俺はフォンテーヌ生まれ稲妻育ち 作:残雪侍
1. フォンテーヌ フォンテーヌ廷 メゾン・ド・フォンテーヌ
その日は、いつにも増して雨が降る日だった。
水龍が泣いているから雨が降るのであれば、恐らく脛を蹴られたりしたのだろう。悲痛な泣き声のような雨音が窓を叩く。
「せっかくフリーナが帰ってきたって聞いて会いに来たのに、生憎の天気になっちゃったな」
マシュマロボイスをとろかして煮詰めたようなプリティーボイスで、これまたマシュマロの妖精みたいなパイモンが隣の旅人でくるりんと回転する。
スメール 璃月 稲妻。三つの国を巡る大旅行を終えたというフリーナのニュースは、同じく世界を回る旅人の耳にも入ってきていた。当然、悪い方のニュースも。
「おーい、フリーナ〜……? オイラたちだぞ」
とんとん、と軽くドアを叩いてパイモンが部屋の主を呼んだ。返事は無く、かと言って留守という訳でも無いらしい。旅人の第六感はフリーナの気配を感じ取っている。二人は困ったように顔を見合わせた。
フリーナは、もう何日も部屋に閉じこもって出てきていないらしい。途中で出会ったナヴィアが心配そうに嘆息していたことを思い出す。
「……やっぱり、ルドの事本当だったのかな? あいつ、腕は確かだったはずだろ? フリーナを守るために命を、なんて」
憶測で語るべきじゃないよ。旅人がパイモンの口に人差し指を立てた。とりあえず出直すことにしようと背を向けた正にその時、背中からドアの開く音が響いて旅人達に声がかかる。
「やぁ……君たちか。元気なようで何よりだよ」
「フリーナっ! お前いるならいるって──っ!?」
黒、黒、黒だった。頭にはいつものハットから長いベールが装飾されたトークハットに。その隙間から覗くいつものフリーナの目には、隠し切る事が出来ないほどの隈が浮かんでいる。
上着も、シャツもズボンも全てが黒一色。つまるところ、それは喪服として用意されていた衣装であることは明白だった。パイモンはひきつりそうになる顔を必死に誤魔化し、旅人にアイコンタクトを送る。
(ど、どどどどうするんだよ旅人っ!?こんなことになってるとはオイラ思ってなかったぞ!)
慌てるパイモンを他所に旅人はにこやかにフリーナへ挨拶し、あろうことか服装を褒めだした。無敵か?
「せっかく僕に会いに来てくれたんだ。これから行くところに付き合ってくれないかい? やっと、心の整理が付けられそうでね……」
「ぉっ!? おぅ! もちろん、お前の行きたいところについて行くぞ? なぁ旅人!」
「ありがとう。きっと、彼も喜ぶよ」
さぁ、行こうか。有無を言わさぬ迫力をもって二人の横をすり抜けるフリーナ。彼女の外出を感じ取った空がぴたりと泣き止んだ。職権濫用がすぎるぞ。
2. フォンテーヌ フォンテーヌ廷 エピクレシス歌劇場
「巡水船に乗るのも随分と久しぶりに感じるよ。出た時にちょうど雨が止んでくれて良かったね」
「そ、そうだな……なぁ、フリーナが帰ってきてから結構たってるんだろ? ずっと部屋に閉じこもってたなんてことは無いよな?」
「……部屋の外は、思い出が多すぎるからね」
「うぐっ! ご、ごめん」
パイモン……。旅人の冷ややかな視線にパイモンは小さな両手をぴったりつけて謝罪した。もう船を降りるまで黙っておくぞ……。飛ぶことにすら疲れた様子でパイモンは旅人の膝に収まった。
「でもなんでエピクレシス歌劇場なんだよ? ヌヴィレットに会うにしたって、この時間は審判とかで忙しいだろ?」
「ふふ、違う違う。彼に用がある訳じゃないよ。用があるのはこの裏さ」
曇天の下をフリーナ達は歩く。いつもより水かさを増したルキナの泉を通り抜け、歌劇場へ入ることも無く……一行は歌劇場の裏手にある小さな石碑の前までやってきた。
「……お、おいっ。これって」
「遅れてごめんね、ルド……やっと君にこれを返すことができるよ」
フリーナが懐から取り出したそれを見てパイモンが小さく喉を鳴らした。
色の抜けた神の目…………デザインはフォンテーヌのもので、それが何を意味しているのか稲妻での一件で旅人達はよく知っている。
石碑には今までの決闘で散っていった者達の名前が刻まれていた。その最も新しい欄をフリーナがなぞる。そこに書かれていた名前は。
ルド=ウィーク
「フリーナっ! そんな、本当なのかよ……っ! あいつは、ルドは!!」
「えい」
