継国之物語   作:西次

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 執筆を続けていて、不安になることはよくあります。
 それでも今回、感想を投稿してくれた方がいました。

 感想を認識した瞬間、私は確かに救われていた気がします。
 自分の作った文章が、誰かの興味をひいて、読まれている。そして、反応を返してくれている。

 その事実が、私には救いとなったのです。読者の皆様方に感謝しながら、今回の話を投稿したいと思います。



第八話 縁壱の消えた継国家

 継国家は日常へと戻った。景勝も、巌勝も、家人たちも、かつてと変わらないまま日々を過ごす。故人を忘れるわけではない。ただ、今生を全うするためにも、悲しみに浸ったままではいられないのである。

 景勝は当主としての実務を再開した。巌勝も平助との鍛錬だけではなく、月舟禅師の講義も再開するようになっていた。

 巌勝の方から寺に出向く関係上、ここが縁壱が僧として生きるはずだった場所なのだと、今更のように意識してしまう。

 

――虚心では居られぬ、か。この様子では、景勝殿から縁壱の捜索を頼まれていることなど、うかうかと口に出すことも出来ぬな。

 

 それを月舟禅師も察していたが、あえて知らぬ風を装った。まず、巌勝の方に受け止めるだけの余裕が出るまでは、決定的な部分を表に出すべきではない――とも思ったからだ。

 

 

「久しぶりだな、巌勝。お前の家の葬儀は、わしにとっても他人ごとではなかった。――大変だろうとは思うが、お前も武家の後継ぎならば、気持ちを切り替えることを覚えよ。死者に引きずられて生をおろそかにしては、誰も救われぬであろう」

「――ご心配をおかけしまして、申し訳ございません。月舟禅師には、これからも変わりなくご指導をお願いいたします」

「……うむ。お前なりに、己の人生を全うするが良い。景勝殿も、他の者たちも、そうしておる」

 

 だからと言って、納得できる者ばかりではない。巌勝はそのうえ、自分の感情と向き合いすぎており、悪感情に酔っ払っていたところもあった。

 この点、月舟禅師は目ざとく指摘して見せる。

 

「まだ、心にしこりが残っていると見える。――それほど、朱乃殿の死が重いのか。あるいは、縁壱とやらに執着しておるのか」

 

 月舟禅師は、縁壱との接点がほぼなかった。文の才能に加え、剣の才があることも何となく察しているものの、実感と言えるほどのものはなく、巌勝の方を評価していることは変わらない。

 だから、彼が弟への劣等感に苛まれていることが、どうにも不可解であった。

 

「月舟禅師。……私には、わかりません。あらゆる感情が、自分を苛むことだけが確かなもので。――憎悪というものに捕らわれることも、そこから抜けだせる目途が立たないことも、私には辛くて仕方がないのです――」

 

 巌勝なりに思うところがあること、その悪感情からくる悩みに苦しんでいることを、月舟は理解した。葬儀前後に起こった鮮烈な体験が、全てを狂わせたのかもしれぬ。

 とすれば、処方箋として適当なものを、ちょうど持ち合わせていることであるし――ここらで施しておくのが良いだろうと思って、禅師は言った。

 

「朱乃殿から、遺言のようなものを預かっている――と言えば、お前は驚くかな? 家にあった日記ではなく、わしに託されたもので、他人の目に触れさせたことはない。景勝殿にもまだ見せてはおらんが、お前ならばもう良かろうと思う」

「それは――いや、すいません。疑ってしまいましたが、本当……なのですか」

「直筆だ。お前なら、真贋の区別くらいはつくであろうよ。……さて、どこにやったかな。今日は講義よりも、故人を偲ぶ方がためになるらしい。これもまた、巡り合わせの妙というべきかな」

 

 口調は軽いが、月舟禅師は自分を思いやってくれていると、巌勝は信じた。

 この老僧は、子供の期待に応えられる程度には、立派な人物である。彼は、まさに行動をもってそれを示したと言えよう。

 

