「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
「届かせてみせる……!」
夜空の真ん中に飛び込んでいくローザは、腹筋に力を籠めて口の中だけで呟いた。
だが、そうはさせるかと言わんばかりに、正面から女神ゾンビに突っ込んでいくローザを撃墜すべく、まだ残っていた数体の有翼ゾンビが突進してくる。
「無亜亜亜……ッ!」
エミリア・カタパルト(仮)によって射出されているローザは自由に飛行できるわけではないので、空中で襲われたら不味いことになる。勢いがなくなれば落下するしかない。
だが、そんなローザの事情など知ったことではないという風に、有翼ゾンビ達が群がって来ようとしている。奴らは縦横無尽だ。
有翼ゾンビの巨体が、上下左右、正面からローザに迫ろうとした。
『大丈夫よ。ローザ』
まるで冷気そのもののようなネージュの声が、通話用の指輪から響いたのはそのときだ。それと、ほぼ同時だった。
ローザが纏っていた氷の鎧が、パキパキ……! バキバキ……ッ!と澄んだ音を立てながら、その左腕と左手の装甲だけを残して弾け飛んだ。氷の破片が夜空に撒かれ、其々が淡い魔力光を溢しながら渦を発生させていく。
キラキラと蒼く光る氷たちは魔力の粒子を帯びながら、渦の中で巨大な氷柱の槍となって、ローザに襲い掛かろうとした有翼ゾンビ共を逆襲した。
凍結防御魔法に用いた魔氷を、リモートによって攻撃魔法に転じたのだ。こんな芸当ができること自体が、ネージュの持つ魔術的な素養が尋常ではないことを物語っている。
これで、今のローザの軌道を邪魔する者はいなくなった。
『後は任せたわ、ローザ』
通信用指輪の向こうで、少しだけ穏やかな声になったネージュが言ってくれる。
『ぶちかましてやれ! ローザ!』
乱暴で威勢のいいカルビの吼え声には、勝利を確信したような響きがあった。
『やぁぁぁっておしまいなさぁぁぁい! ローザすわぁぁぁぁぁん!!』
テンションが上がっているらしいエミリアの大声は、通話用の指輪から飛び出してくるかのようだった。
仲間達の声の御蔭で、身体か余計な力が抜けるのを感じた。イイ感じに集中力が高まっていくのも分かった。意識が研ぎ澄まされて、余計なものが感覚から消えていく。
もうローザの視界にあるのは、夜空の中で神々しく両腕を広げて、ほとんど詠唱を完成させつつある女神ゾンビだけだ。その女神ゾンビとの距離は、もう10メートルも無いぐらいまで詰まっている。
これで“射程”に捉えた……!
ローザも内心で、この作戦の成功を確信した。
女神ゾンビが、グルンッ……! と首だけを回して、ローザの方を見た。気付かれてはいるだろうとは思っていたので、そこまで驚く必要も無かった。
ついでに、女神ゾンビがノーモーションで魔術防壁をもう1枚展開して、突貫してくるローザを止めようとするのも、まぁ予想はしていた。
だからこそネージュには、魔力によって生成された氷の鎧を、左腕と左手に残しておくよう予めお願いしていたのだ。
「だぁぁあああああああ……ッ!!」
女神ゾンビに突撃している状態のローザは空中で身体を捻り、思いっきり左拳を突き出した。目の前に展開された魔術防壁を殴りつける。
ネージュが纏わせてくれた氷の篭手と、女神ゾンビの防壁が激突する。
ガッキィィィン……――ッ!! という、乾いていながらも澄んだ音が響く。ローザの拳と腕、肩にかけて強烈な衝撃が走り、背中のあたりに抜けていった。
うぁ……、痛ァ……!
