「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
「それじゃあ、始めようか」
無数の死体で編み上げられた、巨大な双頭の竜。ネクロドラゴン。その肩に悠然と立ったギギネリエスが、アッシュ達を見下ろしてくる。
『「GURRRRRRRRRRRRR――!!」』
主人であるギギネリエスの声に応じたのか。
不機嫌そうに喉を鳴らした双頭のネクロドラゴンが、自らの白い体を左右に激しく揺らして、召喚魔法陣の縁に腕をかけた。そして、巨大な胴体をズルルルルゥ……! と引き上げるように這い出てくる。
だが、双頭のネクロドラゴンの全身は、まだ出きっていない。上半身だけだ。
それでも大きい。十分過ぎるほど脅威だ。身じろぎするだけで、その衝撃と重量によって周囲の地面が陥没し、幾つもの廃屋が崩れ落ちる。
濛々と舞い上がる粉塵、細かな石の屑の中で、ドラゴンは自らの巨体を誇示するように首を擡げ、双頭で咆哮を上げる。
『「VOOOOOORAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!!!」』
圧倒的な捕食者だけに許された、聴く者の心を動揺させ、恐怖で萎縮させ、戦意をへし折り、抵抗の意思を消し飛ばす咆哮だった。突風とも暴風ともつかないほどに、周囲の空気が震えあがっている。
容赦のないドラゴンの大音声は、この場に居る全員を叩き潰すに勢いでぶつかってくる。
「くそったれ……! これがさっき言ってた“サプライズ”かよ!」
「冗談じゃないわね……。まともに相手をしてられないわ」
ギギネリエスを挟み撃ちしようとしていたカルビとネージュも、今では召喚されたドラゴンの足元付近で武器を構えているが、あの巨体を前に明らかに攻めあぐねていた。
闇雲に突っ込んで行ける相手ではないからだ。慎重にならざるをえない。だが、じっくりと相手をしている余裕も、猶予も無いことも間違いなさそうだった。
そギギネリエスの召喚魔法陣は複数あるのが分かるし、それらはダルムボーグを包囲するように展開されている様子でもある。その魔法陣の1つ1つから、あの巨大なドラゴンと同程度の怪物が召び出されようとしているのも間違いなかった。
つまり、アッシュ達の脅威は、ギギネリエスを肩に乗せた巨大なネクロドラゴンだけではない。これから続々と、ダルムボーグを包囲するように召喚されてくるのだ。
そうなれば恐らく、『鋼血の戦乙女』だろうと『ゴブリンナイツ』だろうと関係なく、もはや勝ち目は無い。平等に死を与えられて、ギギネリエスの手の中に落ちることになる。
ダルムボーグから脱出するしかないが、それを阻むための魔術、罠の準備も、既にギギネリエスは整えているのだろう。そうでなければ、あれだけの余裕を見せてアッシュ達と対峙などできない。
今のアッシュ達は、分かりやすく絶体絶命だ。だが、突破口はある。
召喚魔法を維持しているギギネリエスを、とにかく黙らせることだ。
他の魔法陣からも巨大な怪物を召びだされてしまう前に、その召喚魔法を強制的に中断、キャンセルさせるしかない。
或いは、術者であるギギネリエスを斃してしまうか――。
いずれにせよ容易ではない。
だが、まだ間に合う。
ギギネリエスを見上げるアッシュは、しゃがみ込むようにして身体を倒していく。
「ちょ……! ちょっと待った、アッシュ君!」
ほとんど飛び出しそうになっていたアッシュの背後を、少し掠れたローザの声が引き止めてくれた。
初めて彼女と出会った日。シャーマントロールを仕留めにかかった時は、ローザの声を置き去りにしてしまった。だが、今は違った。
落ち着いたローザの声には、アッシュを抱きしめてくるような親密さと共に、覚悟を共有している真剣さがあった。
だからだろうか。あの時よりも、ずっと近くからローザの声が聞こえた気がした。
アッシュが脚を止めて振り返った時には、ローザは左手に魔力回復用の魔法薬を取り出しながら、右手に嵌めた通信用の指輪に「作戦会議!」と話しかけていた。
『あぁ!? 作戦だぁ!?』
『……何かいい手でもあるの?』
通信用の指輪から帰ってくるカルビとネージュの声には、やはり焦りがあった。
「というか、悠長に話をしている時間はありませんわよ……」
大盾を構えるエミリアは声を強張らせつつも、召喚魔法から身体を這い出させつつあるネクロドラゴンから目を離さない。それはローザも同じだった。
「いや、まぁ、作戦なんて何にもないけどさ」
ローザは通信用の指輪に向けて言いながら、魔導銃のパーツらしき鉄の塊を次々と取り出して、それを手早く組み立てていく。
ただ、ローザの指先が微かに震えていることに、アッシュは気付いていた。
召喚魔法陣から出て来ようとしている巨大ドラゴンを前に、ローザは決してヤケクソになっているわけじゃない。冷静に、ちゃんと死の恐怖を感じている。
緊張だってしているだろう。だが、それを仲間に見せようとしないローザの強さに、彼女の持つ上級冒険者としての矜持を見た気がした。
「あのドラゴンの動きを止められるのは、カルビとネージュしかいない……。そんでもって、私はギギネリエスを相手にするわ」
