「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」 作:なごりyuki
魔力を消費し過ぎた。
目の前に地面がある。濃い鉄の匂い。
喉の奥で血の味。ボタボタと鼻血が落ちている。
口の中がジャリジャリする。
砂埃で激しく噎せる。
それだけで意識が千切れ飛びそうになる。
息が苦しい。耳鳴りと眩暈がする。全身が濡れるように汗を掻いているのに、なんだか寒い。それに眠い。目の前が暗くなってくる。
うつ伏せに大型魔導銃を構えている姿勢のまま動けず、ローザは血の混じった咳をしながら、震える手で回復魔法薬を使う。
そうして何とか顔を上げた。
目の前にあるのは、現実感がなくなるような凄絶な光景だ。
さっきまで街道でハチャメチャに暴れまくっていた双頭のドラゴンの御蔭で、周囲の廃墟は崩れまくってるし、地面はバキバキに砕けた上に瓦礫が散乱しまくっている。
そのうえ、カルビとネージュが放った魔力の残滓が、エミリアがぶん回した大盾の旋風によって掻き混ぜられて、そこら中に火の手が上がっている。或いは、冷気の余韻が白い渦を巻いていた。
そんな荒廃した景色の中で、おぞましい姿のネクロドラゴンが首を落として伏せるように沈黙しているさまは、もう世界の終わりといった風情だった。
だが、その真っただ中へと疾駆していく彼の後姿を、ローザは霞む視界のなかで見つけていた。
アッシュ。
彼は、灰色のローブを乱暴な手つきで脱ぎ捨てていた。
両手に短剣を握り締めて、音も躊躇もなく駆けていく。瓦礫だらけで足場も最悪のはずだが、彼の奔る速度はまだ上がる。
カルビの炎とネージュの氷が融け合って発生した水蒸気の壁を突き破り、ギギネリエスが乗った、あの双頭のドラゴンに猛接近していく。
初めて出会った日――。あのトロールシャーマンを相手にしていた時と同じように、ローザは彼の姿を見つめていた。
「アッシュ君……」
舌が上手く動かないまま、口の中で彼の名前を呼んだ。
聞こえる訳がないが、呼ばずにはいられなかった。
ローザは、アッシュの過去を殆ど知らない。
アッシュにとって、あのギギネリエスとの邂逅がどのような意味を持つのか、どのような苦しみを想起させたのかも分からないし、その重大さも想像できない。
だが今のアッシュが、ローザ達の同行依頼を受けた冒険者として、この場での最善の尽くそうとしているのだけは間違いなかった。
アッシュの身体能力であれば、この場から一人で逃げることも可能なはずだった。だが彼は逃げも隠れもせず、己の意思で、この景色の中で命を懸けている。
同行を依頼したローザ達と共に、最後まで戦うことを選択してくれた。
それはやはり、あのトロールのシャーマンと戦ったときと同じだった。
アッシュ君……。
ローザがもう一度、声にならない叫びを喉の奥に飲み込んだ時だった。
双頭のドラゴンが僅かに動いた。
だが、起き上がったのではない。
地面に伏せるような態勢のドラゴンの身体の、その表面だ。
折り重なって噛み合わせられるように集合しているネクロゴーレム達が一斉に、ウゾウゾウゾ、モゾモゾモゾ、ゴソゴソゴソゴソっと波打つように蠢いているのだ。
凄まじく気持ち悪い光景だったし、普段の調子のローザが目の当たりにしていたら悲鳴を上げていたかもしれない。
動かなくなったドラゴンの肩口に居座っているギギネリエスが、表情の無い顔でまた別の呪文らしきものを唱えている。魔法。死霊魔術か。
あのグロテスクな現象は何らかの準備か予兆であると見て間違いない。
同時にローザは、やっぱり……、と思った。
やはりギギネリエスは、普通の攻撃魔法を扱えないのだ。
シャマニを戦闘不能にした近接魔法攻撃は使えるのに、迫ってくるアッシュに向けて遠距離攻撃魔法を射かけないところを見るに、もう間違いない。
だが、そんな確信を有効に扱う力は、もうローザには残っていなかった。
魔力切れの身体を地面にうつ伏せにして、ただ意味も無く魔導銃を構え続けているぐらいしかできない。
ギギネリエスが本当に攻撃魔法を使えなかったとしても、カルビも、ネージュも、エミリアも、今はまともに動けない。
