「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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第56話 多分、これは恋心じゃないけど〈ローザ視点〉

 

 

 

 

 

 

 

 その日のローザは果物を詰め込んだ籠を手に、一人で神殿を訪れていた。

 

 4日前に意識を取り戻し、今は『慈悲の院』で療養しているアッシュを見舞うためだ。それに、ダルムボーグでの件についての伝えておくべきこともあった。

 

『慈悲の院』は、神官達の高位治癒魔法を受けることができるだけでなく、その後の療養もさせてもらえる、言わば大型の魔法病院みたいなものだ。

 

 ちなみにカルビとネージュ、エミリアの3人は、等級に関することでギルドからの呼び出しを受けて、そちらに顔を出してから『慈悲の院』に向かうことになっていた。

 

 アッシュとの面会が可能になったタイミングだったこともあり、書類による呼び出しを郵送で受け取った彼女達は不機嫌極まり無かった。

 

「ふざけんじゃねぇぞ」「余りにも間が悪いわ」と、カルビとネージュはキレ散らかしていたし、「一刻も早くアッシュさんにお会いしたいというのにィィィ……!」と顔を歪ませまくったエミリアも半泣きで呻いていた。

 

 3人とも、今日ぐらいはギルドからの呼び出しなどは無視して、とにかくアッシュに会いに行こうと珍しく意気投合さえしていた。

 

 だが、ギルドからの呼び出しをすっぽかして会いに来たとなれば、アッシュに余計な気を遣わせてしまうことも想像に難くなかった。

 

 熱くなりまくっていた3人も、それは本意ではなかったようだ。

 

「アッシュ君に心配かけないためにも、先にギルドで話だけ聞いてきなよ」とローザにも宥められ、あの3人は泣く泣く、ギルドで話を聞きに行くことを決心してくれた。

 

「まぁ、皆でお見舞いに来れたら、それが一番良かったんだけど」

 

 こうして一人でいると、つい色々なことを考えてしまう。

 

『慈悲の院』に向かう神殿の順路を歩いている途中で、ローザは何となく空を見上げてみた。

 

 晴れた青色が広がり、薄い雲が千切れながら幾つも浮かんでいる。無意識のうちに溜息を漏らしていた。

 

 ギギネリエスと戦った日の空も、嫌味なほどの青さだったのを思い出す。

 

 廃都ダルムボーグの、埃っぽい匂いが頭の中に蘇ってくる。

 鼓動が早まった。

 

 

 あの日――。

 

 

 ギギネリエスの戦闘を終えてアッシュが倒れたとき、ローザは大いに狼狽えた。

 

 すぐに回復魔法薬を取り出してアッシュに使用したものの、傷だらけで血塗れになっていたアッシュを助けることは、もう難しいかもしれないと思った。

 

 アッシュの呼吸は、もうほとんど消えていた。エリクシルも残っておらず、他の魔法薬の類での治癒は間に合いそうになかった。

 

 だが、手持ちの魔法薬による応急処置が、ローザ達に出来ることの全てだった。

 

 あの時のローザは、「アッシュ君! アッシュ君!!」なんて震える声で叫んで、ほとんど泣きそうになっていた。

 

 倒れたアッシュの傍に駆け寄ったカルビやネージュ、エミリアも同じような様子だった。皆、ほとんど立っているのがやっとの状態で、見るからに焦燥していた。

 

 ギギネリエス戦で自身の魔力を使い果たし、治癒魔法を編めなくなったカルビは自分を責めるように、何度も「クソがっ……!」と洩らしていた。

 

 このときのカルビは、アッシュのための高位魔法薬と一緒に、自らの魔力を回復させるための魔法薬も同時に使用していた。自身の魔力を回復させて、即座に治癒魔法を編むつもりだったに違いなかった。

 

 だが、瀕死のアッシュを十分に回復させるには、カルビの魔力回復も間に合いそうになかった。

 

 そもそもの話ではあるが、カルビの治癒魔法によってアッシュの傷を癒やすことができたとしても、互いの生命力消費も尋常では無かったはずだ。

 