大型の魔導銃を着々と構築していくローザの声音には、やはり戦意も消えていない。
「……エミリアには私の壁役をお願いしたいところだけど、ここはカルビとネージュの援護に入って欲しいかな。あと最後に、アッシュ君は――」
ギギネリエスが召喚したドラゴンが完全に出てくるまでの短い間に、こうやってパーティーメンバーが連携をとるためのポジションの確認を行っているのも、生き残ることを諦めないためだ。
「私と一緒に遊撃ってことで」
そこでローザが、アッシュを見て片目を瞑ってみせる。
死に立ち向かう勇気の本質とは、感情の爆発に任せた狂奔からくるものではなく、今のローザのような、戦い抜くための沈着な覚悟を決めた者にこそ宿るのだろうと思った。
「……分かりました。状況を見て、僕も攻撃に参加します」
頷いてアッシュは応じ、ローザの傍に控え、そして彼女を守る位置に立つ。後衛兼遊撃のポジションだ。
『……まぁ、いつも通りってわけか』カルビは軽い口調で応答してくる。
『後衛は任せるわ、ローザ』ネージュの沈着な声が続く。
「私の淑女力が試される時ですわね……ッ!」エミリアがゴキゴキと首を鳴らした。
『「GRUUAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!」』
またドラゴンが吼えて、魔法陣から更に這い出してくる。
もう下半身の左半分ほどが出ている。魔法陣に縁に引っかかっていたのが外れたのか。ネクロドラゴンは、背中の両翼を雄々しく広げてみせた。
あのドラゴンが死体によって編まれて製造されたとはいえ、その威容は神々しさすら備えていて、まさに破壊と死の化身だった。
『あんなモンを飼ってたら、エサ代が洒落にならねぇだろうな』
だが、大戦斧の刃を体の後ろに下げるようにして構えたカルビは、軽口を叩きながら一歩も退かない。怯んでいない。
ダルムボーグ全体を震わせ、何もかもを払い飛ばすようなドラゴンの咆哮を前にしても、カルビは全身鎧に宿らせた炎を力強く脈動させている。
彼女の覚悟が、炎の姿を持って膨れ上がっているかのようだ。
『チャンスを見て遊撃を頼む。アッシュ。お前が居てくれると心強いぜ』
アッシュは思わず息を飲む。瞬間的に、胸が苦しくなった。喉の奥が震える。何かを言わなければと思うが、声が前に出ない。
『アッシュ君。私達に最後まで付き合ってくれて、ありがとう』
カルビの後に続いて、ネージュが応答した。静かな声だった。
巨大なネクロドラゴンに踏み込んでいく彼女の姿もまた、静謐さと貫禄に満ち、怯えや怯みとは無縁だった。
ネージュの纏う冷気は、この世界の全てを拒否するように白さを増しながら、周囲を氷結させ、無慈悲に侵食しようとしている。
カルビの放つ炎熱の魔力と、ネージュが発生させる凍結の魔力が、ぶつかりあって交錯し、渦を巻いていた。巨大なドラゴンを前に、互いに手を結ぶかのように混ざり合おうとしている。
『おい、ネージュ。アタシの足引っ張るんじゃねぇぞ』『はぁ? こっちのセリフよ。アッシュ君の邪魔にならないよう気をつけなさいよ』『なんだとテメェ』『なによ』ローザの通信用の指輪から、2人の言い合う声が聞こえてくる。
「あのお二人は本当に、こんなときでも仲が良いんですから」
微笑ましいものを見守るような、穏やかな苦笑を浮かべたエミリアが軽く息を吐き、ローザに頷いた。
「やはり、この私が間に入っておかないと、あの2人だけでは心配ですわね」
「でしょ? 今回は前衛を頼むよ、エミリア」
もう笑うしかないといった感じで、ローザも再び小さく笑って応じた。
「えぇ。私《わたくし》が前に出る以上、パァァァァフェクト&アァァァァグレッッ……シヴ!! に、あのドラゴンを叩きのめして御覧に入れますわよぉぉぉッホッホッホッホ!!」
『御嬢様笑い』のポーズを取ったエミリアだが、すぐにその豪快な笑い声を収めて、今度はアッシュに微笑みを浮かべてみせた。
「アッシュさん。今日まで貴方と共に冒険できたことを……私《わたくし》は、人生の喜びと誇りとして、胸に刻んでいますわ。……ローザさんを、よろしくお願いしますわね」
そのエミリアの凛として深みのある声は、別れを前にして、強くアッシュと握手でもしてくるかのようだった。やはりアッシュは、そのエミリアの優しい言葉を必死に両手で受け止めるような心地で、咄嗟に何も言えなかった。
そんなアッシュに軽く頷いたエミリアは背を向けて、駆け出していく。
「ドゥゥォッホッホッホッホッホッホ!!! さァァァ!! レデイィィィス&ジェントルメェェェェン……ッ!! 皆さんお待ちかねェェィ! 完全無欠のエキセントリック“淑女”たる私《わたくし》がァァァ! ドラゴン討伐の前衛にィィ!! 優雅にィ……ッ! 典雅にィ……ッ! そして華麗にィィ! 参!! 戦!! 致しますわよォォォオッホッホッホッホォォォォオオンンヌゥゥァァアア……!!」
『そんな前口上が必要なほど誰も待ってねぇんだよ』
『どこにレディースとジェントルメンが居るのよ……』
通信指輪の向こうでカルビとネージュが、低い声でエミリアにツッコむ。というか、冷たい指摘を浴びせるのが聞こえた。