「さあ、これよ。わしはもう目を通しておるから、今更もったいぶるようなものではないが、お前にとっては大事なものになるだろう。……遠慮はいらぬから、この場で存分に読み解くがいい」

「――拝見いたします」

 

 師の前であると思えば、形だけでも丁重な態度は崩せない。だから遺言状を紐解く動作も落ち着いて行えたが、実際に読み進めればそうした虚勢もすぐに立ち消えた。

 初めの文章が『巌勝へ』と書かれていたことが、まず彼にとっては驚きだった。縁壱と比べて、そこまで接点はなかったはずであるし、自分よりも弟の方が愛されているであろうと思っていただけに、これは効いた。

 

『縁壱よりも、貴方が心配です。武家の継嗣として、気張りすぎて不幸を呼ぶこむのではないかと、子供らしからぬ早熟さが災いを呼ばないかと、この期に及んで不安に思います』

『景勝殿は、私への負い目から、縁壱を贔屓しようとするでしょう。それが、私への愛情の表れとか、これまでの冷遇への償いだとか言い訳をして。取り返しがつかなくなってから後悔する。貴方は、そうした父の悪癖を見習ってはなりません』

『私も、縁壱も、貴方を好いています。貴方は、自分がどれだけ多くの人から期待され、愛されているか、今一度考えてほしいと思います。後のことは、月舟禅師にも託しました。他に必要なことは、禅師から聞きなさい。私の想いをすべて書き残す時間も、その余力も、すでに残されていません。ふがいない母を、どうか許してください』

 

 さらに目を滑らせれば、母が母なりに自分を愛していたこと。しかし、それを伝える手段がなかったことと、それを悔いている様がつづられている。

 

「禅師、これは」

「まさに、お前のための遺言であろうよ。縁壱を思う気持ちもあろうが、すでに親子としての情は十分に注いだ自信があったらしい。……むしろ、心理的に距離が遠く感じていた兄の方にこそ、彼女は不安を感じて居ったそうじゃ」

 

 後出しにも程があるが、朱乃は巌勝の方にも愛情を惜しみたくはなかったというのが、本音であったらしい。

 個人となって後、ようやくその感情を知ることになった巌勝としては、複雑な想いを禁じ得ない。

 

――私は、そこまで想われていたのだな。だとしたら、母も悔しかったに違いない。自身の寿命の短さを悔いていたことを思えば、私はそれで満足すべきなのだ。

 

 今更、どんな顔をして遺言を受け止めればいいのか。改めて、彼は考えねばならなかった。

 上の空で読み進めて、一読した後は、放心したように虚空を見つめる。そして、目を通したはずの母の遺言が、頭に全く残っていないことに気付くのだ。

 

「……月舟禅師。恐れ多いことですが、本日は」

「よい、よい。――今日はもう、これまでとしよう。その遺言状は、持ち帰ってよい。そうして、改めて母と向かい合うがいい。……わしも、僧として一人の母の供養を願う。お前が母を慕うならば、今からでもその言葉と感情を受け止めてやる事じゃ」

 

 月舟禅師からの許しを得た巌勝は、その日一日を母との対話に費やしたと言っても良い。

 どんなに遺言を読み返し、疑問や感想を口にしたところで、返答がくるはずもないのだが、彼にはそれで良かったのだ。

 

――私は、愛されていたのだ。少なくとも母にとっては縁壱には及ばずとも、親子としての、確かな思いやりが……ここには、あったのだ。

 

 巌勝は、そう信じることが出来た。母の愛が、巌勝を修羅の道に進むことを留めたのである。 それが一時のことに過ぎなかったとしても、その一時の価値がどれほど大きなことか。

 母はすでに死し、生の声を聴かせてくれはしない。挫折した時になぐさめてくれることも、もはやない。だが、巌勝はもう嘆きはしなかった。

 

――ここまで想われていて、縁壱への嫉妬に狂うことなど許されようか。母が望んだのは、兄弟が力を合わせて生き延びることだ。それが叶わぬとしても、せめてお互いを思いやれるよう、適切な距離感を保つことが肝要であろう。私は、間違っていた。