ぽちっとフリーナがルドの名前を押す。悲痛な声を上げていたパイモンの目が点になった。
次いで地響き、旅人たちはここがメロピデ要塞への入口になっていた事も思い出す。完全に地下への扉が開いたところで、靴を鳴らしてフリーナは歩を進めた。
「ん? どうしたんだい、ほら……行こう?」
「……おう」
フリーナさんもうそのキャラで行くの無理そうですよ。
長い長いエレベーターを下に降りて、地下通路を進んだ先。一行は懐かしさすら感じる監獄、メロピデ要塞へと到着した。
守衛を顔パスで通り過ぎたフリーナは迷うことなく進み、医務室区間にある一室へと入った。
パイモンも旅人も、もはや何も語らない。この先に何があるのか問いかけることもしない。なぜならこの話のオチを予想出来てしまっているから。
そこで旅人たちを待っていたのは
「シグウィンせんせー♡ 俺、せんせーの愛のこもった味のスムージー飲んだらすっかり身体の悪いとこ治ってさァ。もう退院しても良いですよね!?」
「ダメなのよ〜♡ せっかく人間ちゃんに戻ったのに、またお水ちゃんって呼ばないといけなくなるから安静にね♡♡」
「今まで俺水だったの? 怖ぇよ」
でも帰りてぇんだよーッ!!と絶叫し、笑顔の看護師長に布団で巻かれるルド=ウィークの姿だった。
3. フォンテーヌ メロピデ要塞 医務室
「なんで生きてるんだよッ!?」
いきなりノンデリかよ。非常食っパリらしいな?
俺は地の文を交代した。身体をくねらせ、ブリトーみたいな状態で座る。
まあ気持ちはわかるわ。どうせ前回の話から俺が師匠と相打ち、フリーナを逃がすために最後の力を絞り出してそのまま殉職したと思っていたのだろう。俺が死んだら出版されるはずの本はどうなるんだよ。死ねるわけねぇだろ!
「どうしてくれるんだよ! フリーナは変な格好だし、オイラの神経はすり減らされるし……お前の格好が一番謎だぞ!?」
「これかい? 胡桃に送って貰った次の映影の衣装が届いてね!」
似合っているだろう? とくるりと回転するフリーナ。ぱちぱちと拍手する旅人さん。曰く、胡桃から送られて来た衣装と道具を見てインスピレーションが湧き出し、寝食を忘れて台本作りに没頭していたらしい。どうやら勘違いしていたのはパイモンさんだけらしいぜ?
「おま、おまええっ! 心配して言葉を選んだオイラの気持ちを返せっ!」
「んひゃ! いひゃいじゃないか!? ほほをひっぱるのをやめないか!!」
むにー! とフリーナの頬をひっぱるパイモンさん。
小さな生き物同士が争うほのぼの空間を楽しむ前に、病室では静かにね〜と笑顔で刺しにくる看護師長の言葉でとりあえずパイモンの怒りの炎は鎮火した。
ぜいぜいと肩で息をするパイモンさんはどうやら、物語の鉄則ってものを分かっていないらしい。俺は鼻で笑ってやった。
「あのなぁパイモンさん。こういう時のお約束ってのを教えてやるよ」
「……何だよ」
「イケメンは死なない」
顔面に小さな拳が炸裂した。俺の頭が布団にめり込んで消える。ブリトーの完成である。
埒があかないので、俺はフリーナを送り出して消えた後の事を説明してやることにした。
4. なんかずっとくらいとこ
暗く、音も無い空間。身体の輪郭はとうに消え、自分が元はなんだったのかすら曖昧になっていく空間で、俺の意識は覚醒した。
「続いての審判。被告人、フォンテーヌ生まれ稲妻育ち。決闘代理人のルド=ウィーク。現在君には二つの疑いがある」
頭上から声がかかった。俺──どうやら俺の名前はルド=ウィークであるらしい。そういえばそんな名前だった気がするし、そうじゃなかった気もする。
「記憶喪失者の演技はやめるように。君は間違いなくルド=ウィークである」
「あっはい」
俺は自分を取り戻した。信託は絶対なのだ。同時に、今までの事を全て思い出す。俺は最後の力を振り絞ってフリーナを助け、そして死んだのだと。
「まずは君の勘違いを正そう。君の意識はまだ生と死の狭間をさまよっている状態で、完全に死亡している訳では無い」
いやでも身体溶けたし? 身体がねーんじゃ死んだも同然だろ。俺は無い両手で肩を竦めてやった。伝わらねえなこの状態だと……。目の前の最高審判官様は表情を変えない。そのまま、かつんと杖を打ち鳴らした。
「問題。君がフリーナの護衛を引き受け、視察に出ている間、彼女を泣かした回数を答えよ」
…………俺は指を折り曲げて、泣き顔を見た回数を数える……えーと、密林はノーカンなんだっけ?