ローザは震える拳を握り締め、息を詰め、瞬きも忘れて、駆けていくアッシュを見守った。
瓦礫の上で膝をついたままのネージュも奥歯を噛み、頬を強張らせ、アッシュの姿を見つめている。
何かを叫ぼうとしていたカルビが、大戦斧につかまっていた身体のバランスを崩して倒れた。
激しく咳き込んでいるエミリアも、蹲った姿勢から何とか顔を上げて、祈るようにアッシュの姿を目で追っている。
アッシュと出会った日と同じように、ローザ達はただ見ているしかなかった。
だから気付いた。
身体を傾けて、左前肢を地面についた双頭のドラゴン。その身体の表面が粟立つようにして、ズズズズズゾゾゾゾゾゾゾゾザザザザザザーー……ッ!!!と隆起していった。
爆発的に何かが生えてきたようにも見えたが、違う。
あのドラゴンの身体を象って構築していた無数のネクロゴーレム達が、ギギネリエスの壁となるべく、その表面に起き上がったのだ。
最悪な光景だった。
あのゾンビともスケルトンとも言えない死体も、ドラゴンの身体の上に発生しまくっている。ネクロゴーレムも含め、奴らは各々の手に剣や、槍、手斧など、様々な武器を持ち、迫ってくるアッシュを迎え討とうとしている。
まさに、死者の山であり、壁であり、列であり――。
無数の刃と害意によって塗り固められた、死の群れだった。
だが、アッシュは無表情のままで全く怯まない。
あっという間に、ドラゴンが地面についていた左手へと飛び乗った。
そしてそのまま、聳えるようなドラゴンの巨体を、物凄い勢いで駆け上がっていく。
疾駆していった速度を微塵も殺さず、ドラゴンの身体の表面に生えまくって、軍隊のように並び居る死体の大群へと、アッシュは飛び込んだ。
その姿を、大型魔導銃をうつ伏せに構えていたローザは、ただ見ていた。カルビも、ネージュも。エミリアも。見ていることしかできない。
ドラゴンの身体を駆け上っていくアッシュは、目の前に立ちはだかる死体達の群れの隙間を縫うようにすり抜けたり、或いは飛び越えたり、死体達の頭や肩の上を足場にして走って、また跳躍し、ぐんぐんとギギネリエスを目指す。
物凄い身のこなしだ。
彼以外の誰に、あんな芸当が出来るだろう。
ただ、あのドラゴンの身体の上では、移動範囲に限界がある。
いかに身体能力の高いアッシュとはいえ、ひしめくように群れを成す死体達の攻撃全てを、無傷で回避することはできなかった
あのドラゴンの巨体を形作っていただけあって、死体の数と言うか、量も半端じゃない。奴らが持っている武器を適当に突き出すだけで、それは刃の壁になるのだ。
ギギネリエスを目指してネクロドラゴンの身体を駆け上がるアッシュは、瞬く間に傷だらけになっていった。
彼が着こんでいるボディスーツの上半身、その左側が破れた。鮮血が舞った。削られた肉が飛んだ。
切り傷と刺し傷だらけになったアッシュは血塗れだ。もはや身体のどこを、どれだけ怪我しているのかも分からない。
それでもアッシュは止まらない。
遊撃としての最後お役目を帯びたアッシュは、馬鹿みたいに血塗れになっても、ひたすらにギギネリエスを目指す。沈黙しているドラゴンの身体を駆け登っていく。
そのアッシュの姿を見守っていたローザの喉から、呻きのようなものが漏れた。
あぁ……。
ローザは鳥肌が立って、目が潤んできた。
うつ伏せになったままで、ぶるぶるっと体が震える。
ボディスーツが破れた個所から見える、アッシュの肌。そこに刻まれている複雑で禍々しい紋様が、アッシュの血を吸って、ドス赤い光を放ち始めていた。
あの色は。ギギネリエスが扱う魔術と同じ色をしている。
空を切り取り、ダルムボーグを包囲するように展開されている召喚魔法陣と、同じ色だ。禍々しくも濁った暗紅の、魔力の光だった。
アッシュの身体から放たれる赤黒い魔力光は、すぐにアッシュの身体の左半分を覆った。そして片翼のように拡がり、羽ばたきの代わりに、光の粒子を塗した彼の大出血を後方に撒き散らしている。
余りにも凄烈なそのアッシュの姿は、自分の命を、ここで使い切ろうとしているようにしか見えなかった。
気付けば、ローザの目の端からは涙が零れていた。
意味不明な涙だった。だが、意味など要らなかった。
アッシュ君……!!
