「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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剣を杖に1

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、始めようか」

 

 無数の死体で編み上げられた、巨大な双頭の竜。ネクロドラゴン。その肩に悠然と立ったギギネリエスが、アッシュ達を見下ろしてくる。

 

『「GURRRRRRRRRRRRR――!!」』

 

 主人であるギギネリエスの声に応じたのか。

 

 不機嫌そうに喉を鳴らした双頭のネクロドラゴンが、自らの白い体を左右に激しく揺らして、召喚魔法陣の縁に腕をかけた。そして、巨大な胴体をズルルルルゥ……! と引き上げるように這い出てくる。

 

 だが、その全身はまだ出きっていない。上半身だけだ。

 

 それでも大きい。十分過ぎるほど脅威だ。身じろぎするだけで、その衝撃と重量によって周囲の地面が陥没し、幾つもの廃屋が崩れ落ちる。

 

 濛々と舞い上がる粉塵、細かな石の屑の中で、ドラゴンは自らの巨体を誇示するように首を擡げ、双頭で咆哮を上げる。

 

『「VOOOOOORAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!!!」』

 

 圧倒的な捕食者だけに許された、聴く者の心を動揺させ、恐怖で萎縮させ、戦意をへし折り、抵抗の意思を消し飛ばす咆哮だった。

 

突風とも暴風ともつかないほどに、周囲の空気が震えあがっている。容赦のないドラゴンの大音声は、この場の全員を叩き潰すに勢いでぶつかってくる。

 

「くそったれ……! これがさっき言ってた“サプライズ”かよ!」

 

「冗談じゃないわね……。まともに相手をしてられないわ」

 

 ギギネリエスを挟み撃ちしようとしていたカルビとネージュも、今では召喚されたドラゴンの足元付近で武器を構えているが、あの巨体を前に攻めあぐねていた。

 

 

 闇雲に突っ込んで行ける相手ではない。だが、じっくりと相手をしている余裕も、猶予もない。

 

 ギギネリエスが展開している召喚魔法陣は複数。それらはダルムボーグを包囲するように配置されていて、その魔法陣の1つ1つから、あの巨大なドラゴンと同程度の怪物が召び出されようとしているのも間違いなかった。

 

 つまり、アッシュ達の脅威は、ギギネリエスを肩に乗せた巨大なネクロドラゴンだけではない。これから続々と、ダルムボーグを包囲するように召喚されてくるのだ。

 

 そうなれば恐らく、『鋼血の戦乙女』だろうと『ゴブリンナイツ』だろうと関係なく、もはや勝ち目は無い。平等に死を与えられて、ギギネリエスの手の中に落ちることになる。

 

 今のアッシュ達は、分かりやすく絶体絶命だ。だが、突破口はある。

 

 召喚魔法を維持しているギギネリエスを、とにかく黙らせることだ。

 

 他の魔法陣からも巨大な怪物を召びだされてしまう前に、その召喚魔法を強制的に中断、キャンセルさせるしかない。

 

 或いは、術者であるギギネリエスを斃してしまうか――。

 

 いずれにせよ容易ではない。

 

 だが、まだ間に合う。

 

 『あんなモンの相手なんざやってられねぇが、やるしかねぇな』

 

 だが、大戦斧の刃を体の後ろに下げるようにして構えたカルビは、軽口を叩きながら一歩も退かない。怯んでいない。

 

 ダルムボーグ全体を震わせ、何もかもを払い飛ばすようなドラゴンの咆哮を前にしても、カルビは全身鎧に宿らせた炎を力強く脈動させている。

 

 彼女の覚悟が、炎の姿を持って膨れ上がっているかのようだ。

 

『チャンスを見て遊撃を頼むぜ、アッシュ。お前がいてくれると心強いぜ』

 

 名前を呼ばれて、アッシュは思わず息を飲む。瞬間的に、胸が苦しくなった。喉の奥が震える。何かを言わなければと思うが、声が前に出ない。

 

『アッシュ君。私達に最後まで付き合ってくれて、ありがとう』

 

 カルビの後に続いて、ネージュが応答した。静かな声だった。

 

 巨大なネクロドラゴンに踏み込んでいく彼女の姿もまた、静謐さと貫禄に満ち、怯えや怯みとは無縁だった。

 

 カルビの放つ炎熱の魔力と、ネージュが発生させる凍結の魔力が、ぶつかりあって交錯し、渦を巻いていた。巨大なドラゴンを前に、互いに手を結ぶかのように混ざり合っていた。

 

『おい、ネージュ。アタシの足引っ張るんじゃねぇぞ』『はぁ? こっちのセリフよ。アッシュ君の邪魔にならないよう気をつけなさいよ』『なんだとテメェ』『なによ』ローザの通信用の指輪から、2人の言い合う声が聞こえてくる。

 

「あのお二人は本当に、こんなときでも仲が良いんですから」

 

 微笑ましいものを見守るような、穏やかな苦笑を浮かべたエミリアが軽く息を吐き、ローザに頷いた。

 

