「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
『今サニアさんから連絡があったんだけど、大量のゾンビが町に迫ってるみたい!』
通話用魔導具から聞こえてくるローザの声が、神殿内の静けさを破った。彼女は移動している最中なのか、走りながら喋っているような息の弾みがある。
『町の北側だ』
カルビが鬱陶しそうに声が続く。
『防壁門付近まで接近されてるみてぇだな。とにかく、のんびりしてやがった冒険者共も駆けつけて、何とか応戦してるって状況らしいぜ』
ゾンビが発生し、さらに町のすぐ近くまで攻め寄せてきているということに、リクと、リクの母親が身体を強張らせるのが分かった。
ただ、状況を理解していない幼いモニカだけが、母親の胸のなかで笑みを溢している。
まずはリク達を避難させねばとならないと考えながら、アッシュは通話用の腕輪に応答した。
「連絡をくださり、ありがとうございます。皆さんは今、どちらに?」
『北の防壁門に向かっているところよ』
すぐにネージュが答えてくれた。
『苦戦している冒険者達に加勢して欲しいと、サニアから要請があったの。住人の退避と居住区の防衛は、彼女のクランメンバーと領兵騎士団が担当してくれるそうよ』
『そんでもって、他の冒険者は防衛線に参加するようにってのが、剣聖サマからの指示だ』
カルビが低い声で付け足す。
『だが、どうも気色悪ぃぜ。それだけ大量のゾンビが町に近付いてきているなら、もっと早く気付くだろ』
カルビが呟くように言うのを聞いて、アッシュは防壁周囲の景色を思い出す。
町の周りには櫓が幾つも建てられていた筈だし、必要な数の冒険者達が守備についていた。迫ってくるゾンビ達の発見が遅れたということではないだろう。
唐突に、大量のゾンビが発生した。
或いは、召喚されたということだろうか。
『とにかく今はゾンビ達を退け、町の人々を守ることが最優先ですわッ!』
届いてくるエミリアの力強い声は、清廉な使命感に燃えていた。
ドッシンドッシンという重たい足音が聞えてくるので、既に彼女は重装鎧をアイテムボックスから取り出し、あの大盾も担いでいるのだろう。
『家々や食糧庫がある場所まで侵入されるのも阻止しなくては……ッ! この私の“淑女魂《しゅくじょスピリッツ》”にかけて……ッッ!』
「では僕も、町の北側へと向かいます。……ですが今、僕の傍には」
アッシュは指輪の向こうにいるローザ達に言いながら、すぐ傍で不安そうに息を潜めているリクと、リクの母親に微笑んで見せる。
「町に住まう男の子と、その家族の方がいるんです。戦線に加わるよりも先に、この男の子たちが『正義の刃』か領兵騎士団のメンバーに合流できるよう、送っていきます」
『うん、分かった! 何ならこっちは私達に任せて貰って、アッシュ君には避難する住民の人達についてて貰った方がいいかもしれないね』
ローザが了解してくれて、『言えてるな』とカルビが言ってくれる。『仮に途中でゾンビ共に襲われても、アッシュが一緒なら大丈夫だろ』
『アッシュさんは強いだけでなく、治癒魔法も扱えますから』エミリアも賛意を示してくれる。『御一緒する住民の方も安心でしょう!』
『……でも、無理はしないでね、アッシュ君』
ネージュが心配してくれる声が、指輪を介したこの場でのやり取りを締め括った。
「はい。皆さんも気を付けて下さい。……では、また後ほど」
短くアッシュが礼を述べると、指輪の向こうからもローザ達の声が順に帰ってくる。
『うん、また連絡するね!』
『おうアッシュ、こっちは心配すんなよ』
『また後でお会いしましょう……!』
『アッシュ君も気を付けて』
通信指輪が展開していた魔法円を解くと、さっきまで何度も唾を飲み込んでいたリクが、怯えたように訊いてきた。
「ま、町の中までゾンビ達が入ってきたの?」