「血を……!」

 

 張り詰めた顔になったネージュの方には、まだ少しだけ魔力が残っていた。

 

「まずは血を止めないと……!」

 

 アッシュの傍にしゃがみこんだネージュはすぐに詠唱に入り、水魔法によってアッシュの傷口を清めて清潔に保ち、その傷口を極めて薄い魔氷で覆うことで止血処置を行ってくれた。

 

 応急手当に仕えそうな魔法を何も使えないローザとエミリアは、飲料用の水で布を湿らせ、アッシュの全身を濡らすような血を拭った。それが出来ることの精一杯だった。

 

 無力感に叩き潰されそうになるのを、ローザは必死で堪えた。滅茶苦茶キツかった。

 

 ブチブチと鈍い音がして、隣を見れば、表情と目つきを強張らせたエミリアが、震える手でアッシュの身体を拭いながら自分の唇の端を噛み千切っていた。彼女は懸命に自分を保っていた。

 

 そんなローザ達の必死な姿を、仰向けに倒れたギギネリエスが視線だけで眺めていることには気付いていた。喉を鳴らすようにして笑っていることも。

 

 だが、無視した。

 どうでも良かった。

 

 あんな外道に激昂するよりも、アッシュを助けることに全力を尽くす方が、圧倒的に優先すべきことだった。

 

 皆、アッシュを助けるために懸命だったが、暗い絶望の空気が立ち上がってきているのも確かだった。

 

 暢気に吹き抜けてくる廃都の風は、地面に広がっていくアッシュの血溜まりを濁らせるように、無遠慮に砂埃を塗していた。

 

 ローザ達を包んでいた景色は――この世界は、瀕死のアッシュに対しても完全に無関心なだけではなく、そのまま置き去りにしようとしているように思えた。

 

 それが、ひどく悔しかった。

 叫びたかった。

 

「すまない! 援護に来るのが遅れた!」

 

 あの時、あの場所に、仲間を引き連れたヴァーミルが戻ってきてくれていなければ、アッシュは助かっていなかっただろう。

 

 ヴァーミルと共に駆け付けてくれた、クラン『鋼血の戦乙女』のメンバー達の中に、特殊な治癒魔術を扱える者が同行していたのだ。

 

 彼女はすぐにアッシュの傍にしゃがみこみ、ドーム状の術陣を編み上げた。

 

「あぁ、これはいけませんねぇ……」

 

 彼女の黒髪は長く艶やかで、切り揃えられた前髪に青色のメッシュが入っているのが特徴的だった。

 

 彼女は他のクランメンバー達と、少し雰囲気の違う恰好をしていた。

 

 大陸極東を由来にする衣装だろうか。露出度の高い呪術士風の装束の上から、身体の要所を守る近代的な防具。さらに、呪術的な触媒か、或いは装備と思われるアクセサリーを幾つも身につけていた。

 

 彼女が扱おうとしている治癒魔法も、極東から派生したという魔法の一種、“霊術”と呼ばれるものだったのだろう。

 

 倒れたアッシュの身体に掌を翳して、その傷を診ていたらしい彼女は、呆れたように溢していた。

 

「全身の傷も、出血も深刻……、内臓も筋肉もボロボロです。どんな無茶な戦い方をしたんですかぁ?」

 

 暢気そうで少し間延びした、しかし、妖艶な声をだした。

 

 この場にそぐわない、緊張感に乏しい声音だったが、そのことを指摘して咎める必要はなかった。それなりに冒険者をやってきたローザは彼女の名前を知っていたからだ。

 

 チトセ=アオギリ。

 

 王都の高位医術魔導師であったが、それをいかなる理由か辞して、魔導機械術士協会のアードベル支部へと身を移してきたという彼女の話は有名だった。

 

 多少は脚色されたところもある噂話の類でとは思っていたが、彼女が『鋼血の戦乙女』の主要メンバーとして数えられていることが、その実力を物語っているのは確かだ。

 