「やはり、この私が間に入っておかないと、あの2人だけでは心配ですわね!」

 

「うん。今回は前衛を頼むよ、エミリア」

 

 もう笑うしかないといった感じで、ローザも再び小さく笑って応じた。

 

「えぇ。私《わたくし》が前に出る以上、パァァァァフェクト&アァァァァグレッッ……シヴ!! に、あのドラゴンを叩きのめして御覧に入れますわよぉぉぉッホッホッホッホ!!」

 

『御嬢様笑い』のポーズを取ったエミリアは、すぐにその豪快な笑い声を収めて、今度はアッシュに微笑みを浮かべてみせた。

 

 「アッシュさん。今日まで貴方と共に冒険できたことを……私《わたくし》は、人生の喜びと誇りとして、胸に刻んでいますわ。……ローザさんを、よろしくお願いしますわね」

 

言い終えると同時に、エミリアは背を向けて駆け出していく。

 

 「ドゥゥォッホッホッホッホッホッホ!!! さァァァ!! レデイィィィス&ジェントルメェェェェン……ッ!! 皆さんお待ちかねェェィ! 完全無欠のエキセントリック“淑女”たる私《わたくし》がァァァ! ドラゴン討伐の前衛にィィ!! 優雅にィ……ッ! 典雅にィ……ッ! そして華麗にィィ! 参!! 戦!! 致しますわよォォォオッホッホッホッホォォォォオオンンヌゥゥァァアア……!!」

 

『そんな前口上が必要なほど誰も待ってねぇんだよ』

 

『どこにレディースとジェントルメンが居るのよ……』

 

 通信指輪の向こうでカルビとネージュが、低い声でエミリアにツッコむ。というか、冷たい指摘を浴びせるのが聞こえた。

 

 あの3人は、本当に仲が良い。

 アッシュもそう思った。直後だった。

 

『「GAAAAAAAAAAAAAAAHHHH――!!」』

 

 双頭のドラゴンが動いた。

 

地面を掴むようにして這い、身体を撓らせるようにして右の前肢を持ち上げ、カルビとネージュ目掛けて、そのまま振り下ろす。ドラゴンは巨大だが、動きは俊敏だった。

 

 カルビとネージュは下がらず、並んで前に出て、途中で左右に分かれてこれを避ける。空振りしたドラゴンの腕が、荒れた石畳が並ぶ地面をドッシィィィィン!!! とぶっ叩いた。

 

 周りの廃墟が一遍に崩れ、その瓦礫が浮き上がるほどの衝撃だった。

 

「うわわわ……!」

 

片膝と片手を地面についたローザを支えて、アッシュも重心を落とす。身体が横ではなく、縦に揺れるのが分かった。

 

『「GAARUUUUUUUUUUAAAAAAAA――!!」』

 

 双頭のドラゴンは、各々の頭でカルビとネージュの動きを見ている。前衛の2人がドラゴンの注意を引き付け、そこにエミリアが合流しようとしている。

 

 状況としては、戦闘はここからが本番だ。

 

 『「GAAAAAAAAAAAAHHHHH――!!」』

 

 召喚魔法陣から上半身を這い出させたドラゴンは、首を巡らせて腕を振り回し、暴れまくり、素早く動き回るカルビとネージュを叩き潰そうとしている。ドラゴンが暴れる範囲は、あっと言う間に地面も建物もバキバキのグジャグジャに破壊されていく。

 

 だがカルビとネージュ、そしてエミリアは、双頭のドラゴンの攻撃の全てを潜ったり、跳び越えたりしながら、ギリギリのところで躱している。

 

 瓦礫だらけで足場も最悪だが、3人は着かず離れずの距離を勇敢にも維持し、ドラゴンからの攻撃を誘い続け、回避を続けながら反撃のタイミングを窺っていた。

 

 轟音、そして衝撃と共に土煙が濛々と舞って、石屑と瓦礫が飛び散りまくっている。

 

 その激戦を見下ろしているギギネリエスは、穏やかとさえ言える表情をローザとアッシュの方にも向けてきた。だが、此方を攻撃してくる気配はない。

 

 ヤツは動かない。だが、何らかの詠唱を続けている。

 

 それを確認するように一瞥したローザは、その場にしゃがみこんで魔法薬を使用した。薄青色の魔法円が展開されて、消費されたローザの魔力を回復させていく。

 

「さぁて……。あのムカつく馬鹿に、ぎゃふんと言わせてやらないとね」

 

 ぺろっと唇の端を舐めたローザは魔力を回復させつつ、アイテムボックスから複数の鉄塊を取り抱して、ガシャコン! ガチャガチャと手早く組み立て始める。

 

その最中にも高速で思考を回転させているようで、ローザはぶつぶつと小声で唱えていた。

 

 「あのドラゴン……。さっきまでネクロゴーレムと同じように、ギギネリエスから魔力を受け取って動いてるのなら……。完全に独立した生物ってワケじゃない……。……つまり、常にヤツが魔力を供給し続けてると見て間違いなさそうだし……。なら……。今の私を攻撃してこないってことは、攻撃魔法は使えないっていう告白も本当だったってことか……」