「水龍の問いかけに回答者は要らない。審判の続きをしよう」
「なんだったんだよこの時間」
わけのわからんことを! これ、俺が死ぬ前に見てる夢で本物の最高審判官様じゃないな!?
審判は続く……水龍様は長い脚を優雅に動かして、俺の周りをかつかつと歩き、例え話を始めた。
「……本来。水に溶けた身体を元に戻す方法は存在しない。三回目を使用した君はかつてのフォンテーヌ人のように、水に溶けてその命を終わらせていた事だろう」
「そりゃそう。んで、なにこれ?なんか身体あるみたいなんですけど……」
俺は回数を数える為に使った指をかざした。間違いなく俺の身体だ。誰にも見せたことの無いほくろの位置まで完璧。これが人工的に作られたものなら、神の御業と言う他無い。
ヌヴィレット様は極めて冷静に続けた。
「コップ一杯分の水を海に捨てた時、それをもう一度コップに戻すことは不可能だ。それは君にも理解出来ると思うが」
「海に落ちる前に、水を受け止める器を用意した者がいた。そのおかげで君は死亡せずに済んでいる」
「……そんなことをしてくれる人、いや神に心当たりがあるんだが」
「契約を果たしに来た……聞こえたのはその一言のみ。直接姿を見たわけではないが、君の行動で私は未来に控える審判に一つの情状酌量の余地を作ってしまった」
「それが君の罪の一つ、『審判妨害罪』だ」
「どうしよう完全に八つ当たりなんだけど」
異議あり異議あり!
俺の自己弁護はクールに受け流された。職権濫用もここまで来ると清々しいな。
「こちらの罪は特に君に対して影響するものではないので静粛に、次が……君の最も大きな罪だ」
こいや、隣人泣かせすぎ罪だろ。言い訳と説明くらいはさせてもらうぞ!
「君には、フリーナの好意を弄び、その知識に偏りがあるのを良いことに彼女に婚前交渉を仕掛けた疑いがかかっている」
「────あぁ、俺がやった。これは嘘でも否定でもない」
俺は受け入れた。罪人はここです。どうぞ殺してください。
「その意味をただしく理解しているだろうか。君は、彼女の好意を受け止めた上でそれを踏みにじったことになる」
「…………」
分かっている。俺は別に恋愛小説に出てくる主人公のように鈍感なわけじゃない。最期の行動がフリーナにどれほどの傷を遺してしまうのか、分かった上で俺は最善としてそれを実行した。
のらりくらりと好意を躱す選択もあった。事実旅の途中まではそうしてたしな。それでも、あの夜俺はフリーナの想いを受け止めてしまった。
師匠の言う通りに彼女を棄てて一人で行けば、俺は負けていた。どちらにしても詰んでいて、全ての理由は俺に力が無いことにある。許されるべきではないだろう。
「……理解しているのなら、それでいい。私は、今から君を罰する」
「……ッ!」
雰囲気ががらりと変わる。迫り来るプレッシャーで俺の身体が硬直し、その場に縫い付けられた。
俺の目の前にいる水龍は間違いなく本物で、人の生死など指先ひとつでどうこうできてしまう上位者である。
俺の身体の周りを方位するように紋章が浮かび上がった。恐らく、俺がフリーナを泣かせた数だけ門が開いているのだろう。じわじわとヤバそうなビームを溜めて行くのがわかる。
「今の君は彼女に相応しくない──『隣人泣かせすぎ罪』改め、『恋心弄びすぎ罪』及び『恋人泣かせすぎ罪』……そして『フリーナ泣かせすぎ罪』の罰を下す」
「っ多いな!?」
最後のが本当に罰したいとこなのかね。俺は身構えることも無く身体の力を抜いた。ぐうの音も出ないほど俺が悪い。故郷の守護龍に殺られるのなら、それもいい。俺は処刑を待つ罪人として頭を垂れた。
「……君の罰は、懲役二週間とする。これからメロピデ要塞でシグウィンの診察と治療を受けてもらおう」
「…………は?」
短っ。それってただの入院なのでは? じゃあこのビーム何……っ?
