「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
「……ちきしょう駄目だ。ここからじゃ聞こえねぇ」
カルビが小声で言いながら、暗がりの向こうを睨んでいる。敵意や害意を含んだ口振りではないが、カルビにしては珍しく、焦りらしきものが滲んでいた。
「もう少し近づいた方がいいかもしれませんわ……。えぇもう是非そうしましょう」
馬鹿みたいに深刻な顔になったエミリアも、声を潜めたままで物凄い早口になっていた。爛々と光る彼女の目は、さっきからバキバキだ。
「……相手は、あの“剣聖”よ。流石に、これ以上近づくと気付かれるんじゃないかしら」
冷淡な表情のネージュも、声を引き絞るような真面目さでエミリアに答える。緊張感を漂わせるネージュの表情と眼差しには、尋常ではない剣呑さがある。
「もうちょっとだったら、大丈夫じゃないかな? きっと今のサニアって、アッシュ君を前にしてドギマギしまくってるだろうからさ。多分イケるよ」
言い方は明るいのに、その声音には沈着さ秘めたルフルが応じた。
メイクもアクセサリーもバッチリ決めた快活ギャルといった感じだが、その可憐な笑みには不思議な貫禄がある。『正義の刃』、6番隊副隊長の風格ということだろうか。
エルンの町にある広場。植え込みの陰の、その一角。
カルビ、エミリア、ネージュ、ルフルの4人は互いに息を合わせつつ、討伐対象になっている強力な魔物との距離を慎重に計るかのような風情だ。
そんな彼女達を横目に見たローザは、“なにやってんだろ、私……”といった気分になり、内心で溜息をついてしまう。
当然の事ではあるが、ローザ達は別に魔物を狩ろうとしているわけではない。
アッシュとサニアが2人きりになって“何かが起こるのではないか”と気になり過ぎて、居ても経っても居られずにこうして雁首を揃え、遠くから様子を窺っているのだ。
いやもう、ほとんど覗きに来ているといって差し支えないが、ルフルは「いや、これは見守ってるだけだから」と力強く主張し続けていた。
ちなみにローザ達とルフルと出くわしたのは、ついさっきのことだ。というか、ルフルが先客だった。
ローザ達の視線の先では、魔法灯の明かりがある。宵闇を柔らかく溶かされた広場の片隅で、アッシュとサニアが向かい合って立っていた。
丁度、その2人が見える位置の植え込みの陰に、ルフルが隠れていたのだ。
ルフルがローザ達の姿を認めたとき、「来ると思ってたよ」と妙に晴れやかな苦笑を浮かべたのが印象的だったし、「お前まで何してんだよ?」とカルビに訊かれた彼女が、「そりゃあ、サニア隊長の補佐だよ」と即答してみせる強かさも好ましかった。
まぁ何せよ、ローザを含む5人は今、影からアッシュとサニアの2人を見守っている。そいうことにしておこうと自分に言い聞かせて、ローザも目を凝らす。
此処から見る限り、アッシュの方は普段と変わらないというか、あくまで自然体だ。
ちょっと頼りなさそうだが、彼の温和で穏やかなアッシュの笑みは、誰に対しても平等だ。彼は誰も特別扱いしないし、誰かに弱さを見せることもない。
……まぁ、私達には、もうちょっと甘えてくれてもいいのになぁ~、とは思うけどさー……。
さて一方のサニアだが、アッシュを前にして明らかに顔が赤いし、何度も俯いたり、そっぽを向いたりして、かなり落ち着きが無い。
まるで初心な少女が、気になる男性を相手に何とか会話をしている、といった感じだ。いや、まぁ多分、その通りなんだろうけど……。
「おいおいおいおい……」と苦りきった顔になったカルビが、喉の奥で唸るように小声を溢す。こりゃ面倒くせぇことになったぞ、とでも言いたげだ。
「あの剣聖サマが、まるで恋する乙女みてぇになってるじゃねぇか」
「みたいじゃなくて、事実そうなのでしょう」馬鹿みたいに真剣な顏にまったエミリアが、悩ましい吐息と共に深く頷いた。
「サニアさんと同じく私《わたくし》も、清廉かつ灼熱、清楚であり熱烈な想いを胸に抱いていますから……、手に取るように分かりますわ」
「……誰と誰が同じなのよ」
尖った氷柱のような声音のネージュが、ちょっと顔を歪めてツッコミつつ、やはり緊張を維持したままでアッシュ達に視線を戻す。
「まぁ、アッシュ君が魅力的であること異論は無いけれど」
「えぇ~……。あーしも含めて、やっぱり此処にいる皆って、アッシュくん狙いなの?」