あの3人は、本当に仲が良い。
アッシュもそう思った。直後だった。
双頭のドラゴンが動いた。地面を掴むようにして這い、猛然と前に出てくる。ドラゴンは、身体を撓らせるようにして右の前肢を持ち上げ、カルビとネージュ目掛けて、そのまま振り下ろしてきた。ドラゴンは巨大だが、動きは俊敏だった。
カルビとネージュは下がらず、並んで前に出て、途中で左右に分かれてこれを避ける。空振りしたドラゴンの腕が、荒れた石畳が並ぶ地面をドッシィィィィン!!! とぶっ叩いた。
周りの廃墟が一遍に崩れ、その瓦礫が浮き上がるほどの衝撃だった。ローザが片膝と片手を地面について、アッシュも重心を落とす。身体が横ではなく、縦に揺れるのが分かる。
『「GAARUUUUUUUUUUAAAAAAAA――!!」』
双頭のドラゴンは、各々の頭でカルビとネージュの動きを見ている。前衛の2人がドラゴンの注意を引き付け、そこにエミリアが合流しようとしている。
状況としては、戦闘はここからが本番だ。
『「GAAAAAAAAAAAAHHHHH――!!」』
召喚魔法陣から上半身を這い出させたドラゴンは、首を巡らせて腕を振り回し、暴れまくり、素早く動き回るカルビとネージュを叩き潰そうとしている。ドラゴンが暴れる範囲は、あっと言う間に地面も建物もバキバキのグジャグジャに破壊されていく。
だがカルビとネージュ、そしてエミリアは、双頭のドラゴンの攻撃の全てを潜ったり、跳び越えたりしながら、ギリギリのところで躱している。
瓦礫だらけで足場も最悪だが、3人は着かず離れずの距離を勇敢にも維持し、ドラゴンからの攻撃を誘い続け、回避を続けながら反撃のタイミングを窺っていた。
轟音、そして衝撃と共に土煙が濛々と舞って、石屑と瓦礫が飛び散りまくっている。
その激戦を見下ろしているギギネリエは、穏やかとさえ言える表情をローザとアッシュの方にも向けて来た。だが、此方を攻撃してくる気配はない。
ヤツは動かない。だが、何らかの詠唱を続けている。
それを確認するように一瞥したローザは、その場にしゃがみこんで魔法薬を使用した。薄青色の魔法円が展開されて、消費されたローザの魔力を回復させていく。
「さぁて……。あのムカつく馬鹿に、ぎゃふんと言わせてやらないとね」
ぺろっと唇の端を舐めたローザが、さっきから組み立てていた魔導銃を、本格的に完成させつつある。
「あの、それは……?」
アッシュが訊くと、ニヤリと不敵に笑ってみせたローザは「秘密兵器、第2弾」と軽やかに答えてくれる。
そして再び、双頭のドラゴンに乗っているギギネリエスを睨むように、ヤツの出方を窺うように見遣った。魔力枯渇寸前から生き返ったローザの目には、戦術を練る冒険者らしい物騒さが蘇っている。
あのドラゴン……。さっきまでネクロゴーレムと同じように、ギギネリエスから魔力を受け取って動いてるのなら……。完全に独立した生物ってワケじゃない……。……つまり、常にヤツが魔力を供給し続けてると見て間違いなさそうだし……。なら……。今の私を攻撃してこないってことは、攻撃魔法は使えないっていう告白も本当だったってことか……。
無表情になったローザは、完全に集中している。
高速で流れる思考を頭の外で噛み合わせようとするような、小声の早口。決戦用大型魔導銃を組み立てながら、ギギネリエス攻略のための仮説を構築しようとしている。
マジックキャンセラーを使っても、ヤツの魔力供給量が途絶えない限りは効果も期待できない……。けど拘束魔法弾なら有効……。ということは……、やっぱりヤツ本体に向けたジャミング効果なら……。
技術者然とした慣れた手つきのローザが、着々と鉄の塊を組み合わせていく。
ローザが組み上げているのが、かなり大きな魔導銃であることにアッシュも気付いた。全長で大人の身長か、それ以上はある。ローザは淡々と大型魔導銃を組み立てながら、自分の思考を加速させるように、ブツブツとした早口を続けている。
今の私を脅威に感じているんだったら、すぐに魔法で攻撃してくる筈……。それが無いってことはつまり……。魔導銃頼りの私を、もう脅威とは見ていない……? いや、そんな油断をするとは思えないし……。膨大な魔力量を消費してあのドラゴンを操りながら、更に複数の召喚魔法陣を維持するのは容易じゃないってことで……。それなら……。
そこで言葉を切ったローザは、組み上げた大型の魔導銃を地面に置いて、今度はアイテムボックスから大振りな魔法弾を取り出した。ローザの掌に収まりきらず、まるで杭のようだ。
「……まだ勝ち筋はあるっぽいかな」
特殊な魔法石を埋め込まれているのか、ローザの手の中にある物騒な弾丸は、ギラギラと不穏に輝いている。
「まぁ、出来るなら使いたくなかったけどね~……」
ローザは地面にうつ伏せになる姿勢になって、大型魔導銃の銃口をドラゴンに向けた。あの大きさと重量のせいで、立ったままで構えることが難しい代物なのだろう。
銃口を上向きに支えるスタンドがあって、狙いを定めるためのスコープが備わっている。
その風格というか威容は、ほとんど大砲のようだった。