「この場で傷を癒しきるのは、少ぉ~し厳しいですけどぉ」

 

 甘ったるい口調のチトセは、アッシュを包むドーム状の術陣を展開したまま、どこからか藁人形を2体、左手の中に取り出していた。

 

 恐らくはアイテムボックスに収納されていた霊術的、呪術的な触媒なのだろうが、妙におどろどろしい迫力のある藁人形だったのが印象に残っている。藁人形の胴体には札が張られており、そこには“生命的原形質”と達筆で書かれていた。

 

「シャマニちゃんの恩人を死なせてしまうわけには、いきませんよねぇ~」

 

 その妖しい切れ長の眼に、見る者が息を飲むような真剣さを灯したチトセは、左手に持っていた藁人形2体をゆっくりと握り潰しながら、独特の抑揚と発音を持った詠唱を紡ぎ始めた。

 

 あれは古代極東の言語だったのかもしれない。

 

 くしゃくしゃになった藁人形からは青白い靄のような微光が漏れ、それがチトセの詠唱に呼応して渦となり、仰向けに寝ているアッシュに注がれ始めた。

 

 青白い魔力光で編まれたチトセの治癒術陣は、瀕死であったアッシュの肉体に活力を与え、停止していた呼吸と鼓動を呼び戻していく。その速度は、やはり魔法薬の比ではなかった。

 

 普通の治癒魔法では、深刻な重傷を負っていたアッシュの生命力を削り切ってしまったか、或いは、術者であるチトセ自らの命を大きく零していただろう。だが、チトセが扱う治癒霊術は、ほぼ一方的に生命力を付与している様子だった。

 

 いわば、治癒魔法における原則、ルールの無視だ。

 

 それを可能にしているのは、先程チトセが握り潰したあの藁人形と、チトセ自身の扱う霊術の練度によるものに違いなかった。

 

『鋼血の戦乙女』の他のメンバー達も、チトセが編む精巧な術陣を見守り、半ば見惚れているような様子でもあった。

 

 ぎゅっと拳を握ったローザは洟を啜って、疲れ切った自分の体の感覚も忘れて、治癒を受けるアッシュの回復を祈るしかなかった。

 

 カルビは眉間に皺を刻んだままの険しい表情で、「アッシュを治し損なったらタダじゃおかねぇぞ」と言わんばかりに、チトセが編む治癒霊術を睨んでいた。

 

 そんなカルビの隣に立つネージュも不安そうな顔になり、頻りに唇を噛みながら、子供のように胸のあたりで両手を握っていた。

 

 さっきからずっと黙っているエミリアは神妙な面持ちで、仰向けに寝ているアッシュと、そのアッシュに施術を行うチトセの2人を、等分に見守っていた。

 

 正直なところ、傷ついた仲間に対してこんなにも動揺している自分達は、冒険者に向いていないのではないかと、あのときのローザは真剣に思っていた。

 

 その極端な動揺自体が、ローザ達がアッシュに抱きつつある特別な感情の裏返しなのかもしれなかった。

 

 当然だが、それを確かめるべく自身の心の内に目を凝らすような余裕もなかった。

 

 やがて、展開していた治癒霊術を解いたチトセが「……ふぅ」と細く息を吐いた。

 

「……この場での治癒は、これが限界でしょう」

 

 ゆったりとした声音で言うチトセだったが、その呼吸には乱れる寸前のような弾みがあり、頬と額には粒となった汗が伝っていた。

 

 アッシュへの治癒霊術の行使に、彼女も相当な精神力と魔力を消費したに違いなかった。

 

「あとはアードベルに戻り、魔法薬で肉体の治癒を補助しつつ、神殿での高位治癒を受けて貰った方がいいでしょう。彼の骨、内臓の深部まで届いている傷を癒せば、私もこの子も、ちょっと危なくなりますから」

 

 チトセは言いながら、アイテムボックスから筒状の何かを取り出した。いや、その大きさを見れば、召喚したと言っていいかもしれない。

 