既に分かっていたような言い方のルフルは、楽しそうな声を潜めて肩を揺らした。
「うはぁ、手強いライバルが多いな~」
無邪気な笑みを溢すルフルに、ローザも苦笑する。
「ライバルも何も、私達だってアッシュ君には同行して貰ってるだけだから。……親密かどうかって訊かれたら、ちょっと自信無いよ」
それがローザにとっての、正直な感想だった。
勿論、ローザ達に対するアッシュの態度は幾分か柔らかくなったし、話をすることも増えた。互いのために身体を張って戦うこともできる仲間だと言い張れる。
だが、アッシュはソロ冒険者を続ける意思を翻すことはない。頑なだ。まるで誰かとの交わりを、自分で制限するかのように。だが、それも理由があってのことに違いない。
理由――。
その言葉と、“教団”という単語が、自然と頭の中で結び付く。
アッシュが居たという“教団”で、何があったのか。
それを訊き出す勇気は、今のローザには無かった。
恐らくその話題に踏み込んだときこそは、ローザ達とアッシュとの繋がりに、何らかの区切りが訪れることになる予感があった。
そしてこれは確信に近いが、アッシュはもう、ローザ達の前に姿を現さない気がした。
北側防壁での戦いのあと、黒鬼ゾンビを倒したアッシュが、ローザ達の前で、彼自身の過去を全てサニアに打ち明けていたとしたら――。
ローザ達とアッシュの関係は、この冒険が最後になったことだろう。
……いや、そもそもローザ達は同行依頼を受けて貰っている立場なのだから、アッシュの気分と都合と、そして返答次第で、簡単にこの繋がりは途切れてしまうのだ。
だからこそ、この希薄な関係性の中で、ローザ達と共に身体と命を張ってくれるアッシュのことを信頼しているし、一緒に居て欲しいと思うようになったし、好きになったのだ。
……あ、いや、好きっていうのは、人間的に好きっていう意味であって……!
居もしない誰かに向かってローザが胸中で弁解していると、植え込みの影から顔を出していたルフルが、こっちを見ていた。いや、見ているだけじゃなくて、ちょっと意地悪な、にんまり笑顔を浮かべている。
「ありゃ。やっぱりローザも、アッシュ君のこと気になるんだ?」
こっちの心の内を見透かすような、高い洞察力の光を秘めたルフルの瞳は、薄い赤色の宝石のようだ。
「そりゃあ」反論するのも妙だと思い、ローザは肩を竦めながら頷いた。
「気になるよ。アッシュ君は私達のパーティメンバーじゃなくても、仲間だと思ってるからね」
そう素直に答えるローザに、ルフルは驚いたような顔で笑みを深めた。
「おっとぉ……! “お姉ちゃんの風格”をローザが見せつけて来るぅ~!」
「声がデカいんだよ」とカルビが振り返ってきて、ルフルを睨んだ。
「あと言っとくがな、アッシュのお姉ちゃんポジションには、もう既にアタシがいるんだよ」
「……自分のことを姉だと言い張る、不審人物の間違いじゃないの?」
冷淡なネージュの声が、気の毒そうに沈んだ。
「アッシュ君も大変よね。こんなのが堂々と姉面してくるんだから」
「うるせぇぞ冷え冷えポンコツ。お前なぁ、普段はクールビューティーぶってるくせに、アッシュと話をしてるときだけ鼻息が荒くて、ちょっと怖ぇんだよ」
「はぁ? 殺すわよ?」ネージュの声が殺意を帯びて、傍にいたルフルが怯えた。
「え、こわ……」
「はいはい……。流石に状況は分かってるとは思うけど、騒がないでね」
ローザは声を潜めつつ、カルビとネージュを等分に見比べる。
「えぇ。分かっているわ」とネージュも大人しく引き下がり、カルビも鼻を鳴らすついでのようにボリボリと頭を掻いて「言われるまでもねぇよ」と、また植え込みから顔を半分ほど出して、アッシュ達の方を窺った。
「でもよぉ、このままアッシュと剣聖サマが、何かこう……、イイ感じになったら、どうすりゃいいんだ……?」
アッシュのことになると心配性になるのか。カルビが普段よりちょっと心細い声になる。
「想像したら、軽く呼吸困難になりそうですわわわわ……」真っ先に答えたのは、今にも吐きそうな青い顔になったエミリアだった。
「アッシュさんと、サニアさん……。えぇ……。とてもお似合いですわね……。こう、ちょっと冷たい感じのするサニアさんを、ふわりとした優しい空気で包み込むアッシュさんの笑顔は……、こう、なんというか、とても味わい深いものがありますわね……」
地面を見詰めるエミリアが、まばたきをしないままでボソボソと言い始める。
