「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
『3人とも無事なの!? さっき悲鳴が聞こえたけれど……!』
さっきのローザとカルビ、それにエミリアの上げた悲鳴が聞こえたのだろう。
通信用魔導具の指輪から、ネージュの切羽詰まった声が飛んでくる。いいタイミングだった。
荷物みたいにカルビに抱えられているローザは、かなり無理をして冷静さを装い、ネージュに状況を伝える。
「まぁ、ギリギリで無事だよ。でも、相当ヤバい。今の私達、でっかい蟲の群れに追いかけられてるから」
『で、でっかい蟲の、む、群れ……? あの蜘蛛だけじゃなくて?』
通信用指輪の向こうで、ネージュが微かに声を震わせている。虫が嫌いな彼女は、明らかに動揺している様子だった。だが、現状ではネージュが頼りだ。
「うん。召喚魔法で呼び出されたみたい。数も凄いから、私達だけじゃ対処できない。だからネージュには、規模の大きな凍結魔法の準備をしておいて欲しくてさ」
自分の声に動揺や恐れが含まれないように、ローザは必死に平静さを保とうとした。だが、追ってくる蟲の群れを一瞥すると、ちょっと無理だった。
「全員が蟲の濁流に飲み込まれちゃう……!」
せっかく自分を落ち着けたのに、ローザの声がガクガクと震えてしまう。
だって、仕方無いよ……。蜘蛛と蠅を合体させたような蟲達の数が、さっきより明らかに増えてるんだもん……。
『尚来re尚来re、黒ki蟲乃群re夜ki多礼我乃敵wo喰i殺せEEEEEE――ッ!!!』
声が聞こえてくる。詠唱だ。あの大蜘蛛の頭に生えた、ローブの墓守だ。あの蟲の群れの奥から、召喚魔法を重ねて唱えているのだ。本当に冗談じゃない。
『……では、蜘蛛の上にいるローブの墓守は、僕が狙います』
通信用の指輪から届いたアッシュの声は良く通った。
相変わらずと言うか何と言うか、異様なほどに落ち着いた声音だ。……っていうかアッシュ君、なんか凄いこと言ってない……?
『これ以上、召喚魔法を唱えられてしまっては厄介ですから』
「いや、まぁ、確かにそうなんだけど……」
ねぇ、アッシュ君……。まさか、あの蟲の濁流に突っ込むつもりなの……? 流石に無理じゃない? 無謀っていうか、自殺行為だって……。
喉まで出かけていた言葉を飲み込み、ローザは息を短く吐いた。蟲の群れに目を向けようとして、止める。目を閉じる。
アッシュは、やると言ったらやるだろう。蟲の群れがどれほどであっても、多分、アッシュは正面から突撃していく。そして、あの超速の身のこなしでローブの墓守を狙うつもりなのだ。
トロールダンプでも彼はそうだった。ローザ達に迫る危機を排除するためなら、アッシュは自分の危険を顧みない。一歩も引かない。最後まで一緒に戦ってくれる。
このアッシュへの信頼が、ローザの頭にも冷静さを通し直してくれた。
「……うん。それじゃあ、アッシュ君にはローブの墓守をピンポイントで狙って貰うよ。でも、そこは私達も協力するから」
自分の中の勇気を握り締める思いで、ローザはカルビに担がれたままで声に力を込める。
「まずは、私とネージュが蟲の群れの動きを止めるよ」
ローザが魔導銃を連射する作戦であることを察したのだろう。
カルビが何かを言いかける気配があった。
「そしたら多分、あの大蜘蛛が奥から出てきて、また攻撃魔法か召喚魔法を唱えようとすると思う。アッシュ君には、その隙を衝いて貰いたいんだよね。カルビ、エミリアと一緒に」
こんな不確かで頼りない指示しか出せない自分が不甲斐ない。
だが、今の状況ではやるしかない。
「ネージュは、今から凍結魔法の準備をお願い。私も死ぬ気でフォローするから」
『……分かったわ。どのみち、その蟲の群れを止めない事には、全滅は免れなさそうだし』
通信指輪の向こうで、ネージュが頷くのが分かった。
『そろそろ私達も角を曲がるから、こっちの魔法に巻き込まれないように気を付けて』
もう落ち着きを取り戻しているのか、その声音の低さと落ち着きには、普段の物騒さが戻ってきている。
「おいビビッてんじゃねーぞ、ネージュ。つーか頼むぞ。こんな地下じゃ、アタシだって火力を出せねぇんだからよ」
カルビも肚を決めたような低い声を出して、走る速度を上げながらローザを肩に担ぎ直す。指輪の向こうでネージュが鼻を鳴らすのが聞こえた。
『うるさいわね……。分かったと言っているでしょう。それに、貴女のは魔法なんてものじゃなくて、馬鹿みたいに炎熱系の魔力を放出しているだけじゃない』
「馬鹿野郎お前、アタシの炎魔法はな、いつだって繊細に調整された火力なんだよ」