 

 惜しむらくは、わかったつもりになることが、一番危険であることを、彼は知らなかったことであろう。

 自分の感情を処理するために、母を言い訳にしたこと。自分の嫉妬や憎悪といった負の一面から、目をそらすことを選んだことが、彼の一生に影を落とすことになるのだと――。

 いまだ幼い巌勝には、わからなかった。わからなければならなかった、と求めるのは、流石に酷であったろうか。

 いまだ生き残って、酷な教育を強いる父が傍にいること。彼の人生を縛り続けたものの根源が、もっとも感受性の強い時期に影響を及ぼしていたこと。

 巌勝の最後から逆算するならば、まさにそれこそが、彼が道を踏み外した原因であったと言えよう――。

 

 

 

 

 

 

 巌勝が己を見つめなおし、自身への気持ちを新たにしたところで、世間はそれに配慮したりはせぬ。

 縁壱はいなくなったが、それによって巌勝自身の社会的地位は確定した。むしろ周囲からしてみれば、投資先を分散させずに済んだ、とも考えられる。

 巌勝が同年代の子供たちのまとめ役になり得たのは、その権威を犯しえた存在――縁壱が消えたおかげである、と言えなくもない。

 

「巌勝さん? いい人だよ、それに強い! うちの村の誰も、あの人には勝ったことがないんだ」

 

 国部村の、継国家と付き合いのある家の子供たちなら、誰もがそう答えるだろう。それだけの期待を背負っており、また実力も付けている。

 そうした継嗣がいるのならばと、大人たちも現状を喜んで受け入れていた。縁壱など、最初からいなかったかのように扱われる。

 巌勝が内心、どのように考えていたのかなど、まったく斟酌せずに。

 

「継国の家に不幸があった話は聞いてるよ。奥さんがなくなって、弟さんの行方も知れないんだって。……それでも、後継ぎの坊ちゃんは出来人らしいし、当主さんも健在だ。将来を不安に思う理由は、今のところはないよ」

 

 これは、国部村にいるものたちの、普遍的な意見であった。痛ましいことではあるが、時と共に忘れてしまう。過去よりも、来年の作物の出来と商売の行方の方が、よほど重要な問題である。

 それを責めようとは、巌勝も思わない。個人的な事情を押し付けて、やり場のない感情をぶつけ、八つ当たりする資格など、自分には絶対にないのだから。

 

――縁壱と母上の想いも、いずれは忘れていくものなのだろうか。そうするのが正しい。いつまでも未練がましく、いなくなった家族にしがみつくものではない、と。父ならばそう言うだろう。

 

 そして、そんな父の意見を、周囲は肯定するだろう。巌勝はそうした家に生まれたのだし、これからも生きていかねばならない。

 この時すでに、巌勝は己の道を見定めていた。自身を顧みて、嫉妬を押し込めることに成功した結果であるといえば、収まりがいいであろうか。

 

――今の私に出来ることは、多くない。成長し、武家の跡取りとして相応しくなるまでは、我慢の連続であろう。それに耐えられる強さを、今から身に着けておかねばならん。

 

 そう思えばこそ、剣の鍛錬にも、文の修行にも、よりやる気が出てくる。巌勝がこれまで過ごしてきた時間は、決して無駄なものではなかった。当人にとっては、それが真実であった。

 他者から見れば、どうであったか。

 例えば平助などは、剣の鍛錬はもとより、仕事への連れ出しも回数を重ねているため、より深く巌勝を観察していたと言える。

 

「早熟で利発で、物わかりがいい。――成長後が楽しみでもあるが、将来は父への反発心がどこに向くか。そこが心配だな」

 

 その彼が巌勝自身を評するならば、こう答える。

 平助は彼を継国家の継嗣としてだけではなく、一個人としても見てやりたいと思っているため、懸念も同時に口にしたくなるのだ。

 