「お二人はきっと、仲睦まじい恋人生活を送るのでしょうね……、えぇ……、それはもう、甘やかな幸福と安らぎに満ち、それでいて、めくるめく濃密な、互いの体温が通じ合うような……。ンンンンンンンンフゥゥゥ~……。アッシュさん、どうして……」
想像力の逞しいエミリアが、脳内に広がるビジョンによって大きなダメージを受けたようだ。げっそりした声で呻き声を溢す。
「体調が優れませんので私《わたくし》、ちょっと横になりますわね……」
「いや、ここ土の上っていうか、普通に地面だから。もうちょっと我慢してよエミリア……。というか、自分の想像に打ちのめされてたら世話無いよ……」
勝手に意気消沈しきったエミリアが、しおしお顔になってどっこいしょと腰を下ろしかけるのを、ローザは慌てて止めた。その傍では、辛そうな顔になったネージュが片手で顔を抑え、夜空を振り仰いでいた。
「“剣聖”の恋人……、アッシュ君……、どうして……」
エミリアが垂れ流した妄想に、彼女も勝手に打ちのめされていたようだ。
……割とネージュって、エミリアと似通っている部分があるとうか、カルビの言う通りポンコツな部分があるのかもしれない。
「いや、前にも言ったけど、その“どうして……”は、ちょっとおかしいって」
疲れ気味の声で、ローザが思わずツッコんだときだった。
「うおっ」
「わぁ」
アッシュとサニアの方を窺っていたカルビとルフルが、驚きの声を漏らした。抑えられていながらも妙に切迫した、緊迫と期待、不安と怯みのようなものが混ざった声だった。
「なっ……!」
短い悲鳴みたいな声を上げたのは、ローザのすぐあとに廃家屋の壁から顔を出したネージュだった。
「んひょぉ……!」
声を裏返しながら捻じったような、妙な鳴き声を上げたのは、ネージュに続いたエミリアだ。
何かが起こったのだとすぐに分かった。ローザも無意識のうちに、植え込みの影から顔を出して、アッシュとサニアの方に目を凝らしていた。
そして、見た。
「ぁ……」
思わず声が出た。
赤くなった顔に、何もそこまでと言いたくなる程の引き締まった表情を作ったサニアが、同じく、穏やかながらも真面目な表情のアッシュの目の前まで、ゆっくりと歩み寄ろうとしているところだった。
魔力灯の明かりが夜の暗がりを仄かに溶かし、そんな2人の姿を浮かび上がらせているさまは、まるで名高い演劇の口づけシーンのようなムードを醸し出している。
当たり前だが、広場に設置されている魔力灯に、そんな舞台装置的な演出効果などはあるはずがない。
だが、明かりに照らされているサニアの美貌は妙に神秘的だし、彼女の鈍色の瞳にも、潤むような光が湛えられているせいで、そんな風に見えるのだ。
ローザは自分の胸に鈍い痛みを感じて、動揺しつつ唇を噛んだ。
そこからは誰も口を開かなった。しっとりとした静けさがローザ達を押し包んでくる。ローザ達の会話はそこで途切れたが、この場に居る全員が無言になったわけではなかった。
「わぁ~……」と、のぼせたような声を漏らしているルフルは顔を赤くしながらも、サニアがどんな行動に出るのかを文字通り見守っている。
焦ったような顔を不味そうに歪めているカルビが連続で舌打ちをしているし、酷い苦痛を堪えるように眉間を絞ったネージュも歯の隙間から「スゥゥゥゥウ……」と鋭く息を吐き出している。
「ホォォオオゥゥウゥンンヌゥゥンンンンンンンン……!!!」歯軋りをしながら白目を剝いて呻き、激しく身体を痙攣させているのはエミリアだ。
まるで魔物が唸りを上げているようだが、ローザはそんなことも気にならないほど、サニアとアッシュの2人を見詰めてしまっていた。
アッシュとサニアとの間にある距離が縮まっていくのを、ただ見ているしかなかった。ドキリとした。真剣な面持ちのサニアが、アッシュに向けておもむろに左手を伸ばしたのだ。
抱き合うのかと思った。だが、違った。
サニアが伸ばした左手は、アッシュの胸の前あたりで止まっている。その彼女の手には、いつの間にか木剣が握られていた。アイテムボックスから取り出したのか。見れば、サニアの右手にも同じ木剣がある。
それを見たローザは安堵と共に、今の状況に納得した。
剣聖と呼ばれるサニアが、アッシュと夜に2人きりで会って何をするのか。その答えが、一対一での模擬戦、或いは手合わせということなら、全く自然なことだった。
