「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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エルンの町を去る前に1 <サニア視点>

 

 

 

 

 

 

 

 今夜の町の防壁守備につく冒険者達の配置、見回りを担当しているクランメンバーへの連絡、こなすべき執務……。

 

今日の仕事を済ませた私は、作戦立案室として町長が用意してくれたギルドの集会場から外に出る。アッシュとの待ち合わせ場所に向かう。

 

 町にはまだ瓦礫が残っている場所や、浄化された死霊魔術の名残のような砂埃が積もっている箇所が散見される。

 

だが、以前のように危機感や緊張感を煽るようなこともない。ゾンビの群れを退けたことで、町に残る傷痕にも静寂が宿っていた。

 

癒えるのを待つ時間と、その為の労力を欲する佇まいの中で、町は静かに寝息を立てている。私の足音だけが、暗がりに硬質な響きを残している。

 

 商業区域に並ぶ店のほぼ全てが休業していることもあり、夜間は、ほとんどの住人たちが居住区に戻っている。町並みに人の気配はない。

 

夜空は晴れて、空気も澄んでいた。道路に設置された仮設の魔法ランプの明かりが、夜気を柔らかく溶かしながら、一人で歩く私を照らしている。

 

『あー……、あのさ、サニア。今、大丈夫かい?』

 

不意に、腕に装着した通話魔導具が魔法円を展開した。男の声が届く。

 

3番隊隊長。ジュードからだ。2日前に教団のものと思われる地下施設の再調査に向かい、今日の朝には部下と共に帰還していた。

 

今日は一応の非番ということになっている筈だが、このような夜更けに、こうして私だけに伝える形で連絡を寄越してくるところを見るに、何か重大な発見があったのか。

 

 『少しだけ、その……、話がしたくてさ』

 

彼は何故か、私に対してだけ言葉が濁る。理由は何となく分かっている。任務に対し、歯に衣を着せない私の物言いを苦手としているのだろう。

 

だが、彼の任務に対する態度は実直だ。私が口を出す必要はない。大振りの剣を操る腕も確かだし、部下からの人望も厚い。

 

私は彼のことを、『正義の刃』を支える優秀なクランメンバーとして信頼している。

 

「緊急の要件ですか? 再調査した地下施設で、何か新たな発見でも?」

 

私は足を止めて、腕輪の向こうに問いかける。

 

『あぁ、いやっ……、緊急とか任務とか、そういうワケでもなくて。この時間なら、サニアの仕事も終わったかなと思ったんだよ』

 

「えぇ、私の仕事は終わりました。ですが、今から人と会う約束があるのです」

 

『あ……、そ、そうなんだ?』 ジュードの声が揺れる。

 

「はい。ですから後ほど、私の方から通話をし直しましょう」

 

『えっ、あぁ、うん……。やっぱり、いいよ。あんまり夜更けにまで、俺に気を遣わせちゃったら悪いから』

 

「そうですか? では、また明日にでも要件を窺います」

 

『あぁ、うん……。それじゃあ、また……』

 

私が応じると、ジュードは気落ちしつつも焦るような、動揺したような声で通話を切り上げた。私は懐中時計を取り出して足を速める。

 

「あと、20分……」

 

意味も無く呟いてしまう。約束した時間までは、まだ余裕がある。町の広場に設置された魔法灯が、待ち合わせの場所だった。

 

 夜の広場にアッシュの姿は見えない。私が先に着いたようだった。魔法灯の傍に立った私は、何度も懐中時計を見ていた。自分の鼓動を耳の奥で聞きながら、秒針の動きを目で追う。

 

 もうじき、アッシュが来る。

 私に会いに。私に会いに来るのだ。

 此処で、2人で会うのだ。

 そのことを改めて意識する。

 

 は、はわわわ……。

 

 い、いやっ、狼狽えてどうするというのか。

 しっかりせねばならない。だが……。

 無意識のうちに、熱い溜息が震えながら漏れた。

 掌で自分の頬に触れる。重たい火照りの感覚。

 私は、顔の赤さを自覚する。

 

恋。恋など。

 