意識が飛びそうになる痛みがあって、ローザは歯を食い縛る。ローザの左拳を包む氷の篭手は、その表面を鋭く尖らせた剣山のように変形しており、女神ゾンビが展開した防壁に突き刺さっている。
その氷の篭手に支えられて、防御結界に引っかかるような態勢のローザは、すぐに落下することは無かった。だが、女神ゾンビの防壁を破ることは出来ていない。止められている。
ローザはこれ以上、女神ゾンビに近付くことは出来ない。
そこで、ローザは見た。
此方を見下ろしていた女神ゾンビが、その口許に笑みを過らせるのを。あれは、明らかに嘲笑だった。弱者の抵抗を踏み躙ろうとする、酷薄な笑みだ。
『残念だったなぁ、クソ雑魚がァ』
さらに女神ゾンビは、あまりに乱暴な口調で、そんなことを言って見せた。
『そのまま落ちて死に腐れカス……!』
幼さが残ったようなその高い声音は、女性のものだった。
いや、女性というよりも、女の子と言った方が雰囲気に合うだろう。
だが、それは奇妙なことだった。
ゾンビが感情など持ち合わせている筈は無いからだ。
“指揮個体”であるらしい女神ゾンビが、何らかの特別な術式で、より生物に近い存在として造られたのか。
或いは、どこかでこの戦況を眺めているネクロマンサーの表情や感情、言動そのものと、この女神ゾンビが同期でもしているのか。
魔術に疎いローザには分からないが、どうも後者の方が可能性は高そうな雰囲気だ。だが、今はそんなことは重要でない。
「そんなつれないコト言わないでさ」
ニィ……と、ローザも不敵な笑みを女神ゾンビに返す。
『あぁ……?』
土気色の頬を怪訝そうに引き攣らせた女神ゾンビに、もう何も喋らせるつもりはなかった。ローザは空いている右手の中に、アイテムボックスから魔導具を取り出して握り込む。
マジックキャンセラーNX9。
この距離なら、女神ゾンビは完全に効果範囲に入っている。
「一緒に落ちようよ」
そう告げたローザは、間髪を入れずにマジックキャンセラーを発動させる。
周囲の空間が、短くも激しい振動に包まれた。ローザの右手を中心にして、淡い光の揺らぎが球状に大きく広がって、すぐに夜の暗がりへと溶けていった。
一瞬の静寂のあと。
マジックキャンセラーの使用に伴う大きな魔力消費によって、ローザは夜空のド真ん中で、1秒半ほど意識を失った。
その束の間に、手の中からマジックキャンセラーを取り落としてしまう。アイテムボックスに回収するのも間に合わなかった。
ローザは回復しかけた意識の中でマジックキャンセラーの値段を思い出し、また意識が遠のきそうになった。ただ、訪れた結果は絶大だった。
『オ……ォ……!?』
女神ゾンビが何を言おうとしたのかは謎だが、明らかに動揺した声音だったし、そもそも言葉としての形を成していなかった。
それもそうだろう。
マジックキャンセラーの効果によって、ローザの周囲にある魔術的効果は全て掻き消されて、強制的に無力化、無効化されているのだ。
ネクロマンサーが安全なところから女神ゾンビに魔力を送り込み、遠隔で操っていたとしても、その魔術自体も維持できなくなる。
同時に、女神ゾンビを経由して展開されていた攻撃用の魔法円も消散を始めた。ローザの接近を阻んだ強固な魔術防壁も、輪郭をぼかしながら消えていこうとしている。
魔法、魔術効果の喪失を齎せるマジックキャンセラーの効果は、当然のことながらローザにも及ぶ。ネージュのよって編まれた左腕と左手の氷の鎧も、例外ではない。音も無く消え去ってしまう。
『ァ……ァ……』
擦り切れた吐息のような声と共に、女神ゾンビの身体が傾き、落下していく。
「ぅわわ……っ!」
支えを失ったローザの身体も同じく、真っ逆さまの落下を既に始めていた。
命綱も無く夜空の中に放りだされ、四方八方から重力が取りすがってくる。ローザの身体は何の抵抗も無く、ただ下へ下へと引き摺り下ろされていく。
そのうちローザの身体は、脚が上になった。
頭から落ちているのだ。
だが、ローザはパニックにはならなかった。
こうなることは分かっていたし、覚悟していた。
冷静に恐怖と向き合いながら、解けていく緊張を実感する。広がっていく視野を意識すると、自然と目が居住区の方を向いた。