弱々しく掠れ、震えた声だった。リクの母親も、縋るような眼差しでアッシュを見詰めてくる。その腕の中にいるモニカも、今はじっとアッシュを見ていた。
「いえ、まだ防壁は破られていません。大丈夫です。『正義の刃』の皆さんや冒険者達が、町を守ってくれますから」
リク達に目を合わせて、アッシュが応じる。同時だったろうか。大礼拝室の扉が乱暴に開かれた。
「チョリィィーーーーッッスゥ……!」
緊張感で引き締まりつつも、溌剌とした声が響く。女性の声だった。
「お邪魔しまーす! ここって、逃げ遅れた人とかいる感じですかぁ~……!」
彼女は暗黄と黒を基調にした魔術士装束を着込み、その上から騎士風の篭手や胸当てなどの軽装防具を合わせた格好をしていた。
淡い金髪を纏めた彼女の髪型は、サイドアップというのか。前髪やアップされた毛先には、ところどころに赤紫色のメッシュが入っている。
切れ長の目は勝気そうだが、目尻はタレ気味で優しそうなのが印象的だ。すっきりとした顔立ちの美人でスタイルも良いが、あどけない可憐さがある。
「およっ!」
アッシュ達に気付いた彼女は小走りに走ってきて、バチーン!とウィンクをして見せる。
「町の北側防壁が今、ちょ~っとヤバたんなんでぇ、とりま避難場所まで速やかに移動をお願いしまーすッ!」
彼女の口調は独特だが、声音自体は真面目なもので揺れがない。アッシュ達を順に見てくる目つきも真剣だ。
彼女の形の良い耳には複数のピアスが並んでおり、手首にも無数の腕輪、それに指にも多くの指輪をしてある。魔導具や触媒などを収納したアイテムボックスなのだろう。
装備を見れば分かるが、彼女も冒険者だ。首から下がっている認識プレートの等級は『2等級・金』。
彼女の騎士風の防具や、こうして退避を呼び掛けているところを見るに、彼女も『正義の刃』のメンバーなのかもしれない。
そのアッシュの予想は正しかった。
魔術士らしい彼女に続いて、騎士風の装備で身を固めた冒険者達が3人ほど、礼拝堂へと息せき切って駆けこんでくる。
「ルフル副隊長!」
「周囲に並んだ施設にも、逃げ遅れている住人はおりません!」
「警邏メンバーは、既に北門へ向かいました!」
キビキビとした動作で敬礼の姿勢を取る彼らも、やはり『正義の刃』のクランメンバーのようだ。防具や武器も統一されている。
「お、アザーースみんな!」
ルフル副隊長と呼ばれた女性魔術士は、騎士風の男達に軽く手を挙げてから、アッシュ達に向き直った。
「それじゃ、キミ達は避難場所に……」
彼女はリクを優しい目で見て、それから、モニカを抱えたリクの母親に頷いてみせる。そして最後に、アッシュが冒険者であると気付いたようだ。
「おっと。キミは……、治癒術士っぽいじゃん?」
彼女はアッシュが手にした杖とローブを見比べてくる。
「はい。アードベルで冒険者をやっている者です。状況はさきほど、同行している冒険者の方からも教えて頂きました」
自分の認識プレートを見せるよう手に持ったアッシュは、傍にいるリクとリクの母親に一度振り返った。
「北の防壁門に向かう前に、こちらのご家族を安全な場所へ案内しようと思っていたところなんです」
「あぁ、なるほどね。でも、そこは大丈夫。安心して。あーしの仲間が送っていくから。ね? みんな」
女性魔術士が軽い調子で言う。
対して騎士風の男達が敬礼の姿勢のままで応じた。
「はっ!」と彼らの声が揃うさまは、軍隊らしい厳格さがある。
『正義の刃』のクランメンバー達が放つ厳粛さに、リクは少々鼻白んでいる様子だった。だがすぐに、体に力を入れ直すように両手の拳を握って、アッシュを見上げてくる。
「あんた、弱っちそうだけど、こういうときでも全然ビビらないんだな。かっこいいよ」
憧れと感謝を含んだ、リクの真っ直ぐな眼差し。
「……“冒険者らしく”生きるために、勇気を取り繕っているだけですよ」
暗い自虐と自嘲を、曖昧な笑みで濾過した。するとリクが、アッシュのローブの裾を、ぎゅっと掴んでくる。
