんなことを改めて告げるくらいには、景勝も巌勝に対して、負い目を感ずる部分があるのだろう。

 当人は思いやりのつもりで、事前に告知したであろうことも、巌勝にはわかる。これくらい不器用な人間であるのだと、子供ながらに理解は示していたつもりだった。しかし――。

 

「父上、私は、それを受け入れねばならないのですか。この家の嫡子として、後継ぎとして生きてきた私は、もう不要であると言うのですか?」

 

 巌勝はただ不安だった。不安であるからこそ、父からは暖かな言葉を聞きたかった。

 でも、期待した答えは返ってこなかった。だから巌勝は先走る様に過激な言葉を用い、問いただして、誤解の余地のない返答を求めたのだった。

 

「不要であるはずがない。お前は継国の男であり、方々に顔を見せている。この葬儀でも私の傍にいたと言う事実が、お前の地位を保証するだろう。――ただ、縁壱はこれまで不遇を強いられてきた。正当な待遇を用意し、改めて居場所を作る時間が必要なのだと、私は思う」

 

 景勝は、結局巌勝の感情に寄り添うようなことはしなかった。自分の決定だけを言い聞かせて、それで十分だろうと言う態度を貫いたのである。

 正当な待遇、そして居場所を作る時間――。その二つが組み合わされると、途端に不穏な気配を感ずるのは、巌勝がそれだけ追い詰められたいたことを意味する。

 彼にとって、これが指し示すところは明確だった。父を責めるように、言う。

 

「兄弟で争えと言っているように、私には思えます。私と縁壱と、どちらが優れているか、競わせようとでも言うのですか? それが、父上の愛だと言われるのですか?」

「なぜ、そのように受け取っているのか。私にはそれがわからん。縁壱を虐げてきたことを誤りだと認め、それを正そうとしているだけなのだぞ。――お前の扱いもそれに伴って変化するだろうが、これまでが恵まれ過ぎていたのだ。平等に愛するためには、相応の待遇というものが必要になると言う、それだけの話であろうに――」

 

 父親でありながら、兄弟の実像について、景勝は何もわかっていなかった。わからなくても仕方がないほどに、景勝は本業に集中して家庭をかえりみなかったともいえる。

 本業に関わらせた巌勝のことは評価しても、それはうわべだけのものに過ぎない。己の価値観に従って、忌み子よりは長子と認めた方を使っていた。

 

 しかし朱乃への感情は、そうした摂理を超越したものがあり、彼女の遺志を履行したいと言う欲望が、この場合は何よりも優先されていたのだ。

 徹頭徹尾、景勝は己の思想を優先して、願望を口にしているだけに過ぎない。朱乃はもとより、平助とてこの場にいれば、その点をこそ痛烈に批判したはずだった。

 余人を交えず、親子だけで対話していることが、彼の疚しさの表れであったという他ない。

 

「今、寺に人をやって、縁壱を戻させている。早ければ明日中にはこの家にやってくるだろう。――月舟禅師には悪いが、あの子はこの家で育てる」

「疑問に、お答えして……いただいておりません。父上は、私と……縁壱をお比べになるおつもりですか。どちらが相応しいか、考え直そうとしているのではありませんか?」

「どちらも後継ぎに相応しいように、平等に育てようと思っておる。どちらかに不幸があっても良いように、武家としては備えるのが常道であろう。――この家の存続のためだ。納得しろ」

 

 再度、景勝は話題をそらした。本心がそこにあることは、巌勝にも明白に思えた。

 月舟禅師が聞いていれば、これもまた激怒したであろう。禅僧という立場を忘れて、景勝に説教していたことは疑いない。

 当人もそれを何となく察していたから、禅師の前ではここまであけすけに語らぬのだ。目下の相手、己に従属せざるを得ない息子が相手であればこそ、ここまで高圧的に物を言えるのだった。

 

 巌勝にそこまでの言い方をして、縁壱とは平等に育てる――と言う。その言葉をどこまで信用していいのか、余人にはわからない。

 母の日記には、『縁壱が後継ぎになる』ことを示唆した内容が記されていた。それが真であるならば、この場における景勝の言葉は全て戯言であり、縁壱への権限移譲のための時間稼ぎに過ぎないことになる。

 最終的に、この家の中での立場をなくすのは、巌勝の方である。巌勝の方が寺に追いやられる未来が現実味をおびてきた以上、言葉もより強くなった。

 

「……当主の決断であれば、息子として従いまする。しかしながら、私は表に出ることで、この葬儀においても、顔を見せ過ぎました。この上で後継ぎを変えるとなると、外部の者は困惑するでしょう。それは……あまり、よろしいことではありますまい」

「縁壱が後継ぎとなり、当主となった暁には、お前はその補佐に回ることになる。周辺に顔が利き、信頼のおける兄弟が右腕の地位に収まれば、縁壱も安心できるだろう。――周囲の困惑など、些細なことではないか」

 