見れば、居住区防壁の魔術士たちや、避難場所となった建物を守ろうとする冒険者、領兵騎士団を襲っていた大量の有翼ゾンビ共も、次々と墜落をはじめているのが分かった。
やはり、あの無数の有翼ゾンビも、“指揮個体”である女神ゾンビからの魔力共有を得ていたようだ。
その肝心要の女神ゾンビが、マジックキャンセラーによって駆動自体が不可能になったため、奴らも文字通り、糸が切れた人形のように落下を始めている。
結果としては、この作戦ともいえないようなローザの作戦は、成功した。
だが、まだ安心はできない。ローザのピンチは現在進行形だ。だって、夜空のド真ん中から地面に向かって、文字通り真っ逆さまに落下している最中である。
このままだと即死。ぺしゃんこだ。
「ホント……、魔力の残りもギリギリだなぁ……」
頭を下にしたままで地面を見据えたローザは、魔導拳銃を真下に構えて3連射した。
強烈な魔力消費で、流石に意識が飛んだ。無理も無かった。
『クリムゾン・エクスプロージョン』を使ったし、それより前にも、有翼ゾンビ共を相手にそれなりに魔法弾を撃ったし。おまけに今は、マジックキャンセラーまで使った直後なのだ。
3秒ぐらい気を失った。
何なら、使用した魔法弾と紛失したかもしれないマジックキャンセラーの費用が頭を過り、貯金の数字がバコッと削れる想像から逃れたくて、もう3秒ぐらい気絶しそうになった。
だが、ローザの身体を生きることを強烈に望んでいるようだった。目が覚める。一気に醒め切って、視界が戻ってきた。
地面との距離は一気に縮まっている。何の変哲もない道路が、ローザの頭に近付いてくる。だが、道路の石畳とローザの間に、急激に膨れ上がるものがあった。
魔力によって発生した、水の球だ。
ローザが魔導銃で3連発したのは、墳墓ダンジョンでも活躍してくれた『アクア・ウォール』弾であり、巨大な水球を発生させる効果がある。
これを3つ同時に使ったので、ローザの落下地点には見る見るうちに水の球が膨張し、ボコボコボコ……ッ!と広がって、特大のクッションとして完成していた。
あぁ、ちょっと深すぎたかな。溺れちゃいそう。
朦朧とした意識の中で、ローザは息を吸い込み、息を止めた。その1秒後には、肩から水球の中へと飛び込むことになった。
ザップーーーーン……ッ! という派手な音と、ほぼ同時。グシャッ……! というか、ドグチャァ……ッ!とった感じの、肉が叩き潰される鈍い音を聞いた気がした。
ローザの視界の隅に、後頭部と背中から地面に激突する女神ゾンビの姿がチラッと見えた。次の瞬間には、その視界自体が水で覆われてグチャグチャになる。
全身が水に浸される重さ。
濡れた身体が一気に沈んでいく感覚。
細かい泡の感触。
体重が減少するような浮遊感。
その全部を味わいながら、ローザは水の球の中を泳ぎ、水球の横側に抜けるような感じで外に出る。
「ブハァァ……ッ!!」
息を吸い込むと同時に、背後の水球が形を失いながら周囲に溢れ出した。流石に3発分の『アクア・ウォール』弾だったので、その水の量も結構なものだ。
ふらふらで態勢を崩しかけていたローザは、背後から来るその水流に耐えることも出来ずに押し流され、ずぶ濡れになりながら仰向けに転がってしまう。
気付けばローザは、水浸しになった道路で大の字になっていた。夜空が目の前に広がっていて、夜風が自由に踊っていた。
「ゲホッ! ゴホ……ッ!! ハァ……! ハァ……!!」
荒い呼吸をしながら、後頭部と背中、肩と腰、お尻のすべてで地面の硬さを感じるローザの胸中には、物凄い達成感と、生きているという実感が同時に去来していた。
「やった……! やってやったわよ……!」
女神ゾンビを落とした。町を守ったのだ。ローザは両手で拳を握り、夜空に向けて突き上げる。多幸感と言って差し支えない歓喜を、胸いっぱいに満たして味わう寸前だった。
耳を疑った。
『……アァァアアア……!! いい所で邪魔しやがってェェ! うぜぇうぜぇうぜぇ……! クソうぜぇぞボケカスがぁぁ……!』
とんでもない汚い言葉遣いをする、女の子の声が聞こえたからだ。
「……はぇ……?」
仰向けに寝転んでいるローザは、その態勢のまま後頭部と髪を地面に擦るようにして首を曲げ、一緒に墜落してきた女神ゾンビの方を見た。
今度は目を疑った。
いやいや……。何で……?