 実際、その懸念は近い将来に現実のものとなる。巌勝の父に対する、どうしようもないほどの反感と対抗心について、彼は生涯克服できなかったといってよいのだが――。

 植え付けた側の意識、父親の認識もまた、死ぬまで変わることがなかった。武家の病理というべきか、あるいは継国家の特異さがそれを作り出したのか。

 いずれにせよ、すべてが明かされたあとであっても、もはや追求する価値のない事柄であったろう――。

 

 

 

 

 

 

 外回りにはまだまだ慣れない巌勝を、平助はよく誘導して仕事に付き合わせた。

 馬の扱いは拙いが、子供の内は乗れて目的地につけるだけでも上等だと言える。体力の方は体が出来上がれば解決するし、数年のうちに馬借の棟梁としては不足ない技量を身に着けるだろう――と、平助は確信していた。

 

「いつもいつも、平助殿についていくのが精いっぱいで、悔しい……と思います。私が、まともに仕事ができる日は、来るのでしょうか……」

「未熟なのはいい。つたないのも子供だから当然だ。お前はよくやってる。――同年代の童どもは、そもそも馬借の仕事の重要性にすら気付かない。それを理解していると言うだけでも、お前は上澄みだよ。俺が保証する」

 

 彼は褒めることを怠らなかったし、巌勝が子供としては破格の能力を持っていることを特に強調した。

 

「それだけのことが、そんなに重要なことですか」

「間違いなく重要だ。継国家は武家だが、もともと馬借だった。戦働きよりも先に、まず商売が先にあった。自分の家と、村を食わせていく責任が、俺達にはある。……お前も、将来はこれを背負わねばならない」

 

 業種としての馬借は、地方の流通を担うものではあるが、継国家はそれだけにとどまらない。

 武家として統治、治安の維持、主家への奉公も含めれば、その仕事は多岐にわたる。巌勝は、幼いなりにその内情を理解しつつあった。

 それを非凡さ、聡明さとして平助は評価している。

 

「……気が、引き締まる思いです。私は、期待されている、のですね」

「そうだ。お前が継ぐ家は、継嗣であるお前に多くのことを要求するだろう。だが、俺はお前がそれにきちんと応えられると信じている」

「信じている、ですか。……信じられるだけのことを、私は、出来ているのでしょうか?」

「出来ている。そこは、疑うな。――何より、俺が認めている。継国家の筆頭武官である、この平助の言葉だ。これは、決して軽くはないぞ?」

 

 子供は認めてもらうこと、褒めてもらうことを快く感じるもの。そこに評価者から驚嘆を添えた意見を付け加えれば、向上心をあおれることも経験から知っていた。

 巌勝は将来の上司になるのだし、いつまでも劣等感をこじらせてもらっていては困る。早々に立ち直って、自身の価値の高さを自覚してもらわねばならない。

 そうした意図のある発言だったが、巌勝も何となく察したのだろう。これ以上は不要とばかりに、話題を打ち切ろうとする。

 

「おっしゃりたいことは、おおよそ……わかりました。――時間を取っていただき、申し訳ないと思います。私は、もう、大丈夫ですから」

 

 素直に喜ぶのではなく、不器用にも褒め言葉の中から懸念を見つけてしまう。身近な大人に気を使わせてしまっていることが、巌勝にとっては心苦しいのかもしれない。

 半端に成熟した精神がそうさせるのだろうが、これもまた彼なりの資質であろうと、平助は容認することにした。

 

「そうか。……なら、いいが」

 

 そうして二人は、景勝の元に向かった。仕事の報告と言っても、さして大きなことがあったわけではないから、すぐに終わる――はずであった。

 だが顔を合わせてみると、彼はひどく難しい顔をしていた。いつも以上に表情が硬く、声色も低い。

 ありていに言って、機嫌の悪さがわかりやすく透けて見える。平助はこれが何かしらの予兆であると悟ったが、巌勝にはそれがわからない。だから、疑問に思いつつも仕事内容について、真面目な顔で報告するのだった。