とはいえ、サニアがアッシュと2人で会うことを望んだのは、『1等級』冒険者であるサニアが、『5等級』の冒険者であるアッシュに敗れることを恐れてのことではないだろう。
エルンの町の居住区防衛戦を終えてから、他の冒険者がアッシュを見る目は、明らかに変わった。
ニュービー同然の非力そうな冒険者だとアッシュを笑う者は皆無であり、代わりに、畏怖と羨望、憧れ、そして、不気味で、忌避すべき何かを前にしたような緊張と怯みの眼差しが、アッシュに向けられるようになっていた。
“剣聖”であるサニアと共にあの女神ゾンビを斃したという以上に、“剣聖”であるサニアと並びうる剣技を持つ、双剣の名無し
サニアとアッシュが木剣を打ち合うことになれば、並の稽古や鍛錬などとは比べ物にならない、苛烈かつ峻烈な絶技の応酬になるだろう。そんな真剣勝負にも劣らない手合わせであるならば、野次馬に近い見物人などは邪魔なだけに違いない。
そこまで考えてからローザは、大袈裟なほどに安堵している自分自身には気付かないふりをしつつ、声を忍ばせて軽く笑った。
「私達だけで、勝手に盛り上がり過ぎだよね」
自嘲と自省をこめたローザの呟きに、カルビもネージュも、エミリアも、そしてルフルも、拍子抜けしたように緊張を解くのが分かった。
だが、この場にいる全員で目を見交わし、軽く笑い合おうとするよりも先に、新たな緊張感が辺りを包んできた。
無論、木剣を手に向かい合っているサニアとアッシュから放たれる戦闘の気配が、ローザ達のいる場所まで届いてきているからだ。
ローザ以外の全員が戦うときの顔になって、静かに木剣を構えて向かい合う2人を見遣った。自分がそこまで戦闘が得意ではないことを十分に理解しているローザは、冷静な尊敬と、羨望混じりの分析の眼差しを向ける。
サニアは両手で握った木剣の先を、体の左横に下げるような構えを取っている。彼女はもう、さっきまでの赤い顔をしていない。冷厳にして厳格な、武人然とした静かな面持ちでアッシュを見据えていた。
対するアッシュは、静かで穏やかな表情だ。左手で木剣を握って切っ先を下げ、右半身を前に出している。空いた右腕は軽く曲げつつ、身体の前に持って来ている構えだ。
ローザには、何も持っていないはずのアッシュの右腕の方が、動きの読めない危険さがあるように見えた。
また静寂があり、その沈黙が3秒を過ぎようというときに、先にサニアが動いた。
すぅ……っと重心を下げつつ、サニアは身体を前に倒した。次の瞬間には、木剣の切っ先を下げた構えのまま、もうアッシュの目前に迫っていた。地面を蹴った音が後から来た。
初手の一撃で全てを決める気なのだと、ローザでも分かった。
創意も工夫も何も無い、愚直なほどの踏み込み。だが、だからこそ、剣聖と呼ばれるまで練り上げられた技術と速度が最大限まで発揮されるのかもしれない。
武道とは、その鍛錬が積み上げられるほど、小細工が入り込む余地が無くなるのだろう。そしてそれは、対応する側にとっても同じことに違いなかった。
創意や工夫だけでは、鍛え抜かれた技や力を受け止めることはできない。ローザのような素人でも分かりそうな陳腐な事実が、そこにあるだけだ。
そしてアッシュは、サニアの剣を受け止めることをしなかった。重心を下げつつ身体を後ろに引いて、半歩下がったのだ。拳闘士のスウェイバックのように。
稲妻のようなサニアの一撃を――掬い上げるように木剣を振るうサニアの動きに、完全に合わせていた。
アッシュの肩口を狙ったのであろうサニアの木剣が空振る。
当然だが、サニアは木剣を空振った姿勢を崩していない。それどころか、既に次の攻撃に備えて手首を返し、膝を落とし、木剣を引こうとしていた。
それらは全て一瞬の動作であり、一切の隙が無い。流れるような連撃の、最初の動作だった。少なくともローザにはそう見えたし、そもそも、サニアの動きも剣筋も、完全になど追えなかった。
だが、アッシュは違った。
必殺の速度と踏み込みを以って放たれたサニアの初撃。それを、身体を反らしただけで躱したアッシュは、即座に前に出た。
初撃を躱され、次の攻撃に備えようとしているサニアの動きの隙間を縫うような、捉えどころのない、静か過ぎる詰め寄り方だった。それに疾過ぎる。
冷厳として引き締まっていたサニアの表情が、そこで一気に引き攣るのが分かった。
咄嗟にサニアは身体を引き、手首を返して握り直した木剣を振るおうとしたが、出来なかった。
既に距離を詰め終えたアッシュの木剣が伸び、サニアの両手首を打つのでなく、そっと押さえつけていたからだ。
