「ねぇ、お姉さん達のパーティに同行してくれないかな?」   作:なごりyuki

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第58話 これからも

 

 

 

 

 

 

「ギギネリエスを捕らえた冒険者として、私達の名前が表に出ることは暫くなさそうだよ」

 

 『慈悲の院』に用意されていたアッシュの部屋に、ローザが訪れてきたのは、つい先程。見舞いも兼ねて、現状を伝えに来てくれたのだ。

 

 アッシュの身体も順調に回復に向かっており、もうすぐに『慈悲の院』から出ることができると聞いて、ローザも改めて安心としてくれている様子だった。

 

 カルビとネージュ、エミリアの3人は、冒険者等級に関わる重要な話があるということで、今日の朝からギルドに呼び出されているそうだ。そのため、ローザとは時間をずらしてアッシュに会いに来るということだった。

 

「動く賞金額も大きいからしょうがないんだろうけどさ。まぁ、今のアードベルは、ちょっと盛り上がり過ぎだからね~」

 

「賞金首のネクロマンサーを捕らえるというのは、やっぱり大きなニュースなんですね」

 

「いや、アッシュ君さぁ……。なんか他人事みたいに言ってるけど、ギギネリエスを捕縛した冒険者が公表されることになったら、アッシュ君の名前もバッチリ表に出るんだからね?」

 

「……僕は、ローザさん達と同行していただけですから」

 

 備え付けられていたベッドに腰かけているアッシュは、上手く笑みをつくれないことを誤魔化したくて、視線を床に落とした。

 

 アッシュに用意されている部屋は清潔感もあって小奇麗ではあるが、部屋自体は広くはない。安い貸し宿よりも、ほんの少し広い程度だ。備えられている椅子は1つだけ。そこに今はローザが掛けて、持ってきてくれたリンゴの皮を剝いてくれている。

 

「大活躍しておいて、よく言うよ」

 

 慣れた手つきで果物ナイフを扱うローザは、冗談めかして肩を竦めた。

 

 ただ、アッシュに向けられるローザの眼差しの奥には、何か複雑な感情が蹲っているのが分かる。それを悟らせないためか、ローザの口調はワザとらしくない程度に明るく、柔らかかった。

 

「僕が活躍できる状況を整えてくれたのは、実際にはローザさん達ですよ」

 

 ローザからの賞賛の言葉を受け取るのではなく、綺麗に畳みながら手渡しで返すような気持ちだった。卑屈な遠慮でも、嫌味な謙遜でもなく、それが間違いなくアッシュの本心であることも伝わったのだろう。

 

 嬉しそうに目を細めたローザも「にひひ」と少年みたいに笑ってみせる。

 

「やっぱり、私達とアッシュ君のチームワークは完璧だったってことだね」

 

 快活に言うローザは、控えめなアッシュの言葉を受け取りつつも、アッシュからの反論を封じるように、皮を剝き終えたリンゴを切り分けて、紙の小皿に盛って渡してくれた。

 

 ローザが剥いてくれたリンゴの果肉は瑞々しい輝きがあり、蜜がたっぷりと含まれているのが分かる。

 

「はい、フォークも。使い捨てのだけど」

 

「あ、ありがとうございます。でも、僕だけ頂くのもなんですし、ローザさんもどうぞ」

 

 アッシュは、皿と小ぶりなフォークを受けとりながら頭を下げてから、切り分けてくれたリンゴをローザにも勧めた。猫みたいな口になったローザは「それじゃ、御言葉に甘えて」と、アッシュに向けて両手を合わせるポーズをとった。

 

「いただきまーす!」

 

「はい。僕も頂きます」

 

 アッシュとローザは笑みを交わし合い、一緒にリンゴを齧ってから、同時に言葉を失う。勿論、感動してだ。一口齧っただけで果汁が溢れ、濃厚な甘みに味覚を支配されてしまった。

 

 こんなリンゴを、今までアッシュは食べたことが無かった。

 

 果肉のシャリシャリとした食感。そこに含まれる蜜の舌触り。この2つはジューシーな果汁に包まれて完全に調和している。濃厚な甘みも上品だ。爽やかな酸味のおかげで、しつこさも感じさせない。それでいて深い余韻があるのだが、何とも儚い。この口の中に残る果実の香りと甘さと風味は、口を開けようものならすぐに消えてしまうだろう。

 

「ほわぁ……」

 

 うっとりとした表情になったローザは頬に片手を当て、溜息を零している。

 