 

 高速で流れる思考を頭の外で噛み合わせようとするような、小声の早口。ギギネリエス攻略のための仮説を構築しようとしているのだろう。

 

「マジックキャンセラーを使っても、ヤツの魔力供給量が途絶えない限りは効果も期待できない……。けど拘束魔法弾なら有効……。ということは……、やっぱりヤツ本体に向けたジャミング効果なら……」

 

 技術者然とした慣れた手つきのローザが、着々と鉄の塊を組み合わせていく。

 

 ローザが組み上げているのが、かなり大きな魔導銃であることにアッシュも気付いた。

 

全長は大人の身長か、それ以上はある。ローザは淡々と大型魔導銃を組み立てながら、自分の思考を加速させるように、ブツブツとした早口を続けている。

 

 「今の私を脅威に感じているんだったら、すぐに魔法で攻撃してくるはず……。それが無いってことはつまり……。魔導銃頼りの私を、もう脅威とは見ていない……? いや、そんな油断をするとは思えないし……。膨大な魔力量を消費してあのドラゴンを操りながら、更に複数の召喚魔法陣を維持するのは容易じゃないってことで……。それなら……」

 

 そこで言葉を切ったローザは、組み上げた大型の魔導銃を地面に置いて、今度はアイテムボックスから大振りな魔法弾を取り出した。ローザの掌に収まりきらず、まるで杭のようだ。

 

「まだ勝ち筋はあるっぽいかな」

 

 特殊な魔法石を埋め込まれているのか、ローザの手の中にある物騒な弾丸は、ギラギラと不穏に輝いている。

 

「まぁ、出来るなら使いたくなかったけどね~……」

 

 ローザは地面にうつ伏せになる姿勢になって、大型魔導銃の銃口をドラゴンに向けた。

 

あの大きさと重量のせいで、立ったままで構えることが難しい代物なのだろう。銃口を上向きに支えるスタンドがあって、狙いを定めるためのスコープが備わっている。

 

 その風格というか威容は、ほとんど大砲のようだった。

 

「アッシュ君」

 

 うつ伏せになったローザが、手にしていた大ぶりな魔法弾を、ガシャコン……ッ!と重々しい金属音を鳴らして装填しながら、アッシュの名を呼んだ。

 

「シャーマントロールと戦った時のこと、覚えてる?」

 

 強張った声音だったが、明るい響きがあった。

 

「はい。覚えていますよ」

 

 すぐにローザを庇える位置で姿勢を落とし、アッシュは頷く。

 

「あの時と同じパターンで行こう。前衛の3人がドラゴンの動きを止めてくれるだろうからさ」

 

 その口振りには、仲間であるカルビやネージュ、エミリアに、自分の命運を彼女達に委ねるような覚悟と、そういう仲間がいることを喜ぶような弾みがある。

 

「3人を援護する私が、ギギネリエスを牽制するよ。あとは――」

 

「――僕が、詠唱を続けようとするギギネリエスを黙らせるんですね」

 

 そう答えながら、アッシュはもう一度頷く。

 

「……1番危ないポジションを、こうやってお願いするのも情けないんだけどね」

 

 双頭のドラゴンからアッシュに視線を移してきたローザは、巨大な魔導銃の引き金に手をかけたままで、小さく苦笑した。

 

 その彼女の気安い表情こそは、ローザにとってのアッシュが、カルビやネージュ、エミリアと同等の、信頼と親しみを向けるに値する存在であることを表明してくれているのだと分かった。

 

 それが、ただ素直に嬉しかった。

 冒険者として生きてきて、よかったと思った。

 

 アッシュは緩く首を振って、手の中にあるエンクエントとパルティダを少しだけ揺らす。

 

「この場で僕にも“役割”があるのなら、最善を尽くしたいです」

 

 それは今までと同じく、アッシュの本心だった。

 

「……うん。ありがと」

 

ローザが苦しげに洩らした声には、気付かないフリをした。アッシュとローザの言葉が途切れたときだった。

 

 『「OOOOOOOOOOOOOO――ッ!!」』

 

 双頭のドラゴンが、いきなり動きを止めた。首を反らせて胸を広げ、大きく息を吸い込むような間を作ったのだ。あまりにも不気味な静けさが訪れる。

 

 ドラゴンの喉元には魔法円が浮かび上がり、双頭の顎からは、澱んで濁りきった、おぞましい紫色の炎が反り返るようにして溢れて、火柱となって噴き上がっている。魔力の炎だ。周囲の景色が歪むほどの。

 

 ブレス攻撃がくる。

 それは少し離れているアッシュにも分かった。

 

 あのドラゴンの大きさから考えれば、辺り一面が火の海になってもおかしくない。しかも、あれはギギネリエスが造り上げたアンデッド兵器だ。

 

 並みの、という表現も少々おかしいが、通常のドラゴンブレスよりも威力が上であると覚悟した方がいい。

 