刹那、サニアの動きは確かに止まった。
だが、アッシュは動いていた。
サニアの真横を通り過ぎるように。そのすれ違いざまには、アッシュは空いている右手で、サニアの喉首に軽く触れていた。
サニアの白い首筋の無防備さを咎めるのではなく、ただ、その無防備さに対する当然の反応のように。
まるで雨が降っているから傘を差すような、習慣的かつ条件反射的な手つきによる、あまりにも自然な、殺傷の代替行為に違いなかった。
ローザは無意識のうちに唾を飲み込んでいたし、ルフルも慄然としたように呼吸を震わせていた。「やっぱりすげぇな」とカルビが喉の奥で低く笑い、ネージュが感嘆するような吐息を漏らした。「えぇ、流石ですわ」と何故かエミリアは得意気だ。
初撃での攻防を終えた2人は再び、さっきまで立っていた場所を入れ替えるようにして、また木剣を構え直した。
あれが実戦だったならば、サニアの首を撫でたのはアッシュの指ではなく、アッシュが愛用している双剣の片方だったことだろう。
その事実が、彼女を強烈に消耗させたのか。
厳粛な美貌を微かに歪ませたサニアは、額や頬に大量の汗を流していた。息が上がりかけたように、既に口で呼吸をしているようだ。肩も上下しているように見える。
一方のアッシュは、穏やかとさえ言える静かな表情だ。その泰然とした態度が覆い隠しているのは、アッシュの持つ底知れない戦闘技術に他ならない。
ローザの脳裏には、また“教団”という言葉が、じわりと浮かぶ。
「……分かってたことだけどさ」
植え込みから顔を出したままのルフルが、強張らせた小声に微かな悔しさを滲ませた。
隊長であるサニアが手合わせで劣勢であることは、副隊長としても複雑なところではあるのかもしれない。
「アッシュ君て、まーじで強いよね。……ちょっと普通じゃないくらいにさ」
ルフルの声には、アッシュに対する明確な畏怖がある。それに加えて、どこかアッシュを心配するような親密さも。
「まぁ、アタシはアッシュに負ける気はしねぇよ」カルビが余裕をたっぷりと含ませた小声で応じた。
「勝てる気もしねぇがな」
「一対一でアッシュ君に勝てる冒険者なんて、そうそう居ないわよ」断言口調のネージュが、更に確信を籠めた口振りになる。
「……“剣聖”を相手に出来る時点で、上澄みの、更に上澄みでしょう」
「ソロ冒険者として埋没していなければ、アッシュさんは、もっともっと名の知れた冒険者になっていた筈ですけれど……」
そこでエミリアが、抑えていた声を更に気遣わしげに潜めた。
「アッシュさんがそれを望んでいないということは、理由もあるのでしょう」
エミリアがローザも頷きながら、アッシュの生き方と同じく、その強さの出発点自体にも理由があるのだと改めて思った。だが――。
「……どんな理由があっても、アッシュ君が私達の仲間であることに変わりはないよ」
これだけは言い切れるのだと、ローザは声音を抑えつつも力を込める。
アッシュがどんな過去を背負い、どのような想いから孤独を選んでいたとしても、彼は世界に背を向けて生きてはいない。
大きな活躍をして勝ち誇ることもせず、ソロ冒険者として息を潜めるような、細々とした冒険者活動の中でも、彼は孤独のまま、正しく生きようとしてきた筈だった。
それだけで十分であり、何よりも重要ではないかとローザが思ったときだ。
サニアが構えていた木剣を下ろし、アッシュに頭を下げてみせた。参ったという意志表示であり、同時に、手合わせに付き合ってくれたアッシュへの感謝を籠めてのものだろう。
対するアッシュも、さっきまでの穏やかながらも静かな表情を取り落としたように、慌てた様子で頭を下げていた。
険しい表情をしているサニアが、ああもあっさりと手合わせを終わらせるところを見るに、恐らくだが、木剣を相手に打ち込んだ方が勝ち、というような取り決めをしていたのだ。
そしてサニアは、木剣をアッシュから打ち込まれはしていないものの、実質的には致命傷を負わされたのだと判断した、といった感じだろうか。
アッシュとサニアはまた少しの言葉を交わしてから、その場で別れた。2人の間に険悪な空気は無さそうだし、より打ち解けたような雰囲気がローザにも伝わってくる。
去っていくアッシュの背を見送るサニアの表情は、名残惜しさと切なさを必死に押し隠すような、眉の端を下げた硬いものだった。