「ぜぇ……! ぜぇ……! か、カルビさんの口から……ッ! 繊細なんて言葉を聞くと……ッ! 軽く感動しますわね……!」
苦しげに息を乱して、何とかカルビの後ろについて走っているエミリアが溢していた。
『同感だわ。繊細なんて言葉、笑えるぐらいカルビに似合わないものね』と、通信指輪の向こうでネージュが頷く気配があった。「おいテメェら、そりゃどういう意味だ」とカルビも言い返す。
こんな状況だからこそ、こうやって言い合う3人の声がやけに頼もしい。
ローザの気持ちも前を向く。何とかなるような気がしてきた。仲間に助けられるという言葉の意味を噛み締める。
『では僕もローザさんの作戦通り、状況を見て、あのローブの墓守を狙います』
穏やかなアッシュの声が続き、ローザも応じる。
「うん。頼りにしてるよ」
アッシュの淡々とした真剣さには、何らかの情熱や殺意が籠められているふうでもない。ただ、自分のすべきことの為に集中しているのだ。
やはり、アッシュは信用できると思った。
ローザは首を曲げて、自分のお尻の方を見遣る。
つまりは、カルビ達の前方。直後だった。
通路の先の、曲がり角からだ。
アッシュとネージュが走り出てくる。
大槍を構えて腰を落としたネージュの方は、盛大に顔を引き攣らせ、僅かに体を引いていた。ローザ達を追い掛けてくる蟲の群れを目の当たりにして、流石に動揺を見せている。
だが、それも一瞬のことで、彼女はすぐに表情を引き締めて詠唱に入った。
低い声で文言を紡ぐネージュの足元に、複雑な紋様の魔法円が幾重にも浮かび上がっていく。蒼と黒の全身鎧からも、青白い冷気が立ち上って渦を巻き始めた。
ネージュの隣にいるアッシュは、二振りの短剣を手に、ローザ達の背後を埋め尽くす蟲の群れを一瞥しても、特に表情を動かすこともなかった。
だが、すぐにローザと目を合わせて頷いてくれる。彼の眼差しの静けさは、ローザの作戦を信頼していることの顕れだろうか。ちょっと胸が熱くなる。
……お姉さんらしいとこ、見せないとね。そう口の中でローザが呟くのが聞こえたのかもしれない。
「おいローザ!」切羽詰まった声でカルビが叫んだ。「死ぬなよ!」
「うん……! 分かってる……!」
カルビに担がれたまま、左手に魔導拳銃を構えたローザは引き金を引いた。魔導銃『カウントレス』シリーズは、使用者の魔力を吸い上げれば吸い上げるほど、魔法弾の威力を上げる。
ローザは、なけなしの自分の魔力を銃に吸わせた。瞬間、目の前が白くなって、次に黒くなって、ちょっと意識が飛んだ。だが、これは必要なダメージだ。
ローザが渾身の魔力を籠めて撃ち出した『アクア・ウォール』の最後の1発が、通路のド真ん中に、一際巨大な水球を発生させた。
ただ、あの水球だけでは猛進してくる蟲の群れを止めることはできない。せいぜい、一瞬だけ蟲達の勢いを殺す程度だ。
だが、あの水球を何らかの方法で硬化させることが出来れば――。
「私だって、アッシュ君にいいとこ見せないとさ……!」
カルビに担がれた姿勢のままで、ローザは続けざまに魔導ショットガンをぶっ放す。凍結魔法弾で、空中に発生している水球を捉えたのだ。
結果的に言えば、上手くいった。
凍結魔法弾によって凍りついた巨大な水球は、そのまま通路を塞ぐように地面に落下した。ズッシィィィィン!!という、重たい音と振動があった。
水球を潜ろうとしていた蟲達はそのまま圧し潰されて、その脇をすり抜けて来ようとしていた蟲達も、凍結魔法弾の効果で凍り付いていく。
巨大な氷球と、凍り付いた蟲達の屍骸によって、聳えるようなバリケードが瞬間的に出来上がった。
押し寄せてきた蟲達は勢いを殺しきれず、このバリケードに正面から激突し、後方から雪崩れ込んでくる他の蟲達に圧し潰されたり、踏み潰されたりしている。
「おぉ! やるじゃねぇかローザ!」
走りながら背後の様子を見たカルビが歓声を上げる。
「素敵ですわローザすわぁん! 見直しましたわ!! ぜぇっ……! ゲッホ……!」
蟲達の猛進が一時的に止まったのを見たエミリアは、息を乱して咳き込みながらも、本気で嬉しそうだった。だが、安心してはいられない。あくまで、これは時間稼ぎだ。
蟲達はワシャワシャギチギチガチャガチャと動いて壁面を這い上り、氷球をよじ登り、バリケードを乗り越えてくる。『Kishishishiiiiiiiiii――……!!』 当然、蟲達の後方にいた蜘蛛野郎もだ。
『尚来re尚来re尚来re尚来re、尚来re尚来re、尚来re尚来re、尚来re尚来re……』