マジックキャンセラーは間違いなく発動していた。
魔術効果、魔法効果は全て強制解除されていた筈だ。
ゾンビ共を遠隔で操るネクロマンサーの魔術も。
ゾンビ共に目的を与えて統率する魔法効果も。
全部を打ち消した。なのに――。
『クソ雑魚の分際でやってくれるじゃねぇかこのカスがよぉ……!死ねよ死ね死ね今すぐ死ねよっつーか今すぐ殺すわマジでオメーは殺す……!!』
というか、あの高さから落下してきて、まともに地面に叩きつけられているのだ。
腕や脚や首やらが変な方向に曲がって、破裂したように歪んでいるのに、何であの女神ゾンビは、ガクガク、グラグラと身体を揺らしながらも立ち上がれるのか。
しかも、手にした錫杖を杖代わりにしている女神ゾンビは、ただ立ち上がるだけではなく、厳粛で壮麗な法衣を内側から破裂させるようにして、ズバアアアア!! っと巨大な翼まで生やしてみせる。
いや、違う。あれは翼じゃない。
羽毛など一切ない。半透明のあれは、虫の翅だ。
ローザは自分の心が折れそうになるのを感じた。女神ゾンビはアンデッド兵器としての機能を停止するどころか、絶賛稼働中の御様子。
「……勘弁してよ」
思わず呟いてしまったローザは、慌てて手をついて立ち上がろうとした。だが、ガクンと膝が折れてしまう。
身体に力が上手く入らないし、まだ視界にも霞がかかったような状態だ。魔力消費が激し過ぎたせいで、まともに戦える状態じゃない。
というか、もう魔導銃を撃ちだす魔力は、ローザの身体には残っていない。
根性でどうにかなる話ではない。ローザは確信しているが、次の一発を撃てば、間違いなく自分は死ぬ。
「こっちはもう、ヘロヘロなんだからさ」
ローザは膝立ちになりながら魔導拳銃を握り締め、せめて精一杯の減らず口を叩く。今にも砕けそうな闘志を、必死に両手で支える思いだった。
「……再起動させるなんて、そりゃあ反則だよ」
『黙れよクソカス……! ネクロマンサー舐めるじゃねぇぞォオラァ!!』
そのキレまくった口振りと発言を聞いて、ローザは確信した。
この声を発しているのは、やはり、今の状況を把握しているネクロマンサーなのだ。
目の前の女神ゾンビがまだ動いてるのも、やはりネクロマンサーによる魔力の再装填によるものに違いない。
『とりあえず死ね……!』
体中の関節を変な方向に曲げてバランスを崩しまくっている女神ゾンビが、手にした錫杖をローザに突き付けてくる。錫杖の先端には魔法円が浮かび上がり、濁った紫色の光が音もなく灯った。
無詠唱の攻撃魔法が来る。
ローザはそう思った。その通りになった。
錫杖の先から放たれたのは、炎と雷を混ぜ込んだ塊だ。
それも、かなりデカい。
ふらふらのローザでは避けられない。ならば、正面から掻き消す。
いや、それも無理だ。さっき取り落としたマジックキャンセラーを拾いにいく間もない。魔導拳銃を撃つしかない。
――つまりは、もう死ぬしかない。
上等。
ローザは奥歯を噛みながら笑い、魔導拳銃の引き金を引こうとした。だが、その必要が無くなった。
「オラァ……!」
「ローザ伏せて……!」
「やぁぁらせませんわよォォォォォンン!」
仲間である3人が、ローザの盾となるべく横から飛び込んできてくれたからだ。
陣形としては、大盾を構えたエミリアを中心にして、その両脇についたカルビとネージュが、大盾の端を持ち上げるようにしている。
魔法を使えない筈のエミリアの持つ大盾には、燃え盛る炎と頑強な氷が溶けあうようにして魔術紋様を描き、魔術防壁として機能していた。