嗚咽にも似た掠れた息と共に、彼の名を呼んだ。
だが、聞こえるわけが無い。
あれだけ無数の傷を背負い、痛みを背負い、悲劇を背負い、それでも声も出さずに、ただ歯を食いしばって戦い抜こうとしている彼の背中に、こんなか細い声が届くはずが無かった。
涙で歪んだ視界の中で、傷だらけになったアッシュは止まらない。
自分の存在を証明するように。
もうギギネリエスの目の前に迫ろうとしている。
そのアッシュの纏う赤黒い魔力の光を眺めながら、ヤツは嬉しそうな、納得したような静かな笑みを浮かべていた。
「……やっぱりお前は、人間の社会なんてものには属さない方が良い」
アッシュの理解者然とした口振りのギギネリエスは、すぐに何かを唱えようとしていた。
シャマニを戦闘不能した、あの近接戦闘用の魔法でアッシュを迎え撃つつもりか。或いは、カルビの炎熱魔法すら簡単に跳ねのける、あの強力な魔法防御円でアッシュを吹き飛ばそうとしているのかもしれない。
させない。
そんなことは。
瞬間的に、ローザは死ぬ覚悟を完了させた。
奇妙なぐらい、何も怖くなくなった。一気に身体が軽くなるのを感じた。痛みも苦しみも遠くなって、凄まじい集中力が湧いてくる。
自分は、ここで死ぬ。アッシュを守るために。魔導銃を撃って死ぬのだ。そう確信した。それでいいと思った。何かが、相応しい方向へ動いている気分だった。
私が、アッシュ君を守るんだ。
ローザお姉ちゃんの底力、見せてやるんだから。
ローザもまたアッシュを見習い、自らの命を燃やし尽くすつもりで魔導銃を構えて、最後のカウンターマジック弾を撃ち出そうとした。
だが次の瞬間、その必要がなくなった。
信じられなかった。
拍手しそうになった。
アッシュだ。双頭のドラゴンの身体を駆け上がり、死体の群れの中を走り抜けているアッシュの姿が、消えた。そしてすぐに現れた。ギギネリエスの、すぐ横合いに。
神速でギギネリエスに迫ろうとしていたアッシュだが、あれでもまだ本気ではなかった。ああやって傷だらけになったのも、演技だったのかもしれない。
そして最後の、あの踏み込みの際に、爆発的に速度を上げたのだ。
これによって目測を見誤り、意表を突かれたギギネリエスは、攻撃魔法も防御魔法が間に合わなかった。アッシュの踏み込みには反応こそ出来ていたものの、アッシュの斬撃を捌ききることはできなかった。
まずアッシュが狙ったのは、ギギネリエス本人ではなかった。
カタカタと顎を揺らし、召喚魔法を維持して詠唱を重ね続けている、ギギネリエスが手にしている髑髏の杖だ。
アッシュはギギネリエスと接触した一瞬で、あの杖を完璧に破壊した。
髑髏の杖の、詠唱を続けている頭蓋骨を4つ切り裂いて、胴体の部分を8つぐらいに斬り分けた。
直後には、ダルムボーグを包囲するようにして展開されていた、複数の巨大召喚魔法陣が歪み、輪郭を失うようにして解けて、霧散しはじめた。
ギギネリエスの召喚魔法が阻止されつつあるのだと分かる。
「……流石は、俺の息子だねぇ」
だが、ギギネリエスは全く焦っていなかった。
諦観と喜びを含んだ、やけに余裕のある笑みを浮かべていた。負け惜しみではない。冷静な観察を楽しみ、得られた結果に満足する笑みだった。
崩れて解けかかった召喚魔法陣を、ギギネリエスは再び編みなおそうとしたようだが、それをアッシュは許さなかった。
“人間の形”をしている相手を短剣の間合いに捉えたとき、アッシュは攻撃力を最も発揮する。
接近戦においてシャマニとネージュをも軽くあしらったギギネリエスを、アッシュは破壊しにかかった。
姿勢を落としたアッシュが、音もなくギギネリエスに詰め寄る。
瞬間的な一騎打ち。
杖を失ったヤツは、掌に魔法円を発生させ、それをアッシュに叩きつけようとしていた。
シャマニを一撃で戦闘不能した魔法攻撃だ。
ただ、いくら近接戦闘を得意としているらしいギギネリエスであっても、今回は相手が悪かったというべきか。応戦しようとしたヤツの攻撃は、だが、アッシュには掠りもしなかった。