 ズシン!! と重たい音を立てて地面に置かれたソレは、人間が入れるぐらい大きさであり、鈍色をしていて、四角い窓が嵌められていた。雰囲気はとしては装飾が施された棺といった風情だった。

 

「この救急用カプセルに入って貰えば、より負担を掛けずにアードベルまで戻れますよ」

 

 チトセが『救急用カプセル』と呼んだそれは、やはりローザが受けた印象の通り、棺のようにガバっと開いた。内側には、複雑な魔導機器が並んでいるだけでなく、人間が身を横たえる空間があった。

 

「多少は物々しい雰囲気ではありますけど、この救急用カプセルは怪しいものでも、危険なものでもありません」

 

 彼女の甘ったるい声音は、ローザ達の警戒心をゆっくりと解すようだった。

 

「治癒魔法や医術魔法を、魔導機械術に応用した装置ですから。具体的な機能としては、重傷者の肉体を清浄に保ちながら、拍動を計測したり、酸素を供給したりしてくれるんですよ~。……だから、安心して下さい」

 

 声音に穏やかさを漂わせたチトセは、ローザ達を順に見てから、倒れているアッシュに視線を戻した。その時のチトセの目は、何かを懐かしみ、喜ばしいものを眺めるように細められていた。

 

「優先すべきことは、彼を助けることでしょう」

 

 もしかしたらチトセは、アッシュの過去について何かを知っているのかもしれない。

 

 だが、それを尋ねている場合でもなかったし、チトセが穏やかに継いだ言葉に、ローザ達は頷く以外になかった。

 

 アッシュを助けるべく差し伸べられた手を、わざわざ払う理由はなかった。

 

 アッシュを収めた救急カプセルは、ヴァーミルが装備していたペンダント型のアイテムボックスに納められた。本来、人間をアイテムボックスに収容することは重罪だが、救急カプセルに重傷者を収めている場合は、特例として許されるのだそうだ。

 

 この特例の他にも、アイテムボックスの類に人間を収容することが許されるケースがある。それは重罪人を拘束する場合だった。

 

「このアッシュという少年は、私が責任をもって神殿まで運ぼう。……それと、あの腐れ外道もな」

 

 アッシュがチトセからの治癒霊術を受けている間に、地面に転がっていたギギネリエスもまた、救急カプセルに収容されていたらしい。生け捕りにしたローザ達の功績に傷をつけず、罪人を迅速に拘束するためでもあるのだろう。

 

 ヴァーミルは嫌悪感を隠さない表情で、ギギネリエスを収めたカプセルをアイテムボックスに納めてから、魔導鎧の翼を広げた。

 

 ギギネリエスが使役したネクロゴーレムの被害は大きく、アッシュ以外にも救急カプセルに収容されている冒険者がいるとのことで、ヴァーミルはすぐにでもダルムボーグを発とうとしていた。

 

「おい」

 

 そんなヴァーミルに声を掛けたのは、疲れた顔に真面目な表情をつくったカルビだった。

 

「……仮に死にかけでも、野郎はネクロマンサーだ。回復効果のある魔導具の中に入れておくのは、流石に不用心じゃねぇか?」

 

「ああ。問題はない。ギギネリエスを収容した救急カプセルは、『治癒封牢』と呼ばれている特殊なものだ」

 

 ヴァーミルは鎧の翼を広げ、空中へと身体を浮かび上がらせながら、ローザ達を安心させるように順に頷いてみせた。

 

「内部の人間の生命維持の他にも、魔力を封じる強力な機能が備わっている。瀕死の奴が、中で暴れることは不可能だ」

 

「……だったらいいんだけどよ」

 

 カルビは表情を緩めず、ヴァーミルを睨むように見た。噛みつくような真剣な眼差しだった。

 

「アッシュのこと、マジで頼んだぞ」

 

 それはローザも初めて聞くような、カルビにしては硬い声だった。

 

「……お願いするわ」

 

 強張った声で続いたネージュも僅かに視線を落とし、ぎゅっと唇を噛んでいた。

 