あれは、カルビとネージュの2人が、互いの魔力をエミリアの大盾に受け渡すことで可能にしているようだった。やはりエミリアの持つ大盾も、魔力伝達率の高い武具なのだ。
ローザ目掛けて放たれた、雷炎編みの巨大球。バッチバチゴウゴウ……!と唸りまくる魔法攻撃を、エミリア達は真正面から受け止める。
「これぞ“淑女道”奥義!! フレンドリィィーアットホォォーム・ウルトラプロテクトシィィーールドォォォァァァアアア!!」
いや、受け止めるだけでなく、雷炎の巨大球を押し返しながら弾き飛ばしながら、3人は大盾を構えた姿勢のまま、物凄い勢いで女神ゾンビに突撃していった。
「&ォォォオ……!! 追撃のフレンドリィィーアットホォォーム・ヴァイオレンスダイレクト・スマァァァッシュュォォォオラアア!!」
迫真の大声で必殺技を叫ぶエミリアのあとに、「技名がダセェんだよ!」「しかも無駄に長いわね……!」という、カルビとネージュの文句が聞こえてきた。だが、その威力は十分だった。
カルビとネージュの魔力が編んだ魔力防壁を、直接叩き込むシールドバッシュだ。しかも、そこにパワー自慢のエミリアの突進力も加わっている。並の破壊力じゃない。
『こぉぉの、カス共がぁぁあ……!!』
悪態をついた女神ゾンビは、慌てて魔術防壁を展開したが、エミリア達はこれを力技で突き破っていく。巨大なガラスを、ハンマーでたたき壊すような音が辺りに響き渡った。
『ぐぅうぅ……!!』
直後には、女神ゾンビは炎と氷の魔力に飲まれながら、大盾の一撃をまともに喰らい、10メートル以上をぶっ飛んで、ゴロゴロゴロ!!っと派手に地面を転がった。その様子を呆然と見ていたローザに、エミリアとカルビ、ネージュが振り返ってくれる。
「私が来たからには、もうローザさんには指一本触れさせませんわよぉ!」
「おう、ローザ! 生きてるか!? 生きてんな!? よしッ!」
「本当に無事で何よりね……。よかったわ。うん」
3人の声を受け止めると、自分が生きている実感以上に、仲間という存在に胸が打たれた。
「……ありがと、みんな」
この言葉を口にするのは、今日は何度目だろう。込み上げてくる何かを飲み込み、ローザは唇の端を持ち上げて、頷く。
ついでに魔力回復用の魔法薬を取り出して、使用しながら居住区の方を再び窺った。
有翼ゾンビ共の姿は夜空に見えず、全て地面へと落下したに違いない。それに、明らかに静かになった。既に戦闘自体は終了している様子だ。
やはりローザのマジックキャンセラーは十分に効果を発揮し、女神ゾンビから有翼ゾンビ共への魔力供給を断っていたのだ。
あとに残すは“指揮個体”である女神ゾンビのみ。その女神ゾンビが、まだしぶとく何かをしでかそうとしている、というのが今の状況だ。
決して油断はできないし、楽観もできない。だが、大量の有翼ゾンビで時間を稼がれ、巨大な範囲大魔法で全滅させられるような危機的状況は脱した。
『あぁぁぁぁあ……!! マジでうぜぇぞテメェらこのクソゴミ共が舐めやがって死ね死ねああぁあああああムカつくんだよ死ねボケェェ……!!』
だが、まだネクロマンサーは諦めていないようだ。
エミリア達によってぶっ飛ばされ、もうズタズタの襤褸雑巾のようになった女神ゾンビを無理矢理に立たせ、翅を震わせ、再び空へと舞い戻ろうとしている。
そうはさせまいと、ローザを守る位置で戦闘態勢を構えたエミリア達が、女神ゾンビに肉薄しようとしたときだった。
「う、うわぁぁぁ……!?」