そのサニアの鈍色の瞳が、アッシュが何度か振り返って頭を下げるたびに、少女のような輝きを宿している。
「……剣聖サマまでアッシュにガチ恋してるのは、こう、あれだな……、カルビお姉ちゃんとしては複雑な気分だぜ」
植え込みから顔と身体を戻したカルビが、顎を撫でながら難しい顔になった。
「その厚かましい姉面、いい加減したらどうなのよ」
眉間を絞りまくったネージュも、鬱陶しそうな小声で言いながら身体を戻してきて、考えこむ顔つきになる。
「でも、アッシュ君を好意的に想う女性が増えるのは、何と言うか……、落ち着かないわね」
「しかしですわよ! アッシュさんを想う気持ち……、その深さと広さ、大きさ、熱量においては、こぉぉぉの私《わたくし》も負けてはいませんわ!」
植え込みの影へと身体を戻して来たエミリアが、声の音量を抑えつつも自信を漲らせ、興奮し始める。
「そんなふうに張り合わなくていいから……」
緩い苦笑を浮かべたローザが、ツッコミつつ宥める。エミリアはまだ何か言いたそうだったが、それよりも先に、この場に居る面々を見回したルフルが無邪気に笑った。
「いやぁでもさ、さっきのアッシュくんとサニアのムード、悪くなかったよね~。あのまま2人が、キスでもするのかと思っちゃった」
照れるような言い方をするルフルの頬は赤く、ちょっとはにかむような表情だ。
対して、カルビが顔を歪め、ネージュが物騒に目を窄め、エミリアが嘆くような表情になる。……あの3人は、実際にアッシュとサニアが口づけをするところを想像したのか。
「もしもそんなことになってたら、アタシは噴火してただろうな」
「冷静でいられる自信は、私にも無いわね」
「私はきっと声の限りに泣き叫び、絶叫していましたわ……」
「いや、普通に迷惑だから絶対やめてね……。というか、こんな夜中に大声で号泣されたら、町の人達もビックリしちゃうよ……」
「その通りですね」
冷厳かつ厳格な声が、背後から響いてきた。
めちゃくちゃビックリした。
ルフルが肩をビクッと震わせ、カルビとネージュが僅かに背を伸ばし、「ほっ!?」素でエミリアが驚いた声を上げていた。
「平和な時間を取り戻し、町の住人達も身体を休めているところです。余計な騒ぎを起こすことも、突拍子もない迷惑行為も、可能な限り控えて貰いましょう。……あと、人の行動を盗み見るような行為も」
ゆっくりとローザが振り返る。そこには、厳格かつ拒絶的な美貌に、ちょっとむくれたようなしかめっ面を張り付けたサニアが、腕を組んで仁王立ちしていた。
どうやら彼女は、この植え込みにローザ達が潜んでいることを、どこかのタイミングで気付いていたのだ。
そうでなければ、わざわざ気配を消して近づいてくることなどしないだろう。
ただ、不機嫌そうなサニアにまるで動じていない様子のカルビは、「丁度いいところに来るじゃねぇか」などと開き直るような言い方をした。
「どうだ? 何か手応えはあったかよ?」
「……な、なんの話です?」
腕を組んだままのサニアが視線を揺らした。
「剣聖サマはめっぽう強ぇが、すっとぼけんのは下手糞だな」喉の底を震わせるように、カルビが低く笑う。
「決まってんだろ。アッシュの気を引けそうかって話だ」
「き、気を引こうとしているつもりなど……! 私はただ、彼に手合わせをお願いして、同行の依頼を……!」
「そんなムキになるなって。つーか、アッシュには付き合ってるヤツが居るぞ? アードベルに」
「…………えっ」
瞬間的に表情を失ったサニアが、目を虚ろにしながら棒立ちになった。
「うそぉ……」
割とショックを受けたような顔になったルフルも、サニアと同じような様子になってカルビを凝視している。
「あぁ、間違えた。付き合ってるヤツじゃなくて、幼馴染だったな」
ワザとらしくカルビが頭を掻いたのを見て、サニアが顔を赤くして目を吊り上げた。自分の反応を面白がられていることに気付いたのだ。
「貴女は……!」
「なんだよ、ちょっと間違えただけだろ。そんな怒るなよ」
「ぉ、怒ってない!」
冷厳さと威厳を一気に失いつつあるサニアを庇うように、「まぁまぁまぁ」とルフルが割って入った。すかさずサニアが顔を怒らせた。
「ルフル……。彼女達と一緒に私のことを覗き見ていた貴女には、あとで話がありますよ?」
怖い声を出すサニアに、ルフルが再び「まぁまぁまぁまぁまぁ……!」と、機嫌の悪い犬か何かを撫で回し、宥めるような言い方をする。