そんなものは、私には無縁だと思っていたのに。

 

 アッシュ――。

 

 彼の優しい表情と声を想うとき、私の鼓動は、今までに経験したことのない微熱を帯びていた。そして今も、切なくも甘い焦燥と、怯みと期待が、喜びによって包まれながら胸を満たしている。

 

 また溜息が漏れる。

 ソワソワとして落ち着かない。

 何かを考えるのが難しく、冷静になれない。

 

 居住区防衛戦を終えてから、私はアッシュに会うことを意識的に避けていた。

 

 会わないという選択をすることで、この胸に宿った熱が引くことを期待してのことだ。だが結果は無意味であっただけでなく、逆効果だった。

 

 何をしていても、脳裏に浮かぶ彼の姿に意識が搦めとられた。

 

 アッシュに会いたくて会いたくて、堪らなくなった。あの声を聞かせて欲しかった。彼の、昏い青みのある灰色の瞳で、私を見詰めて欲しかった。傍に、彼の温もりが欲しかった。苦しい程に。

 

 そんな、箍が外れたような感情の昂進に、自分でも狼狽した。どうかしていると思った。こんなに乱れた心に、恋などと名前をつけて本気で向き合うべきなのかと疑った。

 

 幼馴染であるルフルに、今の私の感情を、迷いを、悩みを、赤裸々に相談することも考えた。だが、難しかった。そういった種類の勇気を出したことがないことにも気付く。

 

 挙句の果てには、“青春”などという言葉が頭を過り、ここ数日の間に何度も一人で赤面していた。

 

 馬鹿馬鹿しい。何を浮かれたことを。一方的な感情の昂ぶりに引き摺られているだけではないか。冷静な私がそう思う。

 

 一方で、熱に浮かされた私が思う。少なくとも、アッシュに会えたことは、自分にとっては何か意味があるではないのかと。

 

 例えアッシュが、私の人生にこれ以上の関りを持つことがなかったとしても。

 

「……っ」

 

 ありふれた当然の覚悟を想うと、胸が痛んだ。耐え方が分からない痛みだった。苦しい。だが、手放したくない。

 

だが、これが実らぬ恋だと最初から覚悟しておくことで、失恋の悲しみを緩和することもできるだろう。そんな楽観も持っておくべきだとも思う。

 

 でも……、あぁ、やはり駄目だ。

 そんな風に消極的に、この感情は処理できそうにない。

 少なくとも、今は――。

 

 全く経験したことのない、この恋というものに私は翻弄され、完全に持て余していた。それなのに、奇妙な程に嫌ではない。

 

 私は、彼のことを――、アッシュのことを何も知らない。知り合ってほんの数日だ。それなのに私は、もう引き返せないところまで彼に惹かれてしまっている。

 

 どうかしている。分かっているのだ。

 だが、どうしようもない。

 

『恋は突然』などと嘯く言葉に、眉を顰めたこともある。だが、いざ自分の身に降りかかってみれば、納得せざるを得なかった。

 

「――アッシュ」

 

 熱い吐息交じりに、彼の名を口にしてしまう。その感触を確かめるように。自分でも困惑するほど艶のある声が出た。思わず赤面する。だが、心地よい高揚があった。

 

 ……別に悪いことをしているわけではない。咎められることではない筈だ。もう少し声音のニュアンスを変えて、彼の名を口にしてみたくなった。

 

 そう。仮に、……もし仮に、だ。

 

 私と彼が親しくなったときには、こ、ここ、こ、恋仲になったときは、相応の情と親密さ、そして、2人同士でなければ許されない温度を籠めて、彼を呼ぶこともあるだろう。

 

 初心な少女のように、私はそのときのことを夢想した。これが初めてではなかった。この数日で、もう数えきれないほどに、彼と過ごす日々を想っていた。

 

その度に味わう微睡むような心地よさと高揚は、決して褪せない。幼稚な幻想だと自覚していても、不思議な充実があった。切ない心を、束の間だけ満たしてくれる。

 

もう一度、彼の名を口にする。愛情と親密を籠めて。

それくらいは許されるだろうと思った。

 

「アッシュ……」

 

「呼んでくださいましたか?」

 

「うぉ……ッ!!?」

 

 背後から声を掛けられた私は驚き過ぎて、肩をビクーン!と震わせて、背筋をバキバキに伸ばしてしまう。ひっくり返った声と一緒に、口から魂が飛んでいきそうだった。

 

 想像の中にいるアッシュに夢中になり過ぎて、実在する彼の気配に全然気づかなかった。少なくともここまで近付かれれば、普段の私ならば絶対に気付いた筈なのに……!