「アッシュ君」
うつ伏せになったローザが、手にしていた大ぶりな魔法弾を、ガシャコン……ッ!と重々しい金属音を鳴らして装填しながら、アッシュの名を呼んだ。
「シャーマントロールと戦った時のこと、覚えてる?」
強張った声音だったが、明るい響きがあった。
「はい。覚えていますよ」
すぐにローザを庇える位置で姿勢を落とし、アッシュは頷く。
「あの時と同じパターンで行こう。前衛の3人がドラゴンの動きを止めてくれるだろうからさ」
その口振りには、仲間であるカルビやネージュ、エミリアに、自分の命運を彼女達に委ねるような覚悟と、そういう仲間がいることを喜ぶような弾みがある。
「3人を援護する私が、ギギネリエスを牽制するよ。あとは――」
「――僕が、詠唱を続けようとするギギネリエスを黙らせるんですね」
そう答えながら、アッシュはもう一度頷く。
「……1番危ないポジションを、こうやってお願いするのも情けないんだけどね」
双頭のドラゴンからアッシュに視線を移してきたローザは、巨大な魔導銃の引き金に手をかけたままで、小さく苦笑した。
その彼女の気安い表情こそは、ローザにとってのアッシュが、カルビやネージュ、エミリアと同等の、信頼と親しみを向けるに値する存在であることを表明してくれているのだと分かった。
それが、ただ素直に嬉しかった。
冒険者として生きてきて、よかったと思った。
アッシュは緩く首を振って、手の中にあるエンクエントとパルティダを少しだけ揺らす。
「この場で僕にも“役割”があるのなら、最善を尽くしたいです」
それは今までと同じく、アッシュの本心だった。「……うん。ありがと」と、ローザが苦しげに洩らした声には、気付かないフリをした。アッシュとローザの言葉が途切れたときだった。
『「OOOOOOOOOOOOOO――ッ!!」』
双頭のドラゴンが、いきなり動きを止めた。首を反らせて胸を広げ、大きく息を吸い込むような間を作ったのだ。あまりにも不気味な静けさが訪れる。
ドラゴンの喉元には魔法円が浮かび上がり、双頭の顎からは、澱んで濁りきった、おぞましい紫色の炎が反り返るようにして溢れて、火柱となって噴き上がっている。魔力の炎だ。周囲の景色が歪むほど。
ブレス攻撃が来る。
それは少し離れているアッシュにも分かった。
あのドラゴンの大きさから考えれば、恐らく、辺り一面が火の海になってもおかしくない。しかも、あれはギギネリエスが造り上げた生物兵器だ。
並みの、という表現も少々おかしいが、通常のドラゴンブレスよりも威力が上であると覚悟した方がいい。
地面に伏せたローザは、大型魔導銃を構えたままで逃げようとしない。そもそも、この距離だと逃げるのも間に合わない。
死。それが目の前にあるのを、アッシュは肌で感じた。
ローザが覚悟を決めるように息を吸うのが分かった。短剣を軽く握ったアッシュも息を細く吐き出しながら、ゆっくりと重心を落とす。
同時だったろうか。
『さぁ、行きますわよォ……! ドラゴンの動きが止まった今こそがァ、勝ゥゥ機ィ!!』
『分かってンだよ馬鹿!』
『確実に仕留めるわよ……!』
カルビとネージュ、エミリアが、互いに呼吸を合わせるように言うのが、通信用の指輪から聞こえてきた。
今にもブレスを吐き出そうとしているドラゴンに向かって、彼女達が勇猛果敢に突っ込んで行くところを、アッシュとローザは目を逸らさずに見ていた。
バキバキのグシャグシャに砕かれた石畳の上を走り抜け、先頭を行ったのはカルビだ。
『余計な奴らも周りには居ねぇって話だからな!』
全身鎧から炎を吹き上げるカルビは、すくい上げるようにして大戦斧を地面に叩き込んだ。カルビの纏う炎熱の魔力が、戦斧を通して地面に一気に流れ込むのが分かった。
次の瞬間には、廃墟と瓦礫まみれになったダルムボーグの景色が、バァァァっと澄んだ赤橙に染め上げられた。
『他の冒険者を巻き込む心配もねぇ! 出し惜しみも加減もしねぇぞ!!』
濁りがなく、苛烈で、暖かく、容赦のない、鮮やかな炎が奔った。カルビの身体から湧きあがる灼熱の魔力が、炎として顕現する。
『荼毘にふしてやる、燃え滓になっちまえ……!!!』
煮え滾る魔力を注ぎ込まれた地面は、爆発と炎を噴き出しながら凄まじい勢いで立ち上がり、其処らの廃墟の瓦礫までをも飲み込みながらドラゴンに襲い掛かる。
あれは魔力と溶岩によって編み出された灼熱の奔流であり、見上げるほどに巨大なドラゴンを、さらに、その頭上から押し潰すほどの超規模な炎熱魔法攻撃だった。いや、厳密に言えば、あれは魔法攻撃などではないだろう。魔法理論も魔術に関わる技巧も、何もない。
力任せに自分の魔力を地面に注ぎ込むことで超爆発と大噴火を起こして、対象を攻撃することを魔法だなどとは、生粋の魔術士達は認めようとはしない筈だ。
だが、地下ダンジョンでは絶対に使えないような、問答無用の破壊力であることは間違いなかった。
距離を取っているアッシュとローザのところまで、物凄い熱波がごうごうと押し寄せてくる。アッシュは短剣を握ったままで腕を交差させて、顔を庇う。頬がチリチリとした。眼の表面にも、焼けてくるような痛みがあった。