この距離間を見るに、彼女達がただの同僚というだけでなく、もっと親しい関係にあるのだと分かる。
「覗き見てなんじゃなくて、見守ってたんだよ。ここにいる皆で! ほら、サニアとアッシュくんみたいな腕の立つ2人が模擬戦するとなったら、万が一、どっちかがケガするかもしれないしさ」
快活なルフルのすっとぼけ方は自然体である以上に、とにかく嫌味が無い。どちらかが怪我をした場合のことを考えていたのが事実だからだろう。
実際、ルフルの指にはアイテムボックス機能を持つ指輪が幾つも嵌められているし、治癒系統の魔法薬を携行しているのは間違いない。
明らかに疑っている顔のサニアだったが、どう問い詰めても有意義な問答にはならないと判断したのか。何かを堪えるような薄い溜息を吐き出し、ローザ達を見回してくる。
「えぇとその、結果的に覗き見るような形になっちゃって、申し訳ないです」
ローザが頭を下げると、「……いえ、もう構いません」とサニアが首を緩く振った。
「覗かれて困るような、後ろめたいことは何もありませんから。そもそも私は、アッシュの剣技について真面目な話をしていただけであって、べっ、別に、アッシュ個人に、何らかの感情を抱いているわけではありません」
そっぽを向いてどこか拗ねたような早口になるサニアに、出会った時には感じられなかった親近感のようなものをローザは覚えた。
厳格な“剣聖”として振舞っている彼女も凛として美しいが、今のように少し砕けた雰囲気を纏っている彼女の方が、肩の力が抜けた自然な姿に見える。
もしかしたら今のサニアの態度の方が、素の彼女に近いのかもしれない。
ローザが何となく微笑ましい気持ちになったところで、エミリアとネージュが、じとっとした半目になってサニアを見遣り、ヒソヒソボソボソと言い合う。
「サニアさんがアッシュさんを見詰める眼差しは、明らかに熱っぽい気がしましたけれど……」
「そうよね。明らかにアッシュ君に対して、特別な愛着を持ってる目つきだったわよね」
「聞こえていますよそこの2人……!」
またサニアが目を吊り上げるが、もう怖くなかった。いっとき和やかな空気が流れて、その余韻が引く前にルフルが「まぁ、とにかく」と明るい声を発した。
「こうしてサニアもローザ達のパーティと打ち解けたところで、そろそろ解散ってことにしようか。把握してる限りでは、みんなも明日、朝も早いんだしさ」
この場の立ち話に、急ではない程度の区切りをつけるような、ゆったりとした口振りだった。
「こんなふうに駄弁るチャンスって、ローザ達が帰るまでにはもう無いだろうな~」
緩やかで平和なこの夜の時間を名残惜しむように、ルフルの声音は少しだけ寂しげだった。
そして、このルフルの言葉通り、『正義の刃』の隊長、副隊長としての仕事をこなす彼女達とローザ達が、共にこのエルンの町でゆったりとした時間を過ごすことは、もう無かった。
その代わり、また彼女達がアードベルに帰った際には、どちらからということもなく、またどこかで会おうという約束を交わした。
それは細やかな口約束に過ぎなかったが社交辞令的なものではなく、この出会いを大切なものとして扱おうという意志が、この場の全員に在ったように感じた。
そしてこのときのローザは、これからもアッシュが同行依頼を受けてくれることを疑っていなかった。
夜の闇が支配する、大陸辺境の森の中。エルンの町から、2日ほど歩いた距離にある、打ち捨てられた小さな廃集落。疎らに残った廃屋の中で、少女が舌打ちをする。
「……クソが。思い出してもムカつくぜ」
「そろそろ気持ちを切り替えましょう、ナテマ。私達にも次の仕事があります」
温みのある男の声が、少女を宥める。二人はどちらもフードを間深く被り、その指には複数の指輪が嵌っていた。
凶暴な声で言い返す少女は廃屋の壁を蹴飛ばし、再び舌打ちをした。
「エルンの町を落とせなかったのは、あの女冒険者共の所為だ……! 魔導具使いの、あの……!」
少女は憤怒の声を吐き出し、奥歯をゴリゴリと噛み締める。
「確かに、魔導具使いの女冒険者は健闘していましたね。見事でした。ただ私としては、あの少年の方が気になりますが」
一方、男の声は穏やかなまま、揺るがずに暗がりに響く。少女が壁を蹴飛ばした。
「そうだ……! それと、あのガキだ……! あの灰色の髪の……!」
「えぇ。所感としては、あの少年の強さは“剣聖”以上でしょう」
男は興味深そうに何度か頷き、分析する口振りになる。