 

 というか、き、聞かれただろうか。

 甘えるような声で「アッシュ……」と呼ぶのを。

 

 は、はわわわ……っ!

 

 思わず涙目になりそうになりながら、ガバッ!!と振り返った私を見て、アッシュは丁寧に頭を下げてくれた。

 

「こんばんは。お疲れ様です」

 

 穏やかな彼の表情を見ただけで、気が滅入ってくるほどに私の顔が熱くなるのが分かった。

 

「い、いえ……」軽く咳払いしつつ、私は自分を落ち着かせる。「こんな時間に呼び立ててしまって、悪かったですね」

 

 そう応じた私の声は、笛のように裏返ってしまっている。だが私は、無表情を貫いて誤魔化す。顔の赤さは、この暗がりが誤魔化してくれるだろうか。

 

「……あの、サニアさん、もしかして風邪気味ですか?」

 

 私の喉の調子を心配してくれているらしい彼が、じっと此方を見詰めてくる。きゃあ。変な声が出そうになるのを堪えつつも、私は彼の目を見れない。咳払いをしながら視線を逃がす。

 

「いえ……。大丈夫です。体調は良好でしゅ」

 

 噛んでしまうが、知らんぷりをした。この場にカルビが居たなら、容赦なくイジられただろうが。

 

「そ、そうですか? なら、良いのですが……」

 

 アッシュが控えめに微笑む気配があった。彼の柔らかな雰囲気によって夜の暗がりが、ふっと温められるようだ。

 

「疲れが溜まることで微熱が出ることもありますから。隊長職はお忙しいとは思いますが、あまり根を詰め過ぎないで下さいね」

 

 優しい言い方をしてくれるアッシュの声に、私の胸が容赦なく高鳴る。ただ会話ができることが、こんなにも嬉しいのかと半ば愕然としながら、私は緩く首を振った。

 

「お気遣い、感謝します。ですが、根を詰め過ぎないようにというのは、そのまま御返ししましょう。ぁ、アッシュ」

 

 彼の名を呼ぶ声が、震えなくて良かった。私は平静を必死に装う。

 

「聞いていますよ。ここ数日の貴方が、神殿で身体を休めている住民達を癒すべく、夜を徹して治癒系統の魔法を行使し続けていたと」

 

 特に意識したわけではないが、そこで言葉を切った私の声は、僅かに尖っていた。それは彼を責める意図からではなく、彼のことが心配だったからだ。

 

 肉体の傷を修復し、その痛みを和らげる治癒魔法は、それと引き換えに術者と被術者の命を摩耗させる。つまりアッシュはここ数日、肉体に多大な負担を強いてきたということだ。

 

 このアッシュという少年が、他者の為になら自分をどこまでも犠牲にする性分であることを、私はもう疑わない。放っておけば彼は本当に、治癒術士として四六時中働き続けるだろう。

 

 それこそ、“助力を惜しまない”と、彼が町長に誓った通りに。

 

「戦いが終わった今こそ、優れた治癒術士である貴方の力はとても貴重であり、重要です。くれぐれも無理はしないで下さい」

 

 それは紛れもなく、私の本心だった。

 

「……はい。ご忠告、ありがとうございます」

 

 困ったように眉を下げたアッシュだったが、その声音は誠実だった。

 

「ところで、その……。僕に何か、要件があったのでしょうか? もしも急ぎの用だったなら、話しを逸らしてしまって申し訳ありません」

 

「あぁっ、いえっ……、しょ、その、急用というほどのものでは、ないのですが……」

 

