「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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女神の不在2

 

 

 

 

この町の子だろう。

 

明るいクリーム色の髪の毛は柔らかそうで、瞳も同じ色だ。男の子はアッシュのローブの袖を手で掴み、ぐっと唇を引き結んでいる。

 

小柄なアッシュよりも背が低い。年齢は13、14 歳ぐらいだろうか。

 

「あんたさ、ローブ着てるけど、もしかして治癒魔法が使えるの?」

 

ぶっきらぼうな詰問口調で、男の子が訊いてくる。

 

「治癒術士? どうなの?」

 

 男の子は必死に自分を強く見せようとしているのか、大袈裟に胸を張り、不機嫌そうな下目遣いになろうとしている。

 

 だが実際はアッシュの方が背も高いので、男の子の試みは上手くいっていない。

 

傍目から見れば微笑ましくもあるのだろうが、妙な必死さが少年の声には滲んでいて、アッシュはそれが少し気になった。

 

「えぇ。僕は治癒術士ですよ。……どうかしましたか?」

 

 出来るだけ穏やかな声音で応じようと思ったのは、さっきまでのローザ達から向けてもらった優しさが、ぬくもりのある余韻として胸に残っていたからだ。

 

 ローザ達から受け取った温かさを、この少年に手渡す想いで目を見つめ返す。

 

「どうって……。えぇと……。あんたに治癒を頼みたいヤツが居るんだけど」

 

 少年は一瞬だけアッシュから目を逸らしかけた。それを誤魔化そうとするように口調を強張らせて、ぶっきらぼうになる。力の籠った眼差しは威嚇のようでもある。

 

 懸命に強がっている少年は、アッシュの認識プレートを何度も確認していた。この『5等級』の最低等級になら、強引に頼みごとができると判断したのかもしれない。

 

「僕で良ければ。でも……」

 

アッシュにとっては、少年の頼みを断る理由は無い。だが、断っておくべきこともある。

 

「治癒魔法は万能ではなく、基本的には命の前借です。大きな傷を癒せば、それだけ、その人の寿命を縮めますよ」

 

「え……。そうなの……?」

 

 アッシュの話を聞いた少年は目を泳がせ、分かり易いくらいに動揺した。

 

「怪我とか傷じゃなくて、ちょっと熱が続いてて……。俺の妹なんだけど……」

 

 少年は今までの強気な態度を保てなくなり、何度も唇を噛みながら、体の横で拳を握っている。その姿を見たアッシュも、何となくだが事情を察することができた。

 

「僕の以外の方にも、治癒を頼みましたか?」

 

「う、ううん……。まだ、誰にも……。っていうか、声を掛けても無視されたし、他の冒険者はだいたい、パーティで固まってて声も掛けづらいし……」

 

 俯いた少年の声が、頼りなく震え始める。

 

「妹さんは、どちらに?」

 

少年を宥めるように、アッシュはゆっくりと頷いてみせた。

 

「え……。妹を治してくれるの? でも、命が減るって……」

 

「確かに、傷を癒して肉体を修復したり、病を取り除くことには代償が伴います」

 

 アッシュは表情を引き締めたままで言ってから、微笑を浮かべて頷いた。

 

「でも、消耗した体力を回復させて、症状の苦しみを少し楽にする程度でしたら、妹さんの体に負担は掛からないはずです」

 

 無論だが、被術者に負担が無いということは、それを術者が引き受けるということである。つまりはアッシュへの負担が増すのだが、それをこの場で説明する必要はないと思った。

 

「ほ、ほんと?」

 

少年の表情が、ぱっと明るくなる。

 

「はい。治癒術士として、そういった治療現場でのお手伝いをさせて貰ったこともあります」

 

 アッシュのことを信用してくれたのか。少年は唇をぐっと引き結び、アッシュのローブの袖を引っ張った。

 

「こっち……!」

 

 どうやら、その妹のもとに案内してくれるらしい。

 

「分かりました。行きましょう」

 

 少年はアッシュを連れて、広場を突っ切って神殿の門に向かって走っていく。

 

「こっち、こっちに来て! はやく……!」

 

 少年にせっつかれながら、神殿正面の門扉の横で立ち話をしている神官2人に、アッシュは挨拶した。

 

「そ、その、失礼します」

 

頭を下げたアッシュの認識プレートを見た神官2人は、特に顔色を変えることなく、目礼を返してくれた。

 

治癒魔法を扱う神官達は女神の教えの実践として、各地の市町村住人の傷や癒すことも職務の一環としている。

 