「なっ……、何だありゃあ!?」
「虫の、バッ、バケモンだ……ッ!」
「いや、女のゾンビか!?」
怯んで震えた声の束が、広い街道の隅の方から不意打ちのように響いてきた。聞き覚えのある濁声だった。
ローザ達から少し離れた、左斜め前。
ローザ達が対峙している女神ゾンビから見て、右斜め前。
ぞろぞろっと路地から出てきた人影。迂闊だったが、ほとんど無意識にローザは目を向けてしまってから唖然とした。カルビとネージュ、エミリアも顔を向けて呆気に取られている。
両手首を鎖で繋がれ、右足首にも拘束用の魔導具を嵌められている男達。見覚えのある顔。夕暮れの森の中で、ローザ達を襲ってきた者達。
レイダー共だった。
何でアイツら、こんなところに……。その困惑の刹那。
ローザの脳裏で、幾つかの記憶が火花のように散る。
――捕らえれたレイダー達は最初、村の外に張られた天幕に繋がれていたはずだ――。
――だが、夜が迫ってきてゾンビ共の襲撃に備えなければならなくなって、奴らを外に放置しておくわけにもいかなくなった――。
――とはいえ、危険な犯罪者である彼らを、居住区内に通すことを領兵騎士団と住民は強く拒んだこと――。
――そのため、『正義の刃』のメンバーが、レイダー達を居住区外にある空き家に繋ぎなおし、彼らを守るための最低限の結界を張ったこと――。
――その空き家が結界ごと、さっきの女神ゾンビの魔力弾によって崩壊していたとすれば――。
――更に、手枷と足枷を嵌められたままのレイダー共が、瓦礫の中から這い出て、自分達を捕えていた結界が壊れたことを好機と捉えたなら――。
目の前のたわけた状況にも説明がつく。
実際、あのレイダー共の顔や服は、煤と砂埃に塗れていた。やめておけばいいのに脱走を図ったのだ。
路地裏に身を隠すのではなく、こうやって幹線道路までノコノコを出てきたのは、エルンの町の防壁門が幹線道路沿いにあるからだ。
ゾンビの襲撃と夜の暗がり乗じて、レイダー共はさっさと町から逃げようとしたに違いない。そして不運にも、今まさに女神ゾンビと遭遇したといった具合なのだろう。
反省もへったくれも無いレイダー共の行動に、ローザが本気の舌打ちをしそうになったときには、女神ゾンビは容赦なく動いていた。
『うるせぇぞ死ねよクソ共が……!!』
完全に冷静さを失っているネクロマンサーにとって、レイダー共の濁った喚き声は癇に障ったのか。
獰猛に吼えた女神ゾンビは、手にした錫杖を大きく振るった。濁った紫色の魔法弾を、一瞬で8発。無詠唱の散弾。4発はローザ達に。残りの4発は、レイダー共に向けて。
「く……ッ!」
魔力消耗でまともに動けないローザは、肩を貸して支えてくれているネージュの氷結魔法に守られながら、ただ見ていることしかできなかった。
「ぬぅぅううあああああ……ッ!!」
ネージュの防御魔法が展開しきる前に、レイダー達に最も近い位置にいたエミリアが、大盾を背中に担ぐように持ち直して飛び出していくのも。
「お、おい……ッ!?」焦った声を出したカルビも反応が遅れ、エミリアに追い縋ることができず、ネージュが展開した魔氷の防御壁に抱き込まれたところも。
女神ゾンビの魔力弾が炸裂する。濁り切った爆風。澱んだ光と共に、見るからに強毒性の瘴気が吹き荒れる。衝撃で周囲の建物が傾いだ。魔術的に汚染される街道。
そんな破壊の最中にあっても、咄嗟にネージュが展開してくれた魔氷防御の結界によって、ローザとカルビは守られた。無事だった。
でも、エミリアは――?