 内心の焦りから、私は歯切れ悪く応じてしまう。これでは先程のジュードのようだ。何度も唇を舐めて湿らせる自分を、苦々しく思う。

 

 普段なら、私はこんな風にならない。

 

『正義の刃』のクラン内で、他の隊長と作戦に関する意見のすり合わせや、合同での訓練、派遣された先の現地住人との話し合いなどは、私も常に行ってきた。だから、男性との会話が苦手であるとか、慣れていないなどということはない。

 

 だが、アッシュを相手にすると、本題にすぐに入っていいのか迷ってしまう。

 

 それは、アッシュとの会話を楽しみたいという願望からではなく、出来れば私とアッシュの間にある空気を、ただ用件だけを口にしあうような、無機的なものにしたくないという思いからだった。

 

 何とも私らしくない。

 自分でもそう思う。

 

 今まで散々、言葉での遣り取りには正確さを求めてきたというのに。

 

伝えるべき内容に誤解がないようにすればするほど、そして、集団としての規律を重視しようとするほど、私の物言いは冷厳としたものになっていた筈だ。

 

 そのせいで、他の冒険者達と協力体制を取ったときなど、私は随分と煙たがられていた。このエルンの町でもそうだったことだろう。

 

『正義の刃』のクランメンバーと同じように、他の冒険者達に対しても、時間的な規律と規則を求めた。町を守るための作戦行動ということもあり、特に彼らの飲酒や睡眠時間に関しては、厳密な取り決めをさせて貰った。

 

 自由さを好む冒険者にとって、私のように口うるさく監視してくるような者は嫌悪の対象でしかなかっただろう。だが、私は別に構わなかった。私のような物言いをする人物も必要だろうと思っていた。

 

 だが今の私では、アッシュを相手に、同じように振舞いたくないと感じている。勿論、感じているだけだ。必要があれば私は、アッシュと他の冒険者を区別しない。遠慮なく意見を言わせて貰う。

 

 だが、今はそんな必要もない。それに、寝る間も惜しんで町の為に尽くしてくれているアッシュに、これ以上何かを厳しく求めることなどできよう筈もない。

 

 そうだ。そうなのだ。

 

今の私は、職務としてアッシュと会話をしているのではない。そして、だからこそ、会話の流れを作り、私の望む話題への持って行き方が分からないのだ。

 

「……貴方の剣技について少し、話を聞かせて欲しかったのです」

 

 そして結局、単刀直入な言い方になってしまう自分が、何とも矮小に思えた。

 

 こんな時もルフルならば、自らの望む問いかけを自然な会話の中に織り交ぜながら、アッシュとの距離を縮めることも出来るのだろう。

 

 あの天真爛漫さと、物怖じしない思慮深さは彼女の強みだ。

 

私のように腕力にものを言わせるのではなく、相手の心の機微を読み、想いを汲み、しなやかに、誰とでも打ち解けてみせる。

 

 聞けばルフルは、もうアッシュとも随分と仲が良い様子だった。本当かどうかは判然としないが、いずれ昼食を共にしようと約束までしたそうだ。

 

 ……ずるい。

 

 頭の隅を横切った、その子供のような感想を無視しつつ、私はアッシュに向き直る。

 

「貴方の剣技は、見事なまでに完成されていました。自身の身の丈を越えるような長刀を操る剣捌きにも驚かされましたが……」

 

 私はそこで言葉を詰まらせてしまう。

 

 此方を見ているアッシュの微笑みが、ほんの少しだけ、苦しげに揺れたのが分かったからだ。

 

 この話題がアッシュにとって、あまり触れられたくない類のものであることは、私も察せなかったわけではない。だが私は、どうしても知りたかった。

 

体得されて習熟された技術は、それを宿す者が生きてきた時間を反映する。

 

 アッシュという少年の在り方が、そこにはある筈だった。彼の剣がどのようにして練り上げられたのか。それを知ることは、彼を知ることに他ならない。

 

 そして、彼が歩んで来た鍛錬の道を、何らかの方法で私も模倣できるのではないか。

 

それが粗末な猿真似であろうとも、アッシュという人物を深く、より立体的に把握するには必要不可欠に思えた。

 