それでもアッシュは視線を逸らさなかった。
隣でうつ伏せになって魔導銃を構えているローザも、ギギネリエスへと狙いを定めたままで動かない。じっと攻撃のチャンスを窺っている。
「あんなこと出来るの、多分、カルビぐらいだよね」 真剣な表情のままのローザが、呆れと感心、冷静さを混ぜたような小声を漏らすのが聞こえた。
実際、その通りだとアッシュも思ったし、カルビが以前、ダンジョン内では力を加減していると言っていたことも思い出した。だが今のカルビは手加減していない。文字通りの全力だろう。
故に、あの攻撃がこの戦闘におけるカルビの最後の一撃になることも、ローザは分かっていたに違いない。
ブレス攻撃を行おうとしていたドラゴンは、カルビが引き起こした大噴火攻撃に対して、一瞬だけ反応が遅れていた。だが、ドラゴンの肩に乗っていたギギネリエスは違う。
カルビの攻撃を予想していたのかもしれない。
片手を突き出して、魔法防壁を即座に展開しようとしていた。恐らくは、ドラゴンを守ろうとしたのだろう。その瞬間を、ローザは完璧に捉えていた。
息をゆっくりと、細く吸い込んで止めたローザが大型魔導銃の引き金を引いていた。やはり音は無かった。代わりに、銃口の周囲に魔法円が展開されて、激しい空気の振動があった。
タイミングとしては完璧だった。
ネクロドラゴンを守るべく、ギギネリエスが展開しつつあった強固な魔法防壁が、音もなく砕け散ったのだ。
撃ち出されたあの杭のような魔法弾は、非常に強力なマジックカウンターの効果を持っていたのだろう。
発生しようとする魔法を『否定』するマジックカウンターは強力無比で、上位魔術師たちでも扱いが難しく、多大な集中力と魔力を必要とする。
その魔術的な打ち消し効果を弾薬に宿らせるとなれば、あの杭のようなサイズの魔法弾になってしまうのも納得できる。そして、あの大きさの魔法弾を撃ち出すための、特別な魔導銃が必要になることも。
アッシュが視界に納めている戦況では、この数秒間の間に幾つかの動きがあった。だが、結果はあくまで単純だった。
カルビの噴火攻撃を、ギギネリエスは防ぎ損ねた。
ブレス攻撃の予備動作の中にあった双頭のドラゴンは、なんとか身を捩って回避しようとしたが、召喚魔法陣から這い出る途中では躱しきれず、身体の右半分を炎の濁流にのみ込まれ、抉り取られていた。
『「GuuuuuuuuAAAAAAHHHHHH――!!?」』
吐き出そうとしていたブレスを口の中で燻ぶらせたままのドラゴンは、右半身を焼き潰されながら、ダルムボーグ全体に響き渡るような大音声を二つの頭から吐き出した。
流石に体のバランスを保っていられなくなったのか。双頭のドラゴンは、左側に重々しく身体を傾け、ズズゥゥン……!!と地面を揺らして手をついた。
その傾いたドラゴンの肩の上で、ギギネリエスは驚いたように目を少し見開いて、突き出していた方の掌を数秒だけ見詰めてから、ローザの方を見た。
ヤツは苛立ちを見せるでも怒りを露わにするでもなく、片方の眉を上げていた。楽しそうに唇の端を持ち上げ、微かに動かしてみせる。
やるじゃないか。
ドラゴンの呻き声に掻き消されて、声は聞こえない。
だが、あの唇に動きからして、ギギネリエスはそう言ったのだ。
「……そりゃどーも」
鼻を鳴らしたローザは、うつ伏せのままで次の魔法弾を装填しようとして、「ゲホゲホッ!!」激しく咳き込んだ。血の咳だった。ついさっき高位魔法薬で魔力回復をしていた筈だが、今の1発だけで、回復した分の魔力など吹き飛んでしまったのかもしれない。
「上から目線でムカつくよね。アイツ」
真っ青な顔に気丈な笑みを浮かべたローザは、「ふー……っ」と震える息を吐き出しながら、次のマジックカウンター弾を装填した。
その一連の動作には、まるで自分の魂そのものを切り崩し、魔導銃へと籠めるような覚悟が滲んでいた。気迫に満ちている。
ローザは間違いなく、この場で冒険者としての命を燃やしていた。
その傍に控えているアッシュは、まだ動かない。動けない。前に出るタイミングではない。自分自身の呼吸、身体の感覚を意識しつつ、状況を見極めることに集中する。
身体の右半分を焼き尽くされたドラゴンが、火の海の中で体勢を立て直すついでに、召喚魔法陣から身体を引き抜いてしまおうとしている。
『「GUUUUUUUUOOOOOOO――ッッ!!」』
双頭のドラゴンは首を擡げて、自分の身体を破壊した張本人であるカルビを探すように視線を動かしている。そしてすぐに見つけた。
カルビは膝に片手をついて、地面から生える大戦斧に、もう片手で掴まるようにして立っていた。いや、立っているというよりも、崩れ落ちそうになるのを何とか堪えている。そんな感じだった。
さっきの噴火攻撃によって、自身の持つ魔力の殆どを放出してしまったからに違いない。猛々しい竜人のように変形していた全身鎧も元の姿に戻っていて、カルビの顔が露わになっている。
『ハァーーッ……! ハァーー……ッ!』
アッシュの隣に居る、ローザの右手のからだ。通信用の指輪から、カルビが獣のような荒い息をしているのが聞こえてくる。
『避けるんじゃねぇよ、クソッタレ……!!』