「そして執行猶予として──君が彼女に相応しい伴侶になれるように、私が君の器を鍛え上げる。無期限で」
「────は、ァあああぁぁ!!!?」
文句を言う前に俺の身体が打ち上げられた。背骨がボキバキ音を立て、水圧が俺の思考の全てを奪い取った。
深海を突破し、陽光に照らされた水面がマッハで迫る。これ、俺……死──ッ!!
4´. フォンテーヌ エピクレス歌劇場 ルキナの泉前
「皆さんご注目! 今から、この袋の中に入れた綿棒が、とても大きなものになって出てくるよ〜!」
「3! 2! 1───っ! 」
「えげりああぁあぁ!?!?」
とてつもない水圧で勢いよく、俺の身体は空へと投げ出された。受け身をとる間もなくそのまま浅い水面に叩きつけられ、げほげほと勢いよく咳き込む。
ここ、は? 俺は生きてるのか? フォンテーヌに帰ってきて……。泉の縁を掴んで、ふらふらと俺は立ち上がり、周囲を確認した。
目の前にいるのはフォンテーヌで大人気の魔法使いにしてマジックボックスをくれたマジシャン兄妹と、そのギャラリー。本当に帰ってこれたんだな。
「…………えっと、ルドさん、ですよね? いつからそこに、なんで何も着てないんですか?」
「げほ、リネくん。その節はどうもな……何も着てない? 俺が?」
「大きい?」「大きいといえば大きい」「え、ここから大きくなるんですか?」「どちらもありうる──」
「…………じゃじゃーん」
なんか盛大にやらかしたらしい。やる気のない掛け声と共に全裸の俺に観客がまばらな拍手を送った。リネットちゃん? そんなまじまじ見るもんじゃ「公然わいせつ! 現行犯逮捕ーっ!!」
誰も状況を飲み込めていないうちに、俺はメリュジーヌさん達に縄でぐるぐる巻きにされて連行された。そしてシグウィンせんせーに回収され、メロピデ要塞のベッドへ叩き込まれて今に至るというワケ。
「……お兄ちゃんのえっち」
「ちがっ! リネット!?」
後日孤児院に菓子折りを持って謝りに行こう。本当に申し訳ないことした。
5. フォンテーヌ フォンテーヌ廷 レストラン『湖の光』
「おやっさん。俺はいつもので。フリーナの分も頼むな」
「ルド〜……久しぶりに来てくれたお礼に、あっちのお客さまに出す分のサラダ、失敗しちゃったからこっそりあげるね?」
「アンナっ!」
俺が故郷に帰ってからきっかり二週間。刑期を終えた身体はすっかり元気になり、俺は晴れて人間ちゃんの称号を手に入れていた。今までの食事は点滴とスムージーだけだったからな。ちゃんと物が食えるってのは素晴らしいね。アンナの作った発展途上サラダも極上の一皿として胃袋に歓喜を与えてくれる。
「……君、退院したばかりでいきなりそんなに食べて大丈夫なのかい?」
「安心しろ。そこら辺はシグウィンせんせーとの涙のお別れの時にお墨付きを貰ってる。元素力の影響を受けやすい体質の利点ってやつだ」
身体を消滅させ、死の淵をさまよった俺だが、元々の体質の効果が出たのか特に後遺症は残っていない。
接続が切れて色を喪った神の目も、ちゃんと手元に戻ればこの通りだ。俺は指先から水球を一つ作り出してコップへ落とした。なんかフレームが変わって牙みたいなの着いてるけど、オシャレだしいいんじゃん?