体勢を極端に落としたアッシュは、音も無くギギネリエスの足元に滑り込み、まず手始めに、ギギネリエスの左膝に白い短剣を埋め込んだ。
そして即座に引き抜き、背後に回り込みながらヤツの右膝の裏を黒い短剣で斬り裂きつつ、白い短剣で左肘を刺し貫いて、黒い短剣で右肘を突き砕く。
ついでのように、背後からヤツの両太腿、腰、両脇腹に短剣を突き立てて引き抜き、最後に両肩を、背後から抉るように突き刺す。
それら全ては文字通りの、目にも止まらぬ早業だった。
肉体の要所を複数、しかも瞬時に破壊されたギギネリエスは、ガクンと体勢を崩した。
それでも何かを唱えようとしながらアッシュに向き直ろうとしている。とんでもない集中力だが、その詠唱は完成しなかった。
すっと前にでたアッシュは左踵をぶち込むようにして、ギギネリエスの顎を蹴り上げたのだ。
「がぁ……ッ!?」
ギギネリエスの頭が、顎を上にして跳ね上がる。
同時に、その身体も無防備に伸びあがった。
振り上げた足を引いたアッシュは、トドメとばかりに、ギギネリエスの右肩から左の脇腹にかけて、そして、左肩から右腰までの斜め十字を描くように、深く、深く、斬った。
無音だった。やけに静かだった。
すっとぼけたような青空が、この決着を見下ろしている。
「……いやぁ、やられちまったよ」
長閑に言うギギネリエスは崩れ落ちながら、ゴボゴボッと血の塊を吐き出した。死ぬ。ローザはそう思った。あの傷の深さでは、複数の神官によって編まれる、高位治癒術か何かを受けなければ助からないだろう。
ギギネリエスの魔力供給も、そこで完全に止まったようだ。
双頭のドラゴンの巨体が崩壊を始める。
ネージュに凍り付けにされた首が折れて、地面に落ちて砕けた。カルビに焼き潰された胴体の断面からは、あの巨体を象っていた死体達がザザザザザっと零れだしている。エミリアがぶっ叩きまくった箇所からも、ドロドロと紫色の粘液が溢れてきていた。
ドラゴンの表面に生えまくっていたネクロゴーレム達も動きを止めて、ボロボロと剥がれ、地面に落ちていく。
崩壊するドラゴンの肩から、力を失って傾いたギギネリエスの身体も、呆気なく落下していく。それを追って、アッシュも駆け出すのが見えた。
ここに来て、アッシュはまだ何かをする気なのか。
心臓が跳ねる思いだったローザは、目を見開いた。
頭を下にしてドラゴンの身体を駆け降りるアッシュは、落下していくギギネリエスに空中で追いつく。手にしていた短剣を杖へと変形させながら、ギギネリエスの身体を片腕で抱き留めた。
その一連の動作の最中に、アッシュが何かを詠唱しているのは分かっていた。それが治癒魔法の類であることは理解できたが、詳しくは分からない。
かなりの高さからだったが、空中でくるくるっと身体を丸めて地面に音もなく着地したアッシュは、すぐにギギネリエスを地面に寝かせた。同時に、手にしていた杖を空中に浮かべてみせる。
いったい何をするつもりなのか。
怪訝というか、むしろ不安そうな表情をしたネージュとカルビが、少し離れた位置からではあるが、膝をついたままでアッシュに声を掛けようとする気配があった。よろよろと立ち上がったエミリアも、不安そうに眉を下げている。
うつ伏せの身体を起こしたローザも膝立ちになって、アッシュの名を呼んだ。
ただ、アッシュは周囲の様子には気付いたふうではなく、真剣な表情で何かを唱えていた。周りに注意を配る余裕もないほど集中しているのだ。
アッシュの朗々とした声が響く中で、崩壊していくドラゴンの身体が、細かな灰のようになってあたりに散り始めている。
廃墟の中を吹き渡り、細かな砂埃を巻き上げる乾燥した風の中に、薄く細かい灰色の粒子が塗されていく。
煙にも似たその光の粒は、荒廃した周囲の景色に馴染みながら、すぐに掠れて消えてしまう。降り積もることもなく、何処かに運ばれていくこともない。
ただただ、儚く消滅している。
ネクロマンサーの呪縛から解き放たれた冒険者達の魂が、この世界ではないどこかに溶けていくかのようだ。