汗だくになったカルビが肩を上下させるたびに、カルビの着込んだ全身鎧の隙間からは、煙とも水蒸気とも言えない白い靄のようなものが、バシューーッ! と噴き出していた。
戦闘で酷使されたカルビの身体が壊れぬよう、あの鎧が意思を持ち、必死に排熱を行っているようでもある。
『「GuuuuuuurrrrrrrrRRRRRRRROOOOOOO――!!」』
双頭のドラゴンが言葉を理解したわけではないだろうが、カルビを優先して攻撃する意思を見せた。喉の奥に燻ぶらせ続けていたブレスを、今度こそカルビに吐き出そうとしている。
ドラゴンは力を籠めなおすように唸り、喉を光らせながら大きく息を吸い込んだ。
アッシュはカルビを庇うべく飛び出すべきか迷った。
だが、その必要はなかった。カルビのあとに続く者が居るからだ。
『次は頼んだぜ』
回避も移動も諦めたように動かないカルビは、大戦斧に両手で捕まったままで、鬱陶しそうに首を回した。そして、汗にまみれた凄絶な美貌に、とびきり狂暴な笑みを刻んだ。
『やっちまえ。ネージュ』
『分かってるわよ』
カルビが齎していた熱風が止み、今度は吹雪が来た。いや正確には吹雪などではないが、ダルムボーグを吹き抜けてくる乾いた風の中に、雪の結晶にも似た、蒼い魔力の輝きが混じったのだ。それも、一気にだった。
さっきの噴火攻撃の余波で盛大に撒き散らされた炎も、ダルムボーグに並んだ廃墟を焼き尽くすような勢いだった。だが、その火の勢いが、膨大な冷気を含んだ風に抱き込まれて、明らかに衰えていく。
ネージュだ。
彼女は手にした大槍を地面に突き立て、足元を中心に魔法陣を浮かび上がらせている。カルビが噴火攻撃を行った時から、彼女はドラゴンの左側に回り込んで、詠唱を続けていたのだ。カルビと同じく、出し惜しみも加減もない、全力の攻撃を行う為に。
ドラゴンの肩に乗るギギネリエスが、ネージュの方を一瞥した。そして僅かにだが、厄介そうに顔を歪めている。無理もなかった。
蒼く冴えた魔力を溢れさせ、周囲のものを凍りつかせているネージュが、『ハァァァ……ッ!!』と、感覚を研ぎ澄ますように息を吐き出して、投擲の構えを取ったのだ。
次の瞬間には、ネージュは身体をグググ……ッと撓らせて、投げ放つ。
無防備なカルビを焼き尽すべく、ブレス攻撃を行おうとしている双頭のドラゴン。その胴体と首の付け根あたりを目掛けて、大槍を投げつけたのだ。
ネージュの手から離れた大槍には、蒼い氷の魔法陣が渦を成しており、冷気と共に蒼い魔光が尾を引いていた。まるで流星だ。凄まじい速度であり、空間そのものを凍結させて貫通していくようだった。
大槍を投げ放ったネージュが、ガクンと片膝をついた。ネージュが纏っていた全身鎧も、溢れ出させていた冷気を収めて、元の姿へと戻ろうとしている。
やはり、あの投擲攻撃には、ネージュの持てる魔力が出し惜しみなく乗っているのだと分かった。
ただ、あの投擲攻撃がギギネリエスを狙ったものであったのなら、効果的だったとは言えないだろう。ギギネリエスは魔術士でありながらも、近接戦闘能力も高い。回避されていた筈だ。それはカルビの噴火攻撃もそうだろう。
だが、2人が狙ったのは、あくまで双頭のドラゴンだ。
ドラゴンがどれだけ俊敏で動けて翼を持っていようとも、あの巨体だ。それに、召喚魔法陣から出てきている途中であれば、回避行動は制限される。
カルビとネージュの攻撃を完全に躱しきるのは至難だった。
表情に僅かな焦りを浮かべたギギネリエスは、再び防御魔法円を展開していた。恐らくは、ネージュの投擲攻撃を阻むためだったのだろうが、やはりそれをローザが完璧に阻む。
再び、魔導銃でカウンターマジック弾を撃ち出したのだ。
こういうときのローザは、流石だった。ギギネリエスの行動を縛り上げるような、完全に狙い澄ましたタイミングでの牽制弾だった。
ギギネリエスは防御魔法円によって、ネージュが投げ放った大槍を防ごうとした。だが、ローザが撃ち出した魔法弾が、これを再び砕く。
結果として、ネージュが投げ放った大槍は、双頭のドラゴンの喉元に吸い込まれるようにして突き刺さった。特に音は無かった。その代わりに、大槍に籠められた爆発的なネージュの魔力がドラゴンに流れ込んでいった。蒼い魔力の脈動が、大槍から注ぎ込まれたのだ。
『「GOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHH――!!?」』
あの大槍に籠められていたネージュの魔力の量は、いったいどれほどなのだろう。
ブレス攻撃の寸前だったドラゴンの喉元を中心として、その生っ白い巨体がバキバキバキピキピキピキバシバシバシィ――……ッ!! と、もの凄い勢いで霜に覆われ、凍りついていく。
まるで巨大な氷山に、大槍が突き刺さっているような風情だった。
『「GU、GO、OOOOOO、GOAAAHHHH――…………ッ!!」』
双頭のドラゴンは呻きながらブルブルと震え、凍りついていく肉体を何とか動かそうとしているが、明らかにその動作は鈍っている。
だが、まだだ。