瘴気の爆風の向こうに、ローザ達は目を凝らす。
「ぐぅうううううう……ッ!!」
立ち込める瘴気と熱波のなかで、エミリアは剝いた歯を食いしばって立っていた。構えた大盾だけでなく、自分自身の恵まれた体をも盾にして、尻餅をついたレイダー達を庇っている。
エルンの町の神官達から、神聖魔法である耐毒結界はローザ達も施してもらっていた。だが、女神ゾンビの魔法攻撃をまともに受けとめたエミリアは、無事とはいかなかった。
荒い息を吐くエミリアの目の下には、真っ黒なクマができていた。唇も真っ青だ。紅の髪の端々が焼け焦げているし、目の焦点も怪しい。
彼女が着込んでいる重装鎧も軋みを上げている。じゅうじゅうという不気味な音と共に、至る所から紫色の煙が上がっているのだ。
瘴気による魔術汚染が、エミリアの肉体と装備を蝕んでいるのは明白だった。脚がガクガクと震えているし、ガチガチと顎も揺れている。ぐらりと彼女の身体が揺らぐ。
「ふんッ……!」
だが、エミリアは倒れない。足を前に出してズドンと地面を踏み砕き、踏み止まる。そして青い顔の横に手の甲を寄せて、凄絶な笑みを刻んでみせた。
「こぉぉれしきの攻撃ではァァ……! この私にダメージを与えることなどできませんことよぉぉぉ……ッホッホッホッホッホッブ……ゲッホ、ガハッ……!!」
だが、御嬢様笑いの途中で血を吐き出したエミリアだが、不敵な笑み自体は消えていない。
尻餅をついていたレイダー共は、強張った眼差しに驚愕と呆然を浮かべ、身を挺して守ってくれたエミリアの背中を見上げている。そのうちの一人が、思わずと言った様子で溢した。
「な、何で……俺達を……」
「言った筈ですわよ」大盾を構え直したエミリアは振り返らず、口許の血を篭手で拭う。
「同じ冒険者として、貴方たちを見捨てることはできないと……! それに……!」
女神ゾンビを睨みつけて対峙するエミリアは、ゲホガホゲヘッ……! と血の塊を吐き出しながらも、手にした大盾を構え直す。
「私の正義を、私が命を懸けて貫くことこそ……! 私が冒険者であることの意義だからですわッ……!」
エミリアの魂から発せられた声と、血を帯びたその清冽な言葉に、女神ゾンビが口汚く噛みつく。
『下らねぇ綺麗ごとを吐いてんじゃねぇよ死ねよもうウゼェからよぉ……!!』
女神ゾンビは翅を羽ばたかせて宙に浮き上がって、再び錫杖を振り抜こうとする。先程のような瘴気を籠めた魔法攻撃を、更に大規模で放つつもりなのは間違いなかった。
何としても阻止したい。ローザは魔導銃を構えようとしたが、手が震えて取り落としてしまう。情けなかった。
「ローザ! 無理をしては駄目よ! ここは私が……!」
ローザを肩で支えてくれるネージュが、膨大な魔力を注ぎこんだ大槍を投擲する構えを取った。
「エミリア……ッ! もうちょっとだけ辛抱しとけ……!」
大戦斧に炎を灯したカルビも、魔氷防御の結界から飛び出して女神ゾンビに迫ろうとした。
カルビとネージュは、明らかに女神ゾンビを仕留めるつもりだった。これで決まって欲しいと思った。そして、そういった願いは裏切られるのが、この業界の常だ。
『目的を見失ってはいけませんよ』
また別の者の声が混じった。
『私達に設定された目標は、この町の破壊、そして住民の皆殺しです』
ゾッとするような、やけに温みのある男の声だ。
『冒険者との戦闘は、もう十分にデータも取れたはずですが』
瞬間的に、女神ゾンビの動きも変わった。
攻撃ではなく、空中制御と防御に魔力を変換したのだ。奇妙な表現になるが、女神ゾンビを操縦している者が変わったかのかもしれない。
女神ゾンビは魔力弾を放つ代わりに、瘴気の突風が巻き起こしながら急上昇した。周囲で傾いでいた建物が崩れるほどの風だった。
大槍の投擲を断念したネージュが、ローザを抱き寄せるようにして風から守ってくれた。女神ゾンビに肉薄しようとしていたカルビも、瘴気の暴風に圧迫されて膝をつき、顔を腕で庇っている。
片膝をついたエミリアは、凭れ掛かるようにして構えた大盾で自身とレイダー達を守りつつ、鎖をレイダー達のほうへと投げ渡していた。レイダー達が吹き飛ばされないよう、命綱として掴ませているのだ。
完全に隊列を崩されて、もはや守勢すら維持できていないローザ達を、女神ゾンビが見下ろしてくる。だが、攻撃は無かった。寧ろ、相手にしようとしすらしていない風情だ。