「これ、本当に美味しいですね……」

 

 思わず呟いてしまったアッシュを見て、ローザが「でしょ~?」と、自分の目の付けどころとセンスを自慢するように胸を張る。その動作に応えた彼女の豊かな膨らみも、ふるるんと柔らかそうに揺れた。

 

「このリンゴ、有名な果樹基地から取り寄せてるんだって。魔法果実の1種で、人気も高いって聞いてさ。美食街で買ってきたんだけど、やっぱり違うね~」

 

「なるほど……、どうりで」

 

 皿に載っている艶々としたリンゴを見つめるアッシュは、その美味の正体に納得すると同時に、その上質さに恐縮してしまう。

 

 リンゴやオレンジ、グレープなどの果物は、かつての魔王達が異世界から取り込んだものらしく、非常に味がいい。特に魔法によって生育環境を整えられた果樹基地で生産されるものは、味も形も質が良いということで高級品として出回っている。

 

「こんな上等なものを頂いてしまって、何だか申し訳ないです」

 

「いいっていいって」

 

 軽く手を振って見せたローザの声音は、不意にそこで優しくなった。

 

「そんな遠慮ばっかりしてると、幸せが逃げて行っちゃうよ」

 

 ローザが微笑むと、部屋の空気がふわりと暖かくなる。

 

 このときアッシュが思い返したのは、ギギネリエスと対峙したときの、あの凛冽なローザの表情だった。

 

 改めて思う。ローザは、アッシュの過去を知っているのだ。

 

死体から造られたという、忌まわしいアッシュの出自も。そしてアッシュが、自分と同じような屍の人形達を無数に破壊してきたことも。

 

それでもなお、ローザは、アッシュに向けて“幸せ”という言葉を向けてくれる。

 

その言葉がアッシュの過去に触れることを理解していながらも、恐れるふうでは無かった。腫物を扱うような極端な遠慮や、押しつけがましい同情の気配もない。

 

 ローザはアッシュに対してあくまで対等な仲間として接しながら、アッシュの複雑な部分を理解してくれようとしている。今の彼女からは、そんな印象を受けた。

 

 だが思い返してみれば、こういう彼女の繊細な距離感は、アッシュがパーティに誘われた時から変わっていない。つまりは、こういう人間らしい優しさこそが、ローザという女性の本質なのだろう。

 

「カルビも、ネージュも言ってたよ。アッシュ君は他の人のことを優先し過ぎだから、もっとワガママを言って甘えてくれてもいいのに、ってね」

 

「そう……ですか」

 

「甘えてくれるアッシュ君を想像したエミリアも、“んほぉ~……たまりませんわ~”とか変な声を出しながら楽しみにしてたしさ」

 

 何と応えていいのか分からず、アッシュは曖昧な笑みを浮かべるだけに留めた。ここでアッシュが何も喋らねば、沈黙が訪れる筈だった。その沈黙を挟んで、アッシュは大事な話を切り出そうと思った。

 

 もう、誰からも同行依頼を受けるつもりはないのだと。

 完全な、ソロ冒険者として生きていくつもりなのだと。

 

 もしもここに、カルビやネージュ、エミリア達が居たならば、きっと僕は、彼女達の優しい空気に流されて、決心することもできないだろうと思った。

 

 だが、今のようにローザだけに伝えるのならば、それは角の立たない、あくまで“冒険者同士の遣り取り”で済むのだと思った。

 

余計な感傷をできるだけ持ち込まず、互いの敬意を維持したまま、彼女と別れることができると期待した。

 

 その気配を読んだわけではないだろうが、アッシュが口を開こうとするよりも先だった。

 

 猫のような口になったローザが、「でもさ~……」と悪戯っぽく頷いてから椅子から立ち上がった。

 

「甘えて欲しいって急に言われても、それを実践するのって難しいと思うんだよね」

 

言いながらローザは、やっぱり猫のような口になって、ベッドに座っているアッシュの隣へと、すすすっと寄ってくる。

 

「ほら。誰かに甘えたり頼ったりするのって、けっこう勇気がいるものでしょ?」

 

 お姉さん然とした口調のローザは、アッシュの隣に腰掛けた。それだけでなく、ずいっとお尻を寄せてきた。彼女の体温を感じるほどの近さだった。ぎしっとベッド軋む。

 

 一体、ローザは何を始める気なのかと警戒したアッシュは、僅かに身体を反らして距離を取ろうとした。

 