ネージュの凍結魔法によって躍動感と瞬発力を奪われたドラゴンだが、まだ獰猛さを失っていない。
凍り付いた体の彼方此方で、軋んで罅割れるような音を断続的に鳴らしながらも、魔力消耗によって身動きが取れなくなったカルビやネージュを押し潰すべく、這いずるように前に出て来る。
『どんだけ頑丈なんだよ……』
大戦斧を杖代わりにして立っているカルビが、通信指輪の向こうで悪態をつくのが聞こえた。
『えぇ。本当にしぶといわね……』
片膝を着いたままのネージュの声も、いい加減、鬱陶しそうだった。
だが、そんな2人とは対照的な、とにかく力強さと自尊心に溢れまくった高笑いが辺りに響き渡ったのは、そのときだった。
「ぬぉぉォォオオッホッホッホッホッホォォォ!!」
待っていましたと言わんばかりに、手にしていた大盾の鎖を握り締め、嬉々としてドラゴンに肉薄していくエミリアだ。
彼女の漆黒の鎧が、鮮烈な紅の光を纏っている。彼女の魔力の色が象った、肉体強化の魔術が発動しているのだと分かった。
「カルビさんとネージュさんが作ってくれた、こぉぉの千載一遇のぉぉ、サッチャワンダフルな勝機はァァ!! スカイハァァァァァイに澄み渡る私の“淑女EYE”がぁぁ!! 決して見逃しませんことよぉおお!!」
大声を張り上げるエミリアは、太い鎖を掴んで振り回し、その先に繋がれた大盾をグォングオン!! と旋回させている。巨大なモーニングスターのような扱いだ。
だが、身体の半分を焼き潰され、更に残った身体を冷凍させられて半壊させつつあるドラゴンを相手にするには、恐らく最適解の打撃武器だった。
「行きますわよぉぉぉァアア!! “淑女道”秘奥義ィィ!!『 乙女の乱れ髪ィィ!! 百花繚乱』ンンンンンン……ッ!!」
いちいち技名を叫ぶ必要があるのかどうかについては、アッシュは特に意見を持っていないし、発声によって瞬間的に力を発揮することができるのであれば、それは必要なプロセスなのだろうと思う。
実際、エミリアが繰り出した攻撃は凄まじかった。
というか、出鱈目だった。
鎖によって繋がっている大盾に煌々とした紅の魔力を宿らせて、真っ赤な薔薇の花弁を盛大に舞い散らせながら、超豪速かつ超密度で振り回した。
しかも、ただ振り回しているだけではない。
大盾に繋がれて巻かれていた鎖が少しずつ解け、その長さが増していく。ビュンビュンと風を切って旋回する鉄塊と化した大盾は、そこに備え付けられた頑強そうなトゲに鈍い煌めきを宿しながら、その速度をまだまだ上げていく。
肉体強化魔法のバフ効果によって、大柄なエミリアの身体は更に力強く滾り、限界を超えた運動能力とパワーを発揮していた。
「ドゥゥゥゥォオオオッホッホッホッホッホッホ!!!」
御嬢様笑いを弾けさせて、その技名通りに深紅の巻き髪を振り乱しているエミリアは、ぶん回しまくっている大盾の旋回範囲に――巨大な鉄塊が豪速で通過し続ける、超重量の打撃によって結界と化した鎖の範囲に――双頭のドラゴンを捉え、飲み込ませた。
一瞬あとで、相当のドラゴンの巨体の肩彼方此方で――頭部や顎、首、首元、肩、胴、身体を支えている前肢、胸部などが――間断無く小さな爆発を起こしたように吹き飛び、砕かれ、抉られ、破壊されて飛び散っていく。
「モォォォォオオオッホッホッホッホッホッホ!!!」
十数メートルほどまでの長さに伸びた鎖、その先に繋がれた大盾が、強化されたエミリアの剛力によって上下左右へと凄まじい密度と速度で振り抜かれ、それら全てが、崩壊しつつあったドラゴンの巨体へと叩き込まれまくっているのだ。
重い金属が腐肉を叩き潰す音が、細かい花火が連続で破裂するようにして連なり、繫がり、真っ赤な薔薇の花弁が舞い散る廃墟の群れに響いていく。
『「GOOO、AAAA、AAA、OOOO――……!」』
カルビとネージュからのダメージが抜けきっていないドラゴンは、エミリアが繰り出す超重量の連撃に飲み込まれ、その吼え声すら千切れて埋もれかけている。そしてその巨体も、明らかに削られて砕かれ、崩れながら、その体勢を保てない程に傾きかけていた。
『「GURRRR、GA……、UU……U、GOOOO――……!」』
遠雷のように太く響く呻きを洩らしながら、とうとう、双頭のドラゴンの、片側の頭が崩落した。首が折れ曲がって、盛大に頽れていく。残った頭も垂れ下がり、顎を地面に叩きつけるようにして落ちつつあった。
いける。エミリアならこのまま、双頭のドラゴンの全身を破壊できる。
アッシュはそう思い掛けた。だが、気付く。ギギネリエスだ。
ヤツはドラゴンの肩口の上で、細かく身体の軸を移動させながら杖を振るい、豪速で迫り続けるエミリアの大盾を弾いて躱し、いなし続けていた。やはりヤツは、攻撃魔法を使ってこない。鍛え抜かれた武術的な防御技法によって、エミリアの攻撃を捌いている。
ヤツが無事である限り、その手駒であるネクロドラゴンは幾らでも復活しうる。
ローザも、今のタイミングではマジックカウンターの魔法弾を撃てない。なぜなら、ギギネリエスは魔術を行使していないからだ。ローザは待つ。次にギギネリエスが何らかの魔術を編もうとするのを。