灰色に塗りつぶされた廃都の景色は、寒々しいほどに幻想的だった。その現実味の無さこそが、ある種の救済の正体なのかもしれなかった。
その灰色の世界の中で、アッシュの詠唱が完成しつつある。
アッシュは自分の左胸に右掌を当て、左の掌をギギネリエスに向けていた。
宙に浮いた杖を中心に、積層型の魔法陣が展開される。同時に、アッシュの左胸からは、大出血のように溢れる赤黒い魔力光。それが杖を中心にした積層型の魔法円を介して、ギギネリエスへと流れこんでいく。
見たことのない魔法だったが、ローザは、まさかと思った。
アッシュは、本気でギギネリエスを助けようとしているのか。だが、今のギギネリエスの肉体を癒すのは難しいはずだ。
あれだけ深い傷を治療すれば、治癒魔法によって生命量が多大に削られ、それこそがギギネリエスに対するトドメになりかねないはずだ。
そんなことは治癒術士であるアッシュなら理解しているだろうし、そもそもギギネリエスを斬ったのはアッシュ自身だ。自らが相手に与えた傷の深さを、アッシュが見誤っているとも思えない。
もしかしたらと、思う。
今のアッシュが展開している治癒術は、ギギネリエスの生命力を削ることなく、治癒することが可能なのか。
「へぇ……、独自の、治癒術……いや、違うな……。そうか、こいつは……、生命付与術、かい……? しかも、既存の……、術式じゃあ、なさそう、だねぇ……。くく……凄い……じゃない、か……」
地面に寝かされたギギネリエスが、苦しげな笑みと共に顔を上げ、細切れになった声で言う。
「おれ、を……、殺すん、じゃ、なったのかい……?」
そう訊かれたアッシュは詠唱を中断して、青みがかった冷たい灰色の目を、ゆっくりとギギネリエスに向けた。
「貴方が死なない程度の、ギリギリまでしか治癒は行いません。……貴方が生きていた方が、貰える賞金も上がります。それに、ギルドからの評価も高いですから」
アッシュは冷厳とした口調で、ギギネリエスを黙らせるように言う。
「……僕は、同行依頼を受けている身です。依頼してくれたパーティにとっての最善を尽くすのが、冒険者としての……、今の僕の“役割”です」
「くく……そうかい……」
「えぇ。ただ、貴方が抵抗する素振りや気配を見せるのなら、その時は……」
無機質で冷たい目になったアッシュは、その声音からも温度を消した。さっきの巨大ドラゴンの咆哮を凌ぐほどに、聞く者に命の危険を感じさせる声だった。
「し、ないよ……。無理、さ……、抵抗なんて、ねぇ……。このザマ、なんだから」
ただ、そんなアッシュの恐ろしさを見ても、ギギネリエスは笑おうとして失敗し、血を吐きながら可笑しそうに身体を震わせるだけだった。
「で……も、……えらい、ねぇ……、ちゃんと、冒険者をして、るじゃないか……」
仰向けに寝ているギギネリエスは、僅かに首を上げて自分の身体を見てから、崩れていくドラゴンを一瞥した。そのあとで、召喚魔法まで阻止されたことを確認するように空に視線を投げて、また肩を揺らしてみせる。
「だが、独自の、魔、術……開発は、重罪……だ……。特に、こういう……、治癒系統は……。魔術士……、医術士、それに、……錬金術士どもの、利益が……、いろいろと絡みまくるからねぇ……、俺なんか、よりも、……罪が、重いよ。まぁ、……バレなきゃ、問題、無いん、だが……」
口の端からゴボゴボと血を吐きながらでも、ギギネリエスどこか陽気で、アッシュを気遣うふうだった。
それに、自らの敗北を悔しがるでもなく、自身が帯びていた任務の失敗に対しても、まるで何も感じていないようでもある。ただただ、今という瞬間を味わっている様子だ。
「もしも罪に問われたならば……それを背負うことが、また僕の役割になるだけです」
ギギネリエスを見下ろしていたアッシュはそう答えてから、詠唱に戻った。
もうこれ以上は、話すことなど無いというふうに。
「くく、く……。そう、やって、身の回りに……、理屈を、置いて……、理屈を揃えることで……社会の中に、自分の位置を、……見つけようとする、のは、間違い、……じゃあないとは、思うけどねぇ……。あんまり、おすすめは、しないよ……」