その隙を突いたローザは、また身体を寄せてくるだけでなく、アッシュの手の中にある小皿とフォークをひょいと掠め取り、悪戯っぽい笑みを深めながら、片目を瞑ってみせた。

 

「いい機会だからさ、甘える練習しよっか」

 

「……えっ」

 

 アッシュは嫌な予感がしたが、楽しそうなローザはもう動いていた。

 

「はい、あーん」

 

 にこにこ顔になったローザは、手にしたフォークにリンゴを刺し、それをアッシュに食べさせるべく、更に上半身を寄せてくる。

 

 いきなりのことに、アッシュは狼狽えるしかなかった。

 

彼女は冒険用の服装ではなく、ゆったりとした私服だ。そのため、普段以上に寛いでいるローザの乳房の揺れも、今日はやたらと生々しかった。

 

 前にも思ったが、こういうローザの無防備さは、アッシュを男として見ていないからか、それとも信頼されているからか。或いは、その両方なのか。

 

「い、いぇ、自分で食べられますから……」

 

 焦りを含んだ苦笑と共にそう言ってみたが、ローザの方は聞く耳を持とうとしない。

 

「んん~? アッシュ君、そういうトコだよ~? 今のこの状況と空気を読んだら、素直にローザお姉ちゃんに甘えるトコだって分かるでしょ~?」

 

 ミスを指摘するような口振りのローザは、とにかく楽しそうだった。嬉しそうでもある。

 

眉を下げたアッシュは、目の前に突きつけられたリンゴと、お姉さん風味なローザの笑顔を見比べて参ってしまう。

 

 何とか状況を打破しようと、アッシュは「いや」であるとか「でも」という言葉を継ごうとするのだが、アッシュが何かを喋ろうとする度に、ローザの「いいから」という言葉に打ち消されてしまって、議論にならない。

 

この楽しげな強引さは何なのか。

 

そのうち、ちょっと寂しそうに眉を下げたローザが、「私にあーんされるのを、そんなにイヤ……?」と、しょんぼりとした声で言うものだから、もうアッシュは観念せざるを得なかった。

 

「わ、わかりました」

 

 ローザから視線を横にずらしたアッシュは、頬を指で掻いてから、おずおずとではあるが、「ぁ、あー……」と口を開けた。その瞬間、しゅんとしていた筈のローザが即座に元気を取り戻して、手にしていたフォークを構え直した。

 

奇妙な沈黙が訪れる。ローザは無言ままで、アッシュの口の中にリンゴを運んだ。

 

「んっ」

 

 何とも言えない表情のアッシュも、無言でリンゴを口に含む。気恥ずかしさに耐えながらモソモソと咀嚼していると、「どう? 美味しい?」などと、やけに嬉しそうな声でローザが尋ねてきた。

 

 さっきまで食べていたリンゴと同じなのだから、どう? などと問われても美味しいに決まっている。

 

その筈なのだが、さっきよりもリンゴの甘さが濃くなり、酸味が増したような気がするのは何故なのだろう。

 

「えぇ。その、ぉ、美味しいです」

 

 口許を手で隠したアッシュは、相変わらずローザの方を上手く見れないまま、モゴモゴと答える。するとローザは「んふふ~」と、嬉しそうに鼻息を荒くして、また手にしたフォークでリンゴを突き刺して、アッシュに差し出してきた。

 

 笑みを湛えた今のローザの機嫌のよさは、有無を言わさない種類の妙な圧力を備えている。アッシュは抵抗を諦めて、切ってくれたリンゴがなくなるまで「あーん」を続けざるを得なかった。

 

 大人しくリンゴを食べるアッシュの姿を眺めるローザは、まるで今まで全く懐かなかった犬か猫が、ようやく心を開いてくれたかのような無邪気な喜びを見せている。

 

「……すみません。御馳走様でした」

 

 リスにように頬張ったリンゴを咀嚼しつつ、アッシュはローザに頭を下げる。

 

 口の中にものを入れたまま喋っては行儀が悪いとも思ったが、とにかく御馳走様を先に言って牽制しておかないと、更に次のリンゴか、または別の果物をローザが剝きはじめ、まだまだ「あーん」が続くような気配があった。

 

 実際、ローザはそのつもりだったようで、「え、もういいの?」と残念そうな顔をしている。アッシュは口の中のリンゴを必死に咀嚼して飲み込み、何とか苦笑を浮かべて頷いた。

 

「そっか~……」

 