その徹底したローザの牽制攻撃の姿勢を、素直に賞賛するような眼差しのギギネリエスは薄い笑みを浮かべている。
頑張るじゃないか。
ゆったりとした表情で、ヤツの唇がそう動くのが見えた。
「そろそろ限界だね……」
大型魔導銃のスコープを覗いているローザが、吐血でくぐもった低い声を洩らすのが聞こえた。その通りだった。
「ぬぅォォォォオオオッホッホッホホブッ!!? ゲッホ!! ガハッ! ヴォエッ!!」
長大に伸びた鎖を握り締めて大盾を振り回している途中で、エミリアが咳き込んだ。あれは、いつものように笑い過ぎたのではない。体力の限界なのだ。
あのネクロドラゴンの巨体を、全壊寸前まで追い込むほどの超重量かつ超連続打撃が、エミリア自身の身体に負担を掛けないはずが無い。
「モホホホホっ……! ハァッ……! ぜぇ……! ハァ……!!」
そこで、息を切らし始めたエミリアの動きが、明らかに鈍った。そう見えた時には、エミリアが纏っていた紅の光が消えた。乾いた風の中を舞い狂っていた薔薇の花弁も、溶けるように消えて無くなってく。
あとに残されたのは、その場に倒れ込むようにして両手を地面についたエミリアと、ズガァンン!! と派手な音と共に地面に突き刺さる大盾、それに、今にも崩れそうになって動きを止めている、双頭のドラゴンの巨体だ。
静けさが辺りを包んだ。廃墟を拭き渡ってきた乾いた風が、この場に居る全員を探るように撫でながら走り去っていく。薄い砂埃が、この戦場を白く煙らせる。
まず最初に動いたのは、ギギネリエスだった。髑髏の杖を振るいながら何かを唱えようとしたのだ。恐らく、崩壊しつつある双頭のドラゴンの身体を修復しようとしたのだろうが、それをローザは許さなかった。
大型魔導銃を発砲し、ギギネリエスが編み上げようとする魔法を破壊し、妨害する。
「いいねぇ。そうだよ。それでいい」
だが、奴は笑っている。それも、やけに楽しそうだ。
一方で、大型の魔導銃を立て続けに発砲しているローザは、口の端から血の泡を吹いて、ガタガタと身体を軽く痙攣させ、ボタボタと鼻血を流していた。
焦点の怪しい眼は充血しまくって真っ赤だし、血の涙を流している。意識も朦朧としている様子で、大型魔導銃の狙いを定めようとしているのか、しがみついているのか分からない状態だった。
消耗した魔力が余りに甚大で、今のローザは意識を保つこともギリギリだろう。そして、ギリギリなのはローザだけではない。
アッシュ達から少し離れた所にいるカルビも、まだ大戦斧にもたれかかるようにして、何とか立っている。ネージュだって瓦礫の上に膝を突き、立ち上がれないでいる。
とにかく肉体を酷使しまくったエミリアに至っては、咳き込むように荒い息をつきながら、地面に蹲っているような様子だった。
3人とも、魔力と体力を使い果たして動けない状態だ。
アッシュは、彼女達の戦う姿を全て見ていた。
この場に居る全員が死力を尽くした景色は、もう目に焼き付けている。
――次は僕の番だ。
アッシュは深呼吸をしながら、ゆっくりと瞬きをする。重心を落として、足の裏に力を籠める。さきほどのローザの指示を思い出す。
カルビとネージュ、エミリアが、あのドラゴンの動きを止める。そのドラゴンの上に陣取るギギネリエスを、ローザが魔導銃で牽制する。それら全てが上手くいった。
彼女達は文字通りの死力を尽くして、其々の役割を完璧にこなした。
次は、アッシュが己の役割を果たす番だった。
悪夢の景色が脳裏にフラッシュバックする。その悪夢の中に突入していく思いで、アッシュは踏み出す。生々しい過去の記憶が、次から次へと溢れてくる。それら1つ1つを具に見つめ直しながら、身体を前に倒し、駆ける速度を上げていく。
脚を動かしながら、今のダルムボーグの静けさに気付く。あの巨大な双頭のドラゴンが暴れまわっているときは意識できなかったが、あたりで響いていた戦闘の音が止んでいるのだ。
それはつまり、『鋼血の戦乙女』や『ゴブリンナイツ』のメンバー達が戦闘を中断し、撤退を選択したということだろう。
アッシュは顔を上げる。ギギネリエスの持つ髑髏の杖が、カタカタと不気味に顎を揺らして詠唱を続けている。あの杖が召喚魔法を維持している可能性は高い。
双頭のドラゴンは沈黙している。あとは、あの杖を――あの髑髏で編まれた、おぞましい杖に魔力を注ぎつけている、ギギネリエスを黙らせるだけだ。
「最後まで楽しませてくれるねぇ。……思わずファンになっちまいそうだよ?」
動かなくなったドラゴンの肩の上から、未だにアッシュを見下ろしてくるギギネリエスは、やけに静かな表情を浮かべている。
まるで、こ何処か違う景色に想いを馳せているような、自分の内面を見つめ直すような、動きのない顔つきだ。今までの冷笑も不真面目な態度も消え失せている。
落ちついた、その直向《ひたむ》きさを滲ませた眼差しは、明らかにこの場の勝敗に向けられていない。
ギギネリエスは今のアッシュの行動や決断を通して、何らかの意味や意義を、自分自身に投射しようとしているのかもしれない。
「さぁ、おいでよ。“アッシュ”。俺を殺せるかどうか、試してみるといい」
ヤツの唇が、そう動く。言われるまでもないと思った。