 しかめっ面のまま、景勝はその報告を聞く。そして巌勝が言うべきことをすべて伝えた後、厳かな表情のまま言った。

 

「――ご苦労。二人で仕事をすることも、そろそろ慣れた頃合いか。順調で何よりだと言いたいが、いささか問題が起こっていてな」

「問題とは、なんでしょう?」

「国部村の若衆から、苦情が届いた。近隣の村人のいずれか、あるいは流れ者が、我が領内の山林を荒らしたらしい――とのことだ。事実関係はこれから調査せねばならぬが、本当ならば頭の痛い問題になる」

 

 戦国期においても、村の農地や山林の境目は元より、河川や水利の利用権等については、厳格な定めがあった。

 本来の自然環境に、人間の敷いた基準を強いるのは難しい部分もあるが、それでもなんとか折り合いをつけてやっていくのが社会というものである。

 継国家は代々、上手にやりくりしてきたつもりだった。国部村の人々も、付き合いのある近隣住民も、そこは理解してくれていると景勝は思っていた。

 

「それ、今言わなきゃならんことなんでしょうかね。御子息の仕事ぶりについて、今少し配慮がいると思うんですが」

「今、褒めただろう。この上、何を望むという。戯言はそれまでにして、現実に対処することを考えろ。……平助、お前には直言を許しているが、それは何を言っても咎めない、と言う訳ではないのだぞ」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。――で、山林を荒らされた話ですが。俺としても初耳ですね。今日の仕事の範囲では、まったく聞かなかった話でもあります」

「つい先程入ってきた話だからな。入れ違いになったのかもしれん。……いずれにしても、難しい話だ。軽々に行動して、やみくもに相手を非難しては、かえってこちらの武名を傷つける結果になるかもしれん。死なば諸共と、やけになった馬鹿に付き合っても損があるばかりだ」

 

 継国家が直接統治している国部村は、周囲から見ても一回り抜けている豊かさを持っていた。

 嫉妬、もしくは純粋な貧困から、資源の収奪を正当化しようとしているのかもしれない。景勝には、それが疎ましかった。

 ある程度の理を認めねばならぬからこそ、対応が難しいと思うからだ。

 

「主家の上杉家から言い聞かせていただく、という手は――」

「わかっているだろう。そんなことで頼っていては、継国家の武名に差し障る。文句を言われて、自力で黙らせるだけの実力すらないのかと侮られては、次の上納で足元を見られるであろうよ。――馬の数は、今でさえ危ういところで保たせているのだ。余計に献上できるような余裕はない。主家に頼って弱みを見せる次期ではないのだ」

 

 継国家は、武の家である。そうである以上、舐められたなら殴り返すべきなのだ。

 とはいえ、何事にも手順がある。確たる証拠と名分を用意してから、速やかに行動する。ここで求められているのは、そうした思慮深さだった。

 

「だから面倒が増えて頭が痛い、と。継国家の商業圏の広さを考えれば、弱気になれない事情もわかりますがね。……なればこそ、商機に近づけない連中からは妬み僻みの理由になる。村人をけしかけて、嫌がらせの一つもしたくなる、ですか」

「まずは相手を絞り込むところから始めねばならん。厄介ごとの種など、どこにでも転がっていよう。――お前の言う通り、だからこそ頭の痛い話なのだ」

 

 ちらり、と景勝が巌勝を見やる。それだけで、巌勝は意図を悟った。己に聞かせるために、ここまで詳細に語ってくれているのだ。

 

 治安維持と流通を担い、重要物資である馬の生産地を抑えていること。それが継国家の力であり、おこぼれに預かっている者たちも含めれば、その影響力は上野でも有数である。

 ただし、味方以上に敵もまた多い。継国家を倒して成り代わろうという手合は、いくらでもいるだろう。

 単なる略奪行為でさえ、政治的な意図がないとは言い切れない。うかつに大鉈を振るえば、ひどい結果が返ってくるかもしれぬのだ。

 