だが、神官というものも結局のところ職業である。こういった施術は無料ではなく、どれも有料だ。

 

 そしてその職業柄もあるのだろうが、よっぽどの悪評が広まっている者などを除けば、神官達は冒険者の等級には頓着しない。それは、このエルンの町でも同じらしい

 

 ただ、神官の2人はアッシュを連れてきた少年の背中を見て、その温和な表情に、微かな憐憫の色を過らせていた。

 

 妹の熱が続いているということ以外にも、少年には何らかの事情があって、それを神官たちは知っている風である。

 

 そのことを尋ねる暇もなく、アッシュはローブの裾を引っ張られたまま、大礼拝室に足を踏み入れる。

 

外見の荘厳さに相応しく、神殿内部はさらに厳粛で壮麗なつくりだった。人間の大きさ程の女神像が正面の台座に設置され、2列で長椅子が並べられている。

 

 これだけ立派な神殿ならば、魔物被害が迫っているときにこそ、多くの人が祈りを捧げに訪れそうなものだ。だが、実際には人の気配がほとんどない。

 

防壁で囲まれた町の居住区で過ごすよう、領兵騎士団が住人達に声掛けを行っている成果なのだろう。礼拝室の空気は透き通り、静寂に浸されていた。

 

 ただ、無人というわけではなかった。女性だ。並べられた長椅子の最前列の、もっとも女神像に近い席に女性が座っている。

 

 彼女は腕に、子供を抱いているようだった。生後数か月ほどだろうか。彼女は子を抱きながら、懸命に女神像に向かって祈りを捧げている。

 

それも、声を掛けるのも憚れるほどに真剣な様子で――。

 

 彼女と女神像の間にある沈黙に充満しているのは、恐らくは誠実な信仰でなく、救いを求める切実さだ。その余裕の無い静けさを、ぐずりかけた乳児の幼い涙声が揺らしている。

 

「母さん! 母さんっ!」

 

 少年はアッシュのローブの袖を引っ張ったままで、躊躇なく女性のもとへと駆け寄っていく。母さん――。そうか。あの女性は、この少年の母親なのかと納得する。

 

では、熱が続いている妹というのは、彼女が抱いている乳児のことだろう。

 

「……リク」

 

 祈りの姿勢を解いた女性が、戸惑うような表情でアッシュ達の方へと振り返った。

 

彼女の顔立ちは美しかったが、顔色が悪く、分かりやすく疲労が滲んでいる。アッシュに向けてくる目線は怪訝そうだが、何処か朦朧としている目つきだった。

 

「もう大丈夫だよ、母さん! 治癒術士を連れてきたから!」

 

 リクと呼ばれた少年は、興奮気味な笑顔を弾けさせて、アッシュのローブの袖をぐいぐいと引っ張った。まるで動物でも捕まえてきたのを自慢するようだった。

 

「冒険者の方でしたか……!」

 

 はっとした顔になった女性は、そこでアッシュの認識プレートに気付いたようだ。

 

「やめなさい、リク……! も、申し訳ありません! 私が目を離した隙に……!」

 

「いえ、そんなふうに謝って貰うようなことはありません」

 

 緩く首を振ってからアッシュは、目の前の女性と、その女性の腕の中で今にも泣き出しそうな乳児を見比べた。

 

「リク君からは、妹さんの熱が下がらないと聞かせて貰ったのですが……。そちらのお子さんですか?」

 

 アッシュに尋ねられて、女性の顔が一瞬だけ明るくなった。

 

灰色のローブを着こんでいるアッシュが、間違いなく治癒術士だと確信したのだろう。だが、すぐに苦しそうに眉間を絞り、首を横に振ってから、深く頭をさげてみせた。

 

「……わざわざ足を運んでもらって、重ね重ね申し訳ありません。私の息子の……リクの言葉を信じて下さったことも、大変ありがたく思います。ですが……」

 

 目の前にある希望を放棄するためか。女性は自らを説得するような、毅然とした声で言葉を紡ぐ。

 

「冒険者の方に治癒魔法をお願いする場合、その施術費用が非常に高価になると聞いたことがあります。……今の私には、そのようなお金もありません」

 

絞り出された女性の声には、重たい響きがあった。

 

少年――リクも、おろおろとして自分の母親とアッシュを交互に見比べた。

 

 捨てられそうになっている子犬のような目になった少年と目が合い、アッシュは微笑んでから頷いてみせる。それから、リクの母親に向き直った。

 

「お金は頂きませんよ」

 

 アッシュが言うと、リクの母親は視線を揺らした。

 