 手にした皿とフォークを、名残惜しそうな手つきでテーブルに置いたローザだったが、またすぐにアッシュに向き直った。

 

「じゃあさ、次のステップに行こう」

 

 つ、次のステップ……? アッシュは内心で焦りつつ、かなり緊張した。一方でローザの笑みは優しいまま、より柔らかな空気を帯びていく。

 

「アッシュ君はさ、私に何かして欲しいコトって、ある?」

 

 アッシュの隣で身を乗り出すような姿勢になったローザは、うきうきとした口振りだ。

 

「して欲しいこと……、ですか?」

 

「遠慮は要らないよ。これも甘える練習だと思ってさ」

 

 猫みたいな口になったローザは、はしゃいだ声で言う。

 

「ローザお姉ちゃんに、何でも言ってみてよ。これも甘える練習だから、あんまり遠慮しちゃ駄目だよ~?」

 

 悪戯っぽくもお姉さん風味な笑みを浮かべたローザは、「流石にさぁ、何にも無いってことは無いでしょ?」と、隣に座るアッシュの顔を覗き込むようにして、また身体を寄せてくる。

 

 まるで恋人同士のような、そうでなければ、本当に仲の良い姉と弟のような、親密でなければ許されない距離感だ。それをローザは平然と維持してくれている。

 

 胸がギシギシと軋んで、アッシュは息が詰まりそうなった。

 

 ローザの優しい無防備さの中に、彼女から向けられる特別な感情や愛着を探す資格など、僕には無いのだった。

 

僕が、僕である限り――。

 なぜ僕は、僕なのか――。

 

 彼女達と冒険活動を続けることで、何か、僕自身を肯定できる未来があるのではないかと、淡い希望を抱いたこともあった。だが、それは勝手な幻想だったのだと分かった。

 

この僕の体と、僕の身体が通過してきた穢れた時間は、この場の温かさとは、かけ離れたものに思えて仕方なかった。

 

これ以上、温かな何かを彼女から受け取り続けるわけにはいかないと思った。

 

「そう……、ですね。では。お願いしたいことが、あります……」

 

 アッシュは自分の笑みが強張りそうになるのを堪えながら、視線を足元に落とした。声が震えてしまわないように意識する。

 

「これからの同行依頼についてのなのですが……」

 

 ローザが作ってくれた今の和やかで明るい空気を壊したくはなかったが、このタイミングだからこそ、自然と切り出せる種類の話だと思った。

 

「もう僕は、誰からの依頼も受けないでおこうと思っています」

 

アッシュは出来るだけ穏やかな声で言う。

 

 自分の足元を見ているアッシュには、ローザの表情は分からない。だが、彼女からは驚いたり、息を詰まらせたりする気配は伝わってこない。黙って話を聴いてくれている。

 

 もしかしたらローザは、アッシュが深刻な話をしたがっていたのを察して、今の和やかで明るい雰囲気を作ってくれたのかもしれないと思った。

 

 そのローザの気遣いに、今こそ甘えるつもりで、アッシュは言葉を継いでいく。

 

「僕を助けてくれたことも、こうして会いに来てくれるのも、本当に感謝しています。凄く嬉しいです……でも、それと同じぐらい、後ろめたさも感じるんです」

 

 ローザは先程、誰かを頼るのも甘えるのも、勇気が必要だと言っていたが、その通りだと思った。

 

胸の内にある想いを、その強度と解像度を落とさず、誰かに語るためには、こんなに勇気がいることをアッシュは生まれて初めて実感した。

 

「ギギネリエスの話が真実なのかどうか、……僕が死体から造られたかどうかは、僕には確かめる術がありません。……ただ、少なくとも僕の過去については、ギギネリエスが語った通りです」

 

 強張った声で言いながらアッシュは、ローザの前で着ていた上着の左袖を捲った。こんな風に、自ら誰かに肌を晒すのも初めての事だった。

 

 自分自身の穢れた部分を、ローザに見せたくはなかった。

 

 だが、アッシュ自身が切り出した話を前に進める為にも、ローザのことを信頼していることを表明するためにも、それは必要な手続きだった。

 

「もう、ローザさん達は気付かれていたかもしれませんが……。僕の身体には、こういった紋様が幾つも彫り込まれています」

 

 アッシュの左腕に刻まれた禍々しい紋様は、不吉にのたうって捻じれながら、手首から肘へと走り、肩までを登り、上着に隠れたアッシュの胸と背中にまで繋がっている。

 