 地面に伏せたローザは、大型魔導銃を構えたままで逃げようとしない。だがそもそも、あのネクロドラゴンがブレスを吐けば、逃げるのは間に合わない。

 

 死。それが目の前にあるのを、アッシュは肌で感じた。

 

 ローザが覚悟を決めるように息を吸うのが分かった。短剣を軽く握ったアッシュも息を細く吐き出しながら、ゆっくりと重心を落とす。

 

 同時だったろうか。

 

『さぁ、行きますわよォ……! ドラゴンの動きが止まった今こそがァ、勝ゥゥ機ィ!!』

 

『分かってンだよ馬鹿!』

 

『確実に仕留めるわよ……!』

 

 カルビとネージュ、エミリアが、互いに呼吸を合わせるように言うのが、通信用の指輪から聞こえてきた。

 

 今にもブレスを吐き出そうとしているドラゴンに向かって、彼女達が勇猛果敢に突っ込んで行くところを、アッシュとローザは目を逸らさずに見ていた。

 

 バキバキのグシャグシャに砕かれた石畳の上を走り抜け、先頭を行ったのはカルビだ。

 

『余計な奴らも周りにはいねぇって話だからな!』

 

 全身鎧から炎を吹き上げるカルビは、すくい上げるようにして大戦斧を地面に叩き込んだ。カルビの纏う炎熱の魔力が、戦斧を通して地面に一気に流れ込む。

 

 次の瞬間には、廃墟と瓦礫まみれになったダルムボーグの景色が、バァァァっと赤橙の揺らぎに染め上げられた。

 

『他の冒険者を巻き込む心配もねぇ! 出し惜しみも加減もしねぇぞ!!』

 

 濁りがなく、苛烈で、暖かく、容赦のない、鮮やかな炎が奔った。カルビの身体から湧きあがる灼熱の魔力が、炎として顕現する。

 

『燃え滓になっちまえ……!!!』

 

 煮え滾る魔力を注ぎ込まれた地面は、爆発と炎を噴き出しながら凄まじい勢いで立ち上がり、其処らの廃墟の瓦礫までをも飲み込みながらドラゴンに襲い掛かる。

 

 あれは魔力と溶岩によって編み出された灼熱の奔流であり、見上げるほどに巨大なドラゴンを、さらに、その頭上から押し潰すほどの超規模な炎熱魔法攻撃だった。

 

いや、厳密に言えば、あれは魔法攻撃などではないだろう。魔法理論も魔術に関わる技巧も、何もない。

 

 力任せに自分の魔力を地面に注ぎ込むことで超爆発と大噴火を起こして、対象を攻撃することを魔法だなどとは、生粋の魔術士達は認めようとはしないだろう。

 

 だが、地下ダンジョンでは絶対に使えないような、問答無用の破壊力であることは間違いなかった。

 

 距離を取っているアッシュとローザのところまで、物凄い熱波がごうごうと押し寄せてくる。アッシュは短剣を握ったままで腕を交差させて、顔を庇う。頬がチリチリとした。眼の表面にも、焼けてくるような痛みがあった。

 

 それでもアッシュは視線を逸らさなかった。

 

 隣でうつ伏せになって魔導銃を構えているローザも、ギギネリエスへと狙いを定めたままで動かない。じっと攻撃のチャンスを窺っている。

 

「あんなこと出来るの、多分、カルビぐらいだよね」

 

真剣な表情のままのローザが、呆れと感心、冷静さを混ぜたような小声を漏らすのが聞こえた。

 

 

あの攻撃が、この戦闘におけるカルビの最後の一撃になることも、ローザは分かっていたに違いない。

 

 ブレス攻撃を行おうとしていたドラゴンは、カルビが引き起こした大噴火攻撃に対して反応が遅れていた。だが、ドラゴンの肩に乗っていたギギネリエスは違う。

 

 カルビの攻撃を予想していたのか。

 

 片手を突き出して、魔法防壁を即座に展開しようとしていた。ネクロドラゴンを守ろうとしたのだ。

 

その瞬間を、ローザは完璧に捉えていた。

 

 息をゆっくりと、細く吸い込んで止めたローザが、大型魔導銃の引き金を引いていた。やはり音は無かった。代わりに、銃口の周囲に魔法円が展開されて、激しい空気の振動があった。

 

 タイミングは完璧だった。

 

 ネクロドラゴンを守るべく、ギギネリエスが展開しつつあった強固な魔法防壁が、音もなく砕け散ったのだ。

 

 撃ち出されたあの杭のような魔法弾は、非常に強力なマジックカウンターの効果を持っていたのだろう。

 

 発生しようとする魔法を『否定』するマジックカウンターは強力無比で、上位魔術師たちでも扱いが難しく、多大な集中力と魔力を必要とする。

 

 その魔術的な打ち消し効果を弾薬に宿らせるとなれば、あの杭のようなサイズの魔法弾になってしまうのも納得できる。そして、あの大きさの魔法弾を撃ち出すための、特別な魔導銃が必要になることも。

 

 アッシュが視界に納めている戦況では、この数秒間の間に幾つかの動きがあった。だが、結果はあくまで単純だった。

 