「え……。で、ですが……」

 

「もしも、僕が現職の神官であれば」

 

この場に居る者にしか聞こえない程度に、アッシュは囁くように声を潜めた。

 

「誰かを特別扱いして、無償で治癒魔法を施すことは躊躇うでしょう。女神教の教義は人の善意を尊びます。それと同じぐらい、平等にも重きを置いていますから」

 

 そこで言葉を切ったアッシュは、リクの母親にゆっくりと頷いた。

 

「でも僕は……、ただの冒険者です」

 

自分自身をこの場で証明する想いで、言葉を継ぎ足す。

 

「女神教の教義は、解釈の余地を信者に残してくれています。命を救うことを何よりも優先する、生命保全のための治癒政策だって、各地の神殿で行われていることです。……一介の冒険者である僕が、僕に出来る範囲で、そういった教義の実践に加わろうとしても、女神の教えに反することではないでしょう」

 

 自分の無害性を説得するような言い方になってしまうのを、アッシュは苦々しく思う。

 

 誰かを助けたいと願うことすら、僕の身の丈にはあっていないのだろうか。言い訳がましい理屈が無ければ、僕は僕自身を前に進めることもできないのか。

 

「……僕はリク君の妹を少しでも楽にしてあげたいと思い、彼に此処まで案内して貰いました。余計なお世話なのでしたら、僕の方こそ謝らねばならなりません」

 

「そ、そんなことは……!」

 

 リクの母親が慌てた声を出した。その切迫した響きが、彼女の腕の中に抱かれている乳児にも伝わったのか。本格的にぐずり始める。

 

今まで不安そうな顔で黙っていたリクが、心配そうに母親の腕の中を覗き込んだ。

 

「母さん……。モニカ、苦しそうだよ……」

 

 モニカというのは、リクの妹のことだろうと分かる。顔を上げたリクの母親が、張り詰めた顔でアッシュを見詰めてくる。

 

「しかし、その……」

 

言い淀んだリクの母親は、戸惑いつつもアッシュに縋るような表情になった。

 

「モニカの幼い身体では、治癒魔法の負担にも耐えられないと……。そう神官の方々からもお聞きしたのですが……」

 

治癒魔法の施術費用よりも、そちらの方が切実で重大な問題なのは間違いなかった。

 

「えぇ。……確かに通常の治癒魔法では、モニカさんの病状を和らげるのは難しいでしょう」

 

アッシュは頷きながら、さきほどの神官達がリクに向けていた、あの憐憫の眼差しを思い出す。恐らく、あの神官達は既に、モニカに治癒魔法を施すように頼まれたことがあるのだろう。

 

だが、幼いモニカの命を削ってしまうことを理由に断ったのではないか。それは現職の神官として、賢明で勇気ある判断だと思う。

 

「僕が扱う治癒魔法は、少し特殊なのです。被術者の負担を極力減らすことができるので、モニカさんの身体にも負担はありません」

 

認識プレートを裏向けたアッシュは、そこに記された認可紋様をリクの母親に見せた。

 

「緊急医療現場での患者の蘇生や回復、生命維持に関わることも、僕はギルドから認めて貰っています。僕の特質的な治癒魔法が、瀕死の患者にも負担を強いないからです」

 

ゆっくりと説明したところで、リクの母親の目には涙の膜が張っていた。

 

「その、特別な治癒魔法を……、モニカにも施して下さるのですか……?」

 

「はい。ただ、僕は医療魔導士ではないので、効果は低いかもしれません。ですが、苦しみを取り除く程度なら可能だと思います」

 

「では、どうか、どうか……。この子をお願いします」

 

震える声を溢したリクの母親は、歯を喰いしばって頭を下げてくれる。黙ったままでアッシュも頷き、母親の腕の中でぐずっているモニカの頬に、左手で触れた。

 

さっきから黙り込んでいるリクが、頬を強張らせてアッシュを見詰めている。

 

「僕の生命力を付与する処置ですので、妹さんの命を削ることもありません。安心して下さい」

 

 微笑みをリクに渡したアッシュは、モニカの頬に触れる左掌に集中した。柔弱な肌の感触と、苦しげな熱を含んだ幼い吐息に意識を向ける。

 

 モニカの小さな息遣いには、誰かに守られなければ生きていけない存在としての無垢さが籠っていた。余りにも穢れのない、澄み渡った人間性の萌芽と共に。

 

 アッシュは軽い衝撃と共に、当たり前のことを再確認していた。

 