 とうとう父は、自らが考える未来像を口にし始めた。もはや取り繕うことすらやめたのかと、巌勝は失望し、己の拳を握りしめた。強く、血が流れんばかりに強く。

 顔も伏せた。せめて、怒りと憎悪に満ちた表情を見せたくはないから。それでも納得はいかず、言葉を続ける。

 

「私がこの葬儀で顔を売ったのは、将来的に雑事を任せる家僕にでもするためであったと……?」

「悪い方にばかり受け取るでない! 随分と聞き訳が悪くなったな、お前も。――これ以上は、縁壱が戻ってから話そう。あれの考えも聞いて、改めて決めればよいではないか」

 

 強引に話を打ち切って、景勝は巌勝を下がらせた。躾として叩き込まれた礼儀作法が、彼を退室に導く。不本意であっても、家長の命令には従うのが作法である。

 巌勝は、下がるときにも顔は見せなかった。怒りに染まっているところを、父に見せたくなかったからだ。

 それは父への怒りであり、縁壱への憎悪であり、弱い自分への羞恥の表れであった。

 

――縁壱が戻ってきたら、どのような顔をして会えばよいのだ。哀れみを誘うような顔をして、庇護を求めるべきなのか。私が、縁壱に?

 

 縁壱は、己が後継ぎに据えられることを望まないからこそ、家を出て寺に向かった。

 しかし、父景勝の方から是非にもと望めば、帰ってくるのではないか。そうしない理由が、巌勝には見つけられなかった。

 縁壱の立場であったなら、自分なら戻るだろう。そう思えばこそ、気持ちが落ち着かない。

 だが、一日たっても、二日たっても。一週間を過ぎても、縁壱が帰ってくることはなかった。

 不安を抱え、いぶかしい気持ちを持て余しつつ、巌勝は日々を過ごしていた。葬儀前の状態、縁壱が家出するまでの、変わらない日常が戻ってきてはいたが、彼の心中は穏やかではない。

 

 それを痛ましく思い、解消するために動いていた人も、確かに存在する。巌勝は剣の鍛錬も律儀に続けており、心ここにあらず――という状況でも、素振りや型の練習くらいは当たり前にできていたのだ。

 その鍛錬の合間に世間話として、剣術指南役の平助は自ら情報を開示していった。

 

「巌勝殿は聞いたか? 縁壱の奴、実際には寺には行ってないらしい。家を出て行ってから、どこに消えたものかと。我が家の当主たるべき景勝殿は、血眼になって探している最中でね。――武家の当主がやるようなことではない、実に滑稽だとは思わんか?」

 

 思わぬ形で、平助の方から情報が入ってくる。面食らった巌勝は、驚愕の表情を隠せぬままに、彼の方を見た。

 

「平助殿……」

「俺とて、主君に批判的になりたいときはある。本人には言えんが、ご子息に愚痴をこぼすくらいはよかろうよ。――それが許されるくらいの働きは、俺だってしているつもりだ」

 

 縁壱の居所について、巌勝なりに気にしていたは傍目にもわかりやすいほどであった。平助が決定的な情報をこぼしたのも、それが一因ではあるだろう。

 わかりやすく、肩入れされている。そうと知った巌勝は、恩義というものを実感した。

 

「……ありがとう、ございます」

「礼なぞいうな、馬鹿者。――俺は縁壱が戻ってこない方がいいと思っているし、景勝殿の願望など消えてなくなってほしいとも思っている。そう考えてるやつは、俺だけじゃない。……さあ、鍛錬の時間だ。今日も厳しくいくぞ」

 

 家中にも、巌勝を支持する者がいる――と、平助は言外に示して見せた。今にして考えれば、自分の方が露出が多く、人々にも顔を知られている。今更後継ぎを変える、などと言われる方が迷惑に感ずる人の方が、おそらくは多いのだと思われた。

 

「――お前、早く強く、大きくなれよ。皆も、それを望んでいるんだ」

「はい。……はい、精進、致します」

 

 平助の気遣いが、ただうれしかった。父に疎まれても、自分を見てくれる人がいる。その事実が彼を一時、救ったといって良いだろう。

 時間が空いた分、鈍っているかと思ったが、平助との鍛錬は滞りなく行うことが出来た。巌勝自身、気を病んでいたことを忘れるほど、よく動けていたのである。

 それを喜んだのは、本人よりも平助の方であったことも、巌勝にはうれしかったのだ――。

 




 色々と適当に流している感はありますが、書きたい部分は書けたと思うので、まあいいかの精神。

 個人的に、継国巌勝の物語というものは、もう少し多くの人が書いていてもいいと思います。
 黒死牟に至るまでの間に何があったのか? その辺、いろんな人々が想像しているところだと思うので、もっと彼の創作が増えてほしいと思いました。

 自分の作品を拙さを知るがために、どうにも筆が遅くなります。
 また来月、同じ時期に書き上げられたら、と思うのですが、さて。
 ともかく、次の投稿でお会いしましょう。では、また――。

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