 カルビの噴火攻撃を、ギギネリエスは防ぎ損ねた。

 

 ブレス攻撃の予備動作の中にあった双頭のドラゴンは、なんとか身を捩って回避しようとしたが、召喚魔法陣から這い出る途中では躱しきれなかった。

 

魔法陣から姿を見せている上半身、その右半分を炎の濁流にのみ込まれ、抉り取られていた。

 

『「GuuuuuuuuAAAAAAHHHHHH――!!?」』

 

 吐き出そうとしていたブレスを口の中で燻ぶらせたままのドラゴンは、右半身を焼き潰されてバランスを保っていられなくなったのか。左側に重々しく身体を傾け、ズズゥゥン……!!と手をついた。

 

 その傾いたドラゴンの肩の上で、ギギネリエスは驚いたように目を少し見開いて、突き出していた方の掌を数秒だけ見詰めてから、ローザの方を見た。

 

 ヤツは苛立ちを見せるでも怒りを露わにするでもなく、片方の眉を上げていた。楽しそうに唇の端を持ち上げ、微かに動かしてみせる。

 

 やるじゃないか。

 

 ドラゴンの呻き声に掻き消されて、声は聞こえない。

 だが、あの唇に動きからして、ギギネリエスはそう言ったのだ。

 

「……そりゃどーも」

 

 鼻を鳴らしたローザは、うつ伏せのままで次の魔法弾を装填しようとして、「ゲホゲホッ!!」激しく咳き込んだ。血の咳だった。ついさっき高位魔法薬で魔力回復をしていた筈だが、今の1発だけで、回復した分の魔力など吹き飛んでしまったのかもしれない。

 

「上から目線でムカつくよね。アイツ」

 

 真っ青な顔に気丈な笑みを浮かべ、ごぼごぼと血で濁った声を洩らしたローザは、「ふー……っ」と震える息を吐き出しながら、次のマジックカウンター弾を装填した。

 

 その一連の動作には、まるで自分の魂そのものを切り崩し、魔導銃へと籠めるような覚悟が滲んでいた。気迫に満ちている。

 

 ローザは間違いなく、この場で冒険者としての命を燃やしていた。

 

 その傍に控えているアッシュは、まだ動かない。動けない。前に出るタイミングではない。自分自身の呼吸、身体の感覚を意識しつつ、状況を見極めることに集中する。

 

 身体の右半分を焼き尽くされたドラゴンが、火の海の中で体勢を立て直すついでに、召喚魔法陣から身体を引き抜いてしまおうとしている。

 

『「GUUUUUUUUOOOOOOO――ッッ!!」』

 

 双頭のドラゴンは首を擡げて、自分の身体を破壊した張本人であるカルビを探すように視線を動かしている。そしてすぐに見つけた。

 

 カルビは膝に片手をついて、地面から生える大戦斧に、もう片手で掴まるようにして立っていた。いや、立っているというよりも、崩れ落ちそうになるのを何とか堪えている。そんな感じだった。

 

 さっきの噴火攻撃によって、自身の持つ魔力の殆どを放出してしまったからに違いない。猛々しい竜人のように変形していた全身鎧も元の姿に戻っていて、カルビの顔が露わになっている。

 

『ハァーーッ……! ハァーー……ッ!』

 

 通信用の指輪から、カルビが獣のような荒い息をしているのが聞こえてくる。

 

『避けるんじゃねぇよ、クソッタレ……!!』

 

 汗だくになったカルビが肩を上下させるたびに、彼女が着込んだ全身鎧の隙間からは、煙とも水蒸気とも言えない白い靄のようなものが、バシューーッ! と噴き出していた。

 

 戦闘で酷使されたカルビの身体が壊れぬよう、あの鎧が意思を持ち、必死に排熱を行っているようでもある。

 

『「GuuuuuuurrrrrrrrRRRRRRRROOOOOOO――!!」』

 

 双頭のドラゴンが言葉を理解したわけではないだろうが、カルビを優先して攻撃する意思を見せた。喉の奥に燻ぶらせ続けていたブレスを、今度こそカルビに吐き出そうとしている。

 

 ドラゴンは力を籠めなおすように唸り、喉を光らせながら大きく息を吸い込んだ。

 

 アッシュはカルビを庇うべく飛び出すべきか、一瞬だけ迷った。

 だが、その必要はなかった。

 

『次は頼んだぜ』

 

 回避も移動も諦めたように動かないカルビは、大戦斧に両手で捕まったままで、鬱陶しそうに首を回した。

 

そして、汗にまみれた凄絶な美貌に、とびきり狂暴な笑みを刻んでみせる。

 

『やっちまえ。ネージュ』

 

『分かってるわよ』

 

 カルビが齎していた熱風が止み、今度は吹雪がきた。

 

いや正確には吹雪などではないが、ダルムボーグを吹き抜けてくる乾いた風の中に、雪の結晶にも似た、蒼い魔力の輝きが混じったのだ。それも、一気にだった。

 