 大きく息を吸ったエミリアが頷き、ヴァーミルを見つめた。

 

「私達もアードベルに戻ったら、すぐに神殿に向かいますわ」

 

「……あぁ。だが、お前達も十分に身体を休めておけ。その消耗の様子だと、緊張が切れた途端に一気に疲労がくるぞ」

 

 武人然としたヴァーミルは不愛想に言うと、他の数名のクランメンバーと共に宙へと舞い上がり、特急でアードベルに向かってくれた。

 

 ローザとカルビ、シャマニの3人はその後、『鋼血の戦乙女』のメンバー達からの治癒魔法を受けた。

 

 エリクシルによって傷を癒したシャマニも、まだ意識を完全に取り戻したわけではないらしかった。アッシュと同じく救急カプセルに収容され、既に神殿に運ばれていったという話はそのときに聞いた。

 

 神殿での高位治癒魔法が必要ではない程度の負傷者については、第9号区にある魔導医術研究院に運ばれたそうだ。ダルムボーグに訪れていた冒険者達の多くが負傷したが、奇跡的に死者が出なかったことも分かった。

 

 そのことにローザは安堵したが、他の『鋼血の戦乙女』のクランメンバー達から治癒魔法を受けているあいだ、どうやってギギネリエスを倒したのかと、興味深そうに、或いは興奮気味な尊敬の眼差しと共に何度も訊かれたことには辟易した。

 

 カルビやネージュ、エミリアと目配らせをしたローザは、とにかく詳しいことは話さず、適当にはぐらかしておいた。

 

 ギギネリエスとの決着には、アッシュの過去にまつわる何かが絡んでいることが間違いなさそうだったからだ。

 

 アッシュの活躍やギギネリエスとの遣り取りを、無闇に話すべきではないと思った。

 

 

 

 

 ダルムボーグからアードベルに帰って来てからも、やはりアッシュが意識を取り戻すまでは、心から安らぐことは難しかった。

 

 神殿での高位治癒魔法を受けたアッシュが目を覚ますまでは、更に治癒施術を何度か重ねて受けつつ、6日ほどかかった。それまで『慈悲の院』に通い続けていたローザ達にとっては、今まで生きてきた中でも、最も長い6日間だったと思う。

 

 そこから更に3日間の魔術治療を受けて、ようやくアッシュは面会ができるようになったのだ。

 

 まぁ、終わりよければなんとやら……、だよね。

 口の中で独り言ちたあと、ローザは記憶を辿るのを中断する。

 

 神殿の順路を歩きながら、籠を持っていない方の手で顔を軽く擦った。きっと今の自分は、辛気臭い顔をしていることだろう。

 

 このままでは、アッシュの見舞にきておいて、アッシュに気を遣われるような状況になってしまう気がした。

 

『慈悲の院』へと向かう足を少しだけ緩めて、ローザは深呼吸をしてみる。

 

 アッシュを失うかもしれないという、喪失への恐怖感を思い出していたせいかもしれない。不意にローザは、父がいなくなった時のことも抱き合わせで想起した。

 

 あのときの私も、めちゃくちゃ狼狽してたなぁ……。

 

 その記憶は深追いせずに、ローザは内心で苦笑する。無意識のうちに下がっていた視線をあげたところで、背後から声をかけられた。

 

「あぁ。アンタ」

 

 力強くて迫力のある、女性の声だった。

 

「アッシュに会いに来てくれたんだろうけれど、今は無理だ」

 

 ローザが足を止めて振り返ると、体格のいい初老の女性が歩み寄ってくるところだった。

 

「高位治癒魔法を受けたあとの後遺症が残っていないか、精密検査を受けている途中でね。療養を終えて『慈悲の院』から出ていってもらう時には、必ず受けさせる決まりになってるんだ」

 

 気が強そうで、それでいて優しそうな笑みを湛えている彼女は、ボリュームのある白い髪を後ろで束ねて、高位の神官服を着ている。

 

「わざわざ教えて頂いて、ありがとうございます」

 