というか、あのローブの墓守がまた何かを唱えている。魔法だ。やはり召喚魔法か。これ以上、ヤツが魔術を発動させるのを阻止しないと。
そう思ったローザは、もう一発、魔導ショットガンをぶっ放そうとした。だが、できなかった。
ローザの視界が、黒く裂けて罅割れ、やけに暗くなった。身体が震える。腕にも力が入らない。呼吸が千切れる。上手く息ができない。
ショットガンの方はともかく、大型魔導弾である『アクア・ウォール』の魔力消費が大き過ぎた。ローザの身体が魔力枯渇を起こそうとしている。
「やば……死にそ……」
掠れたきった声で呻いたローザは、取り落としそうになった魔導ショットガンを何とかアイテムボックスに収納する。そこで本格的に身体から力が抜けた。
「バカお前、死んでる場合じゃねぇぞ! このおっぱいガンナー!」
ローザの身体が、急に重くなったのを感じたのだろう。ぐったりしているローザの身体を担ぎ直してくれた。
「しっかり生きてろ! つーか、アタシの肩の上で勝手に死んだら承知しねぇぞ!」
今までにないぐらいに必死な、ちょっと泣きそうな大声だった。自分と近しい誰かが死ぬことを、本気で怖れている。そういう震えを帯びた声音だ。
「アタシの寿命を削り切ってでも、生き返らせてやるからな……!」
消え入りそうな意識の中で、ローザはふと思う。
もしかしたらカルビは、ローザ達と出会う前に、仲間と死に別れた経験でもあるのだろうか。そういった類の苦悩や後悔を、カルビが抱えていても不思議ではない。
……でも、誰がおっぱいガンナーよ。
担がれたままのローザは言い返そうとしたが、やめた。
そんな気力が出ない。しんどい。
「ぜぇッ……! せめて魔法薬を使う暇があれば……! ぜぇ……! ローザさんの魔力をすぐにでも回復してあげられますのに……!」
歯噛みするエミリアは、息を千切れさせて走りながらも、ローザの為に回復用の魔法薬の小瓶を取り出してくれていた。
瓶の中に揺れている液体の色からして、あれは魔力回復用のものだと分かる。
エミリアは高飛車で自信の塊みたいではあるが、カルビと同じく、他者を傷つけたりする種類の傲慢さを見せることはない。基本的には仲間思いだし、その芯の強い優しさにはローザだって何度も助けられている。
この2人が仲間で本当に良かった。朦朧とする意識のなかで、そんな風に感傷に浸りかけたときだった。
地下なのに風が吹いてきた。
冷たい、冷たすぎる風だ。
大粒の雪が混じっている。青白い雪だった。
それが、まるで吹雪の様に吹き付けてくる。
でも、よく見れば雪じゃない。
淡い燐光を纏った、細かい氷と魔力の結晶だ。
ローザにとって、もう1人の掛け替えのない仲間――ネージュの、強力な氷結魔術が完成したのだ。
魔力切れ寸前で泥のようになった自分の身体に、ローザは必死で力を入れ直した。カルビに担がれたまま、自分のお尻の方に首を曲げる。
そして見た。
物凄い冷気と魔力を練り上げたネージュが、手にした大槍の穂先を地面に叩き込む瞬間を。
「凍りなさい……!!」
地面に埋め込まれた大槍から、冷気が溢れた。
蒼くて白い、そして濃密で分厚いそれは、氷結を齎す魔力の奔流であり、空間のうねりであり、塊であり――その蒼い微光を含む冷気は、まるで巨大な蛇だった。
ネージュが解放した氷結魔力の蛇は、這った跡をバキバキバキバキィ……ッ!! と派手に凍らせながら、凄まじい勢いでローザ達の方へと突き進んでくる。
「おっと!」
だが、このダンジョンの通路は幅も広い。
ローザを担いだカルビは通路の端に寄って、冷気で編まれた大蛇を躱す。
「あだッ!?」
そろそろ走るのも限界だった様子エミリアも、ずっこけながら横っ飛びをして冷気の大蛇をやり過ごした。
だが、通路を埋め尽くすほどの蟲達は無理だった。大蛇を避けることができなかった。そもそも、あの数というか量なのだ。避けようがない。
冷気の大蛇は蟲の群れに食らい付いて、膨張しながらのたうち、容赦なく暴れまわった。絶対零度の暴風が吹き荒れて、そこに別世界を作り出そうとしていた。
薄暗くも広大な通路に、蒼い光が色を付けていく。
冷気となったネージュの魔力が、空間を支配しているのだ。
暗がりの中に、細かい氷の粒子がキラキラと輝きを放っている。細かく澄んだ煌めきの向こう側で、蟲達は蒼い氷に縛られて、囚われ、飲み込まれていった。
強大な氷結魔法が齎した、美しくも残酷な光景だ。
厚みのある冷気と静寂が、薄暗がりのフロアに満ちていく。
もしかしたら、あの蟲の群れと一緒に大蜘蛛まで凍結してしまったのかもしれない。そう期待してしまうほど、あの氷の世界から動いているものの気配が消え去っていた。