 このモニカという乳児が生きているということは、“生きていて欲しい”という想いを、親を含む家族から、そして周囲の誰かから受け取っているからだ。

 

 裏返せばモニカは、“生きていてもいい”と言われているのと同じだ。有用性や無害性を証明することなく、存在を無条件に認められ、ただそこに居るだけで誰かを幸せにできる。

 

 それがどれだけ尊いことなのかは、アッシュは実感として捉えることができない。

 

自分とはあまりに無縁に思えたし、決まってこういうときに脳裏に響いてくるのは、あの男の声だ。

 

 ――お前は出来損ないだ。

 ――お前は不全だ。

 ――お前はガラクタだ。

 

 だが今のアッシュは、その声を静かに受け止めることができた。

 

 僕がどれだけ不完全であろうとも、誰かの為に、何かをすることができる。その当たり前のことを強く意識し、再確認した。

 

「それでは、始めます」

 

 右の掌を自分の心臓の上に置いて、アッシュは詠唱を始める。

 

 目の前の親子に恩を売りたいなどとは一切思わなかった。ただ、自分の命の使い途というものがあるのならば、この行為は正しく、相応しいものがあるように思った。

 

 詠唱と魔力の呼応。

 

右の掌が添えられた、アッシュの左胸。そこに赤黒い魔法円が展開され、まるで出血のように暗紅色の光が溢れていく。

 

 アッシュの心臓から抽出され、可視化できる魔力に変換されたアッシュの命だ。

 

この暗紅色の煌めきは、だが、すぐに澄んだ翡翠色へと染められながら優しく揺らぎ、リクの母親とモニカを包み込んだ。

 

 澱んで穢れたアッシュの命の温度を、治癒系統の魔術式で浄化し、モニカに受け渡していく。

 

萎れそうになっている小さな花の根元に、そっと水を注ぎ、乾いた土に滲み込ませるように。

 

 その光景に、リクが喉の奥で悲鳴を飲み込む気配があった。リクの母親は、女神像に向けていた真剣な祈りの姿勢を、今はアッシュに向けている。

 

 我が子を想う彼女の祈りの声と、命を削るためのアッシュの詠唱が溶け合うのを、女神像が黙したままで見下ろしていた。

 

アッシュ達の体温を受けとる礼拝室の沈黙は、仄めいた神聖さを深めていく。

 

 そのうち、ぐずっていたモニカの呼吸からも濁りが抜けていった。顔色も良くなり、アッシュの左掌に伝わる彼女の体温からも、籠るような熱が引くのがわかった。

 

 アッシュの掌の感触が擽ったかったのか、モニカは母親の中で身体を僅かに動かし、そこで初めて笑みを見せてくれた。

 

 その朗らかで無邪気な笑顔は、見る者に幸福感を与える。彼女のような存在にしか許されないものだった。

 

「あぁ……、モニカ!」

 

 リクの母親も涙声になって笑みを浮かべて、モニカを覗き込んだ。

 

「もう大丈夫なの!? 熱は!? 元気になったの!?」

 

 リクもアッシュに訊きながら母親に駆け寄り、笑みを浮かべたモニカの額や髪の毛に優しく触れていた。母親とリク、それにアッシュの3人から視線を向けられることが楽しかったのか、モニカはまた笑う。

 

「……えぇ。熱も下がっていますし、もう大丈夫だと思います」

 

 アッシュはリクに答えながら、モニカの頬から左掌を離そうとした。息が詰まった。苦しみからではなく、驚きからだった。

 

 母親の腕に抱かれたままのモニカが腕を伸ばし、離れようとするアッシュの左手、その人差し指の先を、小さな手できゅっと掴んだのだ。

 

モニカの指は細く柔らかかったが、驚くほどの力強さに満ちている。ほとんど不意打ちの衝撃だった。

 

 笑みを湛えたモニカの小さな手が、アッシュの指を掴んでいる。

 肌と肌が触れあい、互いの体温が混ざる一点が生まれている。

 

 ただその一点のみにおいて、アッシュはこの世界と良好な関係の中に入り込んでいることを感じた。

 

誰にも侵されることのない、否定しようのない、真に人間らしい正しさの中へと、モニカによって導かれたような感覚に見舞われたのだ。

 

 純粋無垢なモニカの存在は圧倒的で、アッシュは打ちのめされた。

 

 アッシュとモニカの手が触れ合う、この慎ましやかな小さな感触こそは、そのまま、アッシュとこの世界との接点であり、繋がりであり、距離だった。

 

「あの……、本当にありがとうございます」

 