 ……我ながら、どうかしている。

 

私は今、感情の昂ぶりに任せて、アッシュの過去に踏み入ろうとしている。それも、剣術という技法に宿った彼の時間を解体して。

 

迂闊で、浅慮で、愚かなことだ。狂気的だ。馬鹿なことをしている。

 

そんなことは分かっている。この執着と自嘲の念は、だが、私が抱いた恋心の、その真剣さの裏返しだった。

 

 それを自覚しているからこそ、私は言葉を止めずに先を継いだ。

 

「二振りの短剣を自在に振るう貴方の技には、正直、私は戦慄と感銘を覚えました。……今まで、多くの名のある剣士達と試合をしたこともありますが、貴方ほどの腕を持つ者とは出会ったことがありません」

 

 私は体に力を入れ、剣を構えて相対するような心地でアッシュを見据える。

 

「軽率なことを尋ねている自覚はあります。ですが、差支えなければ教えて貰いたいのです」

 

 夜の暗さの中で、彼の姿がやけに曖昧だった。ぼやけつつある彼の輪郭を確かめ直す為にも、この問いは私にとって重要だった。

 

「冒険者になってから貴方は、剣について誰かに師事したことが? それとも、貴方が独自に編み出したものなのですか?」

 

 私の声を受け止めたアッシュが少しだけ俯き、ゆっくりと瞬きをした。どこまで話すかを自問自答し、検討するような間があった。そして意を決したように息を緩く吐いた彼が、私の方を見上げてくる。

 

 その眼差しに捉えられ、私は僅かに体を引いて、唾を飲み込んでしまう。

 

「……僕は、誰かに剣技を学んだことはありません」

 

 アッシュの表情は微笑だったが、まるで仮面のようだった。

 

「矛盾するようですが、僕の戦い方は、僕自身が構築したものでもありません。ただ結果的に、今のような体術や剣術が身に着いていた……、という感じでしょうか」

 

 彼の薄青い瞳も昏さを増して、体温を感じさせない鈍い光を湛えている。

 

「貴方の戦闘技術は、教わったものでもなく、我流でもないと……?」

 

 矛盾している。だが、それこそが回答なのか。動きの無い笑みを維持したままのアッシュが、小さく顎を引いた。

 

「……僕が“教団”にいたことは、前に話した通りです」

 

“教団”。

 

 その言葉を口にするアッシュの声は、不自然な程に抑揚が無かった。

 

「僕は、父や母の顔も知りません。僕の意識が始まったときには、僕はもう、“教団”の中にいました。奇妙な話ではありますが……」

 

 意識的に、余計な感情が入り込ませないようにするためか。アッシュは淡々とした言い方を続ける。

 

「物心がついた頃の僕には、何かを教わるよりも先に、既に幾つもの戦闘に関する知識や感覚が備わっていたんです、この身体に……」

 

 彼の纏う空気が澄み渡り、研ぎ澄まされ、不要なものが削ぎ落されていくようにも感ぜられた。彼自身の記憶と過去が、今の彼を内側から乗っ取ろうとしているかのように。

 

「そして、僕は……」出掛かった言葉を飲み込むようにして、アッシュが言葉を切った。そして、またゆっくりと瞬きをしてから、私を見た。

 

「備わった知識や感覚を磨くことで、僕は強くなることを強要されました。求められるモノにならなければ、無意味で無価値なのだと……。それに応えようとした結果として、今の僕が在ります」

 

 過去の詳細と、記憶と経験の細部を省く言い方だった。だが、それが打ち明けることのできる限界なのだとアッシュが判断してのことだろう。

 

“教団”に居たころのアッシュが、一体、どのような時間を過ごしたのか。どれだけ過酷な状況を潜ってきたのか。

 

それらの具体的な説明を求めても、今の様子のアッシュは、決して話そうとはしないだろう。

 

「そうでしたか……。貴方の過去に無闇に踏み込んでしまったことに関しては、改めて謝らねばなりませんね」

 

「い、いえ、謝って頂くようなことはありません。サニアさんは、この町の守備任務を帯びて、この場にいるわけですから。“教団”に居たことのある僕の素性を気にするのは、自然なことだと思います」