ただ、大量の魔力を消費したに違いないネージュは、ローザ達から少し離れたところで大槍に寄りかかり、アッシュに肩を支えられている。
表情を歪めたネージュの荒い息が、凍えるように白く煙っているのが見えた。
「おいローザ! 生きてるな!? おい返事しやがれ!」
大蜘蛛、そして蟲の大群も動きを止めている隙を見て、カルビがローザを横抱きにしてくる。そのまましゃがみ込んで、ローザの呼吸を確かめるように顔を覗き込んできた。
「黙ってたらマジでぶっ飛ばすぞ!」
「いや……ぶっ飛ばさないでね……」カルビが本気で心配してくれているのは分かるので、ローザも気力を振り絞ってツッコみを返した。
「……生きてても死んじゃうよ……」
「死ぬのが嫌なら、しぶとく生きとけ」
ローザに意識があることを確かめたカルビは、そこで安堵の息を勢いよく吐き出して、唇の端を吊り上げる。
「少なくとも、アタシの目の前で死ぬのは許さねぇ」
だが、カルビの目が笑い切れていないのは、彼女が抱えている何かのせいだろう。
「ゲッホ……ッ! 横暴な注文はそこまでですわよ、カルビさん!」
さっきまでぶっ倒れたまま、ぜぇぜぇと息を整えていたエミリアが、ローザの近くまで駆け寄ってきて魔法薬を使ってくれる。
「まずはローザさんの魔力回復が先決ですわ!」
カルビの腕の中でローザは、自分の体が淡い光に包まれるのを感じた。
魔力回復の効果を持つ魔法円だ。枯渇しかけていた肉体の魔力が、本当に徐々にだが回復していくのが分かる。魔法薬は即効性が薄い代わりに、その効果は非常に高い。
「助かったよ……。カルビ、エミリア」
魔力と共に、少しずつ身体に活力が返ってくる。
ローザはカルビの腕の中で身体を起こし、2人を交互に見た。
「パーティメンバーをフォローするのは、淑女の嗜みですわ」
汗まみれのエミリアが、すまし顔をキメながら髪をかき上げる。
「礼には及びませんことよ。ねぇ、カルビさん?」
「あぁ。気にすんな」
一瞬だけローザから目を逸らしたカルビだったが、すぐに気安い感じで言ってくれる。
そのぎこちないカルビの態度を見て、思わぬ形で彼女の過去に触れてしまったのだとローザは確信した。
「ローザが無事だったなら、何でもいい」
だが、カルビはすぐに態度を変えて、いつもの獰猛さを取り戻している。
「……あとは、あの蜘蛛野郎をぶちのめすだけだ」
腕の中のローザを地面に下ろして立ち上がったカルビは、ゴキゴキと首を鳴らし、氷に覆われた通路へと目を向ける。
そこで、ローザも聞いた。バキバキバキバキバキィ……ッ!! という、硬いものが軋みながら、無数の氷の塊を砕き、圧し潰すような音だ。
まか、何となくそういう気はしていた。あの大蜘蛛まで凍ってくれていたら、なんていう淡い期待は、文字通り粉々だ。
戦闘はまだ終わっていない。
「さぁて……。ローザとネージュは十分に仕事をしてくれたからな。アタシも気合を入れねぇと」
ペロッと唇の端を舐めて湿らせたカルビは、手にした戦斧に魔力を流した。彼女の魔力は炎となって、戦斧の刃に赤々と灯る。
「えぇ。カルビさんの言う通りッ……! ここからはァ、ビューティフルでアグレッシヴな私達がァァ、まさに弾けるスパークの如くバッチバチに活躍する番ですわね!」
自らの魔力を大盾に注いでいる様子のエミリアも、正面から突進していく気なのか。
獲物に飛び掛かる猛獣さながらに、バッ! バッ! と、石の床を足裏で蹴りながら、薔薇の花弁を発生させている。
同時だったろうか。
蒼い氷で覆われた蟲達を砕き、押し退け、踏み潰しながら、ずるずるずる……っと這い出てきた。大蜘蛛だ。身体のあちこちが凍っているが、戦う力は十分にあるようだった。
「炎yo燃慧te……、焼氣尽苦se……、皆灰燼似灰燼弐iiiiiiiii――ッ!!」
大蜘蛛の背中あたりに生えているローブの墓守は、杖を高く掲げ、その先端に炎の球を生成している。
炎の球はみるみる内に育って、あっという間に家ぐらいの大きさまで膨らんだ。このフロアを火の海にするつもりなのだ。
炎熱系か爆発系かは分からないが、発動されたら不味いことになる気配がビンビンだ。
それに、氷漬けになった蟲達を見捨てて、ヤツは新たなに蟲を召喚していた。あのクソデカい蠅とも蜘蛛ともつかない蟲が群れをなして、またこっちに向かってくる。
だが、さっきとは明らかに数が減っている。全部で30匹ぐらいか。それに、ネージュの氷結魔法を食らったせいか、大蜘蛛の動きも鈍い。遅い。
だが何よりもまず、あの墓守の詠唱は止めなければならない。