 さっきの噴火攻撃の余波で盛大に撒き散らされた炎も、ダルムボーグに並んだ廃墟を焼き尽くすような勢いだった。だが、その火の勢いが、膨大な冷気を含んだ風に抱き込まれて、明らかに衰えていく。

 

 ネージュだ。

 

 彼女は手にした大槍を地面に突き立て、足元を中心に魔法陣を浮かび上がらせている。カルビが噴火攻撃を行った時から、彼女はドラゴンの左側に回り込んで、詠唱を続けていたのだ。

 

カルビと同じく、出し惜しみも加減もない、全力の攻撃を行う為に。

 

 ドラゴンの肩に乗るギギネリエスが、ネージュの方を一瞥した。そして僅かにだが、厄介そうに顔を歪めている。無理もなかった。

 

 蒼く冴えた魔力を溢れさせ、周囲のものを凍りつかせているネージュが、『ハァァァ……ッ!!』と、感覚を研ぎ澄ますように息を吐き出して、大槍を投げ放ったのだ。

 

 あの投擲攻撃がギギネリエスを狙ったものであったのなら、効果的だったとは言えないだろう。

 

ギギネリエスは魔術士でありながらも、近接戦闘能力も高い。回避されていたはずだ。

 

 だがネージュが狙ったのは、無防備なカルビを焼き尽すべく、ブレス攻撃を行おうとしている双頭のドラゴン。その胴体と首の付け根あたりを目掛けてだった。

 

 ドラゴンがどれだけ俊敏で動けて翼を持っていようとも、あの巨体だ。それに、召喚魔法陣から出てきている途中であれば、回避行動は制限される。

 

 躱せない。

回避できない。

 

 表情に僅かな焦りを浮かべたギギネリエスは、再び防御魔法円を展開していた。ネージュの投擲攻撃を阻むためだ。

 

だが、やはりそれをローザが完璧に阻む。

 

 再び、魔導銃でカウンターマジック弾を撃ち出したのだ。

 

 こういうときのローザは流石だった。ギギネリエスの行動を縛り上げるような、狙い澄ましたタイミングでの牽制弾だった。

 

 結果として、ネージュが投げ放った大槍は、双頭のドラゴンの喉元に吸い込まれるようにして突き刺さった。

 

特に音は無かった。その代わりに、大槍に籠められた爆発的なネージュの魔力がドラゴンに流れ込んでいく。蒼い魔力の脈動が、大槍から注ぎ込まれたのだ。

 

『「GOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHH――!!?」』

 

 あの大槍に籠められていたネージュの魔力の量は、いったいどれほどなのだろう。

 

 ブレス攻撃の寸前だったドラゴンの喉元を中心として、その生っ白い巨体がバキバキバキピキピキピキバシバシバシィ――……ッ!! と、もの凄い勢いで霜に覆われ、凍りついていく。

 

 まるで巨大な氷山に、大槍が突き刺さっているような風情だった。

 

『「GU、GO、OOOOOO、GOAAAHHHH――…………ッ!!」』

 

 双頭のドラゴンは呻きながらブルブルと震え、凍りついていく肉体を何とか動かそうとしているが、明らかにその動作は鈍っている。

 

 だが、まだだ。

 

 ネージュの凍結魔法によって瞬発力を奪われたドラゴンだが、まだ獰猛さを失っていない。

 

 凍り付いた体の彼方此方で、軋んで罅割れるような音を断続的に鳴らしながらも、魔力消耗によって身動きが取れなくなったカルビやネージュを押し潰すべく、這いずるように前に出てくる。

 

 『どんだけ頑丈なんだよ……』

 

 大戦斧を杖代わりにして立っているカルビが、通信指輪の向こうで悪態をつくのが聞こえた。

 

『えぇ。本当にしぶといわね……』

 

 片膝を着いたままのネージュの声も、いい加減、鬱陶しそうだった。

 

 だが、そんな2人とは対照的な、とにかく力強さと自尊心に溢れまくった高笑いが辺りに響き渡ったのは、そのときだった。

 

「ぬぉぉォォオオッホッホッホッホッホォォォ!!」

 

 嬉々としてドラゴンに肉薄していったのは、待っていましたと言わんばかりに大盾の鎖を握り締めたエミリアだ。

 

 彼女の漆黒の鎧が、鮮烈な紅の光を纏っている。彼女の魔力の色が象った、肉体強化の魔術が発動しているのだと分かった。

 

「カルビさんとネージュさんが作ってくれた、こぉぉの千載一遇のぉぉ、サッチャワンダフルな勝機はァァ!! スカイハァァァァァイに澄み渡る私の“淑女EYE”がぁぁ!! 決して見逃しませんことよぉおお!!」

 

 大声を張り上げるエミリアは、太い鎖を掴んで振り回し、その先に繋がれた大盾をグォングオングォォンン!! と旋回させている。

 

あの巨大なモーニングスター扱いの大盾は、だが、その巨体を半壊させつつあるドラゴンを相手にするには、恐らく最適解の打撃武器だった。

 