 この黒々とした紋様の醜悪さと邪悪さ、禍々しさは、そのままアッシュという存在の本質を雄弁に語っていた。

 

「僕は、“教団”と呼ばれる一派にとって望ましい存在となるべく、肉体と精神を強化され続けていました。……その結果を探る意味合いを含めて、僕と同じように造られた……、いえ、僕の兄とも弟とも、姉とも妹ともつかない誰かと、何度も何度も何度も殺し合いをしてきました」

 

 アッシュは自分の左手首の下あたりを、右手で強く握った。それから、俯いていた顔を上げて、隣に座るローザの方を見た。黙っているローザは悲しそうな、しかし真剣な、見守るような表情でアッシュの話を聴いてくれていた。

 

 彼女の落ち着いた様子を見て、『何でも言ってみてよ』という、先程のローザの言葉を思い出す。この場でのアッシュは、本当に遠慮をすべきではないのだと思った。

 

「……クレア院長に話したいことがあったので、先ほど検査魔法を受けてから、養護院の事務室の方へと足を向けたんです。そこで、ローザさんが養護院の事務室から……、クレア院長の仕事部屋から出てくるところを見ました」

 

 アッシュが言うと、ローザが一瞬だけ息を詰まらせる気配があった。

 

「……クレア院長は、僕のことについて何か言っていましたか?」

 

 思わぬところを突かれたように、ローザは僅かに視線を揺らしながら、必死に何か弁解の言葉を探している様子だった。

 

 ただ、アッシュはこの場で棘のある沈黙を降ろしたくなかったし、ローザを責めるようなつもりも全くなかった。

 

 その気持ちを表明するために、アッシュは少しだけローザに微笑んでみせる。

 

「クレア院長は、いつも僕のことを心配してくれていましたから。……きっとローザさんにも、僕ことを宜しく頼むというような話をしてくれていたのかなと、そう思ったんです」

 

 アッシュはもう、クレアとローザの間でなされた会話の内容については、ほとんど確信を持っていた。申し訳なさそうに目を伏せるローザの様子からも、クレアから話を聴いて、もう殆どアッシュの過去を知っているのだろう。

 

 アッシュはもう、ローザに隠すことなど――隠せる何かなど、無いのだと分かった。

 

「クレア院長には、僕が養護院でお世話になる前にも、色々と助けて貰って本当に感謝しています」

 

 自分がちゃんと笑えていることに安堵しながら、アッシュは自分の言葉を継ぎ足していく。それらの言葉の群れで、できるだけ丁寧に、穏やかに、だが、確実にローザを自分から遠ざけるために。

 

「でも僕には、そういった真心の籠った優しさを受け取る資格も、……それを感謝する資格すら、本当はないんです。僕の生きてきた時間は、もう修正が効かないぐらいに歪んでいて、穢れているんです」

 

 アッシュは微笑みを維持しながら、左の拳を強く握った。そして、左腕を握る右手にも力を籠める。死体から造り出されたという自身の肉体を、握り締める思いだった。

 

ゆっくりと息を吸う。意識の隅に、悪夢の光景が生々しく蘇ってくる。

 

「……僕は、僕自身の過去を引き剥がすことができません。無かったことにはできないですし、忘れたフリをできるような器用さも、僕にはありません」

 

 アッシュは、誰にも話したことのない心の内を、乱暴に押し広げて曝け出す感覚だった。

 

それは苦悩をローザに聴いて貰いたいという欲求から来るものではなく、寧ろ、ローザ達の人生の時間から、アッシュ自身を引き剥がすための吐露だった。

 

「僕は、僕自身を許してはならないと、そう思うんです」

 

「……だから、ソロ冒険者を続けてたんだね」

 

 柔らかい声でそう言ってくれたローザも、恐らくは、この話の着地点を予想できている筈だった。

 

「えぇ。そうです」

 

 アッシュは少しだけ笑ってから、ベッドの横に吊っていた冒険者の認識プレートに目を向けた。銀色のプレートには、5等級を表す紋様が刻まれている。

 

「冒険者の仕事は、ダンジョンに潜るだけじゃありません。魔物の討伐、薬草や鉱石の採取、農園基地や果樹基地の警護、商隊の護衛など、多岐に渡ります」

 

言いながら自分の認識プレートを手に取り、アッシュは目を細めて眺めた。

 

「特にアードベルだと、逃げた飼い犬を探して欲しいとか、店番をして欲しいとか、飲食店の厨房を手伝って欲しいなんて依頼もあって、もう何でもありです」

 