ローザは気付けば、アイテムボックスから魔導ショットガンを取り出して構えていた。咄嗟の行動だった。だが、引き金を引こうとしたところで、身体が傾いた。
身体のどこにも力が入らず、視界が狭まって揺れまくった。指が震えて、ショットガンを取り落としてしまう。慌てて拾い上げようとしたら、強烈な眩暈と吐き気がきた。
目が回る。立てない。駄目だ。魔力が徐々に回復しているとはいえ、今のローザの身体は、本格的に使い物にならない。
あと1発。あともう1発だけでも、強力な魔法弾を撃てるだけの魔力が自分に残っていたら、今すぐにあの墓守を牽制できるのに……。
地面に手ついてしゃがみこんだローザは、「ふーっ……、ふーっ!」と荒い息を抑えながら、悔しさから下唇をきゅっと噛んだ。
カルビとエミリアの二人が全速力で逆撃に出ても、あの詠唱中断は間に合わないかもしれない。
ネージュだって高威力の魔法を使ったばかりで、魔力も精神力も消耗している筈だ。流石に2回目の詠唱にはすぐには入れないだろう。
だが、ローザは焦らなかった。
自分の不甲斐なさは悔しいが、落ち着いてはいた。
間違いなく、これは絶体絶命のピンチだ。
だが、今はローザ達だけではない。
「……いや、違うな。これから一仕事するのは、アタシ達だけじゃねぇ」
ローザを守るように立っているカルビも、ゆったりとした口振りだ。既に勝利を確信しているふうのエミリアも、傲然と胸を反らして頷く。
「私とカルビさん、それから――」
エミリアがそこまで言ったときだった。
ビュン……ッ! と風を切る音がした。物凄い前傾姿勢になったアッシュが、ローザ達の傍を駆け抜けて行ったのだ。
「それじゃあ、ローブの方は任せるぜ!」
「私達は、あの大蜘蛛を叩きましょう!」
カルビ、エミリアの2人が続こうとしたときには、アッシュは既に、新たに召喚された蟲の群れの中に飛び込もうとしていた。
通路が凍りついているだけでなく、氷漬けにされた蟲の屍骸がゴロゴロと転がっていて足場は最悪のはずなのに、そこを駆けていくアッシュは全く意に介さない。
速度を落とすどころか、まだ上がる。
両手に握った短剣を縦横無尽に振るい、蟲達をズタボロに斬り刻みながら、あっという間に大蜘蛛の足元に到達。その脚に跳び乗り、駆け上がり、また別の脚に跳び移る。
勿論、大蜘蛛はアッシュを払いのけようとはしていた。長くて太い、前2本の脚を振り回していたが、アッシュにはかすりもしなかった。全てかわされて、隙だらけになった。
その隙をアッシュは完璧に衝いて、大蜘蛛の頭に生えている、あのローブの墓守のすぐ近くまで一気に踏み込んだ。
『――っ!?』
ローザ達を全滅させるため、強力な炎魔法を詠唱することに集中していたのだろう。
ローブの墓守は、自分の真横までアッシュに詰め寄られてから、その存在に気付いたようだった。
驚いたように詠唱を中断しようと墓守だったが、それよりも先に、アッシュの殺戮攻撃というか解体作業が始まって、終わっていた。
アッシュが振るう二振りの短剣に対し、ローブの墓守は哀れなほどに無防備だった。首と両腕を飛ばされて、胴体を4つに切断された。
術者が倒されたことで、まだまだ育とうとしていた炎の球が解けて、呆気なく霧散を始める。これで高威力魔法の発動は阻止された。
ダンジョンが火の海になって崩れるような心配も無くなり、ローザはほっと安心しそうになったが、まだ早い。
今度は残された大蜘蛛が叫び声をあげて暴れ出した。
『Giiihiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii――……!!!』
大蜘蛛は激しく脚を振り回してバタつかせ、身体を通路にガッツンガッツンドッスンドッスンぶつけまくったりして、アッシュを振り落とそうとした。
その衝撃で、フロア全体がグラグラと揺れまくる。
「うわわわっ!?」
生き埋め、という言葉がローザの頭を過っていく。だが、それよりも、アッシュはどうなったのか……?
地面に手をついたローザが慌てて顔を上げる。
すると、アッシュが蜘蛛の頭を蹴って、壁面に跳躍するのが見えた。鋭くも軽やかで、かなり高さのある跳躍だった。
空中で頭を下にしたアッシュは、手にした短剣2本を壁に突き立ててから宙返りをきめて、その短剣の柄にすっ……と着地してみせる。
はぇ~……。茫然となったローザは見惚れてしまう。あの超人的な身のこなしを眺めていると、ローザは世界の広さを思い知る気分だった。
というか、あんな高いところというか、壁面に着地して大丈夫なのだろうか。ちゃんと降りてこれるのだろうか……?