「行きますわよぉぉぉァアア!! “淑女道”秘奥義ィィ!!『 乙女の乱れ髪ィィ!! 百花繚乱』ンンンンンン……ッ!!」

 

 いちいち技名を叫ぶ必要があるのかどうかについては、アッシュは特に意見を持っていないし、発声によって瞬間的に力を発揮することができるのであれば、それは必要なプロセスなのだろうと思う。

 

 実際、エミリアが繰り出した攻撃は凄まじかった。

 というか、出鱈目だった。

 

 鎖によって繋がっている大盾に煌々とした紅の魔力を宿らせて、真っ赤な薔薇の花弁を盛大に舞い散らせながら、超豪速かつ超密度で振り回した。

 

 しかも、ただ振り回しているだけではない。

 

 大盾に繋がれて巻かれていた鎖が少しずつ解け、その長さが増していく。ビュンビュンと風を切って旋回する鉄塊と化した大盾は、そこに備え付けられた頑強そうなトゲに鈍い煌めきを宿しながら、その速度をまだまだ上げていく。

 

 肉体強化魔法のバフ効果によって、大柄なエミリアの身体は更に力強く滾り、限界を超えた運動能力とパワーを発揮していた。 

 

「ドゥゥゥゥォオオオッホッホッホッホッホッホ!!!」

 

 御嬢様笑いを弾けさせて、その技名通りに深紅の巻き髪を振り乱しているエミリアは、ぶん回しまくっている大盾の旋回範囲に――巨大な鉄塊が豪速で通過し続ける、超重量の打撃によって結界と化した鎖の範囲に――双頭のドラゴンを捉え、飲み込ませた。

 

 一瞬あとで、相当のドラゴンの巨体の彼方此方で――頭部や顎、首、首元、肩、胴、身体を支えている前肢、胸部などが――間断無く小さな爆発を起こしたように吹き飛び、砕かれ、抉られ、破壊されて飛び散っていく。

 

 「モォォォォオオオッホッホッホッホッホッホ!!!」

 

 十数メートルほどまでの長さに伸びた鎖、その先に繋がれた大盾が、強化されたエミリアの剛力によって上下左右へと凄まじい密度と速度で振り抜かれ、それら全てが、崩壊しつつあったドラゴンの巨体へと叩き込まれまくっているのだ。

 

 重い金属が腐肉を叩き潰す音が、細かい花火が連続で破裂するようにして連なり、繫がり、真っ赤な薔薇の花弁が舞い散る廃墟の群れに響いていく。

 

 『「GOOO、AAAA、AAA、OOOO――……!」』

 

 カルビとネージュからのダメージが抜けきっていないドラゴンは、エミリアが繰り出す超重量の連撃に飲み込まれ、その吼え声すら千切れて埋もれかけている。

 

そしてその巨体も、明らかに削られて砕かれ、崩れながら、その体勢を保てない程に傾きかけていた。

 

『「GURRRR、GA……、UU……U、GOOOO――……!」』

 

 遠雷のように太く響く呻きを洩らしながら、とうとう、双頭のドラゴンの、片側の頭が崩落した。首が折れ曲がって、盛大に頽れていく。残った頭も垂れ下がり、顎を地面に叩きつけるようにして落ちつつあった。

 

 いける。エミリアならこのまま、双頭のドラゴンの全身を破壊できる。

 アッシュはそう思い掛けた。だが、気付く。ギギネリエスだ。

 

 ヤツはドラゴンの肩口の上で、細かく身体の軸を移動させながら杖を振るい、豪速で迫り続けるエミリアの大盾を弾いて躱し、いなし続けていた。

 

やはりヤツは、攻撃魔法を使ってこない。鍛え抜かれた武術的な防御技法によって、エミリアの攻撃を捌いている。

 

 ヤツが無事である限り、その手駒であるネクロドラゴンは幾らでも復活しうる。

 

 ローザも、今のタイミングではマジックカウンターの魔法弾を撃てない。なぜなら、ギギネリエスは魔術を行使していないからだ。ローザは待つ。次にギギネリエスが何らかの魔術を編もうとするのを。

 

 その徹底したローザの牽制攻撃の姿勢を、素直に賞賛するような眼差しのギギネリエスは薄い笑みを浮かべている。

 

 頑張るじゃないか。

 

 ゆったりとした表情で、ヤツの唇がそう動くのが見えた。

 

「そろそろ限界だね……」

 

 大型魔導銃のスコープを覗いているローザが、吐血でくぐもった低い声を洩らすのが聞こえた。その通りだった。

 

「ぬぅォォォォオオオッホッホッホホブッ!!? ゲッホ!! ガハッ! ヴォエッ!!」

 

 長大に伸びた鎖を握り締めて大盾を振り回している途中で、エミリアが咳き込んだ。あれは、いつものように笑い過ぎたのではない。体力の限界なのだ。

 

 あのネクロドラゴンの巨体を、全壊寸前まで追い込むほどの超重量かつ超連続打撃が、エミリア自身の身体に負担を掛けないはずが無い。

 