「少し足を伸ばせば、信濃や下野の方でも、きな臭い話はたまに聞くだろう。それ加えて――武蔵の扇谷上杉氏と、我が主家である山内上杉氏は、以前から難しい関係が続いていたが、新興の北条家も加わってどうにも複雑化してきている。村々のいさかいが、何かしらの謀略の一環であるとしたら、我が家だけを狙い撃ちにした話でもあるまい。……まずは情報を集める必要がある。日常の業務の合間でよいから、平助、頼めるか?」

「どんなに忙しくたって、否とは言えぬ案件でしょう。――お任せください」

 

 二人の間で、阿吽の呼吸で会話を続けられると、巌勝などでは間に挟まることさえできぬ。

 とにかく話についていくことに精一杯で、発言する暇さえなかった。そうした居たたまれなさを平助は察して、巌勝にも助け舟を出してくれる。

 

「御子息の教育も兼ねて、連れ出しても構いませんかね。これまでも度々連れ回しましたが、馬借の業務が主でしたから。――武家としての継国の力というものを、そろそろ自覚させても良い頃合いでは?」

「……任せる。平助ならば、下手は打つまい」

 

 巌勝が自身の家の力を自覚したことは、そこまで多くない。村の子供達、大人達と接したことはあれど、家から遠い立場の人々と語り合ったことはなかった。

 だから具体的な行程を思い描くこともできないのだが、その点は平助の仕事であろう。自分はただついていけばよいのだ、と割り切ることにして、ここは黙って話を聞いている。

 

「巌勝」

「はい」

 

 景勝は、いまだ朱乃の死を振り切ってはいない。同時に、巌勝に対する隔意からも抜け出せてはおらぬ。

 されど、これが手元に残った唯一の継嗣であり、頼むに足る才覚を持ち合わせていることも事実だった。

 なにより、呼びかければ即答する程度には、敬意も受けている。その存在を容認する理由としては、それで十分だった。

 

「私からは、細かくは言わぬ。平助の指示に従え。――ただ一つ、忘れてはならぬことがある。お前は継国の子なのだ、という事実を、常に心するように」

 

 わかったような、わからぬような発言を添えて、景勝は退室を促した。

 目線と仕草で、出ていけ、と示す。そうした態度を傲慢さの発露ではなく、父親の威厳として受け止めねばならぬのが、巌勝の立場である。

 

「はい。では、失礼します」

「うむ」

 

 うやうやしく礼をして、平助とともにその場を離れる。次の仕事に思いを馳せながらも、巌勝は父の思惑より、平助の考えの方を知りたくなった。

 

「結局のところ、私は、調査に加わればよい、ということですか?」

「――そうなる。が、あまり気負うなよ。どうせ汚れ仕事になるんだ」

 

 今日のところは、適当に鍛錬も流して休め、とだけ言い残して、平助は去った。

 取り残されたような気がして、巌勝は一時の不安を覚える。

 

――いや、気にはするまい。平助殿も、私の仕事を用意してくれるだろう。未熟な身ゆえ、余計なことまで伝えようとは思わなかった。これは、そういうことなのだ。

 

 何かしら、彼も悩むところがあるのだろう。政治的なアレコレについて、巌勝は把握しきれていない。

 そこで容易には口に出せぬ事情があるならば、自分にできることはただ備えるだけ。

 巌勝に許されているのは、所詮は子供にできる範囲のことに過ぎなかった。それを明確に自覚する出来事が、目前に迫っているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巌勝が人生の本道を進みつつある時、姿を消した縁壱は、果たしてどこにいたのか。

 何が理由で、決められていた道筋から外れることを選んだのか。それは、当人のみが知ることであろう。

 

――どこまでも続く、美しい空の下を。思いっきり走ってみたい。見たことのないものを見て、やったことのないことをして、自分には何が成せるのかを知りたい。

 