 

 申し訳なさそうに視線を下げた今の彼からは、先程のような冷たい存在感は消えていた。

 

「ただ本当に、僕の過去にはサニアさんに応答できるようなものが、何も無いのです」

 

 懺悔するような声を溢す彼に、私は焦ってしまう。自分でこの話を進めておきながら、一刻も早くこの話題から立ち去るべきだと思ったときだった。

 

「サニアさんは」

 

彼が声の調子を少し明るくした。

 

「今の剣技を、誰かに学んだのですか?」

 

 その控えめな問いかけが、この場の空気から重さと緊張を拭う為のものであっても、私はそれに真摯に答えるべきだった。

 

「孤児院に居た頃に基礎的な部分を教わりましたが、あとは実戦の中で試行錯誤して、剣を身体に覚えさせました」

 

「そう、ですか……。サニアさんも孤児だったのですね」

 

「えぇ。魔物被害の孤児でした。別に珍しくもないでしょう」

 

 気遣わしげに声を潜めたアッシュに軽く応じて、私は腰に佩いてある剣の柄に、そっと触れる。この剣の感触は、いつも私を落ち着かせてくれる。

 

「私に剣を教えてくれた方は、年配の男性冒険者でした。孤児院警備の仕事を受けていた彼にとっては暇潰しだったのかもしれませんが、私の生き方を決定づけるものでした」

 

 老いた顔で笑う彼は、含みの無い言い方で、いつも私に言っていた。

 

 お嬢ちゃんには天性の剣才があるなぁ。恐ろしい程の才能じゃあ。強くなりたいか? ……そうかぁ。強くなれば、誰かを守れるもんなぁ。

 

そんなら、俺みたいにモンに剣を教わるじゃなくて、もっと腕の立つヤツを師匠に持てればなぁ。

 

まぁ、でも、ああしろこうしろって型に嵌めちまうよりは、嬢ちゃん自身が、伸び伸びと剣を振った方が強くなるかもしれねぇなぁ。

 

 のんびりとした彼の言う通りだった。

 

 私は孤児院を出てから、すぐに冒険者になった。他の仕事を勧めてくれた、親切な人達を振り切るように。私と一緒に冒険者になったルフルと、コンビを組んで活動した。

 

 揃えるべき装備、魔法薬、野営とサバイバルの知識などは、実践の中で定着させていった。習うより慣れろを地で行く生活の中で、私達はダンジョンに挑むよりも、魔物を狩りにいくことが圧倒的に多かった。私は魔物相手に、剣を振り続けた。

 

 私の剣は実戦の中で、すぐに強靭さを帯びていった。自分よりも巨大な魔物を斬り倒すことなど容易かった。ルフルの魔法援護があれば、私に討伐できない魔物はいなかった。

 

 魔骸石を大量に集め、それをマテリアルショップに売ることで、私達は多くの収入を得ていた。だが、無駄な金は一切使わなかった。あれば便利な道具は随時購入し、装備を整え直し、魔物を討伐し続けた。

 

 淡々とした生活だったが、私もルフルも倦むことなく魔物を狩った。村を焼かれた記憶が、私達を支えていた。

 

 女2人だけの冒険者コンビであったこともあって、時にはレイダーに襲われることもあった。無論、一人残らず斬り伏せ、ギルドに突き出した。死なぬように斬るのが骨だった。

 

『正義の刃』がクラン勧誘として、私とルフルに声を掛けてくるまで、私は剣を振るって魔物を斬り続けていた。魔物を斬るために、私は生きていた。

 

 あの頃の私の傍に、ルフルが居てくれて本当に良かったと思う。

 

 彼女の明るさには、何度も救われたし、互いに生き延びた同郷の幼馴染である彼女の存在そのものは、私の心を癒してくれたのは間違いなかった。

 

 ただ魔物を狩るだけの狂ったような生活でも、ルフルは笑顔を忘れなかったし、他者への優しさを放棄しなかった。真に人間らしい思い遣りを、彼女は常に持っていた。私は彼女に支えられた。