「父さんみたいに、死んだら駄目だからな」
それは恐らく、リクという少年からの最大限の友情が籠められた言葉なのだろうと思った。せめて、アッシュは強く頷いた。
「えぇ。ありがとう、リク。気を付けます」
「そういや、あんたの名前……」
そこで言葉を切ったリクは、立ち話をしている場合ではないと思い返したようだ。「あとで教えてくれよ」と笑って、アッシュのローブから手を離した。
「本当にありがとう。モニカを元気にしてくれて」
真っ直ぐに言うリクに続いて、モニカを抱え直したリクの母親もアッシュに頭を下げてくれた。
2人は騎士風の男達に庇われるようにして、神殿の外へと向かう。
その後ろにアッシュも続きながら、数秒だけ足を止めて背後を振り返った。
礼拝堂の祭壇の奥では、黙したままの女神像が虚空に祈りを捧げている。
女神の姿は、誰に、何を祈るものなのだろう。
あの祈りの行方と意味は、どこに探るべきなのだろう。
祈りそのものが神聖だとでも言うのだろうか。
決して答えず、女神像はただ佇んでいる。
「……貴女はいつもそうだ」
アッシュは女神像を睨むように見上げながら、口の中でだけ呟いた。
神殿の出口に向かおうとしたところで、アッシュと並走してくる者がいた。ルフルと呼ばれた女性魔術士だ。
「さっきは北の防壁に向かうってキミは言ってたけどさ」
女性魔術士は軽い調子のまま、だが、やや訝しそうな表情で訊いてくる。
彼女の目線は、アッシュが手にした杖と装備、それから『5等級』の認識プレートを確認しているものだった。
「見た感じ、キミって治癒術士でしょ。1人で戦場に出るのはちょっと無謀じゃんね? いける? キミがパーティと合流するまで、あーしがサポートしよっか?」
冒険者として最低等級であるアッシュが戦場に向かおうとしているので、気にかけてくれているようだ。
「お気遣い頂いてありがとうございます。でも大丈夫です。僕は最近までソロだったので、多少は戦いの心得もありますから」
「へぇ~……。ってか治癒術士ソロって、メンタルつよつよじゃん」
女性魔術士は、ちょっと目を丸くしてからニッと唇の端を持ち上げた。ローザとはまた違う種類の、人懐っこそうで快活な笑みだ。
「あーし、ルフル=ラブラフ。これでも『正義の刃』のメンバーだから、頼りにしてよ」
「僕は――」
神殿の出口から外に走り出ながら、アッシュが名乗り返そうとしたときだった。
この町の神官たちが駆け寄ってくる者たちがいた。
数は7名。全員が上位神官服の上に、軽装の防具を身に着けていた。
「君は治癒術士なのだろう」
「北門には、私達も一緒に行くよ」
「私たちも一応は、結界魔法も修めている」
「前衛は無理でも、後衛でなら役に立てるだろう」
引き締まった声を出す彼らは、住人達と退避するのではなく、町を守る戦いに参加するつもりのようだ。
「我々以外の神官には、町人たちの治癒のために避難してもらっている。此処にいる我々だけでは心許ないかもしれないが、冒険者たちの力になれればと思う」
神官の1人が歩み出て、重々しい言い方をした。
「おー! 神官さんまで来てくれるなんて、これは心強いじゃーん!」
嬉しい誤算に驚くように、女性魔術士――ルフルが明るい声を出す。
その口振りは神官たちの勇敢さを讃えるものであるのは間違いないのだが、神官達は少し居心地が悪そうに眉間を絞り、詫びるような顔つきになってアッシュを一瞥した。
「……我々神官は、教義の中で生きねばならない」
「個人の道徳よりも、平等を尊ばねばならないのだ」
「だが、今は非常事態だ。我々も己の正義に従う」
「今ならば女神様も、見て見ぬふりをしてくれる筈だ」
神官達の苦しげな言葉は恐らく、リク達に向けられた懺悔だった。
目の前の神官達は、モニカを癒したのがアッシュであること察しているのだ。
治癒魔法の限界に阻まれて、モニカに手を差し伸べることができなかった。そのことに対し、彼らはアッシュに負い目を感じている様子だった。