 結局、寺に行くことを選ばなかった彼は、ただ大地を駆けて遠くにゆくことだけを考えていた。

 類まれな能力に恵まれた縁壱は、自分の限界を知らない。家の中にいた頃は、どうしても行動が制限されていたから、試すことさえ出来なかった。

 一人になることで、何でもできるようになったといえば、現金に過ぎるであろうか。母や兄に遠慮して、無謀な行為は控えていた。自重することなく、思うがままに振る舞う機会を、縁壱はここでようやく得られたのである。

 

――走る。走る。夜が明けて昼になっても、この体は疲れを知らない。一体、どこまで駆けられるのか。

 

 調子に乗って、一昼夜も走り続けて。どこにたどり着くかも理解せぬまま、彼は駆けた。

 信濃の奥の、山の中。塩切村という地域に至ったことも、彼自身はわからなかったろう。ただ、縁壱はそこで己の運命と出会った。

 

――誰か、子供がいる。女の子だ。

 

 年頃は、自分と同じくらいか。山の中、こじんまりとした田んぼと畑が見える中、ぽつんと一人で立っている。

 桶を持ったまま、水の入った田んぼの中で、何をするでもなく立っていた。何をしているのかと観察してみたが、しばらく様子を見ても立ち尽くすのみで、仕事をする風でもない。気になった縁壱は、声をかけることにした。

 

「そこの、女子。田の中で立ち尽くして、何をしているんだ?」

 

 縁壱は、自分が不審者であるという自覚位はあった。見知らぬ相手からの声かけに、無視されても仕方がないとも思っていた。

 

「流行病で家族みんな死んじまった。ひとりきりになって、寂しいから。……田んぼにいる、おたまじゃくしを連れて帰ろうと思って」

 

 しかし、その女の子は、素直に答えてくれた。答えてくれはしたが、言葉をつまらせたかのように、途中で口を閉ざした。

 そのまま動かなくなった彼女を前に、縁壱はどうしたらいいのかわからなくなった。

 

――この場に留まったまま、おたまじゃくしを持ち帰ろうとしないのは、先ほどの言葉と矛盾する。この子は、本当は、何を求めているのか。

 

 とりあえず、何かしらの反応があるまで待とうと思ったが――。日が暮れるまで、そのまま微動だにせず田の中に居続けたものだから、彼のほうが困ってしまった。

 どうしたものかと考え続けるうちに、とうとう彼女が動いた。桶の中にいた、おたまじゃくしを田んぼの中に逃がす。

 田の中を泳ぎ回る、その小さな生き物を見て、自分から遠ざかっていくおたまじゃくしの姿を見て、その女の子は何を思ったのだろう。

 縁壱は、自らの興味が彼女に注がれていくことを自覚した。求めていたはずのものを、自ら手放して、どうしようというのか。

 この世には、欲しいものが手に入らなくて、苦しむものがいるというのに。その反対の行為をあえて行う理由があるとしたら、それは何なのか。

 

「連れて帰らないのか?」

「うん……」

 

 問わずには居られなかった、というのが正直な感想であった。どうして、と改めて問いただす前に、彼女の方から理由を口にする。

 

「親兄弟から引き離される、この子達が可哀想じゃ」

 

 縁壱にとって――その答えは蒼天の霹靂であり、驚愕の極地であり、何より救いを見出すに足る、想像だにしない返答であった。

 おたまじゃくしである。取るに足らない小物に過ぎないはずで、これを粗雑に扱ったとて、非難するものはおるまい。

 だというのに彼女は、家族愛をそこに見出し、さらには共感し、自らの欲望を押し込めることを選んだのだ。この感受性をどう表現したものか、縁壱にはわからなかった。

 あまりの事態に、どのような顔でこの言葉に返答するべきか、彼は一瞬悩んでしまった。それでも不器用なりに口を開くのだが――無表情で、無愛想に見えるその顔から出た言葉は、果たしてどこまで意識していたのか。

 

「じゃあ、俺が一緒に家に帰ろう」

「え?」

 