いや、そんな平凡で暢気なことを思っている場合ではない。
大蜘蛛はまだ、やたらめったら大暴れしているのだ。
ローブの墓守自体は、すでにアッシュがバラバラにしてしまった。だから、厄介な魔法攻撃や召喚魔法は、ヤツだってもう使えないだろう。
とはいえ、あの蜘蛛の大きさは脅威だ。巨大であるということは、それだけで強力な魔物なのだ。
壁面に着地しているアッシュも、どう攻めるかを少し迷うような眼差しで大蜘蛛を見下ろしている。
桁違いの近接戦闘力を持つアッシュだが、短剣であの蜘蛛を相手にするのは相性が悪いかもしれない。負けはしないだろうが、恐らく、かなり手間だ。
だがローザのパーティには、ああいう魔物との戦闘にうってつけの者がいる。しかも、2人もだ。
蟲の大群によって精神的な消耗はあっただろうが、ともかく彼女達は大きなダメージも受けておらず、健在だ。
「よぉーーし! それじゃあ終わらせてやるぜッ!!」
「あの見た目だと私のテンションも上がりませんが、ここは我慢ですわね……!」
先行したアッシュの後に続いていた彼女達は、通路の広さを利用して2手に分かれ、未だに大暴れしている大蜘蛛を挟み込むように突進していく。
「ぶっ潰す!!」
両手で握った大戦斧をグォングォングォォオオン!!! と超豪快に、豪速で、精密かつ効果的に、カルビは自分の体ごとブン回した。
戦斧の刃は赤い炎で軌跡を残しながら、大蜘蛛が振り回している脚のうち、その前の2本を容易く破壊した。
あの太くて長くて強靭そうな脚を、炎の魔力が籠った打ち込みで爆散させたのだ。
「Giiiiiiiiieeeeeeeeeeeeeeeeeee――……!!」
大蜘蛛はカルビに向き直りつつ、威嚇するように残った脚の何本かを持ち上げて、後ろに下がろうとしていた。
ああやって脚を広げると、やっぱりと言うか、とんでもない大きさだ。その自身の巨体さを見せつけながら、大蜘蛛はカルビから距離を取るか、逃げようとしたのかもしれない。
それを許さなかったのは、カルビの反対方向から攻め立てるエミリアだ。
「さァァァ!! もう観念して、私の大盾の錆におなりなさぁぁぁい!!」
大盾に繋いだ鎖を握り締めているエミリアは、大盾を鈍器として振り回し、ときに盾として構え、伸びて来る大蜘蛛の脚を殴り返したりしながら、ガンガン踏み込んでいく。
防御力をそのまま攻撃に変換する、重戦車の如きエミリアの猛進。殴打。怯むようにして少しずつ下がる大蜘蛛の脚が削られて、バッキバキに砕かれていった。
ずんぐりした墓守も巨体だったが、あの大蜘蛛はもっとデカい。それでも、今はエミリアとカルビが押しまくっていた。
その証拠に、あの蜘蛛の巨体が、少しずつ小さくなってきている。
旋風の様にブオンブオンと振るわれるカルビの大戦斧が。
容赦なく叩きこまれるエミリアの大盾が。
あの大蜘蛛の巨体を乱暴に食い散らかそうとしているからだ。
「GIIIIiiiiiiiiiiiiiiii――……ッッ!!!!」
自らの敗北を悟ったのかもしれない大蜘蛛は、そこで応戦を諦めたようだ。
カルビやエミリアを威嚇するように脚を振り回すこともやめて、その巨体ごと後ろに退いた。完全に逃げ出そうとしたのだ。
だが、やはりエミリアがそれを阻む。
「今更逃げようなんて、そうは問屋が卸しませんことよぉぉぉ!!」
叫びながらエミリアは、大盾に繋がった鎖を、背負い投げるようにして振り抜いた。
「淑女道奥義ィィイ……ッ!!」
ギャラララララ……ッ!! と火花が散って薔薇の花弁が舞い上がり、鎖が伸びる。伸びて伸びて、巨大な鉄塊であるトゲ付きの大盾は、上から下へと凄まじく急な放物線を描き、逃げようとしている大蜘蛛の胴体へと、真上から叩きこまれた。
「“乙女の落涙”……!!」
あまりにも単純かつデタラメな攻撃だが、その威力は隕石さながらだ。あの巨体の大蜘蛛でも、流石に無事とはいかなかった。
とんでもない衝撃と共に、巨大かつ膨大な量の筋肉や骨、内臓、脂が、叩き潰される音が混じって響き渡る。
「GUUUuuuueeeEEEEEEE――……ッッ!!?」
大蜘蛛の体が崩れるように沈み、動きが止まった。
「仕上げといくぜ!!」
獰猛に笑ったカルビは、一際大きく踏み込んでから、エミリアの大盾に繋がっている鎖に飛び乗り、そこから更に跳躍した。
とんでもなく大胆で、迷いも恐れも無い、高さのある跳躍だった。
空中で身体を回転させたカルビが、手にした大戦斧に炎を灯し、そのままの勢いで大戦斧を振り下ろそうとする瞬間だった。
カルビの纏っている赤と黒の全身鎧が、ガシャガシャガシャッ……!! と変形した。両肩と首の後ろ、それに背中の部分の金属が盛り上がり、カルビの頭部を覆ったのだ。
それは美しくも獰猛そうで、狂暴さを感じさせる、まるで凶悪なドラゴンを想起させるようなフォルムの兜だった。
カルビがあの姿になるのを見るのは、ローザも久しぶりだった。
あれは確か、商隊の馬車を襲ったウィンドドラゴンを焼き殺したときだ。あの一件依頼、カルビには“ドラゴン・ベイカー”の通り名がついた。
「オォォォラァアアアアアAAAAAAHHHHHH――!!!」
カルビの咆哮と共に振り下ろされた大戦斧も、纏っていた炎を爆発的に膨張させていた。
一気に燃え上がって大きく揺らめいたその炎は、上空から襲い掛かってくるドラゴンの陰影を象り、雄々しく炎の翼を広げている。