 居住まいを正したローザも笑みを返し、礼を述べたところで、神官服の女性が親指を立てた。そしてその親指で、自分の後ろを差してみせる。

 

 ついて来い、というメッセージのようだ。なんとも男勝りな仕草だったが、妙に似合っている。

 

「あの子の検査が終わるまで、向こうで少し話をしないかい? 茶と菓子くらいなら用意するよ」

 

 その唐突な誘いに、ローザは何度か瞬きをしてしまった。

 

 初老の女性の方は、自分の不躾な誘いを詫びるように「あぁ、まだ名乗ってもいなかったねぇ」と太い声を優しく揺らした。

 

「私は、クレア=グリフィード。ここの養護院の、まぁ、院長をやってる」

 

 自己紹介をしてくれた初老の女性は、「あの子が……、あぁ、アッシュが世話になってるようだね。礼を言うよ」と、目許の皺を柔らかく深めてみせた。

 

「そ、そうだったんですね。えぇっと、私は」

 

 ローザも慌てて自己紹介をしようといたところで、「名前はもう知ってるよ」と、クレアが嫌味なく笑う。

 

「ローザ=エタンセル。あんたもヤンチャな冒険者なんだろう? いろいろと暴れてまくって、派手にやらかしてるって噂は聞いてるよ」

 

「うっ……。そ、そうですか……」

 

 笑顔を強張らせたローザが一瞬だけ呻いたのを見て、クレアが可笑しそうに肩を揺らした。

 

「あぁ。でも、悪い娘じゃなさそうで、ちょっとホッとしてるよ。あんたのとこのパーティは、あれだよ、まぁ……、ちょっとガラも悪い感じの娘もいるし、目つきが鋭すぎる娘もいるし、ガタイも威勢も良さそうな娘もいる感じだけれど」

 

 冗談めかしたクレアに、ローザは苦笑するしかなかった。

 

「カルビとネージュ、エミリアのことですよね。あの3人も、悪い人間じゃないんですよ。確かに、いろいろと過激な噂もついて回ってますけど……。根は優しいんです」

 

「あぁ、うん。誤解されやすそうな娘たちだってことは、私も分かったよ。あれだけアッシュのことを心配してくれてたんだからね」

 

 クレアは言ってから、じっとローザを見詰めた。

 

「……あの子が意識を取り戻すまで、あんた達が何度も様子を聞きに来てくれてたことも、ちゃんと知ってるさ」

 

 彼女は人懐っこい笑顔の中に、感謝らしきものを滲ませている。見覚えのある種類の笑顔だった。すぐにローザの脳裏に、チトセが浮かんだ。

 

 はっとしたローザは、そこで思った。

 

 目の前のクレアであれば、アッシュの過去について、何かを知っているのではないか。

 

 少なくとも、養護院に入っていたころのアッシュの様子や、アッシュが養護院で過ごすことになった経緯などは知っているはずだ。

 

 この時のローザは迂闊なほど、クレアを前にして真剣な表情で黙り込んでしまっていた。その硬質な沈黙に、クレアも何かを察したのだろう。

 

「……あんたも、私に何か訊きたいことがありそうだね」

 

 その言い方から、クレアにも何かローザに尋ねたいことがあるようだった。

 

「応接室なんていうほど立派なものじゃないが、客人を通す部屋があるんだ。案内するよ」

 

 ローザに背を向けながら、彼女はゆったりとした足取りで順路を歩き出す。ローザは軽く頭を下げて、そのあとに続いた。

 

 アッシュの居ないところで、アッシュのことを知ろうとしていることに罪悪感は確かにあった。だが今は、知らなければならないという使命感の方が、ローザの中で勝っていた。

 

 いや……。そんな言い訳じみたことを考えて、自分を正当化するのも卑怯な気がした。

 

 私は、アッシュ君が好きだ。

 だから私は、アッシュ君のことを知りたい。

 その自分の心に、今は素直に従うべきだと思った。

 

 

 

 












今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
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