 当人さえ意外なほどに、その口からは素直な感情が現れていた。縁壱は、この子をもっと知りたくなったのだ。近くで見ていたいと思うくらいには、興味を惹かれてしまったから。

 男女の機微さえ理解し得ぬ年齢でありながら、彼は彼女こそが自分にとって必要な存在であるのだと、この一連のやり取りで確信した。

 

 家族とは何なのか、縁壱にはまだわからない部分が多すぎた。兄や母に対する感謝はある。父への申し訳無さも、また同時に存在する。

 しかし、慈しむ心や、失ったことに対する悲しみの感情については、どうにも不理解な部分が多い。

 思うところがないわけではない。己の感覚は他者とは違うらしい――ということも、なんとなくわかっているのだが……。それもおぼろげなもので、言語化できるほどのものではなかった。

 この少女の側にいればわからぬことが、わかるようになるのではないか。縁壱は、そうした期待も抱いたのだ。

 

「一人きりが寂しいなら、側に居させてほしい。……それとも、俺では、駄目か?」

「……だめじゃない、でも。なんで」

「おたまじゃくしには、親兄弟がいる。俺は――今の俺には、親兄弟は関係ない。代わりくらいには、なるだろう」

 

 縁壱には、まだ家族がいる。それを意識しなかったわけではないが、もう自分からは縁遠い存在であるとも思っていた。

 寺に入ることすら拒否した自分は、もう継国の家の子ではなくなった。縁壱は、そう己を定義する。ならば、ここで一人の女の子のために、彼女の寂しさを埋める手伝いをしたところで、なんの問題があろうか――と、そう思ったのだ。

 

「うち、そんな豊かな家でもないんじゃ。……嫌になったら、出ていってもいい」

「覚えておく。俺は、縁壱だ。君は?」

「名前は、うた。それで……よりいち? 聞いたことない名前じゃ」

「遠いところから、走ってここまで来た。聞き覚えがなくて当然だろう」

 

 うたという少女が、何に違和感を覚えたのか。縁壱は正確に理解することはなかったが、お互いに世間をしらぬ子供であればこそ、違和感は違和感のまま立ち消えていった。

 よりいち、などという名が武家の息子の名前であるなどと。その由来からして、教養ある親の語彙から出てきたものであるなど、学のない小娘に理解できるわけもない。

 お互いの隔たりを理解できる頃には、おそらく――すでに収まるところに収まっているはずだった。

 

「一緒に帰るんじゃろう? ――ほら、こっち。うちに来るまで、離れんようにな」

「ああ、うん。……ありがとう」

「何がじゃ?」

「……寂しいのは、俺も同じだから」

「そうか。おあいこじゃな!」

 

 手を繋いで、二人は歩く。男女の始まりとして、これが最善であったかどうかは関係ない。彼と彼女にとって、これが唯一の出会いであったという事実こそが重要である。

 お互いに、差し迫った事情はないのだから、ゆるゆると距離を詰めていけばいい。家族の居ない寂しさを、家族を作ることの嬉しさで埋めるには、いくつもの段階を踏む必要があるだろう。

 

 しかし、縁壱もうたも、これを厭うような性格ではなかったし、むしろゆっくりと距離を詰めていく過程を楽しむことさえ出来たのだった。

 それだけの猶予が、二人には許されていた。このときの二人にとっては、まさにその猶予こそが、幸福と言うべきものであったろう――。

 




 継国之物語を書くために、いろいろな文献に目を通したのですが、そこまで頭に入っている自信はありません。

 それでも特に印象深い書籍はありまして、特に【雑兵めし物語】は色々と参考になる部分が多かったと思います。
 さっと読める漫画ですし、低い身分から見る戦国史として、大変興味深い話に満ちています。

 つまりは、この物語もそれだけ泥臭い話が入っていきそうだ、ということでもあります。
 本格的な戦国物の小説など、書き上げられる自信はありませんが、どうにかこうにか、書き続けていきたいと思っています。

 よろしければ、次の投稿も、お付き合いください。では、また。

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