膨大な炎熱魔力によって編まれた巨大なドラゴンの陰影が、大蜘蛛を頭上から猛襲しようとしている。少し離れた場所にいるローザには、そんな光景に見えた。
『Bu――………!!?』
このカルビの攻撃を、大蜘蛛は脚で受けるとめることも、避けることも出来ずに、まともに食らった。いや、爆炎に食われた。あっという間に飲み込まれてしまった。
巨大な炎は燃え盛ると言うよりも、内側に凝縮していくような動きを見せる。
瞬間的に、ダンジョン内の通路が赤橙に染まった。カルビの操る炎の色だ。その強烈な眩しさに、ネージュに肩を貸して貰ったままで、ローザは顔を腕で庇う。
だが、肌を焼くような熱さは感じなかった。爆風もない。
カルビが放った炎は、無闇な破壊を周囲に齎すことはなかった。大蜘蛛だけを、いや、大蜘蛛がいた空間だけを咀嚼するように、聳えるような炎の塊が、蠢くように燃焼していた。
あれだけの威力の炎魔法を一定の空間に凝縮させて発生させるのには、非常に高度な技術が必要であり、魔術的、精神的にも、膨大な精密作業に違いない。
そういえばさっき、カルビが言っていた。アタシの炎魔法はな、いつだって繊細に調整された火力なんだよ、と。あれは本当だったのだろう。
「ガハハハァッ!! アタシ達が協力したら、ざっとこんなモンだな! 全員無事だし、これはもう大!勝!利!ってヤツだ!!」
大蜘蛛を焼き潰す炎の塊を前に、カルビは大戦斧を肩に担ぎ、片手を腰に手を当てて笑い声を立てている。カルビの全身鎧は元の形に戻っていて、彼女のやたら綺麗な顔と金髪が、やけに眩しく見えた。
「さぁて……。普通の墓守からは魔骸石は採れねぇが、この蜘蛛野郎からなら採れるかもしねぇぞ」
機嫌良さそうに言うカルビは、うきうきとした様子で大蜘蛛の死体が焼けるのを待っている。
「まぁまぁまぁ!! これだけのサイズなのですから、前のトロールシャーマンを上回るサイズが期待できますわね!」
燃え盛る炎の中から大盾に繋がった鎖を引き寄せながら、エミリアも嬉しそうに声を弾ませている。
あの2人は、まるで焚火の中に放り込んだ焼き芋が出来上がるのを、今か今かと待っているかのようだ。その場違いで長閑な後姿を見ていると、ローザは自分の身体から力が抜けていくのが分かった。
「羨ましいぐらい元気ね……。カルビもエミリアも」
呆れ口調のネージュが、ローザの傍まできて肩を貸してくれた。彼女もローザと動揺に、消耗した魔力と体力を、ある程度まで回復させたようだった。
顔色は多少悪いが、足取りはしっかりしている。
「でも、しょぼくれてる姿は似合わないよ。あの二人には」
「それもそうね」
ネージュと苦笑を交し合ってから、ローザは視線を上に向ける。
壁面のかなり高い箇所に短剣を突き立て、その柄を足場にして立っているアッシュは、通路の前後を見渡して、周囲を警戒してくれている様子だった。
先程も不安になったが、あんな高い所から降りられるんだろうかと心配になる。まぁ、アッシュの身体能力からすれば造作もないことなのだろう。
「アッシュ君、怪我とかしてないーー?」
一応、ローザは声を掛けてみる。するとアッシュは此方を見下ろして、「僕なら大丈夫です」と、落ち着いた笑みと共に頷いてくれた。
そして、「もう他には、墓守らしい魔物の姿は見せませんね」と、慎重な目つきで通路の前後を再び見渡して、そう教えてくれる。
どうやら、ローザ達は無事にピンチを切り抜けることができたようだ。その実感と共に、どうしようもなく緊張の糸が緩んでいく。身体は重いままだが、ふっと心が軽くなった。
「早く帰って、お風呂に入りたい……」
安堵の溜息とともに、ポツリと溢してしまう。
「そうね。私もよ」
肩を貸してくれているネージュも、ローザを横目に見てから少しだけ笑ってくれた。ローザも眉を下げて、疲れた笑みを返す。
そうだ。そうだよ。もう本当に疲れた。お風呂に入りたい。お風呂から上がったら、ちょっと高いお酒を飲もう。少し豪華な御飯も食べたい。甘~いデザートも。
普段から無駄遣いには気を付けているローザは、余計なものは買わないし、基本的には贅沢をしない方だ。でも、今日のローザは頑張った。
いや、勿論いつも全力だが、今日はもう超頑張った。何か自分への御褒美をあげたい。それぐらいは許されるはずだ。
墓守を撃破した報酬については、ギルド職員と魔導人造兵の立ち会いのもと、厳格に分配されることになる。
だが、ガリクスが用意した報酬の2000万ジェムのうち、半分以上はローザ達のパーティが受け取れると見て間違いないだろう。
だって、最後まで墓守と戦い抜いたのはローザ達なのだ。
他の冒険者はみんな逃げ出しているし。だから、墓守の装備品についてもローザ達が回収しても文句は言われないだろう。これが高く売れれば、もう言うこと無しだ。
墓守達の装備は上質そうだったし、もしかしたらだが、報酬の2000万を越える大きな利益になる可能性だってある。
そんな夢と期待が、達成感と共にローザの胸の中で膨らんでいこうとしたときだった。
ズズズズゴゴゴゴゴ……ッ、という不気味な音が聞こえた。
重くて硬いものが擦れ合うような音だ。それに、フロア全体が細かく蠕動している。気の所為じゃない。確かに、身体が細かく揺れる感覚がある。
というか、この不穏すぎる音は何処から?