『試作体の飛行ゾンビも、ほぼ全て仕留められています。もうこれ以上、遊んでいる余力はありません』
『うるせぇ指図すんじゃねぇよつーか勝手にコントロールを奪うんじゃねぇお前から殺すぞ!』
一体のゾンビが、2人分の人間の声を発している。
女神ゾンビと同期しているネクロマンサーの傍に、もう一人、別のネクロマンサーがいるのか。その会話の声が余波のよう紛れ込んでいるという風情だ。
『はいはい。お返ししますよ』
男の声は飽くまでも温和で、気味が悪いほどに優しげだった。
『その試作体ゾンビも、再利用できないほどボロボロですし。あの居住区に突っ込ませてから、大規模な瘴気汚染自爆でもさせればいい』
まるで花に水でもやるかのような長閑さで、女神ゾンビの口から男の声が漏れ続けている。
『……できれば、土地の汚染は少なくして、ゾンビ達の性能を評価して貰いたかったのですがね。まぁ失敗するよりはマシです』
『分かってんだよンなことはよォォォォオ……!! やりゃあいいんだろうが!!』
完全にブチ切れているという風の狂猛な少女の声は、そのうち、あの怖気が走るほどに美しい歌声となって言葉を紡ぎ、詠唱となっていく。
その聖歌のごとき詠唱には、明らかに破滅的で、自暴自棄な声音の響きが混ざっているのが聞き取れた。だが、途中で詠唱を中断した女神ゾンビが、ローザ達を順に見てくる。
『テメェらツラは覚えたからなぁ……!!』
そう吐き捨てた女神ゾンビは、詠唱を再開すると同時にローザ達に背を向け、居住区に向けて滑空していく。追い縋ろうにも、もはや不可能な速度だった。
「おい、何かヤべぇ感じだぞ……!」
慌てて女神ゾンビを追いかけようとしたカルビだが、すぐにエミリアに振り返って駆け寄った。血を吐いたエミリアがうつ伏せに倒れていた。
「アタシの前で死のうとするなんて、いい度胸してるぜ……!」
張り詰めた表情のカルビが、エミリアに手を翳して治癒魔法を唱える。懸命なカルビの眼差しはエミリアに注がれながらも、何度か居住区の方へと逸れた。
エミリアに守られたレイダー共は動けないまま、今さらのように神妙な顔つきになって、カルビの治癒魔法を施す様子を雁首揃えて見守っている。間抜けな光景だった。
半ば放心したように、ネージュが防御魔法の氷を解いて、ローザの身体を強く抱いてきた。彼女の強張った目も、エミリアと居住区の方を交互に泳いでいた。
魔力消耗も回復していないローザも、同じような様子だった。
しくじった。失敗した。駄目だった。じわじわと身体の芯を蝕んでくるのは、そんな絶望にも似た敗北感だ。
最後の最後で、仕留めきれなかった。その煮え滾る後悔の中で、ローザは、血が出るほどに両手の拳を握っていた。女神ゾンビの言葉が頭に残響している。
居住区の人間を皆殺しにするのが目標。
大規模な瘴気汚染自爆。
女神ゾンビは、自爆する気なのか。いや正確には、ネクロマンサーが遠隔で自爆させるのだろう。それを阻む手立ては、もうローザ達にはない。何も無い。
数秒の間、ローザの思考は折れていた。現実に押し潰されそうになるのを、奥歯を噛みながら耐える。そのときだった。ローザは見た。
ひとりの女性が幹線道路を駆けてくるのを。あれは、間違いない。サニアだ。そうだ。彼女は言っていたはずだ。崩落した防壁門を迂回してこちらに向かうと。
そして今、彼女は味方も引き連れずに突出し、たった1人で女神ゾンビを見上げながら疾駆しながら、手にした剣に暗銀の魔力光を籠めている。
この戦いの最中にある彼女は、どこまでも一人だった。
――いや、違う。今の彼女は一人ではない。
照明器具によって照らされている、崩落した防壁門。その上から、小柄な人影が身を躍らせていた。まるで夜の闇から、零れ落ちた雫かのように。
“剣聖”として孤高に命を懸けようとするサニアの覚悟に、今は彼だけが追従できていた。
「……あれは、アッシュ君……?」
ローザの呟きは、夜風に掬われて解けていく。夜空に垂れこめた雲には再び切れ間ができて、淡い月明かりが滲むように辺りに広がった。
決着の到来を告げるようなその柔らかな光を受け、彼が手にする長刀が静かに、鈍く輝いている。
今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!