「で、だな。フリーナさんよ」
「なんだいルド? 僕は今パスタを片付けるのに忙しくてね」
「……めちゃくちゃ怒ってるよね? なんでずっと喪服着てんの?」
ぴたり。とフリーナのフォークが止まった。胡桃の送った荷物に喪服なんて入っていなかったはずだ。フリーナが帰ってきてから俺が這い出てくるまで、実はひと月のタイムラグがある。その一ヶ月で、フリーナがどれほどの事をしたのか、俺には想像がつかない。
「別に怒ってなんかないさ。僕は君が還って来てくれてとても嬉しいよ」
「含みがある言い方!」
怒ってんじゃんよ。俺は頭を抱えた。どうする、誤るタイミングを完全に逃したせいで全てが後手後手に回ってしまっている。たすけてヌッ様! 俺はテレパシーを送った。
「こればかりは彼女の気持ちの問題で、刑期を終えたからと許されるものではないだろう」 あっはい。
俺は震える手で水を飲み干した。信託は絶対なのだ。
「…………」
「君のいない間、湖の光には随分お世話になったよ。今日の夕食も素晴らしい味だったね」
結局話せずに帰路に着いちまった。このまま各々の部屋に着いてしまえば、二度と会えない気がする。とはいえ、じゃあ改めて話を……なんて雰囲気じゃない。俺は、ここまで人間関係初心者だったのか?
メゾン・ド・フォンテーヌの共用扉を開けて階段を登り、各々の部屋の前へ着いてしまう。まずい、言え、なんでもいいから言えルド=ウィークッ!!
「──あれ、ドアノブは?」
俺は入ろうとしていたドアに、ドアノブがない事に気がついた。ははっ、取れちゃったのかな? 大家さんに言っとかねえと。
「君の部屋だった場所はもう僕が借り直したよ。改装工事も終わって、そっちは内側からしか開けられないようになってるんだ」
「どうして?」
俺の口からどうしてが出た。にこやかに笑っていたフリーナの目がすうっと細くなる。
「
ず……っとフリーナの顔が見えなくなった。暗い色のベールが彼女の顔に陰を落としたのだ。
「その言葉は、僕があの時君に向けて言っていたものだよ」
とす、と俺の胸に拳が突き刺さる。弱々しくて、華奢な腕から繰り出される痛みのない拳。泣きそうな顔をするのはいつもフリーナの方だ。
「痛くて、痛くてたまらない。血が滲むほどに扉を叩いて、喉から血が出るくらいに叫んでもビクともしなかった。その部屋のように、開けられる機能を持っているはずのハッチは開けられなかったんだ」
「……」
「勝手なことをした? 君は勝手なことをしても許されて、僕は許されないのかい? 怒っているとも……僕は怒っているんだよ、ルド」
「あぁ、お前にはその権利がある」
「───ッ!!」
フリーナの振り上げた平手を俺は避けなかった。静かに目を閉じてその時を待つ……が、俺の頬に当たるのはただの柔らかな掌だった。
「もう痛いのはいやだ。拳の痛みも、喪失の痛みも……熱くて寂しくて、辛いだけだ」
俺はフリーナの手を取って降ろした。その場に跪いて、ゆっくりと黒い手袋をとる。白くて華奢な手が、あの日をそのまま再現しているかのように赤く腫れていた。
寝食を忘れて執筆? できるわけが無いし、フォークを持つことすら時間がかかって仕方がないだろう。
「……はぁ。こっち来い」
「っ……ん」
俺は柔らかく、痛くないようにフリーナの手をとったまま彼女の部屋へと入った。サロンメンバーが毎日掃除しているでなろうピカピカのリビング。その中のソファへフリーナを座らせてやる。
床に座って傷の診察を始めた俺に、上からぽつりとフリーナの声がかかった。
「毎日、毎日夢を見るんだ。朝起きたら君がいて、俺が死ぬわけねえだろって笑ってくれる夢」
「んだよ。今の俺が亡霊に見えるのか?」
「その言葉を言った後、夢に溶けた君を何度も見ているんだよ」
まじかよ夢の俺最低だな。さすがクズ野郎……。