 リクの母親に頭を下げられ、はっとしたアッシュは首を振った。

 

「い、いえ、……お役に立てて良かったです」

 

 揺れ動いた感情を沈めるのに苦労しながら、アッシュも穏やかに応じる。

 

「弱っちそうだけど、ちゃんと治癒魔法は使えるんだな。あんた」

 

 モニカが元気になったことで、生意気なことを言い出すリクの表情も明るくなった。

 

「リク! 失礼なことを言うんじゃありません!」と母親に叱られていたが、モニカが泣き出さないように小声だったため、リクは悪戯っぽく笑うだけだった。

 

 少年らしいリクの快活さに手を引かれるようにして、アッシュの心も落ち着いていった。

 

 その後、アッシュの生命付与魔法の礼というわけではないだろうが、リクとその母親は、自分達の境遇を少しだけ話してくれた。

 

 聞けばリクの父親は、エルンの町を拠点にする冒険者だったらしい。だが、モニカが生まれてすぐに亡くなったということだった。

 

出稼ぎに行った先で、討伐対象のサラマンダーに敗れたのだという。父親を失ったリクは、母親とともに大通りに立ち並ぶ商業施設で働いている。

 

だが、町の近くで白装束の怪しい集団や地下施設が見つかり、またゾンビ達が頻繁に現れるようになってからは、母親と一緒に居ろと町の者たちに強く言われたようだ。

 

 世話になっている以上は文句も強く言えず、今のリクは母親の傍で日々を過ごしているということだった。

 

「俺の父ちゃんも弱っちかったけれど、最期は大トカゲの頭に剣をぶち込んだんだぜ!」

 

 大トカゲというのは、サラマンダーのことだろう。自慢そうに言うリクを、リクの母親は悲しげな笑みと瞳で見つめている。

 

どう応じるべきかアッシュも迷ったが、リクが父親に向ける尊敬の念には素直に頷いた。

 

「勇敢なお父さんだったんですね」

 

「あぁ! ……まぁでも、死ぬよりは、生きてて欲しかったけど」

 

 強がるような笑みに寂しさを隠しているらしいリクは、礼拝堂の女神像を見上げた。濁りけのない彼の瞳には、諦めることを既に知っている風の、大人びた静けさがある。

 

「実は俺、女神さまが好きじゃないだ。なんで父ちゃんを助けてくれなかったんだって、今でも思うもん」

 

 女神像を目の前にして、リクは力みのない声で言う。

 

 リクの母親は、そんなリクを窘めようとしたようだが、結局は何も言わず、腕の中にいるモニカをあやすように揺らしただけだった。モニカが溢した小さく無邪気な笑い声だけが、礼拝堂の静けさを震わせる。

 

「……もしもモニカまで死ぬようなことになったら、俺は多分、女神さまを大嫌いになってたと思う」

 

母親の腕のなかにいるモニカを一瞥したリクは、また女神像を見上げなおした。

 

「神官さまも、女神教の本でも、きれいな言葉ばっかり使うのに、そのきれいさは、全然、俺達に向けられてないじゃないかって」

 

 顔全体を歪ませるようにして笑うリクに、アッシュは、いつかの自分の姿が重なった。

 

だが、アッシュとは違い、リクもまた、モニカと同様に美しかった。容姿や言動とは無関係に、その存在そのものが尊く感じられた。

 

「まぁ、この女神さまに言いたいことは色々あるけど、今日のところは別にいいや。モニカも助けて貰えたしな」

 

 屈託のないリクもまた、彼の母親に愛されているからだ。“生きていて欲しい”と心から望まれ、“生きていていい”と完全に赦されている。

 

 だが、アッシュは違う。

 あまりにも違う。

 

それは優劣ではなく、断絶的な差異だった。

 

「……実は僕も、この女神には訊きたいことがあるんです」

 

アッシュは笑顔に近い表情だけを作って、リクに応じていた。

 

「言いたいことも、山ほど……。だから」

 

 無意識のうちに、女神像を睨むように見据えてしまう。女神像に向ける声のトーンも、威圧的に下がった。

 

「本当に女神がいるのなら、僕の前に姿を見せればいい」

 

 今のアッシュの目つきに、リクが怯えるように声を詰まらせる気配があった。リクの母親も息を飲み、僅かに身を引いていた。

 

ただモニカだけが、無垢な笑顔を保ってアッシュに手を伸ばそうとしている。

 

『アッシュ君! 聞こえる!?』

 

 ローザから預かった通信用の指輪から、切迫した声が届いたのはそのときだった。

 

 

 

 

 

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