 

 もしも私がソロで冒険者になっていたならば、何か、もっと別の道に逸れていた可能性もある。それぐらい、あの頃の私は、自分の命の使い途を求めていた。

 

 ただ、それは今も変わっていない。これからも私は、魔物を斬る“剣”として在るべく、この命を使い続けるだろう。

 

「……私が生まれ住んでいた村は、魔物の群れに襲われました」

 

 アッシュの過去に踏み込んだ以上、私もまた、自身の過去を話すべきだろうと思った。

 

「父と母が私を逃がしてくれた御蔭で、私は生き延びたのです。……もっと言葉を飾らないのであれば、私は……両親を見捨てました」

 

 私自身が経験した悲劇に同情して欲しいのではなく、私はアッシュと対等でありたかった。

 

「この命に意味を与えるために、私はただ只管に剣を振るってきました。他者を守りたいという想いは、確かにあります。しかし……、実はそれすらも、私が生き延びたことを正当化するための方便ではないかと、時々思います」

 

 言いながら私は、私という人間の内面を、彼に向けて開いてみたいという欲求に飲まれていた。

 

 こんなことは初めてだった。

 

 彼との会話の中で、私は今までとは違う自分を見つけている。

 

或いは彼が、今までに表出することがなかった、私の知らない私を、心の奥から連れ出してくれているかのような――。不思議な心地だった。

 

「結果として“剣聖”などと呼ばれていますが、私の実体は、そんな大層なものではありません。……もっと卑しくて、脆弱な、自分を守ろうとするための剣です」

 

 こんな話を誰かにするのは初めてだった。

 

誰にも見せたくない弱い自分を、こんなにも無防備に曝してしまうことは、私自身も想像していなかった。でも、だって、彼が――。

 

アッシュが、真剣に私の話を聴いてくれるから――。

 

「私が、もしも他の誰かから剣を教えて貰っていたなら……。その剣を持つ意味や考え方も、一緒に教わることができたのかもしれません。ですが、もう手遅れでしょう。私は、自分の生き方を変えられません」

 

 この弱い心を隠しながら、父と母を見捨てた光景を背負い、ただ“剣聖”として生きていく。その生き方に、善悪や正誤の判断をするつもりはない。だが、考えてしまう。

 

“剣聖”と呼ばれる私と。

“私が知っている私自身”と。

 

その狭間の深さを。

両者の間にいるときの私は、何者なのかと――。

 

「……この町で僕は、リクという男の子と知り合いになりました」

 

 今まで黙って私の話を聞いていたアッシュが、ゆっくりと口を開いた。

 

「リクには、モニカという小さな妹が居るのですが、僕が出会った時には、そのモニカが体調を崩して熱を出していたんです。母親はモニカを抱いて、神殿の女神像に祈りを捧げていました。とても必死な様子で……」

 

 アッシュは言いながら、私から視線を外して夜空を見た。遠くを見るような彼の眼差しには、何らかの確信が宿っているようだった。

 

「……その話は、私も聞いています。モニカという少女に治癒魔法を施したのは、貴方なのでしょう。厳密に言えば、もっと高位の治癒系統術である、“生命付与”だったそうですが」

 

「えぇ。モニカの幼い体には極力、負担を掛けるわけにはいきませんでしたから」

 

 優しい微笑みを浮かべる彼に、私は言いたかった。その代わり“生命付与”の魔術は、貴方自身への負担が激増する術式ではないかと。

 

喉元まで出掛かった言葉を私が飲み込むのと同時に、彼がまた私に向き直った。

 

「幼いモニカは、その無邪気さと弱さを赦されながら、生きていることそのものが使命でした。そして母親からも、生きていることを真剣に望まれていました」

 

 アッシュはそこで目許を緩め、「僕の勝手な物言いを許して貰いたいのですが」と断ってから、静かに言葉を前に進めた。

 

「サニアさんの御両親も、きっと同じだった筈です」

 

「それは……」

 

 無論、そうだと私も思う。あの時の両親の、決死の愛情と覚悟そのものを疑ったことはない。

 