「モホホホホへへゲヘっ……! ハァッ……! ぜぇ……! ハァ……!!」

 

 そこで、息を切らし始めたエミリアの動きが、明らかに鈍った。そう見えた時には、エミリアが纏っていた紅の光が消えた。乾いた風の中を舞い狂っていた薔薇の花弁も、溶けるように消えて無くなってく。

 

 あとに残されたのは、その場に倒れ込むようにして両手を地面についたエミリアと、ズガァンン!! と派手な音と共に地面に突き刺さる大盾、それに、今にも崩れそうになって動きを止めている、双頭のドラゴンの巨体だ。

 

 静けさが辺りを包んだ。廃墟を拭き渡ってきた乾いた風が、この場に居る全員を探るように撫でながら走り去っていく。薄い砂埃が、この戦場を白く煙らせる。

 

 まず最初に動いたのは、ギギネリエスだった。

 

髑髏の杖を振るいながら何かを唱えようとしたのだ。恐らく、崩壊しつつある双頭のドラゴンの身体を修復しようとしたのだろうが、それをローザは許さなかった。

 

 大型魔導銃を発砲し、ギギネリエスが編み上げようとする魔法を破壊し、妨害する。

 

「いいねぇ。そうだよ。それでいい」

 

 だが、奴は笑っている。それも、やけに楽しそうだ。

 

 一方で、大型の魔導銃を立て続けに発砲しているローザは、口の端から血の泡を吹いて、ガタガタと身体を軽く痙攣させ、ボタボタと鼻血を流していた。

 

 焦点の怪しい眼は充血しまくって真っ赤だし、血の涙を流している。意識も朦朧としている様子で、大型魔導銃の狙いを定めようとしているのか、しがみついているのか分からない状態だった。

 

 消耗した魔力が余りに甚大で、今のローザは意識を保つこともギリギリだろう。そして、ギリギリなのはローザだけではない。

 

 アッシュ達から少し離れた所にいるカルビも、まだ大戦斧にもたれかかるようにして、何とか立っている。ネージュだって瓦礫の上に膝を突き、立ち上がれないでいる。

 

 とにかく肉体を酷使しまくったエミリアに至っては、咳き込むように荒い息をつきながら、地面に蹲っているような様子だった。

 

 3人とも、魔力と体力を使い果たして動けない状態だ。

 

 アッシュは、彼女達の戦う姿を全て見ていた。

 この場に居る全員が死力を尽くした景色は、もう目に焼き付けている。

 

 ――次は僕の番だ。

 

 アッシュは深呼吸をしながら、ゆっくりと瞬きをする。重心を落として、足の裏に力を籠める。さきほどのローザの指示を思い出す。

 

 カルビとネージュ、エミリアが、あのドラゴンの動きを止める。そのドラゴンの上に陣取るギギネリエスを、ローザが魔導銃で牽制する。それら全てが上手くいった。

 

 彼女達は文字通りの死力を尽くして、其々の役割を完璧にこなした。

 

 次は、アッシュが己の役割を果たす番だった。

 

 悪夢の景色が脳裏にフラッシュバックする。

 

その悪夢の中に突入していく思いで、アッシュは踏み出す。生々しい過去の記憶が、次から次へと溢れてくる。それら1つ1つを具に見つめ直しながら、身体を前に倒し、駆ける速度を上げていく。

 

 脚を動かしながら、今のダルムボーグの静けさに気付く。あの巨大な双頭のドラゴンが暴れまわっているときは意識できなかったが、あたりで響いていた戦闘の音が止んでいるのだ。

 

 それはつまり、『鋼血の戦乙女』や『ゴブリンナイツ』のメンバー達が戦闘を中断し、撤退を選択したということだろう。

 

 アッシュは顔を上げる。ギギネリエスの持つ髑髏の杖が、カタカタと不気味に顎を揺らして詠唱を続けている。あの杖が召喚魔法を維持している可能性は高い。

 

 双頭のドラゴンは沈黙している。あとは、あの杖を――あの髑髏で編まれた、おぞましい杖に魔力を注ぎつけている、ギギネリエスを黙らせるだけだ。

 

「最後まで楽しませてくれるねぇ。……思わずファンになっちまいそうだよ?」

 

 動かなくなったドラゴンの肩の上から、未だにアッシュを見下ろしてくるギギネリエスは、やけに静かな表情を浮かべている。

 

 まるで、何処か違う景色に想いを馳せているような、自分の内面を見つめ直すような、動きのない顔つきだ。今までの冷笑も不真面目な態度も消え失せている。

 

 落ちついた、その直向《ひたむ》きさを滲ませた眼差しは、明らかにこの場の勝敗に向けられていない。

 

 ギギネリエスは今のアッシュの行動や決断を通して、何らかの意味や意義を、自分自身に投射しようとしているのかもしれない。

 

「さぁ、おいでよ。“アッシュ”。俺を殺せるかどうか、試してみるといい」

 

 ヤツの唇が、そう動く。言われるまでもないと思った。

 

 

 








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