上? 天井から? いや、天井の内部……?
「まさか……」
音の出所を探るように、ネージュが顔を上に向ける。それを待っていたのかのように、パラパラパラ……と細かい石の屑がローザ達の辺りに落ちてきた。
猛烈に嫌な予感がした。
ローザとネージュは至近距離で顔を見合わせる。綺麗すぎるネージュの顔が、これでもかという程に不味そうに歪んでいた。
ローザだって泣きたい気分だったし、「勘弁してもよもぉ……」と思わず呟いた声は、自分でも驚くほどの涙声だった。
「……あぁ?」怪訝そうに視線を上げたカルビも、唖然とした顔になって「オイ……。ふざけんなよマジで」と溢していた。
「んぇ?」暢気な声を洩らしたエミリアも、頭上を見上げて真顔になっていた。「ふざけるんじゃありませんわよマジで」
悪態のつき方まで、彼女達は仲良しだった。
だが、ローザだって2人と同感だ。本気でそう思う。ふざけないで欲しい。
薄暗い通路の天井が、いや、というかフロア全体の天井が、ローザ達を圧し潰すために『ゴリゴリゴリゴリ……』、『ゴロゴロゴロ……』みたいな音を立てて、降りてきているのだ。
こういう吊り天井なんて、罠の内ではポピュラーというか、目新しさがないというか古臭いというか伝統的というか、ありきたりかもしれない。
でも、このフロア全部を圧し潰すような規模だと、ちょっとスケールが違う。
それに、何が原因で罠が動き出したのかも不明だ。単純に考えるなら、あの墓守3体を全部倒したら、この吊り天井が落ちてくる仕掛けだったのかもしれない。
だが、罠の起動理由など今になっては些細なことだ。マジでどうでもいい。
とにかく今は……。「脱出しましょう」
こ真っ先に至極真っ当な提案をしてくれたのは、壁面から音もなく飛び降りて、ローザ達のすぐ近くまで駆け寄ってきてくれたアッシュだった。
こんな状況でも、アッシュは全然慌てているふうに見えない。なんでそんなに落ち着いていられるんだろうとローザは思うが、頼もしい限りだった。
彼は常に周りを見て、自分のすべきことを意識している。だから信頼できる。
確かにアッシュの言う通りだ。今のローザ達がすべきことは、このフロアから脱出すること以外にない。
「うん! 行こう!」ローザは頷く。「カルビも! 急いで!!」
「早く来なさい! 潰されるわよ……!」
「分かってるつーの!!」
「でも、まだ魔骸石が……!」
カルビとエミリアは、完全に参ったような顔になって、呼びかけるローザ達と、焼けている大蜘蛛の屍骸を見比べていた。炎の中にある大蜘蛛の屍骸は淡い光を灯していて、晶石化現象が始まりつつあるようだ。
だが、魔骸石が出来上がるまで待つなんて、今はとても無理だ。倒した墓守達の装備を回収する余裕もない。
のんびりしていては、既に落ちてきている石の天井にぺしゃんこにされてしまう。そのことは当然、カルビもエミリアだって理解しているからだろう。
物凄く惜しそうな、やりきれないといった感じの表情になったカルビは、後ろ髪を引きまくる欲望を払い落すように、ぶんぶんと頭を振ってからこっちに駆けてきた。
「さっさと逃げるぞチクショウ!!」
「ああもう……ッ! やってられませんわ!!」
掠れた怒鳴り声を上げた2人は半泣きだった。まぁ、泣きたい気分も分かる。正直、2000万じゃ足りないぐらい今日は色々あった。というか、現在進行形で起こっている。
ネージュに肩を借りて走り出したローザは、自分達のパーティが、『トラブルメーカー』だと呼ばれていることを思い出す。今の状況を見たら、何も言い返せない。
まぁ、とにかく、今は逃げないといけない。
このフロアを脱出しないと。あぁ。早くお風呂に入りたい。
そういえば、ガリクスが言っていた。
今日は長い1日になるぜ、と。
その通りだとローザは思った。
今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!