「僕には、サニアさんが自分を責めることを止める権利はありません。でも、何よりも重要なのは、今こうして、サニアさんが生きていることだと思います」

 

 穏やかな表情のアッシュは、自分の言葉の感触一つ一つを確かめるようだった。

 

「少なくともサニアさんが、より正しく生きようと苦心することの尊さを、サニアさんの御両親は否定しないのではないでしょうか」

 

 彼の優しい問いかけが、私の胸の内をそっと撫でていく。

 

「もしも、今までのサニアさんの懸命な戦いが、利己的な意識からのものであったとしても……。それは、サニアさんの御両親にとって、喜ばしいことのように思います」

 

「……自己中心的な想いを、偽善的に取り繕う剣であってもですか?」

 

 私の声が尖った。それ自体が、私がアッシュに甘えようとしていることの裏返しだった。アッシュは静かに頷いてくれた。

 

「言い方を変えればそれは、サニアさんが、サニアさん自身を大切にしているということでしょう。それを、サニアさんの御両親が咎めるでしょうか」

 

 彼の声と態度は揺るがない。泰然としていて柔らかく、ふわりと温かい微笑みを浮かべたままだ。この少年に愛される女は、幸せだろうと思った。

 

「私は……」

 

 そこから言葉が続かなかった。私の背負う景色に向けられた彼の声が、どこまでも温かったからだ。顔が熱くなる以上に、目頭に熱が溜まっていく感覚があった。

 

唇や呼吸の震えを悟られたくなくて、私は不機嫌さを装って鼻を鳴らした。

 

「……ならば貴方も、もう少し自分を労わるよう気を付けて下さい。自分を痛めつけるような貴方の献身は、私も望むものではありません」

 

「えぇ。気を付けます」

 

 ゆったりとした彼の声が合図となったように、涼やかな夜風が吹いてくる。

 

私と彼は数秒の沈黙を宵闇のなかで持ちより、その心地よい風を感じていた。この静寂が私達の時間を締め括るようで、胸がチクチクと痛んだ。

 

 嫌だ。まだ、アッシュと一緒にいたい。そんな子供じみた想いが胸中に膨らみ、喉に閊える。何かを言わねばと思う。

 

 恐らく、ローザ達と共に彼がエルンの町に滞在している間、このような形で話をする機会はもう無いだろう。任期を終えれば他の冒険者達と同じく、彼らはそのままアードベルに帰る筈だ。

 

 だが、『正義の刃』にはクランとして、まだまだやることがある。私達はアードベルに帰るわけにはいかない。アッシュ達との別れの際にも、挨拶などを交わすタイミングも無いだろうと思った。

 

 だからこそ、この時間を、少しでも長く維持したかった。その直向きな焦りは熱を帯びて、私の思考を溶かしていく。

 

「アッシュ……」

 

「はい、何ですか?」

 

「貴方には、好意を寄せる女性がいますか?」

 

「……えっ」

 

「ふぅあっ!? ほっ……、ぅ、ぁ、い、いえッ! 何でもありません……ッ!」

 

 私は一体、何を口走っているのか。脳を介さず、感情に任せて言葉を口にするなど。浮かれているにも程がある。恥ずかしさで心臓がバクバク言っている。

 

凄い。何これ。顔あっつ……!

 

「ですから、その……ッ」

 

 また妙なことを口走りそうになっている自分に、冷静になれ、落ち着けと言い聞かせる。もっと自然な会話を維持するべきだ。

 

「ぁ、貴方は、アードベルを拠点にしているのですよね?」

 

「え、えぇ。拠点と言うよりは、冒険者居住区の安宿に部屋を一つ借りているだけですけれど」

 

「……貴方も既に知っているでしょうが、私達のクランもアードベルに拠点を置いています」

 

 そのことを強調するように言ってから、私はアッシュを見据える。

 

「この町の防衛任務が終わり、私達がアードベルに戻ってからも……。また新たな依頼をギルドから受けた際には、貴方にも同行をお願いしても構いませんか?」

 

 私と彼を繋ぐ何かが、確かな約束と安心が、どうしても欲しかった。

 

 

 

 

 

 











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