ベールの隙間から雫が落ちた。窓から差し込む月光だけでは、心を閉ざしたフリーナの表情は見られない。
「この痛みだけが、僕を夢から醒ましてくれる。これが無くなったら僕はもう二度と、甘い夢から醒めることができなくなるだろうね」
「ねぇ、どうして生きているんだい? また僕を安心させて、喜ばせて消えるため? 自分勝手に心を埋めて、喪失の傷を大きくするためかい?」
「──決まってる。そんなの」
俺はフリーナの顔に手を伸ばした。拒絶のベールはあっさりと突破され、柔らかな頬を伝う雫を拭う。
「お前の泣き顔を見るためだ」
「……っはは。いじわるでひどい。数ある夢の中で、一番君らしい答えだね」
「だろ? ……俺は欲張りで我儘だからな。その上独占欲もあるらしい」
すり、と俺の親指がフリーナの頬を撫でた。フリーナは嫌がる素振りすらみせずに俺を受け入れている。少しでも夢の続きを見ていたい……そんな感情が指先から伝わってきた。
「お前に涙を流させる存在は、俺だけがいい。俺の事を思って毎日泣いてくれていたのなら、それはとても嬉しい」
「……っ」
「でもな……俺はお前の泣き顔も好きだけど、笑顔の方がもっと好きだ」
「全部合わせてフリーナ・ドゥ・フォンテーヌだからな」
『擬剣』一時的な能力の模倣。俺は柔らかな羽を装飾した細剣を作り出す。俺が何をしようとしているのか気づいたフリーナの体が強ばった。
「っ、やだ。この痛みが消えたら、君はまた──」
「信用無くなったなぁ」
でも治しちゃうんだな。俺は勝手な男なので。
暖かな光が患部を包み込んで、フリーナの拳から痛みと傷を取り上げてしまう。傷跡すら残さず、何事も無かったかのように。
「どうだ。痛みは消えたか?」
「…………知らないよ」
いてっ。フリーナの拳が俺のこめかみにヒットした。その後、俺の顔を白い手が撫でる。存在を確かめるような優しい手つきだった。
「一ヶ月。本当に君が死んだんだと理解するには十分な時間だった。何度嘆いたところで君は帰ってこないんだって、気持ちにやっと整理がつけられそうだったのに」
「俺もまさか感動的な再会シーンが公然わいせつ物陳列罪に化けるとは思ってなかったわ」
裁判も無しにメロピデ要塞へ収容されたおかげか、あの日見たのは集団催眠による幻覚。つまりリネくんのマジックの影響と言うことになっているらしい。まじで孤児院に多額の寄付とかした方がいいかもしれん。
「で? どうだ。こんだけ好き勝手にお前の意志とは関係ない事をしでかす男は……まだお前の夢の中で作られた亡霊に見えるか?」
「…………まだ、君の口から聞いてない」
そうだったな。俺は立ち上がってフリーナの帽子を取り上げた。ベールの奥に隠された顔が顕になる。
月光に照らされて輝く銀の髪。涙で濡れた瞳も、その下の隈さえも全て全て愛おしい。
「心配かけて悪かった。ただいま、フリーナ」
「────ばか、ばかルドっ!」
飛び込んできた最愛を、俺も全力で受け止める。軽いな……もっと食べさせてやらねえとこっちの方が消えそうだ。
「今度勝手にいなくなったら承知しない、僕も一緒に消えてやるからね……っ! 僕は、僕は本当に怒ってるんだよっ」
「責任をとって。もう僕の傍から離れないで! ずっとだ。もう君を、離してやるもんか……っ」
「あぁ、ごめんな。もうこれっきりだ」
顔を上げて、フリーナが俺を見る。怒りと涙で覆い尽くされていた顔はどんどん解けて、涙ながらに満面の笑顔が咲いた。
「おかえり、ルド。君が帰ってきてくれて、とても嬉しいっ!」
本当に、俺の願いはこんな近くに転がっていたらしい。
静かな部屋の中で、柔らかな感触を唇に感じながら、心の底からそう思った。
5以上はもちろん5以下でも評価されると嬉しいんだよォー!
もっとよこしなっクイクイ
もうすぐこの話はエンディングです