勿論、彼らが協力して力を尽くせば、モニカを救う高位治癒魔法を編み上げることは可能だっただろう。
だが、町全体がゾンビの脅威に曝されている今の状況で、彼らはモニカ一人のためだけに、その肉体的な消耗と負担を引き受けるわけにはいかなかったのだ。
もしも他に治癒魔法を必要する者が大勢でたときに、手を施すことができなくなってしまうからだ。
彼らは結果的に、モニカを救うのではなく、より多くの命を癒すことに備えた。
そしてその決断を、モニカの母親も了承していたはずだった。町の住人よりも、私の娘を優先しろとは言わなかったのだ。
神官達は、モニカの母親の、あの敬虔さを超えたような祈りの態度を目にしていたはずで、だからこそ、彼らはこうして、アッシュに心の内を打ち明けているのだと分かった。
その人間的に正しい勇気が、アッシュには眩しかった。
神官である彼らの慈悲と慈愛は、常に職業に縛られる。
だがそれは、多数のために己を律するという尊い宣誓だ。一時の感情や綺麗事に流され、職務を放棄しないという戒めでもある。
誰をも平等に扱い、善意と慈悲を等しく分かち合う。求められて背負うべき彼らの『役割』とは、徹底的に厳格だ。
アッシュもまた、“冒険者”という役割を脱ぎ捨てることなどできない。
“冒険者”という役割の中からでしか、この世界に応答できないし、すべきではない。
不意に、アッシュの脳裏にモニカの眼差しが思い出された。
あのモニカの笑顔はどこまでも寛容で、アッシュの在り方を――冒険者アッシュを肯定してくれていた筈だった。
ならば、アッシュは“冒険者”として最善を尽くすだけだ。
僕という“個”など、全くどうでもいい。
「……えぇ。では、行動を共にしましょう」
アッシュが応じると、神官達も目線と頷きで応じてくれた。防壁を死守する戦いでは、傷つく冒険者も多いはずだ。険しい戦場を支える回復役は1人でも多い方がいい。
『ルフル。聞こえますか?』
研ぎ澄まされた刃のような声が届いてきたのはその時だった。
サニアの声だ。
見れば、ルフルの腕に通信用の魔法円が展開されている。
「聞こえてるよ~。逃げ遅れる人がいないよう、隊員の皆に町を見て回ってもらったから。取り敢えずは皆、退避準備所に向かってくれてるみたい。こっちは順調」
『……それならいいのですが。前も言いましたが、もう少し早く連絡をください』
ルフルに対しては、多少は気を許しているからだろうか。感情の籠らないサニアの声が、そこでふっと和らいだ。
「ごめんて」
ルフルも軽く応じる。
「以後気を付けマース。あと、町の神官さんも戦いに参加してくれるって」
言いながらルフルは、神官の顔ぶれを順番に見て頷きあい、町の北側へと駆け出した。アッシュも続く。
「あーしも一緒に、すぐにそっちに向かうから。あ、あと、領兵騎士団から連絡があったよ~。居住地区では軽い混乱が起きてるけど、怪我人は無しだってさ」
『住人に被害が出ていないのは幸いです。今のうちに、私も北防壁に向かいます。では、後ほど』
「ほいほーい。それじゃ、またあとでね~」
緊張感のない口振りで通信を切り上げたルフルが、駆けながら夕空を見あげた。
「今回は飛行能力を持ったゾンビはいないっぽいし、ビビることないよ」
アッシュ達に軽く笑い掛けてくるルフルだが、その目には硬質な光が宿っている。彼女は決して油断しているわけではない。
戦いに慣れていない神官達の恐怖心と緊張を解すために、態度のなかに深刻さを見せていないのだろう。
今のルフルからは、確かに副隊長の貫禄が漂っている。
「それじゃ、あーし達も急ごう!」
先導してくれるルフルは、笑顔のままでピースをしてくれた。目の横あたりで、指を横に倒した形のピースサインだった。
町の北側は飴色の光に浸されながら、不吉な静寂を抱えきれなくなっている。その不穏さを笑い飛ばすようにルフルが続けた。
「“剣聖”のサニアもいるから、大丈夫だって!」