 アードベルの賑やかな冒険者ギルドの様子や、ローザ達と共に過ごした冒険者用酒場の騒がしさを思い浮かべて、アッシュは薄く息を吐き出した。

 

「でも、その分だけ人々の暮らしぶりに関わる職業でもあり、冒険者業界の規模も膨らみ続けています。……その膨大な数の冒険者の中に紛れ込んで、僕は……、彼らの活躍の一部に――この世界に対する、匿名の貢献者になろうと思っていたんです」

 

 アッシュはそこで、自分の声が微かに震えていることに気付いた。

 

 だが、この場で伝えるべきことは、全て伝えねばならない。今のローザは、アッシュの話を真剣に聴いてくれているのだ。黙るわけにはいかなかった。

 

「そうすることで僕は、僕自身の存在を、この世界から薄めていけるような気がしていたんです」

 

 5等級の認識プレートを身に着けているとき、アッシュは、5等級の冒険者という“役割”を明確に得ることができていた。雑魚や低級だと言われても、そんなことは気にはならなかった。

 

“冒険者”という言葉と、その“役割”に、ただ孤独に埋没していくとき、間違いなく、アッシュの存在と過去は希釈されていた。

 

 冒険者として活動するとき、アッシュは、アッシュである必要性も意味も価値も、捨てることができた。特に5等級のソロ冒険者であれば、それは顕著だった。

 

 どれだけ穢れた時間を生きてきたとしても、『5等級の冒険者』という枠の中に居る限り、この世界にとってのアッシュは、何の特別性もない、そして何者でもない、平凡な低級冒険者として存在することができていた。

 

 5等級の認識プレートは、アッシュにとって、自身の過去を遮断し、自分と言う存在を透明にするお守りのようなものだった。

 

「……でも、トロールダンプの酒場で、ローザさん達から同行依頼の話を受けたとき僕は、必要とされることを嬉しく思いました。……その喜びを感じた自分自身に、正直でありたいと思ってしまったんです。そんな資格なんてないことも、分かっていたはずなのに……」

 

 ローザの方を見ることができないまま、アッシュはきつく目を閉じ、血を吐き出すような思いで言葉を紡ぐ。瞼の裏の暗闇のなかには、断片的な過去の光景が、歪に繋がって溢れてくる。

 

 暗い石室。ローブの男達。自分と同じ“人形達”を、無数に破壊していく感触。土砂降りの雨のように浴びた、“人形達”の返り血の温度。“人形達”の残骸が地面に広がるなかで、無感動に佇んでいるアッシュ自身の姿。象牙色のローブの男の声が、耳の奥で響いてくる。

 

“お前は無価値だ”

“お前は無意味だ”

“お前の自我など不要だ”

“不純物だ”

“出来損ないめ”

 

 そういった冷酷な言葉は、死体から造り出されたという自らの真実を聴かされたアッシュにとっては、もはや拭いとることのできない刻印だった。

 

死体によって編み上げられたこの肉体に、アッシュの魂は縛り付けられている。決して逃げ出すことはできない。自分自身からは――。

 

 あぁ。そうか……。アッシュは気付く。

 

 僕は何者なのか――?

 

あの陳腐な自問の反復は、希釈されていく自分の存在に、何らかの意味や価値を見出したかったのだ。僕は、在ることなく消えたくなかったのだと分かった。

 

 だが、そんな望みを持つ資格は、やはり僕には無いのだろう。

 

「……やっぱり僕は、ローザさん達と一緒にいては、いけないような気がするんです」

 

 神殿で目を覚ましてから、ずっとそのことを考えていた。

 

 今更なことを、自分勝手なタイミングで口にしているのも自覚している。

 

 だがアッシュは、ローザと同じパーティではない。ローザからの依頼によって同行していただけだ。そして次回の同行依頼を受けるのも拒むのも、“冒険者”として、アッシュの自由だった。

 

「だから……、こうして会うのも、今日で最後にしたいんです」

 

 それでも、最後までローザとは対等でいたかった。

 

 この決別が、決してローザ達に原因があるのではないと表明するために、今までの感謝と共に少しだけ頭を下げる。アッシュの隣に掛けていたローザが、すっと息を吸い込む気配があって、すぐだった。

 

「やだ」

 

「えっ」

 

 思わず顔を上げたアッシュは、間抜けな素の声を出してしまった。

 

 

 

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