アッシュは、もうギギネリエスには反応を返さなかった。
無視されたギギネリエスは、「ク、ク、……はは、は……」と、どこか晴れ晴れとした、挑戦的で、凄みのある、嘲笑にも似た笑い声を上げた。
その乾いた声は青空に吸い込まれるようで、やけに濁りがない。この男の声は耳障りなのに、今は妙に惹きつけられるのは何故だろう。
忌々しい気持ちを飲み下しながら、ローザは身体を持ち上げて、何とか立ち上がる。魔法薬の回復効果が、ようやく実感できるようになった。
血の咳をしながら、ローザは手に膝をつきながら呼吸を整え、少し時間をかけて立ち上がる。取りあえずといった感じで魔導拳銃を手に握って、倒れているギギネリエスを見下ろす。
両膝、両腿、両腕、両肘、両肩、それに杖までを破壊されている今のギギネリエスからは、もう戦意が全く感じられない。とはいえ、油断は禁物だ。
ギギネリエスが暴れだしても即座に制圧できるよう、魔導拳銃の安全装置を外し、引き金に指をかけておく。
仰向けに倒れているギギネリエスの身体からは、もう出血が止まっている様子だった。ヤツの血は赤黒く、少し紫色が混じっている。
やはりというか、ギギネリエスも普通の人間ではないのだろう。
100年単位の長い間、ずっと見た目も変わらないのだ。何らかの方法で自分の肉体を弄って、老化を停止させているのか。
瀕死であろうが何であろうが、この男を相手に油断するわけにはいかない。
ローザは鼻血を拭い、血の混じった唾を吐いてから、倒れているギギネリエスに近づく。そして、“余計な真似はせずに大人しくしていろ”というメッセージを籠めて、アッシュからの治癒術を受けるギギネリエスに銃口を向ける。
仰向けのギギネリエスは、ようやく立ち上がって来たローザを迎えるようにチラリと見てから、可笑しそうに肩を揺らしただけだった。
ムカつくヤツだ。
だが、イチイチ反応して見せると相手を喜ばせるだけだと思い、無視する。
妙な素振りを見せれば、というか、アッシュの治療が終わり次第、即刻発砲してやろう。石化弾で石にして、そのままでギルドまで運んで行ってから解除してやるのが一番安全かもしれない。
どのみち、コイツが使っていた違法なアイテムボックスの回収や、持ち運びされていた冒険者の死体を弔うのはギルド側の仕事になるだろうし。
実質的に、ローザ達の仕事はここまでだ。もう難しいことを考える必要などないし、余計なこともすべきではない。
これにて落着だ。
もう疲れたから、そういうことにしておこう。
とにかくローザは今、アッシュの傷を丁寧に手当てをしたかった。それに、あとでカルビの治癒魔法でも診て貰って、その身体を休ませて欲しかった。
もちろん、その為にはカルビにも魔力を回復して貰わないといけないし、それはネージュも、エミリアだって同じだ。魔力を使い切って干物になる一歩手前のローザも、文字通り、死ぬほどヘトヘトだ。
冗談抜きで、今日1日だけで随分と命を削った気がする。
でもこうして、全員が生きている。
そのことが嬉しかった。
最後まで戦ってくれたアッシュにも礼を述べたかった。
アッシュの声を聞きたかった。聞かせて欲しかった。
それは多分、よろよろと立ち上がり、こちらに向かってこようとしているカルビやネージュ、エミリアだって同じだろう。うっすらと涙ぐむような目をした彼女達の表情は、もう綻んでいる。
「……アッシュ君」
緩く息を吐きだしたローザが、アッシュの名前を呼んだ時だった。
横向きに、アッシュが倒れた。
その不吉な印象に心臓を鷲掴みにされたローザは、やけにゆっくりと倒れていくアッシュの身体を、咄嗟に支えてあげることもできなかった。
その不甲斐なさを嗤ったのだろうか。
仰向けのままのギギネリエスが血の咳と共に、溜息のような笑い声を出した。
今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!