「あの少年は治癒術士のようでしたが、双剣術、棒術、長刀術までも体得している……。それも、常人の成長曲線では到達できない領域で」
「何が言いてぇんだ?」
男の口調に引き寄せられたのか、少女の声も冷静になる。フードの奥で男が頷く。
「あの少年も、“見た目通りの人間ではないかもしれない”……、ということです」
「お前が調整した“器”のゾンビも、あのガキには呆気なく壊されちまったからな。剣聖を追い込むほどの仕上がりだったってのによ」
「えぇ。せっかく、私のお気に入りの装備を持たせてあげて、洒落た鬼面まで用意してあげたというのに」
そこで男は軽く笑った。他者の尊厳になど一切の関心を払わないような、むしろ、他者の尊厳を踏みにじることこそを楽しむような、酷薄な笑い方だった。
「私が思うに、あの少年も“器”だったのでしょう。あの灰色の髪は、魔人シリーズの特徴ですから。もしかしたら、最初期の頃のプロトタイプの、その生き残りだったりして」
「あのガキが……? 初期版は廃棄されたって聞いたが、まぁ……、そういうことなら、あの馬鹿げた強さにも納得できる。だが、人間社会に紛れ込んでる説明にはならねぇ」
「いえ、逆ですよ。初期の“器”は、可能な限り人間に近付けることを目指したそうですから。くくく……。あの少年も、人間というカテゴリに入るのでしょう。“一応は”」
「生体反応が人間のものなら、生命保全のキャンペーンを利用する資格があるってことか。……下らねぇ。人権もセットでお得ってワケかよ」
少女が舌打ちをして俯く。男が廃屋の外を見遣った。夜の気配が満ちた静けさの中で、木々の揺れる音だけが響いてきている。
「……案外、王族に取り入った方が、私達の待遇は良くなったりしてな」
拗ねるような少女の軽口に、男はワザとらしく溜息を溢して見せる。
「王族の方々は、不老不死の研究に夢中ですからね。私達の死霊魔術を解析するために、私たち自身が解剖されてしまいますよ、きっと。そもそも私達は、もう犯罪者ですし」
疲れた言い方をする男は、少女が鼻を鳴らす。
「くだらねぇな。マジで。不老不死の研究ってのは、そんなに金になるのかよ」
「そりゃあそうでしょう。不死魔法が技術を以って一般化、応用して福祉ビジネスとして確立すれば、とんでもない巨益を生む市場になるのは間違いありません。世界がひっくり返りますよ」
「なら、そういう金になる話に飛びつかないウチの“教団”は、完全な狂信者どもの集まりだな」
「教義に忠実ですからね。“魔王復活”なんて、幼稚で陳腐な戯言にしか聞こえませんが、それを実現するための努力に関して、彼らはどこまでも誠実です。狂信的という言葉が相応しいのでしょうが」
男の声には何の感慨も無く、小馬鹿にしたような言い草だった。
「或いはギギネリエスも、“教団”の持つ愚直さを面白がっているんでしょうねぇ」
「……あのクソ野郎も動いてやがるそうだが、アイツは何をする気だ? しょぼいゾンビ騒ぎで噂を流してやがるのは、冒険者を集めるためってのは分かるがよ」
むっつりとした少女の声には警戒があった。
「だが、冒険者を集める意味なんざあるのか? あのクソ野郎が死体を欲しがるとも思えねぇ。既にアイツが所持してる死体の数なんざ、ネクロマンサーの中でもトップクラスだろ」
男が振り返って肩を竦める。
「彼は貴族の方々からも、随分と評価されているようですから。私達とは違って、もっと大きな仕事を任されているのでしょう。その準備に忙しいのですよ」
「けっ。大掛かりな準備だな。そろそろギルドが黙ってねぇぞ」
「それが目的なのかもしれません。力のあるクランを幾つか動かされても、彼なら全て叩き潰してみせるでしょうし。あぁ……、なるほど……」
少女との会話の中で、男は何らかの閃きを得たのか。フードの奥で顎を摘まんだ男は、くつくつと喉の奥を鳴らす。
「彼がゾンビが発生させたダンジョン……、狩場、街道、山道……、流れる噂の規模……、ギルドが打てる手も限られる……、あとは大量の冒険者を誘い出せる場所と言えば……」
「一人でぶつぶつ言いやがって。何か分かったのかよ?」
気持ち悪がるように少女が声を尖らせるが、それには応じず、男はひとりで納得したように呟いた。
「位置的に考えれば……、廃都のダルムボーグあたりでしょうかねぇ」
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